第18回:大脱走男スティーブ・マックイーン

Steve McQueen's Great Escape

(2002/04/08)


スティーブ・マックイーン!

今どきの映画ファンは知らないだろうけど、最高にカッコいいアクションスターと言えばこの人、マックイーンにとどめを刺す時代が確実にあったんだね。そして、彼が何でカッコいいかと言えば、反骨の闘志と決してあきらめないネバーギブアップ精神の持ち主だったから。それでいて漂う人間味。今回はいまや懐かしの…という形容詞が付いてしまうけど、その作品に抜群の存在感を刻み付けた往年のビッグスター、故スティーブ・マックイーンを思い出してみたい。

 

「ゲッタウェイ」 The Getaway (1972)

1973年陽春の洋画興行界を「ポセイドン・アドベンチャー」とともに盛り上げた娯楽大作。マックイーンがバイオレンス映画の鬼才サム・ペキンパーと組んで放つ衝撃のアクション映画ってな感じの売りだったような。当時中学生の僕は、いてもたってもいられず見に行きましたよ。

ところで、この映画のもう一つの話題といえばゴシップねたなんだよね。つまり「ある愛の詩」で一躍脚光を浴びた女優アリ・マックグローを共演に迎えたマックイーンだけど、そこで二人にロマンスが生まれてしまった。当時マックグローはパラマウント映画社長のロバート・エヴァンス(のちに独立プロデューサーとなる)と結婚していたから、これは立派な不倫なわけ。

このおかげでかなり影響を受けてしまったのが、当時パラマウントで進行していた「華麗なるギャツビー」の企画。エヴァンスが想定していた当初の「ギャツビー」のキャストがマックーン&マックグローのカップリングだったんだよ。で、その前にこっちを…と共演したのが「ゲッタウェイ」だったわけ。さすがに寝とられ男になったエヴァンスはキャスティングを変更。ロバート・レッドフォードとミア・ファローになったのはご承知の通り。でも、僕はギャツビーは成り上がり者の哀しさという点でも、スティーブ・マックイーンが演じるべきだったと今でも思うけどね。ええトコの白人を絵に描いたようなレッドフォードじゃ、あの切なさは出ないな。

しかし、バイオレンス映画の鬼才(笑)ペキンパーの作品で、なぜにロマンスが?…と疑問は残る。これも実際に作品見てみたら、すぐに謎が解けたね。

長いムショ暮らしから戻ってきた銀行強盗とその恋女房のお話で、この夫婦がマックイーン&マックグローなんだよね。シャバに出てもすぐ仕事。しかし仲間の裏切りにあったりして…。

一番の見どころはどこかと言うと、この主人公たちに襲いかかる夫婦の危機。途中で銀行強盗を計画した黒幕であるオマワリと、自分の女房マックグローがデキていると知って唖然とするマックイーン。もう全て信じられなくなってしまうわけ。でも、マックグロー女房のほうは、刑務所から亭主を出してほしくてオマワリと寝たわけですよ。そりゃ分かるんだけどねぇ。

何にもない原っぱに車を止めて、おもむろに女房の頬をひっぱたくマックイーン。このやりきれない表情は、とっても人間味を感じさせていいね。痛みが伝わってくるんだよね。ドメスティック・バイオレンスなんてイヤだけど、この場面は男だったら殴るでしょう。もし本当に女を愛しているのなら。

そのうち追っ手に追われて警察に追われ、ゴミ運搬車に隠れているうちにゴミと一緒に廃棄場に連れて行かれるマックイーン&マックグロー夫婦。お互いホコリにまみれて汚ったねえ格好になっちまって、何がどうなろうとコイツとは離れられないんだとシミジミ思い知るくだりは何とも切なくいい感じなんだよねぇ。「あんたをシャバに出すためだったら、アメリカ中のオマワリと寝たっていいわ」ここまで女に言われたら、男としては本望でしょう! 否、ここまで言わせたいよねぇ。

 

 

「パピヨン」 Papillon (1973)

パピヨンってのは蝶のことなんだよね。ここでは胸に蝶のイレズミつけた主人公のこと。マックイーン扮するこの男が、脱走困難な牢獄から何度も何度も脱走を試み続けるお話がこれ。実話らしいけどね。で、途中で刑務所仲間ダスティン・ホフマンができる。ホフマンは後年この作品を評して、金のために引き受けた作品だったが、出来上がった映画は素晴しかったと述べている。まったくその言の通りで、大作の構えだけど見終わった後どこか一本筋が通ったものを感じる骨太の作品なのだ。

監督は「パットン大戦車軍団」を手がけたフランクリン・J・シャフナーだから、かなり骨太な作品になったのは確かだけど、何といってもこの作品のムードを決定づけたのは脚本のドルトン・トランボだろうね。赤狩りで仕事をホサれたこともあるトランボは、自分で監督した唯一の作品「ジョニーは戦場へ行った」でも強烈反戦メッセージを発信しちゃう反骨の人。大スターのカーク・ダグラスに頼まれてスペクタクル大作の仕事頼まれても、自由のための戦いを描く反体制メッセージむんむんの「スパルタカス」書いちゃうんだから、ホンマもんですわこの人。

 今回もテーマははっきりしてる。一応主人公は自分は無実だと言ってるが、正直言って胸に蝶のイレズミ入れてるヤクザもんだ。やったかやらなかったかハッキリしない。でもトランボは、そんなのどっちでもいい…と言っているのだ。

劇中の夢のシーンで、トランボはパピヨンに「ここに囚われたままでいることで自分は有罪だ」と言わせている。自由になろうとする意志を捨てたことが有罪だと言っている。自由になりたいという意思は、人間の根源的な欲求なのだと訴えているんだね。

こうなると、われらがマックイーンの独壇場だ。我々はみんな、何度も何度も脱走しては捕まり、独房に入れられては不敵に一人でキャッチボールに興じ、やがてまた懲りずに脱走を試みるタフな反骨のアメリカ兵を演じた「大脱走」(1963)のマックイーンを忘れはしないからね。あのスター・イメージを引っ下げて、今回もマックイーンは何度も脱出を試みるのだ。そんなマックイーンの反骨さ、不屈の精神は、いつしか不遇の赤狩り時代をくぐり抜けてきたドルトン・トランボその人に重なって見えてくる。

そういや晩年のマックイーンは、自分の俳優としてのイメージの方向転換を願っていたように伝え聞く。実際に単なるアクション・スターからの脱皮をめざして、自らのプロダクションで作品を制作していた。イプセンの戯曲の映画化作品「民衆の敵」(1977)がそれだ。

しかし、何しろイプセンだ。マックイーンの役柄自体も大きく様変わり。メガネをかけて髪を長く伸ばし、ヒゲも生やし放題で小太りの大昔のヨーロッパの医師が彼の役だ。チラッと見たのではマックイーンとは識別し難いほど。当然これでは興業上キツいと、アメリカ本国では確か公開されずじまいだったと言う。

だがこの作品、実は様変わりでも何でもなかった。主人公の医師は自分の住む町の公害問題に憤って反旗を翻すが、それが町の実力者、そして町の人間すべての反感をかうことになる。しまいには「村八分」状態になり身の安全が脅かされるが、それでもこの医師は戦うことをやめない。その主人公の人間像は、あの反骨不屈マックイーンのスター・イメージそのものではないか。マックイーンもアクション・スターからの転換とか無理してやることはなかった。もうとっくの昔から偉大な役者だったんだから。

そんなマックイーンのスター・イメージは、一番この「パピヨン」で生かされていたと僕は思うんだけど、いかがだろうね?

 

 

 

 

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