第25回:シンセの魔術師、タンジェリン・ドリーム

Tangerine Dream, The Sorcerer of Synthesizer

(2003/05/26)


ドイツのプログレッシブ・ロック・グループ、タンジェリン・ドリームって言っても、若い人は果たしてピンとくるかどうか。そもそもプログレッシブ・ロックって言葉自体が死語だし。実際のところタンジェリン・ドリームの音楽をプログレッシブ・ロックと言っていいのかどうか、今となってはあやふやなんだけどね。しかも僕はこのグループが何人組かも知らない(笑)。何度かメンバーチェンジを繰り返してるらしいが、オリジナルメンバーが何人で現在は何人なのか、まるで知らない。リーダーの名前すら知らない。そんなんで紹介できるのかって? う〜ん。ただ彼らが映画音楽の分野に残した業績になら、少しは語れることはあると思うんだよね。事実、彼らは映画でユニークな仕事をいくつか残している。というより、後年には映画音楽は彼らの中でもかなり重要な仕事場となったみたいなんだ。そんな彼らの映画での足跡を、僕の印象に残っている限りで駆け足で辿ってみたい。

 

「恐怖の報酬」(ウィリアム・フリードキン監督作品) Sorcerer (Wages of Fear) (1977)

ウィリアム・フリードキンが「フレンチ・コネクション」(1971)、「エクソシスト」(1973)の連続ヒットで意気軒昂な頃に注目の次回作として発表したのがこれ。フランスのアンリ=ジョルジュ・クルーゾーの1953年の名作を大胆にもリメイクした作品だ。当時確かフリードキンは、何とフランスの大女優ジャンヌ・モローと結婚していたから、かなりフランス映画に傾倒していた時期だったのかもしれない。期待の俊英が名作にチャレンジと来れば、いやが上にも期待が集まる。南米のジャングルに籠って巨額の制作費を使い、堂々たる大作に仕上げたわけ。

お話は御存じの通り。南米の油田で爆発事故が起こり、激しい火災が発生する。この炎を消し止めるには、ニトログリセリンで爆破しなければならない。だが、肝心のニトロは火災現場から遥か彼方の山の中にあり、その途中には森林やら坂道やら川やら岩場やらの難所がワンサカ。ニトロはすでに古びていて下手に揺らせば一触即発状態だが、それを運ぶためのトラックはどれもニトロ運搬用なんてシロモノじゃないポンコツ。そこでこれを運ぶための命知らずの男たちが、金で集められてくる。この基本設定とストーリーは、クルーゾーのオリジナルと大差はない。オリジナルでイブ・モンタンが演じた主人公は、当時「ジョーズ」で上げ潮に乗りつつあったロイ・シャイダー。あとはブルーノ・クレメール、アミドゥ、フランシスコ・ラバルといったヨーロッパの渋い役者を集めてるあたりも、「エクソシスト」にスウェーデンの名優マックス・フォン・シドーを引っぱってきた当時のフリードキン好みかもしれない。ハッキリ言ってハリウッドの企画らしからぬ顔触れではあるのだが、当時飛ぶ鳥落とす勢いのフリードキンは、やりたいようにやれる力があったわけ。

で、フリードキンと言えばもう一つ「らしい」のが、ロック・ミュージックへの傾倒ぶり。それもヒットを飛ばすような連中ではなく、ちょっと通好みの渋いメンツを自作に引っぱってくるのがお好きだ。その手始めが「エクソシスト」で、マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」なんか使って大ヒットさせてしまった。この後も「クルージング」(1979)でかなりコアなロックンロールを、「L.A.大捜査線/狼たちの街」(1985)で地味なロックグループのワン・チャンを使って効果を上げている。で、この「恐怖の報酬」では、何とドイツのグループ、タンジェリン・ドリームを起用したのだ。

この当時のタンジェリン・ドリームは、プログレッシブ・ロックの世界では知られた存在だったものの、一般のロック・ファンにはさほど耳慣れた存在ではなかったはず。ましてその音楽そのものを聞いていたファンはさらに限られていた。その時代にタンジェリン・ドリームに注目したフリードキンのセンスはまさしく非凡と言えるだろうね。しかも、それをクルーゾーの古典的傑作のリメイクに起用しようなんて。

そんなタンジェリン・ドリームの音楽はこの映画でどう生かされていたかを語る前に、映画そのものの評価はどうだったのかを語ると、これが酷評の嵐。やはり古典的傑作に手を出したのがマズかったのか、評価は芳ばしいものではなかったはず。しかも「フレンチ・コネクション」「エクソシスト」のように一般の観客がパッと見たがる題材でもない。一般のアメリカ人観客、しかも若者にとって、フランスのクルーゾーなんて知るわけもない。興行的にも惨敗だったと記憶している。多額の制作費をかけてやりたい放題やったあげくの大失敗。いかに前二作で輝かしい実績を持っていたにしても、ここでの失敗はフリードキンのキャリアに暗い影を落したんだね。その後のフリードキンは失速したままで、何作か個人的に気に入ってる作品はあるものの、やっぱり元気のない普通の監督といった印象になってしまった。

ではこのリメイク版「恐怖の報酬」、出来はイマイチだったのかと言うととんでもない。「古典への冒涜」なんてバカな映画マニアの言いがかりでデッチあげられた、極めて不当な評価だとしか思えない。僕に言わせてもらえれば、これはこれでユニークな味わいのサスペンス映画の傑作だと思うんだよね。

ニトロを運ぶオンボロトラックの前面のフェイスのおっかないこと。まるでそれは化け物か何かのように見える。劇中に出てくるトラックの車種の選定からして、フリードキンのセンスが光っている。そして一番ゾッとするのは、濁流流れる川に架けられたボロボロのつり橋を、重量制限もクソも無視してトラックで通過する場面だ。しかも天候は南米ならではの激しいドシャ降りの中。川の水量は上がってる。橋にわたされた板は濡れてツルツル滑る。おまけに橋そのものが老朽化して板が腐ってるから、途中で何度もタイヤが板を踏み抜く。おまけにつり橋だからブランブラン揺れて、トラックに積んだニトロを刺激する。しまいにゃあ過大な重量のおかげで、トラックがひっくり返りそうなほどつり橋が傾く。いや〜もう、心臓が弱い人はとてもじゃないが見ていられないサスペンスが、延々と続くわけ。

そこへもってきてタンジェリン・ドリームの地獄から聞こえてくる悪魔の呪文みたいなシンセ音楽が、全編にベチャ〜ッといつまで経っても鳴り響くんだね。何とも腹にズシンと効いてくる。それでなくても気色悪いウニュウニュとしたシンセ音が、メロディなんか全くなしで単調に連続して鳴り響くわけ。これは本当にまいっちゃうよ。まるで悪い夢を見ているよう。それも長いことうなされそうな夢だ。

そんな気色悪さと緊張感の応酬の果てに、他の三人の男たちはニトロとジャングルとの戦いに破れ去っていき、最後にロイ・シャイダーただ一人が何とかニトロを火災現場まで運んでいく。その時には観客には、もうすべてが夢の中の光景のようにしか見えない

そしてラスト、無事にニトロを運んだ報酬をもらい、晴れてこのジャングルから脱出を果たしたシャイダーだったが、彼の顔は放心状態で見事にシラケわたっているんだよ。そんな曖昧で漠然とした不安感を漂わすエンディングこそ、フリードキンの真骨頂。ここに挙げた「フレンチ・コネクション」「エクソシスト」「クルージング」「L.A.大捜査線/狼たちの街」などにも共通する、観客を宙ぶらりんな気持ちにさせるエンディングだ。まして観客は主人公のシャイダーと共に文字どおり地獄巡りを済ませてきたところだから、彼の虚無感、感情のマヒ感が身にしみる。だから、僕個人としてはフリードキン恒例の宙ぶらりんエンディングの中でも、この「恐怖の報酬」がピカ一の出来だと思っているんだね。

 そしてそんな地獄巡りのBGMとして、やっぱりタンジェリン・ドリームのシンセ音楽が最大の効果を上げていたと思うんだよね。

 

 

「ザ・キープ」 The Keep (1983)

前述のごとく「恐怖の報酬」は興行的に大失敗だったものの、タンジェリン・ドリームの音楽だけは大好評を博したらしい。というのは、彼らにその後もハリウッドをはじめとして映画音楽の依頼が続いたからなんだね。中にはミケランジェロ・アントニオーニの「ある女の存在証明」(1982)なんてのもあったりするのは、「欲望」「砂丘」などやはりロック好きのアントニオーニらしいところなんだろうか。

だが、「恐怖の報酬」に次いでの彼らの映画音楽の傑作と言えば、実はマイケル・マン監督の劇場映画デビュー作「真夜中のアウトロー/ザ・クラッカー」(1981)にとどめを刺す。

この作品については、以前この「Time Machine」のジェームズ・カーンの項で触れたから多くを語らないが、クールでシャープな映像にタンジェリン・ドリームの無機質と言ってもいいサウンドが絡み合って、何とも硬派な犯罪サスペンス・アクション映画となっていた。これには僕もうなったし、タンジェリン・ドリームの映画音楽にも新たな可能性が広がっていった気がしたね。

で、マイケル・マンその人もたぶんそう思ったのだろう。彼の劇場第二作「ザ・キープ」にも、再びタンジェリン・ドリームを起用したわけ。

お話は第二次大戦中、東欧ルーマニアの奥深い山の寒村が舞台。そこの僻地の村にドイツ軍の一団がやってきて、村に昔からそびえ立つ巨大な城跡を自分たちの前線基地にする。ところが調子に乗ってこの城のなかに埋め込まれていたT字型の十字架の封印を解いてしまったものだから、中に閉じ込められていた邪悪な力がうごめき出すわけ。案の定、ドイツ軍の兵隊が次々謎の死を遂げていく。それも焼き殺されたような形跡は、とてもレジスタンスなどの仕業とも思えない。業を煮やしたナチスドイツ側は、この城跡の謎を解かせようと収容所に送られていたユダヤ人教授と娘をわざわざこの寒村へと送り込む。だが魔物はこの教授を丸めこんで、完全に自由な身になろうとするんだね。一方で邪悪な力の目覚めを察知した善の超能力者が、どこからともなくこの寒村へとやって来る。そして邪悪な力に戦いを挑む…てな内容。

ところがねぇ、この映画って見ていてよく分からないところがあるんだよ。結局のところこの魔物は一体何だかが全然分からない。なぜ封印されていたのかがいっさい説明なし。まぁ、このあたりは説明なくてもまだいい気がするんだけどね。最も説明不足の度合が大きいのが超能力者の登場以降で、彼がどこから現われ何を目的にしているのか、そもそも彼は何なのか(どうも人間ではない形跡がある)、まったく説明なしな上にキャラクターも不可解なため、見ている側にはサッパリ分からない。そのくせ、なぜか例のユダヤ人教授の娘とねっとりとセックスシーンを演じていたりして、なおさら訳が分からない。このセックスシーンの不必要な長さとともに、そもそもなぜこの二人がセックスしなければならないか全く腑に落ちない描かれ方だからだ。

だけどねぇ、僕がこの映画を見た限りでは、それが100パーセント脚本・監督のマイケル・マンのせいだとはちょっと思えないんだよね。何せ「真夜中のアウトロー/ザ・クラッカー」で、あれだけ手際よく無駄口叩かずに物語を描き出したマン監督ではないか。そう思って子細に点検していくと、この映画どうも解せないところがある。映像のディティールの凝り方は相変わらずなのに、ストーリー展開が妙にザツなところがある。時々エピソードとエピソードの間がブツブツと飛んでいるような印象があるんだね。

実はこの作品、原作はかなり知られたホラー小説らしいんだけど、何と本屋で見てみたら分厚いハードカバー版で上下巻に分かれた堂々たる作品。一方この映画「ザ・キープ」は、わずか1時間半強という当時の娯楽映画としても短い作品。こりゃどうもおかしいよねぇ。

ひょっとしたらこの「ザ・キープ」、実はもっともっと長尺のディレクターズ・カットが存在するんじゃないの? もしあれだけの長い小説を忠実に映画化しようとしたら、短くも2時間半は下らないと思うんだよね。だが出来上がった作品は、長すぎるとプロデューサーか映画会社に判断されてズタズタにカットされてしまった…。説明に乏しくエピソードが飛ぶこともさることながら、なぜか不必要に長いセックスシーンがポツンと存在している理由もそれで説明できないだろうか? 女の裸とセックスは残しておけ…なんて、いかにもハリウッドのお偉いさんが言いそうなことだよね。

今回の作品でマイケル・マンが創作上の自由を得ることが出来なかったと思われるのには、ちゃんと理由がある。肝心要の魔物の造形がそれだ。一言で言えば巨大なソフトクリームに頭と手足を付けた…とでも言えばいいだろうか。ルーマニアの寒村やら舞台となる城跡のセットなどは凝りに凝っているのに、なぜかこの一番大切な魔物の造形で大きくハズしているんだね。おまけに安っぽく目がピカ〜と赤く光ったり、子供だましも甚だしい。一体どうしてこうなっちゃったの?

「真夜中のアウトロー/ザ・クラッカー」ではジェームズ・カーンの金庫破りシーンにディティールのリアルさ正確さを見せていたマン監督、カーンがギャングのボスの家に殴り込みをかける時も銃の扱い方一つひとつにリアリティがあったマン監督、今回の「ザ・キープ」だって魔物以外のプロダクション・デザインには凝りまくってたマン監督…それが、何が悲しくてこんなソフトクリームのお化けを出さなきゃならないんだ。どう考えても今回のマン監督は、かなりプロデューサーに牛耳られていた感じがぬぐえないんだよね。考えてみれば比較的低予算な犯罪映画「真夜中のアウトロー/ザ・クラッカー」と比べれば、かなり制作予算も上がってる感じだしね。そのへんでもプロデューサーが現場での全権を握っていた公算が強い

そのせいか、やはりこの「ザ・キープ」は作品的にも興行的にも惨敗だったようだ。なにせ日本での公開のされ方ときたら、「13日の金曜日」シリーズの何作目かと二本立てで寂しく短期間に上映されただけだもんねぇ。本国アメリカでの扱いが目に浮かぶ。結局マイケル・マンはこの後かって知ったるテレビの世界に舞い戻り、「マイアミバイス」(1984)のシリーズでヒットを飛ばして再び返り咲くことになるわけ。今でこそ「インサイダー」(1999)、「アリ」(2001)などで一流監督としての仕事をしているマン監督も、その映画界でのキャリアの最初ではそれなりに辛酸をなめたんだよね。

ではこの「ザ・キープ」、ハシにも棒にもかからない駄作かと言うとさにあらず。いろいろバランスの悪いところ、不出来なところは目につくものの、どこか捨て難い味わいがある。今回も映像のスタイリストであるマン監督のクールで硬派な感覚が全面的に生かされていて、結構楽しませてくれるんだよ。

そして超能力者にスコット・グレン、ドイツ軍の隊長にユルゲン・プロホノフを配している他にも、当時はさほど知られていなかったガブリエル・バーンをナチの親衛隊長に、イアン・マッケランをユダヤ人教授にキャスティングしているなど、今見るとかなりな豪華キャストが楽しめる。このへんのクセ者を並べた布陣を見ても、確かにヘナチョコ映画ではあり得ないんだよね。

前述したように舞台となる城跡の描き込みにはかなりご執心だったらしく、その地下に遥かに広がる空洞の描写などゾクゾクすること請け合い。魔物だってそのトホホな姿を見せる直前まではかなり怖いんだよね。説明不足がかえってミステリアスな雰囲気を醸し出しているところもあって、とても駄作とは思えない。ユニークな味わいの恐怖映画として、例の魔物に目をつぶれば結構面白いんだよ

そしてそんな恐怖を盛り上げるのが、何といってもやっぱりタンジェリン・ドリームの音楽なわけ。またしても「恐怖の報酬」の呪いのシンセ・サウンドが甦る。シンセサイザーを使いながらも、そこには先進性などは感じられない。プリミティブなまでの忌まわしさ、得体の知れなさ、気色の悪さ。機械や電子的器材の持つその無機質な冷たさは生かしつつ、それらハイテクの合理性とは裏腹の不合理性と気持ち悪さが充満した独特なサウンドなわけ。そして、これが意外に映画音楽という特異な分野に馴染んだんだね。

同時期にやはりシンセで恐怖を盛り上げたジョン・カーペンターと共に、タンジェリン・ドリームが築き上げたシンセ映画音楽というジャンルは、その後のハンス・ジマーなどの映画音楽にも多大な影響を与えたはず。その意味で彼らの初期を彩ったこの恐怖二大作の音楽は、決して無視出来ない業績だと思うんだよね。

 

 

 

 

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