「ターンレフト・ターンライト」

  向左走・向右走 (Turn Left, Turn Right)

 (2004/11/22)


  

見る前の予想

 最初この映画のポスターを見た時には、「また金城の恋愛映画か」と正直言ってあまり食指がそそらなかった。いつの頃からだろうか、金城の映画をパスし始めたのは。たぶん、それって「アンナ・マデリーナ」(1998)で鼻につき始めて、ほぼ同じような雰囲気、同じケリー・チャンと共演の「ラベンダー」(2000)を見たくなくなったあたりではないか。次の「君のいた永遠<とき>」(1998)も、どうせ同じようなもんだろうと見なかった。それからは…何かあったっけ?

 LOVERS/謀(2004)で見たのが久々の再会。これはチャン・イーモウだし、共演者も豪華だしね。そうでなけりゃ見なかった。

 今回の映画だってこりゃパスだな…と思っていた。だって運命の赤い糸で結ばれた二人のすれ違いを、金城があの長髪なびかせてスカして演じる…って、そんなもん見たい男がこの世にいるわけない(笑)。女はどうか知らないが、男には何ともいただけないシロモノだ。

 ところが何と監督がジョニー・トーとワイ・カーファイのコンビ!

 これを知って、僕の態度は120パーセント変わった。いきなり気になり始めた。だってこの二人の作品だろう?

 ジョニー・トー作品の素晴らしさは言うまでもないが、彼がビジネスと割り切ってつくる娯楽作…特にワイ・カーファイと組んでのラブコメもなかなか楽しい。一昨年の東京国際映画祭で見た痩身男女(2001)も実に笑えたからね。職人に徹しても、し損じなし。

 ここは鬼門の金城恋愛モノであったとしても、赤い糸なんてヌルいお話であったとしても、ともかく見とく手だろうかね?

 

あらすじ

 ここは大都会・台北。降り続く雨の中、信号待ちをする人々の中に、二人はいた。緑の傘の金城武、赤の傘のジジ・リョン。まだ二人はお互いの存在を知らない。だが何かの予感だろうか、ジジ・リョンはポーランドの女流詩人の詩を口ずさみながら、雨の中で感激に震えていた。それは結ばれる事を運命づけられながら、お互いの存在を知らずすれ違いを繰り返す男女をうたった詩…。

 実はこの金城とジジ・リョン、お互いにそれとは知らないままに、この大都会・台北で幾度となくすれ違っていた。金城が回転トビラを出ていこうとする時にジジ・リョンが入ってきたり、金城が降りてくるエスカレーターをジジ・リョンが登ってくるし、金城が降りてきた電車にジジ・リョンが乗り込もうとするし、何かと言うと彼らは同じ場に居合わせながら、お互いを知らぬままにすれ違いを続けていた

 そんな金城はバイオリニスト。だが仕事に妥協できずにレコーディング・スタジオでも一揉め。結局自分には出来ないと、ケツをまくって出てくる他はない。そんな金城に言い寄ってくる女もしばしばだが、彼は鼻の下を長くするどころか逃げ回るだけ。そんな女たちなど自分に相応しい相手とは思えない。

 一方、ジジ・リョンは翻訳家。オッチョコチョイで忘れっぽい彼女。時に海外ホラー小説も訳さねばならない彼女だが、本当は先に口ずさんでいたポーランドの詩のような、意義のある仕事に打ち込みたいと思っていた。

 そんな二人は…実は隣り合わせたアパートの壁一つ隔てた部屋に住んでいた!

 ところがこの二人、ひょんな事からお互いを知る事となった。公園の丸い池を挟んで対角線上を歩く二人。その池の縁に腰掛けてパンを食べ始めた彼らだったが、たまたま風がいたずらをした。彼女が翻訳中の何十枚もの原稿が、アッという間に池の水に浮かぶこととなった。

 それに気づいた金城が、まず大声を上げる。水に浮かぶ原稿を見て、ジジ・リョンも大騒ぎだ。あげく金城の置いておいた楽譜まで水に落として、ますます大慌て。それでも金城の協力を得て、何とか原稿をすべて救い出す事が出来た。

 公園の芝生の上で原稿を乾かしながら、二人はお互いの事を少しづつ知っていく。そのうち驚くべき事まで分かった。内気で引っ込み思案だった金城がまだ中学生の頃、遠足で知り合って思わず惹かれた女の子…それがこのジジ・リョンだと分かったのだ。こんな偶然がまたとあろうか。

 その時はちょっとした運命のいたずらで、金城の渡した電話番号をジジ・リョンがなくしてしまった。だが、ここで会ったが百年目だ。

 折から土砂降りの雨が降ってきた。慌てて雨宿りの場所を探していた二人は、それぞれの大家とバッタリ会ってしまう。これまた偶然二人とも家賃滞納中。こりゃマズイとその場を逃げねばならない。

 とっさにお互いの電話番号をメモする二人。お互いに書いておけば、今度こそ間違いないはず。こうして二人は雨の公園で別れた。

 ところが雨に濡れたのが祟ったか、金城もジジ・リョンもその日から風邪をひいてしまう。しかも間の悪い事に、二人とも電話番号を書いたメモを雨に濡らしていた。そのため、何が書いてあるか読めないくらいに字がにじんでしまったのだ。

 二人はそれぞれ書いてあった番号を想像しながらあれこれ電話してみるが、どれもこれも間違った番号。さんざっぱら間違い電話をかけまくったあげく、二人はほとほと疲れ切ってしまう。その際にたまたま偶然に同じ食堂に電話した二人は、風邪をひいて熱を出した事もあってその食堂に出前を頼む。

 そんな二人からの電話を受け、それぞれの出前に出かけたのは…食堂でバイトで働くテリー・クワンだ。彼女はまず金城の部屋に出前して、音楽家でイケメンの金城に一目惚れ。その直後にジジ・リョンの部屋に出前して、金城の部屋にあったのと同じような雨ににじんだメモを発見。この二人のただならぬ間柄を察知してしまう。だが金城に惹かれていたクワンは、ジジ・リョンの事は他言無用と胸の内にしまい込んだ。

 ところが、さらに二人の病状は悪化。救急車で病院へと担ぎ込まれる事となる。この病院の医師エドマンド・チェンが、かつてジジ・リョンに勝手に惚れていた男だったから話がややこしくなった。

 かくして金城にはクワン、ジジ・リョンにはチェン医師が付きまとい、二人の仲を引き裂くような事ばかりしでかす。しかもクワンもチェン医師も二人の秘密を知りながら、相手に黙って何とか知られないままにしておこうとしていた。

 せっかく再会出来たのに、またしても運命のいたずらで離ればなれの二人。その後もすれ違いに次ぐすれ違いで…お互いの縁すら怪しく思うようになる。しかものべつまくなしクワンとチェン医師がジャマをする。

 果たして二人は、またしても縁を取り戻す事が出来るのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 ハッキリ言って、かなりクサ〜い話ではある。

 原作は台湾の作家が描いた「大人の絵本」で、大ベストセラーになったとのこと。だが、こう言っては何だが、大の大人がこんなクサい話に夢中になってるのって、あまりカッコのいいもんじゃない気がするんだけどね(笑)。

 いや、すれ違いの話はキライなわけじゃない。メロドラマも好きだ。純愛映画大いに結構。だけど、そこにのめり込むにはそれなりの段取りや準備ってモノを踏んでもらえないと…。

 実際、この映画を見始めた時には、少々キツいものがあった。

 そもそも金城映画にウンザリしたってのは、彼が…というか彼の役柄だが…あまりに毎度毎度シラジラしくええカッコしいしているから。そんなのばっか見せられて、恥ずかしくなったって事があるんだよね。今回見ていて、改めてそれを思い出した。ええカッコしいだから反感を感じる…ってなら、まだ救われる。笑っちゃうってなら、まだ許せる。でも、見ていて恥ずかしい…ってのは、とてもじゃないけどいたたまれないよね。

 何しろ金城がバイオリニスト…ってあたりがもう少女マンガ・モードだ。ドカチンとかエロ本屋とかであれとは言わないが、ちょっとカッコつけすぎじゃないか? そして、商業主義には妥協できない不器用な一本気。それじゃあこの世間で食えないんとちゃう? しかも女から迫って来られて逃げ回る、内気で純粋でナイーブな金城。何だかいい大人のザマじゃない。見ちゃおれないよ。それをあの金城が、明らかに“自分はカッコいい”と思いながら演技している(笑)。これは相当にお寒い。さてはヨン様の向こうを張って、「カネ様」とでもいうつもりなのか?

 対するジジ・リョンは…というと、ハッキリ言ってキャラがボンヤリしていて、可愛いけど天然ボケ…というこの映画が要求する味までは至ってない気がする。表現力が乏しいと言うべきなんだろうか。もうちょっと大胆に笑いを誘えればいいのだが、まだまだ彼女も「よそいき」演技の域を出ないのだ。

 結局この二人とも、見ていて寒くなるのは「バカになれない・なりきれない」から。ここは一発笑いをとらねば…ってな時でも「捨て身」になりきれない。どこかええカッコしてしまうし、「よそいき」を捨てられない。だから結果として、かえって寒くなるという悪循環に陥っているのだ。ズバリ一言で言うと、二人とも芝居が「ヘタ」なわけ(笑)

 それでもまだジジ・リョンは単に「拙い」で済むからいい。だが金城の場合はすでにシャレになってない。彼の芝居は、もはや人様からカネもらって見せるシロモノではない。正直言って見ていて久しぶりに頭に来た。

 だから見ている側の共感を得られないどころか、見ていて恥ずかしくなってくるのだ。

 こりゃあどうしようもないかな?…と、僕は見ていて半ばサジを投げかかったよ。さすがのジョニー・トーとワイ・カーファイのコンビでも、これほど主役コンビが大根では如何ともし難いのか。「Needing You」(2000)や「痩身男女」でのアンディ・ラウとサミー・チェンとの抜群のコンビネーションを思うと、やっぱりこれは主役二人の質の違いに尽きると諦めかかってしまった。だってアンディ・ラウもサミー・チェンも、ここぞ…という時にはちゃんとやるべき事をやってたよね。でくの棒みたいな金城とジジ・リョンとは違う。ハッキリ言って「格」が違うんだよ。

 ところがどっこい、ただで転ばないのがジョニー・トーだ。

 僕は香港映画通でも何でもないが、それでもこのジョニー・トーの名前は心に刻んでる。それはあの恐ろしくカッコいい作品、ザ・ミッション/非情の掟(1999)を見ているからね。スタイリッシュでクールなアクションと、男の流儀と心意気を描ききった作品。これには大いに酔わされた。素晴らしすぎる。特にジャスコ(笑)店内での銃撃戦場面は、映画史に残るんじゃないだろうか?

 だけど一方でこのワイ・カーファイと組んで「Needing You」や「痩身男女」といったラブ・コメディをつくるという、ガラッと違った一面をも持っている。この落差は一体何なのだ?

 香港映画に詳しい人に聞くところでは、本来ジョニー・トーがつくりたくてつくっているのは「ザ・ミッション」のような作品群。「Needing You」や「痩身男女」などはあくまで商業的要請でつくっているということらしい。契約上つくらざるを得ない映画という事になるのだろうか?

 確かにこういう激しく落差のある作品を連発する、「両刀使い」の映画作家ってのはいることはいる。例えば韓国映画が今みたいな隆盛に至っていない時期、一世を風靡したイ・チャンホ監督などはその典型だろう。あざとい程のエロ狙いがミエミエの「膝と膝の間」(1984)、荒唐無稽なスポ根マンガを映画化した「外人球団」(1986)などで大当たりを取る一方で、南北分断を題材にしたシュールな作品「旅人<ナグネ>は休まない」(1987)をつくる。やりたい映画をやるためにカネ稼ぎ映画をつくる…その落差はイ・チャンホの場合も露骨にハッキリしていた。ただしイ・チャンホはその落差がしばしば作品の出来映えにも反映していたんだよね。「於宇同/オウドン」(1985)みたいな線上スレスレのモノはともかく、ミエミエなお金稼ぎ映画は思いっ切り手を抜いている。手を抜いたつもりはないのかもしれないが、モチベーションの低さが出来に出ている。

 ジョニー・トーの場合、このカネ稼ぎでつくってるはずの「お仕事映画」ですら、かなり面白い見応えのある作品にしちゃうからスゴイ。それもあんなクールでストイックなアクションを好んでいるはずなのに、どうしてラブ・コメディを臆面もなく楽しくつくれるのか? この人の場合、ただただ「才人」と言うしかないね。

 今回もジョニー・トー…とワイ・カーファイは、どう考えても気乗りのしない主役二人を使って、あまりに他愛なさ過ぎなお話を何とか盛り上げようとしている。その作戦が見事に功を奏しているのは、回想シーンの挿入だ。

 二人がお互いのそもそものなれそめに気づく、中学生時代のエピソードを描いた回想シーン…この場面が出てくるまで、正直言って僕はこの映画をダメだと投げていた。こっ恥ずかしくてこっ恥ずかしくて、とても見ちゃおれなかった。

 ところがこの場面が出てきてから、僕は一気に画面に引きつけられた。

 この場面に出てくるのは、ほとんど素人同様で芝居以前の中学生の二人。それまでヘタクソなくせにカッコばかりつけてる金城と芝居になってないジジ・リョン…特に致命的とも言える金城のヘボ演技に辟易していた僕は、ここですっかり救われる気がしたんだよね。あの子役の二人の素朴な演技は、一服の清涼剤のごとく感じられた。そして、素朴でナイーブな恋愛物語が、あの子役の二人のおかげでにわかに説得力を持った。それ以降は金城やジジ・リョンが出てきても、あの子役二人の素朴さが残像のように観客の脳裏に活きているのだ。これはなかなか巧みな作戦だよね。

 こうやって観客の心を掴んだら、あとはジョニー・トーとワイ・カーファイの独壇場だ。元々演出に力があるから、無理矢理にも強引にも話を引っ張っていってしまう。かなりあざといすれ違い物語なのに、とにかく最後まで引っ張ってしまうのだ。

 また、元々の原作にあった趣向ではあるだろうが、「惹かれ合った男女が実は知らず知らずのうちに壁一枚隔てた隣り合わせの部屋に住んでいた」…という趣向は、どうしたって中国・上海映画の古典的恋愛映画「十字路」(1936)を思わせる設定ではある。しかもこれって、往年の香港スター女優ベティ・ロー(あるいはロー・ティ)主演の「魚水重歡/Happily Ever After」(1960)に流用されたり、ツイ・ハークの「上海ブルース」(1984)にまでパクられたごとく、中国語圏映画では「御存知」モノもいいとこのコテコテ設定らしいのだ。たぶんこの他の中国映画、香港映画、台湾映画などにも出てくるのではないか。

 こういう「過去の定番」をイマドキぬけぬけと大胆に活かしきっているあたり、臆面もないと言えば臆面もないが、やっぱりかなりの力業だろう。演出に馬力がなければ出来ないよ。

 ただ…今回はちょっと問題がない訳でもない

 元々が文字通り“絵に描いた”ような「絵本」のお話。それを何とか子役使って説得力を持たせた。そして「都会のおとぎ話」を構築した。…そこまではいい。ただ、この主役二人を囲むかたちの食堂の娘テリー・クワンと医師エドマンド・チェンがあまりにあざとい。「おとぎ話」として楽しむには、こいつらの存在が橋田寿賀子ドラマ並みに卑しいのだ。見ていてイヤになる。しかも彼らは劇中で更正しない。普通この手の作品の場合、仇役は最後に更正していいところを見せるのが常道だ。それなのに、この映画では最後までやる事が汚いし、そのまま放置して画面から消えてしまう。夢も希望もへったくれもない。これはいかにもマズかったのではないか?

 おとぎ話ならおとぎ話らしく、後味よく出来なかったのか。最後までこの二人のいやらしさが、奥歯にジャリッと触る砂みたいな感触を残すのだ。こいつはジョニー・トーもワイ・カーファイも、才人らしからぬ誤算だったんじゃないだろうか? ちょっと残念だ。

 

見た後の付け足し

 この映画ってワーナー・ブラザースがアジアの非英語映画の製作・配給に乗り出すための、ワーナー・ブラザース・ファー・イーストの第一回作品らしい。やはりアジア支社を設立して「初恋のきた道」「グリーン・デスティニー」などを連発してきたコロンビア映画に倣ってのアジア進出。ハリウッドもいよいよ本腰を入れてアジア戦略を狙っているのか。その一番手として指名されたのがジョニー・トーというのは、確かに目の付け所がいいと言わざるを得ない。

 ところでこの映画には、嬉しいゲスト・スターも出ている。金城をバイオリンを弾くバイトとして雇うレストラン・オーナーとして、「ザ・ミッション」に出演していたラム・シューが出ているのだ。おそらくはジョニー・トーとの付き合いで出てきたのだろうが、これにはすっかり嬉しくなってしまった。

 しかもこの役が傑作。タキシードに身を包んではいても、言ってる事も見た目もまるであか抜けないオッサン。どう見ても音楽やら芸術など分かるわけもない…と金城が見くびっていたらさにあらず。ここでラム・シューは、実にさりげなくサラッとこう言ってくるのだ。「オレもヨーロッパで修行したから分かる。オマエならウィーンでだって通用するさ」

 これにはナメてた金城も思わずビックリ。見ている僕らはニッコリの好シーンだ。だって僕らは「ザ・ミッション」のラム・シューを知っている。あそこでも、一見年がら年中マメを食ってる変なオッサンでしかなかったラム・シューだが、実は銃を使わせればプロ中のプロ。しかも一旦相手を仲間と認めたら、命を懸けて守ろうとする熱い思いの持ち主だった。男は見た目じゃない…ってのはよく言われる言葉だが、それを本当に体現していたのがあの映画でのラム・シューだった。今回のゲスト出演も、そんな彼だからこその見せ場だと言える。

 そんなラム・シューをここでわざわざ香港から連れてきて、ワン・シーンだけ出したジョニー・トー。彼はひょっとしたら金城に何かのメッセージを伝えたかったんじゃないか?

 ええカッコするばかりが男じゃないだろう。いざと言う時に自分を捨てられないんじゃ役者じゃないだろう。ここぞという時にバカになれなきゃ芸人とは言えないだろう。

 まぁ、それが伝わるようなタマかどうかは別にして(笑)…金城のダメさ加減がシミジミと身に染みた今回の作品。このラム・シューのカメオ出演を見ていると、そんな繰り言の一つも言いたくなるんだよね。

 

 

 

 

 

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