「デビルズ・バックボーン」

  El Espinazo del diablo (The Devil's Backbone)

 (2004/09/13)


  

今回のマクラ

 先日のロシア・北オセチア共和国での学校占拠事件には、正直言って本当に気が滅入ってしまった。

 こんな事を「人ごと」じみて言うこと自体が申し訳ないと思うが、僕らとしてはそう言うしか他にないだろう。その場にもいないし、その悲惨さを切実に感じられる訳でもない僕らが、それを「分かる」などとホザく事自体が失礼と言うものだろう。僕は分かった風なことを言いたくない。

 その結末が、これまた悲惨きわまりない終わり方をしてしまったのもたまらない。無茶な事をやったプーチンもプーチンだし、そもそもテロリストもテロリストだ。彼らは最初っから人質の解放なんて、まるっきり考えてやしなかったのではないか。特殊部隊の強引な突入を指揮したヤツらも、人質の命なんて大して気にもしてなかったんじゃないか。そうでもなければ、こんなやり方はするまい。まるで外野気分の僕らは、ハタで見ているとそういう感想しか持てない。

 なんてひどい奴らなんだ…。

 おそらく誰もがそう思う。こんな事をやれるのは、マトモな神経の人間ではないと思う。怪物か異常者か極悪人だと思う。そう思って、自分は実にマトモで善人だなぁ…と安心する。

 実際これで問題が解決するとは、おそらく誰も思わないはずだ。そんな事は誰もが分かっている。こんな場所でこんな人々を相手に、こんな手段で戦いを進めるなんて適切でない事ぐらい知っているはずだ。

 だけど、やっちゃいけないのに…やらずにいられない

 おそらくそれが戦争ってものなんだろう。最初は良かれ悪しかれ目的があるはずだ。やむにやまれず、そしてプライドやらメンツも絡んで、あるいは利害やらテメエ勝手な正義やら…だがそのうち、それらはどうでもよくなっていく。殺しのための殺し、破壊のための破壊になっていく。どこでもそうだ。チェチェンだってイラクだってきっと同じだろう。

 そうなったら「罪もない子供」…も何もなくなるのではないか。

 みなさんはジェリー・ブラッカイマーが制作したアメリカ映画の大作パール・ハーバーをご覧になっただろうか。あの映画で真珠湾を攻撃する日本のゼロ戦パイロットは、地上のアメリカ少年たちに「逃げろ!」と叫ぶ。

 実はそれは日本の観客のために付け加えられたものらしいが、そもそも僕はそんなものはあの映画になくていいと思っていた。なくていい。そんな事を戦争の場で言うはずがない。その代わり、僕はあの台詞も一緒に削って欲しかった。その後でアメリカ軍が日本への反撃の空爆を計画する場面、「軍需工場だけを狙って民間人は攻撃しない」という一言だ。

 そんなウソっぱちはあるまい。民間人を殺傷しない努力をしたかしなかったか…ではない。するはずがないだろう。

 戦争の場で、そんな配慮をする訳ないんじゃないの?

 配慮をしているなんてのは口だけだ。その当初こそ区別をしているかもしれないが、そのうちすべてが「敵」になっていくのではないか。いや、もう「敵」ですらないのかもしれない。「殺すべき相手」あるいは「殺せる相手」か。ひょっとしたら「殺していい相手」かもしれない。

 そうなった時にはすべてが忌まわしさ一色になって、そこから逃れられる者は誰もいないのではないか。むろん僕らだってそうなるだろう。たぶん最初は怖々と…そのうち嬉々として人を殺すんじゃないかと思う。

 それが例えば「罪もない子供」だったとしたら…。

 戦争になった時、子供だってその中に巻き込まれずにはいられない。それはずっと戦争に無縁で、平和をむさぼってきた僕らでも想像に難くない。今回のロシアの学校占拠事件は、その最たるものだろう。だがその事の本当の忌まわしさ痛ましさとは、実はそれにとどまらない部分にあるのではないか? 子供が殺されたり傷ついたり、無惨な犠牲になることだけではないのではないか?

 子供が戦争と無縁ではいられないということは…。

 

見る前の予想

 実はどんな映画かはほとんど分からなかった。ただ子供の亡霊が出てくる映画としか知らなかった。だが、この映画をつくった連中は気になる奴ばかり。監督のギレルモ・デル・トロって、確か蛾の化け物が出てくる「ミミック」(1997)をつくった奴だよね。「ミミック」そのものもなかなか面白かったが、興味深いのはデル・トロ監督自身。元々はハリウッドではなくて、メキシコ出身だったはずだ。そのあたりからして異色のホラー監督だと言える。

 そんなデル・トロ監督が、何と今回スペインのペドロ・アルモドバルの下で撮ったというから、これまた驚きだ。アルモドバルとこのデル・トロとの接点がまるで思い当たらないからね。一体どういう人脈なんだと驚いた。

 だがもっと気になったのは、ハリウッドにも進出したデル・トロが、なぜかスペインで撮った事。スペインと来れば、アメナーバルに始まって今時の新しいホラー映画の名産地として知られている。これは結構期待出来るんではないか。得体の知れない気色悪いホラーが見れそう…そんな予感がする。

 

あらすじ

 亡霊とは何か? それは時の流れの中に置き去りにされた感傷…それとも…。

 時は1930年代末期、内戦下のスペイン。その戦火は、この荒野にまではまだ及んでいなかった。そんなカラカラに乾いたホコリっぽいこの荒野を、一台のクルマが走っていく。二人の男と一人の少年を乗せたこのクルマは、荒野のど真ん中にポツンと置き去りにされたような、奇妙な孤児院へと向かっていた。

 「ちょっと孤児院を見ていこうか」

 何だか下心ミエミエの男がウブな女をラブホに連れ込むようなセリフ。男たちは少年にそう告げると、クルマを孤児院の敷地内へと入れる。

 ところがその中庭に一歩足を踏み入れると、少年は目の前の光景に仰天。何と庭の中心に、一個の爆弾が刺さったままになっているのだ。何でも戦闘機から投下されたまま爆発せず、そのままになった不発弾だと言う。その後に信管を抜いたから、今ではまったく危険はない。そうは言っても…の異様な光景は、少年に不吉な予感を起こさせるに十分だった。

 そんな少年の不吉な予感は、さらに増幅した。

 彼がある建物を見つめていると、そこの扉に一人の青白い少年の姿が見えた。だが次の瞬間には、その少年らしき姿は影も形もないではないか。一体あれは…?

 さて、そんな少年を中庭に残したまま、彼をここに連れてきた二人の男は院長の中年女マリサ・パレデス、老教師フェデリコ・ルッピと話し込んでいた。実はあの少年フェルナンド・ティエルブは両親を内戦で失った孤児。その父親は共和派の闘士だったため、同じ共和派だった二人が少年をこの孤児院に連れて来たのだ。だがティエルブ少年自身は、両親が亡くなった事をまだ知らない。

 そう、この孤児院自体が実は共和派の牙城だった。元々の院長だったパレデスの夫は、孤児院を残して戦乱に倒れた。残ったパレデスも戦いに傷つき、実はその片足は痛々しい義足だ。パレデスは亡き夫の遺志を継ぎ、この孤児院に共和派の遺児たちを匿っているのだ。

 だが内戦も末期のこの時期には、すでに共和派は敗色が濃厚だった。だから孤児院が共和派の牙城であると、誰にも気取られてはならなかった。それに孤児院は、すでに収容能力も限界に近づいていた。財力も徐々に乏しくなっていく中で、新たにティエルブ少年を収容する余裕はない。現にこの日も男二人は、孤児院の蓄えである金塊をいくつかもらいに来た。これが共和派の資金源となるのだ。

 だがパレデスの主張にも、男二人は一歩も譲らない。結局男たちはティエルブを置いて、クルマで去って行った。突然置いていかれたティエルブこそいい迷惑だ。慌てて泣き叫んで追いかけたが後の祭り。そんなべそかくティエルブを、老教師のルッピは優しく慰めるのだった。

 さて、この孤児院の住人となったティエルブは、「12番」のベッドをあてがわれる。ところがそれを見ていた他の子供たちは何か曰くありげにコソコソ。「あいつ、あのベッドをもらったぞ」「あのベッドじゃないか」…そんな中、特に気になる視線でティエルブを見つめるのは、先ほども彼に冷たい言葉を浴びせたイニーゴ・ガルセスなる子供だ。

 やがてみんなが寝静まる中、ティエルブは一人寝苦しい夜を過ごしていた。「サンティ」なる名前が彫られたこのベッド、果たしてどのような由来があるのだろう。すると、何やら何者かが近づいて来た気配が!

 「ティエルブ…」

 誰かが彼の名前を呼ぶ。慌ててベッドから飛び起きるティエルブだが、そこには誰もいない。でも、確かに誰かいた。ティエルブは真っ暗な虚空に声をかける。「一体誰だ? そこにいるのは誰?」

 すると、何者かが置いてある水差しをひっくり返すではないか。そしてこぼれた水が、床に何者かの足跡をくっきりと残していく…。

 ところがこの物音に、イジメっ子のガルセスたちが起き出してきた。案の定、ここでお約束の新入りイジメだ。空っぽになった水差しに水を入れて来い…とのご命令。そのためには、普段から薄気味悪い水汲み場の建物に行かなくてはならない。そう…水汲み場とは、昼間にティエルブがあの青白い少年を目撃した場所。それゆえガルセスも「オマエ怖いんだろう?」とニヤニヤ挑発だ。

 「そういうオマエの方が怖いんじゃないか?」

 そんな図星を突いたティエルブの発言に、イジメっ子ガルセスも二の句が継げない。かくしてこのイジメっ子もイヤイヤ同行する事になった。二人は水差しを持って水汲み場へ歩いていく。途中で使用人の宿舎の前を通り過ぎると、中では若い男エドゥアルド・ノリエガと若い女イレネ・ビセドが、蓄音機でムード音楽をかけてイチャついている真っ最中だ。

 使用人の男の方ノリエガは、この孤児院の出身で最近出戻って来た男。金持ちになってこの孤児院の建物を買い取り、自分の手でぶっ壊したいくらいキライ…という屈折した想いが本音なのに、結局ここに戻ってきたのはいろいろ訳アリなのか。どうも何かとキレやすい危なさを持った男だ。それでも孤児院での幼なじみのビセドは昔から彼が好きだったらしく、戻ってきた事を素直に喜んではいた

 さてティエルブとガルセスは、水差しを持って水汲み場へとやって来た。ガルセスはサッサと用を済ませてその場を退散。ところがティエルブが水を汲もうとすると、ハサミやら何やらがぶら下がった竿が突然倒れて、もの凄い物音がするではないか!

 その物音を、もちろんあのノリエガが聞き逃すはずもない。ライフルを持って水汲み場へとやって来ると、建物の中をあれこれ見回し始めた。ガルセスはとっくにトンヅラこいている。ティエルブは危うく見つかりそうになったが、物陰に辛くも隠れることが出来た。

 ところがノリエガには別の用事があったらしい。おもむろに水汲み場の壁面の隠し扉をとりはずし、あの金塊が入った隠し金庫をムキ出しにする。ノリエガはどこで見つけたのかカギを取り出すと、金庫をガチャガチャと開けようとした。だが悪戦苦闘の甲斐もなく、金庫の扉はまるっきり開かない。どうやらカギが違うようだ。ノリエガは悪態をつきながら諦めた。その時、地下室から気味の悪い風が吹いて来た事も、ノリエガを諦めさせた一因かもしれないが…。

 そう…この水汲み場の建物には、なぜか地下室がある

 ノリエガが去った後、ティエルブは物音の主を捜して地下室へと降りていった。そこには巨大な水槽があり、何とも薄暗く気味の悪い空間が広がっているではないか。すると…。

 誰かが目の前を横切った!

 ティエルブはどうしても好奇心を止められず、その何者かに声をかけた。「出ておいで、君は誰なの?」

 すると、あちらと思えばまたこちら。あの青白い少年が現れるではないか。その姿たるや、何とも気色が悪い。そもそもがこの世のモノではない事は明らか。頭には深い傷を負っているようで、顔は青白いだけでなくまるでドクロのような容貌だ。そして何とも恐ろしい事を口走る。「大勢死ぬぞ…」

 ここに及んでさすがに恐ろしくなったティエルブは、慌ててその場を逃げ出した。こうして命からがら宿舎に戻ってきたティエルブに、ガルセスたちがパチンコを飛ばしてくるからたまらない。

 翌朝、ルッピ先生に夜中起きていた事で起こられたティエルブ。「共犯」の名前を聞かれるが、ティエルブは頑として口を割らない。かえって彼を気にして見つめていたため、ガルセスたちが「共犯」だとバレてしまったから悪い事は出来ない。

 さて昼間になってみると、やっぱりティエルブはあの少年の幽霊が気になって仕方がない。またしても水汲み場の地下へと降りてみる

 昼間見た地下の巨大水槽は、それはそれで別の不気味さがあった。それはただ巨大なだけではない。水は何やら薄汚く濁り、一体どれくらい深いのかも分からない状況だ。

 ところがそこに、お約束のガルセスたちが現れた。彼らはティエルブをナイフで脅すと、水槽に無理矢理突き落とそうとする。ところが隙を見たティエルブが反撃。はずみでガルセスの方が水槽に落ちてしまった。さぁ大変だ!

 ガルセスはそのままどんどん沈んでいく。もはや一刻の猶予もならない。ティエルブはそのまま水槽に飛び込み、何とかガルセスを助け出した。

 だが…濁った水の中にあの青白い少年がいた事には、さすがのティエルブも気づかなかった。

 そんなてんやわんやの最中、あのノリエガが騒ぎを聞きつけてやって来た。ノリエガは何が起きたかを知ると明らかに冷静さを失い、いきなり落ちていたナイフでティエルブの頬を傷つけ、「二度とやるな」と少年たちを脅した。一体何がそれほどノリエガを怒らせ、冷静さを失わせたのか?

 さて、傷ついた頬を手当してもらいながら、ティエルブは恐る恐るルッピ先生に尋ねてみる。「幽霊って本当にいるんですか? 僕、見たんです」

 ルッピ先生はそんなティエルブの言葉に動じなかったものの、さりとて幽霊の存在に同意してもくれなかった。恐ろしいモノも不思議なモノもいくらでもある、だがそれらはいずれも人知の及ぶ範囲内のもの…というのが科学者としての先生の意見だった。

 その例として先生が見せてくれたのが、瓶の中に漬け込まれた奇妙な胎児。それらの胎児は、いずれも背びれのような背骨の奇形…「悪魔の背骨」を持ったものばかりだった。しかも驚くべき事に、そんな「悪魔の背骨」の胎児は重宝されていると言う。胎児が漬け込まれたラム酒を飲むと、何かと身体にいいらしいというのがその理由だ。だからこの瓶の中の胎児も、こうしてラム酒に漬け込まれているのだ。

 こんな胎児を漬け込んだ酒を飲むとは…ティエルブはさすがにビビッてその場を退散。そんなティエルブの様子を微笑んで見送ったルッピ先生は、瓶の酒を一杯汲むと一気にのどへと流し込んだ。もちろんの事だが、身体にいいというものは男のアレにもいい。老いたルッピ先生とて、まだそっちは枯れてはいないのだ。

 だがルッピ先生には、胎児の酒を飲まずにいられない訳もある。

 ルッピ先生の隣の部屋は、あの女院長パレデスの部屋だ。だが今この部屋には客がいた。それはベッドで女院長パレデスを組み敷いてあえぎ声を上げさせている、あの若い男ノリエガその人だ。

 むろんこんな事がいいとはパレデスも思っていない。恥じているからこそルッピ先生には知られたくない。だがうずく身体はどうにも出来ない。まだノリエガがこの孤児院に収容されていた頃から、過ちは始まっていたのだ。ノリエガから求められれば拒めない、否、自分から求める事を止められない

 むろんノリエガには狙いがあった。それはパレデスの部屋にあるカギだ。彼はこの孤児院の資金となっている金塊を、秘かに奪おうと心に決めていた。それらの金塊は、すべてあの水汲み場の隠し金庫に入っているのだ。だがパレデスが持っているカギ束には何十というカギがある。どれが金庫のカギか分からない。だからこうしてパレデスの部屋へ情事を口実にやって来ると、そのたびにカギを一本づつ奪って持っていくのだ。だがいまだに本物のカギにはブチ当たらない。いいかげん焦っていたノリエガは、そんな刹那的な気分をまたしてもパレデスのくたびれかけた肉体にぶつけるのだった。

 そんなあえぎ声やベッドのきしみは、当然ながら隣のルッピ先生の耳にも届いていた。そしてルッピ先生は、昔からパレデスにあこがれを持っていたのだ。だが紳士のルッピ先生はそれがアダとなって、パレデスに想いをうち明けられずにいた。結局寂しい想いを胸に秘め、一人っきりのベッドを見つめるだけだ。

 さて、地下室の水槽での一件が功を奏したか、それまでイジメていたガルセスが態度を一変させた。ティエルブに仲間として接するようになったのだ。ようやく孤児院のみんなと仲良く接する事になったティエルブ。彼はそんなみんなに、あの不思議な声や物音について尋ねてみた。だが、誰もハッキリとした事は答えない。特にガルセスは顔色を変えて去っていった。そんなガルセスのいない時、別の仲間がティエルブに秘密を告げた…。

 それはティエルブのベッドにかつて寝ていた子…「サンティ」のことだ。

 「サンティ」は突然姿を消した。どこに行ったのか分からない。どうもその事情について、ガルセスは何かを知っているらしいのだ。「サンティ」が消えたのは、あの爆弾が空から降ってきた夜だった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてその頃、町に買い出しに行っていたルッピ先生は、フランコ反乱軍側の兵士たちが共和派の兵士たちを処刑する場面に遭遇した。そこには…あの孤児院にティエルブを連れてきた二人の男もいるではないか!

 いまや風雲急を告げている。

 翌朝、例の処刑の様子を女院長パレデスに伝えたルッピ先生は、ただちに孤児院を捨ててこの場を離れる事を提案する。あの男たちが捕まったのなら、ひょっとしてこの孤児院が共和派側だと白状したかもしれぬ。ならばすぐにここを離れなければ…。

 こうなれば、早々にここを出なければいけない。子供たちも連れて逃げ出さねばならない。もちろん資金としてあの金塊も要る。

 女院長のパレデスは例の水汲み場で金庫から金塊を取り出そうとした。だが、そこに現れたのがノリエガだ。ノリエガはもはやこれまで…と、それまで隠していた本性をさらけ出した。いきなりパレデスを「ババア」呼ばわり。金塊をいただく…とハッキリ本音を吐いた。これにはノリエガに惹かれていたビセドは大ショック。さてそんなこんなのドタバタのケリをつけたのは、常日頃からパレデスを慕っていた老先生ルッピだった。力で強引に金塊を奪おうとしたノリエガは、力でねじ伏せられて孤児院から追い出された

 さぁ、急いで脱出の準備だ。子供たちには荷物をまとめさせ、孤児院の貴重品もまとめて…と、てんやわんや。ところがビセドがたまたまクルマのガソリンを見に行くと、缶が空っぽになってブチまけられている。さらにガソリンは地面に撒かれて…それはあの水汲み場の建物にまで延びているではないか。

 これはヤバイ!

 ビセドは慌てて銃を持って建物に入ると、案の定そこにはノリエガがいた。クルマのバッテリーを山ほど集めて、そこにガソリンをビシャビシャとかけている。奴はガソリンに火をつけてこの建物を吹き飛ばし、金庫を開けてしまおうと画策したのだ。もうヤケクソ。これにはビセドも怒った。

 ところがノリエガはビセドなんて怖くない。そもそもが小娘だし、自分に気があることも分かってる。所詮は女さ、オレに銃を向ける事など出来ない。銃を向けても引き金は引けまい。…ところが、それは考えが甘かった。

 バ〜〜〜ン!

 銃が火を噴いて、肩を撃たれるノリエガ。だがこれでノリエガも、何の手加減をする理由もなくなった。吸っていたタバコの火をガソリンに引火させると、せいせいしたとばかりにその場をトンヅラだ。燃え広がった炎はバ〜ッと建物に広がって、バッテリーに今にも引火しようとする。そこに駆けつけた女院長パレデスと老先生のルッピたち、何とか火を消そうとジタバタしているうちに…。

 ドッカ〜〜〜〜ン!

 水汲み場の建物が吹っ飛んだ。クルマが吹っ飛んだ。水汲み場で火を消そうとしたり、子供たちを逃がそうとしたパレデスが炎に巻き込まれた。それを助けようとしたルッピ先生やビセドが爆風で吹き飛ばされた。

 アッという間に、孤児院は悲鳴とうめき声と渦巻く修羅場と化していた。それはまるで、「大勢死ぬぞ」と言っていた「サンティ」の予言が的中したかのように…。

 だが、それはまだ序の口。孤児院を舞台にした惨劇は、これから本格的に始まるのだった!

 

見た後での感想

 まずはこの映画、メキシコ出身のギレルモ・デル・トロの作品って事から語った方がいいんだろうね。と言っても僕は前に語ったように、デル・トロの映画を「ミミック」しか見ていない。ニューヨークの地下に、人間に擬態する巨大な「蛾」がいるというお話。何とミラ・ソルヴィーノが主演という豪華版だが、これがなかなか怖くていいんだよね。僕は結構高く買っている。

 ところがその「ミミック」を見た時に、監督デル・トロがメキシコ出身と聞いて驚いた。それも2作目でハリウッド・デビューと来るからね。

 で、その時には別にそれだけで何も考えなかったのだが、今にして思うとあのデル・トロの出現って、メキシコの映画パワーの台頭ってカタチでくくることも出来るんだよね。ジャンルこそそれぞれ異なるが、天国の口、終りの楽園。アルフォンソ・キュアロンアモーレス・ペロスアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥや、若手俳優ガエル・ガルシア・ベルナルあたりの動きと一緒に考えるのが自然なのかもしれない。だって今までメキシコって国からこれだけの作品やら映画人が国際的注目を受けるなんて、思いもしなかったからね。そのあたりを無視する方が、かえって不自然というべきものだろう。

 これらのメキシカン・ニュー・ウェーブの映画人たちは、それぞれハリウッドにも招かれた。その点ではわれらがデル・トロも同様だ。だが彼の場合、ここでスペインに寄り道したのが実に今風なコースだと言える。それはデル・トロがホラーという特異なジャンルの映画作家であった事と、実は密接な関係があるのだ。

 昨今全世界的にホラー映画がブームなのは、おそらく誰もが周知の事だろう。その一方の立役者が日本映画である事は、ハリウッド版「ザ・リング」の成功でも明らかだ。

 そしてもう一方のホラー生産国として浮上してきたのが、どうやらスペインらしいんだよね。

 もちろんそれは、「次に私が殺される(テシス)」オープン・ユア・アイズアザーズ…と快作を連打して国際的名声を確立した、あのアレハンドロ・アメナーバルから始まっていると見るべきだろう。さらにこの流れには、アメナーバル映画で脚本を担当していたマテオ・ヒルによるパズルという副産物も生まれた。他にもダークネスジャウマ・バラゲロ10億分の1の男フアン・カルロス・フレスナディージョ…といった後続する作家たちもウヨウヨ。いずれも作品がハリウッド・リメイクされたり、すでに作品が国際化したりハリウッドに招かれたり…と、すでに大西洋を越えた動きになっている。

 そんなホラー原産国スペインに、このデル・トロも参戦した

 まぁ、スペイン・メキシコと相通じる「ラテン」の感覚ってものもあるんだろう。だが彼が今をときめく最も映画がホットな国メキシコ出身で、ハリウッドにも招かれ、かつホラー映画のもう一つのメッカとなりつつあるスペインで仕事をした…というのは一つの事件かもしれない。これはデル・トロ監督のホラー作家としての「血統」の確かさを表す事実でもあるだろうし、常に「震源地」にいる…という映画作家としての鮮度の高さを示しているのかもしれない。このスペイン映画は2001年作品…その後には再びハリウッドで仕事をしているらしいから、その機動力にも驚いてしまう。ともかく、今一番注目すべき男なんだよね。

 さて、そんなデル・トロ監督の注目すべき点はもう一つ。何がどうしてそうなったのか分からないが、この作品ではあのペドロ・アルモドバルに目を付けられてのスペイン映画製作だったということだ。アルモドバルがホラーに関心があるなんて知らなかったよ。ともかくは、それもまたデル・トロが注目すべき映画作家たるゆえんなんだろうね。

 さて、ではその本編はどうだったか…と言えば…。

 まずはホラー映画の舞台に、ホコリっぽい荒野のど真ん中…そこにポツンと建った古びた孤児院を設定すると言うのが珍しいよね。

 奇妙なのはこの孤児院の中庭にデカい爆弾が落ちていること。これも実にうまい設定だ。理屈を云々すればアレコレあるだろうが、ともかくここが「異境」であることを問答無用で納得させてしまう。

 そしてお約束の亡霊の登場…となるのだが、この亡霊が現れるのが地下の水槽というのがうまい。やっぱりお化けはジメついた暗い場所に現れるべきだろう。ハッキリ言ってこの地下の水槽が何のためにあるのかサッパリ分からないが(笑)…これはここになくてはならないのだ。反論は一切認めない(笑)。

 しかもこの水槽がかなり古くて、相当デカくて…しかもなぜか常に濁っていてどのくらい深いか分からない…というのがいいではないか。もうこれだけで相当気色悪い。

 ところがこのホラー映画、ケレンと言えばこのくらいまでなのだ。

 実は亡霊も出てはくるが、結構無力な存在だ。むしろ主人公の少年に、復讐の手助けを頼み込むアリサマ。自分では何も出来ない。

 怪しげな人間関係が錯綜し、あげく惨劇が展開するが…それは亡霊の仕業ではない。それはあくまで生身の人間が自分で引き起こすおぞましい振る舞いなのだ。

 こうなって来ると、ホラー映画らしくない…はずの荒野の一軒家が効いてくる。この隔絶された環境こそが、物語の緊迫感をいやが上にも増す。実にうまい設定なんだよね。

 出演者は、女院長役に「ハイヒール」や「オール・アバウト・マイ・マザー」などに出たマリサ・パレデス…というのは、もちろんペドロ・アルモドバルが制作にかんだ関係からだろう。すべての元凶となる男にエドゥアルド・ノリエガが起用されたのも、「次に私が殺される(テシス)」、「オープン・ユア・アイズ」、「パズル」…とスペイン・ホラーの「顔」として主演し続けた彼だけに嬉しいところ。おまけに今回は「オープン・ユア・アイズ」前半部分での「犬畜生」男ぶりが十二分に生かされた役どころだ。

 この映画、ホラー映画ファンにはどうか分からないが、僕は十分楽しめた。何で「ホラー映画ファンにはどうか分からない」と書いたかと言えば、いわゆるショック場面などには乏しいからだ。俗にいう「怖い」映画ではない。驚かされる事もあまりない。血もさほど出ないし首も飛ばない。だから、そういうものを期待する向きには必ずしもお勧めは出来ない。

 ただ、単に面白い映画が好きな人なら、誰にでもお勧めできると思う。少なくとも気色悪いイヤ〜な雰囲気は充満している。何か起きそうな空気が漂っている。

 そして何より、これは悲しみ色したホラーなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは絶対に映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後の付け足し

 実は僕はスペイン内戦…なんてあまりよく知らない。この結果…共和派側は敗北し、スペインはフランコの独裁政権に長く支配される事になったくらいしか分からない。

 ただこの映画を見ると、この「内戦」というものが映画の背景にイヤ〜な雰囲気で横たわっている事だけは分かる。結果的に独裁支配をもたらした内戦だけに、それが持つ忌まわしさというものはスペインの人なら問答無用に感じるのだろう。それって例えば、新東宝の憲兵が出てくるエログロ映画と聞くや否や、「憲兵」という単語から何とも忌まわしいイヤ〜な気分を呼び起こされるのに似ているのかもしれない。あの、問答無用にイヤ〜な気分。

 そもそも孤児院の中庭にど〜んと不発弾が鎮座しているという絵からして、戦争が日常の中にある事をイメージとして何より鮮烈に伝えている。外界から遮断されているように見えて、この孤児院も戦争と無縁でない事を明らかにしている。

 大体、ここに収容されているのが内戦の孤児だというあたりからして、この映画が戦争と無縁な訳がないのだ

 この孤児院では例の少年の幽霊を筆頭に、忌まわしい事がいろいろ起きている。映画の後半にはそれが派手に表面化するが、そうなる前にも水面下では忌まわしさがうごめいている。それが表面に出てくる前から、実は事態は十分に忌まわしかったのだ

 女院長の夫は戦争で命を落としているし、女院長自身も片足を失っている。彼女を襲ったそんな決定的な不幸が、どう見たって不釣り合いな若い男との愛欲に耽らせてしまったのか。

 ひょっとしてすべての元凶であるノリエガの若い男も、実はファシスト側だったのかもしれない。仮にそうでなかったとしても、戦時中という刹那的な時代でなければあのような事はしなかったのではないか

 映画のタイトルにもなっている「デビルズ・バックボーン」=「悪魔の背骨」…そんな奇形を背負った胎児たちの姿は、何とも忌まわしい気分を見る者に醸し出させる。しかも、それをラム酒で漬け込むなんざ悪趣味極まる。だが、それがカラダのためになる薬用酒にもなると言うのだから、世の中見た目では分からない。それと同じで…本当に忌まわしいものとは、幽霊やらラム酒漬けの奇形胎児とか、そんな「いかにも」分かりやすいものじゃないんじゃないのか

 本当はもっと忌まわしいものを、フツーの人間自体が持ってるんじゃないのか

 ラストには、ついに子供たちが一斉に蜂起する。そしてノリエガは傷ついて水槽に落ち、少年の幽霊の「裁き」を受ける…。

 それは勝利に終わるから、「めでたし」ではある。だが善が勝つにせよ悪が勝つにせよ、子供たちの手を血で汚した事には違いあるまい。ああなるしかなかったし、結果がああなって良かったけれど…本当はああならなければ一番良かったはずなのだ。…実はこの映画の一番恐ろしくイヤ〜なところは、この点に尽きるのかもしれない。作者が言いたいのもそこだろう。

 「戦争」とは、例え最良の結果であっても忌まわしいものなのだ。

 

 

 

 

 

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