「ヴァン・ヘルシング」

  Van Helsing

 (2004/09/13)


  

見る前の予想

 「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」「ハムナプトラ2/黄金のピラミッド二作で大ヒットを放った巣ティーブン・ソマーズの新作登場。今度は往年のホラー・キャラ総動員、ダークな味付けで「ハムナプトラ」二作と同じようなスペクタクル冒険アクションをつくる。「ハムナプトラ」でブレンダン・フレイザーが往年の冒険活劇ヒーローを彷彿とさせる主人公を演じていたように、ここでも奮闘するヒーロー・キャラが必要だ。そこで登場するのが「ヴァン・ヘルシング」…。

 ちょっと待っていただきたい。

 ヴァン・ヘルシング…? それってとても活劇ヒーローにはなり得ない存在じゃないのか? ドラキュラと戦う宿敵ヘルシングって、確かあれっていつもおじいちゃんだったぞ。肩書きにヴァン・ヘルシング「教授」って付くだけあって、学識に優れた紳士にして…確かそれなりの年齢だったはず。少なくとも「壮年」から「初老」くらいにはなっているはず。

 それが今回はヒュー・ジャックマンとは!…それ以外はたぶん今回は予想通りなはず。ダークな味付けの「ハムナプトラ」…というイメージと寸分違わないだろう。だがヴァン・ヘルシングのキャラ設定がどうなってるのかだけは気になるね。そして伝え聞くところの「ホラー・オールスター」ぶりがどうなっているか…(笑)。そもそもヘルシング自体がそういうホラー・オールスターのキャラの一人だからね。

 これって、ショーン・コネリー主演の「リーグ・オブ・レジェンド」を連想される向きもあるだろうが、やれフランケンだドラキュラだって脈絡のないとこが、藤子不二雄の「怪物くん」っぽいとも言えるって? う〜ん、確かにそっちの方が近いかも(笑)。

 「ハムナプトラ」のソマーズだから、つまらなくはないだろう。だけど「ハムナプトラ2」あたりでは、CGとアクションの洪水ですでにゲップが出そうだった事は確かだ。しかも、もうどんな映画だったかまるっきり覚えていない(笑)。

 まぁ、おそらくはこの映画もそんな出来だろうが、安易な「ホラー・オールスター」状態だけは何とか避けたいところだ(笑)。

 

あらすじ

 1887年、ここはトランシルバニア。空は風雲渦巻く曇天。折から発生し始めた稲光を利用して、フランケンシュタイン博士の城ではある実験が行われていた。そう…さまざまな装置から火花を発して行われた実験とは、何を隠そうあの人造人間=フランケンシュタインの怪物ことシュラー・ヘンズリーを蘇生させる事だった。実験は見事成功。フランケンシュタイン博士は大喜びするが、そこでもう一人この成功を祝福する者が…それは何とあのドラキュラ伯爵ことリチャード・ロクスバーグ。ドラキュラ=ロクスバーグはフランケンシュタイン博士の後見人になり、この実験をバックアップしてきたのだ。

 ところがそれには理由があった。その理由を聞いたとたんフランケンシュタイン博士は失敗した…と気づいたが、今更もう手遅れ。ドラキュラ=ロクスバーグには協力などしない…と突っぱねるが、実験が成功した今となってはどうする事も出来ない。実験の結果誕生した人造人間のヘンズリーさえいれば、ドラキュラとしては問題ないのだ。むしろフランケンシュタイン博士は用なし。こうして博士はあえなく命を落とす事になる。

 ところがドラキュラ=ロクスバーグにも誤算があった。自分の生みの親であるフランケンシュタイン博士を殺されて、人造人間のヘンズリーがダマってなかった。大暴れしてドラキュラ=ロクスバーグを叩きのめしたあげく、博士の亡骸を抱えて城から去っていく人造人間ヘンズリー。

 しかもこの城には、手に手に松明を持って周囲の村人たちが殺到。墓を荒らして死体を持ち去った博士に怒り心頭で、みんな暴徒と化していた。そんな彼らは博士の亡骸を抱えて去っていく人造人間ヘンズリーを見つけ、これぞ攻撃目標と一斉に追っていく。

 どんどん追いつめられて行った人造人間ヘンズリーは、荒野にポツンと建った風車小屋へと閉じこもる。狂った暴徒は今更止まらず、風車小屋に松明を投げ込んだ。こうして人造人間ヘンズリーの閉じこもった風車小屋は、一気に炎に包まれる

 これにはドラキュラ=ロクスバーグも慌てた。彼には人造人間ヘンズリーが必要だったのだ。その理由とは…。

 ともかくドラキュラ=ロクスバーグは、エレナ・アナヤ、シルヴィア・コロカ、ジョージー・マランの三人の「花嫁」たちを連れて、燃えさかる風車小屋へと一直線に飛来する。だが一足遅かった。彼らの見ている目の前で、風車小屋はアッという間に焼け落ちてしまったのだ

 その翌年、ここはパリ。いまだエッフェル塔も建造中の夜更けの街を、静かに歩く一人の男がいた。帽子を深々とかぶり、黒い外套に身を包んだその男…彼こそ「お尋ね者」ヴァン・ヘルシングことヒュー・ジャックマンその人だ。

 ヘルシング=ジャックマンは街角で殺された娘に遭遇。もちろん…こうなればヘルシング=ジャックマンの出番だ。もちろん彼は、何者かがノートルダム寺院に忍び込んだのを見逃しはしなかった。それは薬の力を借りて暴力衝動のなすがままに暴れるジキル博士…いや、今はハイド氏だ。命がいくつあっても足らないような大暴れのあげく、何とかハイドを仕留めるヘルシング=ジャックマン。だが仕留めたハイドは絶命の瞬間にたちまちジキル博士へと戻る。あれだけの大騒ぎに駆けつけた警官隊の目に映るのも、どう猛なハイドではなく繊細で知的なジキル博士の亡骸。これではヘルシング=ジャックマン、「お尋ね者」になるのも無理はない。一般の人々の目から見れば、彼は単なる「人殺し」だ。

 さて、そんなヘルシング=ジャックマンはローマはバチカンの建物へと入り、その懺悔室で枢機卿にボヤきにボヤく。ヘルシング=ジャックマンはこのバチカンの命を受けて怪物退治をしているのに、身の証の立てようがないので汚名を着る一方なのだ。だがヘルシング=ジャックマンは、今日も今日とて枢機卿に何だかんだと丸め込まれてしまう。彼はある時教会の外に倒れているところをこの枢機卿に助けられた。それ以前の記憶はまったく残っていないのだ。「教会の外に倒れていたのは、神のために働けという神の思し召しだ」

 そんなこんなでヘルシング=ジャックマンと枢機卿は、隠し扉から地下へと入っていく。ここはバチカンの秘密組織・聖騎士団の本部なのだ。ここでヘルシング=ジャックマンは新たな任務を言い渡される。それは吸血鬼ドラキュラ=ロクスバーグの殲滅だ。

 トランシルバニアの騎士ヴァレリアス一族は、400年間もドラキュラ退治に専念。退治出来るまで一族の者は天国へ行かないと長老が宣言したものの、いまや残ったのはウィル・ケンプとケイト・ベッキンセールの兄妹二人だけになってしまった。ここで彼らが亡き者にされたら、ヴァレリアス一族はこのまま永遠に天国に行けなくなる。神のために働いてくれた一族をこのままには捨て置けない…。

 手がかりとおぼしきは、兄妹の父が残した巻物の断片。そして、そこにこそ…今回ヘルシング=ジャックマンが乗り出す理由もあった。何とこの一族の紋章は、彼が倒れていた時からはめていた指輪の紋章と同じものだ。すると、トランシルバニアにヘルシング=ジャックマンの過去を解くカギがあるのか?

 かくしてヘルシング=ジャックマンは、トランシルバニアまでドラキュラ=ロクスバーグを退治しに行く事になった。そんなヘルシング=ジャックマンにあれこれお手製の秘密兵器を披露するのは、修道僧のデビッド・ウェンハムだ。この男一体どこからアイディアを持ってくるのか知らないが、連射出来る弓矢だの強烈に発光する爆発物とか、次から次へと珍品を出してくる。それを聞いていたヘルシング=ジャックマンは、ええい面倒くさい…と思ったか、今回の旅にウェンハムを同行させる事にした。むろんウェンハムは望んではいない。ヘルシング=ジャックマンに無理矢理押し切られて、イヤイヤの同行と相成ったわけ。

 さてその頃、問題のトランシルバニアの寒村では、例のヴァレリアス一族の生き残り兄妹の兄ケンプが、自分の身を囮にしてドラキュラの手下である狼男をおびき出そうとしていた。仕掛けた罠に狼男を閉じこめ、そこで銀の弾丸をブチ込んで絶命させる…という算段。しかし何事もうまくはいかないもの。途中で妹ベッキンセールも加勢したものの、逆に狼男に逃げられ襲われる始末。結局は突っ込んできた狼男と一緒に、兄ケンプは断崖絶壁から転落してしまう。遙か眼下の渓流に落ちた兄ケンプの安否など、確認しようもない。何といよいよベッキンセールは、この一族最後の生き残りになってしまったのか

 ヘルシング=ジャックマンとウェンハムの二人がその寒村に着いた時には、そんな訳で何とも手厚い歓迎が待っていた。長年の災厄と苦しみのためか、「よそ者」には極端に態度を硬化する村人たち。めざすベッキンセールも冷たい態度を崩さない。そんな一触即発状態が崩れたのは…。

 ドラキュラの三人の「花嫁」たちの襲来だ!

 例のエレナ・アナヤ、シルヴィア・コロカ、ジョージー・マランの三人…いや、三匹が、羽根をはやしたおぞましい姿で飛来する。たまたま太陽が陰ったのを見計らって、油断した隙を突いてやって来たのだ。

 村人たちを威嚇し蹴散らかすが、その狙いは明らかにベッキンセールその人。そんな三匹に、ヘルシング=ジャックマンのマシンガン弓矢が襲いかかる。だがウェンハムご自慢の武器も、一向に吸血「花嫁」たちには効き目がない。

 「心臓だ、心臓を狙え!」

 次から次へと襲いかかってくる吸血「花嫁」に、ベッキンセールも防戦一方。危うく血を吸われかねないところを…。

 ヘルシング=ジャックマンが、聖水ぶっかけた矢を「花嫁」ジョージー・マランの心臓にブチ込んだ!

 もがき苦しむ「花嫁」マランは、そのまま雲散霧消してしまう。これに慌てた他の二人の「花嫁」は、そそくさとその場を逃げ出していくのだった。

 さて、これでヘルシング=ジャックマンたちを見る村人の目が変わるかと言えば…。

 「この100年で初めて吸血鬼を殺した人間よ」と、確かにベッキンセールはそれなりに評価してくれたようだ。だが周囲の村人たちの態度は前より悪い。彼らが言うには…今までのままなら月に1〜2人やられるのがいいとこ、ところが吸血鬼を殺したとなれば皆殺しは避けられない。大きなお世話だ…とばかりに、どいつもこいつも迷惑顔なのは明らか。

 ともかくドラキュラ=ロクスバーグ対策を練らねばならない。ヘルシング=ジャックマンとウェンハムの二人は、ベッキンセールの住む屋敷に招かれる事になる。彼女の父がドラキュラ=ロクスバーグから奪還したこの屋敷で、ずっと奴らの弱点や隠れ家を調べ続けてきたのだ。

 ヘルシング=ジャックマンはベッキンセールに共闘を持ちかけるが、彼女はまったく相手にしない。かくなる上は…とヘルシング=ジャックマンは薬をベッキンセールを眠らせてしまうのだが…。

 ベッキンセールが目覚めてみると、もうすっかり日が暮れている。屋敷にはなぜか誰もいなくなっていたが、いつしか何者かの気配がするではないか。ままよ…と頭上を見上げると、そこには大口を開けた狼男が!

 アッと驚いたベッキンセールはその場を逃れるが、次の瞬間彼女の前に現れたのは…断崖から消えた兄ケンプではないか。よくぞ無事で…と喜ぶベッキンセールに、兄ケンプは叫ぶ。「逃げろ、オレから離れるんだ!」

 それもそのはず、次の瞬間雲間から満月が覗くや否や、ケンプの顔は醜く歪む。もがき苦しむケンプの姿は、徐々に毛むくじゃらの狼男の姿に変貌していくではないか。ケンプは狼男に襲われて断崖から落ちた時、狼男に噛まれてしまったのか。あまりの事にベッキンセールもその場を動けない。

 そこへヘルシング=ジャックマンが駆けつけ銃を撃ちまくるが、狼男は窓を破って屋敷から逃げ出してしまう。だがその足取りは、抜け落ちている体毛から容易に辿れそうだ

 実はヘルシング=ジャックマンはベッキンセールの兄ケンプが狼男化していると察して、屋敷で罠を張っていたのだ。狼男はドラキュラの手下、だから後を追えばドラキュラの居所が分かる。

 こうしてやって来たのは巨大な城…冒頭に登場したフランケンシュタイン城だ。ここでドラキュラ=ロクスバーグはフランケンシュタイン博士が残した実験施設をそのまま利用し、新たな試みを実行に移そうとしていたのだ。そのためには「強靱な肉体」が要る。その白羽の矢が立ったのが、狼男と化したケンプだった。

 さてフランケンシュタイン城に忍び込んだヘルシング=ジャックマンとベッキンセールは、そこで奇妙な物体と遭遇する。ヌルヌルベタベタした袋に入って天井からぶら下がった「それ」は、城の中に何百何千と存在するではないか。この粘液質の気味の悪い「袋」…これは何と吸血鬼の「卵」だ。ドラキュラ=ロクスバーグが「花嫁」たちとつくってきた「卵」たちが、すべてここにぶら下がっているのだ。

 吸血鬼の「卵」は死んだ状態で生まれてくる。そこで自分の子供たちに命を授けたいと考えたドラキュラ=ロクスバーグは、フランケンシュタインの研究に飛びついたのだ

 見るとこれらの無数の「卵」には、それぞれ電流を通すケーブルが張り巡らされている。あの人造人間に生命を吹き込んだ要領で、避雷針から取り込んだ稲妻をここまで引っ張り、「卵」に電気ショックを与えて蘇生させるのだ。狼男と化したケンプはその一種の導体として必要だった。

 だが今は吸血鬼もドラキュラ=ロクスバーグと「花嫁」だけだから月に1〜2人の犠牲で済んでいるものの、これだけの数が「卵」から孵ったら大変な事になる。それを考えると、ヘルシング=ジャックマンとベッキンセールも肝を冷やさずにはいられない。

 だがそんな二人の心配をよそに、実験は用意万端整った。寝台にくくりつけられた狼男ケンプは、身動きできぬまま電極に固定された。

 こうしてドラキュラ=ロクスバーグは、装置に電源を入れたのだが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元々こんな人物じゃないヴァン・ヘルシング

 さてこの映画のタイトル・ロールの「ヴァン・ヘルシング」だけど、ここで描かれているヘルシングって従来イメージとはかなり違うのは、先に述べた通りだ。

 では、元々がヘルシングってどんなイメージなのか。僕らくらいの年齢の映画ファンならピンと来るだろうが、最近の若い方だとお分かりにならない方もいるだろう。ここで僕なりにおさらいしてみたい。

 というか、僕自身もせいぜい1970年代から映画を見始めて、せいぜいその頃テレビ放映された1960年代あたりの作品あたりまでしか遡れない。だからあまり大口は叩けないんだけどね。

 で、そもそもヴァン・ヘルシングってのは「ドラキュラ」の物語の一登場人物でしかない。だから「ドラキュラ」の小説を書いたブラム・ストーカーが作り上げた人物なわけ。とっくに著作権なんか切れただろうけど、この映画ってブラム・ストーカーの遺族とかに断りなしにつくっちゃったのだろうか。まぁ、法律的には問題ないんだろうけど。

 だってヴァン・ヘルシングって、この映画のモンスター・ハンターみたいな存在ではないんだよね。そこからして全然違う。

 で、僕が「ドラキュラ」と聞いてまず頭に思い浮かべるのは、何と言ってもイギリスのハマー・プロ制作、クリストファー・リー主演の「吸血鬼ドラキュラ」(1957)だ。これでリーがスターになった記念すべき一作。この映画がなければ「ロード・オブ・ザ・リング」や「スター・ウォーズ/エピソード2」のあのキャラクターもなかったであろう作品だが、ここで当然宿敵ヴァン・ヘルシングが出てくるのはお約束。演じているのは、これまた怪奇スターの第一人者ピーター・カッシングだ。

 この二人はバシッとキマったハマり役同士。ハマー・プロでは全部で9作の「ドラキュラ」シリーズをつくっているらしく、僕はそのかなりの作品でこの二人が両方とも主演していると思っていたが、意外にも二人で共演した作品はそれほど多くないらしい。それでもドラキュラ&ヘルシングと言えばリーとカッシング…そのイメージは極めて強い。特にカッシングのヘルシングは、ハマー・プロでのシリーズ最終作「ドラゴンvs7人の吸血鬼」(1973)まで登場していたから、僕にもその印象は濃厚だ。僕が映画を見始めた中学生の頃に、映画雑誌にこの映画の記事が載っていたのを今でも思い出すからね。ちなみにこの「ドラゴン」という奇妙なタイトルは、当時爆発的人気を得ていたブルース・リーに始まる第一次カンフー・ブームに乗って、ハマー・プロが香港ショー・ブラザースと合作した事によるものだ。まぁぶっちゃけた話、香港からジミー・ウォングを呼んできた「新座頭市/破れ!唐人剣」(1971)みたいなものか(笑)。シリーズもジリ貧の頃になると、決まって変なことやるんだよねぇ。

 さて僕が見てる…あるいはリアルタイムで知っているヴァン・ヘルシングもの…と言えば、次に来るのがフランク・ランジェラ主演の「ドラキュラ」(1979)。「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977)でも「ブルー・サンダー」(1983)でも何でも撮っちゃう職人ジョン・バダムの監督によるこの映画は、ロマンティックな味付けによるランジェラのお高くスカしたドラキュラが売り物。ここでのヴァン・ヘルシングは何と大御所ローレンス・オリヴィエだ! 何となくここでドラキュラ退治に立ち上がる老いたオリヴィエって、老骨にムチ打ってナチ戦犯グレゴリー・ペックを追いつめる「ブラジルから来た少年」(1978)でのオリヴィエ自身のイメージとどこかダブるんだよね。

 次に来るヘルシングもの…となると、もうこのあたりから若い人も見てるんじゃないだろうか。そろそろ金稼ぎに邁進し始めたフランシス・コッポラ版「ドラキュラ」(1992)。ドラキュラを演じるのはゲイリー・オールドマン。対するヘルシング役者は泣く子も黙るハンニバル・レクターことアンソニー・ホプキンスだ。まぁこの役あたりは「エレファント・マン」(1980)でのホプキンスを考えれば容易にハマる。

 まぁ、僕が見た限りの「ヘルシング役者」を3人挙げてみたんだけど、カッシング、オリヴィエ、ホプキンスのいずれにも言えることは、イギリス紳士、初老から老人、豊富な知識を持つ「教授」…という共通イメージだ。

 で、そもそも教え子から何かの相談を受けて、吸血鬼退治に巻き込まれる…というパターンだったように思う。そこで豊富な医学的知識、地域の伝承や伝説の類の知識、歴史的な知識を踏まえて、ドラキュラと戦っていくのだ。

 そして最初にも断った通り、ヴァン・ヘルシング「教授」はあくまで「ドラキュラ」物語中の一人物に過ぎない。この男が「ジキルとハイド」「狼男」「フランケンシュタイン」と関わった形跡は、まったくないことをご承知いただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは絶対に映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 冒頭の予想で述べた通り…往年のホラー・キャラ総動員、ダークな味付けで「ハムナプトラ」二作と同じようなスペクタクル冒険アクション…で、すべてが言い尽くせてしまう。

 ハッキリ言ってそれでいいんじゃないの(笑)?

 CGも「ハムナプトラ2」並みにど派手だけど、今更そんなもので誰も驚かない。アクションも満載だけど、相次ぐ危機また危機って一本調子だからうま味を感じない。変化球やらフォークやら捨てのボール球がなくて、とにかくど真ん中剛速球あるのみ。音楽もドンチャカドンチャカやかましい。見ているうちは飽きないし、それなりに楽しめる。ただし映画館の外に一歩でも出たとたんに内容を忘れる(笑)。事実僕もここでストーリーを書くのがツラかった。だから途中でやめたんだけどね(笑)。だってあれ以上書いても仕方がない。見た方が早いわけ。

 ただ…確かにちょっと見は他のアメリカの単細胞大作映画と同様のシロモノなんだけど…そしてほとんど同じシロモノなんだけど、それでもこの映画ってどこか憎めないところがあるんだよね

 それは、スティーブン・ソマーズ自身が楽しんでつくってるらしい…と思える点だ。

 例えばここでのヴァン・ヘルシング自身のキャラクターを見てみよう。正義の秘密結社に身を置きながらも日陰の身。過去の記憶は失ったが、その秘密は敵側が握っているらしい。おまけにクライマックスではケダモノと化して大暴れ…これって演じるヒュー・ジャックマン自身の出世作「X-メン(2000)での彼自身の役そのものではないか!

 さらにこの映画のアクションは、何かにぶら下がって猛スピードで滑空する…という見せ場が相次ぐ。というか、それしかないと言っていい。これって「スパイダーマン」(2002)の「それ」のパクりとは思えないだろうか?

 もっとおかしいのが、この映画の前半部分だ。ヴァン・ヘルシングは自分が所属するバチカンの秘密組織に出向く。その本部は隠し扉から降りる地下の秘密基地だ。そこでヘルシングは新たな指令を受けるが、説明される時にはスライドみたいな画面を見せられる。さらに地下の秘密基地では多くの人々が働いていて、そこでヘルシングはいろいろ秘密兵器を見せられる…。これって「007」シリーズで繰り返し繰り返し見せられた趣向ではないか。このバチカン場面の前に、本編とは関係ないパリでのハイド氏退治場面が派手に描かれるのも、「007」シリーズで冒頭に無意味なボンドの見せ場があるのと同様だ。

 考えてみよう。これらから考えて、ソマーズの発想の原点は極めて単純だ

 「ハムナプトラ」は大当たりした。だがあのネタは三度やるのはキツい。前回はギンギラ太陽の砂漠が舞台だったから、今度は曇天か夜のクラ〜い話にしよう。「ハムナプトラ」はミイラ男で当たったから、今回もモンスターだ。ならば別のモンスターが出せる怪奇映画の復活をやろう。あれを「ハムナプトラ」的に派手にやればいいのだ。

 シリーズ化出来ると助かるから、長寿シリーズをモデルにするといい。ならば映画界の最長寿シリーズ、「007」シリーズがモデルだ。でも、あれはジェームズ・ボンドという問答無用のキャラがあった。怪奇モノで、怪物と戦う問答無用のキャラって何だ?…ヴァン・ヘルシングだ!

 だがヘルシングっておじいちゃんでアクションはとても…って? そんなもの…ヘルシングがどんな奴かなんて今の若い者は知るわけない。ドラキュラと戦っている奴としか知らない。名前だけ拝借して、モンスター・ハンターのイメージだけいただけばいいんだ。設定はボンドを借りればいい。これで男盛りのスターだって使える。

 ただあくまで怪奇ものという枠でやるから、ボンドみたいに陰りのないキャラじゃマズイ。ならばアンチ・ヒーローがいい。そうだ「X-メン」のヒュー・ジャックマンをキャラごと借りてきちゃえばいい。最後に「X-メン」よろしくジャックマンが変身すれば、怪物対怪物の派手な見せ場が出来るぞ。それにジャックマンってイギリス人じゃないけどオーストラリア人だから、アメリカ俳優と違った陰りやエレガンスもある。オーストラリアは元々が大英帝国の一部だしな。せめてそれでヘルシング役者としての言い訳としよう。

 あとは派手なアクションをどうつくるかだが、これは「スパイダーマン」が受けたからブラ〜リブラ〜リものでいこう。こっちはコウモリが飛んだり、お城の尖塔から尖塔へと飛び移ったりだから、パクったとバレるわけもあるまい。

 そうそう。ヒロインだけど、これもアメリカ女優じゃない方がいいな。アンダーワールド見たらイギリス出身のケイト・ベッキンセールがハマってるから、これをいただきだ。あの黒を中心とした衣装とキツめのケバいメイクで、女王様的に振る舞わせればいい感じだろう。ヨーロッパのお話にももってこいだ。

 いかがだろう? おそらくソマーズの発想ってこんなものだったと思うんだよね(笑)。あまりにも単純な発想だ。単純の前にバカがつく(笑)。だけど、それって邪気のない中学生の映画ファンみたいな考えでもある。金儲けってよりも無邪気が先に立ってる感じ。金儲けのためだったらマーケティングとか何とか、普通もうちょっと何か頭使って考えるよな(笑)。

 あくまで単純素朴な映画ファンみたいな無邪気さ…それがあるからこそ、この映画はどこかイヤミのないサッパリ感があるんだよね。

 

見た後の付け足し

 そんなソマーズの単純素朴な無邪気さは、映画の冒頭から全開してる。トランシルバニアのフランケンシュタイン城での場面は、なぜかモノクロ…そう往年の怪奇映画の再現を目論んでいるのだ。

 そこで行われるフランケンシュタインの怪物の蘇生場面もそっくり。「イッツ・アライブ!」なんて台詞もこの手の映画のお約束。モノクロで描かれたこのシークエンスは、モロにこうした怪奇映画へのリスペクトが感じられる。リスペクトって言うか、まるっきり「まんま」なんだけどね(笑)。

 考えてみればこの場面は、冒頭のユニバーサル映画の地球ロゴが燃える松明へとオーバーラップするところから始まっているんだよね。明らかに観客に「ユニバーサル・ロゴ」を意識させるオープニング。それって、絶対にソマーズが往年のユニバーサル怪奇映画に敬意を表している現れだろう。

 だからハッキリ言って雑多で乱暴なモンスター大集合も、さほどイヤミに感じない。ソマーズは単純にこれらの人気キャラが一同に会したらどうだろう…と思いついただけだからだ。ガキの発想なわけ。

 だから、それって凄い発想とも卓抜しているとも面白いとも何とも思わないけど、何となく憎めない。

 こいつらホントに映画が好きでつくってるのか…と疑問に感じてしまうような大味アメリカ大作が居並ぶ中、少なくとも「好き」である事だけは分かるソマーズの持ち味は、イマドキ結構大事じゃないかと思うんだよね。

 

 

 

 

 

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