「レイ」

  Ray

 (2005/02/14)


  

見る前の予想

 本年度オスカー主演男優賞に最短距離。おそらく「レイ」のジェイミー・フォックスはそう思われてるんじゃないか?

 僕もこの映画の映像は、テレビやら予告編で何度も見ている。それにしたって見事な化けっぷりだ。何しろ世界的超有名人で、しかもアレだけ特徴のある男だ。似てない訳にはいかなかったんだろうが、大変なことだよね。五線譜のラブレターコール・ポーターが似てようが似てまいが、近く公開される「アビエイター」ハワード・ヒューズが似てようが似てまいが、誰も気にもしないだろう。だが誰もが知っているレイ・チャールズは、まるっきり似ていない訳にいかない。これが芸能人の伝記映画の難しい点でもある。

 ただ…気になるのはレイ・チャールズのあの独特なスタイルと個性。あまりにクセが強く世界中の誰もが知り尽くしているから、一歩間違えば単に似てるだけの「そっくりショー」になってしまう可能性がある。

 監督がテイラー・ハックフォードというのも「???」な点の一つだ。確かにヒット作は多い。だが、一体何をやりたいのかまったく分からない人だ。例えば…実際の出来はともかく、オリバー・ストーンが「ニクソン」を作りたがるのは誰もが納得だろうが、テイラー・ハックフォードが何でレイ・チャールズなの?…って疑問は確かに残るだろう。

 だが…それにしたってのあの「そっくり」ぶり。今回はどうしたって、ジェイミー・フォックスのレイ・チャールズへの化けっぷりを云々しない訳にはいくまい。

 

あらすじ

 1948年、フロリダからシアトルへと向かう長距離バスに、一人の明らかに盲人と分かるサングラスの黒人男が乗ろうとしていた。だが、時はいまだ人種差別が露骨に行われていた頃のこと、いかにも保守的な白人の車掌は、その盲目の黒人男を厄介そうに見つめて言った。「眼も見えないのにシアトルまで無理だ。オマエの面倒など見てられない

 ところがこの盲目黒人男は、そう言われてもまるっきり怯まない。そう言えば、この男は盲目にも関わらず杖もつかず盲導犬も連れていない。それで不自由を感じているようにも見えない。「生意気な」…と白人車掌が食ってかかろうとしたその時、盲目黒人男は自分の目について説明を始めた。この眼は国のために前の戦争に出かけて、爆弾をくらって見えなくなったのだ…。それを聞いた白人車掌は、さすがにこの黒人男を邪険に出来なくなった。「悪かった…オレが面倒みてやるよ…」

 ところがそう言って白人車掌が急に軟化したとたん、彼には分からないようにコッソリではあるが…この盲目黒人男はわずかにニヤリと微笑んだ。そう…それはちょっとした小さなウソだった。それもこれも、この社会で圧倒的に弱い立場の「盲人」であり「黒人」であるこの男が、一人でシタタカに生きるための知恵。男の名はレイ・チャールズ(ジェイミー・フォックス)。彼はあたかも杖も盲導犬もなしに歩いているように、こうして油断ならない世の中を一人で渡っていこうとしていたのだ。

 さて、長距離バスでやって来たシアトルの街。とあるクラブで知人と落ち合う約束をしていたレイは、このクラブの前で一人のミュージシャン志望の青年と出会う。まだ少年の面影を持つこの若者クインシー・ジョーンズ(ラレンツ・テイト)とレイは、長年の交友を持つに至るのだがそれはまた別の話。ともかくクラブの中へ通されたレイは突然ステージに出るハメになり、そこで実力の程をやり手ババアのマネージャー、マーリーン・アントレ(デニース・ダウス)に見込まれる。だが、レイはまだウブだった。遅れてやって来たギタリストの知人ゴッシー・マッキー(テレンス・ダジョン・ハワード)とレイともう一人ベーシストを加えたトリオ結成となって、例のやり手マーリーンがマネージャーと決まったものの、まさか自分が手玉に取られているとは気づかなかった

 こうして彼らトリオは人気を博し、初めてのちょっとした成功をつかむレイ。だがやり手ババアのマーリーンの色香に絡めとられ、徐々に身動きが出来なくなっていく。そして、彼が時折見る幻影…。

 こぼれる水のイメージ。それは忌まわしくも恐ろしい彼の過去と同時に、母アレサ(シャロン・ウォレン)と暮らした懐かしいジョージアの故郷の思い出にもつながっていた。

 そんな彼の音楽に惹かれて、業界での「顔」の一人であるジャック・ローダーデイル(ロバート・ウィズダム)が近づいてくる。だがそんなジャックを、マーリーンやゴッシーは煙たがる。さすがにこの期に及んでレイにも彼らの意図が分かった。マーリーンとゴッシーは共謀して、レイをダシにして不当な利益を得ていたのだ。それを知るや…いつもニコニコして柔らかい物腰のレイが、決然として彼らの元から去ってしまう。あまりに断固たるその態度ゆえに、マーリーンもゴッシーもまるで止められない。この豹変ぶりには、マブダチのクインシーもビックリだ。だがその断固たる姿勢は、常に優しげな表情に隠されたレイのもう一つの顔でもあった。

 「盲目でもバカじゃない、自分一人で立ちなさい」と、あの頃の母も言っていた。

 ある日、徐々に落ちていく視力に気づいた幼い日のレイ。母がもらって来てくれたクスリを付けても、一向に良くはならなかった。そんなレイに、母はキッパリと真実を告げる。「オマエは盲目になる」

 泣きじゃくるレイに「涙を拭け」と告げる母は、どうするべきかを知っていた。泣いている時間はない。彼が盲目になっても一人でやっていけるように、出来る限りのことをやっておくのだ…。

 ジャックと契約しレコードを出すようになったレイ。「レイ・チャールズ」という芸名も決まった。バンドの一員としてドサ回りの日々。だが彼が盲人ゆえに、なかなか仲間入りさせてはくれない。しかもバンド仲間の一部は、秘かに何やら秘密の「お楽しみ」を手に入れているようでもあった。

 そんな日々の中でも、レイはいまだにあの悪夢を見ていた。ひたひたとこぼれている水…。なぜか洗濯桶がそこにある。そして桶の中には…。

 それは、あのジョージアでの幼い日々に通じる思い出。幼い弟ジョージと遊び回っていたレイ。そのうちジョージはズッコケて、洗濯桶に落っこちてしまう。桶にハマったままジタバタする弟を、ふざけている…と思って笑っていたレイ。それがどうもそうではないらしい…と気づいた時には、もはやすべて手遅れだった。レイは凍り付いたまま、その場に立ちすくむばかり。異変に気づいた母が飛び出して来ても、満足に口がきけない状態だった。

 「どうして知らせなかったの!」

 だが、レイは呆然としたままだ。なぜ助けなかったのか、助けを求めなかったのかも分からない。ジョージを助け出した母は狂ったように目を覚まさせようとするが、もはやジョージはグッタリしたままだ。

 洗濯桶からこぼれた水で、あたりはビショビショに濡れていた…。

 そんな悪夢に耐えかねたのか、バンド仲間に「お楽しみ」を分けてくれ…とねじこむレイ。無論、彼はそれが何かとっくに知っていた。腕に注射するヘロイン…仲間はレイにその味を教えるのをシブっていたが、レイは構わなかった。悪夢から逃れられるなら何でも良かった。

 さらに麻薬が彼をハイにしたのか、音楽も絶好調。この長いドサ回りの中で、ロード・マネージャーのジェフ・ブラウン(クリフトン・パウエル)とファットヘッド(ボキーム・ウッドバイン)などの仲間も出来た。だが旅の終わりは、また金にまつわる揉め事で終わってしまう。バンドを辞めたレイは、心機一転ニューヨークへと出ていく事にした

 そんなレイのニューヨークのしがないアパートに、一人の見知らぬ男が訪ねてくる。その男はアーメット・アーティガン(カーティス・アームストロング)。彼は自ら重役を務めるアトランティック・レコード社に、レイを引き抜こうと考えていたのだ。そんな彼を品定めするレイは、絶妙なやりとりの末にアーメットを信頼出来るパートナーとする。

 こうして早速アトランティックのスタジオで始まったレコーディング。確かにうまい。だがアーメットも他のスタッフも、レイの音楽がどれもこれも「誰か」に似ている事に気づいていた。どうにもこうにもオリジナリティーに欠ける。真のスターとは、その人“だけ”のモノを持っているはずだ。これに頭を抱えたアーメットは、レイに直にこの話をぶつける事にした。だがレイとてどうする事も出来ない。「僕にはこうしか出来ないよ」

 だがそこを絶妙に挑発し、何ともゴキゲンなサウンドをレイから引っ張り出したアーメット。あたかもソレが「レイ・チャールズ」のサウンド…だと思える出来映えではあったが、レイ自身はいまだ自分に「これだ」というものを見いだしてはいなかった。

 それでもアーメットやアトランティックのプロデューサーであるジェリー・ウェクスラー(リチャード・シフ)の助けを借りながら、音楽業界で着々と地位を築き始めるレイ。そんなレイがラジオ番組で“ゴスペルグループの「セシル・ショウ・シンガーズ」が好き”…と発言した事から、当の「セシル・ショウ」のシンガーであるデラ・ビー(ケリー・ワシントン)が連絡を入れてくる。これが「ここで会ったが百年目」の出会いだった。

 たちまちデラ・ビーと恋に落ちるレイ。それが新たな創作意欲をかき立てたのか、ゴスペル・シンガーのデラ・ビーの影響か、彼はゴスペルとリズム&ブルースを融合させた新曲を発表。それまで「これぞ自分」というものが持てなかったレイが、初めて独自のモノを掴んだ瞬間だった。そしてそれは、「盲人」で「黒人」…というハンデの中、人に気に入られなくてはいけない…と自らに課していた手かせ足かせをはずした瞬間でもあった。それ以来、レイは自信を深めて大胆になっていく

 だが…それは彼の隠されていた一面をも前面に押し出す事となった。

 「神の音楽」ゴスペルを汚したと非難されても馬耳東風。父親の女癖の悪さから躊躇していた子づくりも、妻となったデラ・ビーの説得から踏み切った。元々が「弱み」を見せず強く生きていくのが彼の流儀だったのだ

 だが、麻薬への傾倒も一向に直らない。直らないどころか悪化の一途を辿った。こればかりは新妻デラ・ビーにバレても開き直るばかり。

 しかも麻薬によって妻との間に出来た心の壁ゆえか…レイはバック・バンドに起用した女性歌手メアリー・アン・フィッシャー(アーンジャニュー・エリス)に手を出してしまう。しかも、彼女もうるさくなってきたら、また次の女…。新たにバンドに起用した三人娘のコーラス・グループの一人、マージー・ヘンドリックス(レジーナ・キング)が今度のお相手だ。もう、こうなると止めどがない。レイは家庭を壊す気はなかったし、妻デラ・ビーを愛してもいた。だが、外での「愛の生活」を止める気もなかったのだ

 やがてレイの音楽は爆発的人気を得て、もはや黒人音楽の域を超えるに至った。まさに絶好調。向かうところ敵なし。

 そんな頃、レイのエージェントを勤めているミルト・ショウ(デビッド・クラムホルツ)が、彼に有利なビジネス話を持ってきた。ABCレコードが、レイに破格の条件で移籍話を持ちかけて来たというのだ。アトランティックはレイを見いだし、彼の才能を開花させてくれた。スタッフも気心が知れているし世話にもなった。だが、ABCはあまりにオイシイ話を持ってきたのだ。交渉の場にやって来たレイは、ここぞとばかりに吹っかける。「レコードの原盤所有権と高率のパーセンテージ」という、今まででは考えられない好条件だ。だが、これでさえABCはのんだ。

 こうしてレイは長年世話になったアトランティックを去った。プロデューサーのウェクスラーは彼を責めたが、アーメットは最後は笑って見送ってくれた。確かにアトランティックには世話になった。それでも…レイの中に昔からある狡猾さ、そして「一人」で外界と戦っていかねばならない…という頑なさが、彼にそんな「貪欲」な態度をとらせずにはいられないのか。

 だが、レイの麻薬癖はさらにエスカレートするばかり。結局マージーとの仲も徐々にこじれ始め、彼女は酒浸りに陥っていく。しかも、ついにはツアー先のホテルで麻薬不法所持で逮捕されるという憂き目にもあう。ABCレコードの政治力で何とか刑務所行きは逃れたものの、レイは事態がそこまでいってもまだ麻薬を止める事が出来ない。

 ビジネスとクリエイティブでの大成功とは裏腹に、彼のプライベートは奈落の底へと一直線に突き進みつつあった…。

 

見た後での感想

 ジェイミー・フォックスのレイ・チャールズがスゴイ…の一言に尽きちゃうと言えばそうなんだが、それを言うだけなら僕がダラダラ文章を並べる必要もない。

 僕はこの映画を見ていて、ここんとこの有名芸能人モノ伝記映画の系譜…をチラッと思い浮かべていたんだよね。そういえば、この手の映画って近年一つの特徴があるような気がする。

 例えばメキシコ系のロック・シンガー、リッチー・ヴァレンスの短い生涯の最後の日々を描いた「ラ・バンバ」(1987)。メキシコ出身のルイス・ヴァルデスが脚本・監督にあたっている事から分かる通り、コッテリとヴァレンスのルーツであるメキシコ系家族の世界を濃厚に描く。そんなルーツが彼をして、メキシカン風味のロックンロール曲「ラ・バンバ」をつくらせるというのが作品の主張だ。

 一方で、典型的な愚兄賢弟の兄弟関係をドラマの主軸として捉え、さらに主人公の長年のトラウマとして飛行機事故の幻影を見せていくという念の入れ方。ゆえに「生き急ぐしかなかった」若者の完全燃焼の肖像が、鮮烈に浮き彫りにされるという構造だ。今ではまるっきりビデオ発売のB級作品専門役者に成り下がってしまったが、ここでのルー・ダイアモンド・フィリップスの熱演は見ものだったよね。

 そして、「ドラゴン/ブルース・リー物語」(1993)。何せスキャンダラスなブルース・リーの生涯をハリウッドが描くという「いかがわしさ」、さらにリーを演じるジェイソン・スコット・リーがまったく本人に似ていないという危なっかしさ…から、誰しもこの映画を「ゲテモノ」と断じていたはずだ。ところが聞くと見るとでは大違い。ここでも主人公を苛む強迫観念として、幼い頃から彼を滅ぼそうとするヨロイ武者が幻影として登場。これまた「ラ・バンバ」同様に、完全燃焼して「生き急がざるを得なかった」男の生涯を鮮烈に描ききっていた。この映画ってあまり評判にならなかったけど、見たらみんなその素晴らしい出来映えに驚くんじゃないだろうか。

 スキャンダラスな面に関しても決してキレイ事として誤魔化す訳でなく、さりとて露悪趣味にも走らない。あえて「それは語らないし語るべきではない」と、ハッキリとラストシーンで断固として明言する「逃げない姿勢」が見事だ。ジェイソン・スコット・リーは外見が似てないにも関わらず、最後にはそんな事どうでもよくなってしまう熱演ぶり。作り手の故人に対する敬意や畏敬の念が強く感じられるあたりも、この映画の見識と品位を感じさせる。このジャンルでの最高作を…と問われれば、僕は迷うことなくこの一本を挙げる。それくらい、この作品は感動的な作品なのだ。監督のロブ・コーエンにとっても、いまだこの作品を超える事は出来ないんじゃないか。

 そしてティナ・ターナーの半生を描いた「ティナ」(1993)。このアンジェラ・バセットも全然ティナ・ターナーには似ていないが、パワフルな熱演ぶりには圧倒されてしまう。彼女には幼い頃からのオブセッションなどはないが、その代わりに若い頃の彼女を夢中にさせて、彼女と結ばれるや音楽業界に引っ張り込んだ男アイク・ターナーとの軋轢がある。この男は元々が女癖が悪く暴力癖もあり、人気商売の常として落ち目になってくるや、その本性がどんどん前面に出てくる。しまいには悪魔のようになってしまったこの男とヒロインとの激しい戦いに、映画の大半が費やされるという凄まじさ。アイク・ターナーを演じるローレンス・フィッシュバーンの大熱演も印象に残る。この男も才能でのし上がって来た人間だけに、時代から取り残されてしまう悲しさ、最初は見守り育てる立場だった妻が逆に自分を凌駕していく事への焦り…が何とも鮮烈に描かれていた。最後にヒロインが宗教に救いを見いだすあたりには、ちょいとついていけなくなる方もいらっしゃるかもしれないが…この男と女のどうしようもない諍いは、実に見応えがある。

 こうして見ると、今回の「レイ」は完全にこうした近年の「有名芸能人モノ伝記映画」作品群の、一つのパターンにピッタリと当てはまってつくられたモノであることが分かる。レイに取り憑いた幼い頃からのオブセッション…それは彼の原体験であるジョージアでの思い出だ。そこでは弟の死、自身の失明、母の厳しくも愛のあるしつけ…があった。そのジョージアでの思い出が、良かれ悪しかれレイの全生涯を支配していく

 良い面は…もちろん盲人の身でありながら一人で生きていくバイタリティだったり、音楽への鋭い感性となって活かされていく。どんなジャンルの音楽にもどん欲に手を伸ばしていったり、生き馬の眼を抜く業界で「してやられない」したたかさ、常に音楽業界での開拓者であり続けるタフさもその賜物だ。

 だが一方で、それは彼のダークゾーンも形成していく。強迫観念を恐れるあまりの麻薬への依存、どうしようもない女癖の悪さとその女たちへの心底での酷薄さ、世話になった者でも苦楽を共にした者でも金とパワーのためには天秤に掛けずにいられない性分など…これは元々、先に挙げた彼の「長所」と紙一重…あるいは背中合わせに存在しているものだ。

 「強迫観念」への恐れが彼を麻薬に溺れさせもすれば感覚を研ぎ澄ませもしただろうし、「母の教え」が彼を強い人間に仕立てつつも「力を求める」酷薄な人間にもしたのだろう。どっちがどっちとも言えないのだ。あまたある伝記映画でも、このへんの部分をこうハッキリ言いきった映画は珍しいんじゃないだろうか。素晴らしいモノとうたわれている「母の愛」でさえも、一方でネガティブ要素の原因にもなったと言及されているんだからね。

 そういう意味で…ジェイミー・フォックスの「激似」ぶりもさることながら、この映画がレイ・チャールズという人間を立体的に描こうとする事にある程度まで成功したというのは間違いないと思うよ。

 

見た後の付け足し

 それにしても…何でテイラー・ハックフォードなのだ?

 誰しもそこに引っかかるのは間違いないだろう。だって日本では、いまだに「愛と青春の旅立ち」(1982)の人って事で通っているからね。どう考えたって、ハリウッドのヒットメイカー以外のイメージが湧かないだろう。

 実際そのフィルモグラフィーを眺めてみると、本当に手当たり次第に何でもやっているように見える。ジェフ・ブリッジス主演のミステリー・サスペンス「カリブの熱い夜」(1984)、ミハイル・バリシニコフとグレゴリー・ハインズという異色顔合わせで「亡命」サスペンスとダンス映画を結びつけた「ホワイト・ナイツ/白夜」(1985)、デニス・クエイドやジェシカ・ラングらの共演で青春時代から壮年期までの年代記とアメリカ現代史を並列させた「熱き愛に時は流れて」(1988)、キャシー・ベイツとジェニファー・ジェーソン・リー主演のミステリー「黙秘」(1995)、キアヌ・リーブスとアル・パチーノ主演のオカルト・ホラー「ディアボロス/悪魔の扉」(1997)、メグ・ライアンとラッセル・クロウ主演のロマンティック・アクションプルーフ・オブ・ライフ(2000)…などなど、何とも雑多なフィルモグラフィーがズラッと並ぶ。それなりに楽しませてもらった事は確かだが、何がやりたいのかサッパリ分からないというのが本音だ。実際のところ、「熱き愛に時は流れて」とか「プルーフ・オブ・ライフ」など、かなりユルい出来の作品も混在するから、なおさらその姿勢は怪しく見える。

 だが今回意識してフィルモグラフィーを見つめていたら、ある傾向に気づいたんだよね。それは一貫して流れる二つの要素だ。

 一つには、まず音楽への興味だろうか。この人ってなぜか音楽ドキュメント「チャック・ベリー/ヘイル・ヘイル・ロックンロール」(1987)なんてのを撮っているわけ。これってたぶん好きだからなんだろうね。そう考えると、今回の「レイ」演出も頷けないでもない。また遡って考えれば…「愛と青春の旅立ち」でのジョー・コッカーとジェニファー・ウォーンズのデュエット曲、「カリブの熱い夜」でのフィル・コリンズ、「ホワイト・ナイツ」でのライオネル・リッチー…と、この人の映画から次々と連発されたヒット曲の数々も、ちょっと違って見え方がしてくる。アレって僕は単純にハリウッドの商業的要請によるものと片づけていたが、ひょっとしてハックフォードって人の音楽的関心もいくらか反映しているのではないか?

 そして…もう一つは「ブルーカラー」出身者への眼差しだ。

 実は僕は未見だったので上記フィルモグラフィーからは除外しているが、彼には東京国際映画祭でグランプリを獲得した「ブラッド・イン、ブラッド・アウト」(1993)なる異色の作品がある。これはロサンゼルスのメキシコ系の若者たちの群像を描いたものらしいが、どう考えてもそれ以外のハックフォード作品とは一線を画するスタイルのものに見える。大スターも出ていないし派手さもない。それだけに、ハックフォードの本音部分が露呈しているとは言えないだろうか? だとすると、彼にはどこか「ブルーカラー」出身の人々へのシンパシーがあるのかもしれない。

 しかも他のエンターテインメント作品と思われるものも、この「ブルーカラー」というキーワードと無縁とは言い切れない

 何より出世作の「愛と青春の旅立ち」を思い出してみれば…リチャード・ギアとデブラ・ウィンガーのカップルは、どっちもどっちの貧しさ。ギアはその貧しさゆえに士官を目指すし、ウィンガーも士官候補生との「玉の輿」を目指す。その切実さたるやかなり夢も希望もない世知辛さだ。日本ではあの映画は「甘ったるい」恋愛映画と受け入れられたが、実はそんなモノとはいささか異質な作品ではなかったか? 主演二人のゴシップのおかげでピントが狂った映画になったかに見える「プルーフ・オブ・ライフ」ですら、その舞台を貧しい南米に置いた事に何らかの意図が感じられる。

 そして、もう一つダメ押し的に挙げるならば…何と「レイ」と同じスタイルの「有名芸能人モノ伝記映画」の先駆である「ラ・バンバ」そのものが、テイラー・ハックフォード自身のプロデュース作品ではないか。そう考えてみると、メキシコ系の貧しい出身、そのルーツと複雑な家庭環境から生まれた鋭い音楽感覚…描いているものは、ほとんど同じなんだよね。

 おそらくテイラー・ハックフォードにとっては、「ラ・バンバ」は「レイ」の前哨戦であった可能性が高い。あるいは「ラ・バンバ」によって「レイ」のヒントを掴んだのか。

 ともかくこの作品には、今までつかみ所のなかったハックフォードの本音が色濃く出ているはずだと思うんだよね。

 

 

 

 

 

 

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