「スパイ・バウンド」

  Agents Secrets

 (2005/02/07)


見る前の予想

 ヴァンサン・カッセルとモニカ・ベルッチ…ヨーロッパ映画の売れっ子スター夫婦のまたしてもの共演作。今回はスパイ映画…ん?

 ヴァンサン・カッセルとモニカ・ベルッチって離婚したんじゃなかったの?

 確かにそんなニュースが流れた気がするんだけど。僕はてっきり別れたものと思っていた。そしたらまたしても共演。あれって誤報だったのか?

 ともかくこの二人の共演作だ。この夫婦って仲がいいみたいで、共演作がやたら多い。もっとも僕はカッセル、ベルッチ両方好きな役者だから、結構この二人の共演作には好感持っている。離婚してなかったということは、このお楽しみがまだ続くということだ。めでたい。

 それにしても、「スパイ映画」とは? 冷戦後はスパイ映画もつくりにくくなった。実際、スパイ映画って数もグッと減ってしまったんじゃないか?

 しかも、これは派手なアクションで売るアメリカ映画じゃない。フランス映画のスパイものだ。それだけでも珍しいではないか。

 

あらすじ

 フランス本土に向かうフェリーの上に、一人の男が乗っている。その男シャルル・ベルリングは、実は多くの人々の監視下にあった。フェリーが港に着いてベルリングが上陸すると、たちまち尾行者が後を付ける。だがベルリングもすぐにそれを察知し、素早く姿をくらました。尾行者が彼の姿を見失っているうちに、持っていたクレジットカードをへし折って、そこから取り出したチップを飲み込む。そしてクルマでその場から逃げ出すベルリング。だが尾行者たちもすぐにクルマで後を追った。追跡の果てに銃まで持ち出す尾行者に、ベルリングのクルマは道路からはずれて畑に突っ込む。やがてベルリングは、尾行者の手であっけなく射殺されてしまった

 尾行者たちはベルリングのカラダのあちこちを探るが、目指すモノを見つける事は出来なかったようだ。やがてベルリングの死体は当局に収容され、彼の雇い主である諜報組織の本部へと移送される。司令官らしきアンドレ・デュソリエはじめ組織の人々がレントゲンを撮って、彼の体内からチップを発見したのは言うまでもない。

 さてこの諜報組織では、次なる作戦を進めていた

 陣頭指揮はもちろんデュソリエ。そして作戦の現場での指揮を執るのは、やり手のスパイであるヴァンサン・カッセル。彼と共に作戦に参加するのは、長年の相棒であるリュドヴィック・シェンデルフェールとセルジオ・ペリス=メンチェッタの二人。そして後方支援として、今回新顔のエリック・サヴァンも就く。

 任務の内容はこうだ。フランス政府としては、アフリカ・アンゴラの反政府ゲリラに武器を売っている商人セルジュ・アヴェディキアンの「商売」をやめさせたい。ついては東欧から調達した武器を載せた船を、途中で爆破して沈めてしまう。次の船のスケジュールは、現在組織の仲間がアヴェディキアンの身辺に潜入して探っている最中だ…。

 そう、確かに探っていた。探っているのはアヴェディキアンの屋敷にベビーシッターとして雇われたモニカ・ベルッチなる女。子供たちを睡眠薬入り菓子で眠らせると、あちこち探り回り嗅ぎ回りパソコンからダウンロードして、何とか情報を入手した。

 問題の船は、10日後にモロッコのカサブランカに入港予定。

 早速カッセルはカサブランカへと飛ぶ。同行するのは妻に扮したモニカ・ベルッチだ。二人はこれから夫婦として、このカサブランカで行動する事になる。

 一方、シェンデルフェールとペリス=メンチェッタも別働隊としてカサブランカにやって来る。だがそんな二人に、二人組の女がやたらと誘いをかける。ペリス=メンチェッタはすっかり鼻の下を伸ばしてゴキゲンだが、シェンデルフェールは警戒して女たちを遠ざけようとする。

 ところがある日、カッセルとベルッチに一人の男が近づいてくる。この男、スイスのアメリカ領事館員と名乗り、二人に警告を残していった。「船には手を出すな。それが身のためだ」

 情報が漏れていたのか?

 たちまち疑心暗鬼になる二人。カッセルは街のインターネット・カフェから本部に連絡を取るが、本部は予定通り作戦続行と伝えるばかり。さすがにベルッチは不安にかられて、作戦続行に腰が退けてくる。

 実はベルッチ、この仕事を最後にスパイを辞めたいと思っていたのだ。それを本部に伝えてもいた。家族にも本当の事を明かせない、友人もいない…そんな暮らしに耐えかねていたのだ。それに子供も欲しかった。

 そんなベルッチの気持ちを明かされたカッセルは、「簡単にこの仕事を辞められるものか」と懐疑的な言葉を返す。そもそも彼には、この仕事に対する疑念などなかった。

 その頃、彼らとは別行動をとっていたエリック・サヴァンは、シェンデルフェールたちに誘いをかけていた女二人組の片割れナイワ・ニムリが例のアメリカ領事館員という男と接触しているところを目撃。果たしてこいつらの目的は?

 ともかく本部の意向通り、作戦は続行だ。実行当日、カッセルとベルッチのクルマに乗り込んでくるシェンデルフェールとペリス=メンチェッタ。4人はこのクルマで港へとやって来る。夜の闇に乗じて港に泳ぎだしたシェンデルフェールとペリス=メンチェッタは、停泊中の問題の船に無事に爆弾を仕掛けた。こうして作戦は見事成功した…かに思えた。

 だが、空港でベルッチはいきなり捕まって連行。慌てたカッセルは、トイレで変装して脱出した。別室に連れていかれたベルッチのカバンからは、いきなりヘロインがどっさり出てくる。

 これはワナだ!

 さて何とかパリに戻ってきたカッセルは、そこでベルッチがハメられた事を知る。これにはカッセルも、不快感を隠しきれない。キナ臭さを感じたカッセルがアレコレ探りを入れ始め、仲間のペリス=メンチェッタと会おうとすると…何と彼は何物かに殺されてしまった! 殺したのは、カサブランカで彼を誘惑した二人組の片割れ…あのナイワ・ニムリだ。

 一方、刑務所に入れられたベルッチは、面会の弁護士からとんでもない事を告げられる。組織はここで彼女にやってもらいたい事がある…と言うのだ。では、ベルッチはその任務のために刑務所に入れられたのか?

 「この刑務所からもうすぐ釈放になる、ある女囚を殺してもらいたい…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

見た後での感想

 それにしてもヴァンサン・カッセルとモニカ・ベルッチの夫婦って、共演作がやたらと多いよね

 エリザベス・テイラーとリチャード・バートンより多いんじゃないか? えっ?…チャールズ・ブロンソンとジル・アイアランドの方が多いって? アレは「スター夫婦」とは到底言えないからなぁ…。

 そしてこの夫婦の共演作って、何だかんだ言って粒揃いだからスゴイ。

 単なる恋愛映画かと思ったらサスペンス映画に早変わり…アメリカ映画の近作「ホワイト・ライズ」の元ネタ「アパートメント」(1996)、新感覚のカッチョええアクション「ドーベルマン」(1997)、歴史モノか伝奇恐怖モノかと思えばビックリ仰天の「ジェヴォーダンの獣」(2001)、ギャスパー・ノエの賛否両論作アレックス(2002)…とまぁ、間違いなく現代ヨーロッパ(特にフランス)が誇るトップスター夫婦なのに、彼らの共演作はいわゆる「スター共演」を売り物にする映画ではないのが面白い。まぁ、「アレックス」だけは何で「夫婦共演」映画としてこんなの選んだのか?…って疑問思ったものの、他はフランス映画として企画からしてユニーク。このあたり意識的に狙ってるとしたら、カッセルとベルッチってタダモノではないね。「いい仕事」してると言いたい。で、今回はフランス映画に珍しい「スパイ映画」だ。

 もっともフランス映画だからして、娯楽アクションの大冒険映画…にはなろうはずもない。どこかシリアスなタッチになるのは、最初から予想がつこうというものだ。

 特に今回はスパイの活動をリアルに見せるのがミソ。何だかんだ言って破壊活動を描く訳だから決して「地味」とは言えないが、それでも従来のスパイ映画よりは「リアル」で「抑え気味」だろう。大風呂敷広げたようなアクションも見せずに、スパイ活動のディティールから見せていくあたりが面白い。

 思えば「007」に代表されるスパイ・アクションとは対極にあるような、こういう地道なスパイ映画ってのも系譜としては古くからあるよね。

 僕が覚えている範囲では、リチャード・バートン主演の「寒い国から帰ったスパイ」(1965)がソレだったような気がする。東ドイツに潜入するイギリス諜報部のスパイの話。結構シリアスで重い話だったけど…アメリカ映画でも法廷モノとか社会派作品を得意としたマーティン・リット監督の作品ならそれも無理もないか。時は「007」シリーズ全盛期の1960年代に、同じイギリスのスパイでもこんな映画がつくられていたんだよね。

 他にもシリアスなスパイものは多くあるだろうけど、僕にとってもう一つ印象に残っているのが、ダイアン・キートン主演の「リトル・ドラマー・ガール」(1984)だ。この作品は「寒い国から帰ったスパイ」と同じくジョン・ル・カレ原作だから、どこか印象も似ているのだろうか。イギリスの舞台女優がなぜかイスラエル諜報部に見込まれ、パレスチナ・ゲリラに潜入する事になるお話。何とこれがジョージ・ロイ・ヒルの監督作品だから、いささか畑違いな気もする。実際かなり地味な印象で、あまり評判にならなかったんじゃないだろうか。僕はそれでもちょっと気に入ってたんだけどね。

 ただ冷戦が終わって以降はスパイ映画もガラリと変わって、アメリカ映画も以前のように単純にドンパチしたスパイものはつくろうとしなくなった。例えばベストセラー映画化のジャック・ライアンものでも「レッド・オクトーバーを追え!」(1990)あたりと「パトリオット・ゲーム」(1992)、「今そこにある危機」(1994)…などは作品の佇まいが変わったし、ロバート・レッドフォードとブラッド・ピット共演の“頭脳戦”スパイ映画スパイ・ゲーム(2001)などは、確かにちょっと従来より様変わりを感じさせる。比較的かつてのスパイ映画を想起させる、マット・デイモン主演ボーン・アイデンティティー(2002)なども確かにアクション満載ではあるが、かつての単純大暴れモノとは一線を画している。これはたぶん…まだ未見ではあるが続編の「ボーン・スプレマシー」(2004)においても同様ではないか。

 そういう意味ではこの「スパイ・バウンド」も、スタイルとしてはイマドキの流れにちゃんと呼応していると言えるだろうね。

 そして僕は、もっとこの映画に共通する臭いを持った作品を知っている。

 それは…フランス映画で一時期目覚ましい活躍を見せた、エリック・ロシャン監督の作品「哀しみのスパイ」(1994)だ。

 軽い気持ちでまるでバイトみたいにイスラエルの諜報機関モサドに関わってしまい、そのまま「就職」してしまう若者のお話。だがだんだん懐疑的な気分が増していく。任務の中で知り合ったコールガールと恋に落ちる事で、ますます仕事に嫌気が差していって…というお話。主演はロシャン作品常連だったイヴァン・アタルだ。

 「愛さずにいられない」(1989)、「愛を止めないで」(1990)…などなどノッてた頃のロシャンは本当にスゴかった。そのあたりの事は「My Favorite Directors」エリック・ロシャンの項をご参照いただきたい。だが今ではどこでどうしているのか、まったく日本に作品が入って来ない。すっかり忘れられちゃった存在だ。だから今となっては、この「哀しみのスパイ」を知る人も少ない。だけど他のロシャン作品同様に、僕はこれってすごく好きな映画なんだよね。陽が当たらなくなっちゃって残念だ。

 で、今回の「スパイ・バウンド」だけど…同じフランス映画という事もあるが、テーマといい語り口といい何となくこの「哀しみのスパイ」と感触が似ているんだよね。そして派手な映画じゃないんだけど、少なくとも途中までは見ていて好感が持てる。アクションで見せる映画ではないから、カッセルとベルッチ夫婦の存在が生きてくるわけだ。

 確かにすごく面白かったり楽しめる映画って訳じゃない。だけど、どこか惹かれる映画。特に僕にとっては、「哀しみのスパイ」を思い出させてくれたのが嬉しいってところがあるんだよね。

  

見た後の付け足し

 というわけで、僕は結構好感を持って見たこの映画。だけど「スパイ映画だ!」と思って見に行った人の中には、あまりに地味で大人しい印象に退屈を覚えてしまう人もいるかもしれない

 確かにちょっと単調で、誠実さは感じるけどメリハリがついていない。特にこの映画のラストなんて、その最たるものではないか。さすがに僕もこの結末にはキョトンとしてしまった。

 「アレで終わりなの?」…と思うほど拍子抜けしちゃう終わり方。カッセルとベルッチがクルマで追っ手を振り切って去っていく…たったそれだけのエンディング。大逆襲も大脱出も、組織の大攻勢もなければ彼らの復讐もない。それで全部オーライなのか?

 あんなにカッセルもベルッチも悲愴感漂っていたのに、あまりに呆気ない結末には唖然呆然としてしまう。特に義憤にかられて行動を起こし始めたカッセルが、アレで矛先を収めちゃうのもパッとしない一因だろう。ずいぶんなショボい終わり方に、納得出来ない人も多いかもしれないね。僕もこの映画の途中までの雰囲気はキライじゃないけど、最終的な出来映えは…となると「???」だ

 元々「リトル・ドラマー・ガール」だって「退屈」と言われちゃうように、スパイの活動を地味に描こうとすると、どうしても印象が淡々としてしまうのだろう。だからこの作品の「イマイチ感」は分からないでもない。それでもあのエンディングは何とかならなかったのか…と言いたくもなる。

 そもそも…この手の映画は単調になりがち…と言っても、いちいち引き合いに出すのはどうかと思うが、エリック・ロシャンの「哀しみのスパイ」はちゃんと面白くつくってあったからね。やっぱり作り手の問題じゃないだろうか。

 監督・脚本のフレデリック・シェンデルフェールは、どうやらこの映画が二作目。前の作品は日本ではビデオ発売のみの「少女首狩事件」(2000)という何ともケッタイなタイトルの映画(笑)。これを見ていないので何とも言えないけど、ちょっと何か足りない感じはあるね。あるいはチグハグさとでも言えようか。いかに地味になっちゃう題材とはいえ、カッセルとベルッチというオイシイ食材を手に入れてコレというのは…やっぱり作り手の問題だろう。キャスト表を見てみると、監督と同じ「シェンデルフェール」という姓の奴がやたらに入っているのも気になる。何だか身内でツルんで映画つくってるみたいで、こいつ一体何を考えているのか。

 そういや映画の開巻まもなくにも、「アレレ?」…と思ったショットがあったっけ。いきなり宇宙空間からスタートして、月面をナメたカメラが地球へと向かっていく…。こんな映画にしては「らしくない」、やたら壮大なCGショットで始まっちゃうのもいかがなものか。「2001年宇宙の旅」じゃあるまいし。地球上のいたるところで戦火が見える…という事を言いたいのは分かるが、あの変なハッタリ感には笑ってしまったよ。

 何だか力の入れどころが違うんではないかい?

 

 

 

 

 

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