第28回:命短し美少女系、ジュヌヴィエーヴ・ブジョルド

Genevieve Bujold, the Childish Lady

(2004/03/29)


いわゆる「オタク」どもに人気のエロ・アニメとかエロ・ゲームなどを見てみると、カラダは妙に巨乳だったりするのに、顔は昔の少女マンガもかくやという感じの「美少女系」ってやつが圧倒的に多い。そういやAVでも「美少女系」は人気があるよね。まぁ、カラダは大人だけど顔は幼げって、男から見て実に都合のいい女のキャラではある。これって、大人の女は手強すぎてイヤ…という日本の男の情けない願望なのかと思ってもみたが、日本人を含めて東洋系の女の子が西欧人の男にモテはやされるのも、彼らの目には彼女たちが幼げに見えるかららしい。全世界的に男というものは、どこかテメエ勝手なロリコン指向を持っているものなのか。まぁ、確かに可愛い女ってのは何かとトクだもんね。かくいう僕も偉そうな事は言えなくて、この系列とおぼしき女優にえらく入れ込んでいた時期がある。それはほんの一時ではあるが大活躍したこの人…ジュヌヴィエーヴ・ブジョルドだ。

 

「大地震 」 Earthquake (1974)

「タワーリング・インフェルノ」に代表される第一次パニック映画ブーム。実はこのブームを側面から盛り上げた作品が、ユニバーサルの二作「大地震」と「エアポート'75」(1974)だ。この二作品はほぼ同時期に公開され、どちらもチャールトン・ヘストンとジョージ・ケネディが主演という奇妙なカップリング。何でこれほどの「大作」を同時につくったのか理解に苦しんだが、最近になってウソかマコトか「大地震」の予算が余ったから「エアポート'75」をつくった…なる異説を耳にした。なるほどそう言われてみれば、そう思えなくもないね。

で、「エアポート'75」もなかなか悪くはないが、公開当時僕が大いに入れ込んだのは「大地震」の方だった。何しろ本当に地震が体感出来るという「センサラウンド方式」上映という呼び物があったからね。確かに地震の破壊シーンは今見ても凄かった。

ただし、ヘストン、ケネディ、エバ・ガードナー、リチャード・ラウンドツリーなどの一応のオールスターによるドラマ部分は、かなり退屈だった印象があるんだね。ヘストンは建設会社の幹部。社長の娘ガードナーと結婚しているが、夫婦生活は暗礁に乗り上げている。それでヘストンは若い女性と不倫をしているわけ。一方で犯罪者追跡のためにハリウッド女優の屋敷に不法侵入して休職処分となった警官ケネディやら、オートバイの曲乗り野郎ラウンドツリーが出てくる一幕もある。だけど、そんな話はあってもなくてもいいようなもんだ。だから、やっぱり全体的には作品として「タワーリング・インフェルノ」には比べるべくもない。

それでも僕は、この映画が大いに気に入った。それも破壊シーンはもちろんながら、何とこの映画の退屈なドラマ部分に…。それはヒロインとして、ジュヌヴィエーヴ・ブジョルドが出ていたからだ。

実はブジョルドなる女優さん、僕はそれまで全然知らなかった。だからこの「オールスター」映画のビリングの上位に、いきなり名前が出てくるのがどうにも解せなかったんだね。何だこんな新人女優をドカンと上に持ってきて…。

ところがこの人、知る人ぞ知る、好きな人にはかなりウケていた女優さんだったらしい。この人はカナダのケベック出身なので、フランス語がしゃべれる。その縁でアラン・レネのフランス映画「戦争は終わった」(1965)でデビューしたわけ。その後も「まぼろしの市街戦」(1967)などフランスでの活躍が続き、英語映画に出たのは「1000日のアン」(1969)が最初。これでいきなりオスカー主演賞ノミネートだから、かなり注目はされていたはずだ。だけど、なぜかその後は鳴りを潜めていたらしい。「大地震」は何と3年ぶりの映画だ。

それにしても、それまでの作品群と「大地震」とはえらく落差が激しい。実はこの「大地震」への起用って、プロデューサーのジェニングス・ラングの肝いりだったと言う。僕はこのラングのインタビューを読んだことがあるが、ブジョルドの「まぼろしの市街戦」ってカルトな映画になっていたようだったんだよね。アメリカでも彼女にシビレたファンが多かった。ラングもまたその一人だったわけ。それでこんな大作に彼女を持ってきちゃったんだからエライというか公私混同というか

ただこの「大地震」って同時製作した「エアポート'75」が「大空港」(1970)の続編だったように、同じユニバーサルのオールスター大作「大空港」をかなり意識した部分があったように思うんだよね。ジョージ・ケネディ起用もおそらく「大空港」からだろう。だとすると、「大空港」のヒロインがやはり可憐なイメージでフランス語が出来るジャクリーン・ビセットだったことを、どこかで意識してのブジョルド起用だったのかもしれないね。ラングの中では二人がダブってたんじゃないか。

で、「大地震」なんだけど、この映画には異例な事が一つある。あの道徳心のカタマリ(と言いながら全米ライフル協会会長だったりするんだけど)にして「十戒」のモーゼそのものみたいなチャールトン・ヘストンが、何と不倫にはしる男を演じているのだ。「パニック・イン・スタジアム」で刑事を演じた時には、スラング混じりの警官言葉をしゃべるのをイヤがって監督を手こずらせたというヘストン。よくもまぁ不倫男を演じたものだ。でも、それというのも不倫相手がブジョルドだったからじゃないか…と僕は睨んでいるんだけどね(笑)。

一応役柄上ではヘストンのアリバイは出来ている。女房役のエバ・ガードナーが金持ちワガママ娘の常として悪妻。アル中で睡眠薬での狂言自殺を繰り返す、ウンザリするような中年女の役だ。こりゃヘストンならずとも不倫したくなる…と観客の同情を湧かせる役どころだ。

まして相手が若くて可愛いブジョルドならば…この時のブジョルドは32歳。役柄上でも息子がいるシングル女性だ。だけど若い! そしてどこか少女のようなあどけなさ。まさに可憐と言ってもいい。ヘストンとのベッドシーン(というか一戦交えた後の寝室でのやりとり)なんか、ヘストンもブジョルドも服着ちゃってる。でも、そんな清潔感が彼女にはピッタリだった。そしてただ可愛いだけじゃない、陰りというかクセというか、そういった何かがチラつく容貌に僕も惹かれた。

ヘストンは結局不倫の責任をとるかのように、下水に流された古女房ガードナーを助けようと濁流に身を投じて、そのまま姿を消してしまう。ヘストンとしてはこの結末しかなかったか。僕だったら絶対に女房いなくなってこれ幸い…と、ブジョルドとの新生活をとるけどねぇ。

 

 

「続・男と女」 Un autree homme, une autree chance (Another Man, Another Chance) (1977)

「大地震」でハリウッド・メジャー映画に本格進出した彼女は、ここからいよいよ活動を活発化させる。ことに例のジェニングス・ラングのご執心ぶりはホンモノだったらしく、彼が海賊映画の復権を賭けた「カリブの嵐」(1976)のヒロインにも起用された。この映画って愛すべき作品で、主演のロバート・ショーも彼女も楽しげに頑張ってたけど、いかんせん海賊船が一隻しか出てこないってのは夢が膨らまないねぇ。

そんな彼女の魅力が爆発したのは、あのブライアン・デ・パーマの傑作「愛のメモリー」(1976)だ。デパーマのヒッチコックへの傾倒ぶりを反映して、ここでは「めまい」テイストが全開。ブジョルドもミステリアス・ヒロインを好演していた。これが彼女のもう一つの代表作だろうね。

そんなブジョルドを僕が気に入っているのは、彼女が僕好みの映画に連続出演しているからかもしれない。マイケル・クライトンの医療サスペンス「コーマ」(1977)では一枚看板の主演(おそらく彼女のハリウッド時代の作品で、ビリング・トップというのはこれだけではないか?)を張った。

そしてクロード・ルルーシュがアメリカに乗り込んだ「続・男と女」では、ジェームズ・カーンと共演とくる。これは嬉しかったよねぇ。

何せ大きな声では言えないが、僕は昔からクロード・ルルーシュが大好きなのだ。「男と女」(1966)が大好きってことはもちろんだけど、この人のスケールのデカい映画づくりが好きだった。そして時たまチラつくアメリカ映画ファンらしさも好きだった。人によれば大味とかワンパターンとか言われてしまうんだけどね。でも、どうしてもキライになれないんだよねぇ。

で、この「続・男と女」も例によってワンパターンもの。だって題名に「男と女」って書いてある。だけど、このタイトルを見て、アレレ?…と思う人は少なくないかもしれない。「男と女」って別にちゃんとした続編はなかった?

実はジャン・ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメ主演の「男と女」の続編は、ちゃんと「男と女 II」(1986)として存在してる。こちらは原題に「20年後」と書いてあるように、あの物語の20年後のつづきが描かれているんだよね。

じゃあ、こっちの「続・男と女」は何だ…って言われると困るんだが、こちらはルルーシュが「男と女」のストーリーを、そっくりそのままアメリカ西部開拓時代に持ってきたお話なわけ。この時には日本の配給会社も、この後にそのまま「男と女」の続き話が出来るとは思っていなかった。ルルーシュだってそんな事考えていた訳じゃないだろう。だから配給会社の宣伝担当の罪じゃないんだよ。まぁ、「花のお江戸の釣りバカ日誌」みたいなもの(笑)だと思っていただければ間違いない。

で、お話はまんま「男と女」だから、トランティニャンの役どころはジェームズ・カーンに、エーメの役どころはわれらがブジョルドに、そのまま移植されているわけ。これが嬉しいんだよね。カーンは獣医で妻に先立たれ、息子を寄宿学校に入れている。ブジョルドもフランスから渡ってくるけど、写真屋の夫フランシス・ユステールに死なれてしまって娘を寄宿学校に入れている。そこで二人が出会うというお話だ。

ただ、オリジナルの「男と女」ではトランティニャンがレーサーだったから、ヤマ場にはラリーの場面があったよね。そこでこちらではトム・クルーズとニコール・キッドマン共演の「遙かなる大地へ」(1992)に出てくるような、西部の荒野を舞台にした壮大なレース場面が展開するわけ。ここはなかなかの見モノだ。またここから考えて、トム・クルーズはルルーシュ・ファンなのではないかという推測も成り立つが、それはまた別の話だ。

ルルーシュ、カーン、そしてブジョルドと来れば、僕が好きな人が三つもダブる豪華版。おまけに大好きな西部劇だ。やっぱりルルーシュってアメリカ映画が好きなんだろうね。そしてカーンもいい。アメリカンな持ち味と本来のタフガイぶりが、西部劇の水に合っている。おまけにアクション映画ではあまり生かされないが、この人って実はすごくデリケートな味わいがある。それがルルーシュ映画にピッタリなんだよね。これでスッカリ味をしめたか、カーンがルルーシュの大作「愛と哀しみのボレロ」(1981)にまでつき合っているのはご存じの通りだ。

そしてブジョルドがまたしても可愛い。子どもが一人いるけど自分もまだ娘みたいな、西部に咲いた可憐な花一輪ってな風情があるんだよ。

元々ブジョルドって何で可愛く見えるのかと言えば、おそらくはその顔のせいだと思うんだよね。彼女って決して美人じゃない。むしろ鼻はツンと上を向いてるし、両目も離れすぎてる。子犬みたいな顔をしていて、笑うと顔がクシャクシャになる。でも、そのチンクシャ顔が実に可愛く見えるんだよね。で、目はあくまでいつも涼しげ。そして華奢で壊れやすそうなカラダつきも愛おしい。彼女に漂う、そこはかとない透明感も好きな理由だ。このタイプに僕はメタメタに弱いのだ。

公開当時は、また「男と女」かよ!…みたいな罵倒も浴びたし、ルルーシュ・タッチもすっかり世間じゃ飽きられてたし、演出のユルユルぶりがバカにされたし(それは確かに本当の事なのだが)…で、世間的にはほとんど黙殺された作品だ。だけど今一度再評価してほしいんだよね。結構いい感じだと思うよ。ぜひぜひみなさんにも一度見ていただきたい。

さて、その後もブジョルドの快進撃は続く…と締めたいところだが、実はそうはいかなかった。

続く「バチカンの嵐」(1982)は、カトリックの総本山の暗部を抉る作品。まだ元気だった頃の「スーパーマン」クリストファー・リーブが、バチカン内部で権力を握っていくお話。ブジョルドは尼僧にも関わらず、そのリーブの「悪の魅力」に取り憑かれる女を演じていた。背徳の関係を見せるべく、彼女の本格的ベッドシーンが登場したわけ。と言ってもまたしても一戦交えた後の場面ではあるが、今度はブジョルドは全裸だ。ところが、これが痛かった。

何とも痩せこけた貧相なカラダ。確かに少女っぽさが持ち味だから致し方ないが、胸なんて貧乳通り超してエグれてる。ご贔屓女優のヌードとくれば喜ぶ僕だけど、これは正直言って見たくなかった。痛々しいんだよ。かなりショックを受けてしまった。…で、これのせいじゃないんだろうが、この後の彼女って急速に魅力を失っていく。

「チューズ・ミー」(1984)、「トラブル・イン・マインド」(1986)、「モダーンズ」(1988)とアラン・ルドルフ作品に連続出演したブジョルドだけど、彼の作品では終始一貫、荒んだ過去を思わせる大年増ぶりで、タバコか何かでノドを傷めたような低い声で出てくる。可憐なブジョルドはもういないんだよね。これってブジョルド自身がそうなってしまったのか、はたまたルドルフがそういう彼女を演出したのか。もし後者ならルドルフ許せねえ!

で、ルドルフ作品も含めて本国カナダでの活動に絞ったのか、デビッド・クローネンバーグの「戦慄の絆」(1988)にも出てきた。これでは彼女自身にそんな荒んだ気配はなかったけれど、映画が映画だからやっぱり病んだイメージなんだよね。

この時期、個人的に嬉しかったのは、クリント・イーストウッドの「タイトロープ」(1984)に出てきたことか。イーストウッドって、「ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場」(1986)で突如あのマーシャ・メイスンをヒロインに起用するように、女優さんの好みが僕とかぶってるみたいで嬉しいんだけどね。ただ、この映画もイーストウッド映画としてはかなり病んでいた(というより、イーストウッド自身がかなり病んでいる趣味の持ち主らしいんだけど)。だから相変わらず涼しげで可憐ではあるけど、彼女に取り憑いた病んだイメージは払拭出来なかったんだよね。

その極め付きとでも言うべきなのが、ロマンティック・サスペンスの傑作「氷の接吻」(1999)。男を次々と籠絡しては殺す恐ろしい女アシュレイ・ジャッドと、彼女に魅せられて追いかける情報員ユアン・マクレガーの道行きを描いて、フランソワ・トリュフォー・タッチも見事な作品だ。ここにブジョルドが出るとくれば異存など毛頭ない。だが、問題はその役どころだ。

孤児として育ったジャッドを育てた保護観察の先生というのがブジョルドの役どころ。無惨に老けているのは年齢から仕方がないだろう。だが問題はキャラクターだ。ヒロインのジャッドがタバコも酒もブジョルドの趣味に染め上げられてたのはもちろん、その歪んだ性格までがブジョルドの受け売りだったという結末! 男に対してねじ曲がった考えを持っていた彼女が、ジャッドにそれを押しつけてしまったが故の殺人狂ぶりだったという結末は、長年のファンとしてあまりにあんまりなオチだった。もうこの人って、病んだ役しか出来ないのか

命短し恋せよ乙女。志村喬が「生きる」で歌ったあの「ゴンドラの歌」のテーマは、永遠の美少女ブジョルドですら無縁ではなかったんだよねぇ。

 

 

 

 

 to : Time Machine 

 

 to : Classics Index

   

 to : HOME