「ソウ」

  Saw

 (2004/11/08)


  

見る前の予想

 この映画がスゴイって事はちょっと前から騒がれていたよね。そして例の東京ファンタスティック映画祭でも鳴り物入りで上映。僕は別にホラー映画ファンやサイコ映画ファンではないが、それでもこの作品の事はかなり気になってはいた

 汚いタイル張りの浴室みたいな場所に、二人の男が閉じこめられている。それぞれ足をクサリで固定されて動けない。真ん中にはナゾの男の死体。気づいたら得体の知れない罠の中…ってシチュエーションは、誰が聞いたってカナダのヴィンチェンゾ・ナタリ監督による怪作「キューブ」(1997)のソレを連想させる。そして二人の男にはノコギリが…。「ソウ」ってタイトルはそこから付けられている。…となると、何とも史上最悪のエンディングが想像つくではないか

 うげ〜。でも、オモシロイかも。

 真っ先に頭に浮かんだ「キューブ」の他、ついでにデンマーク製サスペンス映画「モルグ」(1994)も連想したよ。さらには…僕は未見ながら、そのハリウッド・リメイクである「ナイトウォッチ」(1997)の題名も思い浮かべた。まぁ、これらの作品と共通性があるか否かは別にして、今回の映画「ソウ」がもし僕が予想した通りの作品ならば、コレは近来マレに見る緊迫感溢れた映画に違いない。

 低予算、少ないキャスト、限られた舞台設定、有り余るアイディア…。

 こりゃミニマライズの権化みたいな、徹底的にムダのない映画に出来上がっているはず…と思いきや、キャストの中にダニー・グローバーの名前があるのにビックリ。リーサル・ウェポン」シリーズ(1987〜1998)の彼が、何故にこの映画に出ているのか。えっ、この映画ってどうなってるの? 二人の男が奇妙な場所に閉じこめられてるだけの話じゃないのか?

 何となく、この映画って僕が予想したのと違う気がし始めたんだが…。

 

あらすじ

 一人の男が水の中に浸かりながら目を覚ます。危うく溺れそうになって大慌てで自ら顔を出すと、いつの間にかに水が引いていく。彼が入っていたのはバスタブだ。辺りは真っ暗。男はゲホゲホ咳き込んで大騒ぎしながら、自分が今置かれた立場を一生懸命考える。一体ここはどこだ? なぜこんな事になっている?

 「誰かいるのか?」

 彼が大慌てしていると、どうもそこには誰かいるらしい。男は暗闇に向かって叫んだ。「明かりをつけてくれ!」

 一気に蛍光灯が点灯する。そのまぶしさに目が慣れてみると、彼はとんでもない状況にいる自分に気づいた。

 男リー・ワネルが今いるのは、大きなタイル張りの浴室のような廃墟。その片隅に彼が浸かっていたバスタブがあった。そして汚れたトイレ。さらに部屋の中央部には血まみれの死体…!

 慌てたワネルはオエッと吐きそうになる。そんな自分の足は、クサリで太い鉄パイプにつながれている。これは一体何なのだ? そんな自分の真正面…部屋の反対側には、もう一人の男ケアリー・エルウェスがいた。エルウェスもまた、片足をクサリでつながれている。「落ち着け、落ち着くんだ!」

 だがワネルは自分がなぜこんな状態に陥ったか分からず、ただただ慌てフタめくばかり。部屋の中心に横たわる血まみれの死体…片手に拳銃、もう片方の手にテレコを持って、どうも自分の脳味噌を撃ち抜いたかに見える男…を目にして、慌てるなという方が無理だ。そもそも自分の反対側にいるエルウェスという男は…。

 「私も君と同じだ。気づいたらここにいた」

 ワネルもエルウェスも、自分がどうしてここに連れてこられたか…思い出そうとしても思い出せない。だが、誰かが彼らをこういう目に遭わせたのは間違いない。もっとイヤなのは、何から何まで汚れて朽ち果てたこの浴室みたいな部屋に、なぜか真新しい時計が据え付けてあることだ。

 「我々に時間を教えたいようだ」

 ふとワネルはポケットに封筒を発見。同じくエルウェスもポケットに封筒を見つけた。中にはそれぞれコンパクトカセット・テープ。エルウェスの封筒には、それに加えて小さなカギと一発の銃弾が入っていた。早速カギをクサリの錠前に試してみるエルウェスだが、これとは合わない。ワネルの錠前とも合わなかった。ともかく仕方がない。テープを聴いてみるしかない。

 テープを聴くには…死体が手に持っているテレコを使うしかない。

 クサリで動ける範囲が限られている中、何とか苦心惨憺してテレコを手に入れたワネル。早速テレコで聴いてみると、明らかに音声をいじった男の声が響いてくる。

 「オマエは他人の生活を覗き回る男だ…」

 何とテープは彼を断罪し、彼が自力で脱出しない限りこの浴室で死ぬと宣告した。さらにエルウェスのテープを再生すると、こちらにはもっと厳しい内容が録音されていた。

 「人の生き死にを弄ぶオマエは、目の前の男を殺さねば生きて出られない。さらに妻子の命もない。その期限は6時まで!」

 これは「ゲーム」だ…とテープは言う。真ん中に倒れた血まみれの男は、全身に毒が回って死ぬのに耐えられずに自ら死を選んだと言う。そして助かるための手がかりは、部屋のあちこちに隠してある…。

 テープをよくよく聴いてみたエルウェスは、小さく「ハートに従え」とつぶやいているのに気づく。そしてワネルの側のトイレのタンクには、ハートの印が描かれているではないか。案の定、タンクの中にビニール袋を発見。中から出てきたのは…2丁のノコギリだ。早速このノコギリで狂ったようにクサリを切ろうとする二人。だがクサリはびくともしない。

 「違う、これはクサリを切るためのものじゃない

 そう。さすがに二人とも気が付いた。これはクサリではなく「足」を切るためのものなのだ。そんなあまりに残酷な発想に、エルウェスはハタと気が付いた。

 「これはヤツの仕業だ。ヤツしか考えられない

 実はこれに先立つ何ヶ月か前、エルウェスは警察に呼び出されていた。彼は大病院の名のある外科医。脳腫瘍で助からない患者に冷たく診断を下している時、エルウェスはいきなり来客に呼び出された。それはダニー・グローバーとケン・リョンという二人の刑事だった。彼らは連続猟奇殺人を追っており、現場にエルウェスのモノであるペンライトが落ちていたので、彼を連行しようとしていたのだった。結局は警察で事情聴取の末、エルウェスのアリバイは成立。だがその際に知らされた猟奇事件の全貌は、実に恐るべきモノだった。

 まずは第一の殺人。薄暗い密室で一人の中年男が死んでいる。そこは四方にワイヤーがビッシリと張り巡らされていたが、そのワイヤーは刃物になっていて触れればザックリと切れるシロモノだ。男はそこを脱出しようとして、ワイヤーにカラダを切り裂かれて死んだ。

 犯人のメッセージ・テープには、次のような言葉が残されていた。オマエは先日手首を切ったが、本当に死にたかったのか、単に気を惹きたかったのか。死にたいならその部屋に残ればいい。生きたいなら、再びカラダを切り裂かねばならぬ…。

 そのあまりの異常性に、グローバー刑事もリョン刑事もゾッとした。しかも死体の肩には犯人が署名したかのように、ジグソー・パズルのマークが彫ってある。これによって、犯人は「ジグソー」と呼ばれる事になった。

 さらに第二の殺人。これまた密室に閉じこめられた男が焼死している。この男は放火魔だった。ゆっくり全身に回る毒を注射され、解毒剤は部屋の中央にある金庫の中。その金庫のカギを開ける番号は、部屋の壁一面に書かれた番号のどれかだ。足下はガラスの破片が敷き詰められ、部屋は薄暗く数字は見えない。その場に置いてあるロウソクの火を使わなければ数字が見えないが、男の全身には引火性の薬品が塗ってある。こうして誤ってロウソクの火を自分に引火させた男は、丸焼けになって死んだのだ。

 密室の壁には、一個だけ小さな穴があった。犯人はそこから被害者の様子を伺っていたのだ。グローバーはそんな犯人をこう語る。「ヤツは最前列で見物するのが好きなのさ」

 ところが第三の殺人は、幸いにも回避された。その唯一の生還者が証言する様子を、エルウェスは取調室のマジック・ミラーを通して見ることになった。

 この生存者は女性の麻薬中毒患者だ。彼女が気づいてみると、案の定どこかの密室に閉じこめられている。ところが彼女の頭部には、ゴツイ金属製の「装置」が据え付けられているではないか。この「装置」は彼女のアゴにキッチリ取り付けてあり、タイマーが切れるとものすごい力で押しつぶすように設計されていた。そうなれば、彼女の頭部はもろくも砕け散ってしまうはず。唯一助かる方法は、近くに横たわる死体の胃袋からカギを取り出すこと…。

 確かに誰かが横たわっていた。だがその男は死んではいなかった。単に麻酔で動けなくなっていただけだ。だがカギを手に入れなければ自分が死ぬ。手近にナイフも落ちていた。こうして彼女は思いきって男の腹を切り裂き、内臓を手で掴みだして胃袋からカギを取り出した。間一髪助かったものの、彼女は錯乱して泣き崩れる。すると気色悪いピエロの人形が現れ、犯人のメッセージを伝えるではないか。「おめでとう。人は“生”に感謝をしないが、君はこれからは違う」

 そんな戦慄の証言を聴かされた後で、エルウェスは釈放された。まだグローバーはエルウェスを疑っているようだったが…。

 その時エルウェスは、自分がこれ以上この事件と関わりを持つ事はないと思っていた。だが…。

 確かにそうだ。ヤツに違いない…あの警察の取調室での事を思い出し、エルウェスは改めて愕然とした。今度は自分がワナにハマってしまうとは。しかし、一体なぜ?

 実はエルウェスには、思い当たるフシがない訳ではなかった。彼は、病院の部下と不倫の関係を持っていたのだ。だが、それを妻モニカ・ポッターも薄々感づいていた。あの夜、家から出かけたのも…。

 そんな妻子の写真を見せようと、定期入れをワネルに投げるエルウェス。ところがワネルはその中に、とんでもないモノを見つけてしまう。それは猿ぐつわ姿のエルウェスの妻子を撮影したポラロイド写真。さすがにこれをエルウェスに見せるのは忍びない。ワネルはこのポラロイドをエルウェスに見せないように隠す。ところがポラロイドの裏側には、犯人からのメッセージが書いてあるではないか。「宝物の在処は目をつぶった方が見える事もある」

 ワネルは唐突に、蛍光灯を消すようにエルウェスに提案する。その理由に解せないものを感じながらも、エルウェスはスイッチを消してみた。すると…蛍光塗料でも使っているのだろうか、壁に大きく「X」と書いてあるではないか。早速そこを壊してみると、中には小さな箱が入っている。箱を閉じた錠前は、先ほど使えなかったカギで見事に開いた。

 中には携帯電話、2本のタバコ、ライター…。特にタバコにワネルは狂喜した。「携帯は人類の発明品の中で一番、タバコは二番目に素晴らしいぜ!」

 だがその箱には「ジグソー」からの手紙もあった。そこには犯人からエルウェスだけにあてた、あるメッセージが書かれていたのだ。タバコに血液を付着させれば毒になる。それをワネルに吸わせてやるだけでいい…。それはエルウェスに「ゲーム」を遂行するように促す誘いだった。 ワネルに気づかれないよう、コッソリとこの手紙に目を通すエルウェス。

 「ヤツを殺すに拳銃は要らない…」

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 この映画ってジェームズ・ワンリー・ワネルというオーストラリアの若者二人が企画を立ててハリウッドに売り込み、脚本と主演がワネル、監督がワンというカタチで参画して完成させたという一種の「シンデレラ・ストーリー」も生んでいる。アメリカでも大成功し、日本でも前述のファンタスティック映画祭で絶賛というシロモノ。まぁ、前評判で必ず言われるのは、「企画と脚本の素晴らしさ」だ。

 そんな背景やらいかにもギリギリに絞ったような設定から、僕が見る前に「キューブ」を連想したのは前に述べた通り。

 だが…この映画に「キューブ」を連想したのは間違いだった

 実は、物語の舞台は浴室の廃墟に限定されない。しかも出てくる人間もこの二人だけではない。当初のミニマルな設定だけには限られない。

 そもそも映画の最初の段階から回想シーンが入り…これは事件の設定を説明するために不可欠なシロモノなんだけど、その回想シーンがまたやたらに長い。そこでドラマの緊張感は、一気にヌルくなってしまうのだ

 この映画が「キューブ」のようである必要はないかもしれない。だけど…気づいたら二人の男がとんでもない空間にいる、理由は分からない、脱出も出来ない…と、これだけ格好の条件を揃えたのなら、そんな必要最小限度のミニマルな設定をトコトン全うしてもらいたかったって気がするよね。ずっと二人だけ、あのセットだけ…あの中に仕掛けられた手がかりなりワナなりでハラハラさせ、二人もあくまで手持ちのモノで状況打開を図る。あるいはもっとお互いの疑心暗鬼で、危機的状況が増していく。そうすれば、これってスゴイ映画になったと思うんだよね。ひょっとしたら、単なるサスペンス映画も超えちゃったかもしれない

 ところが回想シーンやら、別の連中やらって場面がドンドン挿入されていく事から、この映画は妙に風通しが良くなってしまう。それによって、最初パンパンに膨れていた緊張感もスーッと抜けていく感じなんだよ。

 そして密室の二人はと言えば、大した事もやってなくて回想に耽ってばかり。「ゲーム」をやるぞ…って言ってる割には、犯人が隠した手がかりとか仕掛けとかは意外に少なくて貧弱。見ているこっちまで、閉じこめられた二人と一緒に結構リラックス出来ちゃうから困る。

 回想シーンやサイド・ストーリーで理由なり原因なり、犯人探しなり、それを捜査する刑事なり…こういう「ミニマル」とは程遠い要素がゴチャゴチャ入り込めば入り込むほど、この映画は最初のギリギリまで絞り込んだムダのない物語からヌルい普通の物語へと移行していく。やっぱりダニー・グローバーの名をキャストに見つけた時に、「アレ?」と感じたイヤな予感はある程度当たってしまった。ダニー・グローバーと来れば、おそらくそれなりの大きさの役で刑事が登場するのではないかと踏んだんだよね。それって「ヨソ者」のドラマが混入するって事だと危惧したわけ。これはイヤな予感が当たってしまった。

 もちろん凡百のサスペンス映画なんかよりは全然面白いよ。発想もいい。驚きもある。怖くもある。だけど、この当初の設定なら「もっとスゴイ」ものが期待出来そうではないか。そんなとてつもなさ…を期待する方が間違いだと言えばそうなのだが、あの切りつめた設定を提示されたら期待するのが当然ってもんだろう。だから、ちょっとガッカリしちゃったんだよね。

 結局刑事のエピソードはかなりの割合で出てきて、それはそれで「どんでん返し」に貢献することはするが、ますますこの映画のユニークさは失われていく。少なくとも張りつめた緊張感の中で展開する、神経衰弱みたいな映画にはなっていない。カメラが密室から出ていくってだけで開放感が出て来ちゃうからね。あの浴室に閉じこめられた、閉所恐怖症的なギリギリ感は失われてしまう。これはハッキリ言って、もったいない事ではないか。

 で、こうした脚本上の穴がかなり目立つのがこの映画なんだよね。

 実際のところ、犯人がこさえたいろいろな仕掛けって、どうやって設定したのか説明できないものが結構ある。ツジツマが合わない、ちょっと反則じゃないかなと思えるモノも少なくないのだ。

 そういう穴は他にもあって、脚本の上で無理している部分は二人のさりげないやりとりの中にもある。例えば見たくもない他人の妻子の写真を強引に見せられる場面。ここは役者の芝居で乗り切ったけど、よくよく考えれば無理があるよね。

 実際のところナゾ解きのために必要だったとは言え、ダニー・グローバーのエピソードはかなりムダだ。演じた役も役だし、ダニー・グローバーともあろう人がよく引き受けたよね。「リーサル・ウェポン」メル・ギブソンとも組んでいたし、「プレデター2」(1990)ではあのプレデターにも堂々勝った(笑)グローバーなのに、この情けなさは悲しかったよ。

 さらに「ソウ」ってタイトル付けてる割には…それが物語の中心にド〜ンと据えられる訳ではない。向こうの宣伝コピーを見てみると様々な意味にかけているような事も書いてあるが、映画としてはズバリ、あのノコギリの「ソウ」だろう。これにいわく因縁ある訳でもないし、何か特別な意味合いがあるわけでもない、ずっとドラマの中でクローズアップされる訳でもない。確かに相当な見せ場にはなっているが、それってドラマの中心にはないのだ。これも何となく解せないよねぇ。だって極端な話、コレがなくたっていいんだもの。ダメ押しのショック演出のために使っているとしか考えられない。

 ただね…だから安心して見ていられるってところもあるんだよね。

 僕が当初思っていたような緊張感に富んだ映画だったら、これはとても正視に耐えなかったかもしれない。あまりキツくて見ていられなかったかもしれない。ところが浴室でにらみ合っている二人の男の話もソコソコに、すぐにダニー・グローバーなどのエピソードに移行してしまう。そこでガス抜きされて緊迫が失せていってしまう。だから…変な話だけど、それなりに安心して見ていられるという結果にもなった。

 実際のところ、かなりのショック場面でも見ていられる。

 これはホメ言葉じゃないのかもしれないが、緊張感をアレコレとガス抜きしてくれたおかげで、見ている側までいたたまれない展開にはならなかった。これは怪我の功名かもしれないね。

 

見た後の付け足し

 もちろん僕は当初の「ミニマル」な設定なら「キューブ」みたいにトコトン突き詰めれば良かった…とは思うが、この映画も結構面白かったことを認めねばならない。アレコレやってくれるから、見ている間は退屈しなかった。

 実際のところこの映画が「企画と脚本の良さ」で買われたってことも、昨今のハリウッド映画のダメさ加減を考えれば頷けなくもない。続編でもないリメイクでもない、ちゃんと頭を使った気の利いた脚本を提示されたら、今のハリウッドだったら「スゴイ!」って事になっちゃうと思うよ。イマドキのハリウッドはかなりレベルが落ちている。大リーグより悪い。日本の映画作家だってちょっと考えてスクリプトを持っていったら、速攻でオーケーになるんじゃないか? それくらい今のハリウッドはダメだと思うよ。そりゃこの脚本持って来られたら「傑作だ!」って言いたくもなるよね。だって何だかんだ言っても、それなりに頭使って退屈させないからね。

 犯人の言い草なり事件の顛末には、確かにどよ〜んとイヤ〜な気分にもなる。だけど…これは最初からこういう映画と心構えが出来ていたから許せる。そして先に述べたガス抜き効果のおかげで、救いがあるから見ていられる。

 ただ、それにしたってねぇ…。

 ツジツマが合わないところがあるなんてもんじゃない。最後の最後のアレは…いやぁ、「これってマジ?」って思って、僕は思わず笑っちゃったよ。どう考えても「衝撃」っていうより「笑い」だね。だってアレって絶対に無理があるだろう。あれでも「どんでん返し」って言えるんだろうか? この映画は後味の悪さもアレコレ言われているが、結局それを中和させるための「笑い」の趣向なんだろうか? そうでも思わないと理解できない、あの「オチ」なんだけどね(笑)。

 それはともかく…これに限らないんだけど、最近のサスペンス映画の「どんでん返し」…衝撃の結末、衝撃の真相、衝撃の真犯人…ってシロモノって、何だか見ていて「どうでもいいもの」に見えないだろうか?

 今回の映画だってオチがオチだったから笑っちゃったけど、そもそも僕は誰が真犯人だろうとどうでも良くなっていた。真犯人が予想ついていた訳ではないよ。ただ、「どうでもよかった」…。

 ここんとこ僕が見てきたアメリカ製のサスペンス映画は、テイキング・ライブス」「ツイステッド」「シークレット・ウインドウ…と、たまたまどれもこれもイマイチの出来。あまりデキの良くない作品が続いたから、そう見えるのだろうかと思ってたんだけどね。でも今回の作品までそう見えるとしたら、何かそれ以外の理由があるような気もする

 実際に意外な結果に導かれる訳だし、そういう意味の驚きもある。それなのに、そんな結末やら驚きなんか「どうでもいい」と思えちゃってる。これって一体何なのだろう?

 みなさんは最近のサスペンス映画の「どんでん返し」ってどう思いますか?

 これって最近のこの手の映画に共通する傾向なのか、それとも僕個人がそういう事に興味を覚えなくなったのか…だとしたら、自分に一体何が起こっているのか? 「どうでもいい」…って投げやりな気分は一体何なのか?

 僕は近頃それがマジメに気になってるんだけどね。

 

 

 

 

 

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