古代史劇とブラピとペーターゼン
ミスマッチ超大作「トロイ」の周辺

"TROY", the Mismatched Spectacle


 

 

成功のカギはもう一人のミスマッチ

 

 実はこの「トロイ」というスペクタクル史劇、今までさんざブラピがミスマッチ、ペーターゼンがミスマッチ…と騒いで来たが、ここでもう一人ミスマッチな人物を挙げねばならない。それは脚本を手がけたデビッド・ベニオフだ。この男がどうしてミスマッチかと言えば、それは前作を見ればハッキリしてくる。この「トロイ」は彼の脚本二作目。一作目は何とスパイク・リー監督の「25時」だ。これを知ってミスマッチだと思わない人はいまい。

 憎しみや諍いが、人間をどれほど不幸へと追い込んでしまうか…それを実にアクチュアルに、そしてパーソナルな規模で描き出したデビッド・ベニオフ。その作品が、スパイク・リーというインディペンデント魂溢れる映画作家によって映画化されるのは実に道理に適っている。だがそれって、大スケールで商業大作で大スターが出て特殊効果も満載、文献資料さえ乏しい古代の話、登場人物は敵味方合わせて多数多彩…という「トロイ」とは、あまりに対照的ではないか。

 ところがベニオフが「トロイ」でやっている事は、実は「25時」とはそれほど変わらない。

 この「トロイ」を見ると、いくら映画を時事的に見たくないと思っていても、イヤというほど昨今の戦争やら争いの愚行について連想せざるを得ない。何か口実をつくっては侵略戦争を引き起こす手口、自己を過大評価し過ぎたり大本営発表的に発想したおかげでエスカレートする戦禍、調子に乗っての見込み違いが引き起こす自滅、一握りの地位の高い連中の野望が引き起こす下々の悲劇、宗教の政治への介入が引き起こす過ち、そして憎悪が引き起こす復讐の応酬…。

 特に興味深いのは、調子こいてオトゥール王に進言を繰り返す太陽神の神官たちで、こいつらと来たひには何の根拠もなしに強気の発言を繰り返して戦況をエスカレートさせる。あげくトロイの木馬を引き入れるのもこいつらだ。映画はハッキリと宗教人の罪を指摘する。確かに昨今のいろいろを見ると、そう言われても仕方ないよねぇ。どこかの国も大いに気を付けたいものだ。

 そして憎悪が憎悪を生むというプロセスの忌まわしさ。ちょっとしたボタンのかけ違いからエリック・バナが殺したくもないブラピの従兄弟を殺害。それがブラピの止められない激怒の引き金を引いてしまう。いささか見当はずれの怒りと分かっていても、もはやどうしようもない。さらにはそれがラストのオーランド・ブルームによるブラピ殺害を引き起こす皮肉。暴力が生む無意味な暴力の連鎖。

 つまりはベニオフは「25時」で描いている事を、この対照的なビッグ・バジェット作品「トロイ」でもやろうとしているのだ。しかもこの作品でそれを描く事は、そんな憎しみや諍いの輪が、人類太古の昔から現在に至るまで、まったく変わらずに受け継がれてきた…と告げるに等しい。

 確かに改めて見てみると、「トロイ」には戦争で考え得るありとあらゆる災いや過ち、愚かさや忌まわしさが詰め込まれている。冒頭の戦いの引き金こそ少々イマドキの目で見るとアホらしくて違和感あるかもしれないが、だからこそ脚本はアッという間に本題に入って、権謀術数やら軍事力やらといった普遍的な「戦争」の真っ直中に突っ込んでいく。またそんなアホな冒頭部分だって、いつの世もどこの国でも戦争なんてモノはアホらしい理由で始まるものだ…って事の、一種の暗喩になっているのかもしれない。

 だから最後にトロイの焼け跡が出てきた時、観客の胸に残る感慨は…果てしない徒労、とめどもない愚行そのものだ。

 これこそが、ペーターゼンの「U・ボート」にもあった感覚ではないか。

 しかも今回は、主役のスター=ブラピに至るまで、観客にとっては絶対生き残ると安心できない(というか、ブラピはアキレス役として死ぬ運命にある)。そこへリアルな戦闘、リアルな剣術だから、見ている側はボケっと見れずに常に緊張と恐怖を感じる。そういやトロイの海岸にブラピたちの軍船が着いたあたりなんか、ちょっと「プライベート・ライアン」のノルマンディ上陸シーンを彷彿とさせるほどではないか。ともかく安心して見てられない緊張溢れる映画なのだ。これだって、いつやられるかいつやられるか…と、イヤというほどハラハラさせられた「U・ボート」と共通するテイストではないか。

 もちろん今となってはペーターゼンが反戦映画の作り手とか厭戦的な考えの持ち主とか、そんなシラジラしい事は言うまい。何せ「エアフォース・ワン」をつくった人物だ。そんな事はこれっぽっちも思ってはいまい。メッセージ性など、この人に望むのは酷というものだ。

 だがペーターゼン映画の最良の部分を発揮するには、おそらく圧倒的な負け戦、登場人物が死にそうでやられそうな絶望的状況、そんな苦心惨憺・奮闘努力の果てに最後に待っている徒労感…みたいなシチュエーションが必要なのではないか?

 正直言ってこの「トロイ」、物語として成功かどうかと言うと苦しいところもある。まずは元々が言い伝えや神話伝説のたぐいの人物を、リアリズム主体の現代的描写の中に放り込むのは無理がある。これは稲垣浩監督の日本誕生感想文にも書いた事だが、現代人にとっては、何とも納得しかねる合理的でない言動が目立つのだ。昔話の中の人間を、原題のリアリズムで語ろうとすると無理がある。これはいくら脚色の妙を効かせても、消化しきれなかったようだ。

 例えば元々の事の発端となって、多くの人々が死んでトロイの街も焼け落ちる事態を引き起こしたオーランド・ブルームとダイアン・クルーガーを見れば分かる。例えどんな理由があろうとも、このお騒がせカップルが何だかんだ言っても最後まで無傷で生き残るあたりは、納得できかねる人も多いんじゃないか。

 あるいは、どう考えても理不尽で無茶なブラピのエリック・バナ王子への怒り。しかもその後、王のピーター・オトゥールと会話を交わすことで、その人柄にすっかり感服するブラピ。なのに、なぜか巨大木馬に忍び込んでトロイ壊滅に手を貸すこの男の不可解さ。いくらトロイ壊滅は不可避で、愛する女を救うためにトロイに潜入しなければならなかったとは言え、見る者は全然釈然としないと思うんだよね。ブラピがことさらに戦うだけが能の筋肉バカに見えたのも、このへんの理由からだろう(笑)。脚本上はそういう無理も多い。

 その上であえて言うなら、正直言って「いつやられる、いつやられる」…のハラハラも「U・ボート」のエッジの尖ったサスペンスとは比べものにはならない。あれを彷彿とはさせるけど、あれに及ぶとまではいかないだろう。

 だけど映画として…絶望的な戦い、いつ誰が死んでもおかしくない緊迫、最後に広がる徒労感…という器を手に入れた事で、ペーターゼンは本来のこの人ならではの持ち味を活かせた。それが僕にこの映画について、「U・ボート」と共通するテイストと思わせた部分だったんだろうと思う。

 だとしたら「トロイ」はペーターゼンにとって、「パーフェクト・ストーム」に次いでの原点復帰の作品とは言えないだろうか?

 最後に出てくるトロイの燃え残った廃墟…その空しさこそ、「U・ボート」に充満していたペーターゼン・テイストなんだからね。

 

 


 

 

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