「ユートピア」

  Utopia

 (2004/11/15)


  

見る前の予想

 この映画がスペイン映画だと知ったら、ピピッと予感が働く人って必ずいるよね。かく言う僕も「ムムムッ」と来た。

 何しろ昨今のスペインと来れば、ホラーやSFのジャンルでユニークな人材を次々輩出している。毎度同じ事を言ってるようで気が退けるが、「次に私が殺される(テシス)」オープン・ユア・アイズアザーズアレハンドロ・アメナーバルやら、さらにダークネスジャウマ・バラゲロ10億分の1の男フアン・カルロス・フレスナディージョ…と、文字通り続々と新鋭が登場してくるからスゴイ。こうなると、この国の映画界にはこのジャンルの人材を生み出す土壌があるんじゃないかと思ってしまうよね。

 そんなスペインから「未来を予見する男」の物語がやって来る。

 しかも主演のレオナルド・スバラグリアは「10億分の1の男」の主役を演じた男。ヒロインのナイワ・ニムリは、「オープン・ユア・アイズ」や「アナとオットー」に出てた女優。何となくそのへんの雰囲気が臭ってくるではないか。しかも国際派のチェッキー・カリョまで出てる。

 この映画ってあまり話題になってはいないが、ひょっとして後から「見とけば良かった」って事になりはしないか?

 

あらすじ

 その男…レオナルド・スバラグリアは「未来が見える男」だった。見たくて見てるんじゃない、見えるのだ。その都度ひどく消耗して鼻血を出す。今日も今日とて自爆テロに母子が巻き込まれて死ぬ姿を思い浮かべてしまった。クルマに閉じこもったスキンヘッドの男が、クルマのフロントグラスにスプレーで「ユートピア」と大書きし、いきなり自爆する。彼はその悪夢をある「老人」に相談するが、「警察に相談しろ」と言われるだけ。仕方なく警察に出かけたスバラグリアだが、一体これを何と言って説明すればいいのか?

 案の定、フランス人の刑事チェッキー・カリョは真に受けてくれない。しかもスバラグリアの言ってる事もとりとめがなさすぎる。「ユートピア」という字を書き残しますが、それは意味がありません…とか何とか、何を言ってるのか分からない。そんなスバラグリアは、カリョのデスクの上にある写真に目を留める。

 何と…爆破事件で巻き添えをくう母子ではないか!

 それはカリョの妻と子だった。しかも今まさにちょうど警察署に向かって、カリョに会いに歩いてくるところ。スバラグリアのただならぬ表情に気づいたカリョが慌てて目を窓の外にやると、そこには手をつないで歩いてくる妻子の姿が見えるではないか。すぐそばには、スキンヘッドの男を乗せたクルマが一台…。

 ドッカ〜〜〜〜〜ン!

 何もかも木っ端微塵。カリョの目の前の窓ガラスも爆風で粉々。カリョもスバラグリアもアッという間に吹っ飛ばされた。

 それからしばらく経って…。

 スバラグリアはガソリンスタンドの夜勤の仕事に就いていた。とにかく人に会うのが煩わしい。クラ〜く一人でいるのが気楽と、人生投げたような日々。そんなスバラグリアの前に、旧知の男フェレ・マルティネスが現れた。彼はスバラグリアに、「老人」が心臓発作にあったと伝えにやって来たのだ。

 そこは時代物の古本屋…実は「老人」をはじめとする、「ある集団」の根城だった。スバラグリアもかつてはその一員だったのだが、例の一件以来彼らとは距離を保つようになっていた。久しぶりに戻って「老人」…エクトル・アルテリオを見舞うスバラグリア。そんな彼は、自分がここへ招かれた当初の、少年の頃を思い出す。

 孤児だったスバラグリアを引き取って親代わりに育ててくれたのが、あの「老人」アルテリオだった。彼にはその頃から、特別な「能力」が備わっていた。それは「予知能力」だ。そのため孤児院ではみんなに気味悪がられていたが、「老人」アルテリオはそんな事は先刻承知…というか、その能力ゆえに彼を引き取ったのだった。

 「老人」アルテリオはそんな予知能力者たちを集め、「ユートピア」という集団をつくっていた。それは「予知」の力で世の中に何らかの貢献をしようという集まりだった。まだ少年のスバラグリアを、「老人」アルテリオは壁に貼られた数多くの写真の前に連れて行く。「これらの写真を見れば、何かを感じるはずだ」

 確かに彼は何かを感じた。例えばある少年の写真を見て、その少年が育った後に自殺する様子を予知した。だが、大抵の場合は手遅れかムダなだけ。そんなアレコレですっかり空しさを感じ、「ユートピア」から離れて行ったスバラグリアだった。

 ところがそんな彼が、またぞろ悪夢に立て続けに襲われる

 南米で子供たちに勉強を教えている女教師。それが突然の民兵たちの攻撃にさらされる。教え子たちはみな無惨に殺される。彼女も民兵たちに連れ去られて…。

 それはスバラグリアが昔からその動向を予知していた一人…ナイワ・ニムリだった。「老人」アルテリオは、そんな彼女を救いに行け…とスバラグリアに告げる。

 実はその女性ニムリは、いつの間にかスペインへとやって来ていた。そして怪しげな集団と行動を共にしていたのだ。無論スバラグリアはそんな彼女の動向もキャッチしていた。

 その一方、あのチェッキー・カリョもこの一件に関わり始めていた。あの爆破事件で視力を失ったカリョは、パートナーの女性エマ・ビララサウと共に拉致被害者奪還の仕事に就いていたのだ。今回の依頼者は例の女性ニムリの母親。元々がいいトコの出だった彼女は、南米でのボランティア活動に身を投じていた。それが民兵によってさらわれ、危ないところを今度は地元のゲリラ組織に助けられる。だが、このゲリラもカルト教団まがいの危険な集団で、ニムリは彼らにマインド・コントロールされてしまった。そして彼らはニムリを仲間にして、資金集めと何らかの目的のためにスペインへと潜入したのだ…。

 さて、このカルト教団ゲリラの連中は、麻薬の力でハイになる危ない奴ら。同時にその麻薬を売りさばいて、資金集めをしようと企んでいたのだ。スバラグリアはそんな連中のアジトを見つけ、いきなりニムリの前に現れて「危ないから逃げろ!」と直談判。見たことも聞いた事もないスバラグリアにいきなり出てこられたニムリは、当然こいつの言うことなど聞く耳は持てない。しかもスバラグリアは何の考えもなしにノコノコ乗り込んだから、他のゲリラの連中に囲まれてすぐにブチのめされる。だが、気絶する寸前にスバラグリアがつぶやいた一言は、ニムリを正気に戻すに十分な言葉だった。

 「カオナボ…」

 それは民兵たちに殺された、ニムリの教え子の名前だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 正直言ってあまりこの映画は感心しなかった。何よりお話がスッキリと入って来ない。お話がお話だから最初はナゾめいていてもいいんだが、いつまで経ってもスッキリしないしツジツマが合わず、最後まで見ても腑に落ちないところがあるのはいかがなものか? 何だか基本的な話術に問題があるとしか思えない。

 まず、僕の疑問をザッと挙げてみようか?

 「ユートピア」は結局何を目的にしている集団なのか? 予知能力を使って世の中に価値のある人々を助けるための集団か、それともどんな人間でも助けるのが目的か? どのくらいの規模の集団で、具体的に助けるための方法はあるのか?…これが分からないと、何をやってるのか分からない。そもそも、誰でも助けているとは思えないが、限られた人間だけ助けているというのも傲慢な話だ。このへんからして「ユートピア」って集団には無理があるよね

 予知能力者は行き当たりバッタリに予知が出来るのか? ある特定の人物の事だけ見えるのか? 主人公を見ていると、大分前からヒロインが見えていてフォローし続けていたようにも思えるんだけどね。それってヒロインがボランティア活動をするような「価値のある人」だからか?

 よく分からないのは、それだけではない。チェッキー・カリョが関わってくるのは、最初から必然なのか? それとも偶然なのか? 必然にしてはラストではムダな存在にしか見えないのだが、一体どうなのだろう?

 そもそも登場人物のムダでアホな行動も多すぎる

 主人公はヒロイン救出について「任せろ」などと腹案アリみたいな事を言っていながら、いきなりノコノコとゲリラのアジトに乗り込んで行く。彼の事を知りもしないヒロインに突然「逃げろ」」などと言っても、耳を貸す訳がないではないか。あげくブチのめされて捕まってしまう。たまたま助かったからいいようなものの、まるで計画性ナシ。しかも危うくヒロインに撃ち殺されそうになって、「殺さないで」などと嘆願する情けなさ。一体何を考えているのだ。

 そもそも南米でトラブルが起こったのに、何とも都合良くゲリラたちがスペインくんだりまで出てきてくれる調子の良さもいただけない。僕は舞台は南米に移るとばかり思っていたから、途中で「???」と当惑しちゃったよ。今この場面はどこの場所の設定になってるの?…って、一瞬分からなくなった。いちいち肝心な情報提供をしてくれないから、何だかヤケに分かりにくい話になってるんだよね。そのくせスケールがちっちゃい。

 実際、予知能力者の話で…云々って聞かされていたから、僕はもっとスケールでっかい話だと思ってたよ。ひょっとしたら「オープン・ユア・アイズ」ではないけど、あれよあれよ…とビックリしちゃうような話になると思った。実際「ユートピア」みたいな集団がいるとなれば、そのくらいの話になってもおかしくないはずだ。

 ところがこの「ユートピア」の設定自体がハッキリしないしショボいあたりから、この映画ってどうもサエない展開になる。スペインの地方都市で限られた顔ぶれの人たちが、何やらゴチョゴチョやってるだけの話になる。何だかショボくれたお話なんだよね。これにはガッカリした。

 これってクーロ・ロヨフアン・ビセンテ・ポスエロによる脚本がマズいのか。それともマリア・リポルなる女性監督がマズイのか。まぁ、どっちもどっちの感じはするけれど…僕はあえて監督リポルの罪が重いような気がするんだよね。

 それはゲリラのアジトを警察の特殊部隊が急襲する場面を見て、すごく感じたよ。

 唐突にスローモーションで、特殊部隊が乗り込む姿を見せるこの映画。ジャズのスタンダード・ナンバーみたいなのを流しながら、アクション描写を甘美に描こうとするのは分かるが…それって一体何の意味があるのか?

 それまでの流れとこの場面の処理とがまったく剥離している。何の脈絡もない。こんな曲を流して甘ったるく描く必然性がない。だって観客も作り手もこのゲリラに何の思い入れもないんだからね。それを意味ありげに見せることに、どういう意図があったのか? 単なるカッコつけにしか見えない。まったくのムダではないか。

 主人公たちの言動に疑問が残ったり、予知能力やら「ユートピア」集団に疑問が残ったり…というあたりも、話術に問題があったからではないか? ハッキリ言って元々あまり面白い話ではなかったかもしれないが、演出のマズさですっかり破綻してしまった。そんな気がするんだよね。

 

見た後の付け足し

 こうもボロクソに言ってしまわなければならないとは、書いている僕も情けない。この映画って全然話題になってないけど、ひょっとしたら「拾いモノ」かも…と内心結構期待して見に行ったのだ。だが、やっぱり話題になってないだけの事はあるよ。すっかりアテがはずれてしまった。

 それにしたって、予知能力が出てきて、南米のカルト教団が出てきて、フランスの刑事が出てきて…って来れば、どう考えても面白くなりそうだったんだけどねぇ。どうしてなんだ。

 まぁ、この監督をかなりコキ下ろしてしまったが、そもそもこの人には向いていないジャンルだったのかもしれない。だってこういうサスペンスやら超自然的ネタって、この人それまで手がけてなかったらしいんだよね。だとしたら、大分勝手が違ったかもしれない。

 何しろこの人の前作ってあのアン・リーの「恋人たちの食卓」のリメイク。それもアメリカを舞台にヒスパニック系の家族に変えて描いたモノだと言うのだ。そういうネタをつくっていた人なら、そりゃあ無理かもしれないよねぇ。

 いや、待てよ。…でも当のアン・リーは、一方で「グリーン・デスティニー」とか「ハルク」なんかもつくったんだよね? それって事は…。

 う〜ん、やっぱりこの監督、単にヘボなだけなのかなぁ。そう言っちゃ身もフタもないけど(笑)。

 

 

 

 

 

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