「誰も知らない」

  Noboby Knows

 (2004/09/20)


  

 

出来ればタテタカコの歌う「宝石」を聞きながらお読み下さい。

 

 

モノレールの二人

 夜のモノレールに、少年と少女が乗っている。窓には遠い街の灯が見える。モノレールは羽田空港へと向かうところだが、二人には旅行に出かけるような華やぎも笑顔もない。二人の行き先は…。

 

秋・誰も知らない家族

 アパートにある母子が越してきた。(YOU)は長男・明(柳楽優弥)を伴っての大家への挨拶で、父親が海外赴任中の母一人子一人と話す。だが引っ越し荷に紛れ込ませたトランクの中には、次男・茂(木村飛影)と次女・ゆき(清水萌々子)が入っていた。夜になると明が駅まで出かけて、別行動でやって来た長女・京子(北浦愛)をコッソリと家に迎え入れる。…そう、この一家は母1人に子供4人の母子家庭。小さい子供が4人もいると知られたら、とてもこのアパートにはいられないかもしれない。現に前のアパートはそれで追い出されてしまったのだ。母はその夜、みんなに言い聞かせるように告げるのだった。

 「大きな声で騒がない」「お外へ出ない」

 彼らは「いない」事になっているのだ。もちろん戸籍も出ていない。だから学校にも行っていない。こうして家の中に籠もっているだけ。

 朝になると母は仕事に出かけ、12歳の明が買い物や料理づくりをして家を支えていた。京子は夜中に洗濯をしてこれに協力。もちろん幼い弟妹の面倒も明と京子が見ていた。外に買い物に行く明は、末っ子のゆきの好物アポロ・チョコを買う事も忘れはしない。

 そのうち母親は、明についつい本音を漏らす。「今、好きな人がいるの…」

 それを聞いた明は、ついつい「また…」と呆れずにはいられない。男グセが悪いのか男運が悪いのか、母親はこれまで男から男へと転々としてきた。明が知っているだけでも相当の数になるはずだ。そんな母親の言葉を聞いて、明はまたイヤな予感がしてくるのを止められない。

 案の定、母親は帰宅が遅くなっていく。酔って帰ってきた夜には、みんなを叩き起こしてご機嫌だ。「明のお父さんは羽田の空港で働いていたんだよ。京子のお父さんは音楽プロデューサーで…」

 だが翌朝、母親の姿は消えていた

 「しばらく留守にします」という簡単なメモといくらかの現金を残して、母親は突然どこかへ行ってしまったのだ。

 

誰にも言えない生活

 長く勤めた会社を辞めるに至ったのには、訳がある。…確かに理由らしき理由はあるにはあった。職場環境が著しく悪くなったこと、ピンチに立った後輩を守るため、ずっと役所相手の仕事が続いたので民間の仕事をしたくなった…まぁ、もっともらしい事を言えば何とでも言えるだろう。僕個人としては、自分が仕事以外のくだらない事に振り回されている気がしてならなくて、それに疲れ果てた末での決心だったのだが…ある意味では、僕はものすごく増長していたのかもしれない。

 それでも、僕は自分なりに用意周到なつもりだった。会社を辞めるずっと前に、転職活動を始めていたのだ。すると…思っていた以上に手応えがいい。転職する以上はステップアップだ。この会社のクソ上司どもを見返せるように、収入も仕事もよくしたい。意外なまでの好感触に、僕は思いっきり強気になっていた。採用を告げてきた会社も惜しげもなく断り、本命一本に絞る。そこも二次面接までいって、ほぼ内定決まり…というような口調で人事担当者に言われた時…僕は勤めていた会社に辞表を叩き付けた。いや、この時には本当に「おそらくあなたに決まる」とまで言われたんだよね。

 そこまではカッコ良かった。

 ところが辞める日まで決まった時点で、頼みにしていた会社から不採用の通知が来た。これには僕も肝を冷やしたよ。そんな…今更そんな事を言われたって…。

 だが、担当者は雲隠れして電話に出ない。一体何が起きたか分からないが、決定は覆りそうもなかった。だがこの期に及んで元の会社に泣きつく訳にもいかない。僕は意気揚々、堂々たる態度で会社を辞めていった。内心は泣きそうだったけどね(笑)。辞めたことには理由もあったし、そうならざるを得なかったとは思うが、決してカッコいい話ではなかった。

 辞めたのは、忘れもしない7月の初め。それから長い長い長い…実に長い夏が続いた。

 毎朝、いたたまれないからサッサと家を出る。でも、街には僕の居場所なんてない。荷物を持って新聞やら就職情報誌を見る。職安にも行く。そして片っ端から電話をかけまくる。

 それが…僕が辞めるまではあれほど好感触ばかりだったのに、こうなった途端に世間は冷たい。どこも相手にしてくれない。こんなバカな、話が違うじゃないか。…でも、人生ってのはそんなものだ。

 電話しても電話しても相手にされない。やっと面接出来ても冷たくあしらわれる。自分の自信も揺らぐ一方。それでも何かせずにはいられない。自分のそれまでの作品を入れた重い荷物をぶら下げ、ジリジリ照りつける太陽の中をえっちらおっちら汗流して歩く。その姿は、例えて言うなら失礼かもしれないが、浮浪者のそれと変わりない。…というか、「そのもの」ズバリだ。自分は世間的には「社会人」ではないのだ。

 こんな日々がいつまで続くのか…と思うとめまいがしそうだが、それでも職を探して歩くしかない。

 自分がそんな惨めな状態になっているとは…さすがに誰にも話せるというわけにいかなかった。ほんの一握りの人間にはうち明けたが、ほとんどの知人は知らなかったと思う。

 自分の仕事に自信を持って打ち込むこと…僕が願ったのはたったそれだけだったのに、それはどんどん手の届かないところへ消えていく。誰にも何も言えないままに、僕は普通の人々の世界から遠ざかっていく。

 人にも相談できず、ただただ炎天下の下をはいずり回っていたあの夏…暑さも例年より暑かったし、残暑も10月ぐらいまであったと思う。何よりこの年は雨が少なかった。だからいつまでも涼しくならなかったのだ。

 雨がない事を恨めしく思っていた、あのクソ暑い夏の日の僕。外歩きの身にはむしろそれが有り難かったという当たり前の事に気づくのは、それからしばらく経って新たな職にありついてからだった…。

 

冬・子どもたちだけの生活

 それから一ヶ月。明が母親代わりを努めながら、一家は何とかやっていた。

 途中、コンビニで万引きの濡れ衣を着せられ、学校やら親やらを問いつめられそうになる一幕もあったが、コンビニのバイトのお姉さんが身の証を立ててくれた事で何とか助かった。「お詫び」ということで肉まんをもらうことになったから、結果オーライというところか。

 それでもいいかげんお金も底をついてきた。明は自分の知る限りの、かつて母親と付き合っていた男たちを尋ね歩く。それぞれ渋々ながらも、わずかながらの金を渡す男たち。だが彼らはどこか後ろめたそうで、しかし自分は無関係…という態度を崩そうとはしなかった。

 やがて母親が突然帰ってきて、子供たちに土産を渡す。だが…さすがに明と京子は、どこかシラケわたった表情を隠せない。京子はついつい「学校へ行きたい」と母親に訴える京子。彼女はピアノを習いたいと思っていて、今もわずかながらのお金をピアノを買うために貯めているのだ。だが、母親の返事は剣もホロロ。しかも母親は落ち着く間もなく、セッセと荷造りを始めるではないか。

 「クリスマスには絶対帰って来るから!」

 そう言って家を出かける母親。荷物を持って途中まで見送りした明は、さすがに耐えかねて一言言わずにはいられない。「母さんは勝手だよ!」

 だが母親は逆ギレし、明の父親の方がよっぽど勝手だ…と訳の分からない返事をかえしてくる。「何で、私が幸せになっちゃいけないのよぉ!」

 そして母親は去っていった。クリスマスにも帰ってこなかった。

 明は家に届いた現金書留の住所から調べて、母親の現在の住所に電話をかける。だが、受話器から聞こえてきたのは…知らない名字を名乗る母親の声だった。

 明は…自分たちでやっていくしかないと悟った。

 たまたま外で出会った例のコンビニのお姉さんに頼んで、お年玉の袋の宛名を書いてもらう。妹弟たちには母親から送ってきた…とお年玉を渡す。こうして何とか厳しい現実から、妹弟の目を遠ざける明だった。

 そんなある日、末っ子のゆきが駅に母親を迎えに行くと言い出す。言い出したら一歩も退かず、兄姉たちの言うことを聞かない。無理もない、その日は彼女の誕生日だったのだ。仕方なく明はコッソリとゆきを外へ連れ出し、「母を迎えに」駅へと出かける。

 だが、母が来る訳もない。

 帰り道、モノレールが頭上を通るのを見上げながら、明はゆきに約束する。「いつかモノレールに乗って、飛行機を見に行こうね」

 それはモノレールの向こうに、顔も知らない彼自身の父親を見ていたからだろうか。それとも彼らに無縁の広い外界に通じる、飛行機への憧れが言わせたのだろうか…。

 

誰にも言えない関係

 愛していた女との思い出は、モノレールを抜きには語れない。

 夢のような毎日が悪夢に変わるまで…それは一年ぐらいで転じたのだろうか。金が湯水のごとく消えていく。だが、それを誰にも言うことが出来ない。ただ、為す術もなく金がどんどん流出していく。

 むろん「大人」としてはバカげた振る舞いだったろう。現にそう言って揶揄した友人もいた。だが、そこまで至るにはそれなりの経緯もある。そうせざるを得ない事情もある。それに…バカげていると分かっていても、誰がそれを止められると言うのだろうか。それは他人だからこそ言える、「人ごと」な言葉でしかない。

 経済的な問題は蓄えの減少にとどまらず、その時点での自分の収入についてもあった。

 そして何が一番ツラいかと言って…自分と彼女の両方を知っている人間には、僕らが付き合っている事は絶対の秘密だったこと。自分が第三者の目からは「恋人」ではない…というのが、何よりもツラかった。

 なぜ彼女が頑なに秘密にさせたのか…今となってみればハッキリしているが、それでも僕はおとなしく言うことを聞いていた。言われるがままにしていた。

 そのうちに、相手の態度は徐々に変わってきた。無茶や勝手を押しつけてきたし、罵詈雑言も飛んできた。「恥ずかしくてあなたを友達に見られたくない」「本当だったらあなたなんかと付き合わない」「お金のない人とはやっていけない」…なぜそれほど言われても、僕はじっと黙っていたのだろうか? 一つには、出逢った時の彼女は打ちのめされ、ひどく不幸な思いをしていたからだ。そんな彼女だからこそ、自分はどんな事も受け入れようと思っていたに違いない。また、お互いの年齢や立場がかけ離れていた事もあろう。そして何より、彼女は僕に本当によくしてくれた。その最初の頃の事を考えると、多少目に余る言動が出てきたからといって、僕はここで態度を豹変する事は出来なかった。他人を信用する事のなかった僕が、初めて心底信用した人間だ。今のこの彼女は、きっと少し我を忘れているだけだ。「ホントの彼女」はこうじゃない…。

 いや、カッコつけるのはよそう。きっと僕はただの愚か者だったのだ。

 だが相手の親はなぜか高飛車に出るばかりで、僕の事などまるでゴミ扱い同然。彼女もそれを懐柔しようとしなかった。僕は僕で、自分の親や友人が彼女に会うという状況を、まるで想定することが出来なかった。何をどう考えてもうまくいくはずがない。認めたくないが、どんどん絶望的な色が濃くなっていく。それでも、心底信用したからにはトコトン信じようと決めてはいたが…事はどんどんエスカレートしていく。そのうちどう考えてもツジツマが合わない、裏をかかれたとしか思えない出来事まで起きて…。

 でも、責める気にはなれなかった。どうせ彼女が言いたい事だって想像がつく。「何で、私が幸せになっちゃいけないのよぉ!」

 その間も、絶え間なくお金がどんどん垂れ流されていく…。

 だが、僕は誰にも言えなかった。相手にも自分の窮状は告げられなかったし、親にも言えるわけはない。友人にもほとんど知らせていなかった。言ったら終わりだった。他人にそれが伝わったら終わり…ではない。それを自分で口にした時点で、自分の気持ちが切れそうだった。ならば切れば良かったって? 一度心から信用した人間は、僕には最後の最後まで切れない。

 恋人のありふれた幸せ…僕が願ったのはたったそれだけだったのに、それはどんどん手の届かないところへ消えていく。誰にも何も言えないままに、僕は普通の人々の世界から遠ざかっていく。

 僕には、奈落の底へ落ちていく自分を見つめているしかなかった。自分の金が底をつくまで…そして、「今のこの彼女」こそが本当の姿なのだと分かるまで。

 

春・子供たちの家が壊れていく

 いつどこで知り合ったのか、明にはいつの間にか二人の友達が出来ていた。それまで家族以外の知り合いのいなかった明は、友達たちとの付き合いに夢中になる。あげく彼らを自宅へと連れてきては、朝から晩までゲーム三昧。もちろん友達としては、ジャマな大人がいないし誰も小言を言って来ない明の家は好都合だ。…というか、実は彼らが明と付き合っている理由はそれだけしかない。だが、明はそのことにまったく気づいていない。気づこうとしていない。妹や弟は除け者にされてジャマにされているが、明は黙認するしかない。おまけにゲーセンで遊びほうけたり菓子を買ったり…で、電気・ガス・水道などの料金も払っていなかった

 だが例のコンビニで友達が万引きに及ぶに至っては、さすがに明も付き合いきれなくなってしまう。これが潮時だったのか、友達は明と疎遠になっていく。

 明が学校の前まで彼らを誘いに行った時も、「今度な」とか適当にはぐらかされたまま。これにはさすがに明も、自分がどう思われているのかを痛感する。別の友達と去って行く彼らの会話を聞くまでもなかった。「だって、あいつんちって臭いんだもん!」

 その帰り道、明はある女の子の姿に目を留める。それは…その時に聞いた別の女の子たちの笑い声に、先に学校前で自分が浴びた嘲笑と同じものを感じたからだろうか。そのセーラー服の女の子・紗希(韓英恵)は、級友たちから自分の「お葬式」をされていたのだった…。

 お金がいよいよ底を突いてくる。思い余った明はコンビニでバイトする事も考え、例のお姉さんに相談するが、年齢が足りずに断念せざるを得ない。お姉さんには逆に児童相談所や福祉事務所に相談するように助言されるが、それが出来れば苦労はない。そんな所に話でもしようものなら、子供たち4人で一緒に暮らす事は出来なくなってしまう。かと言って、このままではどうにも手詰まりだ。

 そんなある日、京子は明に自分の貯金を黙って差し出した。彼女はお年玉の袋の筆跡が母親のものでないと気づき、我が家の困窮を察したのだ。ピアノの夢も諦めた京子の心遣いに、明は改めて目が覚める思いだった。

 これからが本当の4人の暮らしなのだ…明はそう決意したのだろうか。今まで家に籠もっていた京子も茂もゆきも、みんなを連れて一緒に外出した。久々に何も気にせずにコンビニで買い物。そして公園で何も気にせず遊ぶ。心から楽しいと思えた一日。

 だが4人が帰宅した時、家の電気は止められていた…。

 

誰にも言えない教室

 僕が小学校の頃に猛烈なイジメにあっていた事は、もう何度もここで語ったから耳にタコかもしれない。

 だが、これは絶対に言っておきたいのだ。僕は決して親や教師に「言いつけ」はしなかった。

 それを「偉い」とホメてもらいたい訳ではない。他のイジメられている子供たちに、決して「言いつけるな」と言うつもりもない。むしろ「言いつけて」何とかなるなら、絶対にそうした方がいい。一人では耐えきれない事もある。もしイジメられている側が命の危険にでもさらされるくらいなら、イジメている相手を「言いつけ」ようが退学に追い込もうが、そいつの家庭を崩壊させて奈落の底に突き落とそうが…やれる事は何でもやって欲しい。イジメをしているようなガキには、一片の同情だってくれてやる必要はないのだ。「言いつけ」て済むのなら、そうして欲しい。

 だが、僕は何も言わなかった。

 さすがに親は気づいていたし、教師に相談もしたようだが、それでどうにかなった訳ではない。結局は何も変わらなかった。より陰湿で悪質になっただけだ。

 それならば何も親に言うまい。言っても無駄だし、親に無用な心配を与えるだけだ。教師にだって言うまい。なまじっか騒がれたら自分のためにもならない。もっとイジメられる口実をつくるだけだろう。だから、何をやられても僕は黙っていた。学校にもずっと通い続けていた。さも行くのが楽しみのような顔をして行った。学校に行かなければ、何かあったと気取られてしまうからね。

 もう一つには、僕が子供の頃から他人に何かを期待していなかったという事もあるんだろう。イジメていた奴も憎かったが、それだけではない。教師も何かやったつもりになっていたようだが、実はまったく無力だった。僕が友達だと思っていた奴も僕を蔑んだ。その嘲りの笑い声は、今でも忘れることはない。他人というものは自分に実害を及ぼさずとも、どうせこんなモノでしかないと思い知った。

 だから、僕は何もないかのように毎日振る舞っていた。

 いつ終わるか分からない張りつめた日々を、毎朝毎朝起きるのが苦痛だった日々を、僕は何もなかったかのような顔をしてやり過ごしていった。このまま自分はどうなっちゃうんだろう…と思いながら。

 クラスの中にいても「クラスの一員」じゃないような…そして自分も「これは現実じゃない」と思い込もうとしていたような、そんな「自分を閉ざした」ような学校生活だった。「自分がそこにいない」ならば、何があっても平気なはずだ…。

 なぜなら、理由はすべて自分にある…僕はそう思っていたからだ。僕が快活で面白くて遊びがうまくて、勉強が出来て運動に長けていれば良かったのだ。他の子みたいに世渡りの術を知っていれば良かったのだ。そうでないから、僕はゴミ扱いされても仕方がない…。

 友だちをつくって楽しく過ごすこと…僕が願ったのはたったそれだけだったのに、それはどんどん手の届かないところへ消えていく。誰にも何も言えないままに、僕は普通の子どもの世界から遠ざかっていく。

 考えてみれば…僕はこの時の経験から、常に何かを隠すようになったのかもしれない。人に何を言っても仕方がない…とまでは言わないが、他人とは分かち合えないものがあると思っている。

 それが親でも友人でも愛する女でも…。

 

夏・一人では支えきれない

 子供たちは近所の公園に出ている。だが、遊びに来ている訳ではない。暮らしはいよいよ困窮してきた。電気も水道もガスも止められてしまった。彼らは公園のトイレを使い、公園の水道で飲み水を溜めて洗濯をし、公園の鉄棒で洗濯物を干していた。そうするしかなかった。食事は“あの”コンビニで…親しくなったお姉さんはもういないが、新たにやって来たお兄さんと親しくなり、残ったおにぎりやお弁当を分けてもらっている。こうやってギリギリのところで、子供たちの暮らしは何とか続いていた

 以前、明が顔を合わせていたセーラー服の少女・紗希も、なぜかこの公園にいた。彼女が学校に行っていないのは明らかだ。そのうち紗希は子供たちと親しくなり、彼らの家にも遊びに来る。

 特に同年代の明は、紗希に親しさ以上の感情を持ち始めていた。

 だがある日のこと、ついに大家が部屋にやってくる。その場は母親が出張しているとか親戚の子が来ているとかウソをついて誤魔化したが、家賃の滞納だけは如何ともしがたい。

 そんな窮状を見かねた紗希は、何とか力になりたいと申し出た。だが、それは出会い系でサラリーマンとデートすること。ただ一緒にカラオケするだけ…とはいえ、それでつくった金を受け取る事は明には出来ない。断じてそれだけは出来ない。金を差し出す紗希を突っぱねると、明は夜の街へと走り去る。

 走って走って走って…どこまでも走って…疲れ切って。

 事ここに及んでさすがの明も、八方塞がりな状況を痛感せざるを得ない。勝手に振る舞う茂にも、「お姉ちゃんまた来る?」と聞いてくるゆきにも…そして母の古着を売るために持ちだそうとすると、頑として拒絶した京子も…もう明には耐えきれなくなった

 一人では抱えきれない責任を放り出すように、明は外へと飛び出していくのだが…。

 

誰にも言えない感想

 是枝裕和監督の作品は、「ワンダフルライフ」(1999)、「ディスタンス」(2001)あたりが予告編で気になっていたのに見そびれて…な〜んて言ったところで、結局は各方面で大絶賛の今回の作品しか見てないんだから、我ながらミーハーであることを言い逃れは出来ない。

 ただ今回の作品も…というか、今回こそ見そびれるかもしれなかった。イヤだった訳ではない。むしろ予告編を見て奇妙に惹かれながらも、同時にヤバイ…という予感に襲われて腰が退けたのだ。あまりに引き込まれてシャレにならない気がした。

 好都合な事に映画は大ヒットして、ますますおいそれと見に行ける状況じゃなくなった。このまま「見れませんでした」と逃げる手もあるな…と、僕は正直言って見ずに済まそうかと思っていたのだ。もしこの映画を見たら、考えたくもない…考えないようにしている事まで引きずり出されてしまいそう…。

 でも、結局は逃げられなかった。やっぱり人間ってカサブタをはがす誘惑には勝てないのかもしれない。何だかんだ言っても見に行ってしまった。スクリーンにいきなり羽田行きのモノレールが映って…思い出したくもない個人的なアレコレが脳裏をよぎり出した時には、一瞬「やめときゃよかった」…と思ったけどね(笑)。

 それでも画面から目が離せなかった。

 先に「映画感想」らしい事を済ませておこうか。是枝監督の他の作品を見ていないのでコレがこの監督の持ち味かどうかは分からないのだけど、主人公の4人の演技と演出は限りなくドキュメントに近い雰囲気が濃厚だ。もちろんちゃんとこの方向に誘導していったのだろうから、ドキュメント「もどき」と言われる事は不本意だろう。だが、現場の空気と出演者の生理から生まれたものを、映画の要素として適宜取り込んでいったであろう事は、映画を見ても想像に難くない。

 ただ、あくまで「行き当たりばったり」でなく、作り手がしっかり作り込んだ上での「ドキュメント風」だというのは、映画のあちこちに散りばめられたディティールの適切さからも伺える。玩具のピアノ、モノレール、野球のグローブ、アポロ・チョコ…これらが絶妙の伏線となって生きてくるあたりの、脚本の見事さを見失ってはならない。

 起用された子供たちはいずれも逸材で、映画を見終わった時には一人ひとりを忘れられなくなっている。長男・明役の柳楽優弥は、その鋭い目が強烈に印象を残す…なんて言うと、「さすがカンヌ男優賞もの」…とかテレビのバカ映画ジャーナリストたちがホザいているのと大差なくなってしまいそうだ。だが現実問題としては、あの子を確保出来たのが成功の一因ではあるだろう。だが僕が一番心に残ったのは、長女・京子役の北浦愛だ。全編寡黙にして無表情の彼女だが、それだけに内面に渦巻くものを見ている者に想像させてしまう。唯一多くの演技経験を持っている韓英恵も、同様な意味で印象的だ。

 それにしても、これを子供虐待の「告発映画」に見せなかったあたり…作り手の志は非常に高い。

 母親は確かに無責任としか言いようのない人間だが、それを糾弾して終わってしまう事は注意深く避けられている。もしそうなってしまったら…子供に同情し母親を断罪する事で、観客が「いい人」になった気になるだけの「自己満足」映画にしかならなかっただろう。それは一番ありがちな事で、実は一番救いがたい事だ。この作品でも「華氏911」でも「堕天使のパスポート」でもいいけれど、この手の「問題作」に「告発」以外のモノを見いださないならば、何も映画になんかする必要がない。印刷したアジ・ビラかプラカードにすればいいのだ。そんなモノは、支持を表明する人間に「自分は良心の人である」と言う口実を与える以外、クソの役にも立たないだろう。そんなものならないほうがマシだ。

 同様に、この映画が子供たちの姿を「悲惨に」描かなかったのは、まさに賢明であったと言いたい。

 それなりに楽しい瞬間もあった。輝くような時もあった。家族たちの心の通い合いがあった。何よりも、それらすべてが子供たちの成長過程であり、なかった事には出来ないものだった。…こういう一貫した作り手の態度に、僕はとても誠実なものを感じる…。

 実は、僕がこの映画を見るのを躊躇したのには、それなりに理由があるのだ。

 僕には、自分がどこか世界から隔絶したところに来てしまった、そして何かを隠しながら生きて来てしまった…という思いをしたことが何度もある。普通の人々の世界から脱落してしまった…という思いをした経験が、何度もあるのだ。

 もちろん、この映画に描かれた子供たちの過酷さと比べれば屁のような経験だし、比べるのもバカバカしい話とみなさんには軽く一蹴されてしまうかもしれない。そもそもてんで甘っちょろいし、まるで自慢できるような話ではない。しかも、それらは言わば自分の身から出たサビだったのだが…それでも何となく世間の人々とは背を向けた世界に潜み、その事を何も言えずにいた…という点で、僕はこの映画に何か共通する臭いを嗅いでいたのだ。そして実際の映画を見てみたら、それはまさしく予想通りだった…。

 この映画を見る方々の中には、すでに人の親になっている人もいる。そういう人は映画の子供たちを親の視点から見下ろすのかもしれない。だが、僕はまさに「彼ら」の視点から見た。そこからしか見れなかった。彼らの体験を自分の体験として見た。ある意味では、少々耐え難い日々の再確認ではあったよ。

 だが…そんな中でも喜びの瞬間っていうものはあった。幸福を感じる時もあった。忘れがたい経験だってあったし、得難いものを得ることもあった。それが自分の人生の糧となっているところもあるのだ。

 だから…そういうもの全部が「地獄」で「灰色」で「消し去りたいもの」だという描き方をされたら、それは違う…と僕は言いたくなるだろう。一生懸命やってきた事まで無にされたように感じて、そんなはずはないと言いたくなるだろう。僕はきっと、そこに耐え難いウソを嗅ぎ取ったと思う。

 今回の映画で一番素晴らしいのは、そうした子供たちの「輝く時」をちゃんと捕らえられていたところだ。それなしには、人はやっていかれない。それがあったからこそ、彼らは生き続けられた。

 それに…例えどんな暮らしであったにしても、それはなかった事には出来ない。そうなってしまった以上、なかった方がよかったとも言えない。そうしてはならない。それは我が身に振り返ってもそう思う。

 映画のラストは、まるで観客の判断に委ねられたような曖昧なものだ。だが、僕にはそこにこそ作り手の強い意志を感じる。まるでこの生活がこれからも続くような、ありふれた日常のように子供たちが去っていくエンディング。喪ったものもあったが、加わったものもあった。それらを乗り越えて、「子供たちだけの時間」がこれまでのように続いていくような…いや、それはきっとこれまでとは違うはずだ

 今までのように後ろめたさを伴ったものではなく、どうしようもなく強いられたものでもなく…決然と自らそれを選択したかのような結末を見れば、作者の意図は明らかだと思う。

 決して無駄であったとは、言ってはならないのだ。

 

誰かに言いたい

 僕は常にどんな相手に対しても、何かを隠し続けて生きてきた。そして、普通の人々の世界からハミ出してしまった部分を、誰にも見えないようにしてきた。

 ある人々には「この世界において何者でもない」人間として、自分の姿を隠していた。またある人々には、そうして正体を消し去っている自分そのものを隠した。

 でも…もうそれを「なかった」事にするのは、このへんでよしにしたいのだ。

 いつか僕は、何も隠さずに生きる事が出来るのだろうか?

 いつかそんな誰かと、対峙することが出来るのだろうか?

 

 

 

 

 

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