「ポーラー・エクスプレス」

  The Polar Express

 (2004/12/06)


  

見る前の予想

 この映画の予告編は、だいぶ前から見ていた。オールCGによるアニメーション映画らしい。それだけなら何と言うこともないが、オールCGはオールCGでも、ピクサーの作品とか「シュレック」みたいなシロモノじゃない。実写映画のSFXの一部として活用されているリアル・タッチのCG。実写と見間違うような絵柄のCGで全編つくったアニメーション映画。早い話が日本でつくった「ファイナル・ファンタジー」映画版(2001)と同様の作品だ。

 もうそこまで聞いたらゲッとなる人は少なくないだろう。「ファイナル・ファンタジー」の不評も記憶に新しい。そもそもリアルCGによるドラマと来ると、病んだオナペット(笑)と化した「バーチャル・アイドル」の類の画像を連想せざるを得ない。何となく心のこもっていない冷たい質感。あの気持ち悪さ。アレを見ながらコイてるヤツがいるかと思うと…オエッ!

 案の定、予告でもチラッと出てくる人物CGは、どこかギコチなく不自然だ。こんな映画、何でまたロバート・ゼメキスともあろう人が手がけてしまったんだろうねぇ。

 しかもアニメーションにも関わらず「主演トム・ハンクス」と明示してあるのもイヤな予感がする。「主演」と書いてあるところを見ると、どうも声の出演だけではあるまい。「スター・ウォーズ」の「エピソード1」(1999)、「エピソード2」(2002)でのジャー・ジャー・ビンクスや、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作(2001〜2003)のゴラムみたいに、俳優の動きをコンピュータに取り込むモーション・キャプチャーの技法を使っているのに違いない。するってえと、トム・ハンクスその人をCG画像に取り込んだのか? そう言えば、あの車掌の顔もトム・ハンクスめいて見えるから不思議だ。だがやっぱり目の表情が死んでいる…。

 クリスマス・シーズンの勝負作って事だろうが、こりゃあハンクスもゼメキスも…ついによせばいい事をやっちゃったのか?

 

あらすじ

 それは今からずっと前のクリスマス・イブの夜。少年はベッドに横たわりながら、サンタが来るのを待っていた。待っていた?…さぁ、どうだろう。実は少年はいささか半信半疑だ。昨年まではサンタの来るのを心待ちにしていたのは事実だが、いいかげん疑わしくなったのも事実。父親に言わせれば「子供時代の終わり」…あるいは「魔法の時」の終わりなのか。

 ところがついついうたた寝をしていた少年は、突然の物音で叩き起こされる。どこからともなく列車の爆音が響いてくるではないか。部屋も激しく揺れている。窓から明るい光が射し込んで…少年が慌てて飛び出してみると、家の前に蒸気機関車に引かれた列車が到着しているではないか。

 「出発しまぁぁぁ〜〜〜す!」

 口ヒゲをつけた車掌が、デカい声を張りあげている。少年はおっかなびっくり近づいていくと、車掌は彼に目を留めた。「乗るのかね?」

 そんな事を藪から棒に言われても、少年としても戸惑うしかない。まずは誰でも聞いてしまう質問をしたのは人情というものだろう。「この列車はどこへ行くの?」

 車掌は分かり切った事を聞いてきた…と言わんばかりだ。「どこって、北極に決まってる! これはポーラー・エクスプレスなんだぞ!

 そして再度少年に「乗るか?」と聞いてくる。どうも少年は「クリスマス」やら「サンタ」を信じない事から、この列車の乗客リストに載せられたようだ。彼がそれらを信じていないことを、一体どうやって知ったものかは分からないが。

 だが少年としては、この得体の知れない乗り物に乗っていいものやらいけないものやら判断がつかない。何しろどう見たって「オレオレ詐欺」より怪しいシロモノだ。すると、車掌も無理強いはしない。あくまで本人の判断に任されているようだ。結局、列車はまたゆっくりと走り出した。

 すると少年は、何かとっても惜しい事をしている気がしてきた。実はそういう手口がいかにも詐欺にありがちな手口なのだが(笑)…まぁ、そういう夢も希望もない言い草はともかく、少年は走り出した列車に飛び乗ることにした。ええい、浄水器だろうが羽毛布団だろうが自己啓発だろうが…自分が一番最後にならなきゃいいんだ(笑)。

 客室に入ると、そこにはすでに何人もの子供たちが乗っていた。隣の席にはアフリカ系の女の子。彼女は親しげに挨拶してきた。前の席にはあまり知り合いになりたくない類の、メガネの理屈っぽいガキ。みんなはなぜこのポーラー・エクスプレスに乗る事になったのか?

 さて、例の車掌は少年に乗車券を見せろと言ってくる。見せろと言われたって…とブーたれる少年だが、何とポケットを探ったら、ゴールドチケットがピカピカ光りながら出てくるではないか。いつの間にポケットに入っていたのか?

 やがて列車は、一見のボロ家の前にやって来る。どうもこの家の子供に用事がありそうだ。出てきたのは気弱で内気そうな男の子。だが彼もまた車掌の申し出を疑っているようだ。それもそのはず、あの車掌は思いっ切り疑わしい。案の定、男の子は乗るのを躊躇したまま、列車は再び走り出した。

 ところがやっぱり乗りたくなって、男の子は慌てて走り出す。だが、気が変わるのが遅すぎた。一生懸命走っても追いつけない。しまいにはコケて倒れる始末だ。これを窓から見ていた少年は、さすがに何とかしなくちゃ…と慌てる。

 見ると…客室に緊急停止レバーがあるではないか!

 少年はレバーを思いっ切り引く。するといきなりブレーキがかかり、列車は急停車。客室にいたみんなはもの凄い勢いでひっくり返る。これにはあの車掌も驚いて、すごい剣幕で客室へとやって来た。

 「誰だ、レバーを引っ張ったのは?

 車掌はとにかく、常に時間通りに列車を運行させてきたのが自慢という男。それでなくても時間が押してる状況にすこぶる機嫌が悪い。だが少年があくまで別の男の子を乗せようと善意でやった事…と、例のアフリカ系の女の子から言われると態度を変えた。こうして列車には新たな乗客が一人加わったが…あの小さい男の子は、なぜかこちらの明るい客室にはやってこない。最後尾の暗い客室に、一人でクラ〜く残ったままだ。

 そのうち車掌が給仕の男たちを従えてやって来る。何とみんなにホット・チョコレートのサービスだと言うのだ。この給仕たち、なぜかゲイ・バーにいるマッチョな男たちっぽいのが気になるが(笑)、ともかくアッという間にテーブルをつくり、軽業まがいにピョンピョン飛び跳ね、グルングルンと宙返りしながらカップにホット・チョコを注ぐ。だが例のアフリカ系の女の子は、一杯ホット・チョコをもらうとそれを席の下に隠し、チャッカリ次のカップをもらっているではないか。何を一体セコいことをやっているのか。

 いやいや、それは疑った少年の方がセコかった。彼女は後ろの客室でクラ〜く座っている、例の小さい男の子のぶんをもらっていたのだ。彼女は給仕たちが退いた後で、カップを持って後ろの客室へと向かった。

 ところが彼女がいなくなった後で、席に彼女のチケットが落ちているではないか。少年は親切なつもりのお節介で、それを持ってノコノコと後ろの客室へと向かう。ところが客室から連結器のところに出たとたん、強風に煽られチケットを飛ばしてしまう。ハッキリ言って余計なマネをしてイイ迷惑。最悪の結果にビビりまくる少年ではあった。

 さらに間の悪い事に、どういう訳だか車掌が戻ってくる。女の子のチケットだけ見てなかったから、改めて見させてもらう…と言い出したのだ。戻ってきた女の子は「置いておいた」チケットがなくなったと驚く。改めて自分のバカさ加減に落ち込む少年ではあった。だが黙っている訳にいかない。自分が悪かったと言うしかない。だが車掌は「チケットがないものは仕方がない」…と言って、女の子を最後尾の車両へと連れて行く。これには責任を感じずにいられない少年。そうだ、みんなオマエが悪いんだ。

 ところが例のチケットはさすがに魔法のチケットだけあって、あれやこれやの…その過程は説明するのが面倒なので大幅にハショるが、ともかく風に乗ってこのポーラー・エクスプレスに戻ってきた。そしていつの間にか、少年の乗った客室にピラピラと貼り付いているではないか。

 やったぜ、これで名誉挽回だ!

 ドジばっかこいてる使えないダメ少年は、勝ち誇ったようにチケットを掴んで、またしてもよせばいいのに後ろの客室へと急ぐ。だが、そこには車掌も女の子もいない。あの小さな男の子が、不景気な顔をして座っているだけだ。しかも、言ってる事までシケている。「どうせ僕には良いことなんてないんだ、今までだってクリスマスにロクな事がなかった

 こいつの言ってる事聞いてると、こっちまでツキがなくなりそうだ。少年は男の子をそれ以上相手にせず、一体車掌と女の子がどこへ行ったのかを探し回った。…と言っても、ここは最後尾の客車。これ以上、行く場所なんてない。

 すると…何と二人はここから車両の屋根に登って、前の車両の方へと歩いているではないか。何だかすご〜くムダな事をしているような気もするが、気にしない気にしない(笑)。それに走っている列車の屋根を歩けるのかというのも気にしない。少年はまたチケットを吹き飛ばされそうになりながら、懲りずに屋根に登っていった。だが吹雪はすごい勢いで吹き付けてくる。さすがにめげそうになった少年だが、その時に声をかけてきた男がいた!

 何で、列車の屋根に男がいるのか?

 この無精ヒゲを生やした男…どうやらこの「ポーラー・エクスプレス」のタダ乗り常習犯らしい。勝手に屋根に乗っているだけでなく、そこで勝手に焚き火をして、勝手にコーヒーを湧かしているではないか。それでもこの男は大いばりだ。「オレ様は“北極の王様”よ!」

 そう言えば、ロバート・アルドリッチ監督の映画に「北国の帝王」(1973)という列車タダ乗り常習犯の映画があった。もしそうなら、この後でアーネスト・ボーグナインが襲ってくるはずなのだが…当然ながらファミリー・ピクチャーにボーグナインの出番はない。

 それにしても、車掌と女の子はどこへ行ってしまったのか? この列車は、北極の何をめざしているのか?

 

ロバート・ゼメキスの実験精神

 それにしても、冒頭にも書いたように「何でゼメキスともあろう者が」という疑念は、見る前にずっと付きまとっていた。だけどよくよく考えてみれば、この人にはこういう興味ってずっとあった気がするんだよね

 そもそもこの人の監督としてのキャリアのスタートは、1964年のビートルズのアメリカ初上陸と「エド・サリバン・ショー」出演までのてんやわんやを描く「抱きしめたい」(1978)から。これが何とも当時のアメリカを詳細に再現したシロモノだったんだよね。ドラマもなかなか面白かったんだけど、うならされたのは当時の雰囲気やら詳細の執拗なまでの再現ぶり。SFXなど一切使わなかったし、またその予算も技術もなかっただろうが、それでも実写と当時撮影されていたビートルズの映像を効果的に組み合わせ、あたかもそこにビートルズがいるかのように演出。その再現ぶりがスゴかったんだよね。ドラマとしてそれが必然だったということもあるが、そういう再現ビジュアルを描きたい…という欲求の方が先に立っちゃってる感じ。

 で、考えてみればそれって「フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994)での、ガンプとケネディ大統領とのツーショット記録映像…あたりと相通じるものではないだろうか。CGという武器が手に入っただけリアルで大がかりにはなったが、やってることは「抱きしめたい」と変わらない。あるいは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985)に描かれた1950年代の徹底再現でもいい。こういうビジュアルをつくりたい…という気持ちの強さを感じる映像だ。

 さらにゼメキスには、実写とアニメの境界線を飛び越える映画があった。ボブ・ホスキンスがアニメの世界に飛び込む「ロジャー・ラビット」(1988)だ。これなんか、完全に今回の「ポーラー・エクスプレス」と同一線上にある作品と言っていい。物語の設定自体が、アニメの住人と実写の住人が共に生きている世界でのお話だ。ゼメキスという人の中に、虚構映像と実写映像の融合という興味がずっと前からあった事が分かるよね。

 そう考えてみると、彼のキャリアでも失敗作として片づけられているし、僕もあまり評価できなかった作品「永遠に美しく…」(1992)も見え方が全然違ってくる。あの当時は、何でこんなシロモノつくったんだろう?…とビックリしちゃったよね。メリル・ストリープだのゴールディー・ホーンだのブルース・ウィリスだのって大スターを並べて、演技合戦ならまだしもムチャクチャなSFXコメディをやらかした。しまいにはこれらの大スターのどてっ腹に大穴が開いたり、グチャグチャになったりというスゴイ展開だ。

 でも考えてみれば、アニメの世界ではこんな事ザラにある話だ。例えば「トムとジェリー」だとか「ウッドペッカー」だとか「ロードランナー」だとかってドタバタ・アニメの場合、主人公がダイナマイトで吹っ飛ばされて真っ黒焦げになったり、ローラーに引きつぶされて一反もめんみたいにペラペラになったり、丸められてクシャクシャになったり…何でもござれだ。おそらく「永久に美しく」は、これを実写のナマの役者でやってみようとした作品なのではないか。ところがナマの役者でやると、何とも陰惨でグロテスクな事になる。そのへんの誤算から、この作品は失敗作と見なされたのではなかったか。

 そういう意味ではゼメキスって一貫している。今回の作品もその延長線上、虚構映像の可能性への挑戦という「実験精神」の産物であることは間違いないと思うんだよね。

 

見た後での感想

 だがハッキリ言わせていただくと…この映画の見る前の印象は最悪だった。先に「実験精神」云々なんて言ったけど、それもこの映画の実物に接した後でのことだ。見る前はとてもそんな事まで考えなかった。何せあの予告編だったからねぇ。

 まず、オールCGのリアル画像では、映画が見るに耐えないものになっているだろう…と覚悟を決めた。だから最初の期待値はかなり低かった事を白状しておこう。

 そのせいだろうか、見終えた印象はさほど悪くない。むしろ意外なほど良かったと言えるだろう。

 ともかく吹雪の中を爆走していく奇妙な列車「ポーラー・エクスプレス」と、そこで巻き起こる冒険の数々が興味深い。元の本を読んでいないので分からないが、久々にファンタジーらしい奇妙さと面白さだ。そこで次から次へと信じられないような出来事が起きる。列車がジェットコースター状態に上下する線路をばく進したり、氷の上をフルスピードで滑走したり…吹雪の中を走る列車の屋根を歩いていくくだりの描写といい、これはさすがにリアルな画像だからこその迫力だと言える。

 それはたまたま迷い込んだ北極の街での冒険にもつながる。やっぱりマンガマンガした絵でなくて、実写さながらのイメージだからワクワクしてくるのだ。これは確かにこの絵柄を必要としただろう。

 だが一方で…やっぱり人間のイメージはうまくいってない

 後ろ姿だとか手だけだとか脚だけだとか…そういう場合はドッキリするぐらいリアルな時もあるのだ。服が風にヒラヒラするあたりも息の飲むほどホンモノ感がある。人が大勢ウジャウジャしている時の、遠景での描写も実に生々しい。だけど、一旦人間の顔が出てくると…どうしてこうもダメなんだろう。予告編で見たイヤな予感の通り、やっぱり生きている人間の顔じゃないんだよね。

 大抵の表現が可能だってことは、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作を見れば僕らだって分かる。あの激しい合戦の描写やら、怪物たちの描写やらを見れば一目瞭然だ。火や水や煙もオッケー。生き物だってつくれるのは、「ジュマンジ」(1995)あたりを見れば察しがつくだろう。だが、なぜかCGで人間は描けない

 オールCGアニメをつくってきたピクサーも「シュレック」などのドリームワークスも、あえてリアルな人物描写は避けてきた。マンガマンガした絵柄ならば、違和感はない。それがCGアニメの鉄則だった。しかし…何でこれだけ出来るのに、火も水も動物も描けるのに、人間だって群衆だったり後ろ姿だったり、身体の一部分だったりすれば描けるのに…どうして顔が出てくるとダメなのか

 そういえば…現在のロボット工学の方でも、同じような課題を抱えているらしい。

 例えばアイボじゃないけど、あれくらい抽象化・単純化・記号化されていれば、ロボットというものは可愛く感じられる。いかにもロボットというカタチのものが踊ったりおどけたりすると、人間はカワイイと感じるんだよね。ところがそれをリアルな人間に近づければ近づけるほど、なぜか気味悪くなっていくらしいのだ

 それってリアルなダッチワイフはキモチ悪いのかって問題にもつながっていきそうだが(笑)…まぁ、ホンモノの女と一緒にいるより心が安らぐって気持ちは分からないでもないとして(笑)…これは「本当のリアルとリアルらしさの境界線はどこか?」という、非常に興味深い問題にもつながっているはずだ。たぶん今回の「ポーラー・エクスプレス」がぶつかったのもそれだと思う。

 ただ、みなさんは今回の映画の人間CG化の失敗に、何だか腑に落ちないモノを感じているかもしれない。僕も実はそうだった。

 それは…実は人間のCG化って、とっくに成功しているはずだからだ。

 

人間のCG化の課題とは?

 僕は今回の映画の無惨な人間たちを見て、どうも釈然としなかった。演技がぎこちないとかそういうレベルではない。じっとしている顔そのものからして変だ。絵としておかしいのである。演技がギコチないなら、それはキャプチャリングの失敗だとか何とか言えるだろう。だが静止状態だろうと何だろうと変という事になれば、そもそも人間の顔はリアルにCG化出来ないということになる。それって一体何なのだ。

 大体、僕らはすでにCG化されたリアルな俳優を見ている。

 それはマトリックス・リローデッドと同レボリューションズ(2003)に登場していた。団地の裏庭みたいな場所で戦うネオとエージェント・スミスの軍団たち。あるいは雨の中で戦うネオとエージェント・スミス、さらに両者の周りに控えているスミス軍団たち…これらは部分的には実写だが、その大部分は完全なCGのはずだ。遠くからとらえた映像だからオーケー…というほど、それらは小さい絵ではなかった。ちゃんとそれがキアヌ・リーブスであり、ヒューゴ・ウィービングだと分かる映像だった。それが誰だか分かるということは、顔が描かれているということだろう。だが、それらは明らかに「ポーラー・エクスプレス」のような違和感は感じさせなかった。

 この両者にはいかなる違いがあるのか?

 僕はねぇ、それに気づいた時にハタと膝を打ったんだよね。なるほど「マトリックス」のスタッフは大したものだと思った。

 考えてみていただきたい。時には俳優がCGに取って代わられる「マトリックス」の主人公たち、ネオとトリニティーとモーフィアス…それにエージェント・スミスたちに共通するモノは何か? あるいは彼らと戦う白子の兄弟みたいな、他のキャラクターにも共通するモノは何か?

 サングラスだ!

 考えてみると「マトリックス」の登場人物たちほど、誰も彼もサングラスをかけたがる連中もいない。そしてサングラスは、劇中何の必然性も持っていない、そう言えば第一作の時に彼らがマトリックス世界に出かけるにあたって、虚構の世界の中なのにわざわざサングラスまでかけておめかししていたのが不思議に感じられた。それって、おそらく必然性があったんだよね。それはドラマの必然ではなく、映画をつくる上での技術上の必然だ。

 彼らの「目」が見えてはいけなかった。

 CG化する時に目が入ると、おそらくそれが偽物だとバレバレになるのではないか。どれほどリアルに作り込んでも、目の輝きと表情だけはつくれない。だから目を封印してしまった。そうすれば、今度はいかにCGとして取り込み加工しても、それは人間に見える。「スパイダーマン」があのコスチュームに身を固めていたのも、こうなってみると好都合だったよね。

 逆に「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムは、人にあらざる者だったから良かった。かえって違和感があった方が良かった。ひょっとしたら三部作の後半あたり、映画の作り手はむしろ指輪に魅せられた事を表現するために、イライジャ・ウッドの目にCG処理をしたかもしれない。それは大いにあり得るよ。つまり人間の目のCG化した時には、人間性の喪失がどうしても避けられないのだ。

 今回トム・ハンクスは、主人公の少年、少年の父親、車掌、タダ乗り男、サンタクロース…の5つのキャラクター(もっとか?)を演じてキャプチャーしていると言う(声はその全部を担当している訳ではない)。少年まで演じる必要があったのか…とか、いろいろ言いたい事もあるが、まぁ役者根性は買ってもいい。だが、ハンクスもゼメキスも、基本的な事を分かっていなかった。

 目は心の窓…とは、本当によく言ったものだよね!

 こうなると、これだけつくった苦労をご苦労様とは言いたいものの、ハッキリ言ってこれは壮大な徒労だったとしか思えない。これなら背景はすべてCGであってもいいから、出てくる人間キャラだけは俳優で撮影して合成すべきだった。でないと、苦労が報われない。

 心だけは、コンピュータでは表現出来ないのだからね。

 

見た後の付け足し

 ファンタジー映画、冒険映画としては本当に面白くよく出来ているのだが、前述したようにCG表現の限界を過信したために惜しい結果になったこの作品。だが日本の観客にとっては、正直言ってもう一つ難がない訳ではない。

 何しろクリスマスとはキリスト教徒のお祭りだ。僕ら異教徒にはお呼びでないシロモノだし、その重要性がイマイチ伝わって来ない。

 だからクリスマスやサンタを信じないという事を重要視する、車掌やサンタやこの映画の作者たちの気持ちが分からない。そんなもの信じなくなってもいいんじゃないの…って気がしてしまうんだよね(笑)。

 信じる気持ちが大切っていうなら、何もそんな宗教的行事じゃなくてもいいじゃないか。そういう気持ちになるのは、やはり僕らが日本人であるが故なのだろう。だけど僕らからすれば、そもそもプレゼントという何とも「即物的」な側面を持つクリスマスやらサンタ信仰そのものを、どうしても生臭く感じてしまう。その神髄を分かっていないだけに、素直に受け止めるのがツラいのだ。

 あげくこの映画では、主人公の少年が無理矢理力づくで「信じる」と言わされてる印象すらある。そんなにまでしなきゃ信じてもらえないようなモノなら、わざわざ信じさせる事もないじゃないか。いや、そもそもそれってやめちゃった方がいいんじゃないの…とすら思う僕はバチ当たりだろうか(笑)? いやぁ、正直言って大半の日本人の実感じゃないかと思うよ。こんな事を言っちゃ世のクリスチャンの方々には怒られてしまうだろうが…特に今のご時世では一介の異教徒として、この押しつけがましさと独善がキリスト教徒の悪いトコ…ぐらいな気持ちになってくる。少なくともイスラム教徒はそう思うんじゃないか(笑)? 事ほどさように宗教観の違いってのは微妙で深刻…それが分かるだけでも、この映画の価値はあるかもしれないけどね。

 あと…些細な事だけど引っかかっちゃったのは、最後に子供たちが帰りの列車に乗り込む時に、車掌が一人ひとりにメッセージを与える場面。その時に例のアフリカ系の女の子だけは、「リーダーシップ」…とかいう最大級の評価をもらえるんだよね。実際、非の打ちどころのない「イイ子」

 いや、別にそれがどうって事じゃないけど…「マイノリティー」のアフリカ系、そして「女」の子。それを無闇やたらにメチャクチャ持ち上げるヨイショってのは…何だか「政治的な正しさ」とか「大人の世界」のゴチャゴチャしたもんがチラついてちょっとねぇ…。そうであってもいいけど、そうでなくてもいいじゃない。あれで女の子に「優しさ」とかいうメッセージが渡されたら、今度はフェミニストの団体とかが騒ぎ出すのだろうか。男の子に赤いランドセル背負わせろとかくだらないこと言ってるバカな連中にもウンザリだが、そんなヤツらに媚び売ってるのも何だかミエミエでいやらしいよ。作り手が「政治的配慮」とか小賢しい事を考えてつくってるのに、「夢を信じろ」なんて言われても僕はちょっとノレない。実際には夢も希望もないくせにさ。大変申し訳ないんだけど、この映画にはそんな「大人の事情」が臭いすぎる気がする。

 ともかくこの映画を楽しんで見ようと思ったら、まずはクリスマスとかサンタとかプレゼントとかいう言葉には耳を塞ぎ、「信じる力」が云々…なんてどこか偉そうなメッセージも無視して、ひたすらばく進する列車やら壮大なスペクタクル映像、そして猛烈なアクションを楽しんで欲しい。不思議で楽しいファンタジーの設定を味わって欲しい。そうすれば、あなたにとってこの映画はたっぷり楽しめる作品になること請け合いだ。それから…くれぐれも忘れちゃいけないのは、絶対に主人公たちの目を見ないことだね。

 目を見ちゃうと、全部ウソだと分かるから(笑)。

 

 

 

 

 

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