「エイプリルの七面鳥」

  Pieces of April

 (2004/11/15)


  

見る前の予想

 この映画のことは、今年のアカデミー賞レースの予想をする時に初めて知った。主役の一人パトリシア・クラークソンが、助演女優賞候補にノミネートされていたからだ。オスカーのオフィシャル・サイトに出ていた簡単な説明で分かったのは、クラークソンの役が「娘のアパートで家族水入らずに過ごそうとクルマを走らせる乳ガン患者の女」であるという事ぐらいだった。

 その後、「娘」がケイティ・ホームズであること「娘」と「母親」が長年折り合いが悪かったこと「感謝祭」をキッカケに死が間近な「母」とわだかまりをなくしたいと思っていること…などの内容も伝わって来た。で、「娘」は慣れぬ手つきで七面鳥を焼く…その奮闘努力のお話だということも。

 そこまで知ってしまえば、ハッキリ言ってもう見るまでもないお話のように感じる。奮闘努力の末、結局めでたしめでたし。感動の幕切れ。そうならない訳がないのだ。たぶんいいお話なんだろう。…ただ、正直言ってあまり食指がそそる物語ではないね。だって驚きもないだろうし、もう見ちゃった気がする。少なくとも、「ソウ」「コラテラル」を好むような「面白い映画」を求める人にはいかがなものかと思う。

 では、実際のところはどうだったかと言えば…。

 

あらすじ

 朝のまどろみの中で、ケイティ・ホームズはいつまでも目を覚まさずウダウダしている。そこでアフリカ系の恋人デレク・ルークは、彼女を叩き起こして冷たいシャワーにブチ込む。そうもダラダラしていられない。今日は彼女の家族を迎える日。ホームズの家族が郊外の実家からこのニューヨークへ、感謝祭を祝いにやって来る。そのための七面鳥も焼かねばならない。グズグズしてはいられないのだ。

 特にルークは彼女の両親と顔を合わせる最初の機会なので、何とか成功させようと張り切っている。その点、ホームズも今日の準備に張り切ってはいるが、実は胸中には複雑なモノがある。どうも彼女と母親とは、前々からあまり折り合いが良くなかったようなのだ。この日もルークとの会話でかつての母親のトゲトゲしい言葉を思い出し、いささかブルーになってしまうホームズ。だが、そうも落ち込んではいられない。用意をしなくては、七面鳥を焼かねば

 一方そのホームズの実家では、早朝目覚めた彼女の父親オリバー・プラットが、ベッドに妻の姿がいないのにビックリ。家中を探しまくるがどこにもいないので慌てに慌てる。まさか…と思ってガレージに向かうと、プラットの妻=ホームズの母親パトリシア・クラークソンが、すでに支度を済ませてクルマに乗り込んでいるではないか。プラットは他の家族に向かって大声を上げる。

 「みんな、出かけるぞ! 急げっ!」

 七面鳥を焼くために洗ったり、詰め物を入れたり…その手つきの何とも危なっかしい事。どう考えても、これはホームズのつくる初めての料理に違いない。ルークも手伝って、慣れぬながらも何とか準備を進めるホームズ。念には念を…と丁寧に事を進めるルークに、ホームズは「適当でいい」とつぶやく。「だって、来ないかもしれないし…」

 そう。実際のところ、実家の家族の方は今ひとつ盛り上がりに欠けていた。ホームズの妹アリソン・ピルは、七面鳥なら自分が焼いた方がうまく出来るのに…とブツブツ。弟ジョン・ギャラガー・ジュニアはやたらと写真を撮ったり冗談を言ったりして、むりやり場を和ませようとしている。母クラークソンは…そんな中で憮然とした表情を保ったまま。そんな彼女を家族全員がやたらと気を遣っていたわっている。だが、そんないたわりが彼女には煩わしいようだ。「黙って! 私は大丈夫よ!」

 父プラットは何とか今日を楽しい一日にするために、みんなの気持ちを盛り上げようと気配りしていた。だが、どうもそれはうまくいっていないようだ。それでも老人ホームに立ち寄ってボケが進んだ祖母アリス・ドルモントをクルマに乗せ、一路ホームズの待つニューヨークへ。

 さて、何やら用事があると言って、ルークは家を出て行った。ともかく七面鳥を焼かねば。だがそこへ来て、ホームズは重大な事実に気が付いた。

 部屋にあるオーブンが壊れている!

 慌てて管理人に電話するが、感謝祭で留守。メーカーに問い合わせてもラチがあかない。どうする? 一番肝心要の七面鳥が焼けないとなったら…。

 かくしてホームズは、自分たちが住む汚いアパートの他の部屋を次々訪れ、何とか助けを求めようとする。だが弱り目に祟り目。まるで無視を決め込むヤツ、快諾してくれたはいいが部屋が不衛生極まりないヤツ…オーブンの貸し手はなかなか見つからない。あるアフリカ系の女など、彼女が困り果てて頼んでいるのをせせら笑う始末だ。

 ところが世の中分からない。この中年女リリアス・ホワイトは、ホームズの境遇を聞いて大いに同情した。亭主イザイア・ウィットロック・ジュニア共々、ホームズの話にもらい泣き。どうもホームズの母親には、何やら事情があるようだ

 ともかく中年女ホワイトは、ホームズに協力を申し出た。他にいろいろつくらねばならない料理の手伝いを、この夫婦でしてくれると言うのだ。こうなれば百人力。余った時間でホームズはオーブンを探せばいい。

 こうしてホームズはオーブン探しのために、再びアパート内を走りまくる

 その頃ルークはと言うと、何やらダチを探して右往左往。何と彼はホームズの家族の前でキチッとしたところを見せようと、スーツを手に入れるために東奔西走していたのだ。

 さて、クラークソン、プラットら一行は、クルマでニューヨークに向かっている途中。だが母クラークソンは時間が経つにつれて苛立ちの度合いを増していく。やたら皮肉な口調で辛辣な事を言ったり、不平不満をぶちまけたり。それは、思うに任せない体調への苛立ちもあるようだ。何しろ停車してトイレに入るたびに吐き気に襲われる。実はクラークソンは乳ガンの末期で、もはや余命幾ばくもないのだ。今回はそんな彼女にとって、家族全員揃う最後のチャンスでもある。

 だがそんなクラークソンは、わざわざお菓子や食べ物を多く買い込んできてクルマに持ち込む。これにはプラットも黙っていない。「あの子がわざわざ七面鳥を焼いて待っているのに。これはあんまりだ!」

 だがクラークソンは憮然としたまま。悪びれもしない。彼女はホームズの料理にもホームズ自身にも、まったく期待していないからだ。「どうせロクな事にならないわよ!」

 さて、まったく英語を話せない中国人老夫婦に手こずっていたホームズは、ついにオーブンを貸してくれる人物を見つけた。それは気取った若い男ショーン・ヘイズ。いささか神経質そうなキャラに不安を抱いたものの、ともかくここは背に腹は代えられない。ところがこの男が何かとうるさい。アレコレ口を出してくるのに閉口したホームズは、彼が聞いているとは知らずに皮肉を口走る。これに神経質男ヘイズがキレた。愛犬をお散歩などと称して部屋にカギをかけて外出。彼女を中に入れようとしない。これにはさすがに弱り切るホームズだった。

 クラークソン一行も、クルマでニューヨークへ近づけば近づくほど険悪の一途を辿る。昔のホームズの思い出を語ろうにも、何一ついい記憶を思い出せないクラークソン。そんなこんなで彼女はクルマから降りて、家に引き返そうとわめき出す。「もうたくさんよ! 思い出と言えば万引きだとか火事だとか。どうせ今度もイヤな思いをするだけだわ!

 だが、そんなクラークソンをプラットは固く抱きしめた。「今度はきっと楽しいよ。いい思い出をつくるんだ!」

 一方ホームズは、ようやくドアを開けたヘイズと一悶着。七面鳥を「人質」にとって優位に立ったこの男は、ホームズにイヤミを言いながらゴキゲンだ。しかもこの男の飼い犬が、七面鳥の足を一本かじり取ってしまったではないか。これには怒り心頭のホームズ、一気にブチギレて部屋に突進。七面鳥を奪還すると共に、ヘイズの気取ったカツラを奪い取って部屋を脱出する。

 「このズベ公め、悪い娘だ!」

 アパート中に響くヘイズの悪態に、ホームズは階段に座り込んで涙ぐむ。「ちがうもん…」

 だが肝心の七面鳥はまだナマだ。そしてオーブンが手に入るアテはない。一体どうしたものか…とさすがに思案に暮れるホームズの前に、一人の人物が立ちはだかった。

 それは、先ほどの中国人の老人だ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 ハッキリ言ってビックリするような映画ではない。ストーリー部分をお読みになればお分かりの通り、ほぼ予想通りに物語は展開する。ラストまで見たって「衝撃」やらとてつもない「感動」なんて得られない。

 ならば、やっぱり面白みのない「感動作」なのか?

 いやいや、これがなかなか侮れない展開なのだ。まったく驚きのない物語なのに、それでも映画に引き込まれてしまう。最後までついつい見てしまう。

 そもそも…ヘタに「感動」などを期待しない方が、この映画はもっとずっと楽しめる。実はこの映画、何とも嬉しい事に「娯楽映画」の基礎をキチンと押さえているのだ。

 この映画は娘ケイティ・ホームズ側のエピソードと母パトリシア・クラークソン側のエピソードが平行して進行する二部構成だ。まずはここに構成の妙があるんだよね。

 特にケイティ・ホームズの部分が見事なのだが、ここに関してはズバリ、娯楽映画の王道「難関突破」モノの常道をいっている。母親との関係修復最後のチャンスを賭けて、娘が感謝祭の七面鳥を焼く。元々が料理という柄でもない彼女が、七面鳥を焼くだけでもサスペンスだ。しかも、肝心のオーブンが使えないというアクシデントに見舞われる。頼みの恋人はいない。こうして彼女は、オーブンを求めてアパートの中を右往左往しなければならない。さまざまな住人に懇願し、そこで貴重な出会いを得るかと思えば苦境にも立たされる。これがなかなかハラハラさせられるんだよね。

 とにかく、次から次へと危機また危機。最近ではスウィングガールズが素晴らしい「難関突破」モノの典型だったが、これもそのジャンルに入る。娯楽映画として、見ていて実に面白い。

 「スウィングガールズ」の感想文では、僕は「難関突破」モノの傑作として「隠し砦の三悪人」(1958)を挙げた。他に「ダイ・ハード」(1988)やらタワーリング・インフェルノ(1974)など、いわゆるパニック・スペクタクル映画あたりも大抵このカテゴリーに入る。だが「難関突破」モノを成立させるために、何も大がかりな設定やら派手な趣向などが絶対に必要な訳ではない。「スウィングガールズ」やこの「エイプリルの七面鳥」はその典型だ。ちょっとズベってた娘が母親のために七面鳥を焼く…たったその事一つで、かくも映画がサスペンスに満ちていく。さすがに他に挙げた作品群ほどの息つくヒマない緻密さはないが、それでも基本的に危機また危機の構成には変わりない。物語を推進させていく原動力は同じなのだ。パニックもアクションもスペクタクルもないのに、こんなに手に汗握らせてくれるんだよね。

 そうなると…観客は事の成り行きから目が離せなくなる

 「ダイ・ハード」だってヒーローが勝つ事は分かっている。「タワーリング・インフェルノ」だってビル火災が鎮火する事は分かっている。「隠し砦の三悪人」だって一行が無事に敵中突破する事は分かっている。「スウィングガールズ」が演奏会でノリノリになる事も、観客は百も承知だ。だけど目が離せない。なぜなら「難関突破」モノって…そもそもサスペンス映画ってそういうものだから。結果ではない、途中のハラハラドキドキを楽しむものだからね。なるほど、これはうまい選択だ。

 そしてそんなハラハラを乗り越えていくたびに、観客はヒロインに感情移入して応援してしまう。この脚本は実に巧みだ。ついでに言えば恋人の不審な行動も、見ている者をさらなるハラハラに誘う。これは完全に「サスペンス映画」の構成なわけ。

 一方で母親パトリシア・クラークソンの方も波乱含み。だが、こちらはむしろアメリカ映画の王道「ロード・ムービー」の趣向だ。元々、旅はネタとして映画向きだからね。そして母親の心境の揺れ動きから、この旅が予断の許さないモノになっていく。これもまた「サスペンス」だ。

 しかも娘の方のエピソードも「難関突破」モノのスタイルをとりながら、そこで出会った人々とのやりとりで見せていく面白さもある。そこで出会うのがアフリカ系夫婦だったり中国系一家だったりで、何となくアメリカにおける「人種の融和」を訴えたい…みたいなニュアンスが臭うのは、正直言っていささかあざといような気もするけどね。それでもケイティ・ホームズのエピソードは、ある意味でアパートの部屋から部屋を旅する「ロード・ムービー」とも言える。

 だからあの手この手を盛り込んでいて、この映画は「当然のごとく」面白い訳なんだよね。この映画はそういう意味で、「アメリカ娯楽映画」のもっともオイシイ部分を忠実に守った作品と言えるのだ。

 僕は最近、アメリカ映画の良質な部分が失われたと事あるごとに嘆いて来たが、たまにはこんな作品もあるんだよね。最近で言えばトム・クルーズのコラテラルとか、この作品などはその典型だ。キチンと往年の作品から勉強している人間は、こうした良質の娯楽映画をつくれる。やっぱりちゃんとやってるヤツはメンコの数が違うんだよ。

 そしてこの映画は、あくまで「娯楽映画」である事を全うしようとしているあたりが潔い。

 決してお客を感動の嵐で包もうとか、人生の意義を説教しようとか、そんな意図はまったくチラつかせない。映画のストーリーを聞いた時の印象とは裏腹に、まるで単にハラハラドキドキの映画をつくりたいだけ…に思えるほどのアッケラカンぶりなのだ。だから母と娘の間に過去何があったのかを語るのは、必要最小限度にとどめられる。母なんか薄情なくらい冷たい。娘もグチグチと嘆いてはいない。この作品での「母娘の葛藤」は、“仲違いしていた母娘にとって和解の最後のチャンス”、“そのための七面鳥料理”…というサスペンス醸成の前提として機能しているだけのように見える。それがかえってサッパリしているから、見ていて実に気持ちいい。面白く見ながら、ともかくヒロインが無事「難関突破」できるように…と、観客も知らず知らずに応援してしまうのだ。

 そして、一生懸命なヒロインと彼女を盛り立てるために出てくる人々を見ていて、何ともいい気分に浸れる。それがしがない市井の人々ばかりなだけに、実にいい味を出しているのだ。

 脚本・監督は、それまで脚本家だったピーター・ヘッジス。手抜かりナシに映画の構成を練り上げた手つきは、なかなかプロフェッショナルな仕事だと思うよ。この題材を「サスペンス映画」だと分かってつくったあたり…ただ者ではないね。

 最後の最後にもハラハラは続き、「尾っぽまでアンコが詰まった鯛焼き」状態。で、いよいよ「感激」のフィナーレは…というと、あえてウェット芝居を避けて、写真のコラージュみたいなストップ・モーション・ショットの羅列でサッと済ませるアッサリ加減。ハッキリ言って泣かせてくれない。ただ…ホンワカした幸福感が漂うだけだ。

 まったく押しつけがましさがない、だからこそ見る側の心に余韻が残る。

 この映画のハードボイルドとも言えるドライさ、あくまで「サスペンス映画」としての体裁を最後まで貫いたあたりが、かえってこの映画の感激を深いモノにしているのだ。それが証拠に…見終わった直後より見て時間を経過した時の方が、この映画の味わいは深くなっているはず。見ている時には涙なんか出ないのに、後になって何となく心に残っている。もちろん、ハラハラドキドキの「サスペンス映画」としてだけ楽しんだっていい。それだけだってオツリが来る。

 「ちょっといい話」だし、それ以上でも以下でもない…と作り手が分かっているからこそ、分をわきまえているからこそ…の、これは味わい深さなのだ。

 

見た後の付け足し

 映画を見ていただければ分かるとおり、全編デジタルビデオ・カメラによる撮影。デジタル・ハイビジョンじゃないよ…僕らが持っているようなデジタルビデオだ。つまりはラース・フォン・トリアーのダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)、ジェニファー・ジェーソン・リーとアラン・カミングが共同監督して主演した「アニバーサリーの夜に」(2001)、マイク・フィッギスの「HOTEL」(2001)などと同様。当然のごとく画質は荒い。コントラストが極端で明るい部分が飛んでしまっている場面もある。

 正直言って僕はこういうデジタルビデオ映画の氾濫を、あまり好ましい事だとは思っていない

 何だかデジタルビデオ映画って、結局は手抜き映画を増やしているだけのような一面があったからね。あとは内輪で楽しむためのような独りよがり映画。さすがにお金がかかって手間もかかるフィルムの映画では、そうそう自己満足にも走れない。それがいい具合に抑止力にもなっていたのに、デジタルのおかげで手軽に出来るようになったら、やたら映画が稚拙になって荒れてきた。…僕はデジタルビデオ映画にそんなネガティブな印象を持っていたんだよね。

 だが最近は、僕もちょっと考えを変えてきた。確かに機動性があって安価に済むデジタルビデオ映画は、映画の可能性を広げるのかもしれない。使いようによっては、面白い効果を上げるかもしれない。今さら何を当たり前の事を言ってるのだ…と言われそうだが、そういう前向きな事として思い始めたんだよね。

 実際のところこの作品もかなり予算に限界があったようで、デジタルビデオの撮影は必至だったと思われる。だから、仕方なく…で選択したデジタルビデオの可能性が極めて高い。出来ればフィルムで撮りたかったかもしれない。

 ただ今回のデジタルビデオ使用は、不思議な味を醸し出してもいた。全編が家族のスナップ映像のようにも見えて、映画の持つムードに実に合っていたのだ。最後の一家の再会を記録した、手作り映像のような雰囲気が生まれている。

 こうなると…やっぱりセンスってものじゃないだろうか。お金や技術の限界を必然性やメリットに変えるのは、やっぱり才能のうちだと思うからね。

 

 

 

 

 

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