「オーシャンズ12」

  Ocean's Twelve

 (2005/02/07)


見る前の予想

 出演者のすごい顔ぶれが勢揃い…で話題になったオーシャンズ11。監督は今ノリにノッているスティーブン・ソダーバーグ。豪華な映画、夢の顔合わせ、リッチな感じ…面白かったよなぁ。面白かった。面白かったに違いない。面白かったはずだ。あれぇ…?

 本当に面白かったっけ?

 確かに面白かったには違いない。退屈はしなかったはずだ。スターを眺めているだけで楽しかったはずだし。ところが、今になって考えると「オーシャンズ11」は本当に面白かったかどうか、極めて曖昧な印象しかない作品だ。まぁシビアな話、実際そのくらいの「面白さ」の作品だったんじゃないか?

 その「オーシャンズ11」に続編が出来ると聞いて、心ワクワクしたか…と言われれば、正直言ってまるっきりトキメキはなかったね。僕らは前に一回「アレ」を見ているから、このメンツが顔を揃えても起きる事はもう想像がついてる。オールスター・キャストってそんなものだろう。

 まぁ、前と同じくらい「ソコソコ」面白い作品ってとこじゃないのかな?

 

あらすじ

 3年半前のローマ、ブラッド・ピットは小ぢんまりしたアパートに部屋を構えていた。ベッドには女が一人…それが事もあろうに腕利き刑事のキャサリン・ゼタ=ジョーンズだ。まどろみながらも最近手がけた事件の手がかりについて、ブラピにアレコレご報告。ところがそれらの手がかりの一つひとつが、いちいちブラピには心当たりがある。それというのも…それらの事件の真犯人がブラピその人だからだ。シャワーを浴びると偽って、風呂場の窓から部屋を飛び出すブラピ。部屋にゼタ=ジョーンズを残したまま…。

 さて長い前置きが終わったところで…話は今から三週間半前に遡る。「あの事件」以来、夫婦のヨリを戻したオーシャンことジョージ・クルーニージュリア・ロバーツ夫妻。そんな夫婦の「二度目」の結婚三周年を祝おうとした矢先、とんでもない来客がジュリア・ロバーツの前に現れた。言うまでもない…クルーニーとその一味がゴッソリいただいた当の相手、アンディ・ガルシアがコワモテな手下を連れてご登場だ。「あの事件」以後、彼らはそれぞれアメリカ各地にバラバラに身を隠し、ガルシアには分からないようにヒッソリと暮らしていた。なのにどうしてヤツは居所を突き止めたのか? 

 いやいやこの二人だけではない。ガルシアはそれこそ全米を縦断する勢いで、あちこちに隠れていた連中全員を個別に訪問。同じように脅しをかけたからたまらない。セリフはどれもお決まりの文句…二週間だけ待ってやるから、盗んだ金に利子をつけて返せ。そのためには、あの「オーシャンズ11」を再招集するんだな。

 「オーシャンズ11? 何でオマエのためのオレたちなんだよ?」

 などと一部には大不評の呼び名はともかく、あの11人がまたまた一同に会した。集まったメンツを改めて紹介すれば、オーシャンことジョージ・クルーニー、その片腕で今はホテル業で大赤字のブラッド・ピット、以前はパシリ扱いだったマット・デイモン、ミュージシャン志望だが何せ四文字言葉が多すぎてオンエア向きじゃないドン・チードル、他にもバーニー・マック、ケイシー・アフレック、スコット・カーン、エディー・ジェーミソン、そして長老のカール・ライナー、軽業師シャオボー・クイン、スポンサー役のエリオット・グールド…と、まぁ顔と名前が一致しないヤツもいるにはいるが、これで何とか11人のはず。お互い自分の経済状態を申告するが、とてもじゃないが返済出来る金じゃない。結局合計で1900万ドルも返さねばならないのだ。これはまたまた一仕事するしかあるまい。

 ところがこの段階で、長老のカール・レイナーが脱落した。もうトシだ、仕事はキツい。座して死を待ってもいい…とまで言われてしまっては、もう仲間も止めようがないではないか。

 仕方ない、残る10人で何とかするしかない。だが彼らは国内ではすでに名が売れすぎてしまっている。ならば海外か?

 ここでブラピが提案したのが、かって知ったるアムステルダム。それを聞いて…以前からブラピと働いていたバーニー・マックはハッとした。だがブラピが素早く口止めしたので、その話題はそこまで。ともかく一同はアムステルダムへと向かう事になる。

 ところで前回パシリ扱いだったマット・デイモンは、今回は一人前扱いしてくれとブラピに直訴。なるほど、それでは…と今回は仕事の話の最初から首を突っ込む事になった。クルーニーやブラピと一緒に現地の裏世界の大物ロビー・コルトレーンにお伺いを立てる事になったのだ。「オレたちは裏の世界の隠語を使うが、オマエはそれが分かるんだな?

 ところが実際にその席に臨んだら、「隠語」どころの騒ぎではない。ほとんど禅問答で目を白黒のデイモンだ。

 ともかく、こうしてやっとこありついたのが…ある隠遁者が秘蔵するお宝の強奪話。現存する世界最古の「株券」で相当なシロモノ。ガルシアが要求する1900万ドルには程遠いが、とりあえずこの仕事で急場をしのがねば…。

 早速仕事が始まった。この隠遁者、自宅兼宝物蔵の小さい建物に立てこもったまま出てこない。建物自体は川縁にある古くて小さなものだが、何せその至るところにモニターカメラが取り付けられ、セキュリティーシステムは外部から侵入出来ないようになっている。直接セキュリティーシステムをいじろうにも、装置はすべて建物内にあって触れられない。

 ところがそこはそれ「オーシャンズ11」ならぬ「10」。詳しくは映画を見ていただきたいが、何と建物の土台からジャッキで持ち上げるという荒技を用いて、セキュリティーシステムをいじろうという飛んでもない計画を立てた。

 さて、翌朝のこと。ユーロポールの凄腕捜査官…キャサリン・ゼタ=ジョーンズ再び登場。何と彼女の元に、隠遁者の「株券」が盗まれたとの一報が入る。現場へ駆けつけたゼタ=ジョーンズには、一目見て犯行の全容が見てとれた。この建物の土台をジャッキで…云々というやり口、それはかつて自分がブラピに教えたやり方ではなかったか。

 ならば敵は「オーシャンズ11」…ゼタ=ジョーンズには一発で分かってしまった。しかももう一つ分かった事がある。どうも連中は、目指すお宝を手に入れられなかったらしい

 その通り。実は犯行当日まんまと金庫まで辿り着いた一同だったが、そこにはすでに「先客」がいた。彼らをオチョクったメッセージと小さな「キツネの置物」を残して…。

 「キツネの置物」…それはヨーロッパを股に掛ける怪盗「ナイトフォックス」の印だ。

 ヨーロッパには、かつて伝説的な怪盗ルマークがいた。その正体は今もって誰も知らない。「ナイトフォックス」は、このルマークに追いつこうという程の男。実際近年のその「活躍」ぶりには目覚ましいものがある。だが、なぜこの「ナイトフォックス」が? 一体何のために「オーシャンズ」の邪魔をするのか?

 ともかく「オーシャンズ」の存在を知ったゼタ=ジョーンズは、まずはバーニー・マックの身柄を拘束。さらにゼタ=ジョーンズがブラピを訪ねてホテルの部屋を訪れるが、そこでクルーニーと軽業師クインの面が割れてしまう。しかもブラピは携帯電話も奪われるという失態だ。

 ともかくこのままでは身動きがとれない。「オーシャンズ」一行は変装したり他に紛れたりでアムステルダムを脱出。目立つクインはバッグに入れて部屋から持ち出した。ところがこれが手違いでとんでもないところへ運ばれてしまうから厄介だ。

 そんなこんなでフランスへと移動した一行は、問題の「ナイトフォックス」に接触を試みる事にする。裏世界の情報で、「ナイトフォックス」の正体はすぐに分かった。それはフランスの貴族階級の血筋…大邸宅を構えるヴァンサン・カッセルだ。この男、決して金が欲しい訳ではない。たまたま稀代の盗賊ルマークに泥棒の極意を教わる事になったカッセル。自らの興奮と虚栄心が高じて盗みを働く、言ってみれば少々お高いイヤミな男だ。

 何はともあれ直談判だ。クルーニーは名刺代わりにカッセル所蔵の美術品を盗み出すと、その邸宅にいきなり現れて真意をただした。そこでカッセルが語った真相とは?

 事の発端は…彼があの怪盗ルマークと共に、ある保険会社の幹部と雑談をしていた時のことだ。この「保険会社」氏が三年前の「オーシャンズ11」の仕事を「世界一」とホメちぎったのがマズかった。しかもカッセルの「師匠」たるルマークまでがそれを否定しなかった。これにプライドをいたく傷つけられたカッセルは、「オーシャンズ」に挑戦状を叩き付けるべく今回のお膳立てをした。すなわち、「オーシャンズ」一人ひとりの潜伏先をガルシアにバラし、「オーシャンズ」再招集を促したという訳だ。

 「そんな事のためにオレたちを追い込んだのか。傲慢なヤツだ」

 腹立たしさを覚えたクルーニーだが、今さら退くに退けない。カッセルは「オーシャンズ」との決着を付けるために、同じターゲットを狙おうと提案する。それは…パリからローマへと運ばれ、ローマの美術館で展示されるお宝中のお宝「黄金の卵」だ!

 こうしてターゲットは決定。一同ローマへと移動して、はぐれていたクインも合流して作戦は開始する。厳重な警戒を突破して、いかにしてお宝を盗み出すのか?

 だがブラピが盗まれた携帯電話によって、「オーシャンズ」の計画はゼタ=ジョーンズに漏れていた。しかも「ナイトフォックス」ことカッセルも、「オーシャンズ」のメンバーの情報を垂れ流し。「これはいける」と踏んだゼタ=ジョーンズは、ここで「オーシャンズ」の一網打尽を目論んだ。

 そんな事とは知らない「オーシャンズ」は、ガルシアとの期限もあと二日に迫る中、問題の美術館に集結していったのだが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

見た後での感想

 すごく面白そう! 前述のストーリー紹介をお読みの方は、すごくワクワクされたのではないだろうか? いやいや、これに驚いてはいけない。ここまででは触れていないが、この他にも意外なスターの登場やらアッと驚く趣向やらがあって、いやぁもう…。

 …どうしてこんなに盛り上がらないの?

 いや、つまらない映画と言ってはこの映画に失礼だ。「つまらない映画」って言葉は、本当に退屈でウンザリする映画にこそ使うべきだ。そういう意味では、この映画にそこまでウンザリするつまらなさを感じはしない。いわゆる映画「通」は生意気にもそんな事を言いたくなるだろう(笑)が、それは本当は適切な表現ではないだろう。確かに冒頭にも述べたように、スターの顔をボケッと眺めているだけでも退屈はしない。

 だがこれだけのメンツを集めてこれだけ大がかりに「お祭り」やらかして、大金もかかっているだろうに…その割には「面白い」とは言えないのはいかがなものだろう。

 いろいろ理由を考えるに、「オールスター・キャストのご利益」が薄れたって事は言えるだろうね。

 あれだけのキャストが集まった前作。「とても顔合わせは不可能」と思われたメンバーだからこその豪華さってものは、そこに確かにあっただろう。でも、それが二度目になると「とても顔合わせは不可能」とは言えまい。だって、それはもう一度起きた事なのだから。一度起きた事なら二度目だってあるさ。

 それに考えてもみてくれ。このスティーブン・ソダーバーグとジョージ・クルーニー周辺では、いつもいつも同じようなメンツがツルんでないか? ザッと挙げても…「アウト・オブ・サイト」(1998)でソダーバーグとクルーニー、エリン・ブロコビッチ(2000)でソダーバーグとロバーツ、フル・フロンタル(2002)ではソダーバーグとロバーツとブラピ、ソラリス(2002)ではソダーバーグとクルーニー…とくる。ついでに言えばソダーバーグ抜きでも「ザ・メキシカン」(2001)ではロバーツとブラピ、クルーニー監督・出演の「コンフェッション」(2002)でもロバーツとブラピ…と、このへんは最近毎度毎度ツルんでる連中だ。

 今回は新たにキャサリン・ゼタ=ジョーンズが投入されているのが「売り」だが、そのゼタ=ジョーンズにしたってトラフィック(2000)でソダーバーグ作品に起用されており、「アメリカン・スウィートハート」(2001)ではロバーツと共演…と、ハッキリ言って彼女の共演も「新鮮味」という点ではイマイチ。新鮮味と言えば、おそらく初めてのアメリカ映画出演になるヴァンサン・カッセルだけ…となると、この「顔合わせ」を最大の売りにするのはいささかキツイ状況に思えるのだ。

 そんな事よりもこんな豪華な顔ぶれが「毎度お馴染み」でリラックスして楽しんでいる様子を、お客も一緒になって楽しんでくれよ…おそらくはソダーバーグとクルーニーの狙いは、そんなところにあるに違いない。

 そもそも前作「オーシャンズ11」が「オーシャンと十一人の仲間」(1960)なんて映画のリメイクを狙ったあたりから、その意図はミエミエ。元々がフランク・シナトラがお仲間のディーン・マーティンやサミー・デイビス・ジュニア、ピーター・ローフォードらとツルんだまま出来上がったような、「遊び」の延長みたいな映画だからね。そのリラックス・ムードをそのまま持ち込もうとしたのが「オーシャンズ11」な訳だろう。元々がシリアスにつくってる訳がない。

 僕はソダーバーグ作品を見るたび毎度毎度繰り言みたいに、「セックスと嘘とビデオテープ」(1989)や「KAFKA/迷宮の悪夢」(1992)を撮ってたネクラ監督が「そんな過去はなかった」フリしてやがる…と、その胡散臭さに文句を言い続けてきた。その意味で言えば、今回の作品などその最たるもの。だが、それをここでは繰り返して言うまい。こいつ一体何をやりたいの?…とまたぞろ言ってやりたいのは山々だが、今回はそれよりもっと声を大にして言いたい事があるからね。

 それにしても、ソダーバーグとクルーニーの周囲にこれほどスターがたかってくるのは、一体どうしたことなのだろう? それはおそらく居心地がいいからだろうね。例えば「リーサル・ウェポン」シリーズが4作通じてプロデューサー・監督だけでなく…出演者たちに至るまで変わらないどころか、どんどんレギュラー・メンバーを増やしていって「水戸黄門」化していった事にどこか似ている。まぁ、人望があるって事は確かなのだろう。それについては、およそケチをつけるつもりはない。

 そしてそんな豪華メンバーを吸引する力を持っている二人なら、それをフルに利用して他ではつくれないような豪華メンバー映画をつくろうと考えるのも道理。一回やってうまくいったなら、もう一回やりたいと思うのもスジというものだ。作品としては「それほどのもん」とは思わない「オーシャンズ11」ではあるが、やっぱり商業的には大成功しただろうし、映画としても「つまらないもの」ではなかった。ユルいリラックス・ムードが「売り」と腹をくくったのなら、アレはアレで「アリ」な映画だったとは思うよ。

 だが、二度目の今回は…ちょっとニュアンスが違ってきちゃったんじゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは絶対に映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  

 

見た後の付け足し

 何とサプライズ・キャストとしてアッと驚くブルース・ウィリス。そして稀代の怪盗の役としてアルバート・フィニーまでが駆り出されているとは、よほどみんなソダーバーグ=クルーニー・ファミリーに入りたがっているのは間違いない。もっともフィニーに関しては、すでに「エリン・ブロコビッチ」があったっけ。彼にしたって「豪華キャスト再結集」のうちの一人なんだよね。

 だが…確かにハナッから作品としてのキレは期待出来ないながら、それなりにボケッと見る楽しみは与えてくれた「オーシャンズ11」に対して…今回はちょっとばかり「これじゃマズイんじゃないの?」と思ってしまった。

 それがハッキリ出ちゃったのが、ゼタ=ジョーンズはじめ捜査陣にバレてしまって、慌てて「オーシャンズ」一行がアムステルダムから逃げるくだり。途中の駅での内輪のおしゃべり(?)とも何ともつかない変な場面だ。

 内輪のおしゃべり…と言ったのは、この場面って何のためにあるのか分からないからだ。クルーニーが「オレっていくつに見える?」と仲間に尋ねたり、他にも何だかアレコレ無意味でくだらないやりとりが延々続く場面。それらが面白いかと言われれば…クルーニー・ファン、ブラピ・ファンが見たらたまらないのかなぁ? じゃあケイシー・アフレック・ファンとかスコット・カーン・ファン、エディー・ジェーミソン・ファンっているの? まぁそんな意地悪い事は言いっこなしとしても(笑)、ここでのやりとりって彼らの「素」のオカシサだけでもたせてる場面なんだろうか? そうでも考えないと、何とも妙な場面なんだよね。おまけに、それってハッキリ言って笑えない。僕もどこが面白いのかサッパリ分からない場面だった。なくたっていいし、第一意味が分からないのだ。見ていてキョトンとしてしまった。

 楽屋落ちってのは、確かにスター映画にはありがちだ。それを否定はしない。だが、笑えない楽屋落ちってのはちょっとねぇ。仲間内の撮影現場のやりとりみたいのを、そのままダラダラと再現されてもこっちは困る。

 この後もジュリア・ロバーツが大スターの「ジュリア・ロバーツ役」をやらされるという究極の楽屋落ちギャグが出てきて、これは確かに笑える事は笑えるものの…その前のダラダラ楽屋落ちを考えると、いささか素直には楽しめなくなる。本来だったら楽しい趣向かもしれないのに、「悪ふざけ」もいいかげんにしろ…という気持ちになってくるんだよね。

 実はこの作品の作り手たちの「妙な姿勢」を象徴するような場面が、この映画の前半部分に出てくるのだ。それは「パシリ」のマット・デイモンが「一人前」デビューすべく、クルーニー、ブラピと連れだって「商談」に顔を出す場面。

 前もってブラピは、裏街道の人間は「隠語」を使う…とデイモンにクギを刺している。そしてここでの会話たるや、まさにお経か禅問答に近い。仕事の話だと言いながらもナニを言ってるのか分からない。それでも商談相手とクルーニー、ブラピはツーカーで意味が通じているようだ。デイモンは意味が分からないと言う訳にもいかず、ただただ当惑しているだけ。しまいには発言を促されたあげく、意味もない詩みたいな言葉を吐くハメになる。

 このやりとり…後でクルーニーとブラピがデイモンをからかっての一幕とバラされるが、それが観客に示されるのはデイモンと同時。映画も後半になってからだ。この場面を見ている間は、観客もデイモンと同じくチンプンカンプン。だからオタオタするデイモンを笑えない。何が起きているのかも分からない。

 結局実力もないのに「一人前扱い」されたがってるデイモンを、ベテランの二人がからかったというこの場面。だが彼らが「意味が分からなくて当惑する」デイモンをバカにしてからかってるとしたら、置いてけぼりをくって意味が分からない観客だって…クルーニーやブラピや作り手ソダーバーグにバカにされているとは言えないか? 彼らは何か重大な勘違いをしてやしないだろうか?

 エンターテインメントってのは客をもてなす事だ。決して作り手や演じる人間が、客を見下してナメる事ではないだろう

 余裕たっぷりにスターが楽しんでいるのを見てくれ…というのは分かる。だけどそれだって、芸人の本分である「客を楽しませる」という事が出来てナンボのものだろう。確かにシナトラやディーン・マーティンのクラスの芸人ならそれもいい。だが…悪いんだけどクルーニーやブラピには、言いたかないけどまだその「器」がない。オノレの「素」を「芸」として見せるには、10年も20年も早いと言いたいよ。

 最後には「オーシャンズ12」が集結して、みんなでパーティーを楽しむ場面で幕となる今回の映画。それてまるで、あたかも撮影の打ち上げパーティーみたいだ。みんな非常に楽しそうで大変結構だとは思う。

 だが問題のパーティー・シーンに顕著なのだが、この映画はやたら手持ちカメラが使われているのが気になる。それらがなぜ採用されたのかは知らないが、カメラワークのせいで見ているこっちにはどうしても「ある印象」が強調されてしまう。それは一種の「ドキュメント性」みたいなものだ。

 この映画で「ドキュメント性」が感じられるとすれば…どうしたってオールスターがツルんでるのを生撮りしたかのように見えるって事じゃないか? パーティー・シーンなどはモロにそうだろう。内輪で楽しんでる様子をそのまま撮っちゃった印象が、「手持ちカメラ」でさらに強まっているのだ。ホントに楽しそうだしねぇ。

 確かに連中は、多額のギャラもらって遊んでるんだから楽しいだろう。だが…やってる連中は楽しいかもしれないが、わざわざ見に行ってるこっちはまったく楽しくなんてない。無芸なクズ・タレントがテレビでアレコレ食い物食って「うまいうまい」とホザいていても、それを見ている人間はうまくも何ともない…ってあの感じ。どいつもこいつもイッチョマエのエンターテイナーの顔しているが、これでそこまでいってると言えるのかね? 

 ウチワだけでウケてて、お互いにホメ合ってる「笑点」の大喜利じゃあるまいし。いや、一緒にしたら「笑点」に失礼だ。アレはまだしも客を楽しませようと考えている。この映画は客の方なんて向いていないからね。出てるオマエたちだけ楽しんでどうする。 

 それって、人様から金とって見せるようなモノなのか?

 

 

 

 

 

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