「コラテラル」

  Collateral

 (2004/11/15)


  

今回のマクラ

 先日、テレビを見ていてえらくブッたまげたニュースがある。ご存知の方も多いかと思うが、千葉県船橋市の墓地で、墓石が倒されたり壊されたりした…という出来事だ。

 その数も、倒すに倒したり約200基。被害総額が2億円にものぼるとか。元々墓石ってのは高価なシロモノだし、そりゃそのくらいの額にはなるだろう。墓石壊された側の家族などは怒り心頭というのも当たり前だ。「人間じゃない」とお怒りもごもっとも。

 が、しかし…だ。

 確かにモラル的にもけしからん話ではあるのだが、これが一体どのように行われたのか…その様子を想像するだに、何とも奇妙で不気味なモノではないか。例えば…頭に来た、何かに当たり散らしたい、あるいは悪ふざけしたい…そういう気持ちをブチまけるに、墓石ってのは絶好の対象なんだろうか?

 何たってアレは石だよ。重いし、疲れるし、倒すだけでも大変だ。今年の秋は寒くならないから、おそらく汗だくになるだろう。ノドも枯れるし息も苦しくなる。第一服も汚れる。コレって全然スッキリなんてしなくないか?

 しかもコレってどう考えても深夜に行われている。例え数人で行ったにしても…というより、複数犯でないと出来ない犯行らしいが…真夜中の墓地で墓荒らしなんて、とてもやりたくなることじゃない。同じムシャクシャの憂さ晴らしだったら、女でも抱いていた方がよっぽどいい。この墓地は100ヘクタール以上あって、墓も約8万基。真夜中の真っ暗闇の中、広大な墓地の敷地真っ直中で、墓石に取り囲まれながらヘトヘトになって墓石倒すって…いや〜、オレにはとても出来ないよ。これって、やったヤツはモラルより何より…基本的などこかが壊れちゃってるとしか思えない。

 全然違う事だけど、最近「これもどこかヘンなんじゃないか」…と思った事がある。

 それは明大の「元野球部員」である一場靖弘投手の、楽天新球団への入団のニュースだ。「元野球部員」というのは言うまでもない。こいつがプロ球団スカウトから、裏金をもらっていたのがバレたからだ。「栄養費」だか何だか知らないが、コイツは援助交際してるコギャルのつもりか。どう考えてもオカシイ。しかも巨人スカウトから金をもらったのがバレて神妙な顔をしていたかと思えば、実は横浜や阪神からも金をゲットしていた話が出てくるではないか。

 やった事もやった事だが、それが一旦バレた後も隠し通そうとした卑劣さ。こんなヤツ、いつ八百長するか反則やらかすか分からない。自分がトクするために手段を選ばないヤツということになれば、グラウンドで相手選手にどんな危害を与えるかもしれない。まったく信用など出来ない男なのだ。

 にも関わらず、新球団の楽天ゴールデンイーグルスは一場を契約内定。これって一体何なのだ。コイツのおかげで3球団のオーナーのクビが飛んだ。そのくらいの重大事だ。なのに一場にはお咎めナシ。契約金1億円プラスなんだらかんだら…ということなのだが、そんな事がまかり通っていい訳はないわな。

 一場自身コレでいいと思っていることが、まず狂っている。せめて1年浪人するなり何なりって「ケジメ」が必要じゃないか? ところが明大のチームメイトたちは一場を胴上げして祝福。コイツらもどこか狂ってる。喜んでいる場合じゃないんじゃないか。これでオレたちも大手を振って金がもらえるということか。ヨイショしたというのは、これを容認・援護したと見なすべきだろう。それって同罪ではないのか?

 また、そんな光景に苦言の一つも言わない明大野球部ならびに明大自体も変だ。コイツらには常識というものが全くない。恥というモノがない。

 さらにもっとも恥ずべきは、こんな極悪選手を新球団に入れようとして恥じない「楽天」という会社の体質だ。そもそも当初から後出しの連発で「汚い連中」という雰囲気はチラついていたが、やっぱり「正体見たり」って気がしちゃったよ。それにしても、社長の三木谷も監督の田尾も、これでいいと思っているのか。新球団が最初からダーティーなイメージに覆われてもいいのか。「日本の球界は遅れている」と自説をぶっていたGMのキーナートも、こんな選手を擁護して球界刷新を唱えられるのか。そもそも「青少年の教育」みたいな事を錦の御旗にしてきたプロ野球が、こんな腐敗選手を入れるのって偽善じゃないのか。やっぱり基本的などこかが壊れてるとしか思えないんだよ。

 だけどね、これは偶然じゃないと思う。国中がこうなってるから仕方ないんだと思う。だって国の最高権力者からしてこれだ。

 「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域だ」

 自衛隊のイラク派遣を巡るわが日本国内閣総理大臣・小泉純一郎氏のコメントがこれだ。「非戦闘地域」の定義を聞かれての答えがこれだ。どこの誰が見たってバカな発言だと分かるだろう。テレビでこの発言を擁護していた自民党の政治家もいたが、それって「自分はバカだ」と公言しているようなものだ。マトモな人間の言う事ではない。壊れちゃってる。これで通る…これで通せると本気で思っているんだとしたら、ちょっと医者に診て貰った方がいい。

 だが問題なのは、こんな総理がいまだに高い支持率を得ている事だ。これってどう考えてもおかしくはないか? こんな男を最高指導者にしている国で、こんなにおかしい事がまかり通っている国で、果たして深夜に墓地で墓石荒らしすることが「異常」だと言い切れるだろうか?

 今のこの国には、人間誰しも持っている何か大切なモノが欠けているに違いない。

 

見る前の予想

 この映画に期待する理由はハッキリしてる。

 トム・クルーズとマイケル・マン。異色の顔合わせ。久しぶりによく出来た男性アクション映画が見られるのではないか?

 マイケル・マン監督の作品は昔から好きだから、いやが上にも期待は高まる。

 そして今回トム・クルーズが「殺し屋」をやるというのも見ものだ。そもそも、どんな男優だって「殺し屋」やらせりゃサマになるんじゃないだろうか? ならばトム・クルーズがやったら、もちろんかなりイケるんじゃないか。

 今回、ゴマ塩頭に無精ヒゲと扮装にも凝っている。気合いの入れようが伺えるよね。

 

あらすじ

 ロサンゼルス。空港に一人の男が降り立った。仕立ての良いスーツ、ゴマ塩頭、無精ヒゲ。その男トム・クルーズは、空港内でさりげなくある男と接触。何やら入ったカバンを受け取った。

 一方、メガネをかけたしがないタクシー運転手のジェイミー・フォックス。いつものように市内をクルマで転がして、いつものように金を稼ぐ。そんな彼は、街角で品のいいスーツの女ジャイダ・ピンケット=スミスを乗せた。有能そうで自信に満ちた彼女は、やり手の検事。だがクルマに乗り込む直前には、携帯に苛立ちをぶつけていた。そんなフォックスとピンケット=スミスは、ひょんな事から車内で心を通わす事になる。

 フォックスは言われた場所に的確な時間で到着出来るし、その事に自信も持っていた。だから今だって、渋滞を回避できるコースを提案できる。そんな彼はピンケット=スミスに賭けを申し出た。彼が言ったコースで渋滞回避できなければ、タクシー代はタダ。これにピンケット=スミスも乗った。

 案の定、フォックスの「読み」は正しかった。迂回ルートを通って渋滞を見事に回避。だが思い通りいっても、常に「ラッキーだった」という謙虚な態度

 フォックスにとって、この仕事は単なる腰掛け仕事のつもりだった。本当にやりたい仕事は今計画中だ。そんなフォックスの夢のプランを、今夜に限ってお客のピンケット=スミスに打ち明けたくなったのはなぜだろう? 彼はリムジン・サービスの会社を興すのを夢見ていた。「ただのリムジン・サービスじゃない。目的地に着いても降りたくないくらいのクルマをめざすんだ」

 そんな彼の目には、自信満々のはずのピンケット=スミスがなぜか疲れて見えた。単なるお客なのについ深入りしてしまうフォックス。するとピンケット=スミスも、なぜか彼に心の内を打ち明けた。

 「公判の前日って、自分にまったく自信がなくなってしまうものよ。だから、泣いてしまう事もある

 そんなピンケット=スミスに、フォックスは自分が大切にしていた一枚の絵はがきを渡した。「オレは毎日これで日常から離れる。でも、これはむしろ君に必要だな

 そんなフォックスに、ピンケット=スミスも自分の名刺を渡した。何か困った時に相談に乗ってあげる…と言って。

 そして彼女は、オフィスのあるビルへと去っていった。

 おそらくこれっきり、もう会うこともない。一瞬心が触れ合っただけだ。…それでもピンケット=スミスとの会話の余韻に浸っていたフォックスに、次の客が待っていた。

 ゴマ塩頭・無精ヒゲのトム・クルーズだ。

 彼が目的地を言うと、フォックスは例によって例のごとしの冷静さでその場所までの時間を告げる。そんなプロフェショナリズムが気に入ったのか、クルーズはあれこれと話しかけてくる。そして目的地…あるアパートの前までやって来ると、クルーズはフォックスに一つの提案をした。今夜中に5つの目的地を回る。そして翌朝の飛行機で帰る。今夜中このタクシーを貸し切りにしてくれないか。そうすれば高額のチップははずむ。

 確かに法外な値段だ。最初はシブっていたフォックスだが、その金額には逆らえない。結局、彼はクルーズの申し出に従い、このタクシーの中で待っている事になった。

 フォックスは車内でハンバーガーを食べながら、高級車カタログをアレコレ物色して夢を膨らませていた。そんな折りもおり…。

 バ〜〜〜〜〜ン!

 何と血まみれの死体が、上から降ってくるではないか! おかげでタクシーの屋根はへこむわ、フロントガラスにはヒビが入るわ…。フォックスが慌てて車内から出てくると、クルーズが慌てず騒がずアパートから出てくる。人が落ちてきた!…とわめくフォックスに、クルーズは窓から飛び出したから…と平然と答える。

 「アンタが殺したのか?」

 「オレは撃っただけだ。殺したのは銃弾だ

 何とも人をナメた答えを返すクルーズ。ようやく事態が飲み込めたフォックスだが、時すでに遅し。この男は殺し屋だ、今夜回る5つの目的地というのは、すべて殺しの現場だろう。だが、この話から下ろしてくれと言っても、もうクルーズは言うことを聞かない。逆にクルーズに脅され、この男の死体をトランクに仕舞う手助けをさせられてしまう。そしてクルマの血を洗い流して出発…。

 ところがその殺人現場に、すぐにやって来た男がいる。それはマーク・ラファロ刑事だ。彼はタレ込み屋に会いに来たのだが、部屋に行ってみるとただならない状況。「これは何かある」と後を追い始めた。

 この現場にはラファロ刑事の嗅覚を、何やら刺激するモノがあったのだ。かつて一晩に何人もの人を殺したタクシー運転手がいた。そして最後にその運転手は自殺した。だが、そいつは前科もなくマジメな男で頭もおかしくなかった。ひょっとしてそいつと一緒に誰かがいたとしたら…?

 さて、次の目的地では路地裏に停めさせられ、ハンドルに腕を縛り付けられて待機させられるフォックス。彼はそこでクルーズが不在中に、大声を上げて助けを求める。だがやって来たのは二人組のいかがわしい強盗だ。ヤツらはフォックスを助けるどころか、彼の財布を奪ってクルーズのカバンを盗んでいく。ところが運悪く、そこにクルーズが戻ってきたからたまらない。

 「オマエはオレのカバンを盗むのか?」

 よせばいいのに強がった二人組は、次の瞬間銃弾を食らって道ばたに倒れていた。人を殺すという事について、クルーズという男はまったくためらいがいない。「オマエが余計な事をすれば人が無駄に死ぬんだぞ

 そして何を思ったか、いきなりジャズを聞きに行こうと言い出すクルーズ。二人は狭苦しいライブハウスへと足を運ぶ。フォックスはジャズには全く疎かったが、クルーズはかなり造詣が深いようだ。このライブハウスでも、バンドのナマ演奏に舌なめずりだ。「演奏のズレがズレを呼び、それがアドリブになっていくところに醍醐味がある」

 さらにトランペッターの演奏が気に入ったのか、舞台がはねた後に自分たちの席まで招いて話を聞く。このトランペッターは、昔マイルス・デイビスと会った話などを淡々と語った。それにクルーズはほとほと感心しているように見えたのだが…。

 突然、トランペッターの表情が変わる。彼はどうした訳か、クルーズの正体を知ったようだ。実はこのトランペッターもまた、クルーズの今夜の標的だったのだ。そして今、ライブハウスの中には誰もいない。みんな帰ってしまった。

 結局、彼もまたクルーズの銃弾に倒れる事になったのは、言うまでもない。

 何もかもすっかりイヤ気がさしたフォックスだが、そんな彼のクルマの無線がやかましく鳴る。何と彼の母親から、何度も何度もうるさく電話が来ていると言う。実はフォックス、毎晩病院にいる母親を見舞っていたのだ。今夜に限って来ないから、母親はうるさく催促の電話をしてきたのだが…。

 これに対してクルーズは、何と病院へ行こうと言い出す。「怪しまれないためには、いつもの習慣を変えない事だ

 こうしてクルーズを伴って病院へとやって来るフォックス。そうとは知らぬ母親は、クルーズを一番のお得意さんとでも勘違いして、アレコレとしゃべり出す。何とフォックスは、母親にはすでにリムジン・サービスの仕事をスタートしていると偽っていたのだ。これには苦々しい想いを噛みしめるフォックス。

 そんなフォックスは母親の部屋を出たとたん、クルーズのカバンを持って走り出すではないか。慌ててフォックスの後を追いかけるクルーズ。追いつめられたフォックスは、破れかぶれでカバンを下のハイウェイに投げ捨てた。クルマに踏みつけられてグチャグチャ。中に入っていたノートパソコンも木っ端微塵だ。これにはいつもクールなクルーズもキレる。「相手のデータが全部入ってた。これで仕事がパーだ!

 だがすぐに冷静さを取り戻したクルーズは、フォックスに次の目的地を告げる。そして車内でアレコレと話しかけて来たのは、どれもこれもフォックスにとってイタイところを突いてくる話ばかり

 どうせリムジン・サービスの夢なんて本気で叶える気がないんだろう? でなけりゃ、こんなに長くタクシー稼業をやってない。とっくにクルマの手付け金ぐらい払ってるはずだ。オマエは何も変えようという気なんかない。そこにある名刺の女に、電話する度胸だってないだろうよ。

 「もっと応用を効かせろ、ジャズみたいに臨機応変にな」

 図星を突かれて面白くないフォックスだって、クルーズには言いたい事がある。まるで虫けらのごとく人を殺して当然とは、一体いかなる神経なのか? だがクルーズは動じない。彼一流の屁理屈を並べ、分かったような分からないようなコイズミ論理で言いたい放題だ。「あいつらなんて、地球の何十億という人間のうちのたった一人に過ぎない。アフリカのルワンダで、広島・長崎で、一体何人が殺されたと思うんだ?」

 着いた場所は、クルーズの雇い主がいるクラブ。ここで再度、仕事のためのデータを入手しようという訳だ。ただし、クルーズはあくまで直接雇い主に顔は見せないのが主義。そこでクルーズはフォックスに代打を勤めさせようとする。イヤがるフォックスには、やらねばオフクロを殺す…と文字通り「殺し文句」を言い放つ。「オマエ、タテつける立場だと思ってるのか?」

 こうなりゃやるしかない。うまくいくかどうか自信などないが、フォックスここはどうあっても成功させるより他なくなる。

 ところがそんなこのクラブを監視していた連中がいる。それはクルーズの雇い主の麻薬ぐるみの悪事を告発するため、ずっと捜査を続けているFBIの面々だ。彼らはクラブに入っていこうとするメガネをかけたチンケなタクシー運転手…それも名前を「クルーズ」と名乗る男の登場に色めき立った。「あいつは誰だ?」

 そんなFBIたちの隠れ家に、あのラファロ刑事もやって来る。あの後、ラファロ刑事はクルーズたちの足取りを追いながら、あちこち転がる死体を発見していった。それらはいずれも、ある麻薬絡みの犯罪の証言者やら関係者ばかり。その犯罪で疑われているのが、このクラブにいるクルーズの雇い主だ。こうしてラファロ刑事もまたこの場所へと引き寄せられて行った。

 クラブの外には、屋根がへこんで窓がヒビいったタクシーが停まっている。ラファロ刑事は、自分がめざす標的に行き着いた事を感じていた。

 だがクラブの中では、今まさにフォックスが孤軍奮闘。何しろ大事なデータが入ったカバンやパソコンを「なくした」では済まされない。雇い主もドスの効いた声でコワモテに迫ってくる。そう言われてスゴまれると、フォックスも返す言葉がない。だが、それで何も言えず落ち込んでしまうとは、それこそ「殺し屋クルーズ」にあるまじき態度。ますます怪しまれる事になりかねない。

 こうなったらヤケクソだ。フォックスは脅しをかけてくる相手に、ついにケツをまくって啖呵を切った。

 「ガタガタ言うな。もっと応用を効かせろ、臨機応変にな」

 こうしてクルーズみたいに減らず口をきいて、雇い主から再度データを入手。フォックスは自分でも驚く火事場のクソ度胸で、とんでもない修羅場を辛くも乗り切った。だが雇い主も大人しく聞いてはいない。フォックスの挙動に疑問を抱き、手下に後をつけさせる事にした。

 ともかくこれで次の標的が分かった。相手はコリアン・クラブにいる。クルーズとフォックスは早速タクシーで目的地へ。次のターゲットに察しがついたFBIも、問題のコリアン・クラブへと向かう。ただしFBIは、あくまで犯人はフォックスだと思い込んでいた。それに納得しないラファロ刑事は、これまた単独でコリアン・クラブへ。さらに雇い主の手下もコリアン・クラブへと向かう。

 こうして四者四つ巴で乗り込んだコリアン・クラブ。暗がりに大音響、踊り狂う人々で騒然とした店内。そこが次の瞬間、阿鼻叫喚の渦になったのは言うまでもない。殺人マシーンと化したトム・クルーズは、邪魔者を次々と殺して最後に標的もキッチリ片づけた。

 このドサクサにラファロ刑事に保護されたフォックスは、これで安心とホッと一息。ところが安堵する間もなくラファロ刑事はクルーズに殺され、フォックスは再びタクシーに囚われの身だ。そして、またしても次の目的地へと向かわせられる。だが今度という今度は、フォックスもいい加減頭に来ていた

 「アンタっていう人は、人間誰しも持っている何か大切なモノに欠けているよ」

 「どうせ殺しても人類何十億分の一」などと言うクルーズの偉そうなゴタクに、フォックスはほとほとウンザリしていたのだ。だがクルーズが指摘するフォックスへの皮肉が、多分に正解である事も分かってはいた。そしてフォックスは、そんな自分にも同時にウンザリしていた。「そうさ、今までのオレはダメなヤツだった、だがもうそれはやめた!

 そんなフォックスの口調に、今までと違うただならないものを感じるクルーズ。だが、ちょっとばっかり気づくのが遅すぎた。フォックスはどんどんアクセルを踏み込み、ヤケクソにタクシーのスピードを上げていた。

 「バカ野郎、早く減速しろ!」

 「やれるものならやってみろ。オレを撃ったらオマエも道連れだぞ!

 案の定、道路ど真ん中の工事現場に乗り上げ、アッという間に横転するタクシー。たちまちどこからかパトカーの駆けつける音がする。

 クルーズはキズだらけになりながら、何とかタクシーから這い出した。車内に銃を一丁なくしたが、ここはそんな事を言っている場合ではない。慌ててタクシーから離れて走り出すクルーズ。もちろん彼は、最後の標的を仕留めなければならないのだ

 やがて何とか助かったフォックスの元に、パトカーがやって来る。警官はトランクの死体を見て色めき立ったが、今さらフォックスはどう思われても良かった。ともかくクルーズから離れられて良かった。これでもう安心だ…。

 そんなフォックスが、車内に転がっているパソコンを見つめると…。

 そこには、あの女検事ジャイダ・ピンケット=スミスの写真が表示されているではないか! 何と、クルーズの最後の標的は彼女だったのか。このままでは彼女が危ない!

 車内には、クルーズが置いていった拳銃が落ちている。それを手に取ったフォックスは、彼を逮捕しようとしたパトロール警官に逆に銃を突きつけた。そしてあくまで抵抗する警官に、究極の脅し文句をブチまけた。

 「オマエ、タテつける立場だと思ってるのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 一言で言って面白い。

 こういう映画はそれでいいんだけど、これじゃあんまりにも素っ気なさ過ぎだね(笑)。どう良かったのか言わなきゃならないか? 言わなきゃならんだろうね、やっぱり。

 まぁ、その前に…今回の映画は何と言ってもマイケル・マンらしい映画だと言いたいね。何をもって「らしい」と言えるのかはともかく、僕にとってマイケル・マン映画「らしい」要素がこの映画には充満している。

 僕にとってマイケル・マン映画は現代アメリカのフィルムノワールだ。

 何と言っても、僕は一番最初にマイケル・マン映画を見た時の興奮を忘れる事が出来ない。それはマン監督の劇場映画デビュー作、真夜中のアウトロー/ザ・クラッカー(1981)だ。

 金庫破りをやらせればプロ中のプロ。組織とはツルまない、独特の流儀で働く「仕事師」。だが、彼には市井のありふれた家庭人として生きる夢があった。昔からムショとシャバとの行ったり来たりを続けてきただけに、嫁さんと子供を持って、表稼業の中古車屋だけで生きていきたいと願っていたのだ。

 ところがそんな気持ちを逆手にとられ、組織の大ボスに足下を見られてしまう。

 仲間も痛めつけられ、将来ずっと大ボスの下で手足となって働かされると悟った時、ついに主人公はブチ切れる。中古車屋に火を放ち、嫁さんと子供を高飛びさせて…自分の将来の人生設計すべてを投げ捨てた主人公は、単身大ボスの家に殴り込むのだ。

 この映画のクールな事と言ったら…金庫破りシーンの何とも鋭い切れ味にはシビれた。まさしくプロの手口という説得力十分。それでいて一転してすべての望みを捨てた主人公が、怒りを胸に殴り込むくだりの銃撃戦の激しさたるや…まさにホットそのもの!

 演じるジェームズ・カーンも一世一代の名演で、このクールとホットを絶妙に使い分けて何とも鮮やか。夜の都会をシャープに映し出したカメラといい、タンジェリン・ドリームのエッジの尖った音楽といい、どこをとっても一級品だ。アメリカ犯罪映画の中でも屈指の出来映えじゃないだろうかね?

 その後に撮ったホラー映画ザ・キープ(1983)も、ハンニバル・レクターものの先駆「刑事グラハム/凍りついた欲望」(1986)も、「ラスト・オブ・モヒカン」(1992)も「ヒート」(1995)もインサイダー(1999)も…これらの作品群の中に置くと伝記映画として少々異彩を放つアリ(2001)はともかく…マイケル・マンっていう人は作品の出来映えに関わらず、こうした「クール&ホット」で作品をつくり続けて来た印象がある。

 あくまで作品のルックはスタイリッシュで冷静で、プロによる犯罪を扱ったり夜の世界を描いた「クール」そのもの。だがドラマの原動力は主人公の「男の心意気」に突き動かされるような…計算づくではない、時に愚直そのものとさえ言える…「ホット」そのもの

 マイケル・マンの映画の魅力とは、こうした「クール&ホット」の絶妙なブレンドにあったと思うんだよね。そして、それがもっとも純度100パーセントで研ぎ澄まされた状態で作品となったのが、実はデビュー作の「真夜中のアウトロー/ザ・クラッカー」だと思うわけだ。

 ところが…ひょっとしたらマイケル・マン、今回の「コラテラル」では「ザ・クラッカー」以来の高純度で、このクール&ホットのブレンドをやり遂げてしまったのではないだろうか?

 今回面白いのは、この映画がトム・クルーズ主演映画と見せて、実はタクシー運ちゃんのジェイミー・フォックス主演映画になっている事だ。

 黙々と仕事をこなし、まったく私情を挟まないトム・クルーズは「クール」の権化。この男は、そんなクールの流儀を最後まで捨てない。そして対するジェイミー・フォックスは、たまたま乗り合わせた乗客であるジェイダ・ピンケット=スミスに優しい言葉をかけるような心やさしい男だ。彼は彼で、自分の分というものを最後まで捨てない。銃を持った男に人質にされているのに、人殺しを「職業」とするこの男に「殺しはよくない」という態度を終始見せ続ける。それでなくても冷笑や達観がまかり通る世の中、命が懸かった状況下でのこの「健全」な感覚は、むしろかなり突出しているとは言えないか? これを「ホット」と言わずして何をホットと言うのだ。

 しかも彼は最後の最後に牙をむく。その起爆剤となったのがクルーズの言動だったというのはまことに皮肉だが、ともかく反旗を翻す。さらに自分が助かった後も、女の命が危ないと知って再度戦いの中に飛び込んでいく。それまでは優柔不断な服を着ているようなところもあったが、彼が最後に見せるのは…典型的な男の「ホット」な心意気だ。

 「ザ・クラッカー」では一人の人間の中で共有されていた「クール&ホット」が、ここではそれぞれ役割分担されている。その結果、マイケル・マン作品の最大の魅力…「クール&ホット」のブレンドが見事に成功している。これはなかなか見ものだよ。そして、だから面白いマイケル・マン作品となった。トム・クルーズ映画だから構えはデカそうに見えるけど、実は映画そのものには無駄や贅肉はない。そして意外に小ぢんまりした物語だ。大都会を舞台にしたたった一晩の物語…基本的には市井の普通の男の胸の内で起こる、ちょっとした小咄でしかない。

 でも、マイケル・マン映画は「たかが」犯罪映画でいい…それだけでいいのだ。

 しかも今回はデジタル・ハイビジョン撮影によって、今までにないロサンゼルスのクリアな夜景が描かれた。この映画の夜間撮影の鮮やかさは、誰の目から見ても明らかだろう。元々、マイケル・マン作品に描かれた夜の都会は、どれを見ても抜群の素晴らしさだった。それが今回は…過去のマイケル・マン作品のどれよりも優れている。今までの映画の夜間シーンとは、ハッキリ一線を画した鮮やかさだ。そしてその美しさはスタイリッシュで…実に「クール」!

 ここでもう一回、「ザ・クラッカー」の成功の秘訣を僕がどう捕らえているかについて繰り返そう。あくまで作品のルックはスタイリッシュで冷静で、プロによる犯罪を扱った夜の世界を描いた「クール」そのもの。だがドラマの原動力は主人公の「男の心意気」に突き動かされるような…計算づくではない、時に愚直そのものとさえ言える…「ホット」そのもの。

 今回の映画では観客の感情移入はジェイミー・フォックスに向けられて、「大スター」トム・クルーズにはまったく向けられない。クルーズはこの映画の「クール」なルック担当でしかない。この映画はあくまでジェイミー・フォックス主演、トム・クルーズ助演の作品だ。だから観客の心に最終的に届くのは、あくまで「ホット」なジェイミー・フォックスの心意気。トム・クルーズの「クール」は、鮮やかな夜景同様にこの映画のルックの一つでしかないのだ。

 トム・クルーズ映画にしてマイケル・マン作品というカタチを今回成功に導いたのは、こうした「二重構造」にある。これによってマイケル・マン作品の持ち味「クール&ホット」のブレンドを見事に実現させたところにある。この映画を見終わった今、僕はそう思っているんだよね。

 

見た後の付け足し

 先ほどはトム・クルーズは「ルック担当」でしかないと書いたものの、実はトム・クルーズ映画としても興味深いポジションにあるのがこの作品だ。

 トム・クルーズ映画の変遷をアレコレ辿るのは、すでにラストサムライ感想文で済ませているのでここではクドクド言わない。ともかくあそこで言って来た事の結論としては、トム・クルーズが今までずっとアメリカ映画のトップ・スターとしてのステータス維持と、常に同じパターンの役柄しか演じられないマンネリズム回避のために、ハリウッド映画のジャンル縦断を続けていったという事だよね。その「映画巡礼の旅」はいまやハリウッド映画のジャンル縦断では収まらず、アメリカ映画の非主流作品やら非アメリカ映画までを視野に入れたものになりつつあるという事も述べたつもりだ。その一つの帰結が「ラストサムライ」だ…と。

 だが「ラストサムライ」は当座の状態を維持する方法として、そして行き詰まりを回避する方法としてはアリだったが、状況打開そのものにはつながらなかったはずだ。トム・クルーズの苦境はいまだ続いている。当然次回作はさらにキツくなる。使われていない手はますます少なくなっているんだからね。

 そういう意味で、主役なんだけど主役じゃないトム・クルーズ、ビッグスターなのに相手役の引き立て役のトム・クルーズってのは、決定的な起死回生の手段になるのかもしれない。

 そもそも苦しさの原点にあるのは、先に述べたようにトム・クルーズが基本的に一つのキャラしか演じられないということ。「巡礼の旅」を続行し続けなくてはならないのは、彼自身が「マンネリそのもの」だからだ。だからジャンルや題材で目先を変えて行かねばならない。彼の作品に二つと同じジャンルの作品がないのは、きっとそのせいだ。「シリーズ」映画であるはずの「ミッション:インポッシブル」の二本で、外見があれほど別人に変わってしまっているのも、おそらくそのせいだろう。あんなに外見を変化させるシリーズの主役なんて、他では考えにくいよ。

 だが、トム・クルーズがこのキャラをやめれば、おそらく急速にその魅力は低下してしまうだろう。彼もその事はイタイほど分かっているのだ。だからやめられない。「巡礼の旅」も終われないのだ。

 そこへ来て、近年ますますこの状態を維持するのは難しくなってきた。

 トム・クルーズが演じ続けているのは、ズバリ言えば「調子こいてる青二才」キャラだ。だが演じるクルーズ自身は、どんどん大スターへと肥大していく。最初は若手スターの生意気さとのダブル・イメージでいけたかもしれないが、ここまでスター・バリューが安定してしまうとそうもいかない。年齢だって上がって来ている。もう彼は「青二才」ではいられないのだ。背が低い事も幸いして「若造」を演じられたという利点が、すべてマイナス面に働きかねない。

 この両面から考えて、近年のトム・クルーズは作品選びが極めて困難になったと思われる。どう見たって元々は「キワモノ」企画であるはずの「ラストサムライ」にまで手を出す…それをあそこまで正統派作品の格に仕上げてしまうのは、さすがのクルーズのプロデューサー手腕だと思うが…それでもあの作品の「危険球」的際どさは、彼が抱えている苦しさの現れだろう。彼はいまだに岐路に立ち続けているのだ。

 今回の「コラテラル」は、そんなトム・クルーズの今後を占う試金石になる作品かもしれない。

 確かに今回の作品のクルーズのキャラクターは、かなり様変わりしたかのように見える。まず何しろ悪役=殺し屋だし、ゴマ塩頭に無精ヒゲ。年齢はかなり上に設定されているようだし、クールに冷徹に仕事を実行する男だ。その内面には冷ややかそのもので、人間味などないようだ。

 だがこの男、言ってる事がいちいち世の中をナメている。人ひとり死んだところで云々…本人はクールにキメてるつもりだろうが、実はこの男の中味は完全にタクシー運転手に見透かされているのだ。

 「アンタっていう人は、人間誰しも持っている何か大切なモノに欠けているよ」

 面白いのは…ジェイミー・フォックスの最後の奮起はトム・クルーズの言動が起爆剤になっていると先に述べたが、実はフォックスがクルーズに影響を受けただけではない。クルーズの方でもフォックスに影響を受けているように見えるのだ。自信満々、独自の人生哲学を披露に及ぶクルーズだが、そのくせフォックスの発言を聞いて内心不安で仕方がない。それはクールな男であるはずのトム・クルーズが、のべつまくなし車内でしゃべりまくらずにはいられなくなる事から見ても明らかだ。しまいにはフォックスの流儀を頭っから否定にかかるほど。あれほどムキになって自分の人生哲学の優位性を力説したところを見ると、フォックスがかなり図星を突いたのは間違いない。その後クルーズの計画が少しづつ破綻し始めていくのも、こんな内心の動揺が冷静さを失わせたからだ。それまでの慢心が過ぎるゆえに、ウッカリ自滅の道を辿る…。

 能力には恵まれているが独善的で傲慢、自己過信な男…それが故に墓穴を掘って自滅する男。それって…何の事はない、毎度お馴染みのトム・クルーズ・キャラクターではないか!

 あのクルーズ・キャラが反省しないでそのままトシをくったら、こういう歪んだ男になるのではないか。つまり、一見イメチェンを果たしたようなクルーズは、実はその個性をまったく変えてはいないのだ。そして年相応、ポジション相応の変貌を遂げた。年齢と経験を経て知力・体力・技術・自信すべてにわたって成長したのに、人間性の成長は遂げられなかった男。あるいは能力的な要素だけでなく、その思い上がりぶりまで増長の一途を遂げた男。それゆえ一種の「怪物」と化した男…それが今回の彼の役どころなのだ

 ただ、当然そんな男に観客が感情移入など出来るわけがない。そのために観客が感情移入するための「実質主役」ジェイミー・フォックスを相手役として置き、クルーズは「影の主役」へと移行した。今回クルーズ単独主演ではなく、久しぶりに「相手役」を置いた二枚看板主演の形態をとっているのは、そんな訳なのである。このあたりの計算が、実に巧みなんだよね。

 そして「二枚看板」という形態は、当然のことながらポール・ニューマンと組んでの「ハスラー2」(1986)、ダスティン・ホフマンと組んでの「レインマン」(1988)などのクルーズ初期作品を想起させる。ただしこれらの作品と今回の「コラテラル」には、誰にでもハッキリと分かる違いがある。クルーズ初期の「二枚看板」作品はいずれも彼が先輩俳優の胸を借りてステップアップしていくための作品群だったのに対して、今回胸を貸すのはむしろクルーズの方だ。先にも述べたようにクルーズは終始一貫フォックスの引き立て役となり続け、彼のヒロイズムをもり立てる役どころ…そして最終的に彼に倒される役どころに座っている。あの「スーパースター」トム・クルーズが、格下もいいところのジェイミー・フォックスの盛り立て役に徹しているのだ。これを「新しい」と言わずして何と言おう。

 確かに、これはクルーズの行き詰まりを打開する新機軸である事は間違いない。実際今回のクルーズ映画は、近年になく新鮮で刺激的だ。そして予測不能な面白さに満ちている。

 だからと言って、天下のスーパースターであるトム・クルーズが、こんなに退いてしまっていいのだろうか? まだまだ引っ込むのは早すぎはしないか? セルフ・プロデュースの達人である彼が、こんなに大人しくていいのか?

 いや…実は今回のこの新機軸こそ、クルーズ最大の野心的試みかもしれないのだ。

 「ハスラー2」で若いクルーズにしてやられる役を演じたポール・ニューマンは、何とその結果長いキャリアで初めてアカデミー主演男優賞を手に入れた。「レインマン」でクルーズに胸を貸したはずのダスティン・ホフマンも、これまた二度目のアカデミー主演男優賞を手に入れた。何のことはない。盛り立て役こそが本当は一番オイシイのだ。

 そして、トム・クルーズはその事を知り尽くしていたに違いない。

 だとすれば、彼の映画への野心はいまだにギラギラ燃えている。ここで一旦攻守を変えて鮮度を回復したら、再び新たな大攻勢に転じるのではないか。いや、実は僕はそうであって欲しいと思っている。

 低迷ばかりが目立つ昨今のアメリカ映画界だからこそ、ハリウッド保守本流=トム・クルーズの逆襲が待たれると思うのは、僕ばかりじゃないと思うんだよね。

 

 

 

 

 

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