「オールド・ボーイ」

  Old Boy

 (2004/11/29)


  

見る前の予想

 カンヌでグランプリを獲得…云々の話は大分前から耳に入っていた。作品のデキの良さも、先に見た人々から盛んに聞かされていた。ならば元から韓国映画好きの末席を濁すと自負する僕だ、見たくない訳はない。見たい。…だが、実は躊躇せざるを得ない部分もなきにしもあらずだった。

 春夏秋冬そして春の感想文にも書いた事だが、僕はどうも「誰かが誰かを不当にいたぶり、テメエは火の見櫓の上で高見の見物」…というシチュエーションが根本的にダメらしい。本当に精神衛生上よくないのだ。そんなくだらない事を…とみなさんは言われるかもしれない。作品は作品と冷静に見れないなんてオカシイとか、そんなマジに熱くなって見るなんてヤボとか、ちょっと精神構造が幼稚なんじゃないか…とか、アレコレ言いたいことを言われるのは承知の上。しかも映画サイトまで運営して映画のアレコレを語っている人物が、こんな感情的な事を言うなんてコッケイだと思われても仕方がない。

 だが、ダメなものはダメなのだ。

 その理由はクドクドここで繰り返しはするまい。ともかく個人的な問題だと言うしかない。もちろん人に言わせれば、そんなものは大した事ではないかもしれない。確かに僕は誰かに15年間も監禁された訳でもないし、身内を殺された訳でもない。罪を着せられた事もないし(正確にはそれに近いことはあったが)、法律で不当に処罰される事もなかった。だが…人に言えないような思いも経験してはきたよ。決して誰もが経験するようなものでない事も経験した。

 分かってもらえるとは思わないが、実際にそうだから仕方がない。

 しかしそこで当然、こんな疑問も沸いてくるだろう。「復讐モノ」なんて映画だけでなくドラマの王道。だからソレがダメとなれば、かなりの割合で小説や演劇やドラマや映画が見れなくなるではないか…。たぶんこうした疑念をお持ちになる方も多いと思う。

 いかに僕でも、テレビの幼稚な時代劇などで主人公が虐げられたからといって、いちいち痛みを感じたりはしない。同じ理由で、アメリカ映画によくあった復讐モノなども楽しんで見る事が出来る。所詮、あれは「ショー」だ。お楽しみのためのモノと割り切って見れる。言ってみれば、それこそ「人ごと」だ。

 同じように…最後にカタルシスが待っていると分かれば、僕だって過酷な運命を辿る主人公を楽しんで見れる。子供の頃に読んだ、デュマの「モンテ・クリスト伯」は今でも忘れない。復讐を行っている時の高揚感とは、まさにあれだ。まぁ、それについては後ほどゆっくりと語るとして…。

 一方で理不尽な目に遭わされる様子を、どうにも「人ごと」とは見せてくれない映画もある。何をどうしたって、作り物だと分かっていながらも、どうにも自分の気持ちを抑えきれなくなる映画がある。特に韓国映画ときたら、そんな「痛さ」では定評がある。

 それでも、この映画を見ないで済ませる訳にはいかなかった。それでなくても最近ヤワな映画が多い韓国映画。ここは一発ハードなキツいヤツが欲しいと思っていた矢先だったのだ。この映画を見逃す手はないだろう。それでも、重い腰をやっとこ上げての鑑賞だったけどね。自分の中の過去のダークゾーンを、だましだまししながらの鑑賞…。

 僕はどうしてもこの忌まわしい思いを、完全には心から拭えない。逆にこんな思いをせずに映画なり物語を「人ごと」と冷静に楽しめる人は、とてつもなく幸福な人だと思うよ。僕はそんな人々に言いたい。今のうちはせいぜいその幸せを噛みしめておきたまえ。その事のありがたみを骨身にしみて味わっておきたまえ。いつか自分の身に何とも理不尽な痛みが襲いかかり、前の自分には戻れなくなる時が来るまでは…。

 

あらすじ

 雨の夜、酔っぱらってケンカして、交番の世話になっているサラリーマンの男チェ・ミンシク。彼はえらく酒癖こそ悪いものの、特に問題もない平凡な男だ。やがて彼の元に、友人チ・デハンが身柄を引き受けにやってくる。実は今日は、チェ・ミンシクの娘の誕生日だ。ちゃんとそのためにプレゼントも買ってある。ところがチ・デハンが彼の家に電話をかけるためちょっと目を離した隙に、チェ・ミンシクはいずこかへ消えてしまった…。

 彼は、あるマンションの一室に監禁されていたのだ。

 当然、チェ・ミンシクは大いに抵抗する。騒ぎ立てる。一体なぜ監禁されているのか? 誰が監禁しているのか? いつまで監禁しているのか?…だが、いずれの問いにも答えはなかった。

 その代わり部屋にはテレビが置いてあり、そこで世の中の動きを見ることが出来た。世の中の事ばかりではない。何と自分の妻が惨殺された事、その犯人に自分が仕立てられた事…までテレビで知った。

 そして延々と時が過ぎていく。

 時折部屋にガスが噴き出して、チェ・ミンシクは眠りに落ちてしまう。その隙に髪を刈り、ケガを治療し、その他の不都合を処置する。自殺を図ったのも一度や二度ではないが、その都度キレイに治療されてしまう。

 いつしかチェ・ミンシクは、この長丁場を支えるために身体を鍛え始めた。我流ではあるがシャドー・ボクシングを始め、来るべき「復讐の時」を心に刻んだ。またその場に置いてあったノートに、自分の人生やら獄中記を書き始める。書き始めてみると、思いもかけぬほどに悪行の数々が出てきて驚くチェ・ミンシク。さらには壁を少しづつ削り始め、壁に小さな穴を開けることに成功した。それは監禁されてから15年の後。「あと一ヶ月、それでオレはここから出ていく…」

 出し抜けに、チェ・ミンシクはオモテに出ていた

 彼は催眠術をかけられ、カバンに押し込められて外に連れ出された。カバンを開けてオモテに出てみると、そこは高層マンションの屋上だ。

 街に出てみても、チェ・ミンシクには居場所がない。何せ妻を殺した逃亡犯だ。無実を明かす方法もない。ただ一つだけ良かったのは、監禁時に身体を鍛えておいたこと。何しろ生意気な若造たちをアッという間にノシてしまったのだから。だが、カネもなく家もないままに、寿司屋の前でぼーっとしていると…。

 浮浪者が近づいて来て、チェ・ミンシクにカネと携帯電話を差し出すではないか。オドオドとこうつぶやきながら…。「オレには何も聞くな、オレは何も知らないんだから」

 寿司屋に入ると、板前は何と珍しくも若い女だ。「女には寿司屋は出来ないって言うんでしょ。手が暖かいから…」

 そんな折りもおり、例の携帯に電話が入る。「オマエは誰だ?」と問わずにいられないチェ・ミンシクに、相手はこう言って電話を切る。「“誰か?”より“なぜか?”の方が問題だ。自分の人生を見直すんだな」

 チェ・ミンシクは注文した生のタコにいきなりムシャぶりつく。そしてその場で卒倒してしまうのだった。

 気がついてみると、チェ・ミンシクは板前の女のマンションの部屋にいた。この女カン・ヘジョンは彼が気を失っている間、彼の獄中ノートを見ていた。その壮絶な記録に驚きながら、チェ・ミンシクに興味を持ち始めていたのだ

 チェ・ミンシクは…と言えば、これがこの15年で初めての女。二人で一つ部屋にいれば、それなりの気分にならない方がオカシイ。だが、思わずカン・ヘジョンに飛びかかったものの抵抗されて断念。それでもカン・ヘジョンは、チェ・ミンシクに興味を持っていた。心の準備さえ出来れば…とまんざらでもない様子だ。

 さてチェ・ミンシクはカン・ヘジョンの手を借りて、実の娘がどうなったかを知ろうとする。すると…両親共に失った彼女は、デンマークへと養女にもらわれていったと言うではないか。「連絡をとらないの?」と聞くカン・ヘジョンに、チェ・ミンシクは激しい感情をこらえながらつぶやいた。「今はまず復讐だ!」

 さて次にチェ・ミンシクが行った事はと言えば…中華料理屋で餃子を注文だ。

 監禁中、15年間同じ店の餃子を食べさせられて来た。ある時、餃子にくっついていた紙の切れっ端に書いてあった店名「青龍」を、チェ・ミンシクは片時も忘れた事がない。彼はカン・ヘジョンを伴ってソウル中の「青龍」に出向き、片っ端から餃子を注文して食った。あの味は忘れる訳がない。きっといつか辿り着くはずだ。

 ところがチェ・ミンシクは、ある日カン・ヘジョンがパソコンでチャットしているのを見て疑念を抱く。チャット相手の人物は、何とも怪しげな男ではないか。チェ・ミンシクはカン・ヘジョンも信じられなくなった。そもそも、会っていきなりその男を自宅に上げる女…ってところからして不自然ではないか。チェ・ミンシクは彼女の部屋から一人で出かける。

 やがて彼は、問題の中華料理屋を見つけた。 「紫」と一時多い「紫青龍」とは気づかなかった。ともかく出前の男にくっついて、あるマンションへとやって来る。そここそが…チェ・ミンシクが今まで監禁されていた部屋のある場所だった。こうしてチェ・ミンシクは、この監禁部屋の主オ・ダルスに行き当たる。

 オ・ダルスの歯を次々引っこ抜いて拷問し、チェ・ミンシクは衝撃の事実にブチ当たる。何とオ・ダルスは、この監禁部屋をビジネスとして運営していた。依頼者の頼みを聞いて、カネでそれぞれの部屋に人々を監禁していたのだ。それは依頼者にとって、「殺すのでは飽き足らないほど憎い」人々ばかり。オ・ダルスは依頼者の身元は知らなかったが、彼の声だけはテープに録音していた。問題の依頼者は、チェ・ミンシクを15年監禁する理由をこう言った。「ヤツは口数が多すぎる」

 だがそんなチェ・ミンシクの元に、オ・ダルスの手下たちがやって来る。だが彼の強さは、もはや怪物的なモノになっていた。次々襲いかかってくるならず者を、金ヅチ一本で片っ端からボコボコにするチェ・ミンシク。背中にぐっさりドスを突き刺されても、彼の猛攻は止まらない。どいつもこいつもボコボコにしたあげく、彼はマンションを後にするのだった。

 だがさすがに血だらけのチェ・ミンシクは、路上で気を失ってしまう。そんな彼を助け起こしてタクシーに乗せてやる男…だが彼は、最後に不敵に笑ってこう告げるのだった。「あばよ、チェ・ミンシク…」

 結局傷ついたチェ・ミンシクは、あの女カン・ヘジョンの元へに転がり込むしかなかった。

 そんなチェ・ミンシクは、かつての友人チ・デハンを訪ねていた。彼は今ではインターネット・カフェを経営していて、チェ・ミンシクはそこでカン・ヘジョンのチャット相手を捜していたのだ。すると…「エバーグリーン」と称する人物が浮かび上がってくる。さらにその「エバーグリーン」が、カン・ヘジョンの部屋の向かいのマンションにいる事も突き止めた。

 チェ・ミンシクが向かいのマンションに乗り込んでみると、果たしてそこにはユ・ジテなる男とその手下が待っていた。激高して迫るチェ・ミンシクだが、ユ・ジテは余裕そのもの。あと5日間で監禁の理由を解けば、自分が死んでやる…と持ちかける。ただし5日で解けなければ、今度はチェ・ミンシクとカン・ヘジョンも死ぬというからムチャクチャ。これにはチェ・ミンシクもブチ切れ寸前だ。

 だがユ・ジテは心臓を患い、ペースメイカーの手術を受けていた。それを手元のリモコンで停止する事も出来た。チェ・ミンシクが無茶をやれば、自ら命を絶つことだって出来る。そうなれば…チェ・ミンシクが監禁された理由は、彼には永久に分からなくなる。これにはさすがのチェ・ミンシクも、ヘタに手出しが出来なくなった。そんなチェ・ミンシクの気持ちを見透かすかのように、ユ・ジテは言いたいことを言ってくる。「復讐は健康にいい。やれるものならやってみろ!」

 そんなユ・ジテは、部屋に残してきたカン・ヘジョンの危機を仄めかす。イヤな予感に彼女の部屋へと舞い戻ってみると、歯をゴッソリ抜かれたオ・ダルスが手下を引き連れて待ちかまえているではないか。カン・ヘジョンは縛り付けられ、服を引き裂かれて胸も露わだ。無抵抗にならざるを得ないチェ・ミンシクに、今度はオレの番…とばかりに襲いかかるオ・ダルス。チェ・ミンシクの歯を今にも抜こうとしたその時…。

 何者かが札束が詰まったトランクを持って、オ・ダルスを止めにやって来た。危ういところで難を逃れたチェ・ミンシクとカン・ヘジョン。そんなチェ・ミンシクは、引き上げていくオ・ダルスに大声を放つのが精一杯だ。「この子の胸を触ったろ! その手をたたき落としてやる!

 ここも安全ではない。チェ・ミンシクとカン・ヘジョンは、レンタカーで出発。とりあえずホテルへとシケ込んだ。その夜、二人が部屋で結ばれたのは言うまでもない。

 だがあの男ユ・ジテの魔の手は、このホテルにも及んでいた。部屋に注入されたガスで、グッスリと寝込むチェ・ミンシクとカン・ヘジョン。そんな二人に寄り添うように、ガスマスクを付けてベッドに横たわるユ・ジテだった…。

 翌朝、ホテルの部屋に一個の箱が置かれているのに、チェ・ミンシクもカン・ヘジョンも愕然。しかもその中味が、あのオ・ダルスの手首だった! あのナゾの男ユ・ジテは、チェ・ミンシクの言動を一部始終知っている。彼は靴底に仕掛けられた盗聴器を見つけ、これを始末した。

 さて、例の「エバーグリーン」という文言でネット検索をしてみると…引っかかって来たのは、何とチェ・ミンシクや旧友チ・デハンの通っていた高校のOB会ページ。これが偶然であるはずはあるまい。早速カン・ヘジョンを伴って自分のかつての母校を訪ねるチェ・ミンシクだったが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 この映画って何て言えばいいんだろうか?

 確かに面白い。ナゾがナゾを呼んで、観客が主人公と共にナゾ解きをするカタチになっているから、まったく退屈しない。

 そして発想もユニークなら描写もユニーク。寿司屋でいきなり生のタコを食ったり、金ヅチ片手にたった一人でならず者何十人も片づける乱闘を見せたり(しかも、これがかなり長回しのショットを含む)、歯を引っこ抜く拷問場面やら、いやいやもっと痛そうな趣向やら…ともかく強烈な描写や設定の連続で、辟易させられるものの、どうしたって画面にクギづけになってしまう。

 確かにイタイ描写は大の苦手の僕だが、ここは画面を見逃さずにはいられなかった。引きつけられずにいられない。実はここだけの話、いささか予想していたより映画としてのうま味に欠けるような気もしないでもないが、それでもこのインパクトは絶大だ。この映画、カンヌの審査委員長のタランティーノの名前がやたらと引き合いに出されるが、確かにこのインパクトや極端な設定、それでいて底に漂う意地悪いブラックなユーモアなどは、「レザボアドッグス」あたりで出てきたばかりのタランティーノのテイストも彷彿させられないではない。

 少なくとも、良く出来ているが従来のドラマの定石をしっかり守ったつくりの、パク・チャヌク監督の前作JSA(2000)とは一線を画している。「JSA」が劣っているだの「オールド・ボーイ」が優れているだの…という次元の話にはしたくないが、明らかにこの監督は一線超えちゃったという感じはあるね。

 そして主役三人の素晴らしさ! チェ・ミンシクシュリ(1999)、クワイエット・ファミリー(1998)、そしてたまたまVCDで見る機会があった「ハッピーエンド」(1999)…など、あのどこか「不景気な顔」が売り物の男。今回はスゴ味のある芝居を見せて、観客を完全に圧倒させてくれる。特に終盤のユ・ジテとの対決のくだりは、同時にいくつもの顔を見せて圧巻。思わず見ているこっちまで胸を打たれる。ユ・ジテは初の悪人役とかでイメチェンが話題らしいが、そもそも春の日は過ぎゆく(2001)の時から気に入らないゲス野郎だった(笑)…というのは冗談だが、こういう一見誠実そうな男の、根に持ちそうなタチの悪さを好演。やっぱり「春の日〜」の演技はダテじゃなかったんだね(笑)。

 だがこの映画最大の収穫は、主人公を愛して支える若い女カン・ヘジョンだ。彼女は2001年の東京国際映画祭で上映された、バタフライなる近未来映画に出ていた。確かにあの頃からその個性はバリバリに目立って…というのは真っ赤なウソ。彼女の存在なんかスッカリ忘れていた。この「オールド・ボーイ」を見た後で「バタフライ」感想文を改めて読み直し、「やっぱり出ていたんだ」と遅まきながら気づいた次第。まったく我ながら情けない。

 ただ、このカン・ヘジョンがまた他の韓国若手女優たちから、頭一つ飛び出しちゃった感じがあるんだよね。可愛かったりキレイだったり…韓国女優にもいろいろあるが、例えばほえる犬は噛まない(2000)や子猫をお願い(2001)のペ・ドゥナは、そんな韓国女優たちとはどこかハッキリした違いがあったよね。このカン・ヘジョンはペ・ドゥナとは似ても似つかないが、その「頭一つ飛び抜けた」感じには相通じるものを感じる。「個性派」などという言葉で片づける訳にはいかない、新しい時代の韓国女優という感じなんだよね。ズバリ言えば、この「オールド・ボーイ」の新しさのかなりの部分は、彼女の存在が作り出したものって感じすらある。

 で、問題の「衝撃の結末」について語らねばなるまい。

 …と言っても「衝撃の結末」と言えるモノはこの映画にはいくつもあるのだが…(笑)。少なくとも犯人が主人公を「15年監禁した事」でなく「15年の後に解放した事」に真の目的があった、そのことから考えての「衝撃の結末」については…実はかなり早い段階に僕は察しがついていたんだよね。これは別に自慢でも何でもなくて、結構多くの人がそうなんじゃないか? 仮にそれが分からなかったとしても、それはそれで鈍いとかいう問題ではないし…。ともかくそれが割れる割れないってのは、少なくとも僕は大した問題ではないと思うけどね。…もちろんバラさない方がいいに決まってるけど。

 で、ここらあたりから本題に入る事になる。

 僕はこの「感想」の冒頭で、「この映画って何て言えばいいんだろうか?」…と書いたよね。確かに「面白い」。すごく面白かったしドキドキもしたが、正直言って「この映画を好きか?」と問われれば、僕の答えはハッキリしてる。

 断じて「ノー」だ。

 他のみんなはどうか知らないが、僕は見ていてイヤな気分になった。残酷描写だとかそんな理由ではない。ともかくこの映画の目指すところ、描こうとしているものがイヤだった。それは作者の志がイヤになる…というものでもなかった。見たくないモノを見せられる、考えたくない事を考えさせられる…そんな類の「イヤ〜な感じ」だったのだ。それはたぶん、ハッピーエンドじゃなかったから…という訳でもあるまい。この映画は見ている途中で、どう見たってハッピーエンドになりようもないと分かっている。その覚悟は出来ているはずだ。

 確かにドラマ上「悪人」と設定された人物がちゃんと罰せられず、「主人公」とされた人物が十分には報われず、復讐も普通望まれるようには成就しない。好感の持てる悪意のない人物が、理不尽なカタチに追い込まれたままになったりする。そういう意味でのカタルシスのなさに、「イヤな感じ」を味わったのは事実だ。だがそういう映画を許容出来ぬほどに、こちらも了見が狭いつもりもない。確かに残酷でイタイ場面の続出に辟易もさせられたが、それも耐え難いというほどのモノではなかった。それよりもっとこの映画には、何か得体の知れない「イヤ〜なところ」がある。

 それはたぶん、僕の心の暗い部分を刺激しているはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは絶対に映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後の付け足し

 僕には「復讐したい」人物が5人いる

 今までの45年の人生の中で、「復讐したい」ほど僕を窮地に追い込んだ人間が5人いるのだ。そのうち1人は10代で知り合い、もう1人は20代で知り合った。2人は30代で知り合い、残る1人は40代に人生を共にした。5人のうち1人はたったの一週間だけ顔を合わせただけだし、1人はほぼ3年間を一緒に過ごしたようなものだ。

 5人のうち1人は、もう許してしまった。その人物から僕が得るものも少なからずあったし、結果として仕方なかった…むしろそれで良かったと思えたからね。確かにとてつもない不利益は被ったし理不尽な思いもしたが、もう許そうと思っている。許しはするが、決して忘れはしないけどね。

 さらに5人のうち1人については、僕は唯一この人物だけ「復讐」を遂げた。キッチリと倍返しさせてもらった。僕は一度やるとなったらまったく容赦はしない。たぶん怒らせてはいけないタイプの人間だと思う。僕はどんなカタチでもどんなに時間がかかっても、必ず「借り」は返すからね。「奈落の底」まではいかないが、それなりに手数は返しているつもりだから。

 そして5人の中で僕が「奈落の底に叩き落としてやりたい」ほど憎んでいたのは、そのうち2人だ。

 ここでウソを言っても仕方がない。僕は心底そう思っていた。実行に移さなかったのは、僕が「良心の人」だからだ…なんてバカな事は言わない。何度も言っているように、僕は善人ではない。平気で手を汚した事だって、自慢じゃないが何度もある。やらなかった理由は、そんな事を実行すれば自分に不利益になるだけだからだ。この世では許されていない事だからだ。そんな事が出来る立場にもいない。また、こんなゲスな人間のために自分の手を汚したくない…という気持ちもある。そして、そのまま年月が過ぎていった。今ではその怒りの衝動も、心のどこかに凍り付いてしまった。

 だが、あの暗い情熱みたいなものは、忘れる事が出来ない。

 それと同時に、僕は心底思ったものだ。これだけ悪辣な事をすれば、相手が怨み怒っていることくらい分かるだろう。そいつが自分に復讐しようと思うかもしれない…ぐらいの想像だってつくだろう。ナメていたらヤバイ事になるかもしれないぐらい、分かりそうなものじゃないか。常に自分が安全な場にいられるとは限らない。相手の気持ちの許容範囲だって分からない。

 こいつら、自分が復讐されるかもしれない…って怖くならないのか?

 この「オールド・ボーイ」で主人公が最後に辿り着く「真相」に、そのヒントが隠されている。自分がなぜ理不尽な目に遭わねばならなかったのか?…ということの、理由らしきものに主人公が思い当たるくだりだ。それは、主人公自身の過去の軽率な言動だった。それが「こんなひどい目」に遭うに値いするほどの事かどうかはともかく、問題なのは…「主人公が自分の行った事を全く覚えてなかった」ことだ。

 それに対して、主人公を追いつめた「悪人」は、さりげなくこう答える。「単に忘れちまったのさ、他人事だからな

 その通り。人間は自分が被った痛みというものは覚えているし、その痛切さが身に染みる。だが自分が他者に行った振る舞いは、まったく気にしてなんかいない。それが「痛み」を与えていたかどうかも分からない。言われたって実感出来ない。

 そもそも人間は自分の見たいモノ聞きたいモノ、信じたいモノしか受け付けない。自分が「悪人」だなんて夢にも思わない。自分の行いが他人にどんな影響を与えるかを感じ取れないなら、自分が「悪人」だなんてことの根拠も分かる訳がない。だから人は、時に信じられないほどひどい事をしてしまうのだ。そうでないと理屈が合わない。

 確かにそういう意味で、主人公は軽率な人物ではあった。では、ここで「悪人」として登場してきたユ・ジテ扮する人物はどうか?

 さまざまな映画評やら紹介やらを読んでいると、彼は「悪役」ではない…とか何とか書いてある。「彼も悲劇的人物だ」とか「彼は哀しみのヒーローだ」みたいに受け取れる事とかね。確かにこのエンディングを見ると、そう言いたくなるのも分からないではない。ついつい勢い余って、そう思っちゃったんだろう。それこそ「作者の言いたかったこと」だと思いたくなるところだ。だが、僕はあえて問いたい。この映画を見て、あなたは本気でそう思うのか?

 バカを言ってはいけない。

 アレは誰がどう見たって…マトモに考えれば「逆恨み」以外の何者でもないではないか。だってそうだろう。あんな行為に及んでいれば、いずれああなる事は自明の理だった。そんな事さえなければ、そもそも主人公ですらこんな目に遭わずに済んだのだ。このユ・ジテ演じる男の身勝手で軽率な振る舞いが、こんな事態を引き起こしてしまった。第一、「最悪の事態が起きる」という覚悟…「そうなった時にも、どんな屈辱や苦痛や不利益をも甘んじて受ける」という覚悟なしに、「禁断の果実」の甘さを味わう事が許される訳がない。この男はハッキリ言って甘ったれてるし、テメエだけ「悲劇のヒーロー」ぶったつまらない人物だ。自分のせいで愛する者が破滅したのに、それを他者の罪に転嫁している。しかもそれで自分が受けた痛みですら、その者にかぶせようとしている。復讐の手段すら、カネを使ってヤクザを雇ってと他力本願。ズバリ言ってふざけた男なのだ。

 ここらあたりの違いは、たぶん本当に痛みを受けた人間でなければ分からない。心底血の出るような悔しさを味わった人でなければ理解できない。キレイごとに終始していれば、何となく屁理屈に惑わされてしまう。何となくもっともらしい事を言っている、このユ・ジテ演じる人物と作者にダマされてしまうのだ。もう一度言うけど、あれはただの「逆恨み」だ。そこを見失わないで欲しい。

 問題は…どうやら自分の「復讐」とやらを成し遂げてしまったユ・ジテの「悪人」が、最後につぶやく言葉にある。確か、これで寂しくなる云々…てな事を言っていたはずだ。そしてユ・ジテ演じる人物は、自らに幕引きをしてしまう。

 なぜなら…復讐が成就してしまったら、この人物には自己正当化する理由がなくなってしまうからだ。

 「愛する者を喪った痛み」…この人物の「復讐」の理由はそこにある。にも関わらず、そんな事態を招いた男はのうのうと暮らしている…それがこの「悪人」の言い分だろう。

 だが復讐は成し遂げられた。「恨み」は晴らされた。「何をやっても死んだ者は帰って来ない」なんて屁理屈は、この際やめにしていただきたい。少なくとも「怨みを晴らす」ための行為だった復讐が成就すれば、それはチャラになるのがスジというものだ。それが目的ではないか。チェ・ミンシク演じる主人公は愛する者を失った訳ではないが、その代わり「世間相場の幸せ」とは永久に切り離されてしまった。それで十分というものだろう。

 だが、そうなると…改めて残るのは、ユ・ジテ演じる「悪人」の元々の「罪業」だ。復讐を成就してすべてイーブンになってみれば、結局そこに浮かび上がってくるのはこいつの「覚悟のなさ」と「軽率」と「逆恨み」だけ。復讐を成就したら、もう自分を正当化出来ない。彼には主人公にいて欲しかったのだ、すべての罪業の張本人だということで。そうでなければ言い訳が立たない。自分すらダマせない。自らの罪深さを思えば、生きている事だって出来ないはずだ。ゼンブオマエガワルインダヨ。

 最後の最後、雪山のシークエンスをどうとらえるのか?…それは人によってそれぞれだろう。僕は主人公がいわゆる「世間相場の幸せ」を諦め、この二人なりの愛を育んでいくことを決意した…と見た。それはモラル的には問題はあるだろうが、もはやあれだけの壮絶な経験や強烈な感情を味わった者に「常識」のワクを当てはめるのが無理というものだ

 さらに、最後にチェ・ミンシク演じる主人公が愛する女を固く抱きしめるくだりには、ユ・ジテ演じる「悪人」に対する彼なりの「回答」という意味もあるのではないか。

 「真実の愛」を育んだのではあろうが、自分に対する厳しい覚悟も愛する女を全力で守る気構えも足りなかった「悪人」。それに対して…あれだけ辛酸なめつくしたあげく、自分を屈辱と苦痛の極致に突き落とした相手に対して媚びを売り、犬のマネまでして嘲笑を浴び、しかも舌まで切り落とした主人公。この場面はまさに鬼気迫るものがあったが…屈辱でもあり悔しくもあり情けなくもあり腹わたが煮えくり返るような状況でもありながら、チェ・ミンシク演じる主人公は崇高で実に男らしく見えた。それは、何が何でも愛する者を守ろうという気迫があったからだ。そのためには、例えどんな事でも甘んじて受ける…。

 ユ・ジテ演じる「悪人」は、最後にこんな言葉を吐き捨てる。「オレたちはすべてを知って愛し合った。オマエらはどうだ?」

 偉そうにそんな言葉を言った舌の根も乾かぬうちに、自ら死を選んだこの男。彼は自分の言った言葉が、そのまま自分に返ってきたのに気づいたのではないか。

 チェ・ミンシクの主人公ほどの覚悟もなく、愛する女を守れもしなかった。悪いことは全部人のせいにして逆恨みしただけの、ただのチンケなゲス男と…。

 

見た後の付け足しの付け足し

 ハッキリ言うけど、「見た後の付け足し」以降の内容については僕の妄想に過ぎない。たぶん映画はこんな事を言っていないだろうし、作者の意図もそこにはあるまい。読んで何を言ってるんだと頭に来る人もいよう。分かってないヤツだと嘲笑する人もいよう。理論武装で攻撃したがる人もいるだろう。僕自身も、ホントはまるっきり違ってるだろうなと思っている(笑)。もっともっともらしい事を書こうと思えば書けるのだろう。

 でも、それはどうでもいいのだ。だって、それは全部妄想なんだから。分かってもらえなくて結構。賛同してもらわなくて十分だ。僕の胸の内など、決して誰にも分かるはずがない。分かったなんて思って欲しくもないよ。オレの心はオレのモノ。決して他の誰にも渡しはしないのだ。

 「見た後での感想」に書いたような事なら、どこの誰でも書くバカみたいな感想だろう。確かに映画としてはそれでいいのだろうが、この映画を見た時の尋常ならざる胸騒ぎはそれでは表現出来ない。まぁ、僕も日頃は大人しいふりをしているけれど、実は胸の内では憎悪や激怒が渦巻いている。ハッキリ言って狂ってるのだ。だから大人しくてマトモな「感想」とやらは書けなかった。そんなのは、どこかの誰かが利口ヅラするために書けばいいのだ。僕の役目じゃないだろう。実は…もう映画などどうでもいいのかもしれない

 僕は、今もどこかが狂っている。隙あらば、この怒りをどこかにブチまけたいと狙っている。絶対にマトモではない。もうずっと昔から、マトモに生きていく事など出来なくなっていたのだ。だから何とか日々を生きのびるしかない。

 自分の心を映画でダマしダマししながらね。

 

 

 

 

 

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