「ふたりにクギづけ」

  Stuck on You

 (2004/12/20)


  

見る前の予想

 ボビーとピーターのファレリー兄弟の新作が、ヤケにひっそりとやって来た。主役はマット・デイモン、グレッグ・キニア。脇にもシェールなどを従えての華やかな顔ぶれ。なのに、何でかくも地味な公開のされ方…と思いきや、なるほど「結合双生児」…のお話とは。確かにファレリー兄弟らしい。そして、作品のこの扱いも何となく分からないでもない。

 愛しのローズマリーでもそうだったように、日頃「被差別者」側に回らされることの多い…あるいはそれさえもなしに「無視」されるようなキャラクターを主役にして、毒もたっぷり盛り込んでのコメディ。実際にハンディのある人々を役者としても起用したりしている彼らは、こうした姿勢を一貫させているのだろう。

 ただ…それはそれ、これはこれ。映画として面白いかどうかは別だ。僕はあくまで「愛しのローズマリー」の面白さと今回の作品の豪華な顔ぶれに惹かれて、この作品を見ることにした訳なんだよね。

 

あらすじ

 ここはマサチューセッツ州マーサズ・ヴィニヤード島。島の住人に愛されている、しがないハンバーガー店がある。店の「売り」は3分間以内に注文の品を出せなければタダ…というシステム。今日もそれを逆手にとってアレコレ無茶な注文を出すお客に、素早く合理的な身のこなしで注文に応える店のコック兼経営者…それがマット・デイモンとグレッグ・キニアの兄弟だ。実はこの二人、腰の部分でつながった「結合双生児」。だが日常の暮らしにはまったく不自由しない。不自由しないどころか、そんなハンディをモノともせず、むしろ有効に活用している二人。フットボールも野球もボクシングもアイスホッケーも…何でもござれの積極派で、島でも一目置かれて愛される存在だった。

 ただし「積極派」とは言え、それがプライベートでもそうかと言えばさにあらず。確かに兄のキニアは俳優志望で積極派。知らない女性にも堂々と声をかけて、この身体にも関わらずキッチリとモノにする押しの強さだ。だが弟デイモンの方はと言えば、女の子に声をかけるなんてトンデモない。遠く離れたロサンゼルスの中国系の女の子と、3年間もメールのやりとりだけで付き合ってるプラトニックな奴だ。

 役者志望のキニアは年に一回自作の舞台に立って、島の仲間たちの前で晴れの姿を見せる。だが「結合双生児」だからして、デイモンも「黒子」よろしく舞台に上がらねばならない。そのつどひどいアガリ症で汗ダラダラ。舞台のことを考えるたび、ショック症状を起こすほど気が小さいデイモンではあった。

 だが、キニアはもう島の舞台だけでは飽き足らなくなった。そこで彼が提案したのが「ハリウッド行き」。これには、さすがのデイモンも反対。いくら何でも無謀だと抵抗を示す。

 だが…兄弟は昔、もう二人が離れられないと確信した時に、ある「誓い」を立てた。

 「決して相手の成功を阻まないこと」

 一つの肝臓を共有しているため切り離せない、仮に切り離すとデイモンは無事でもキニアは五分五分の生存率でしかない…という二人は、今までずっとこの「誓い」を守ってきたのだ。そして自らの身体の事で引け目を感じることなど、兄弟は今まで一度もしたことがなかった。ならばハリウッドへの挑戦だってアリだろう。かくして「三ヶ月やってダメなら戻る」ことを条件に、兄弟の挑戦が始まった。

 早速ロサンゼルスへやって来た兄弟は、とあるひなびたアパートを借りる。そこでやはり役者志望のナイスバディお姉ちゃんエヴァ・メンデスと知り合い、早くも兄キニアは彼女といい感じだ。これは幸先いいのかも?

 ところが世の中そんなに甘くはない。案の定、どこへ回ってもオーディションにならない。ことごとく蹴られたキニアは、さすがに落ち込んで諦めかかる。だがそうなると今度はデイモンが奮起、「諦めるのは早い」とキニアを励ますのだった。

 やっぱりこの街でやっていくにはエージェントが要る…とばかり、ナイスバディのメンデスの元エージェントのシーモア・カッセルを訪ねる二人。実はもうすでに引退して老人ホームにシケ込む詐欺師同然の男で、メンデスも「最低」とケナしていたのだが、この際背にハラは替えられない。すると…早速キニアに仕事が舞い込んできたから驚いた。

 一方キニアはデイモンが眠っている間に電話して、あのメル友の女の子を呼びだしてしまう。これには慌てふためきパニック症状のデイモン。何しろデイモンは、彼女に二人の身体の秘密を隠していたのだ。さすがにこれはマズイ…と察したキニアは、デイモンと一緒にアパートを逃げ出そうとする。だが一足遅く問題のメル友の女の子ウェン・ヤン・シーに見つかってしまった。万事窮す。こうなったらギコチなかろうが何だろうが、このまま乗り切るしかない。

 ドライブスルーのハンバーガー屋やらドライブインシアターやら…と、クルマに乗ったままでごまかす二人。だが気の利いた事もロクにしゃべれないデイモンは、アガりにアガってしどろもどろ。おまけに女の子ウェン・ヤン・シーの方も、そんなに社交的な方ではないらしい。どうにも盛り上がらない雰囲気の中、突然ウェン・ヤン・シーがパニック症状を起こすではないか。これには驚くと共に親しみを抱くデイモン。こうして二人は一気にうち解け、キニアの協力もあって何とか初デートを切り抜けた

 さて翌日、キニアの初仕事の日。颯爽とスタジオに赴く二人は、間違ってある建物へと迷い込む。そこではあの大スターのシェールが、何やらマネージャーと言い争っているではないか。シェールご本人の機嫌は芳しくなかったものの、さすがハリウッドと興奮の二人。そして今度は間違いなく目的地へと向かったところ…肝心の「初仕事」がマズかった。

 何と仕事はポルノ映画への出演…それもゲテモノとしての扱いでしかなかった。早速夢破れて意気消沈の二人。

 ところがスタジオを立ち去ろうとした二人に…あのシェールその人が親しげに近づいて来るではないか! しかも彼女は、事もあろうにキニアに「共演者になってくれ」…と頼み込む。あまりに夢のような話に、二人は天にも上る思いだった。

 だが当然の事ながら、これにはそれなりの訳があった。シェールは契約に縛られて望んでないテレビ・シリーズへの出演を強いられ、そこでマネージャーと言い争っていたのだ。だが出演しなければ違約金を取られてしまう。何とかテレビから逃げる方法は…テレビ局側が番組をキャンセルするしかない。都合のいい事に、シェールは共演者を選ぶ権利を持っていた。そこで彼女はテレビ局側としては扱いに苦しむキニア(とデイモン)を共演者に起用することで、何とかテレビ局側に番組をキャンセルさせようと目論んだわけ。

 ところがテレビ局側もそうは問屋が卸さない。キニア共演でもいいから、何とか番組を強行させようとする。かくなる上は、どうにかして画面上からデイモンをカットするしかない!

 こうして…何とも苦しい展開ながら、テレビシリーズの撮影が始まった。だがちょっと動くとデイモンが写ってしまうため、撮影は困難を極める。そのうちヘタクソな脚本に対してデイモンが何の気なしにアイディアを提案した事から、彼が脚本を書くことになってしまった。これならさすがに番組も暗礁に乗り上げる…とシェールがほくそ笑んでいたのもつかの間…。

 何とこの番組が大当たりしてしまうではないか!

 キニアはたちまち人気爆発。デイモンの脚本も批評家のウケがいい。これにはシェールも目算が狂ってガックリだ。

 だが好事魔多し。突然アパートを訪れたウェン・ヤン・シーに、兄弟の秘密がバレてしまう。突然の事にショックを受けた彼女は、デイモンの前から姿を消してしまった

 それだけではない。二人が「結合双生児」だというウワサが巷に流れ、番組からスポンサーが続々降り始めたのだ。このままではテレビ局も番組をうち切らざるを得ない。兄弟の「エージェント」カッセルは徹底的にシラを切れと二人に言い張るが、メンデスは二人にまったく別の提案をした。

 さて、この危機を突破するために二人が取った作戦とは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 この映画を評して、やれ「弱者への視点」がどうのとか、やれ「勇気ある行為」だとかって言うのは…正直言って僕は苦手だ。そのあたりの事は、すでに「愛しのローズマリー」感想文でイヤというほど語っているので、そっちを読んでいただくしかないな。

 そういう観点だけで映画を見るのは、おそらく僕じゃなくて他の誰かの得意分野だろう。僕はそういう事にはさほど関心がない。というより、そういう見方をあまりしたくはない。だから今回は、あえてこの映画の持つ面白さ…にだけ重点を置いて語りたい。

 まずは感心したのは、この映画って基本的にアメリカ映画のコメディの王道に極めて忠実な作品なんだよね。もちろん今までだってそうだった。描いている題材が題材だったり、「メリーに首ったけ」みたいに描き方がエグかったりはしたものの、根本的に描きたい事だったり描くための語り口だったりは実にオーソドックス。極めて昔ながらの伝統的なシロモノなのだ。

 特に今回、純朴な理想主義をうたいあげるフランク・キャプラの作風を踏襲しているのは、注目に値する。

 よくよく見てみると、基本構造がキャプラ作品そのもの。地方の純朴な人々の中で、ナイーブに善意を持って暮らしている主人公。彼らが先端の大都会に行くことからさまざまな軋轢やドラマが生まれる…という設定自体がそうではないか。この映画のマット・デイモンとグレッグ・キニアは、キャプラ作品のゲイリー・クーパーやジェームズ・スチュアートの役どころだ。

 つまり…「結合双生児、都へ行く」。

 ファレリー兄弟は明らかに、こうした自分たちの作品を「現代のキャプラ作品」と位置づけているのだ。確かに、ある意味での「理想主義」を語ろうとしているあたり、イマドキ社会でキャプラをやろうとしたらこうなるかもしれないね。実はカゲキと見えて、何よりもハリウッド保守本流というのが新しいではないか。

 あるいは今では大人しく見えるフランク・キャプラが、当時としてはかなりカゲキだった可能性もあるではないか。そう考えると、ファレリー兄弟がやりたい事もおぼろげながら分かる。往年のコメディの伝統、その語り口やノウハウの貴重な財産を今に活かしたとも言えるし…逆にキャプラ作品が本来持っていたパワーをイマドキ風に翻訳したのが本作とも言える。むしろ後者の方が近いのかもしれない。

 そう言えば、決して決して「健全」「良俗」を体現しているとは言えないコメディアン、オチャラケでもなく口当たりが甘ったるい訳でもないクセモノ映画人アダム・サンドラーが、キャプラの「オペラハット」Mr.ディーズとしてリメイクしたのも、何となく頷けてくるではないか。

 フランク・キャプラ…その本質は、今なお侮れないラジカルさにあるのかもしれない。

 

見た後の付け足し

 蛇足ではあるが…本作にはふんだんに既成曲が使われていて、それらがことごとくキマってる。一つひとつをいちいち挙げて云々する愚は避けるが、双子が「オズの魔法使」での有名な歌をうたいながら去っていくと、パッと画面変わってロサンゼルスへ向かう二人が映し出され…そこにシミジミとアンディ・ウィリアムスが歌う「ムーン・リバー」が流れる何ともゴキゲンな場面転換を見よ。他にもクラブでの大立ち回りにヴァン・マッコイのご機嫌なダンス・ナンバー「ハッスル」が鳴り響くあたりの爽快感。ファレリー兄弟の選曲センスは絶妙だ。

 そのあたりの楽しさを見たって、この映画を頭でっかちに見るのはもったいない…って気になるんだよね。

 

 

 

 

 

 to : Review 2004

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME