「Mr.インクレディブル」

  The Incredibles

 (2004/12/20)


  

今回のマクラ

 前にも何度か書いたけど、僕には高校時代から付き合っている友人たちがいる。彼らはそれぞれ結婚して子供もいるから、最近では顔を合わせる時にそこに嫁さん連中が加わる事も少なくない。彼女たちにしたって、すでに短くても10年近くの顔見知りになっちゃってるけどね。

 そして、これも何度も書いた事だけど…彼女たち嫁さん連中に言わせると、僕らの話題って十年一日のごとくまるで進歩していないらしいんだよね。

 それは「いつまでも少年のような心を持ち続けている」…などと言えば聞こえがいいが、当然そんなカッコイイ話ではない。実は僕らの間にまったく新しい話題が生まれないという事らしいのだ。毎度毎度顔を合わせれば昔あそこでどうした、ここでどうした…まるっきり後ろ向きな話ばっかり飽きもせず繰り返す。前にこの話題をどこかで書いた時には、僕も「それのどこが悪い」みたいに開き直って書いたものの、確かにそれはあまりホメられた事ではないよね。というか、むしろ少々情けない事だ。というのは、それからすでに何十年も経っているのに、その間新しく築いてきたものは何もないって事になるんだからね。少なくとも、僕らはここ何十年間を、まるで面白くなかったとは思っているはずだ。

 これが不思議な事に…女の場合はこうじゃないらしいのだ。なぜなら、嫁さん連中はみんながみんな新顔って訳じゃない。中には僕らが若かった頃からみんなを知っていて、それで結婚した人もいるというのに…なぜか彼女はそんな昔話を蒸し返したりはしない。「昔は良かった」とグダグダ言うのは、もっぱら男どもの専売特許だ。これって一体何なのだろう?

 若かった頃は楽しかったしハツラツとしていたのに、今じゃまるでパッとしていない

 僕ら男どもは、心のどこかでこんな日常にウンザリしちゃってるんじゃないだろうか? 若い頃は何かスゴい事やってやるとか、何か面白い事がありそうだとか、別に野心のない奴だって漠然とそんな気持ちがあっただろう。だけどそれから幾年月過ぎてみると、まるで良いことなんてありはしない。むしろ夢は萎んでいく。僕は結婚した訳じゃないから分からないが、もし妻がいたとしたら…彼女にその夢の萎みっぷりを見つめられながら過ぎていく何十年間だ。たまらないよねぇ。

 実は僕にも嫁さんをもらおうなんて、柄にもない事を考えた事がある。その時はほんの何年間だったけれども、傍らにいる女に見つめられながら自分の夢が萎んでいく過程…ってやつをちょっとばかり味わった。あの時の、変わり果て冷え切っていく女の態度は忘れられない。

 だからいつの頃からか、男たちは男たちだけで「良かった頃」の話をするようになる。同じ時代を共有してない奴にはどうせバカにされるだけ。ならばコッソリと気心の知れた「男だけ」で…。

 テレビをつけるとイマドキ「韓流」ブームとやらで、成田空港にヨン様目当てにオバチャン3000人とか、ヨン様の帰国に合わせて向こうに行っちゃったオバチャンがいるとか…まぁとんでもない話を毎日のように聞く。ダンナと離婚して、なけなしのカネで韓国旅行に行っちゃったとかいう話もある。無論、彼女たちには彼女たちなりの言い分もあるんだろう。自分たちの日常に「夢」が持てないから、それをヨン様に託したいのかもしれない。男どもが「夢」をくれないから韓国へ行ったという気持ちも分かる。それがビョン様でもウォンビン様でも同じかどうかは知らないが…とにかくそんな意味のコメントを、あのオバチャンたちの口からイヤと言うほど聞いたような気がする。…まぁ、それはそれで僕は反論しようという気にもならない。

 だけどひょっとしたら、自分たちの日常に「夢」が持てないってのは…こう言っちゃ何だがオバチャンの専売特許ではないんじゃないか?

 自分たちだけの「ヨン様」が必要だという点では…オッサンの方も負けてないかもしれないんだよね。

 

見る前の予想

 見る前から大いに期待させられ、それをほとんどと言っていいほど裏切らないって映画は、そうそうあるものじゃない。

 だがそんな奇跡的な事を、CGアニメーション制作会社のピクサーはずっとやり遂げている。

 「トイ・ストーリー」(1995)、トイ・ストーリー2(1999)の素晴らしさ。モンスターズ・インク(2001)だけはチトいただけないと思わされたが、ファインディング・ニモ(2003)ではまたまた感心させられた。毎度毎度よくもまぁやってくれるものだ…と、正直言って脱帽させられてる。

 何よりピクサーの作品の素晴らしい点は、その脚本にある。実はCGアニメとしての技術的な側面より、ストーリーテリングの強靱さの方がスゴイのだ。どれくらい素晴らしいのかと言えば、ほとんど毎回「ダイ・ハード」クラスの脚本の質を維持していると言えば、お分かりいただけるだろうか? つまり毎回毎回アメリカ映画のトップクラスの物語の質を保ち続けているのだ。これがいかに驚異的な事か…特に昨今、企画貧困の極みの状態を露呈しているハリウッドでは、この素晴らしさは突出していると言える。

 残念ながら「モンスターズ・インク」だけは中途半端に主人公を甘やかし、いささかガッカリさせられたが…このように辛口な事を言いたくなるのも、それほどピクサーの作品が毎回「大人の鑑賞に耐える」クオリティーを持っているからなのだ。もとい、ピクサー作品の本当の質の高さを味わい尽くすには、「大人でないと」理解出来ないくらいだ。高度なウィットとユーモア、人生の哀歓を描き込んだ脚本。これを常に…主に「子供向け」「ファミリー向け」に見せちゃってる事のスゴさは尋常ではない。

 しかも…アニメーションであること、それもCGアニメである事の「必然性」を常に作品に内在させている事。安易に作品をつくり過ぎる昨今の映画製作者たちとピクサーの違いは、まさにそこにある。CGアニメでないと出来ない、あるいはCGアニメでやってこそ効果的…な題材で勝負している。ひょっとしたら彼らは、やろうとしている題材がCGアニメに適さないと判断したら、実写でも何でもやるんじゃないだろうか? そう思うくらい、題材と表現、目的と手段という問題に自覚的だ。だからこそ、作品がいつも優れた出来映えを見せる。その点、ポーラー・エクスプレスと来たら…おっと、言わない言わない(笑)。

 そんなピクサーだから、もちろん今回だって期待した。今回はピクサーのCGアニメにして、初めて「人間」のドラマを描く…と聞いても、どこかのクリスマス映画みたいには(笑)心配なんかしていなかった。ピクサーの事だ、きっとちゃんとやってくれている事だろう。

 しかも、今回は直前にとんでもない事を聞いた。何と今回の作品は、アイアン・ジャイアント(1999)のブラッド・バード監督が手がけていると言うではないか。あれから何をやっているのかと思いきや、何とピクサーと手を組んでいたとは!

 これはもう見るしかないだろう。これを見ないなら、今年のアメリカ映画は語れなくなってしまうかもしれない。

 

あらすじ

 かつて、スーパー・ヒーローたちが世界狭しと活躍できた時代があった。中でもめざましい活躍を見せていたのは、その力と強靱さで抜きんでていたミスター・インクレディブル(クレイグ・T・ネルソン)。彼は伸縮自在の身体を持つスーパー・ヒーロー…もといヒロインのイラスティガール(ホリー・ハンター)など、さまざまな他のスーパーヒーローたちとしのぎを削りつつ、日夜人々の平和のために活躍していた。

 木の上に登ってしまったネコを助け出し、逃走中の犯罪者を取り押さえ、金庫破りの現場を押さえながら自殺者を助け出し列車事故を防ぐ…。時にちょっと休ませて欲しいと思う時もあるが、ヒーローの暮らしはそれなりに充実もしていた。ただ少々弱ってしまうのは、崇拝が高じて自らを「インクレディブル・ボーイ」などと自称する妙なガキがまとわりつく事。ハッキリ言って足手まといなこういうガキには、丁重にして断固としてお引き取り願う事にしている。本人は不満かもしれないが、言って分からなければ実力行使しかないだろう。

 ところが自殺志願者から「死にたかったのに助けられ、ケガをした」などとイチャモンがついてから、アレコレと次々ケチがつき始めた。助けてやった連中から何だかんだと訴訟の嵐。他のあまたいるスーパーヒーローたちも、次々と槍玉に挙げられていく。そんな高まるブーイングの中、ついには政府も乗り出した。それはスーパー・ヒーローとしての活動の禁止だ。さまざまな損害賠償を免除する代わり、ヒーローたちはその活動を封じられた。一般市民の中で、正体を隠して生きる事を強いられる事になったのだ。

 それから15年…。

 ミスター・インクレディブルは今はしがない保険会社の社員。保険料の支給が受けられず、困り果てたおばあさんを助ける事もままならない。そもそも保険屋は客がかけた金を出来るだけ払わぬようにするのが仕事。何のかんのとうまい事を言ってみても、本来が詐欺師同然のあこぎな商売だ。CFキャラにアヒルなんか出そうが何しようがダマされてはいけない。今日び「アメリカン」などと名前に付いていたら、なおさら用心するに越したことはないのだ(笑)。

 おっと閑話休題。ミスター・インクレディブルはそんな保険屋にダマされた人たちを見かねて、コッソリ解決法を教えてやったりする。だがそれが上司には気に入らない。正しいことをしても…正しいことをすればするほど、ネチネチいびられるのがオチだった。

 家に帰ってもユウウツは終わらない。イラスティガールを引退して今は彼の妻となったインクレディブル夫人から聞かされるのは、小学生の息子ダッシュの悪さの数々。だが彼には彼で不満がある。両親の並はずれたパワーを受け継いで足の速さはズバ抜けているのに、それを人前で披露する事が出来ない。学校の体育の時間もわざと負けねばならない。「ベストを尽くせ」などと日頃両親は言っているのに、これは理不尽ではないか。そう言われると、ミスター・インクレディブルもインクレディブル夫人も言い返す言葉がない。

 またお年頃の娘ヴァイオレットはと言えば、姿を消したりバリアを張ったりという特殊技能を持ちながら、そんな自分をどこか恥じていた。だから好きな男の子の前にも出られない。前髪をバサッと下ろした顔はネクラそのものだ。

 まだ赤ん坊の末っ子ジャック・ジャックこそ何の能力もいまだに発揮していないものの、ともかく2人の子供の力の持て余しぶりに、お母さんインクレディブル夫人も頭を痛めるばかり。

 だがそれを言うなら…ミスター・インクレディブル自身が最も問題の根が深いかもしれない。

 今夜も昔馴染みのフロゾン(サミュエル・L・ジャクソン)と共にツルんでは、昔話に花を咲かせる「後ろ向き」ぶり。よせばいいのに「ちょっとだけまたやってみないか?」…とヒーロー業に未練を見せる。コッソリ一仕事済ませて帰宅したミスター・インクレディブルを、苛立ったインクレディブル夫人が待ち構えていたのは言うまでもない。「いつまで昔の夢を追いかけてるの?」と小言を言われても、今の虚勢されたような暮らしには何の希望も持てない。そんなこんなですっかり煮詰まったミスター・インクレディブルだった。

 案の定、そんな溜まりに溜まった不満は大爆発。生意気な上司をブチのめし、てきめんに会社をクビになる。政府の担当者は新たな引っ越し先や職場を用意すると言ってくれるが、さすがに昨日の今日では妻にこの事を言い出せない。悶々とした気持ちでいたミスター・インクレディブルは、自分のカバンに見覚えのない小包が入っている事に気づく。開けてみると、それは不思議なパネルだった。開けると同時に作動し、画面に映像を映し出す。画面に出てきたのは、ミラージュ(エリザベス・ペーニャ)という女だ。

 このミラージュ、何と政府の特命を帯びていると言う。何でもある無人島で開発中だった、戦闘ロボットが暴走して手が付けられないと言う。そのため…何と「かつてのヒーローの力を借りたい」と言うのだ。それによって、政府の秘密任務に雇われる道も開ける。

 ちょうど収入を得るアテも失い、さりとて妻にもそれを言えない苦境の最中。これで自分の欲求不満も解消できるし、聞けば収入もグッと多いし…と一石二鳥三鳥の話ではないか。他の時ならいざ知らず、今のこの苦境ではもはや選択の余地はない。いても立ってもいられず、電話に飛びつくミスター・インクレディブルではあった。

 さてそうなったら、早速任務に出動だ。中年太り体型はいささか気にはなるが、懐かしのスーパースーツに身を包んで、ナゾの美女ミラージュと共に機上の人となるミスター・インクレディブル。問題の無人島上空へと来ると、ミスター・インクレディブルを乗せた着陸ポッドが投下された。

 さて…いたいた。問題の戦闘ロボットが。

 巨大なボール状の胴体から、タコのように自在に動く触手を伸ばしている奇妙なカタチ。この触手を四方八方に自在に動かすだけでなく、時には引っ込めて胴体でゴロゴロと転がる事も出来る。胴体の上部と下部にはセンサー部分が装備され、周囲を抜け目なく探知。さらに所構わず危険な怪光線を発射するからタチが悪い。だが一番タチが悪いのは、このロボットは戦うそばから「学習」していく事だ。自分が対戦した相手の戦法から何から、次々インプットしていく。つまり「戦えば戦うほど手強くなる」ロボットなのだ。

 案の定、久々の現場復帰ということもあって、なかなか調子が出ないミスター・インクレディブル。だが結局は戦闘ロボットを自滅に追い込み、見事勝利を収めるのあった。

 さらに往年の気分を蘇らせる出来事がもう一つ。今回の戦いで破れたスーパースーツを直すため、ミスター・インクレディブルはかつてスーツを頼んだ有名デザイナー、エドナ・モード(ブラッド・バード)の元へと足を運ぶ。エドナ・モードはあれ以来スーパーヒーローの衣装デザインが出来なくなり、彼女いわく「スーパーでも何でもないヤセっぽちでクソ生意気な」スーパーモデルのための、面白くもないデザインの仕事にくすぶっていた。そんな彼女だから、ミスター・インクレディブルからの頼みには思わず異常に興奮。単なる修繕で済ませるつもりが、新デザインのスーツ開発へと勝手に話が膨らんだ。そうなれば元々スーパーヒーロー稼業に未練たらたらだったミスター・インクレディブル、思いっ切り「その気」になるのは当然だ。

 久々のスーパーパワーの勝利の味、さらに思いもかけぬ高収入、さらにはナゾの美女ミラージュのミステリアスな魅力も何分の一か加わって…みるみるイキイキと生気が蘇っていくミスター・インクレディブル。彼は人知れず列車の操車場でハードなトレーニングを続け、中年太りを克服。クルマも新調し、服もあか抜けて、妻や子供にも自信に満ちて接するようになる。どよ〜んとした空気が流れていた家庭も、みるみる明るくなっていった…。

 明るくなったが…そうなればなったで、妻インクレディブル夫人はどうにも腑に落ちない

 元気になったのはいいとして、いささか元気になり過ぎだ。妙に身なりを整え出したのも気になる。そして、やけに張り切って「出張」に出かけだしたのは、いかなる理由によるものだろうか?

 そんなミスター・インクレディブルが、電話がかかってきたとたん慌てて受話器を取った。ここは女の第六感。気になったインクレディブル夫人は、気がとがめつつも親子電話で盗み聞き。すると相手は訳アリ風の女の声ではないか。しかもその直後、またしても「出張」に出ると言うミスター・インクレディブル。

 質問責めにしたいのはやまやま。だが、それをしたらオシマイ…。つらい女心をひた隠し、笑顔で夫を見送るインクレディブル夫人ではあった。

 そんな妻の気持ちなどつゆ知らず、またまた島への出動要請を受けてゴキゲンなミスター・インクレディブル。またヒーローとしての活躍の味を味わえる…と、ただただ喜んでいるから単純だ。だが…何やら様子が変だ?

 そこには…何とあの戦闘ロボットがさらに巨大化・パワーアップして待ち構えているではないか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 ここまでストーリーを書いてきてシミジミ感じたけど、これっておよそアニメ映画のお話じゃないみたいだ(笑)。少なくとも子供向けじゃない

 この映画のお話はみんな知っているだろうから、あえて展開がミステリアスになるあたりで打ち切った。そしたらアクション場面の見せ場に突入していく前で話が終わったから、なおさらそんな感じになっちゃったんだけどね。確かにスーパーヒーローだの戦闘ロボットだのって話は出てくるものの、お話の基本は全然違う。結構いいトシこいたオッサンとオバサンの、哀感漂う人生のお話。実際にそうとしか思えない。

 しかも…ミスター・インクレディブルの「男心」が、身につまされてしまうほどよく描かれているから心憎い。これってなかなか出来ないんだよ。イマドキの実写のアメリカ映画では、なかなかお目にかかれない光景だ。

 デザイナーのエドナ・モードとミスター・インクレディブルとの会話を発端に、最後の最後に至って悪役シンドローム(ジェーソン・リー)がらみで活きてくる巧みな「伏線」…特にそこからあぶり出されてくるものが「本作のテーマ」とも言えるだけに実に秀逸だが、ともかく定石を見事に活かしきった脚本がまたしても見事。いつもながらのピクサー作品の巧みな脚本に、ついついCGアニメとしての技術面を見逃すほど(笑)だが、今回はそっちの方もかなり目立つ出来映えだ。

 何しろ今回は初めての本格「アクション映画」だ。冒頭近くのミスター・インクレディブルが大都会で活躍するスペクタクル映像から、ナゾの無人島での冒険活劇、さらにエンディングでの大都会でのロボット大暴れのくだりまで…かなり見応えのある見せ場が連発。考えてみれば昨今の「実写」アクション映画だって見せ場はCGに頼っていたりするんだからね。むしろこっちが王道にさえ見えてくる。

 だから本来は「007シリーズ」のパロディじみた趣向の悪漢の秘密基地も、本家より盛大だったりする。特に驚いたのが今回の演出と編集の「アクション映画」「サスペンス映画」的な巧みさ。無人島で危機に遭遇しているミスター・インクレディブルのシークエンスと、インクレディブル夫人とエドナ・モードとの会話シークエンスとを巧みにカットバック。あるいはミスター・インクレディブルに不気味な粘着質の物質が発射され、彼が身動き出来なくなるあたりの緊迫感溢れるカッティング…などなど。かなりうまみのある本格的な演出が堪能できるんだよね。当たり前って言えば当たり前だけど、その当たり前がなかなか出来ない。

 そんな「映画」として実にオーソドックスな見せ方をキッチリと守っていながら、CGアニメとしての強みも十二分に発揮。さまざまなミスター・インクレディブルの活躍もさることながら、インクレディブル夫人の自在な変形、ダッシュの疾走、フロゾンの瞬間凍結…などなどは、おそらくCGでないと効果的に描けまい。そもそもこの作品の企画や制作の原動力になったものは、あの「スパイダーマン」の見せ場ではないだろうか? あれって何しろ見せ場がすべてCGという、実はCGアニメそのものの作品なんだからね。そこでピクサー初の「人間」をメインに置いたCGアニメって発想が出たんだろう。考えてみれば…オモチャ、モンスター、魚、そして今回のスーパー・ヒーローと、ピクサーは必ずCGアニメとしての必然性のある題材を選んでいる。むやみやたらに技術を振り回している訳ではないのだ。大変申し訳ないが、さすがにここまで来るとあの「ポーラー・エクスプレス」を引き合いに出して言わざるを得ないよ。さすがにピクサーはメンコの数が違う。

 それにしても、今回の無人島の秘密基地場面を見ていたら…あのサンダーバード、実写などにせずピクサーがやっていた方がずっと良かったのではないかと悔やまれる。

 今回は特に声優についても特筆したいのだが、メイン・キャストのクレイグ・T・ネルソン、ホリー・ハンター、サミュエル・L・ジャクソンなどは、実はこの映画を「実写」で撮ったとしてもそのままキャスティング出来そうなハマり具合。特にホリー・ハンターのそれは絶品と言っていい。他にも悪役側に回ったエリザベス・ペーニャやジェーソン・リーなども、地味ながらアメリカ映画好きを喜ばせる味のあるキャスティングだ。定石ではあるがオイシイ役どころのエリザベス・ペーニャもいいが、僕個人としてはドリームキャッチャーでもツマヨウジへの強迫観念で命を落とす役を演じた、ジェーソン・リーのキレっぷりを大いに楽しんだ。彼もこれからますます良くなるんじゃないだろうか?

 何でもこの声のキャスト、日本版吹き替えではインクレディブル夫婦に三浦友和と黒木瞳がキャスティングされているらしい。普段だったら僕はこんな点にまで言及しないのだが、このキャスティングもなかなか面白いよね。これはこれで、かなりイイ味出してるんじゃないだろうか? 三浦友和のミスター・インクレディブルは、相当にオヤジの哀感が漂ってきそうだよね(笑)

 それにしても…驚いた事に今回の作品では、とんでもない事が起きてしまうのだ。

 あえて「アクション映画」として覚悟を決めたのか、何とラストで人が死んでしまう。子供向けかファミリー・ピクチャーと決まっているアメリカ製のアニメ映画としては、前代未聞の事態が起きたのでビックリ。これは前々から話題になっている、ピクサーのディズニーからの離脱を意味するのだろうか? それとも「子供向け」作品だけをつくるつもりはないという意思表示だろうか? 極めて興味深い現象だね。

 そんなこんなも含めて、今回やっぱりブラッド・バード監督はひと味違う映画づくりを見せた。やっぱり「アイアン・ジャイアント」はマグレじゃなかったんだよね。人生の哀歓といい、アクションのキレといい、CGの必然性やら子供映画からの離脱ぶりといい…いつも見事な映画づくりを見せるピクサーではあるが、今回ひときわ辛口の仕上がりになっているからね。

 興味深いのは、このブラッド・バード監督の「過去のアメリカ」への回帰趣味だ。

 「アイアン・ジャイアント」では冷戦構造が影を落としていた1950年代のアメリカ、そして今回は…ハッキリと特定出来ないが、ヘタすると戦前のアメリカから戦後1950〜1960年代のアメリカへとまたがった物語ということなのだろうか?

 インクレディブル一家が活躍する本筋の物語も、クルマや街並みのデザインなどを見てみるといかにも1950年代から1960年代前半…いわゆる「現代」ではない印象がある。それがミスター・インクレディブルの現役時代から15年後という設定になっている事から考えると、どう考えても「現役時代」は戦前から戦後間もなく…というところだろう。そもそも「15年」というハッキリした年数を定めている事からして、ちゃんとした設定年代があるはずなのだ。

 イントロに登場するミスター・インクレディブルの現役時代の描写は、スタンダード・サイズの過去のフィルムとして描かれていて、これはこれで徹底的に凝りまくっていて笑える。特にカラーで出てくるあたりは、かつてのテクニカラーみたいな鮮やか発色なのがオカシイ。それはともかく…この物語は何故に「この時代」に設定されたのか。一家で活躍する本筋の物語がもし1950年代だとすると、何故にまたしても「アイアン・ジャイアント」と同じ年代に設定されたのだろうか?

 それについて語れるほど、僕はアメリカ文化史に詳しい訳ではない。それにあまり理屈っぽく深入りすると、この映画の楽しさも半減なのかもしれない。

 ただどうもブラッド・バードは、現在のアメリカの不寛容と傲慢の温床を「第二次大戦後」にある…と思っているらしい。

 そう思っているらしいフシは、作品のあちこちに伺えるような気がする。思えばアメリカはそこらあたりから…米ソ冷戦があったとは言え「ワン・アンド・オンリー」の大国=「世界の警察」になりつつあったのだ。それに対する苦々しい思いが、ブラッド・バードには抜き去りがたくあるように思われる。ベトナムも何もかも、そこから始まったと言えなくもないからね。もちろんその先にはイラクが見えてくる

 深読みついでに言えば、この映画の悪役シンドロームの「これみよがし」の正義…それに対する異議申し立てこそが、ブラッド・バードの意図するところではないのか。シンドロームの哀れな自滅がまさにその「これみよがし」のせいである事を見てみても、そのあまりに情け容赦ない自滅の描かれ方(アニメにしてこの徹底ぶりは異例だろう)を見てみても、そのあたりの意図は明らかだと思える。

 それは形骸化した空疎な「正義」に対する、ハッキリとした異議申し立てなのだ。

 

見た後の付け足し

 先に僕はこの映画のことを、「結構いいトシこいたオッサンとオバサンの、哀感漂う人生のお話」…だと書いた。それはまったく間違いないと思うけど、実はここだけの話…僕には「オッサンのお話」の度合いをかなり大きく感じる。

 実はそれと言うのも…おそらくこの映画は見る人によって、それぞれ自分の個人的な話として実感できるような「ふくらみ」のある物語だからだろうね。そのあたりの脚本の作り方が、何とも巧みなのだ。僕はたまたまオッサンだから、オッサンの見方でシミジミと感じてしまう。この映画には、そんな不思議な身につまされるリアリティがある。僕がこの映画を「オッサンの話」だと思ったのも、決して無理はないんだよね。

 というのも…オッサンにとってこの映画って、「実感」の痛さが尋常ではないのだ。

 何より「今の自分」がこんなはずじゃなかった…って気持ちが、分かりすぎるほど分かってしまう。そんな自分を女に見透かされてるいたたまれなさも…たまらないものがある。いつかビックリする事で見直させてやりたい…と思いつつ、そんなチャンスは決して訪れない。それは自分でも薄々感じていて、だからじっと縮こまっているしかない

 そんな自分に、情け容赦なく女の罵倒が飛んでくるが、それでもじっと我慢して黙っているしかない。なぜなら大多数の男たちにとって、本来だったら自分らしさ…自分がイキイキと一番いいところを発揮できるはずの、男の「活躍の場」はいつの間にか失われてしまったからだ。それが失われてしまったのは、いろいろな理由があるだろう。社会の事情、年齢の問題、仕事やら家庭やら個人の事情やらいろいろ。自分の愚かさのせいかもしれない。でも今それさえあったなら、オレはきっと見返せるし見直されるはずなのに…。

 そうする代わりに、男たちはただくすぶり続けている。燃え尽きた訳でもなく燃えている訳でもなく、ただただ持って行き所のない火の気だけがくすぶっている。

 そんな時、男たちは男たちだけで「良かった頃」の話をするようになる。同じ時代を共有してない奴には、どうせバカにされるだけ。女に理解してもらおうとしてもムダ。実生活でイヤな思いはもう十分過ぎるくらいしている。そんなくだらない事に、貴重な時間とエネルギーを費やしたくもない。キレて見苦しいところを見せたくもない。それどころか一旦キレたらどうなるか…その時果たして自分を抑えきれるか、自分でも分からないではないか。ならばコッソリと、気心の知れた「男たち」だけで…。

 妻にはボウリングに行くと偽り、昔の仲間とクルマの中に籠もって昔話…。

 どこかでパーッと遊ぶ訳でもない、何か憂さ晴らしをする訳でもない。味も素っ気もないクルマの中で、昔話に興じるのが一番楽しい…。

 その「実感」を見事に描ききったこの映画も見事ではあるが、そこにハマりきった自分にも、何とも複雑な気分になってくるんだよね。

 

 

 

 

 

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