「LOVERS/謀」

  十面埋伏 (House of Flying Daggers)

 (2004/09/13)


  

 

この感想文では映画「LOVERS/謀」の内容の全体について触れております。どうか映画を御覧になってからお読みください。

 

この感想文はフィクションであり、登場する人物、団体、映画作品等はすべて架空のものです。実在のものと酷似するもの、同じ名称を持ったものがあったとしても、単なる偶然の一致に過ぎませんのでご了承ください。

 

 

2004年8月30日午前1時

 誰もが寝静まった深夜。ここは北京郊外の豪邸が建ち並ぶ高級住宅街。その中でも一際偉容を放つのが、中国が世界にその名を誇る国際的映画監督チャン・イーモウの私邸である。

 一見誰もいないように見える真っ暗な敷地だが、実はこの屋敷の主はまだ眠ってはいなかった。わざわざ日本から職人を呼んでつくらせた日本庭園の隅、そこに建てられたあずまやの地下室には、チャン・イーモウ御自慢の試写室があった。DTSからドルビー・サラウンド5.1チャンネルに至るまで再生可能、リュミエール兄弟時代のものに始まり、ありとあらゆるフォーマットのフィルムが上映自在なその試写室には、常に世界最新の話題作のフィルムが届けられる。その試写室への招待状は、北京界隈の文化人やセレブの垂涎の的だ。先日もわざわざあのジョン・ウーが、お忍びでハリウッドから訪れたほど。名だたる中国語圏の映画人の中で、大陸、香港、台湾を問わずここを訪れない者はいなかった。ただ一人の例外を除いては…。

 おっと、話題がそれた。屋敷の主チャン・イーモウは、この試写室に隠って何やらフィルムをチェック中。これほどの豪邸の主にも関わらず、汚いジーンズにTシャツといういでたちだ。作業に没頭するあまり時間が経つのも忘れてしまったのだろうか、口の周りには無精ヒゲも目立つ。

 そんな最中に、いきなり耳をつん裂くようなサイレンの音!

 驚いたチャン・イーモウが試写室のサウンドコンソールから目を上げると、頭上には敷地への侵入者を示す赤いランプが激しく点滅。モニター・ディスプレイには屋敷の警備員たちが慌てて走っている様子が映し出される。どうやら屋敷の南側の通用門近くで、侵入者が飼い犬のドーベルマン2頭に捕らえられたらしい。ドーベルマンの猛攻に激しくもがくその人物は…。

 モニターを見ていたチャン・イーモウは、その人物の顔に気付くや脱兎のごとく試写室を飛び出した。

 南側通用門周辺には、次々と屈強なボディガードたちが集まってきていた。彼らは半分が政府から派遣されていた人民解放軍上がりの猛者ぞろい、後の半分はアメリカから雇ったプロ中のプロ。中でも身長2メートル20にも及ぶスキンヘッドの黒人男は、かつてはマイケル・ジャクソンの警護に雇われていたのが自慢だ。その大男が、ドーベルマンに引きずり回されている侵入者をムンズと捕まえる。

 「バカヤロー、放しやがれ!」

 侵入者は大声でわめきながら激しく抵抗するが、大男のボディガードにとっては屁でもない。余裕でこの侵入者を摘まみ上げると、そのまま庭から連れ出そうとした。「ヘ〜イ、ビッグマン。レッツ・ゴー・トゥ・ザ・ポリース(大物さんよ、一緒にポリに行こうぜ)」

 「ストーップ!」

 その鋭い声に、大男ボディーガードと侵入者が同時に振り向いた。そこにやって来たのは、屈強な男たちの中に埋没しそうな小男チャン・イーモウだ。「リリース・ヒム(その男を放せ)」

 大男ボディーガードは、そんなチャン・イーモウに怪訝そうな顔を見せた。「バット…ジス・ファッキン・ガイ・ウォズ…(でも、この野郎はですね)」

 「リリース・ヒム、ライト・ナウ(今すぐ放すんだ)!」

 「オ、オーケイ・ボ〜ス…」

 逞しいボディーガードたちは、小男チャン・イーモウの剣幕に圧倒された。その小男の持つ威圧感たるや、さすがに超大作「HERO/英雄」(2002)で人民解放軍やらエキストラの大群衆をさばいただけのことはある。大男のボディガードは侵入者をその場に捨てるかのように手を放すと、オドオドした様子でゆっくりと離れる。

 そんな男たちを一瞥しながら、チャン・イーモウは一言吐き捨てるように言った。「ゴー・アウェイ(うせろ)!」

 そそくさと去って行く屈強なボディーガードたち。そんな男たちが去って庭に静寂が戻ってきた頃、二人その場に残ったチャン・イーモウと侵入者は、お互いの顔を見つめあった。

 やがて暗がりでうずくまっていた侵入者は、ゆっくりと明かりの方へと歩み寄ってくる。この人物はチャン・イーモウを見つめると、思い切り酒臭い息を吐きかけた。「いやいや、チャン・イーモウ様のお出ましかい。こりゃ大層ご立派になったもんだぜ」

 そう、この侵入者はチャン・イーモウにとって旧知の人物…。

 「また飲んだくれているのか、チェン・カイコー!

 

2004年8月30日午前1時15分

 「ようやくここへ来てくれたか」

 チャン・イーモウは侵入者…チェン・カイコーを自慢の試写室へと案内した。チェン・カイコーの両手はドーベルマンに噛まれて傷付いていたが、救急箱にあった消毒液で応急手当てもした。こういう時のためにととっておいた、「VIP用」のワインも開けた。だがチェン・カイコーは、あまりワインは好まないようだ。「青島ビールはねえのか? ビール、ビール! あとツマミにザーサイくれ

 今この二人は、豪華な試写室の高級シートに腰掛けている。なるほど、ここにセレブが争って来たがるわけだ。この試写室の椅子はどれもスウェーデンの家具メーカーに依頼した特注品。座り心地が違う。

 「大したもんだよ、これだけのものを揃えるとはな」とか何とか言いながら、チェン・カイコーはふらついてワインを椅子にこぼす。するとチャン・イーモウが慌てて雑巾を持って駆け寄ってきた。「やめてくれよ、これは全部職人の手作りなんだぞ。いくらしたと思ってるんだよ」

 「ケッ、椅子の一つや二つ汚れたからって何だ。もっと大事なものが汚れたことを心配しろってんだよ」

 そんなチェン・カイコーの視線は、試写室後方の「暖炉」に止まる。もちろんコンピュータ制御の冷暖房が完備したこの試写室に、「暖炉」など必要ない。それは言う間でもなくフェイクの「暖炉」だ。

 「トロフィーを置くためには暖炉が要るってことか」

 フェイクの「暖炉」の上には大小さまざまな賞状やトロフィー、盾の類いが並んでいた。ベルリン映画祭金熊賞、ヴェネチア映画祭金獅子賞、カンヌ映画祭審査員大賞…などなどなど。もちろん中国国内賞である金鶏奨や百花奨のものも多数あった。これぞチャン・イーモウが今まで勝ち取ってきた、国際的映画監督としての輝かしい証だ。

 チェン・カイコーはその「暖炉」に駆け寄り、素手でベタベタとトロフィーや盾を触っていく。その後を追いかけるように、チャン・イーモウは慌てて布巾で指紋をぬぐい取る。そんなチャン・イーモウの様子を見ながら、チェン・カイコーは皮肉っぽく笑い出した。「おやおや、そんなに汚れが気になるかい。さすが映像の美しさでは右に出る者がいないチャン・イーモウ…と言いたいところだが、見た目の汚れより気にしなきゃならない事があるんじゃねえか?」

 そんなチェン・カイコーが、突然ピタリと動きを止めて「暖炉」の上を見つめた。

 「おや、何でこの一角だけポッカリと空いているんだ?」

 チェン・カイコーが不思議そうに指差した暖炉の上の一角は、確かにそこだけなぜかポッカリと空いていた。その一角を見つめているうちに、たちまちチェン・カイコーの顔にいたずらっぽい笑いが広がる。

 「ははぁ、分かったぞ!」とチェン・カイコーは叫ぶと、チャン・イーモウの方を振り返って大笑いしながら言った。「あそこはこれからオマエがとるアカデミー賞…オスカー像の指定席だ、そうだろう?」

 見透かしたようなチェン・カイコーの言葉だったが、それが図星なだけにチャン・イーモウも俯かざるを得ない。「ただ空けてあるだけだよ…」

 「ウソをつけ! なぁるほどな、オマエらしいや。もう取るつもりでいるあたりがさすがだぜ。何でも計算づく、世渡り上手ってな」

 そんなチェン・カイコーの皮肉っぽい言葉にも、チャン・イーモウはさりげなく聞き流した。この男の性格は、昔から知り尽くしていたからだ。「いつ来てくれるかと思ったよ。オレはずっと待ってたんだぜ」

 「フン! ヌカしやがって」とチェン・カイコーはふらつきながら、チャン・イーモウを指さして毒づく。「そのいちいちソツのない言い草が、世渡り上手って言うんだよ」

 だが、チャン・イーモウの言葉にウソはなかった。現に彼は新作発表のたび、ここでの私的な試写会にチェン・カイコーを誘っていたのだ。しかし、招待状に返事が返ってきたことはなかった。他の中国映画人たちが軒並みここを訪れていたのに、一人チェン・カイコーだけは来ることがなかった。

 確かにこの10年というもの、チェン・カイコーにとってまったく順風満帆という年月ではなかった。それまで中国映画をリードする存在として脚光を浴びてきたのに、「始皇帝暗殺」(1998)に始まった挫折の日々。そんな中で、かつての戦友でもありライバルであるチャン・イーモウとは、いつの間にか大きく水を開けられるかたちにもなっていた。それを不愉快に思わなかったと言えばウソになろう。

 では、なぜ今頃この試写室に現れたのか?

 「テレビでアテネの閉会式を見て、オマエに一言言ってやりたくなってな」

 そう、中国時間で昨日29日の早朝は、アテネ・オリンピックの閉会式。そのビッグ・イベントを締めくくるように、次回オリンピック開催地・北京の紹介映像が流れた。

 「オレはあれを一目見て分かった。おそらく誰でも分かるだろう、オマエが撮ったってことはな

 そんなチェン・カイコーを黙って見つめるチャン・イーモウ。確かにチェン・カイコーの言葉は図星だった。そもそも北京オリンピックについては、IOC総会で上映するための招致用フィルムの段階から監督していた。話題がそこに移るや否や、チャン・イーモウにはチェン・カイコーの言いたい事がすぐに分かった。

 「確かに今、中国を代表する映画監督と言えば、イーモウにとどめを差すだろうて」

 「カイコーだって世界的な名声を得ているじゃないか。『10ミニッツ・オールダー』ってオムニバス映画を撮ったんだろう? 世界的名匠たちと互角扱いだと、オマエ自慢してたよな」

 「やかましい! 『10ミニッツ・オールダー』の話はするな」

 確かにあの作品ならチャン・イーモウも見た。だからチェン・カイコーが何を言いたいかも分かった。

 「あれはドジったぜ。ウッカリ安っぽいCG使って、世界中から罵倒の嵐よ。なまじっかカウリスマキやらベルトルッチらと並んだもんだから、余計にミジメな目にあったぜ…」と、そこまで語るとさすがの泥酔チェン・カイコーもおとなしくなるかに思われた。だがカイコー、そんなタマではない。

 「だがな! オレはそもそも安全パイなどに興味はないのさ。ハズしもこれ人生のうちよ。どこかの誰かさんみたいに無難に生きる、世渡り上手じゃござんせん…ってな。ガッハハハ!」

 チェン・カイコーが黙っていられなかったのは、そんな事のためではなかった。北京オリンピックという国家的事業の大宣伝に、このかつての盟友チャン・イーモウが駆り出された事が我慢ならなかったのだ。

 「呆れたぜ、お上のイヌに成り下がっちまうとはな!」

 そんなチェン・カイコーの一言に、その場の空気は急激に冷えきった。

 「カイコーにそんな事を言われる筋合いはないぞ。第一オマエだって『始皇帝暗殺』の時には、それこそ国家的なスケールの支援体制で撮ってたじゃないか」

 「あれはあくまでデカい映画を撮りたいがため。国家に使われるふりしてオレが使ってたんだ。イーモウ、オマエとは違うんだよ

 「オマエはオレを誤解しているんだ、カイコー」

 「何が誤解だ。そもそも活きる(1994)の時に、お上からさんざイヤな思いをさせられ、オマエはあれだけ憤っていたじゃないか。それが何で今さらシッポなんぞ振るんだ。それがオマエの処世術なのかよ」

 「カイコーはオレの新作を見たか?」

 「あのオマエのお手付き女優が主役の映画か? ケッ、そんなもの見てやしねえよ」

 「じゃあ見てくれ。見れば分かる

 「どうしてもと言うのなら、そのうちな」

 「そのうちじゃなくて、今見てくれ。ここにフィルムもある。見ればオマエも誤解を解いてくれるはずだ」

 そのチャン・イーモウの言葉が言い終わるか終わらないうちに、前方のカーテンが素早く開いた。彼の手許のリモコン操作によって、シネマスコープ・サイズのスクリーンがセットされたのだ。

 チェン・カイコーが反論する間もなく、アッという間に試写室は暗くなった。そしてオートマティックのプロジェクター・システムが作動し始める…。

 

2004年8月30日午前1時30分

 こうしてチャン・イーモウの最新作「十面埋伏」…「LOVERS/謀」の上映が始まった…。

 

ここから映画スタート

 

 

2004年8月30日午前3時30分

 「ほほう、ピッタリ2時間! さすが万事計算づくのチャン・イーモウだけあるわ」

 「十面埋伏」の上映が終わって試写室が明るくなるや、いきなりチェン・カイコーがお得意の皮肉をブチかます。だがその口調にはもう毒がないことが、長年のつきあいのイーモウにはよく分かった。二人は地下の試写室から出て、あずまやの一階へと席を移す。

 「最初はな、『HERO/英雄』に続くエンターテインメント大作第二弾なんて、芸のねえ事やりやがってと思ってたんだよな。日本の配給会社が『LOVERS/謀』なんてまるっきり原題に関係のないタイトル付けたのも、二番煎じってよく分かっとるわいと思ってたぜ」と語るカイコーからは、すでに酔いが醒めていた。「だが、今回は大分趣が違うわな」

 「そう言ってくれるのは嬉しいね。なぁカイコー、どうだろう? 今ここであの対談の続きをやらないか?」と、イーモウはシラフになったカイコーを見て、一つの提案をする。

 「あの対談?」とカイコーはいぶかしげに見つめる。

 「HERO/英雄』の時に日本でやった対談のことだよ。あれ、オマエからのボツが入って駄目になっちゃったじゃないか」

 「あぁ、やりたいなら別に構わねえよ」とカイコーが言うなり、二人の前にはいつの間にかテレコが置かれ、カセットテープが回りだしていた。相変わらず用意周到だわい…とカイコーは舌を巻いていたが、ともかくこうして対談はスタートした。

 

2004年8月30日午前4時

チェン・カイコー(以下・カ) :じゃあまずズバリと言わせてもらうが、今回何でまたエンターテインメント大作を続けてつくる事にしたんだよ?

チャン・イーモウ(以下・イ):それはね、前のではやり描き足らない事があったとしか言いようがないな。実はそれってこの映画の主題を語る事にもなるんだよ。もうそれを話しちゃうのか?

カ:いや、いい。それじゃつまらん。…まずはオレからチクチクといくか。チクチクと言えば…今回またまたチャン・ツィイーのビーチクを見せなかったな(笑)。

イ:オマエ完全にオヤジだな(笑)。

カ:オヤジだとも(笑)。まぁビーチクこそ見せなかったが、今回は完全にチャン・ツィイーの映画だよな。金城もアンディ・ラウもダシに使っちゃって。最初の「牡丹坊」での踊りから始まって、次々と衣装を変えるコスプレ、脱がしはしなかったけれど首筋から背中の線までをやたら見せる描きっぷり…いやらしすぎるぜ。劇中で何度押し倒されたか分からないのも見どころだな(笑)。

イ:いやらしいのはオマエだよ(笑)。ただツィイーのための映画ってのはホントだよ。

カ:ミラジョボにタラしこまれたリュック・ベッソンみたいに、オマエもツィイーにこの映画つくらされたんか?

イ:馬鹿言え! ベッソンみたいなロリコン・デブと一緒にするなよ(笑)。正直言って「HERO/英雄」の時は、オレはツィイーにあまり期待してなかったんだよ。だから小生意気な小娘役にしかしてなかった。

カ:確かにな。だからマギー・チャンの方が明らかに格上に見えたよな。

イ:でも、あいつはグリーン・デスティニー(2000)でアクションも習ったし、本当はもっと守備範囲の広い子なんだよ。ところが「グリーン・デスティニー」でもMUSA/武士(2001)でも「ラッシュアワー2」(2001)でも、何だか小生意気専門みたいになっちゃっただろう? そこへ本来の育ての親のオレまで生意気芝居させちゃったから、完全にイメージ固定しそうになっちゃってさ。こりゃマズイと責任感じちゃったんだよな。すっかり女の映画ファンにも嫌われちゃったしな。

カ:まぁ、女ってのは元々が自分より可愛い女をキライなもんだよ(笑)。…ふ〜ん。オマエって計算づくのセコい奴かと思ってたら、結構いいとこあるじゃん(笑)。

イ:全然ホメられてる気がしない(笑)。ともかくツィイーのいろんな面を出したかったからね。男装も可愛かったろう? 可愛い女は男装させるに限るんだ。

カ:もちろん脱いでもオッケーってか(笑)。いつかツィイー脱がせてくれよな。あの子たぶん乳輪は小さいと思うんだよ。こないだ「ドリーマーズ」ってベルトルッチの映画見たら、エヴァ・グリーンって若い子が可愛いんだけど乳輪デカくてさぁ…あれじゃ立たねえよ(笑)。

イ:そう言われたって…どうしてやる事もできないからオレも困るけどな(笑)。

カ:で、話戻るけど、あの冒頭のツィイーの踊りも素晴らしかったよな。踊りだけでスペクタクルや見せ場にするってのは、なかなか出来る事じゃないよな。

イ:あの子は元々踊りやってた子だからね。それをぜひとも見せたかった。

カ:だけどツィイーが入浴してる時に、金城が物音立てながら彼女を安心させるくだりって…オマエあれって「グリーン・デスティニー」のパクりじゃねえかよ。

イ:おっ、分かったかい(笑)?

カ:分かるに決まってるだろうが。それだけじゃねえぞ。さっきのチクチクついででもう一つ言えばだ、やたら出てくる竹林があるわな(笑)。

イ:何だよそれは(笑)。

カ:もちろん竹林は「侠女」とかのキン・フー映画のパクりだ。それより何よりアンディ・ラウに内通者をやらせるってのは…オマエ、露骨にインファナル・アフェアのイタダキじゃねえか(笑)。思わず見てて笑っちゃったけど、あれってわざとやってるんじゃねえか?

イ:さぁ、どうだかね(笑)。

カ:オマエは確かに「HERO/英雄」でも黒澤パクりをやってたが、あれはオマエなりの消化したカタチで出してたよな。ところが今度のパクりって、ほとんど「まんま」出してるような気がするんだよな。

イ:要はさ、面白ければいいじゃん…って事でさ。

カ:そりゃあそうだが…何だかオマエらしくねえな

イ:でも、今回は「始皇帝暗殺」のセットは使わなかったぜ(笑)。

カ:分かったよ(笑)。ちゃんと「牡丹坊」のどデカいセットを自前でつくってたよな。大したもんだ…って、バカヤロー! テメエでセットつくるのが当たり前なんだよ(笑)。だが、確かにあれには惚れ惚れしちゃったぜ。そして「鼓打ちの舞い」みたいなオリジナリティーある見せ場もつくってる。なのになぁ…何でわざわざミエミエの「まんま」パクりをこれ見よがしに入れてるのか分からないんだ。あれって何かの挑発なのか? だが…そうだとすると万事ソツのないオマエらしくないんだよなぁ。

イ:まぁ、いいじゃねえか。何でもアリって事で。

カ:それだ、その言い草が何だかオマエらしくない。大体、今回のお話だけど…いろんな部分で無理に無理を重ねてないか? あんなに面倒なやり方までして金城をおびき出すのも妙って言えば妙だし、他にもいろいろ強引なところがあるよな

イ:強引ねぇ、そうかね?…まぁ、そうだろうな(笑)。

カ:その言い草…どうも気に入らないねえな(笑)。そもそも、エンディングにキャスリーン・バトルの英語の歌なんか入れたのがオマエらしくないぜ。

イ:何でだい? いい歌じゃん。

カ:だってオマエ、これって中国の時代劇じゃん。そこに英語の歌なんてミスマッチは、前のオマエなら絶対に許さなかったぞ。例え商業主義を最優先にしたと言っても、オマエらしくないんだよな。考えがあってやったとしか思えない。

イ:う〜ん。まずさ、この映画ってすでに衣装と音楽は日本人使って、ロケ地はウクライナだ。CGはアメリカに発注したし、ポスト・プロダクションはオーストラリアなわけ。オープニングとエンディングのクレジットを見ろよ。中国語と英語の併記だぜ。もうこれだけクロスオーバーしているんだ。今さら英語の歌ぐらいでガタガタ言ったって意味ないよ。別に拒む気はなかったね。

カ:そういや、もう一つ気になる事があるんだ。確かにどの場面も色彩効果が考え抜かれていて、さすがにイーモウらしい素晴らしさだ。だが、今回は妙に場面つなぎがラフな事が気になった。

イ:ああ。そうだろうな。

カ:紅葉の森から竹林へ抜けるあたりの唐突さなんか、その最たるものだよな。途中でミエミエのマット・ペインティングを使って、森が終わって竹林に入る場所をわざとらしく見せたりしていたが、あんなモロの合成特撮をかつてのイーモウだったら絶対にやりっこない。おまけに秋の原野がたちまち雪の野原だ。これもCGを使っていたが、不自然さは免れない。

イ:あれは突然雪が降り出したから、仕方なかったんだよ。

カ:それでもかつてのイーモウだったらやらない。やってももっと自然に見せる努力をする。あんなわざとらしくCGでつないだりはしなかったはずだ。乱暴なくらい強引なつなぎ方だったよな。

イ:だって、それが作品の傷にはなるまい。そんな事より大事な事が他にあるだろうが。オレはもうそんなチマチマした事でガタガタ言いたくはないわけ。

カ:何言ってやがるんだ、さっきはチマチマといちいち椅子とかトロフィーを拭いてたくせに(笑)。

イ:まぁ、あれは長年の性分だからねぇ(笑)。…っていうか、オマエがだらしなさ過ぎるんだよ(笑)。だが、ともかく映画に関してはそういう気分になってるんだわな。もっと大らかにダイナミックにいきたいわけよ。

カ:そういう事一つ一つが、すごくオマエにしては「らしくない」気がするんだよな。結構いいかげんでガサツで俗っぽいのがオレ、バクチ好きでヤマっけがあってケレンが好きで、バカな事でも勢いでやっちゃうのがオレだ。それに引き替え…ハッキリ言ってデリケートで神経質って言えばオマエだったじゃない。絶対にハズさないのもオマエ。そして処世術に長けて計算づくで世渡り上手って言ったらオマエじゃなかったか。

イ:おいおいおい、そいつはちょっと違うな。確かにそういう面もなきにしもあらずだ。だがそればっかりじゃないだろう。「紅いコーリャン」(1987)を思い出してくれよ。あのダイナミックさだってオレだと思うだろう? オレにだって元々はああいう面があるんだよ。

カ:それにしちゃあ今までは万事用意周到ってのはどういう訳だい。そこらへんが分からねえな。

イ:分からねえか? …じゃあ言わせてもらうがな。オレは親父が国民党の人間だったって事で、ガキの頃からえらく苦労させられた。そのせいとばっかり言う気はないが、そんな辛酸なめさせられれば人間誰しも用意周到にもなるんじゃないか。計算づくにもなるだろう?

カ:(沈黙してしまう。)

イ:まぁ、オマエに不満ブチまけても仕方ねえわな。だけどオレがここまで生きていくには、処世術も必要なものだったんだ。それをしないで生きていける人間は、幸せってもんなんだよ。

カ:それじゃあ聞くが、今回の映画にあちこち見受けられるラフさってのは、何か意図的なものだと考えていいのか?

イ:もちろんだ。オレは自分の望むもの以外は、決して映画の中に入れはしないよ。

カ:そいつをぜひ聞かせてもらおうじゃねえか。

 

2004年8月30日午前4時30分

イ:オマエこの映画の後半部分をどう思った?

カ:あの騙し合いとドンデン返しか? 面白かったよ。それに恋愛の例え話としても興味深かったね。騙し騙され、真実かと思えば偽り、偽りの中に真実あり…。イーモウがいかにコン・リーに高い授業料を払ったかが如実に伺えて感銘があった(笑)。

イ:やかましいわ(笑)。だが、コン・リーのことはともかくとして…その通りだよ。まやかしから始まっても、マコトに取って代わる事もある。ずっと思い続けていても、わずか数日間の偶然に負けてしまう事もある。まことに恋愛というものは、予測不可能で矛盾していて、我々の想像を超えたものなんだ。

カ:分かった! そこでオマエはコン・リーより若くてピチピチしたチャン・ツィイーとだな…。

イ:最後まで聞けって(笑)。ともかくそれって損得勘定や理性では計り知れなくて、あらゆる予定やら計算を度外視してしまう。だからこそ…人間らしいとは言えないか?

カ:あぁ、それは全部オレの管轄だよ。オレのバクチ人生そのものだ。その言葉をそっくりそのままオマエに返してやりたいね(笑)。

イ:口の減らない奴だな(笑)。…ともかくそういう色恋沙汰って、予想を覆すダイナミックなパワーがあるんだ。だから、社会のシステムとか秩序とかお題目やらルールやらナントカ主義とかを、根こそぎ覆すおそれもある。でも…そもそもそういった杓子定規なシステムやら秩序やらお題目やらルールやら主義とかって、常に正しいんだろうか? それっていつも守らなくてはいけないんだろうか?

カ:あぁ…そうか、そうか、そうか…分かったぞ! そんな事よりも、そこからハミ出す人間らしさが大事じゃないかって言いたいんだろ?

イ:その通り! オレは元々そういう事を考えてもいたんだ。だから昔、「紅いコーリャン」をつくったに違いないんだ。あそこにあった野太いエネルギーやダイナミックさって、絶対オレの中のそういう気持ちだって分かったんだよね。

カ:だがオマエは、あの後でどんどん箱庭みたいにチマッとした映画をつくっていくよな?

イ:それは…確かに国際映画祭などで認められていくうちに、オレ自身が自分を見失うところもあったように思うんだよ。元々美しいモノが好きだったから、美学的な方向に溺れもした。アートな映画をつくる方が認められやすかったからね。守るべきモノが知らず知らずのうちに出来ちゃったって事もあるんだろうな。…でもそれじゃマズイって事は、お互いずっと思ってきただろう?

カ:そうだったよな(笑)。そこでお互い何とかそんな枠みたいなものを飛び越える、大衆的な映画をつくろうとした。それが「始皇帝暗殺」と「上海ルージュ」(1995)でどちらもブザマにとん挫した事は、この前の対談でしゃべった通りだ。そして…そうか! オマエにとっては不幸な「活きる」事件が起きた。中国共産党から睨まれるって事件が起きた。

イ:オレにとっては、やっぱり昔の悪夢の再現だったんだと思うんだよね。オレはまずます用心するようになった。オマエはいろいろ言ってたけど、オレがますますチマチマした映画をつくっていったのは、そんな訳だと思っているんだよ。

カ:でも、オマエはやっぱりこれじゃマズイと模索したんだよな。そうか、オマエの「紅いコーリャン」以後って、そういう葛藤の中にあった訳なんだよな。

イ:うん。そして黒澤をテコにして、黒澤の胸を借りるような案配で、スターもたっぷり使って誰にも文句を言わせないようにして「HERO/英雄」をつくった。あれはオレなりのそうした葛藤の総決算だったわけ。

カ:あぁ、確かにそうだったんじゃないの? 確かにそうじゃないかと思うよ。

イ:ウソつけ(笑)! オマエはあの後で始皇帝の扱いが問題だと批判したじゃねえか(笑)。

カ:まぁな(笑)。オマエと対抗しているオレの立場としちゃ、そう言うしかないわな。それが適切じゃないと分かっていても、言わなきゃならない事だってあるんだよ(笑)。

イ:何も気にせず本音で大胆にやるのがオマエじゃないか。そういうオマエを押し通して欲しいよな(笑)。…まぁともかく、あの作品で独裁者・始皇帝を容認したと言われたのは、正直言ってちょっと傷ついたよ。オレそんなつもりじゃなかったんだから。それとは逆だったんだからね。権力者はもっと下々の事を考えてマツリゴトをしろって言いたかったんだ。でも、それって人々にはなかなか届かなかった。それが何とも残念だったんだよね。…そんな時に「HERO/英雄」を見たカイコーに「紅いコーリャン」みたいだって言われて…。

カ:そうだったっけかな。

イ:正確には「紅いコーリャン・フルスロットル」とか訳の分からんことを言われたがね(笑)。だが、これって処女作への回帰じゃないかと言われてハッとした。そうか、オレがなぜチマチマ路線じゃ駄目だ、もっと大衆に届く映画をつくらなければ…と思っていたか。そのナゾが解けた気がしたからね。

カ:ただ、「紅いコーリャン」と比べりゃ洗練の度合いが格段に違っているけどな。

イ:そこなんだ。洗練ってのはいい事でもあるが、どこか気取ってるとも言える。それだけチマチマしているという事でもある。方向としては「紅いコーリャン」の側に向いたのは正解だったが、まだあの野太いパワーやらダイナミックさには欠けていたんじゃないだろうか? そもそも始皇帝への思いが観客に届きにくかったのだって、そのへんの問答無用の力強さに欠けていたからじゃないのか?

カ:小便ぶっかけたらうまい酒になっちゃうとか…なるほど、ムチャクチャではあるよな(笑)。

イ:「HERO/英雄」はそういう強引さには欠けているだろう? ちょっとお利口さん過ぎるんだ。お上品過ぎる。それじゃ、まだ不十分だと思った。だから今回のこの映画をつくったんだ。

カ:ははぁ、そうか! だから今回クソ気取ったカメラのクリストファー・ドイルを切ったんだな(笑)。イーモウ、よくやった。オレもあいつは最近目に余ってたんだ(笑)。

イ:いやぁ(絶句)…別にそういうわけじゃないんだけどね(笑)。

カ:そういうわけだろうが(笑)。最近あの野郎がシャシャリ出る映画はロクなものにならねえ。浅野忠信が出たタイ映画なんてひでえシロモノだったぜ。大体が、あのお高くとまったウォン・カーウァイなんかとツルんでいるような奴がだな…。

イ:金城だってツルんでたぜ(笑)。まぁ、今度カーウァイの映画に出て、ツィイーがあいつから変な事吹き込まれなきゃいいと思ってるけどさ(笑)。

カ:いやいや、それ以上何も言わんでいい(笑)。…で、今回は男女の仲のダイナミックなパワーを借りて、理屈抜きでいこうって訳か。映画のつくり方もラフで力強くて勢いを尊重したつくりで。多少つなぎが粗っぽかろうが理屈が合わなかろうが構わないってか。そういや「HERO/英雄」のアクションってのは華麗な舞踏というかバレエみたいなものだったが、今回のは結構危なかったり怖かったりしたよな。痛そうだし血も出るし。

イ:そうだよ。キレイごとじゃないんだ。整った美しさや調和みたいなものじゃない。危なくて予測不能で、ケガしそうな怖さがある。

カ:撮影現場も予測不能だったみたいだしな(笑)。秋の原野にいきなり雪が降ったりした。

イ:でも、それもアリだと思った。いきなりで不自然だろうが構わない。オレは、この映画はそれが正解だと思ったんだ。だから「まんま」やった。いきなり雪を降らせちゃったのさ。

カ:用意周到なオマエが、あえて今回は予測不能で粗っぽい方向転換をしたわけか。

イ:この映画にアニタ・ムイを出そうとしてたのは、オマエも知っているだろう? だけど彼女は撮影中に亡くなった。その時、オレは思ったよ。物事計算通りにいくわけじゃない。計算通りいけばいいってもんでもない。もう細かい事にチマチマ思い煩うのはよそうってね。

カ:人生も予測不能ってことか。確かにそりゃそうだわな。そんな中で、細かい事をチマチマ考えても意味はない。

イ:予測不能って言うなら、お話が後半ドンデン返しの応酬になるのもそれなんだ。ダマしダマされ、しかもダマしたつもりが思い通りいかなかったり、自分の気持ちが自分を裏切ったりする。バランスやら調和はないけれど、そっちの方がダイナミックだ。恋愛みたいにね。

カ:そして…それはシステムとかルールとか主義とか、下手したら社会全体を覆しかねないパワーだよな?

イ:(思わず口をつぐんで沈黙。)

カ:ハハハハ!…それがオマエの言いたかった事か。そうだろう!

イ:女のためなら城が傾こうが国が傾こうが構わない…。それが人間本来の姿じゃないかい?

カ:そうそう。それって日本語で「チ●コマ●コ」って言うの覚えててるか(笑)?

イ:忘れたよ、そんなの(笑)。で、そんな人間本来のパワーを、「紅いコーリャン」の持っていた野太いダイナミズムで再現したかったわけ。

カ:はいはいはいはい! オマエの「まんま」パクりはもう一つあったわ! オマエは自分のパクりをやっていた。あの野っ原のど真ん中で金城とツィイーが一発やるよな(笑)。

イ:「一発」って…(笑)。

カ:あの場面の撮り方って…「紅いコーリャン」のコン・リーとチアン・ウェンのそれとソックリじゃないか。

イ:まぁ、そう思ってくれても問題ないよ。

カ:そうか、そうだよ。その「まんま」だよ。それにそもそも…屋外での自然の中でのセックスって事自体が、もうどこか秩序を覆してる。何よりプリミティブでパワフルでダイナミックだ。生命力の原点みたいなもんだ。実際オモテでやるとムラムラくるよな。すごいんだよ、オレなんか中学生以来初めて石みたいにカチンカチンにさ…こんなだよ(笑)?

イ:どんなだよ(笑)。…でも、こうは言える。「枠」って人間がつくったものなのに、いつの間にか人間を抑え込むものになってる。それはおかしいんだよ。なのに人は「枠」の方を大事にしようとする。でも、それをやったら理想は失われるんだ。「枠」が本当に正しいものかどうかを確かめもせずに、ただ守ろうとするのはナンセンスだ。そんなモノ度外視したりぶっ壊したりする事が、時には必要なんだよね。その時に必要なのが、ワイルドなパワーなんだ。

カ:金城が言うよな、「どこにも属さずに風のように生きよう」って。あれはそういう「枠」の否定だよな。実はこうありたい…という、オマエの決意表明だったんだ。

イ:ああ、そうだよ。そして、みんなにもそう考えるようになって欲しい。…だがアンディ・ラウは残念ながらそれが出来ない。風のように生きる事なんて容認出来ない。システムを大事にしてしまう。だからこの映画では、アンディ・ラウが愛に敗れ去ってしまうんだ。

カ:しかし…ハハハハ!…そういうことだったのか。

イ:(カイコーを見つめたまま黙る。)

カ:北京オリンピックねぇ…。オマエまんまとお上を手玉にとった訳か(笑)。

イ:いや、オリンピックは本気で応援しているよ。中国人全体にとってじゃ良いことだと思ってるからね。でも、お偉いさんたちのためかと聞かれれば、それはノーだ

カ:オマエがここで言ってるのは、これってお上やら国家の否定じゃねえか。オレはオマエらのいいようにはならねえぞって宣言じゃないか。こりゃあ確かに痛快だ(笑)。マイケル・ムーアなんかよりずっとしたたかだよオマエは。

イ:そこはそれ、中国四千年ってことで(笑)。

カ:ハッハッハ! そうでなくっちゃな。オレはオマエを見損なっていたぜ。ただしな…。

 

2004年8月30日午前5時

 パチン!…と音がして、チェン・カイコーがテレコのスイッチを止めた。それまで笑っていた彼の表情が、アッという間に冷徹に変わる。

 「決して油断しちゃならねえぞ…」

 チェン・カイコーはチャン・イーモウを見つめながら、深刻な表情を緩めない。「この映画にこんなタイトルを付けたとこ見ると、オマエだってそれが分かっているはずだ」

 「『十面埋伏』(『LOVERS/謀』の原題)…。それは中国だってアメリカだって、世界のどこの国だって同じだよ」とチャン・イーモウはニヤリと笑う。「どこで誰が何を企んでるか分からないしな」

 「ならば、こんな話をみだりにするな。例え相手が誰であってもな」と、チェン・カイコーは眼力鋭いままに声を潜めて続ける。「このオレだって、いつオマエの寝首かくか分からねえんだぞ」

 「そんな計算高い事が出来るタマかよ。映画しか能がないくせに」と笑いながらチャン・イーモウは立ち上がると、部屋の壁狭しと貼り出された自作映画のポスターを見つめた。「菊豆」(1990)、「紅夢」(1991)、「秋菊の物語」(1992)、あの子を探して(1999)、初恋のきた道(2000)、至福のとき(2002)…そこには世界各国、さまざまなデザイン、さまざまな言語で書かれたポスターがある。それら一枚一枚を見つめながら、イーモウは自分に言い聞かせるように語り始めた。

 「オマエもオレも、ただシコシコと映画をつくるしかないんだ。自分の映画がを多くの人に見てもらえたおかげで、オレもここまでやってこれたからな。『活きる』の時だって、あれでカンヌのパルムドールを取らなければオレは危なかった。あの時、心底痛感したよ。映画は多くの人に見られてナンボだ…ってな。やっぱり本来は大衆映画をつくる事こそ、映画本来のあり方じゃないかってね。映画は多くの人に見られて初めて、映画本来の力を出すんだ。頭でっかちな一部のサロンや書斎の連中だとか映画マニアだとかギョーカイ気取りの奴らだとかにモテはやされたって、そんなシロモノはすぐに消えちまうよ。そんなひ弱なモノにはもう関心がないんだ。だからオレはチマッとした事はどうでもいい、可愛い女が出てきて派手なアクションがあって、絵がキレイな映画…みんなに喜んでもらえる映画をつくろうとしたんだ。この『十面埋伏』…『LOVERS/謀』がそうさ。…それさえオマエに分かってもらえればいいんだよ」

 ふとチャン・イーモウが振り向くと、もうそこにはチェン・カイコーの姿はいなかった。テレコから抜かれたカセットはテープをパッケージから長く引き出され、クシャクシャにちぎられてその場に捨てられていた。ガラス張りの大きな窓は開かれ、庭からは早朝の風が勢いよく吹き込む。その澄んで爽やかな風が、カイコーの残したメモをイーモウの足下へと吹き寄せて来た。

 メモを見たイーモウの口元がわずかに緩む。確かに彼の真摯な思いは、長年の好敵手に伝わったはずだ。メモにはこう書いてあった…。

 「とどまらざること風の如し」

 

 

 

 

 

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