「香港国際警察」

  新警察故事 (New Police Story)

 (2005/03/21)


見る前の予想

 ジャッキー・チェンの最新作である。

 それも彼のヒット・シリーズ「ポリス・ストーリー」の新作だ。ここのところハリウッド作品がメインだったジャッキーだが、そんな彼が久々に香港で本領発揮の大作を放った…と、あちらでは大変な評判になったらしい。となると、ちょっとそれは見てみたいという気になるね。

 特に僕は近作「メダリオン」(2003)にかなり疑問を感じてもいたんで、ここはちょっと気合いの入ったジャッキーが見たい。

 そして、さらにもう一つ…僕にはこの映画が見たい個人的理由があったのだが、それはまた後で語りたい。とにかく…この映画は何となく見なくてはいけない気がした。こぅいう予感は大切にしたいんだよね。

 

あらすじ

 グラスを次々空けて、ヨレヨレへべれけの男がいる。その男ジャッキー・チェンは、千鳥足の泥酔状態で夜の街を歩いているが、そのうちゲロを吐いたあげく路上に突っ伏してしまう。そんなミジメそのものの姿で寝入ってしまったジャッキーに、秘かに近寄ってくる若い男が一人…。

 それに先立つ一年前…。

 株屋にダマされ財産を失った男が、自暴自棄になって人質を取っていた。手には銃と手榴弾。両腕で男女の人質を抱え込み、警官隊に取り囲まれながらわめき散らす。「テレビの取材はどうした! 株屋はまだか!」

 そんな時、現場に忽然と現れて一気に事件を解決してしまった男がいる。それはテレビ・クルーに化けたジャッキーだ。彼は男の銃と手榴弾を抑えつけ、人質を助け、最後にピンが抜かれた手榴弾をマンホールに投げ込んでみんなを救った。

 今回も、また彼の力で解決だ!

 自らのチームを率いて難事件を次々解決するジャッキー・チェン警部は、香港警察きってのプロフェッショナル。だが、それだけではない。今度の事件の発端になった株屋が慣れ慣れしく近づいて来れば、思わずボコボコにしてしまう「熱い」気持ちの持ち主でもある。そこが部下たちの信望熱いゆえんでもある。

 部下たちに慕われているだけではない。美しい恋人チャーリー・ヤンとは、近々結婚の約束も交わしている。彼女の弟ディープ・ンは、ジャッキーの部下でもあった。そんなこんなで、公私ともに幸せの絶頂のジャッキーではあった。

 そんなある夜、超高層ビルの屋上にへばりつくように座っている5人の若い連中がいた。いずれも仮面で顔を隠したこの5人は、やがて身体に命綱を付けたまま高層ビルのガラスの壁面を滑り降りる。そして目指すフロアから窓ガラスを割って侵入。そこは「アジア銀行」のあるフロアだった。彼らは持ち込んだデカいザックの中から、人質の銀行員を引っ張り出す。そして金庫を開けさせ大金をかっさらっていった。

 さらに銀行員に命じたのは…携帯電話からの警察への通報!

 慌ててビルの前へと駆けつける警察車両に対して、待ち構える彼ら5人は次々と銃弾を浴びせる。為す術もなく倒れ込む警官隊。やがて駆けつけた援軍を横目に、5人はヌケヌケと横道から立ち去ろうとする。

 ところが逃げる途中で、5人のうち紅一点の女がヘマをして警察に捕まってしまう。捕まえたデイブ・ウォン刑事はそいつの仮面を剥ぎ取り、その素顔を見たところまでは良かったが…敵の激しい銃撃に合ってその場にいた同僚は殺され、ウォン刑事も弾丸を食らった。後に残されたのは犯人たちが置いていったカネだけ…。

 強盗団5人…主犯格のダニエル・ウーを筆頭に、テレンス・イン、アンディ・オン、ヒロ・ハヤマ、そして紅一点ココ・チャン…はみな「いいとこ」のボンボンばかり。みな面白がって犯罪に興じている連中だ。だから盗んだカネを失ったからと言っても惜しくはない。それよりも…テレビで香港警察の「やり手」ジャッキー・チェン警部が、「奴らを3時間でパクる」と豪語している方が彼らには問題だ。どうあっても、こいつの天狗の鼻をへし折らねばならぬ…。

 ジャッキーはその直後、病院にウォン刑事を見舞っていた。相変わらずの自信満々ぶりをからかうウォン刑事だったが、ジャッキーは本気も本気。これから部下たちと犯人のアジトを粉砕するところだったのだ。

 さて、廃墟となった巨大な蔵置施設にやって来るジャッキー以下警察特殊チームたち。もちろんその中には、婚約者チャーリー・ヤンの弟ディープ・ンもいた。彼らはすっかり朝飯前で片付けられると思い込んでいた。だが、それは甘かった。エレベーターの扉が彼らを誘い込むように開けっ放しになっている事に、悪い予感を感じるべきだったのだ。

 実はこの倉庫、あちらこちらにテレビのモニター・カメラが仕掛けられ、さまざまなワナが仕掛けられていた。彼らはあらかじめシュミレーションしていたCG映像を見ながら、それらのワナを次々稼働させていけば良かった。そうとは知らずに二班に分かれた警察側は、まず通信への妨害電波で遮断されて孤立。一人またひとりと敵の餌食になっていった。

 気づいてみると、いつの間にかジャッキーただ一人。誘い込まれるように入っていった巨大な倉庫で、彼は思いがけないものを目撃する。

 遙か高い天井からロープで吊り下げられた部下たちの姿!

 あまりにあまりな状況に、すっかり動転するジャッキー。そんな彼を、仮面の5人の嘲笑が襲う。犯人たちはジャッキーに「ゲーム」に参加するように告げる。目の前に人質となった部下たちがいる以上、そこには選択の余地はなかった。その「ゲーム」とはジャッキーと犯人側の一人が行うもので、「賭け金」はジャッキーの部下たち。ジャッキーが勝てば部下は一人づつ解放、負ければ殺すというものだった。

 早速行われたのは、バラした拳銃の組み立てゲーム。本来だったらこんなモノは造作もない事だろうが、この動転した状況では手も満足に動かない。あと一歩で犯人に遅れをとって、ジャッキーの絶叫も虚しく部下の一人のロープが切り離された。床に叩き付けられ、アッという間に絶命する部下。

 次は格闘技。もちろんこれも普段ならジャッキーの得意とするところ。ところが一度は倒れていた部下の死体に躓いて失敗。さらにもう一度は、勝手に時間切れを宣告されてしまう。こうした卑怯極まりない「ゲーム」の果てに、ついに義弟ディープ・ンを除いて全員が叩き落とされる。平身低頭、土下座までさせられ、犯人たちの嘲笑や罵倒を浴び続けるジャッキー。だがそれでも犯人たちは、ジャッキーを許そうとはしなかった。

 さらに残る義弟も、ロープに火を付けられて絶体絶命。ジャッキーは必死に助けようとするが、力及ばず床に落とされた。さらに…犯人たちが立ち去った倉庫には、時限爆弾が仕掛けられていたではないか!

 大爆発の果てに、助かって生き残ったのはジャッキー・チェン警部ただ一人。そのジャッキーの顔はうつろだった…。

 その日を境にして、ボロボロになったジャッキーの姿が酒場に現れた。連日浴びるように酒を飲み、自暴自棄な暮らしを続けるジャッキー。心配して訪れるチャーリー・ヤンも、居留守を使って家には上げなかった。そしてまたしても酒…千鳥足の泥酔状態で夜の街を歩いているが、そのうちゲロを吐いたあげく路上に突っ伏してしまう。そんなミジメそのものの姿で寝入ってしまったジャッキーに、秘かに近寄ってくる若い男が一人…。

 翌朝、自宅で目が覚めたジャッキーは、その若い男がすっかり荒れ果てた部屋の片付けをしているのにビックリ。「巡査1667」と名乗るこの男ニコラス・ツェーは、署長からジャッキーの相棒に任命されたと言う。だがジャッキーには、往年の情熱も自信も意欲も失われていた。犯人たちが高価な武器を使用している事から金持ちである事、彼らが作った「例の事件」のシュミレーション・ゲームがネット上に存在している事…などなどを語るツェーだが、ジャッキーはまるで聞く耳を持たない。

 ホコロビかけたチャーリー・ヤンとの仲も、ツェーが何とか取り持とうとする。だが、いまだジャッキーは自分が許せない。結局はまたぞろ酒場へと逆戻りのジャッキーだった。

 そんな折りもおり、泥酔したジャッキーの世話を焼くツェーの前に、ひったくりの若造二人組が逃げてきた。片割れをふん捕まえたツェーだが、逃げるもう一人に為す術もないジャッキー…。

 …と、思ったら…。

 突然、警官の血が戻ってきたのか、酔っ払いながらも逃げる若造をムンズとつかむジャッキー。これにはツェーも思わずニッコリした。「やっぱりオレのヒーローだ!」

 こうして捕まえた二人組を警察署へと連れて行ったツェーとジャッキーだが、やって来るなり椅子にゴロ寝してしまう。それでもツェーは二人組の調書を取ったり、可愛い婦警のシャーリーン・チョイと仲良くなったりと大忙し。ところが寝転がっているジャッキーに、ケンカ腰で語りかけてくる男がいた。「よくもおめおめとオレたちの前に姿を現せるな」

 部下を全滅させた責任を叱責するこの男は、ジャッキーのかつての同僚ユー・ロングァン警部。例の事件はいまやユー・ロングァン警部の担当になっていて、今さらジャッキーの出る幕はないと言い放つ。これには憤然と言い返すツェーだが、肝心のジャッキーに覇気がない。結局「この事件を解決出来なかった方が警察を辞める」という賭けをして別れる。だがジャッキーには相変わらずやる気がなかった。

 そんなジャッキーを奮い立たせようと必死のツェー。彼は仲良くなった婦警のチョイの協力を得て、「アジア銀行」での犯行当時の映像を再点検した。すると…逃走中の犯人たちが持っていたバッグが、途中で消えているではないか。あのバッグには盗んだカネが入っていたはずだ。すると…?

 その夜、犯人たちと遭遇したウォン刑事が、何か知っているかもしれない。ところが彼はその後警察を辞めて、クラブの用心棒まがいの仕事をしていた。ウォン刑事を訪ねてクラブに乗り込んだジャッキーとツェーは、そこでチンピラたちの手荒い歓迎を受ける。だが、絶妙のタッグでチンピラたちを撃退。やっとの事でウォン刑事と面会を果たした。

 だがウォン元・刑事は、何とも歯切れの反応しかしない。それでも犯人一味の女が身につけていたという、腕時計だけは渡してくれた。そんな何やら訳アリの様子に、それ以上問いつめるのをためらうジャッキーだったのだが…。

 さらにネットやコンピュータに強い婦警のチョイに調べてもらうと、例の腕時計は若い連中に人気の「究極ゲーム」のファンが身につけているモノだという。ちょうどそのファンが集うイベントが、あるビルの屋上で行われていると言うではないか。

 その屋上にやって来たジャッキーとツェーは、野外イベントでマウンテンバイクに乗っているテレンス・インを発見。あの時は仮面を付けてはいたが、ジャッキーはその顔に見覚えがあった。ところがそんな時…。

 あのジャッキーにケンカを売ったユー・ロングァン警部が、ウォン元・刑事を連れてイベント会場に乗り込んで来たのだ。何とジャッキーの後を付けさせていたユー・ロングァン警部は、ウォン元・警部が何かを知っていると気づき、無理矢理脅して連れてきたのだった。

 案の定、ウォン元・刑事はココ・チャンの顔に気づいた。だが近づこうとしたところを撃たれてその場に倒れるウォン元・刑事。慌てて駆け寄るジャッキーに、断末魔のウォンはこうつぶやいた。「借金のためにカネが欲しかった。あの日、オマエたちの出動の事を犯人に密告したのもオレだ

 激しい衝撃を受けるジャッキー。だが屋上の大パニックの最中に、ココ・チャンとテレンス・インが逃げ出そうとするのが見えた。何と彼らはビルの屋上から、ケーブルを伝って下に直滑降。テレンス・インなどマウンテンバイクごと滑り降りるではないか。

 ええい、ままよ!

 ジャッキーは手錠をケーブルにかまして吊り輪みたいな要領で、さらにツェーはケーブルを鉄棒に巻いて、それぞれ犯人二人を追ってビルを滑り降りる。命知らずの直滑降の次は…テレンス・インの銃弾に運転手が倒れ、コントロールが効かなくなった二階建てバスの救出だ。香港の街を縦横無尽、絶妙のコンビネーションでバスの危機を救うジャッキーとツェー。九死に一生を得て何とか助かったツェーは、身体を張ったジャッキーを見てゴキゲンの一言だ。「さすが、オレのヒーローだよ!」

 こうして何とか逮捕を免れ、アジトへと戻ってきたテレンス・インとココ・チャン。だがココ・チャンは、例の大パニック時に首筋に銃弾を受けていた。キズの痛みに苦しむココ・チャンを、拳銃で「ラクにしてやる」ダニエル・ウー…。

 その頃ジャッキーは、署長から意外な事実を告げられる。彼はいまだ停職処分を解除されてはいないと言うのだ。そして「巡査1667」…という者もいない。厳しく問いつめるジャッキーに、悪びれる様子もないニコラス・ツェー。果たして彼の正体とは…?

 だが犯人たちの毒牙は、今度はジャッキーの婚約者チャーリー・ヤンに伸びていたのだった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

  

見た後での感想

 シリーズ第一作「ポリス・ストーリー/香港国際警察」(1985)なんて、いつ頃見たのかも忘れてしまった。テレビでも何度か見てると思うが、もうハッキリした事は分からない。どれが何作目かなんて事も覚えてないし…第一、香港映画の日本題名がいいかげんなせいか、どれがシリーズでどれが違うのかもハッキリしない。ただし第一作は文句なく面白かったし、恋人役のマギー・チャンのおきゃんな魅力も素敵だった。今ではとてつもなくエライ女優さんになったマギー・チャンだけど、あのジャッキーの恋人役を演じてた時の可愛さは忘れがたいよ。

 何はともあれ、あの「ポリス・ストーリー」の正統な続編が登場するなら、それは何と言っても見たい。

 そしてジャッキーの香港映画本格復帰映画としても、これは見たいと思ったんだよね。あちらでも大分評判になったみたいだし、気合いの入り方が違う気がした。そもそもここ最近のジャッキーは、ハリウッドを中心に仕事していたようだったからね

 タキシード感想文にも書いたから読んでもらいたいけど、ジャッキーのハリウッド進出は「バトルクリーク・ブロー」(1980)以来長年の念願だったはず。それがやっと叶った訳だから、ここしばらくは専念したかった気持ちも分かる。香港映画ファンやマニアには極めて評判悪いジャッキーのハリウッド進出ではあるが、僕は別にジャッキーの熱烈ファンでもないし「香港映画原理主義者」(笑)でもない。だから世界マーケットを考えた時、確かに今はハリウッド優先にせざるを得ないだろうと思ってはいた。

 「ラッシュアワー」(1998)、「シャンハイ・ヌーン」(2000)、「ラッシュアワー2」(2001)、「タキシード」(2002)…と連打されたハリウッド作も、香港映画ファンが言うほど悪いとは思わなかったよ。それにアジアが生んだスーパースターを、これほどハリウッドが敬意を持って扱った事は今までなかった。最大級の尊敬を持って扱っている感じだからねぇ。何だかんだ言っても外国人…有色人種には冷たいハリウッドとしては、これは極めて異例の事だ。従来のハリウッド映画を知っていれば知っているほど、これには驚くはずだ。香港映画ファンにはご不満かもしれないが、こんな事はハリウッドの歴史始まって以来の出来事なんだよね。

 ただ「タキシード」などは典型的な例だが、せっかくのジャッキーの至芸も下手にCGを噛ませたら意味がない。そういう意味では、ハリウッドの映画人ってやっぱりちょっと分かってなかったのか…とも思えるのだ。フレッド・アステアのタップ・ダンスを、トリックで誤魔化して見せたらみんな怒るだろう。映画としては楽しく出来ていても、ジャッキーのファンにはこの点は譲れないだろうね。

 それと、ハリウッドでのジャッキーはいつもニコニコ陽気なアニメ・キャラみたいな扱いだった。元々そういうキャラで売り出してはいたが、ハリウッド映画の中に置かれてみるとちょっと得体の知れない東洋人とも見えなくもない。

 結局ハリウッドに確立したジャッキーのポジションって、かつてM.G.M.ミュージカルで一時代を築いた「水着の女王」エスター・ウィリアムズのそれと同様のモノのような気がする。エスター・ウィリアムズその人は偉大なスターとして映画史に残るが、それでも一種のアイコンと化した存在ではあろう。それはいわゆる普通の「俳優」というポジションとはちょっと違うのだ。

 そのせいではないが、「シャンハイ・ナイト」(2003)も「80デイズ」(2004)も僕はイマイチ見る気にならずパスしてしまった。そんな中で久しぶりに見たのが、「メダリオン」(2003)というわけだ。

 聞けばこの映画は、久々の香港資本の作品と言う。監督もあちらの人だ。ならば、ジャッキー本来の面白さがあるはずだろう。いや、ハリウッドで成功して一皮むけた後で、何か新たな面を見せてくれるかも…。そう思って見に行った僕ではあったが、結果的にこの作品にはかなり失望してしまったんだよね

 香港資本の映画のくせに、ジュリアン・サンズやらクレア・フォーラニやらと欧米スターが顔を出す。いやいや…僕は「香港映画原理主義者」(笑)じゃないから、それが悪いなんて言う気はない。むしろジャッキー映画って、今じゃ香港で撮っても「国際映画」なんだな…と感心していたくらい。大したもんだと思っていたんだよね。

 ところが映画は、またぞろCGなどを多用した冒険ファンタジー活劇。ジャッキーのアクションは申し訳程度で、何だか作品のピントがずれている。しかも仇役がアクションできないジュリアン・サンズでは、ジャッキーもどうにもならないだろう。

 しかも映画のテイストは、従来のジャッキー映画より数段ヤボくさく泥臭い。いやいや、下手に香港映画にジュリアン・サンズ出したりヨーロッパを舞台にしたり、CGを導入してアメリカ映画っぽくしたもんだから、従来よりも余計に泥臭さが強調される結果となった。イマドキの香港映画ってこんなに鈍くさくヤボっちくないもんねぇ。こんな事なら、中途半端に欧米映画のマネなんかしなければ良かったのに…。

 だから僕は、ジャッキーが本気で香港映画に復帰した作品が見たくなった。

 観客もそうだし彼もそうだろうけど、ハリウッドを通過したからこそのスゴイ香港映画が見れるのではないか…そんな予感がしていた。それは「メダリオン」みたいにハンパに欧米化した香港映画というカタチではないだろう。

 そんなところに、この「香港国際警察」だ。今、あえてヒット・シリーズの新作を放つというのは、それなりの覚悟があっての事だろう。僕はドキドキしながら劇場へと駆けつけたわけ。

 結果は…やっぱり面白い!

 アクションのスゴさなりカラダのキレなりが往年のそれより劣っているだの何だの…って事は、僕は「スポーツ評論家」じゃないから分からない。大体それって映画の感想なのかい(笑)。そういうウンチクは香港アクションの専門家にお任せするとして、映画の方向としてはこっちで間違いないと思うんだよね。

 しかもあの鈍くさい「メダリオン」を見た後だからだろうか、典型的ジャッキーの香港アクション映画ではあるが、画面のセンスは格段に垢抜けてる気がする。カッコがいい。こういうアクションの在り方と、垢抜けたセンスはちゃんと両立するんだね。「香港アクションは泥臭くなくては」…と思い詰めている「原理主義者」たちも、これなら納得するんじゃないか? さすがにジャッキーは、ハリウッドを通過してきただけのモノを画面に刻印しているようなのだ

 しかもジャッキーその人の役は、今回かなりドラマ性を増している。何しろ思いっ切り落ち込んで、飲んだくれてやさぐれてしまう。ここまで堕ちた役というのはかつてあっただろうか? これはバカの一つ覚えのようにニコニコ東洋人役を演じさせられた、ハリウッドでのフラストレーション解消の産物なのだろうか?

 さらに面白いのは、今回ジャッキーがワンマン映画を放棄していること。

 もちろん物語は彼を中心に進んではいくが、彼一人が突出するわけではない。何バージョンか存在するこの作品の香港オリジナル・ポスターを見れば分かる通り、重要な共演者をそれぞれ立てながら、あくまでアンサンブル・キャストの一員としてのポジションで演じている。これはクリント・イーストウッドが、「ルーキー」(1990)、「許されざる者」(1992)あたりから見せ始めた傾向に極めて近い。これもまたジャッキーがハリウッドから得た、大きな影響の一つではないのか。

 ハリウッドではワンマン映画ではなく、対等の格でのスター共演を余儀なくされてきたジャッキー。彼はこの時、共演者によってうま味が二倍にも三倍にもなる事を身をもって経験したのに違いない。ジャッキー・ワンマンではなく多彩な共演者を従えたジャッキーというキャスティングのおかげで、確かに映画自体のリッチさは確実に増したのではないか。

 で、もう一つ興味深いのは…その「多彩な共演者」が、圧倒的に若い世代で占められていること。

 何より敵の集団が5人とも若い。ジャッキーたちに加勢する婦警も若い。何よりジャッキーの立ち直りをサポートする「相棒」役からして、圧倒的に若いではないか。

 これが今回のジャッキー映画を、決定的にリフレッシュする事に成功している。

 まず「メダリオン」の失敗に学んだかどうかは分からないが、もうカラダの動かない悪役は据えないというのが正解だ。だから今回の悪役はカラダがよく動く若い男…アレレレ?

 大スターのジャッキーに対する悪党が、まだ「若造」では貫禄不足ではないか? このキャスティングを見た人なら、誰しもそう思うのではないか。確かに娯楽映画のセオリーで考えればそうだ。若造のルーク・スカイウォーカーが貫禄十分のダースベイダーと戦ってこそサマになる。あの年齢差が逆だったらシャレにはなるまい。

 だが、ことジャッキー映画については…特に近年のジャッキー映画を取り巻く状況を見ると、必ずしもこのセオリーが通じないのだ。

 何よりカラダを使って過激なアクションを見せ続けたジャッキー。最近、新作が発表されるたびに周囲が漏らす本音は、彼がいつまでこのアクションを続けるのか…という事だろう。それは本人も意識しているに違いない。何だかんだ言っても、誰でもトシをとる。ジャッキーだって例外ではない。年齢こそが彼の映画づくりの大きなネックになり始めているのだ。…と、言うことは…。

 実は今のジャッキーの最大の敵とは、「若さ」ではないのか?

 僕らはそんな近年のジャッキーを知っているから、明らかに格不足でまだ若造のはずのダニエル・ウーこそが、彼の究極の脅威に見える。青二才だろうと貫禄不足だろうと、彼はジャッキーが最も怖れるであろう「若さ」を持っているからだ。「若さ」だけはどうにもする事ができないだけに、彼こそが今のジャッキーにとって最強の敵になるのは「必然」だと言える。

 同時に自暴自棄になっていたジャッキーに気合いとパワーを注入できるのも、この「若さ」の威力に他ならない。彼を支える「相棒」の役にニコラス・ツェーが選ばれているのも、これまた必然なのだ。

 今回のジャッキー映画のキャスティングは、そう考えると実によく考えられている。それと同時に…周囲の「若さ」を立てながらも、自らがその「若さ」を吸収してフェニックスのように立ち上がる、ジャッキーの堂々たる「サバイバル宣言」になっているところが感動的なのだ。

 「若さ」がジャッキーの敵でありながら、彼を救う天使としても登場してくる構成の巧みさ。これがなければ若造に敵対心を燃やし、思う存分叩きつぶして溜飲を下げる見苦しい老いたジャッキー・チェン像を作りあげてしまうところだった。この精密なコンセプトと構成の脚本の出来映えは、あのインファナル・アフェア(2002)が往年の黒澤映画並みに、善悪の相似形を同じコインの裏表のごとくクッキリと描ききった鮮やかさを連想させる。これって一見ラフなように見えて、かなり考え抜いて練り上げた脚本ではないのか。

 監督はそのダニエル・ウーやニコラス・ツェー、さらに悪党メンバーの一人テレンス・インの出ていた「ジェネックス・コップ」(1999)のベニー・チャンとのこと。僕はこの「ジェネックス・コップ」を見てはいないが、そんなあたりにもヤングパワーを貪欲に吸収しようという今回のジャッキーの姿勢が感じられるではないか。

 だがこの映画を僕が見たいと思った理由は、実は別にある。ジャッキーの恋人役で久々登場。チャーリー・ヤンを見たさに劇場を訪れたというのが正直なところだ。

 チャーリー・ヤンを初めて見たのは、ツイ・ハークの「トワイライト・ランデヴー」(1995)を見た時だ。続いてそれに先立つ「バタフライ・ラヴァーズ」(1994)…あの「梁山伯と祝英台」(1963)のリメイク作品…ですっかりファンになった。ウォン・カーウァイの高尚な「天使の涙」(1995)も「楽園の瑕」(1994)も、彼女のおかげでたっぷり楽しめた。

 ところがそんな彼女も、金城武主演の「ミッション:インポッシブル」もどき映画「ダウンタウン・シャドー」(1997)がスクリーンで姿を見た最後となってしまった。どうしたのかと思ったら、ショービズ界から身を退いたらしいんだよね。そんな彼女が久々に…すっかり落ち着いた佇まいで戻ってきたのは嬉しい。それだけでも僕には見る価値があったよ。

 一方ではそんな「懐かしい顔」の復活を図りながら、全体的にはリフレッシュした顔ぶれを揃えた今回の作品。先に僕はそれをジャッキーの甦りのための方策ととらえて語ったが、実はそれだけじゃないようにも思える。

 僕はあちらの事情には疎いが、どうも香港映画の低迷はかなりのようだ。「インファナル・アフェア」のヒットがあれほど騒がれたのも、いかに低迷が続いているかの証拠みたいなものだろう。ひょっとしたらジャッキーのハリウッド進出専念も、香港映画低迷の遠因になっているのかもしれぬ。

 そういう意味では、この作品はジャッキー一人の復活ではなく…香港映画の浮沈を賭けた作品としての狙いがあるのかもしれない。

 考えてみたら今回婦警を演じていたシャーリーン・チョイって女の子は、アイドル・デュオ「ツインズ」の片割れだ。その主演作「ツインズ・エフェクト」(2003)にはジャッキーその人もゲスト出演してたのでたまげたが、何でこんなアイドル映画に顔を出しているのかと思いきや、何とあれってジャッキー自らのプロデュース作だと言うではないか。それだけではない。前述「ジェネックス・コップ」も彼のプロデュースというから、これはもう何らかの意図があると思わずにはいられない。

 そういえば彼ってかつて「ロアン・リンユィ/阮玲玉」(1991)制作に一役買うなど、プロデューサー・センスもなかなか光っていたのだ。僕はまったく知らなかった事だが昨今の若手映画への積極的肩入れって、やっぱり彼なりの考えがあっての事ではないだろうか。

 だとしたら、今作への若手大量投入は、若手を盛り上げて香港映画の活気を取り戻そうとする、ジャッキーの「香港映画復興プロジェクト」の一環と見るのが自然かもしれない。何と大御所ジャッキーの「相棒」としての重責を担っているニコラス・ツェーも、「悪役」ながらオイシイ役どころをふられているダニエル・ウーも、それ以外の若手たちも…この作品に活力を注入しながら、ちゃんとジャッキーに盛り立てられているではないか。若さのエキスもチャッカリいただきながら、ジャッキーはちゃんと後進の応援もしているんだよね。それは若手あっての「香港映画復興」と思って、意識してやっているはずだ。

 そう考えないと、この映画にみなぎる異様な活力はとても説明出来ない。

 

見た後の付け足し

 そんな熱い一作となった「香港国際警察」だが、そのエンディングは実はささやかでシンミリとした…ちょっといい話で幕を閉じる。

 それはジャッキーを励まし続けた若き「相棒」、ニコラス・ツェーの正体についてのエピソードだ。

 言ってしまえば、付け加えのオマケのお話。全編熱く燃えさかるようなこの映画に、必ずしもなくてはならないモノではない。だがこのエピソードこそ、ジャッキー・チェン映画らしい愛すべき部分だと思うんだよね。

 それはまるで…香港恋愛映画の傑作「ラヴソング」(1998)のエンディングに仕掛けられた、思わずグッと来るエピソードにも似ている。ささやかで心優しく、ちょっと切ない挿話だ。そこではイマドキ珍しいような、完全な善意がうたい上げられる。

 思えば「プロジェクトA」(1984)でハロルド・ロイド喜劇のアクロバティカル・アクションを再現してみたり、「ミラクル/奇蹟」(1989)でフランク・キャプラの「ポケット一杯の幸福」(1961)をリメイクしてみたり…ジャッキーは善意と理想主義が生きていた、往年の良質なアメリカ映画に絶対に心酔していたはずだ。そこには観客が本気で感情移入できる、純粋な感情と人間性が脈打っていた。それこそが今のハリウッドでは絶滅してしまった、アメリカ映画本来の精神なのだ。

 ハリウッド映画を通過したジャッキーは、その事を自ら身をもって痛感したのではないか

 一方、実は本当に面白い活劇とは、派手な見せ場を連発すれば出来るものではない。火薬の量を増やしたり、壊れるパトカーの数を増やしたり、命知らずのスタントをやればいいってものでもない。それは登場するキャラクターがしっかり描き込まれ、観客がそこに感情移入できるかどうかが問題なのだ。でなければ、お客がハラハラ出来ないし、主人公を応援したくもならない。ハッキリ言って観客にとって「人ごと」に思えたらどうでもいい。

 例えばこの映画の後半では、かなりコテコテで無茶な展開が用意されている。留置場に捕らえられたジャッキーたちを警察が総がかりでわざと逃して見て見ぬふりをする…という、いささかご都合主義で泥臭い趣向だ。

 だがもうこの時点では、観客はジャッキーたちを応援する気持ちになりきっている。例えどんな手段を使ってでも、彼らを留置場から出したいと願っているのだ。 憎まれ役的な警部までがイイ味を出すこの展開を、誰も甘ッチョロイなどとヤボは言うまい。それが大衆娯楽映画の「作劇術」というものなのだ。娯楽映画のストーリーテリングでは、プロットよりもしばしば感情が優先される。久々にアメリカ娯楽映画らしいイイ味を見せた近作セルラーあたりを見てみても、そのへんが実によく分かる。活劇も…いや、活劇だからこそ、「人間の感情」こそが最も重要なファクターなのだ。

 それをアクションの達人ジャッキーは、知りすぎるほど知っている。

 若さと活力を吸収し、再び元気いっぱいのアクションを展開して見せたジャッキー。だが、この作品の本当の価値は、終幕を飾る挿話にこっそり人間味溢れるエピソードを忍び込ませたところにあるはずだ。

 「活劇とは人間性」だと熟知する彼に、もう年齢は関係ないんじゃないだろうか?

 

 

 

 

 

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