古代史劇とブラピとペーターゼン
ミスマッチ超大作「トロイ」の周辺

"TROY", the Mismatched Spectacle


 

 

剣と血と汗のスペクタクル古代史劇の世界

 

ハリウッド伝統のジャンルとして

 古代史劇…。それは映画好きなら一度は目にするジャンル。かつてはハリウッド映画の一ジャンルであり、欠くことの出来ない大作の宝庫だった。古代史劇と言えばスペクタクル超大作と同意語のような、切っても切れない作品群だった。そんなの知らないとうそぶく人でも、「十戒」や「ベン・ハー」の題名を告げれば知らないはずもない。ハリウッドならではの物量と技術を見せつける分野…それが古代史劇というジャンルなのだ。

 なお、ここで語られるスペクタクル古代史劇とは、あくまでハリウッド資本によりつくられた歴史劇映画であり、その舞台背景は紀元前からキリスト処刑前後、乱暴なくくりだがギリシャ・ローマの時代だ。それって聖書や神話の時代ではあるが、あくまで過度に神がかったり超自然現象をメインにおかない歴史劇のスタイルをとるものに限る。したがって、ハリーハウゼンの「タイタンの戦い」(1981)などはここには含まない。架空の舞台であるアトランティス大陸の物語なども除外する。

 その起源は古く、実は映画創世記から間もなく存在していた。都合三度映画化されている「ベン・ハー」の最初のサイレント映画化(1907)もその一つだ。有名な例ではD.W.グリフィスの超大作「イントレランス」(1916)の「バビロン篇」「ユダヤ篇」がそれに該当するだろう。特に「バビロン篇」ではタヴィアーニ兄弟の「グッドモーニング・バビロン!」(1986)でも描かれていたように巨大セットが建設され、後のハリウッド製スペクタクル史劇の豪華さのはしりとなった。

 だがハリウッド古代史劇を発達させた人物と言えば、セシル・B・デミルかもしれない。ハリウッドの大物中の大物。ただし僕はデミル作品はわずかに数本しか見ていない。そのうちの一本「サムソンとデリラ」(1949)のクライマックス、当時の特殊技術の限界に挑んだ神殿の崩壊場面を見れば、古代史劇の醍醐味がお分かりいただけると思う。逃げまどう大群衆、崩れ落ちる巨大な大神殿…やはり何と言っても「怒涛の物量」なのだ。マーヴィン・ルロイ監督の「クォ・ヴァディス」(1951)にしたって、ロバート・テイラー、デボラ・カーの大芝居よりも暴君ネロが火を放ったローマの火災場面が命って感じだった。少なくとも子供の頃の僕は、火災シーンをワクワクして見てたもんだったよね。

 そんな風に、どちらかと言えば見せ物的興味が先に立つのがハリウッド古代史劇。だからこそスペクタクル映画のネタになるのだが、それは大型映画時代の到来を迎えていよいよ本格化してきた。20世紀フォックスのシネマスコープ第一作が、ヘンリー・コスター監督の「聖衣」(1953)だったのはそんな理由からだ。このあたりの事情は僕の太平洋戦争と姫ゆり部隊」感想文にも書いてあるが、大型映画時代の到来はテレビの普及による映画危機と密接につながりを持っていた。テレビでタダで映像作品が見れる時代になって、映画はスクリーンでしか見れないもの…を売り物に活路を見出そうとしていたのだ。こうしてシネマスコープ、70ミリ、シネラマ…と大スクリーンによる大作映画が続々登場。その格好の素材として古代史劇が取り上げられる事になったわけだ。当然ハリウッドの目玉作品だから名匠監督も続々参戦。こうしてハワード・ホークス「ピラミッド」(1955)、デミル自身による「十戒」リメイク版(1956)、ウィリアム・ワイラー「ベン・ハー」リメイク版(1959)などが次々つくられた。こうした傾向はその後も続き、異色監督たちも挑戦。スタンリー・キューブリック「スパルタカス」(1960)…ただし後年キューブリックはこの作品を自作から除外扱い…、ニコラス・レイ「キング・オブ・キングス」(1961)も登場。聖書やギリシャ・ローマ神話などのネタもほとんどむさぼり尽くされた。

 しかし史劇の絶頂期もそういつまでもは続かなかった。主演のエリザベス・テイラーリチャード・バートンのスキャンダルで話題をまいた「クレオパトラ」(1963)が莫大な制作費を費やすハメになり、20世紀フォックスの屋台骨を揺るがす。それがキッカケとなってハリウッドの大作志向にも徐々に翳りが見え始めたのは、ワイルド・パーティー」感想文に取り上げた通りだ。

 

残照のスペクタクル史劇大作

 それでもまだしばらくは大作主義は続いた。ソフィア・ローレン以下豪華メンバーによる「ローマ帝国の滅亡」(1964)、ジョージ・スティーブンス監督の「偉大な生涯の物語」(1965)、ジョン・ヒューストン監督の「天地創造」(1966)あたりが、その最末期と言えるだろうか。しかし「偉大な生涯の物語」におけるジョン・ウェインやシドニー・ポアチエなどの豪華ハリウッド・スターの中に、キリスト役としてベルイマン映画のスウェーデン名優マックス・フォン・シドーが起用されているあたり、さらに「天地創造」のプロデュースがイタリアのディノ・デラウレンティスによるものである事なども含め、この時期のハリウッドはすでに変質してかつての面影はなかった。

 それはミスター・スペクタクル映画とも言える「史劇の帝王」チャールトン・ヘストンの、この時期の動向を見ればよく分かる。ここまで挙げた中で「十戒」「ベン・ハー」「偉大な生涯の物語」あたりがヘストン出演作だが、文字どおり大型映画時代のハリウッドを支えたのが彼だった。ところが頼みの大型映画が低迷しだすと居場所がなくなり、何とか異色SF「猿の惑星」(1968)で活路を見出したのが1960年代の終わり。一息入れたヘストンは再び史劇を復活させようと「ジュリアス・シーザー」(1969)、「アントニーとクレオパトラ」(1971)に主演。後者では監督まで兼任する大車輪ぶりだったが、すでにヘストンにもこれをスペクタクル大作として製作する余力はなかった。結局、内容も結果も地味〜なものに終わった印象だったように思う。

 ハッキリ言って時代が変わった。キリスト教やモラルをそのテーマに据える事の多い史劇は、もうすでに時代の気分からはずれていた。しかも映画会社には、これほどの大作をつくる余裕がなかった。それより何より、アメリカン・ニューシネマ以来めっきり現代的で日常的になった俳優たちに史劇を支えられる容貌がなかった。ダスティン・ホフマンやロバート・レッドフォードに、あるいはフェイ・ダナウェイに、スペクタクル史劇が似合うとは思えない。かくして滅びるべくしてスペクタクル史劇は滅んだ。それは西部劇やミュージカルや海賊映画が絶滅したのと同じ、映画産業と観客の体質の変化による滅亡だったのだ。

 さて、ここまでは「ベン・ハー」などごくわずかにリバイバルで見れた作品を除いて、すべてテレビで見た作品…しかも当然の事ながら、リアルタイムでは見れなかった作品の話をしてきた。これ以降は劇場で、リアルタイムで見ることのできた作品の話になる。

 絶滅したスペクタクル古代史劇は、形を変えて時折細々とつくられる事もあった。例えば「ペントハウス」オーナーのボブ・グッチョーネがつくったポルノまがいの大作映画「カリギュラ」(1980)などは、何だかんだ言ってもしっかりした美術や衣装のカネのかけ方から見て、往年の史劇大作の直系にあるだろう。

 メル・ブルックスの「珍説世界史PART I」(1981)の「ローマ篇」も、バカバカしいパロディながらも史劇のお約束は意外と本格的に守っていた。

 ストレートなドラマとしての史劇はないのか…と言えば、わずかながらリチャード・ギア主演「キング・ダビデ/愛と闘いの伝説」(1985)があるのみ。しかしこれも、「スペクタクル」の派手さや華には欠けていた。

 もうこのままスペクタクル史劇映画はなくなってしまうのか? 少なくとも、僕はそう思っていたんだよね。変化球的な作品は登場するだろうが、もう本格的な意味でのスペクタクル史劇映画は現れまい。

 そんな時に忽然と現れたのだ、あの「グラディエーター」(2000)が。

 

史劇には欠かせないイギリス名優たち

 さてここで唐突ではあるが、ちょっと変わった角度からスペクタクル古代史劇を眺めてみたい。それは、古代史劇を彩って来たイギリス名優…という視点だ。

 そういえばこの夏(2004年)も「ハリー・ポッター」の新作が公開されるようだが、またまた新たな顔ぶれが加わるようだ。何と今度はあのゲイリー・オールドマンを筆頭に、エマ・トンプソン、ジュリー・クリスティー…要は元々がイギリスの物語なだけに、このシリーズって英国名優のショーケースみたいになってるんだよね。あと出てないのはクリストファー・リーとかショーン・コネリーとかヒュー・グラントか。キーラ・ナイトレイは近いうちにこのシリーズに出てくるよ。誓ってもいい(笑)。

 で、実はここでとりあげたスペクタクル史劇の世界も、イギリス名優が欠かせないジャンルなのだ。必ずと言っていいほど出てくる。それも実にオイシイ役どころでだ。

 例えば、前述した作品を見てみれば分かる。「サムソンとデリラ」には、ヴィクター・マチュアなどと共にアンジェラ・ランズベリーが出演。この人ってアガサ・クリスティー原作「クリスタル殺人事件」(1980)で、ミス・マープルを演じてたオバサンと聞けば分かる方もいるかもしれない。さらに「クォ・ヴァディス」では暴君ネロにピーター・ユスティノフ。こちらは「ナイル殺人事件」(1978)、「地中海殺人事件」(1982)のエルキュール・ポワロ役だ。別にクリスティーものと史劇とは何の関係もないけどね(笑)。

 「聖衣」は主役リチャード・バートンからしてイギリス人で、他にもジーン・シモンズが出ていた。ホークスの「ピラミッド」には「戦場にかける橋」(1957)にも出ていたジャック・ホーキンスジョーン・コリンズ「ベン・ハー」には再びジャック・ホーキンスが出演し、「スパルタカス」には御大ローレンス・オリヴィエをはじめチャールズ・ロートン、ジーン・シモンズ、ピーター・ユスティノフ…と大挙出演だ。「ローマ帝国の滅亡」アレック・ギネス、ジェームズ・メイソン、メル・ファーラー、アンソニー・クエイル…と大勢が出演。「天地創造」リチャード・ハリス、ピーター・オトゥール…とまぁ、イギリス名優が出てない史劇を探す方が難しい。

 これはイギリスのシェイクスピア劇に「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」などがあり、史劇と言えばイギリス…というイメージが生まれたのかもしれない。ともかくこの手の映画では、ドラマの中心で必ずイギリス名優がトーガを着たり甲冑に身を固めたりして顔を見せているのだ。

 これはスペクタクル史劇の伝統が死滅した後の変則的な作品でも律儀に踏襲されていて、例えばポルノ史劇「カリギュラ」などは主演マルコム・マクダウェルを中心に、ピーター・オトゥール、ジョン・ギールグッド、ヘレン・ミレン…と重鎮がズラリ勢揃い。メル・ブルックスのパロディ版「珍説世界史PART I」においても、ちゃんとジョン・ハートが特別出演して箔を付けているのだ。どんな変則ワザであっても、いや…逆に変則ワザであればあるほど、史劇へのお墨付きとしてのイギリス名優が欲しいというところなのだろうか。

 

「グラディエーター」と新たな古代史劇

 さて…ここまで見てきて、例の「グラディエーター」だ。

 なぜに今リドリー・スコットがこの題材を…と言いたくはなるが、史劇としての器は完璧。天国から地獄へと落ちる男の壮絶な戦いというテーマも、スケールのでかい史劇にはピッタリだ。

 しかも…さすがにリドリー・スコット、肝心要なところを忘れていない。ちゃ〜んとドラマの中心に、イギリス名優を置いてあるじゃないか。リチャード・ハリス、オリバー・リード、デビッド・ヘミングスというシブい面々。特にオリバー・リードは近年ロクな仕事をしていなかったが、この映画で久々にオイシイ味を出せた。この映画が遺作になったという事は、彼のためにも喜ばしいと思うよ。

 考えてみれば世はCG時代に入って、何も画面に出せないモノはないという状況になった。ならば今こそスペクタクル大作を…というのは方法論としては正しい。なぜに今…じゃなくて、今だからこそ…というところはあるね。

 だが、何よりもこの時点で再びスペクタクル史劇をつくろうと思った最大の理由は、ラッセル・クロウを主役に得られたって事じゃないか。

 このボリューム感、野生味、男くささ、そしていい意味での純朴性…それらは昨今のハリウッド・スターからは失われたものだ。これが主役になければシラケてしまう。

 またよく考えてみれば、オーストラリア人クロウはある意味でイギリス名優たちと同じ扱いなのかもしれない。確かにここでのクロウは、史劇に出た時のリチャード・バートンあたりと雰囲気が酷似している。オーストラリアという、旧大英帝国の一員の匂いがどこか漂っているのだ。

 ともかくラッセル・クロウという俳優が存在したからこそ、「グラディエーター」も実現したと言える。これは掛け値なしに本当だ。

 そして「グラディエーター」が刺激になったのか、長くを待たずに、またまた古代史劇の新作がやってきた。片やメル・ギブソンが監督に集中、痛さで物議を醸して大ヒットの「パッション」(2003)。もう片方が、今回ここで取り上げる「トロイ」(2004)だ。

 そのうち「パッション」は延々拷問場面をリアリズムで見せるという異色作らしいが、「トロイ」の方は100パーセント往年のスペクタクル史劇の伝統を感じさせる作品だ。「グラディエーター」で拓かれたCG時代のスペクタクル史劇という方向性は、この「トロイ」で完全に突き詰められた感がある。予告編でお馴染み大海原を埋め尽くす軍船のショットではないが、あれくらいやってこそわざわざCGを使う意味もあるというものだ。

 もちろんCGではどうもダメで、合成とミニチュアの質感の方が…とかいう意見は必ず出るだろう。だがそれは感情論としては分からないでもないが、やはりここは往年のスペクタクルの現代的再生産の武器として積極的に見るべきだろう。

 おまけに「トロイ」もちゃんとイギリス名優のお約束も守っている。ジュリー・クリスティーピーター・オトゥール…1960年代のイギリス映画を支えた名優スター二人がバッチリ出てくる。やっぱりイギリス名優はカレーの福神漬け、ラーメンのナルトみたいなものなんだよね。

 ならばこれで完璧…と言いたいところだが、一つだけ問題がある。それは前にも語ったが、主役のブラッド・ピットだ。どう考えてもブラピと史劇がピンと来ない。まぁ他にも「ハルク」しか見てないエリック・バナはどうなのか?…とか、ダイアン・クルーガーって女は何者か?…とか気になる点もないではないが、後は何とかなりそうな雰囲気なんだよね。

 それだけに、この主役がブラピってのは気になる。考えてみれば、「グラディエーター」は明らかに主役がラッセル・クロウだからこそ成功した。それだけに、アキレス役のブラピがこの映画の「アキレス健」にならなきゃいいが(笑)…という、シャレにもならないムードが漂っていたんだよね。

 

 

 次ページへつづく

 To Be Continued...

 


 

 

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