「イエスタデイ/沈黙の刻印」

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 (2004/09/13)


 

今回のマクラ

 それにしても、最近ジジイ・ババアやオヤジ・オバサンの言動がなってない…と思わされる事しばしばだ。

 昔は若い連中の言動がなってないと言われたし、実際それらって正直言ってひどいものだったよね。で、今も大してよくなってはいないと思うが(笑)、それはある程度仕方ないと思う。問題なのはいいトシこいた連中の態度の悪さだ。これが目に余る。

 例えばたまたま水曜日に休みをとった時など、映画を見に行こうものなら心底ひどい目に合う。僕はもう二度とレディス・デーに映画なんか見に行かない事に決めたが、ババアやオバハンたちのマナーの悪さは本当にひどい。無礼千万、厚顔無恥。それでなくても可愛げがなくなっているのだ。少しはオノレの態度を考えてもらいたい。

 かと思えば電車で隣に座ったオヤジときたひにゃ、何と自分の左足を右足の膝に乗っけて足を組もうとしていた。当然、左足の靴底は僕のズボンに触れている。これにはマイッタよ。

 まぁ本を読みながら夢中になって、どこか自分の家にでもいる気になったのかもしれない。それはそれで我慢するとしよう。問題はその後、自分の靴底が隣の僕の足に触れていると気づいた後だ。このオヤジ、謝りもせずに足を引っ込めただけ。何も言わない。一体何を考えているのか。一言謝ればそれで済む話ではないか。そんな事すら出来ないのか。これで僕がヤクザだったら、オマエはボコボコにされてるぞ。ヤクザじゃないから何をやってもいいと考えたのか。

 こんな奴らが「イマドキの若いもんは」とか言っているのか。これじゃ世の中よくなる訳がない。だって年寄りこそが若い連中の模範であるべきではないか。年長者こそキチンとすべきではないか。それが若い奴以下のテイタラク。言われる若い連中も気の毒だよ。威張るだけ威張られて、いざとなったらいいかげんとくれば。バカにバカと言われたくはないもんな。

 オレは怒っているのだ。そして情けなく思う。

 正直言って僕もいいトシこいたから思うけど、オレたちに人の上に立つ資格なんてあると思えない。親になる資格のない人間が山ほどいるし、教師になる資格もないし、先輩、上司、管理職になんかなっちゃいけない連中ばかりだ。自覚が足りない。中身が空疎でなってない。能力がない。モラルが低すぎる。責任がとれない。それでいて口ばっかり立つ。ホントにオレたちの年代やらその上の年代って、どいつもこいつもクソみたいな奴ばかりだ。自分たちが若かった時には上の連中を見て「ああはなりたくない」と思っていたのに、今じゃそれ以下のザマで生き恥さらしてる。恥ずかしいよ。若い連中に申し訳なく思う。

 そういや新聞やテレビを見ていると、呆れ返ると同時に気づく事がある。それは、不祥事が起きるとはともかくとして、その責任者がまるで責任をとろうとしない事だ。

 昔だったらちょっとした失言一つだって命とりだっただろう事が、最近では何を言ってもやっても平気。辞めもしないし詫びもしない。ひどい時になるとふんぞり返っている事があるからね。

 あれだけ不祥事が発覚したNHK会長の海老沢を見ろ。まるっきり悪びれてない。開き直っているとしか思えない。「みなさまのNHK」が「みなさま」から徴収した金を、テメエ勝手にみんなで使い込んでおきながら、悪い事をしたという自覚がない。

 かつてだったら海老沢など、即刻に辞めているだろう。それがどうして会長の座に居座っていられるのだ。

 しかも衆院総務委員会に海老沢が証人として呼ばれた際に、NHKはそれを中継で放送しなかった。なぜしないのだ? 申し訳ないと思ったら、当然するべきではないのか。そうでなくてもこの手の社会の関心事には、率先して放送していたNHKではないか。なぜテメエの都合が悪いと放送しないのだ。しかも後になってマズイところをズタズタに切って放送するという「検閲」体質。これではNHKは「公器」とは言えない。ならばみんなで受信料など払わなければいい。払う必然性がないのだ。その前に放送免許を取り消しにしろ。

 だが、海老沢は開き直って辞めない。どうせ大晦日にはシレッと「紅白」をやって、不細工な有働あたりが得意顔で司会をやるのだろう。何も変わりはしない。

 プロ野球だってこんなテイタラクになったのは100パーセント全面的にオーナーたちの責任なのに、奴らはのうのうとふんぞり返っている。スト回避になったのは本当に良かったが、そう思うのは仮にストになった場合、日本のファンの体質では選手会の方が悪者になるからだ。しまいにはオーナーたちの口車に乗って、高給取りがいるからマズイなどと一緒になって言い出す哀れで愚かなファンたち。それは確かに選手にも悪いところがあるだろう。高給も抑える必要があるだろう。だからと言って、あの無能無策なオーナーたちのために、わざわざ弁護や支持を買って出てやる必要はあるまい。お人よしにも程があるよ。

 彼らは「経営者」だ。いざとなったら責任をとるし、とれるからこその経営者だ。先の見通しも出来るし、決断も出来るからこその経営者だ。今回はその経営者の無能ゆえのこの事態ではないのか。そんな連中が今後の事について、強引に事を進めていく資格があるのか。その無能ゆえにこうなったのに、こいつらの決定で事を進めていいはずがあるまい。ナベツネは辞めたが、あれは別の罪で辞めさせられただけだ。しかも辞めてなお発言力を持っている。こいつを筆頭に堤だとか近鉄やオリックスのオーナーだとか、どいつもこいつも責任をとる気がないとしか思えない。悪いのはすべてオマエらではないのか。

 こういう奴らが開き直っている元々の元凶は、国のトップがこうした態度だからだ。そうだ、あのどうしようもない宰相のせいだ。参院選で負けても開き直って辞めない。どんな不祥事が起きても辞めない。自分が悪いと認めない。勝手に事を進めて事態をどんどん悪くする。これでは民主主義とは言えない。いつからこの国はこんな状態になったのだ。

 上に立つ人間には、器が必要だ。誰よりも厳しい資質が問われるものだ。そうでなければ人も世の中もちゃんとは動かない。

 それがない人間が上に立った時、結果は悲惨なものにしかなりようがないんだよね。

 

見る前の予想

 実は先日ロスト・メモリーズ」の感想文に、韓国には満足なSF作品がない…と書いたのを覚えていらっしゃる方も多いと思う。ところが「ロスト・メモリーズ」に相次いで…か、ほぼ同時期に…か、韓国製近未来SF映画がつくられていたとは驚いた。この「イエスタデイ/沈黙の刻印」がそれだ。

 いやぁ、何がどうしてこうなったのか分からないが…それまでほとんどSF映画にとっては不毛の地だった韓国映画に、いきなり雨後のタケノコみたいにSF作品が相次いで誕生したというのは、僕にとってはすごく驚くべき事だったんだよね。

 そうなると、ものすごく見たくなるのが人情というもの。だが、ちょっとだけ気になる事があった。

 なぜなら「ロスト・メモリーズ」は公開前から知られていた。向こうでそれなりに話題になってヒットもしていたから、事情に疎い僕の耳にもそれとなく評判は伝わってきた。

 ところが、こちら「イエスタデイ」については全く何も聞いてない

 こんな映画がある事さえ知らなかった。それでなくてもSFが珍しい韓国映画だ。もし「ロスト・メモリーズ」と同時期に制作されていたのなら、もうちょっと話題になっていてもいいはずだ

 それってひょっとしたら、実物を見れば話題にならなかった理由が分かっちゃうような映画なんだろうか?

 

あらすじ

 近未来。ある教会の一人の神父あてに、突然電話がかかってくる。子供を預かった…というその電話に、神父チョン・ムソンは驚愕の表情を隠せない。電話の内容によれば神父チョン・ムソンと電話の主はかつて何らかの関わりがあったようでもあり、またチョン・ムソンは元々は神父ではなかったようでもある。それにしても、その言葉通り電話の主は一人の少年を誘拐したが、なぜこの賊は少年を誘拐したのか? この少年とはどういう関わりなのか? しかも神父は少年とどういう関係なのか?

 ともかく少年を誘拐した賊は、原っぱの中の廃墟に立てこもっているようだ。この誘拐事件の勃発に、早くも特殊捜査隊SIが動き出す。だが、駆けつけた隊長キム・スンウの表情は焦燥の色が濃い。それもそのはず。誘拐されたのはこのキム・スンウの息子だったのだ

 犯人が立てこもっている廃墟を包囲するSIはじめ捜査陣。だが内部の様子は分からない。ともかく内部に突入だ。隊長キム・スンウ、そして女だてらに強面の隊員キム・ソナをはじめとする面々が、何とか隠れ家に突入する。座っている人物の姿を見つけた隊長キム・スンウは、迷わずその人物に銃弾を放った

 しかし…。

 すでに隠れ家からは、一人の死体を除いて賊は姿を消していた。そしてキム・スンウが撃った座っている人物とは…わざと犯人たちのコートを着させられていたキム・スンウの息子ではないか!

 自分の息子を自分で撃ってしまったキム・スンウは茫然自失。もはや虫の息の少年は、慌てて病院へと運ばれたのだが…。

 それから1年後の2020年、南北統一成った朝鮮半島のある巨大都市。SIの隊長キム・スンウは、あの事件の傷跡を胸に秘めて黙々と任務に就く日々だった。命を救う事の出来なかった息子の肉体は、いつか治療法が見つかった時のために冷凍保存されていた。だが、彼を治療出来る日が来るあてなどどこにもない。それを考えると、キム・スンウの心はうつろになるばかりだった。

 さてその頃、ここは警察庁長官イ・ホジェの家。そこに長官の養女キム・ユンジンが久々に里帰りしてきた。長官イ・ホジェは退官を間の前にしており、キム・ユンジンはその退官祝いに戻ってきたところ。キム・ユンジンはアジア連合警察の犯罪分析官でもあり、朝鮮に戻るのは久しぶりのことだ。

 また、犯罪者の精神分析の大家でもあるキム・ユンジンは、ついでにこの街で犯罪心理についての講演をする事になっていた。奇妙な連続殺人に頭を悩ましていた長官イ・ホジェも、この愛娘の帰郷に頬を緩める。多忙のために途中退席にはなるものの、キム・ユンジンの講演を見に行くと約束してくれた。

 さて、そのイ・ホジェ長官の頭を悩ませていた奇妙な事件とは…、ここ最近3ヶ月ごとに、いずれも高名な科学者ばかりが次々と誘拐されて殺されていたのだ。しかも、彼らはすべて政府機関と何らかの関係を持っていた。

 そんなこんなでキム・ユンジンの講演会当日。彼女の研究は犯罪者の精神的特徴について…それも遺伝子レベルにまで及ぶ調査だ。話はどんどん佳境に入っていくものの、義父のイ・ホジェ長官は予定通り途中で退席。大勢の護衛に守られながら、講演会場を後にしようとした…。

 その時!

 護衛警官に向かって何者かが発砲。さらに警官に化けた賊が銃を乱射する。どこからともなく狙撃してくる者もいる。たちまち講演会場外は阿鼻叫喚だ。おまけに、どこからともかくオートバイ軍団が現れてあたりを爆走。そんな騒ぎの中でイ・ホジェ長官は何者かに拉致され、いずこかへと連れ去られてしまった…

 その頃SIのキム・スンウ隊長は、都会から離れた山の中にいた。それは、例の科学者連続殺人の遺体遺棄現場だ。彼がこの捜査に熱心にあたっているのには、一つの理由があった。なぜか発見された科学者の遺体には、いつも同じペンダントが残されていたのだ。そして、それはあのキム・スンウの息子が最後に首に下げていたものと一致する…。

 そんなキム・スンウとしては、いきなり長官誘拐事件の捜査を依頼されても困る。そこでさんざっぱらブーたれて断ったキム・スンウだが、この誘拐事件の詳報を聞いたらガラッと気が変わった。何と、その後発見された長官の制服と一緒に、“あの”ペンダントと同じものが見つかったと言うではないか!

 長官誘拐と一連の科学者殺人事件…さらに1年前のキム・スンウの息子誘拐は、どこかでつながっているのだろうか?

 早速誘拐現場へと急行するキム・スンウ、キム・ソナらSI隊員たち。そこで待ち構えていたのは、義父を目の前でさらわれたキム・ユンジンその人だ。彼女はキム・スンウに捜査に同行したい…と持ちかける。彼女もアジア連合警察の捜査官だ。訓練だってされている。

 だがキム・スンウは「よそ者」にウロチョロされたくはない。おまけに肉親が絡む犯罪となれば、余計に足手まといになりかねない。訓練を受けてるだの捜査官だのと言っても、本来はデスクワークの人間だ。案の定、銃を人間に向けて撃ったこともないと言う始末。こんなのにウロつかれたら邪魔にしかならない。

 だが確かにそこは一流の犯罪分析官。いれば何かと役に立ちそうだ。…というか、半ば熱心さに根負けという状態で、キム・ユンジンの同行を許すキム・スンウ隊長。ハッキリ言っていいかげんうるさくなったというのが正直なところだ。

 長官の制服は…というと、犯行を誇示するがごとく「ゲットー」と呼ばれる地区で発見された。「ゲットー」とはこの大都市でも暗黒部分。不法滞在者たちがたむろする地域で、そこは公安の手も満足に及ばないような一種の治外法権となっていた。折りから中国系住民たちの祭りも開かれており、捜査は困難が予想される。だが隊長キム・スンウはひるまず、ためらいなしに「ゲットー」へとクルマで出動した。

 ところが「ゲットー」の目指す場所に到着する寸前、捜査陣のクルマを逃れるように急発進するクルマが一台。こいつは怪しい! 慌ててこのクルマを追いかける捜査陣のクルマ。激しいデッドヒートの末、怪しいクルマを挟み打ちしたはずが…。

 怪しいクルマも事故ったが、味方同士のクルマも横転。キム・ソナたちも負傷してしまう。そんなドサクサに、怪しいクルマから降りた男が走って逃げていく。それを見た隊長キム・スンウ以下もう一名、さらに止められていたキム・ユンジンも後を追う。

 結局その追跡劇は、ある廃墟の屋上で幕を閉じた。追いつめられた男は、キム・スンウの見ている前で狙撃されて死んだ。しかし男はそれを望んでいるかのように、満足げな表情を見せていたのだ。これは一体なぜだ? 狙撃した人物は、夜の闇に紛れて消えた…。

 ともかくこの「ゲットー」に腰を据える事にした隊長キム・スンウは、少々粗っぽいやり方でここに居座る。だが、ナゾはますます深まるばかりだ。そんな時、犯人たちの痕跡から遺伝子を辿っていった時、データベースにアクセス不能な「ルカ」なるプロジェクトの名前が浮上する。それは国家的なプロジェクトではあるが、なぜか30年前の集団児童誘拐事件とも関わっているらしい…。

 果たしてこれらの一連の事件には、いかなる関わりがあるのだろうか…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 ここまで読まれた方は、何だかずいぶん無茶で乱暴ではしょったストーリー紹介だとお思いかもしれない。そう言われても仕方がないが、実はああいったカタチにしか書きようがない。あの後でストーリーはまだまだ二転三転するけれど、それをいちいち書く気にもなれない。…というか、書けない。

 実際のところ、僕にはこの映画のストーリーがよく分からなかったのだ

 いや、ヒーローが勝っただの生き残っただの…って事は分かるよ。悪役が死んだ…とかね。これは別にゴダールの映画ではない(笑)。ただ、ナゾ解きのミステリ仕立ての物語になっているにも関わらず、この映画はその肝心のナゾ解き部分が分かりにくい。だからストーリーを説明出来ないのだ。

 だって、見ていて本当に分かりにくいんだよ。何だかゴチャゴチャ台詞で説明されるけど、それじゃ何だか印象に残らない。例えば先に述べたストーリー紹介のしまいの方に「ルカ」なるプロジェクトが出てくるが、物語がなぜそこに辿り着いたのか、それがなぜ30年前の子供誘拐事件と関わりがあると分かったのか、僕はここでちゃんとした筋道を説明出来ない。おそらく映画の中では説明されているのだろうが、それは台詞でチャチャチャッと語られただけではないか。万事そんな調子なんだよね。

 実際のところ、この映画は冒頭から分かりにくい。再び僕のストーリー紹介をご覧いただきたい。その冒頭近くの部分、こんな調子で書かれているのを再度お読みいただきたい。

 「電話の内容によれば神父チョン・ムソンと電話の主はかつて何らかの関わりがあったようでもあり、またチョン・ムソンは元々は神父ではなかったようでもある。それにしても、その言葉通り電話の主は一人の少年を誘拐したが、なぜこの賊は少年を誘拐したのか? この少年とはどういう関わりなのか? しかも神父は少年とどういう関係なのか?」

 最初の段階で、これだけの疑問が沸いてくる。しかも、少年を誘拐した賊が警官隊に包囲されているなんて初耳だ。もっとコッソリと誘拐したと思っていたから、あんな大事になっていたのは「聞いてないよ」状態だ。こんな不親切な映画はないよ。

 物語が本筋の2020年に入ってからも、この調子は変わらない。一見しただけだと、キム・ユンジンが義父の警察長官の退官を祝いに来たのか、彼女の講演会を義父に見せたかったのか…それすらもハッキリしない。そもそもこの父娘が義理の関係だなんて、ずっと映画の終わりの頃にしか分からなかった。もうムチャクチャ。

 僕もいろいろ言いたい事が出てきてゴチャゴチャになってきた(笑)。ここで問題点を整理しなくては。まずは、脚本上の問題から…。

(1)近未来SFとしての説明不足

 この映画に限らず近未来SFというジャンルを描く場合には、出来るだけ簡潔にその世界観を提示する必要がある。あるいは一切説明なしに、問答無用で押し切るかどっちかしかない。この映画ではそのあたりが中途半端で、説明されても台詞でゴチャゴチャ。分かったような分からないような理解にとどまってしまう。だが、まだこの映画の「近未来の世界観」は、観客への説明としては分かりやすい方だ。

(2)ミステリとしての説明不足

 これが先ほど僕がブツブツと文句を言っていた事につながる。確かにハードボイルド・ミステリ映画というものは、どうしたって多少なりとも説明不足気味になってしまうものだ。それでも…これが現代劇だったなら、誰が善玉で誰が悪玉かくらいさえ分かれば映画の鑑賞には何ら支障がない。ところが近未来SF映画とくるから始末に悪い。ミステリ趣向とSF的趣向が分けがたく渾然一体となっているので、どうしても分かりにくくなってしまうのだ。そこに突然どこから来たのか分からない「手がかり」だとか「証拠」が飛び込んでくるのも興ざめ。ラストにはちょっとした「どんでん返し」になっていくだけに、この分かりにくさは致命的だ。

(3)人物の心理の説明不足

 ここでは「説明不足」と書いたが、実は説明不足というより心理を描くのがヘタ…と言った方が適切だ。特にヒロインのキム・ユンジンはナニを考えているのか分からない。足手まといにならない…と言って捜査に同行していながら、しっかり足手まといになっている。捜査に協力すると言って単独行動したら、そのまま姿をくらまして余計な事をする。そのおかげで被害は甚大。捜査官がたくさん死んでしまうテイタラク。この女はいくら現場の捜査官としては素人でも、「アジア連合警察」の「犯罪分析官」だよ。プロもいいとこ。それがこれでは納得がいかないよ。にも関わらずまるで懲りてなくて、その後も捜査に首を突っ込もうとする始末。最後の最後まで足を引っ張って、隊員でも一番優秀そうな女のキム・ソナまでこいつのせいで死ぬ。本当にイライラさせられた。これに限らず、主人公のキム・スンウ隊長は携帯の通信機でキム・ユンジンとグチグチ泣き言を言ってるし、何をやっているのかと本気でイライラさせられる。ハッキリ言っていちいちヘタッピーな脚本だよ。

 

 …と、言いたい事言わせてもらったが、実は困ったのは脚本だけではない。演出とそれに関わる部分にも問題大アリなのだ…。

(4)アクション演出のノウハウがない

 これはまず、捜査陣が「ゲットー」へ向かう途中で怪しいクルマと出会い、そのまま追跡劇を演じるくだりをご覧いただければ分かる。僕のその部分のストーリー紹介をお読みいただきたい。具体的に何が起きたのかまったく分からないだろう。実は僕も分からない。クルマでの追跡劇を一部始終見ていたのに、それがどうなったのかハッキリ分からないのだ(笑)。捜査陣は不審車両をどのように追跡していたのか、その追跡がいかなるカタチで終わったのか、なぜ捜査陣のクルマは横転しなきゃならなかったのか…ちゃんとカメラで撮って見せているのに、なぜか全く分からない(笑)。一体どういう撮り方をしたらこんなアクション描写になるのだ。アメリカのマイケル・ベイだってもっとうまいよ(笑)。ここでおさらいをするのもどうかと思うが…基本的に映画でのアクション描写とは、次の3通りに限られる。その1は追跡あるいは攻撃、その2は逃走あるいは防御、その3は対決…だ。後はこれらのバリエーションと言うことになる。そのために、観客が視点と気持ちを寄り添わせる相手はどっちで、両者の関係はどうなっていて、その位置関係や周囲の状況はどうか…が描かれていないと、アクション描写というのは成立しない。ところがこの映画ではそれがメチャクチャ。特にマズイのは、アクションの起きている場の位置関係が描かれていない事だ。ハッキリ言う、この映画の監督は近来まれにみるほどアクション演出がヘタだ。

(5)キャスティングのセンスがない

 主人公のSI隊長キム・スンウのツラ構えをまずご覧いただきたい。何だか苦み走ったところもなければスゴ味もない。冷たさもなければ熱さもない。目のユルさといい、落ちぶれたお坊ちゃんみたいな頼りなさといい、銃の構え方のサマになってない事といい、完全なミス・キャストだとお分かりいただけると思う。もしイマドキ流行の韓流ドラマの主役か何かでスターだったりしたら、ファンの方にはお許しいただきたい。だが、もしあなたがファンの方であったとしても、ちゃんと映画にフェアな目をお持ちだったら分かるはずだ。この俳優のせいではない。役が似合っていないだけだ。子供を亡くしてうつろ…というにしては、このショボくれ方は違うだろう。妻を亡くして意気消沈の「リーサル・ウェポン」のメル・ギブソンと比較していただきたい。この俳優、この芝居は全然違うと思うよ。同様の事は、実はキム・ユンジンにも言える。な〜んとなく彼女もズレてないか? ポッチャリ系のタヌキ顔が、著しく映画の緊迫感を損なっているではないか。おまけに先に述べたように彼女が苛立ちの元凶になっちゃうから、まずまず「トロい女!」だとか「バカ女!」だとか思ってしまうのだ。でも…いくらタヌキ顔でも、シュリじゃこんな事はなかった。ちゃんと北朝鮮の悲劇の女スナイパーを演じていたし、それと相反する可愛らしさとして、あの「タヌキ顔」が生かされてもいた。これってどこかキャスティングに根本的な問題があるんじゃないか? もう一つついでに言えば、SIの腕利き女隊員であるキム・ソナまでタヌキ顔。こちらは愛嬌たっぷりの小ダヌキ顔とでも言うべきか。本来だったらバイオハザードS.W.A.T.ミシェル・ロドリゲスあたりをイメージした役どころなんだろう。キム・ソナも一生懸命トレーニングしたり睨み付けたりして、何とか雰囲気出そうと健闘していて悪くはない。だけど…やっぱりどこか可愛さが残る。どこか幼く見えちゃうのもちょっと痛い。せいぜいが…スゴんで生意気な口きいてるが、根は優しいズベ公…ぐらいのイメージが関の山。どこか微妙にズレちゃってるんだよね。結局ピタリとハマるのは「悪役」のチェ・ミンスだけだが、それもユリョンあたりの辛口の役を見ていれば、誰でもキャスティングするだろう。あとの主役陣は、どうにもハズしちゃってる印象があるんだよね。

 

 …というわけで、この映画ってどこかうまくいっていない。どこか…と言うより、あちこちがうまくいってない。残念ながら、そう言うしかないんだよね。

 監督・脚本はチョン・ユンスという男。こいつが一人でやっている。だとすると、申し訳ないがこいつがすべての元凶ではないか。ハッキリ言って弁護の余地がまったくないよ。

 最近の韓国映画をご覧の方ならお分かりだろうかと思うが、ともかく韓国映画界では監督第一回作品とかそんなのがやたら多いようだ。新人がたくさん出てこられる環境があって、実際に出てくる優秀な新人が多いというのは、何よりイマドキの韓国映画の活力を物語っているとは思う。本当に凄いと思うからね。

 ただ…やっぱりこれだけ出てくると、中にはピンキリの「キリ」の方も混じってしまう…と言ったら酷だろうか。やっぱりそうそう優秀な人間ばかりじゃないよね。

 韓国ではまだ珍しい近未来SF映画を撮ろうという意気やよし。ただ、それに見合った才能があったかどうかと言えば、残念ながらノーだと言うしかないと思う。監督としてもあのアクション描写はちょっといただけないし、脚本にも少なからず難がある。ハッキリ言って、それって映画づくりにおいては致命的だ。それは、この映画を見た誰もが感じるんじゃないだろうか。

 かわいそうだけど、チョン・ユンスには監督の「器」はなかった。そう思うしかない。やらせるべきではなかったんだよね。

 

見た後の付け足し

 しかしこの映画、今頃こんな事を言うのも何だけど、そうそう悪いところばかりでもないのだ。未来都市の造形はなかなかだし、CGも美術も素晴らしい。おまけにおそらくは香港とか上海とかシンガポールとか…アジアの何都市かのロケーションをつなぎ合わせて、どこにもない未来都市を作り上げたんじゃないだろうか。おそらくソウルのロケだけではアレは撮れないだろう。そういうあたりは妙に気分出てるんだよね。相変わらず、ちょっと「ブレードランナー」もどきではあるけれど(笑)。

 SF的状況のディティールといい、そういう細かい部分は丁重さが目立つ仕上がりなのだ。おまけにアクションはお金もかかっているし、とにかくど派手だ。演出がヘタ…というつらさはあるんだけどね(笑)。

 だから持っていき方によっては、もうちょっと何とかなったはず。それが何とも残念なんだよね。「ロスト・メモリーズ」に並んで韓国SF映画史にその名を刻みつけたに違いないはず…それだけに、何とももったいない出来映えが残念なんだよね。

 

 

 

 

 

 

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