「ヘルボーイ」

  Hellboy

 (2004/10/18)


  

見る前の予想

 実はぜ〜んぜん知らなかった。そもそもアメコミなんか詳しくないし、この映画自体があまり話題にもなっていなかったので。

 この映画の監督ギレルモ・デル・トロデビルズ・バックボーン(2001)を見た時に、新作がこの「ヘルボーイ」だと知ったんだよね。それで俄然興味が湧いたわけ。「デビルズ・バックボーン」が面白かったし、思い出してみれば「ミミック」(1997)も面白かったからね。ハッキリ言って顔ぶれも地味だし知らないアメコミ原作の映画化だしで、本来だったら期待なんかしないだろうけどね。

 

あらすじ

 人の性格や個性とは、一体何が決定するのだろうか? それは生い立ちや環境か、はたまた…?

 第2次世界大戦の末期のこと。敗色が濃くなったナチス・ドイツは、科学とオカルトの力を借りて戦況を一気に挽回しようと目論んでいた。そこで連合軍側も若くして超常現象研究の第一人者であるジョン・ハートを合衆国大統領顧問として、こうしたナチスの動きを牽制すべく動き出した。

 これはそんな戦争最末期の1944年、場所はスコットランドのとある寒村での出来事。闇にそぼ降る雨が身に凍みるような夜、アメリカ軍はとある場所へと移動中だった。そこに同行していたのは、例のジョン・ハート博士。もっとも部隊の指揮官は、そんなハート博士の必要性をハナっから信じてはいない。それでもナチスがこの場所で、何か重要な事をしでかそうとしているのだけは明らかだったのだ。

 案の定、ナチスの連中はこの場所にいた。

 実はこの場所こそかつてのトランダム大修道院の遺跡。それは「この世」と「冥界」との境目の場所でもあった。ナチスはそんな「聖地」で、一体何を企んでいるのか?

 その場を指揮しているらしき人物は、ナチの軍服に奇妙な鉄仮面をつけた人物…カール・クロエネンことラジスラブ・ベランだ。この男、気色悪い鉄仮面でも分かる通り、もはやカラダの大部分が「作り物」と化している人物だ。ドイツのオカルト結社「トゥーレ協会」の会長であり、ナチスからオカルト戦略における全権を委任されている将校でもある。この男が仕切っているという事は、今夜のこのプロジェクトは並大抵のモノではあるまい。

 なるほど、太いケーブルを二重三重に巡らせながら、この遺跡の真っ直中に巨大な装置が建造されている。確かに何やらここで巨大な実験が行われるのは間違いない。クロエネン=ベランの片腕としては、洋モノのピンク映画「ナチ女収容所」とか「ナチSEX親衛隊」とかに出てきそうな女将校ビディー・ホドソンもいた。そして、さらにもう一人…。

 スキンヘッドの奇妙な出で立ちの人物…そう、怪僧ラスプーチンことカレル・ローデンだ!

 「ジンギスカン」とか「めざせモスクワ」が流れていた往年のディスコ…じゃなくって、陰謀渦巻く帝政ロシアを揺るがせた悪の怪僧ラスプーチンが生きていたとは! そしてこのラスプーチン=ローデン、ここで一体何をやっているのか?

 やがてラスプーチン=ローデンは、真空管とケーブルで出来たパワーグローブのような装置を右手に装着する。装置が作動を始めてパワーが漲り出すと、あちこちで電流がショートしたような火花が散った。

 それは…冥界への扉を開こうとする試みだった。

 冥界に眠る7体の邪悪な神…オグドル・ヤハドをこの世へと呼び寄せる。こいつらさえ呼び寄せれば、ナチスは勝てる。それは同時に、人類の破滅をも意味していた。それこそが、何としても阻止しなければならない最悪の事態。物陰から様子を見ていたアメリカ軍兵士たちは、その場に手榴弾を投げ込んだ。

 ドッカ〜〜〜〜ン!

 たちまちその場は阿鼻叫喚の大騒ぎ。だがナチスのリーダーであるクロエネン=ベランは強い。両手に仕込んである剣を振りかざして、米軍兵士を次々と血祭りに上げる。

 だが米軍が放った手榴弾の一個が、作動中の装置の方に転がった。

 ドッカ〜〜〜〜ン!

 装置は大破。クロエネン=ベランは爆風で吹っ飛び、飛び出していた鋼鉄の棒に串刺しだ。ラスプーチン=ローデンもバランスを崩し、そのまま開きかかった冥界の扉の中に吸い込まれていった。

 こうしてその場は収まった。…とは言え、いつの間にか串刺しになったはずのクロエネン=ベランはその場から消えているし、女将校ホドソンもいない。しかもわずかながらとは言え冥界の扉が開いた以上、この世に何者かが放たれたはず。ハート博士は慌てて周囲を探させる。すると…。

 一体なんだ、あれは?

 何者かがサッと目の前を横切った。よくよく見ると…それは小さな赤いサルみたいな生き物ではないか。しかも右手がバカでかく硬い物質で出来ているようだ。何とも異形の生き物…。

 周囲の兵士たちはこの赤い生き物を攻撃しようとするが、ハート博士はそれを必死に止めた。そして持っているチョコバーで餌付けをして、うまく自分になつかせる事に成功したのだ。

 こうしてナチスの陰謀を未然に防いだハート博士は、その後も引き続き合衆国政府のために働くことになった。そしてあの赤い生き物も、博士の庇護の下ですくすくと成長した…「ヘルボーイ」という名を与えられて…。

 その後このヘルボーイの目撃例が合衆国の各地でたびたび報告されたが、もちろんそれは「雪男」や「ネス湖の恐竜」「UFO」の類同様に、マトモに取りざたされる事もなかった。だがヘルボーイは生き続けていた。彼はハート博士の下で、合衆国政府のために働くスペシャル・エージェントとなっていたのだ。

 今日も今日とてFBIのトップ、ジェフリー・タンバーはテレビのニュース番組に登場すると、キャスターから鋭い質問を浴びている。「FBI内部に超常現象調査防衛局というセクションがあるって本当ですか?」

 「いやいや、そんなものありゃしませんよ!」

 タンバーはすっとぼけているが、実は当のタンバー自身がその超常現象調査防衛局(BPRD)の局長だという事は、関係者以外誰も知らない事だった。そしてハート博士もヘルボーイも、そのBPRDで働いていた。

 だがハート博士は、最近体調の変化を感じていた。医師に診てもらった結果は、無情にも絶望的なもの…あと6週間の命というものだった。そうなると、ハート博士の心配はあのヘルボーイのこと…。

 新米のFBI捜査官ルパート・エヴァンスがBPRD本部に赴任してきたのは、それから間もなくの事。いかにも初々しいニューフェイス然としたエヴァンスは、最初っからすべてにおっかなびっくりだ。

 まずは地下のBPRD本部に入ると、いきなりどこからか声がする。「その本のページをめくってくれたまえ」

 エヴァンスが声の主をキョロキョロ捜していると、目の前の大きなガラス窓にベタッと何者かが貼り付くではないか! その異形の人物は、エラや水かきを持つ水棲人間エイブ・サピエンことダグ・ジョーンズ。もちろんこのBPRDのメンバーだ。だが、そんな事で驚いていてはいけない。ハート博士や捜査官のコーリー・ジョンソンに迎えられたエヴァンスは、そこで最も重要なBPRDのメンバーと対面させられる。

 言うまでもなく、それはヘルボーイことロン・パールマンだ。

 全身真っ赤な巨人、しなうムチのようなシッポ、そして額には根本から切り取られたツノ…ヘルボーイ=パールマンはこのツノを凝視されるのがキライだと言われても、エヴァンスはツノから目を離す事が出来ない。ひどく気むずかし屋のヘルボーイ=パールマンは扱いが難しそうだが、エヴァンスはエヴァンスで心の準備がまるで出来ていない。何とも気まずい初対面ではあったが、幸か不幸か…その時一同に出動命令が出たので、エヴァンスも何とか事なきを得た。

 さて、この夜BPRDメンバーに出動命令が下ったのは、ニューヨークのとある博物館。そこで何やら魔物が現れ、守衛たちを殺害したと言う。巨大なゴミ運搬車に乗って、ヘルボーイ=パールマンらBPRDメンバーは博物館入り。どうも押し入った「何者」かは博物館内にとどまっているようだ。

 早速、あの水棲人間のエイブ=ジョーンズが能力を発揮。彼は頭脳の著しい発達により、透視能力やら過去・未来を読む能力、テレパシーの能力を持っていた。そんなエイブ=ジョーンズの知力は、扉の向こう側に何かがいるのを察知していた。

 「ようし、ご挨拶といこうか

 ヘルボーイ=パールマンはやたらゴツい銃を片手に、隣の広間へと入っていく。エヴァンスはそんなヘルボーイ=パールマンを援護しなくては…と焦るが、周囲はみんな落ち着いたもの。例のエイブ=ジョーンズも静かにこう語るだけだ。「ヤツは単独行動が好きなんだヨ。孤独なヒーローってやつがね」

 そんなヘルボーイ=パールマンも、得体の知れない相手にまったく怯えていない。銃に込めた自前の弾丸に自信があった。そこには聖水をはじめ、魔物がイヤがるありとあらゆる要素をブレンドしたものが入っていた。もし仮にこれがダメでも、いざとなれば自分のデカい腕がモノを言うさ。

 人けのない広間にはブチ壊された展示品の他に、警備員たちの遺体が散乱していた。そこでの状況から見て、展示品の一つに封じ込められていた魔物…サマエルなる怪物が解き放たれたらしい。すると天井からヨダレ状の粘液が垂れて来るではないか。見ると天井には、醜くなって巨大化したイノシシみたいな化け物が警備員の遺体を貪りながらへばり付いていた…。

 早速始まる激しい戦い。しかもこの化け物、殺したと思いきや死んでいなかった…という実にタチの悪いヤツで、さすがのヘルボーイ=パールマンも手を焼く。あげく怪物のカラダの一部がヘルボーイ=パールマンの腕に突き刺さったり…と、かなりの苦戦だ。

 しかも化け物サマエルは、隙をついて博物館の外へと飛び出した。慌ててエヴァンスは応援に駆けつけるが、とてもじゃないが手に負える相手じゃない。この足手まといぶりに、ヘルボーイ=パールマンもおかんむりだ。あげく街中に飛び出すサマエルをヘルボーイ=パールマンはどんどん追って行く。

 やがてサマエルは、地下鉄のトンネルへと入り込む。息詰まる死闘の末、ヘルボーイ=パールマンは何とかサマエルを仕留める事が出来た。そのままヘルボーイ=パールマンは通信機でエヴァンスが止めるのも聞かず、夜の街へと消えていく…。

 その頃あの博物館では、ハート博士が水棲人間エイブの力を借りて、この夜にここで何があったのかを幻視していた。すると…何とあのナチスの鉄仮面男クロエネン=ベラン、ラスプーチンより永遠の若さをもらった女将校ホドソン…そして何よりラスプーチン=ローデン自身が現れたではないか! あのナチス二人組は、現代にラスプーチン=ローデンを蘇らせていたのだ。そして例のサマエルなる化け物を解き放った…。

 さてその頃、ヘルボーイ=パールマンはとある精神病院に現れた。そこには彼のかつての同僚…リズ・シャーマンことセルマ・ブレアが患者として入院していたのだ。

 彼女は子供の頃から念動発火の能力を持ちながら、それを自分でコントロール出来ずに苦しんでいたのだ。だからヘルボーイ=パールマンたちと共にBPRDに所属していながら、そこを離脱してこの精神病院に入院していた。ヘルボーイ=パールマンはそれが寂しくてたまらなかったのだ。

 なぜなら、彼はリズ=ブレアを愛していたからだ。

 それでもリズ=ブレアは戻ろうとはしない。BPRDからの迎えのクルマが来ると、スゴスゴと例の地下の本部へと戻らねばならないヘルボーイ=パールマンだった。

 だがある晩、ラスプーチン=パールマンはこのリズ=ブレアの元にも現れた…。

 

見た後での感想

 面白い。まずはこの映画の感想を言わせてもらえれば、この一言に尽きる。

 実際のところ、これをまたしても…のアメコミ映画化の一本と捕らえてしまうと、大して新味のある物語とも言えない。「特殊能力の集団」対「悪の異形軍団」の戦いと言えば、それはX-メン(2000)だ。立派な体躯の巨漢が暴れると言えば、ハルク(2003)が思い浮かぶ。劇場パンフではアメコミ専門家ヅラした奴が、それぞれのアメコミがいかに違うかと得々と語った文章が載っているが、そんなものアメコミ好きでもなければ何の関心もない。ハッキリ言って聞いた事ない「デアデビル」なんてのまでが映画化されるに至っては、もう「あのアメコミが待望の映画化」というムードでもなくなっている。誰も全然待望してなんかいない。世間の普通の奴は知らないのが当たり前。偉そうに「こんな有名なの知らないの?」ってアメコミ好きは言うんだろうが、そんなの知ってるからって自慢にならない。こんな事でふんぞり返られたひにゃ、いいトシこいてる大人が他にやることないのかと言いたいよ(笑)。

 おまけに善玉組の一人リズ・シャーマンの能力「念動発火」って、スティーブン・キングの「ファイアスターター」って小説、並びにその映画化作品「炎の少女チャーリー」(1984)を連想させる。それって日本でも宮部みゆきの「クロスファイア」として描かれたし、これを映画化した金子修介のクロスファイア(2000)もある。特に今回の「ヘルボーイ」には、この映画版「クロスファイア」と同じ趣向の場面まで出てくる。これって少なくとも日本の映画ファンには、まるで新鮮味のない場面だろうと思うんだよね。

 そこに出てくる悪玉組は、ナチスに怪僧ラスプーチン。悪が悪と手を組んだ…というお楽しみは確かにある。だがこうも鮮度のない趣向に満ちた物語の中にそれらを置くと、これまた「毎度お馴染み」趣向ばっかり…というイメージを増すばかりなんだよね。

 しかも悪玉のリーダーである鉄仮面のナチス将校クロエネンは、その黒光りするマスクの奥で時折激しい息をスーハーさせているという、さながら「スター・ウォーズ」(1976)シリーズのダース・ベイダー風のキャラクター。これだけでもいささか失笑してしまう設定だ。これってコミックだから良かったものの、映画にしてしまうと「まんま」どこかで見たような趣向って事になっちゃうんだろうね。そういう意味で、これをまたまた映画化のアメコミ作品とか思えばウンザリだし、「またか」の設定ばかりで鮮度に乏しい物語に思える。

 だが、僕にはこの作品はとても面白かった

 確かに趣向そのものは、今までさんざ使い古されたものばかりで鮮度に乏しい。だがお話の骨子はなかなか興味深いよ。ナチス・プラス・ラスプーチン…と来れば、ほとんどブッシュ・プラス・ビンラディンとかナベツネ・プラス・堤みたいに絶対の悪の権化って感じだ(笑)。誰がどう見たってこれ以上ない悪。そんな悪のカタマリみたいな奴らと対抗するには、こちらもダークサイドから来た奴…この世の中では日陰者にならざるを得ない異形の者を持ってくるしかない。この発想やよし。

 しかもその中心に置かれたのは、いわば悪魔の子=ヘルボーイというのも面白いではないか。

 そもそも面白いのは、このヘルボーイって育ち損なっちゃったガキみたいなところがある点だ。キレやすいし堪え性がないしワガママで態度がデカい。だが好きな女の子には手も足も出ない。嫉妬に狂ってウジウジ後を追いかけたりする。そこを子供に説教されたりして、どっちが大人だか分からない。普段は無敵のモンスター・ハンターで格好も恐ろしい「悪魔」そのものなのに、自分はそのツノがキライで根本から切っている。葉巻を愛用するタフガイ然としていながら、大好物はお菓子ばっかり。

 このあたりは映画というより元のコミックの設定なんだろうが、この映画もこうした要素を強調してつくっている。この異形の者の「人間味」が最大の見どころだ。ヘルボーイだけじゃない、脇を固める水棲人間エイブやらリズやら、さらには博士やら新米FBIエージェントとのやりとりの楽しさで見せる映画なのだ。

 だからこの映画をアクションやらSFXだけで見たら、楽しさ半減だ。それはそれでキッチリやってはいるが、この映画の面白さの主眼ではない。先にも述べたように、それらって映画としてはいまや鮮度の半減した趣向ばかりだからね。むしろ単純やんちゃとしかいいようのない怪力のヒーローと、彼を巡る人々のアンサンブル…相手を思う気持ちの大切さなどを味わう映画なのだ。

 …というか、監督・脚本のギレルモ・デル・トロはこの原作のポイントを見据えた上で、最良の方法としてハッキリと集団ドラマの部分を映画の中心に設定した

 だからこの映画の作り方は、どちらかというとホームドラマの趣向によく似ている。ヘルボーイの博士に対する深い愛情、リズに向ける秘めた恋愛感情、エイブとの仲間意識やら新米エージェントとの関係を築いていくあたり…これは本当にホームドラマだよね。それをある時には微笑ましく見つめ、ある時はハラハラ心配し、ある時には身につまされるような切なさを感じて、大いに共感して見るべき映画なのだ。

 例えばヘルボーイの事を毛嫌いして無神経な言葉を吐いていたBPRDの局長が、彼と一緒に危機に陥って共に力を合わせて戦う場面。この後でヘルボーイが葉巻にライターで火をつけようとすると、この局長はさりげなくマッチで火をつけてやるんだね。「葉巻はマッチだ、香りを味わって吸うものだからな」…そこには、たった一言だけど、男同士の共感が生まれた瞬間が描かれているんだよね。

 こういう小さな場面に、ちょっと嬉しくなるイイ趣向が詰まっている。この映画の楽しさはそこにあるのだ。そしてそういう楽しさって、まさにアメリカ娯楽映画が本来持っていた健全な楽しさそのものではないか。

 そういう意味ではこの映画、日本映画のヒット作スウィングガールズとも似たような、従来からのアメリカ映画の定石を活かした楽しい作品と言える。いまやアメリカ映画の良き伝統を守っているのが、日本映画とメキシコ出身監督の映画…というのは、いささか困った事なんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後の付け足し

 ニューヨークの地下鉄の構内に何とも気色悪い悪の巣窟がある…とか言うあたりは、デル・トロ監督の旧作「ミミック」そのものだし、今回の映画に出てくる墓場の地下の迷宮も含めて、「デビルズ・バックボーン」の地下室の水槽を思わせる気色の悪さがある。こういうイヤ〜な環境を描かせると、デル・トロ監督の独壇場だよね。

 そんなグロテスク趣味はともかく、映画のテイストとしては「デビルズ・バックボーン」あたりと今回の映画はかなり違ってる印象がある。片やシリアスで残酷な心理劇、片やポップでユーモラスなアクション劇。どこにも共通性はないみたいに見える。

 だけど僕はこの「ヘルボーイ」…なるほど「デビルズ・バックボーン」をつくった人の映画だなと思ったよ。

 ヘルボーイは最後に愛する女を人質に取られ、自らのパワーで冥界の扉を開くように強いられる。惚れた女のため…という口実こそあれ、シブシブながら冥界の扉を開けようとするヘルボーイの額には、あのツノが長々とそそり立つではないか。そもそもヘルボーイはそんな「悪の権化」側の生き物。それは彼の本卦帰りとも言えるはずだ。

 だがそこでヘルボーイは、新米エージェントの一言に目を覚まされる。「オマエは一体何者かを思い出せ!」

 「デビルズ・バックボーン」では、子供たちが戦争という異常事態の中で、心ならずも手を汚さずにいられない姿を描いたデル・トロ監督。それは望んでなった事ではない。無力な存在である子供たちがなすすべもなく選択した事だが、それでも忌まわしい事ではあった。

 それとは対照的に、この「ヘルボーイ」では最後にこう映画が結ばれる。

 人の性格や個性とは、一体何が決定するのだろうか? それは生い立ちや環境か? いや、違う。それは人が何を選択したかによって決まるのだ…。

 汚れない存在である子供でさえ、状況によっては忌まわしい事に手を染めてしまう事もある…とペシミズムで作品を彩った「デビルズ・バックボーン」。だがその考え方はひっくり返してこうも言えないか? 人の美しさに元々の生まれや育ち、姿カタチは関係ない。それらがいかに忌まわしくとも、美しい生き方をめざす事が出来るはずだ。その時に武器になるのは、個人の強い意志に違いない…。

 デル・トロ監督の言いたい事は一貫している。今回は同じ事をオプチュミストの視点でひっくり返して語っただけだ。そんなデル・トロ監督の姿勢で貫かれたこの「ヘルボーイ」は、見た目の印象以上に真摯なメッセージを持っていると僕は思うんだよね。

 

 

 

 

 

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