第30回:神からナチ戦犯まで、ローレンス・オリヴィエ

Laurence Olivier, Between Zeus and a Nazi

(2005/03/28)


今で言うと、ケネス・ブラナーあたりが第二のオリヴィエなんて言い方をされる事がよくあるよね。この異名でもお分かりの通り、ローレンス・オリヴィエってシェイクスピア演劇では本場イギリスでも一流の大御所だった。もちろんシェイクスピア映画も撮ったし、その監督もした。それだけでなくヴィヴィアン・リーと大恋愛の末に結婚したり、マリリン・モンローのために「王子と踊子」(1957)を監督して共演したり…ハリウッドでも大活躍した人ってあたりも、今日のブラナーを彷彿とさせるところなんだろう。オリヴィエは1989年に亡くなったけど、その晩年まで頻繁に映画出演を繰り返していた。それも玉石混交。ハッキリ言って仕事を選んでない…あれほどの名優にしてこの腰の軽さ…と毎度毎度驚かされるほどだった。今回はそんなローレンス・オリヴィエの名作ではなく、晩年の何でも出ちゃう腰の軽さの方をリスペクトしてみたい。

 

「マラソンマン」 Marathon Man (1976)

ローレンス・オリヴィエって大御所ではあるんだけど、実は映画にも実によく出ていた映画スターでもあるんだよね。それも十八番のシェイクスピアもの以外にも、「スパルタカス」(1960)とか「カーツーム」(1966)とかハリウッド映画に実にマメに出ていた。それがマイケル・ケインと激突した「探偵<スルース>」(1972)の後は、しばらく出演作が途絶えた時期があったんだよね。この「マラソンマン」は、そんなしばしの沈黙の後に出演したものだ。

実は最近発売された「マラソンマン」DVDを見てみたら、関係者の証言でこのへんの事情が説明されていた。実はオリヴィエ、この前に大病をしていたらしいのだ。それも身体中にガンが転移し、痛風にもかかっていたらしい。いわばボロボロ。いつどうかなってもおかしくない状態だった。

それを引っぱり出したのが、当時パラマウント映画の社長だったロバート・エヴァンスだ。

この映画は「動く標的」(1966)、「明日に向って撃て」(1969)で知られる当時の売れっ子脚本家ウィリアム・ゴールドマンが書いた小説を、彼自らが脚色したもの。監督には「真夜中のカーボーイ」(1969)のジョン・シュレシンジャー。主演はその「真夜中〜」でシュレシンジャーとコンビを組んだダスティン・ホフマンという注目の顔合わせ。そしてホフマンとがぶり四つで組む相手役には、名優中の名優ローレンス・オリヴィエを起用というから豪華だ。映画はナチの戦犯が絡むサスペンス・アクション。ハッキリ言ってバリバリのエンターテインメントだ。それをシュレシンジャー、ホフマン、オリヴィエという重厚な顔合わせでやるからこそ、異色で面白いってわけなんだよね。しかも脇には「ジョーズ」(1975)で一気に名を売ったロイ・シャイダー、後に「ローリング・サンダー」(1977)で主役を張るウィリアム・ディベイン、クロード・ルルーシュの「マイ・ラブ」(1974)で世界的に知られ始めたマルト・ケラーを配する、まさに鉄壁のキャスティングだ。そしてプロデューサーの第一希望の通りにキャスティングは決まったというから、まさに幸運な企画と言える。

実はこれもDVDに収録されていた裏話だが、オリヴィエの起用はかなり危ぶまれていたようなのだ。ハリウッドの大作ともなれば、映画会社はあらゆるリスクを考えて保険をかけておく。ところがこの映画の準備時に、保険会社がオリヴィエの出演に難色を示したと言うのだ。それはそうだろう。前述したような健康状態では、どの保険屋も二の足を踏むに違いない。それを何とか押し通して、オリヴィエ出演を譲らなかったエヴァンスは偉かったと思うね。

映画はひたすらマラソンに汗を流す、ニューヨークの平凡な大学生ホフマンの日常から始まる。そのホフマンが通りがかりに見た自動車事故が、たまたま自分の身に関わってこようとは誰も夢にも思うまい…。

ところが一枚皮をめくってみると、どんな平凡に見えた人生にも何かが隠されているものだ。ホフマンの両親は赤狩りの犠牲となって命を落としていた。その事件がホフマンにトラウマを残しているのは言うまでもない。そんなホフマンと対照的に、精力的に世界を飛び回る実業家の兄ロイ・シャイダー。だがこのシャイダーも実業家とは世を忍ぶ仮の姿。実は世界を股に掛け危険に身をさらすスパイだった。一方、くだんの自動車事故が原因で、ある一人の老人が隠居先から抜けだしてアメリカへと足を運ぶ事になった。その男とは、かつてのナチ戦犯ローレンス・オリヴィエだ。

映画は始まってしばらくの間、ニューヨークのセントラル・パークでマラソンをするダスティン・ホフマンの日常と、その背後にうごめくまったく違う世界での出来事を挟みながら描いていく。それはスパイのシャイダーが立ち寄るパリの街であり、オリヴィエが隠居していた南米のジャングルの奥地だ。そのうちホフマンは素敵な女の子マルト・ケラーと知り合い、恋に落ちる…。

そんなホフマンの日常が崩れ始めるのは、兄シャイダーが殺されるという異常事態に巻き込まれてからだ。あげくホフマンはナゾの男たちに拉致監禁され、口を割らせようとするナチ戦犯オリヴィエの拷問を受ける事になる。このくだりの痛そうな事と言ったら!

何とか脱出したホフマンが、痛む歯をこらえながら必死に夜のニューヨークを走って逃げる場面は、思わず息が詰まるほどの強烈なサスペンス。日頃からマラソンをして鍛えていたとは言え、突然の事に気が動転して目はうつろ。しかも歯を傷つけられてひどい痛みに耐えながらの全力疾走。だが敵はクルマですぐ後ろまで迫って来ている。とにかく走るしかない。あのホフマンがとにかくイッちゃったような表情で、車道を汗だくで駆け抜ける必死の激走だ。いやぁ、これにはホントにゾッとしたよ。

ともかくニューヨーク、マラソン、パリ、スパイ、南米、ナチ戦犯…と、まるでバラバラな関連のなさそうなアイテムが一気に集結していく展開は見応えがある。それは平々凡々と暮らしている僕らも、一歩間違うと歴史や国際政治の裂け目に落っこちかねないという恐さなんだよね。ある意味では、北朝鮮の拉致問題みたいな恐さとも言える。

そして何より、オリヴィエのナチぶりが何とも素晴らしい。威厳、気品、傲慢、冷血…そんなオリヴィエがホフマンの健康な歯を傷つけていくくだりの、何とも冷静な表情がたまらない。

 「安全かね?」と落ち着き払って何度も繰り返すオリヴィエは、まさしくナチ戦犯らしい恐さやいやらしさを体現していて見事だったよね。怖がらせようというこれみよがしな脅しはまったくない。だが生身の人間なのに、この眉一本動かさない非人間性。このあたりはさすがオリヴィエと思わずにはいられない。

もっともオリヴィエってこの晩年には、「ブラジルから来た少年」(1978)と「ジャズ・シンガー」(1980)でユダヤ人のおじいさん役を演じているんだよね。これらのうち後者では特に、いかにもユダヤ教ガチガチの爺さんぶりを見せて、往年の藤山寛美も真っ青の泣かせ芝居を見せるから大したもの。冷徹そのもののナチ戦犯から哀れなユダヤ人のおじいさんまで変幻自在。それもこれも、ロバート・エヴァンスがオリヴィエのこの映画出演のために保険会社と掛け合ってくれたからだと思えば、ますますエヴァンスに最敬礼したくなるよ。

 

 

「タイタンの戦い」 Clash of the Titans (1981)

さて、オリヴィエは「マラソンマン」以降、かつてよりもさらに活発に映画出演を続けていく。それも主演級にはこだわらず、小さな役でもホイホイ出た。それと言うのも、おそらくはオリヴィエの体調と関係があったのだろう。すでにあの身体の状態では、体力を使う舞台は無理だ。映画ならそこらへんは何とでもなる。カメラで写らない部分は椅子に座っても演じられるだろうし、カットで切れるから体力も温存出来る。役が小さければ負担が少ないからなおの事いい。こうして僕が見ただけでも「遠すぎた橋」(1977)、「ブラジルから来た少年」(1978)、「リトル・ロマンス」(1979)、フランク・ランジェラ版「ドラキュラ」(1979)、「ジャズ・シンガー」(1980)…と仕事を選ばず出演しまくり、オリヴィエの快進撃がまだまだ続くのだ。

だが正直言ってこれらの作品すべてに、昔身体がピンピンしていた頃のオリヴィエだったら出たかどうか。正直言って晩年のオリヴィエ出演作の中では、「マラソンマン」と「リトル・ロマンス」以外の作品は役も小さいし、作品的にも言うべきことがない。例えば「ドラキュラ」での吸血鬼を倒そうと活躍するヴァン・ヘルシング教授とか、「ジャズ・シンガー」でのニール・ダイアモンドの脇を固めてのユダヤ教ガチガチ頑固爺さんあたりは、たぶんかつてのオリヴィエならやらなかったかもしれない。朝鮮戦争時のマッカーサー将軍を演じたという日本未公開作品「Inchon」(1982)も含めて、この時期のオリヴィエって映画の質とか役柄とかにはほとんど頓着していないようだ。とにかく映画に出続けていること、現役であることが心の励みだったのかもしれないね。

そういう意味ではこの映画も勢いで出ちゃったのかもしれない。それは1981年の「タイタンの戦い」だ。

ギリシャ神話の映画化…その中でもオリヴィエが演じたのは最高神ゼウス。これだけ見ればオリヴィエにとって何ら不足のない役だ。だが、これは何よりレイ・ハリーハウゼンのいわゆるダイナメーション映画なんだよね。

ハリーハウゼンってSFファンタジー映画の特撮マンとしては確かに第一人者で、現在ではその名が広くとどろいている。知る人ぞ知る、特撮畑の大御所だ。ダイナメーションってのは彼の特撮技術の商標で、早い話がストップモーション・アニメによる特撮なんだよね。一番分かりやすい例を挙げれば、シンドバッドが骸骨たちとチャンバラを演じる、あの有名な場面でピンと来るだろうか?(ただしダイナメーションという名称は、彼らの古巣コロンビア映画に権利があるかもしれない。そういえば「タイタンの戦い」の時には、たったの一度もダイナメーションという名称は使われなかった。)

彼のつくっていた「シンバッド七回目の航海」(1958)、「シンドバッド黄金の航海」(1973)、「シンドバッド虎の目大冒険」(1977)のシンドバッド・シリーズや、「アルゴ探険隊の大冒険」(1963)などの作品は、当時その技術が大いに騒がれながらも、やはりどこか子供向けのおとぎ話シリーズと見られがちなところがあった。少なくとも超A級作品でなかった事はそのキャスティングでも分かる。そこではジョン・フィリップ・ローやパトリック・ウェインなど二線級、三線級の役者が常に主役を演じていた。まず名のあるスターが出る事などなかった。

まして名優中の名優、サー・ローレンス・オリヴィエなんて!

それが実現しちゃったから世の中分からない。で、これ以外にもそうそうたるメンバーが揃った。ゼウスの妻にクレア・ブルーム、海の女神テティスにマギー・スミス、美と愛の女神アフロティーデにアーシュラ・アンドレス、ギリシャの詩人で劇作家アモンに「ロッキー」のミッキー役でお馴染みバージェス・メレディス。ハリーハウゼン映画にしては異例の豪華メンバーが揃ったワケだ。主役の若い二人だけは、あまり売れてない人ってあたりが従来のハリーハウゼン映画らしいところ。ペルセウスのハリー・ハムリンはこの後「メーキング・ラブ」(1982)という恋愛映画に出たくらいで消えちゃったし、アンドロメダのジュディ・バウカーもいなくなった。ただし、バウカーはこの作品の前にフランコ・ゼフィレッリ作品「ブラザー・サン、シスター・ムーン」(1972)で主役を演じていたから、ハムリンよりはちょっとは格上か。

実はこの作品、ハリーハウゼン映画としてはキャスティング以外でも異例づくめではあった。彼とプロデューサーのチャールズ・H・シニアが組んでつくって来た作品は、「恐竜グワンジ」(1969)など一部の例外を除いて、ほとんどコロンビア映画からリリースされていた。それなのにこの作品「タイタンの戦い」に限ってはM.G.M.作品。それがちょっと公開当時から気にはなっていたんだよね。

実はこの時期、特撮の世界では大きな地殻変動が起きていた。言うまでもなく、それは「スター・ウォーズ」(1977)の公開と大ヒットだ。当然特撮の世界も一変。旧来の技術は徐々に葬り去られようとしていた。

そんな変革の波の中、ハリーハウゼンが果たしていかなる状況にいて、いかなる事を考えていたのかは分からない。だがこの作品では古巣コロンビアではなくM.G.M.と契約したという背景には、どうもこのへんの事情が絡んでいるように思えてならない。今時ダイナメーションなんてロー・テク特撮では?…との声がどこかで飛んでいてもおかしくないからだ。

いわば起死回生の一作。そうなると今回限りのスター総動員も分からないでもない。映画の格を上げるためにも、ここは名のある役者を揃えなくては。幸い…というか皮肉な事に「スター・ウォーズ」大ヒットのおかげで、スターたちも特撮映画に抵抗がなくなった。そして今回はギリシャ神話…ならばヨーロッパから、イギリス演劇界の大御所ローレンス・オリヴィエを出してしまえ!

何しろゼウスと言えば神の中の神。つまりはまた引き合いに出しちゃうけど、稲垣浩の「日本誕生」(1959)で原節子が天照大神を演じたような極め付き…だ。ここはオリヴィエを持ってくるしかないでしょう。

映画は、人間の国アルゴスの王女ダナエに最高神ゼウス(オリヴィエ)が手を出したため、彼女がおめでたになってしまったところから始まる。怒り狂ったアルゴス国王は、娘ダナエとその赤子を海に流してしまった。これがゼウスの逆鱗に触れて、アルゴス国は海の怪物クラーケンに襲われ洪水に没するハメになる。国王筆頭に国民すべて海の藻屑と消えるハメになるのだからひどい話だ。一方、ダナエと息子ペルセウスはゼウスに守られ、健やかに暮らした。ところが神々の中で海の女神テティス(マギー・スミス)だけは面白くなかった。自分の息子カリボスはご乱行がたたって怪物の姿にされた。ゼウスの息子ペルセウスとはえらい待遇の差ではないか。そこでテティスは成長してたくましくなったペルセウス(ハリー・ハムリン)を、彼の知らない人間の都へと連れていってしまう。ペルセウスはそれから詩人のアモン(バージェス・メレディス)、テティスに呪われた娘アンドロメダ(ジュディ・バウカー)らと出会い、さまざまな冒険を重ねるのだが…。

もちろんこの映画はハリーハウゼンのダイナメーション映画だからして、見せ場は数々の怪物と人間との戦い。海の怪物クラーケン、巨大な二頭犬、その姿を一目見た者は石に変わってしまうメデューサ、巨大サソリなどがワンサカ出てきて大暴れ。それ以外にも翼を持った馬ペガサスなど、ダイナメーションならではの魅力が満載だ。

ただ、開巻まもなくの人間の王国アルゴスの洪水による壊滅シーンを見れば分かる通り、「スター・ウォーズ」通過直後の映画ファンの目には、このロー・テク特撮はキツかったかもしれない。今の僕らならこれも味として楽しめるが、当時の人々の目にはこれが時代遅れに映った可能性が大だ

また劇中、ペルセウスと行動を共にする機械仕掛けのフクロウが出てくるのだが、これがいろいろお茶目な振る舞いに及ぶあたり、完全に「スター・ウォーズ」のR2D2あたりを意識した演出なんだよね。これは見ていて寒かった。天下のハリーハウゼンが「スター・ウォーズ」ごときのパクりはないだろう。悲しくなっちゃったよ。

さて映画の本題の大冒険は、もっぱら頭悪そうなハリー・ハムリンのペルセウスが一手に引き受けて、オリヴィエ以下の神々は、スタジオに建設された白っぽいオリンポスのセットで演技。オリヴィエはほとんど椅子に座ってるような場面ばかりだから、これは体調が悪化の一途をたどっていた彼には楽な仕事だっただろう。偉い偉いゼウスの役ではあるが、最初に出てきたカットで椅子に座ったオリヴィエの頭の回りに、レーザー光線の後光が差していたのには思わず笑っちゃったよ。

そして、このゼウスがまたヒドいんだ(笑)。アルゴス国王の娘にこっそり手を出すのも不謹慎なら、不始末に怒って娘とその赤子を海に流した国王を制裁しようと、アルゴスの国を洪水で壊滅させてしまうのだからムチャクチャ。元はと言えば自分でまいた種なのに、このゼウスはまるで気に留めてない。あげくの果てに隠し子ペルセウスにはメチャクチャ甘くて、自分の息子でないカリボスにはひどい仕打ちばかり。これにはカリボスの母親テティスも怒り心頭になるのも無理はない。つまり、この映画のお話全体に渡って、悪いのは全部このゼウスなんだよね(笑)

そんなエゴイストでいいかげんなゼウスを、それでも大変な威厳を持って演じるオリヴィエの演技は、これも別な意味でなかなか出来そうで出来ない。たぶんオリヴィエとしては小遣い銭稼ぎだったろうし、身体がなまらないようにウォーミングアップ程度の仕事だったんだろうが、格といい芝居といい、まさにオリヴィエならではの演技だったと言える。

さてこの後オリヴィエは1989年まで生き続け、毎年何本かの出演作を必ず残した。そんな中で僕が最後に見たオリヴィエ出演作は、メル・ギブソンとアンソニー・ホプキンス主演の「バウンティ/愛と反乱の航海」(1984)。海難審判の審判長のような役柄で、小さな役によるゲスト出演だった。だから僕にとっては、この「タイタンの戦い」のオリヴィエが、彼の最後の出演作みたいな印象があるんだね。

 そしてハリーハウゼンにとっても、この「タイタンの戦い」が最後の作品となってしまった。確かこの作品はそれなりの当たりを見せたはずだが、やはり世の中の趨勢からもうダイナメーションは過去のものと思い知ったのではないか。

ローレンス・オリヴィエとハリーハウゼンのダイナメーション映画…それはそれぞれが絶好調時だったら絶対に実現しなかったであろう顔合わせだったはずだ。だがそれがお互いの最後の最後に、例えどんなカタチであれ実現したということは、大いに喜ぶべき事だったと思えるんだけどどうだろうか。

 

 

 

 

 to : Time Machine 

 

 to : Classics Index

   

 to : HOME