第13回:肩の力抜けたエンピツ野郎、ロイ・シャイダー

Roy Scheider, the Man Like a Hard Pencil

(2001/11/05)


何年か前、ジョン・グリシャムの小説の映画化作品「レインメーカー」が公開された時、監督のフランシス・コッポラの名を久しぶりに目にして感慨に耽っちゃったよね。しかもこの映画には、マット・デイモン、クレア・デーンズ、ジョン・ボイト、ダニー・デビートらとともにオールスターキャストの一角を担うかたちで、これまた久しぶりのミッキー・ロークも顔を見せていた。だがロークはまだスター扱いされているからいい。実はこの映画にはもう一人、なぜかこの映画のメインキャストに名前を載せてもらってはいないが、ある懐かしい人物が出演しているのだ。もちろん彼は今、カメオ出演なんてする余裕のあるポジションにはいやしない。 かつて一流作品やヒット作にも数多く主演したのに、今やなぜかまるっきり忘れられてしまったスター…今回はあの大ヒット作「ジョーズ」で俄然注目を浴びた硬質な男、ロイ・シャイダーにスポットを当ててみたい。この11月10日に誕生日を迎える彼への、これは僕からのバースデー・プレゼントだ。

 

「オール・ザット・ジャズ」 All That Jazz (1979)

ロイ・シャイダーの作品歴の中でも最も異色であり、かつ傑作の誉高い作品。何と言ってもカンヌ映画祭のパルムドールを黒澤明の「影武者」と分け合ったんだからね。異色と言ったのは、シャイダーにしては珍しく、振付師にして演出家という役柄を演じたから。なぜならシャイダーという俳優、基本的にはそのキャラをずっと変えずにやってきているからね。

まず「フレンチ・コネクション」のボパイの相棒役で頭角を表し、「ジョーズ」の署長役が出世作と…いうように彼の役柄は初期には刑事/警官役が中心で、その後は徐々に職業的な幅が出てきたものの(後年は何と大統領役までやった!)、職務に忠実な硬質な男というイメージは変わらなかった。誰かがモノの本で彼を評して「B」や「HB」ではなく「H」あたりの固いエンピツのイメージと言ってたけれど、これはけだし明言だ。「マラソンマン」の秘密諜報員、「ブルーサンダー」の軍のヘリパイロット、「殺意の香り」の精神科医などなど、どんな役をやってもロイ・シャイダーであることには変わりない。う〜む。今まで彼のことうまい役者だと思ってきたんだけど、こうやって見ると実は大根だったのかなぁ(笑)? いつも何やってもエンピツ男。

そんな何をやっても金太郎飴のシャイダーが、唯一毛色の違う役に挑戦したのが、この「オール・ザット・ジャズ」なんだよ。何せショービジネスに生きる男だ。職務に忠実なんて硬質な律儀さとは無縁で、ひたすらナンパでいいかげん。この男がミュージカルの舞台の練習を行いながら自らの監督した映画の編集作業に没頭する様子が描かれるのがこの作品。酒、煙草、クスリ…と放蕩と不規則な生活を続け、女たちを愛し弄び頼り溺れる。だが最も大切なのは創作、自らが生きるショービジネスの世界。これって、まるっきり従来のシャイダーの役柄とは似ても似つかない役なんだよね。

ところでこの役って、振付師にして演出家で後年は映画監督としても高名を博していたというあたり、この映画の監督ボブ・フォッシーをどうしても彷彿としちゃうよね。ライザ・ミネリが歌手役でスターダムに躍り出た出世作「キャバレー」、ダスティン・ホフマンが反骨のスタンダップ・コメディアンを演じた「レニー・ブルース」、さらにはマリエル・ヘミングウェイが殺された悲劇の元プレイメイトを演じた遺作「スター80」に至るまで、一貫してショービジネスの光と影を扱った作品をつくり続けたフォッシー。実は珍しくヒゲなんかたくわえたこの映画でのシャイダーは、その容貌からしてフォッシーに酷似しているんだよ。完全に分身そのもの。映画そのものはフォッシーが大好きなフェデリコ・フェリーニの代表作「8 1/2」が元ネタなのは明らか(これに対して、あのウディ・アレンが自分流の「8 1/2」としてつくったのが「スターダスト・メモリー」。何と元ビートルズのポール・マッカートニーが稚拙な出来ではあるが自作の脚本でつくった映画「ヤァ!ブロードストリート」にすら、この「8 1/2」の強い影響が見られるんだから凄いよね)。言わばシャイダーは、「8 1/2」でのマルチェロ・マストロヤンニの役割を仰せつかったわけ。ましてこの作品、フォッシーが心臓発作で入院した後、自らの死を意識してつくりあげたところから考えて、彼の思い入れはひとしおだろう。だけど何でまたフォッシーは、シャイダーなんてイメージの違う役者をここに大胆に起用したんだろう?

シャイダーは女とタバコと酒と…この世の快楽を貪りつくしながら、身を削るようにしてショービズに自分の全てを捧げている。むせながらもくわえタバコという自分のスタイルを崩さないのは、彼なりのダンディズムだ。そしてどんなに疲れてても具合悪くなっても、朝の儀式は欠かさない。水に溶かしたアルカセルツァーを飲み干し、充血した目に目薬を垂らして、鏡に向かってポーズ。「さぁ、ショータイムだよ、みなさん!」

これが映画のところどころに挿入されるんだが、最初はまるでドリフの「8時だヨ!」みたいに元気一杯に宣言されている「ショータイム!」の台詞が、憂鬱や心配事に煩わされ、あるいは疲労や病気に蝕まれるうちに、だんだん弱々しくなったりフラついたりしてくる。それでもシャイダーはこの朝の儀式をやめない。こうなってくるとまるでヤセ我慢みたいだが、それでも儀式は続く。それがこの男のダンディズムだから。確かに傍から見ればどうということはないことだけど、本来ショービズそのものが大したものじゃない。そこに命をかけてこそ芸人ではないか。そんなシャイダー=フォッシーの生きざまは、まるでローリング・ストーンズのミック・ジャガーが、「イッツ・オンリー・ロックンロール、バット・アイ・ライク・イット!」と叫んだり、かのヒッチコックが頭デッカチに演技論振り回すイングリッド・バーグマンに「たかが映画じゃないか!」と言ったというエピソードを連想させる。「たかがショービズ」、だが「されど」…そこに命を賭けた男のささやかな意地とダンディズムがかい間見える。しかも、それを歯をむき出してスタローンみたいにムキになってやるんじゃなくて、鼻歌まじりのさりげなさで、だけど一歩も退かない断固たる態度でやるところが「粋」ってもんなんだね。ここでのシャイダーは、まさにその「粋」そのものだ。

 考えてみるとシャイダーってエンピツのような硬さとともに、警官やってもコワモテ一辺倒でないところってあるよね。ハックマン=ポパイの相棒とか、海水浴場のパトロールでヒマこいてるというような、ちょっと肩の力が抜けたようなところ。それを普通人の感覚と見るか、人の良さと見るか…見る人によって受け取り方は異なるだろうけど、確かにそんな力の抜け方を感じる。職務に忠実な硬派ぶりとほど良い力の抜け方と…そんなシャイダーの個性が、毅然としたダンディズムと肩の力を抜いた「粋」さかげんに見えると読んだ、フォッシーの演出家としてのカンは素晴しかった。

死を前にした関係者一同招いてのワンマンショーの場面は、歌って踊ってシャイダー一世一代の名演技。例えその後売れなくなっても、この作品ある限りあなたの存在は不滅です!

 

 

「2010年」 2010 (1984)

世の中にはやっちゃいけない事ってあるけれど、映画ならさしずめ「2001年宇宙の旅」の続編とかリメイクあたりは、手を出したらロクなことにならない企画の最たるものだろうね。しかし、この作品の監督ピーター・ハイアムズは、勇ましくもそこに手を出した。結果はどうだったって? 僕はこの映画けっこう好きなんだよ。映画史上の傑作かもしれないが何だかとりつくシマのないような「2001年」に対して、こっちは人なつっこくて分かりやすくて楽しい。何しろ人間臭いところが好ましいじゃあないか。

まぁピーター・ハイアムズって人、元々芸術家肌なんかじゃさらさらなくて、どっちかと言えば娯楽映画の職人。この人のフィルモグラフィーを数え上げても、「カプリコン1」「アウトランド」「ハノーバー・ストリート/哀愁の街角」「シカゴ・コネクション/夢みて走れ」「タイム・コップ」…とまぁ、大傑作でも超話題作でもないけど、何とも愛すべき作品群がゴロゴロ。最低限でも入場料のぶんだけはキッチリ楽しませてくれる貴重なエンターテイナーなんだよね。そしてこの人の映画の好ましいところはサービス精神旺盛な点だけでなくて、気取りやご立派なところがなくてさりげないところ。登場人物の愛すべき人間臭さかな。この人の映画にはスーパーヒーロー、ダーティーヒーローの類はまるっきり出てこない。その代わりいつも僕らと目の高さの同じような普通の人が出てきて、アクションしたり危機に身を投じたりする。だからハラハラドキドキするし共感するんだね。

この「2010年」も見る者を楽しませてくれるし、どこか人間臭い。そんなこの作品の人間臭さの部分を代表しているのが、主演のシャイダーの起用ではないかな。

前作にも登場していた、ディスカバリー号探査計画の中心人物フロイド博士が、ここでのロイ・シャイダーの役どころ。前作に出演していた役者に蹴られたのか、もっと知名度の高い役者にしようということになったのか、ともかくシャイダーの登場となったわけ。でも、2010年になっても科学者役でも、シャイダーの持ち味は変わらない。職務に忠実で硬いイメージなれど、どこか肩の力の抜けたような普通ぶりがチラつくのだ。

冒頭、巨大なパラボラ・アンテナに上ってなにやら作業中のシャイダーを訪ねてくるソ連(この当時、まだ2010年までソ連は健在だと思われていた!)の科学者。このアンテナの上と下とのやりとりが、また何ともスッとぼけてて可笑しい。木星周辺で遭難したままのディスカバリー号の軌道に異常が起きたと知り、何とかこのディスカバリー号まで行って調査したいと政府に働きかけるシャイダー。実はアメリカは木星へ新たな宇宙船を飛ばそうと計画していた。ディスカバリー号に起きている異変が、この新たな宇宙船に悪い影響を与えるかもしれない。そこで先行して出発するソ連宇宙船に同乗させてもらって、このディスカバリー号を調査しに行こうというのだ。

 ただ、一つだけ問題があった。2010年には米ソ両大国の関係が悪化の一途を辿っていて、今にも一触即発状態。そんな中で行う共同作業は先行きの不安を常に抱えていた。何とかソ連船へのシャイダー以下アメリカ・スタッフ同乗は実現出来たものの、ヘレン・ミレン船長以下ソ連クルーとは何だかんだとギクシャク。しかも地球では、両国関係が最悪の状態になろうとしていた…。

 あの深い思索と宇宙の深淵を思わせる前作に対して、今度の作品は物語だけ見ても分かる通り、思いきりシャバっけたっぷりなお話になっているんだよね。だから、解釈に困るような場面や描写も出て来ようがない。どれもこれも明快。分かりやすくてとっつきやすい、ハイアムズ印がバッチリ刻印されているわけ。

 シャイダーも宇宙のプロとしてソツなく行動。だが、この映画全編を通じて印象に残るところと言えば、宇宙船の中で緊張が続くやりとりの中、ちょっとした安らぎの時にポツリと地球を思ってつぶやくこの一言なんだよね。

 「ヤンキー・スタジアムで食うホットドッグ、あれがまた最高にうまいんだよねぇ」

 場所は地球から遠く離れた木星周辺の軌道上、その地球上では米ソにらみ合って最終戦争が起きるかという人類絶滅の危機がかかった絶対絶命の状況下、こちらの宇宙クルーにも不穏な雰囲気が漂うその真っただ中で、つい何の気なしにヤンキー・スタジアムのホットドッグのうまさを語ってしまう男、それがロイ・シャイダーなんだよね。それもフォアグラやキャビアじゃない、パスタでもエスカルゴでもない、サーロイン・ステーキやビーフ・ストロガノフでもない、どこかの気取ったエスニック料理でもない。ヤンキー・スタジアムのホットドッグ。ここらあたりの肩の力の抜け方が嬉しいじゃないか。こういう男が一人でも増えれば、バカな戦争なんて起こす奴もいなくなるだろう。この肩の力の抜け方、我々も大いに見習いたいもんだよね。

 

 

 

 

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