「華氏911」

  Fahrenheit 9/11

 (2004/09/06)


できれば、ニール・ヤングの「ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」(アルバム「フリーダム」収録)を聞きながらお読みください。

 

 

それは僕の腰を退かせる温度

 「ボーリング・フォー・コロンバイン」の時には「なぜ見ないのか?」と何度も聞かれて閉口した。理由を言えば上記の通りだが、説明するのが面倒くさい。どうせ偏見云々をガタガタ言われるのがオチだからイヤになる。映画の上映が終わるまで、僕はただ肩をすくめているだけだった(笑)。 永遠のモータウン感想文・2004年6月24日)

 

F:ということで、5位の「ボーリング・フォー・コロンバイン」。

junk:これ、去年のベストワンですね。映画ってやっぱり時代モノっていうか、時期ってあると思います。その時にしか出来ないモノってのは、きっと今までもたくさん生まれてるんだろうけど。そういう意味ではそれの最高峰かなって思ってるんですね。

F:さっき別の話で色褪せるモノもあるって事出てましたけど、映画ってアップトゥデートな良さってのもありますよね。

j:これはやっぱり、これほど見た後にいろいろ話をしたくなった映画ってないと思うんですよ。私が見た中で一番…見た人といろいろ話をした映画はこれだと思うんですよ。見てる人が周り多かったですからね。

F:最近ですけど「10ミニッツ・オールダー」の中で、スパイク・リーがブッシュとゴアの大統領選の内幕について、10分だけどやってるんですね。あれはメチャクチャ面白くてね。これとも相通じるところがあるかもしれない。そういうジャーナリスティックなネタを娯楽…娯楽って言ったら変なんだけど、そういう風にしているみたいですね。

j:あ、ご覧になってないんですか?

F:僕は見てないです。

j:あ、珍しいですねぇ(笑)。

F:ま、混んじゃっててねぇ。

j:混んでましたよねぇ。恵比寿でまずやってて、恵比寿の1と2両方でやったんですよ。

F:あそこはどうもダメでねぇ。

j:私もあんまり好きじゃないの(笑)。

F:いや、従業員の人はいいんですけど(笑)。映画館がどうしても行きづらいんですよ。

j:気持ちは分かります。でも、あれ新宿でもかかってましたよ。

(当サイト5周年記念企画KILL F」・junkさんとの対談<2004年1月31日収録>より)

 

 そう、僕はあの大ヒット作「ボーリング・フォー・コロンバイン」を見なかった。見ようとした時もあったが、混んでいた事もあって足が遠のいた。だから、混んでいて見れなかったということには何らウソはない。ただ、イマイチ見たい気がしなかったのもまた事実だ。結局そのまま見ないで終わったのだから、やっぱり見たくはなかったのだろう。その自分なりの理由もある。試しにその理由のいくつかを、ここで挙げてみよう。

 

理由その1・ドキュメンタリー作品に関心が薄いから

 これは上記した「永遠のモータウン」感想文に書いた通り。そのまま引用する。

 僕は元々あまりドキュメンタリー映画には関心がないのだ。いや、キライという訳ではない。ただ、映画館にお金を払って見に行くものではないと思っている。なぜか昔からそうだったんだよね。テレビでやってたら見るよ。というより、ドキュメンタリー作品は好きなジャンルだ。だけどお金を出して、時間をやりくりしてまで映画館で見ようとは思わない。それは単に好みの問題だ。 永遠のモータウン感想文・2004年6月24日)

理由その2・盲信的な支持を得ていたから

 僕はこの映画の好評を、思想的な理由から苦々しく思っていた訳ではない。僕は銃規制に反対でもないし(日本人だからね)、チャールトン・ヘストンの熱狂的ファンでもない。そういう意味ではこの映画の言わんとしている事に文句などないのだ。

 だが、この映画に対する圧倒的な世間の支持ぶりには…さすがにちょっと驚いたよ。

 それも「支持」なんてちょっとやそっとのもんじゃない。面白かった、考えさせられた、良かった…程度のモノならいざ知らず、「あれが真実だ!」とか盲信的に持ち上げる声が少なくなかった。これってねぇ…。

 僕は元々、あまりに圧倒的に人々が支持するものには、どうしたって胡散臭い目を向けてしまう。

 ミニスカートが流行るとかヘソ出しが受けるとか、「世界の中心で、愛をさけぶ」がヒットするとかいう事ならいいよ。ヌードが全部ヘアヌードになるのも大変結構だ。逆に男性週刊誌からヌードを一掃すると言うなら、それでも別に構わない。だけど政治的な事は同列では考えられない。みんながみんなまるっきり何か一色に染まるって事は、どこか変なんだよ。

 

理由その3・マイケル・ムーアその人に引っ掛かったから

 上記と絡むが、圧倒的な支持の中にはマイケル・ムーアその人を持ち上げるものも少なくなかった。その中には勢い余って、マイケル・ムーアの言っている事が何から何まで正しい、あるいは人格的にも申し分ない人物、これぞ「正義の味方」…みたいなまるっきり無批判な「個人崇拝」もどきのものまであった。たかが映画一本見たくらいで、この人物の「人間性」まで分かるまい。それって完全に冷静さを欠いているよね。逆に人格的に問題があったっていい映画はつくるだろう。困った奴だって、マトモな事も言うだろう。政治的意見が正しいこともあるだろう、例えスカトロだとしてもさ(笑)。

 例え映画を見なくても、マイケル・ムーアその人の言動は耳に入ってくる。そうやって聞こえてくるこの男ってのは、どうにも受け狙いのハッタリ屋くさい。言ってる主張そのものは頷けなくもないが、それにしてはスタンドプレーが目立ちすぎだ。それがどうにも気になる。パフォーマンスが目に余るのだ。

 仮にムーアが映画人でなく政治的な人物だと考えるなら、「個人崇拝」的な持ち上げ方はなおさらオカシイ。一方的に祭り上げるなんて変だ。何だか金正日じゃあるまいし。あと、最初の頃の小泉某とかね。就任当初の異常なまでの支持率は、どう考えてもオカシかった。

 そもそもイマドキ圧倒的に賞賛を受ける人物、あるいは一部の人間からでも絶対的な支持を受ける人物なんて、宗教の教祖みたいなものだ。それって極端な話、麻原を祭り上げるようなものだ。こういうのは怖いよ。

 閑話休題。僕はマイケル・ムーアに対して、もう一つ個人的に感じるところがあった。以下は再び引用。

 あともう一つ「ボーリング〜」については見たくない理由があった。マイケル・ムーアは世の中のメイン・ストリームからハズれて何かを問題提起する人みたいだよね。それはゲリラ的とも言える行為だろう。だが、それがこうも持てはやされたら、もうゲリラとは言えないんじゃないか? ああいう人がゲリラ的立場から物言うのはいいことだと思うが、それが偉くなっちゃったらシャレにならないんじゃないか?永遠のモータウン感想文・2004年6月24日)

理由その4・批判できない雰囲気だから

 一番イヤなのは、まったく異議を唱えられない雰囲気が漂う事だ。この「ボーリング〜」だって下手にどこかの掲示板で批判でもしたものなら、たちまち僕は「チャールトン・ヘストン側」「ライフル協会側」の人間にされかねなかった。仮に映画の批判をしたつもりでも、ヘタをすると政治的意見表明をしたことになりそうだった。思ってもいない意見に組み込まれてしまいそうなムードだったもんねぇ。

 そんなのばっかじゃないとは分かっているよ。大半は冷静な評価を下していたと信じたい。でも、どう考えても行きすぎてる感じもあったんだよね。

 人間は政治や思想の事になると目が見えなくなる。あとは宗教と贔屓のプロ野球チームの事となるとね(笑)。もう一つあった、それはセックスだ(笑)。

 僕はそういう、一方的な意見が全体を支配してしまう状況ってのは、一番イヤなんだよね。例えその意見が正しくてもイヤだ。自由な批判の出来ない場って、どこか歪んでいるからね。

 

理由その5・表現の問題にあまりに鈍感だから

 映画の評価は思想とは別物…とは、なかなか考えにくい事ではある。実際問題として、それはどうしても関わって来てしまう事だろう。

 それでも作品の完成度と思想の善し悪しとは、分けて考えなければ不毛な事になりかねない。思想的にどうあれ、KKKを正当化したD・W・グリフィスの「国民の創生」(1915)は映画史に残る金字塔だし、ナチのオリンピックを美化したレニ・リーフェンシュタールの「美の祭典」「民族の祭典」(1938)は傑作だ。まぁ…これも「映画史的には」という担保があることは百も承知で僕は言ってるよ。一番突飛な例を挙げているんだからね。

 だから僕は逆の意味で、そこで主張されるテーマが正しい…あるいは好ましいからと言って、その映画の出来が素晴らしいとは思わない。いい事を言っていても、ダメな映画はダメなのだ。

 たぶん「ボーリング・フォー・コロンバイン」はよく出来た映画なのだろうと思う。だけど、ホメている意見のうちかなりのモノが、映画の出来とは違う次元でホメているように思うんだよね。マイケル・ムーアにシンパ的に賛同しているようにしか思えなかった。それはそれでいいのだけれど、それを100パーセント映画の評価とイコールみたいに言うのはいかがなものだろうか? もちろん映画への評価なり感想なりというものが、少なからずそれに引っ張られてしまう事は承知の上で…だ。それでもどこかで立ち止まってみる事が必要じゃないか。ひょっとして映画の出来映えでなく主張に賛同しているだけかもしれない…僕らは政治的作品に接する時に、そういう疑いのカケラぐらいは持つべきではないだろうか。

 そんなのどうだっていい…と、人は思うかもしれない。メッセージを放つための映画なら、そのメッセージが賛同に価いするなら作品だって評価出来るというものだ…と。だが、そこには落とし穴がある。そこで考えを止めてしまってはいけないと思うのだ。

 それは、逆の事を考えてみればよく分かる。

 それって、映画が心地よく素晴らしかったから、そこに流れる思想まで正しく思えてしまう…という事につながりかねない。これはとんでもない事だと思わないか?

 「まさか」ってみんな思うよね。でも何かが起きる時ってのは、その「まさか」が「マコト」になるんだよ。だからその危険性への自覚は、誰もが常に持っているべきだと思うんだよね。

 

 だから僕は最終的に見る気をなくしていた。見なければ、最初から論議に巻き込まれずに済むだろうしね。そもそもアメリカの銃規制の話だ。これに積極的に荷担する必要もないはずだろう。

 じゃあ、何でそんな事を言っていた僕がなぜ「華氏911」は見に行くのだ…と問われたら、僕はこう言うしかないな。まずは「華氏911」というタイトルが気に入った。日本の配給会社が付けた「それは自由が燃える温度」っていう宣伝コピーはもっと気に入っているけどね。もう一つ理由を言えば下記の通り。

 …まぁ、むしろカンヌまでいっちゃったら、偉くなっちゃったマイケル・ムーアがどうするのか見てみたい気はしてるんだけどね(笑)。こうなっちゃたら逆に見たい。 永遠のモータウン感想文・2004年6月24日)

 もちろん、もう銃規制の問題とは違う。ブッシュと地続きのところに、わが日本の宰相もいる。わが自衛隊はイラクに駐留している。もうそれは否応なしに僕らの問題なのだ。これが見るべき最大の理由だ…と言えば、ご理解いただけるだろうか。

 もちろん、「面白そうな映画」特有の臭いがプンプンしていた事も否定出来ないね。

 

それは先入観が無心を凌駕する温度

 

かなり楽しみにしてます 映画館主・F - 2004/08/17(Tue) 16:42 No.5003

実は「ボーリング・フォー・コロンバイン」の時には、

世評の沸騰ぶりに少々退いてしまったところもありまして。

これぞ正義だ真実だ・・・みたいな過大評価は

本人も当惑するのでは・・・と思って、

僕は見る気が気持ちが萎えたところもあるんですよ。

ただ、今回のはもうハッキリと報道やニュース的な事実を

描こうとしてない事が明らかになっているようですね。

現実素材を使用した意見表明である・・・と。

コレはコレで迫力があるならアリではないかと思います。

ただ、なかなか当分は劇場に近づけそうもないですね(笑)。

この映画と「誰も知らない」は混んじゃって大変でしょう。

 

 

早くみたい  映画館主・F -   2004/08/17(Tue) 22:10 No.5010   

 

まぁ、どんな映像表現でも作り手の意志が混入するのが

当たり前って言えば当たり前なんですが、

それでも例えばテレビのニュース映像やらドキュメント映画は

中立性やら事実性を求められますよね。

で、僕はまだ見てないのでしかとは言えないのですが、

「華氏911」はもはやいわゆるドキュメント作品でもない

事実映像を使ったエンターテインメント作品ではないかと

秘かに思っているんですよね。

(「娯楽」という言い方には語弊がありますが。)

だから、その手の批判は当たらないのではないか・・・と。

まずは実物に接しなくてはなりませんが(汗)。

 

 (いずれも当サイトBBS「他力本願寺」より)

 高まる話題。カンヌ映画祭パルムドール受賞、レオナルド・ディカプリオらセレブ大絶賛、全米大ヒット…早速実物に接した人たちからも、興奮の声が挙がってくる。そんな事前の押し寄せる波のような情報を、遮断したつもりになっても無駄だ。

 実はもう半分くらい見た気になっているのが、自分でも分かる。これは早々に見ない訳にはいくまい。こうしてついに、僕は「華氏911」上映の劇場へと足を運んだ。

 

それは記録と作品と意見の間にある温度

 その日、僕が帰宅したのは夜の10時過ぎ。ちょうど始まったテレビのニュースが、衝撃的な映像を伝えていた。ワールド・トレード・センター・ビルを2機目のハイジャック機が直撃し、爆発炎上する瞬間の映像だ。

 やがて何とペンタゴンも旅客機に直撃される。ワールド・トレード・センター・ビルが2本のタワーとも崩れ落ちる。信じられないような映像がリアル・タイムで送られてくるのを見るうち、これはとんでもないことが起きた…と、さすがにニブい僕でも震え上がったよ。 ロンドン・ドッグス感想文・2001年9月17日)

 この映画の主な内容ならびに主張は次の通り(ここには多分にマイケル・ムーアならびにFの主観が混在)。

●2000年の大統領選。ゴア対ブッシュの戦いは不透明なものだった。一時期はゴア優勢が確かに伝えられたはずなのに、あるメディアのブッシュ勝利の報を契機に形勢は逆転。それは常に保守的報道をするフォックス・ニュースだ。その背後には、ブッシュのさまざまな人脈が跋扈する。…ともかくもう手遅れだ、こんなしょうもない政権が発足してしまった。

●こんな灰色大統領だから船出も散々。支持率も低迷し、政権発足から死に体と言われる始末。勢いブッシュもやる気をなくして、釣りにゴルフに遊び放題。

●実はブッシュの元には、ビン・ラディンによるテロの危険性がハッキリと報告されていた。だが、それらはすべて無視された。

●そこに…あの「9・11」が起こってしまった…。

●その最中、ブッシュは小学校の視察。子どもに絵本を読んでやりながら、どうしていいのか完全に思考を停止してしまう。

●やがて全米で航空機は足止め。ところがそんな中、秘かに飛行機でアメリカ出国を認められた人々がいた。それはすべてサウジアラビア人…事もあろうにビン・ラディン一族の人間が多数混じっていた。何故に同時多発テロの主犯と目されるビン・ラディンの家族がフリーパスで出国できたのか?

●実はビン・ラディン一族とサウジのオイル・マネーは、ブッシュ父子と長年に渡る不可分の付き合いだったのだ。タリバンさえも長い目で見れば元はお友達。何しろ大金をもらっているんだ、自国民よりサウジのこいつらの方が大切な程だろう。

●ブッシュ政権はアメリカ全土にテロの恐怖を煽りながら、愛国者法なる基本的人権にも触れかねない法律を制定。テロへの戦いのためなら何でもアリの状況をつくり出す。ところが逆に予算削除のあおりを受けて、田舎の警備はガラガラ。これは矛盾以外の何者でもない。

●アメリカは「9・11」の報復でアフガンを攻撃するものの、とっくの昔にビン・ラディンがズラかった後。鎮圧した後にアメリカ主導でこしらえた政権は、毎度お馴染みアメリカの傀儡。

●しかも次には何だか分からない理由をデッチ挙げてイラクに侵攻。「イラク国民に自由をもたらす」と言いながら、女子どもまで含めて大量殺戮を実行。アッと言う間にイラクを征服してしまう。

●これにはメディアもこぞって参加。あのフォックス・ニュースはもちろん、他のメディアも一緒になって愛国キャンペーンをブチ上げた。

●ところが参加した米兵も最初こそ意気揚々だったが、あまりの現実にすぐに気持ちも荒む。おまけに内戦状態は一向に改善しない。常に恐怖に怯える日々だ。「イラクを解放しに行った」はずなのに、なぜこれほど嫌われているのか分からない。

●その頃アメリカ本土では、イラク復興を旗印にさまざまな企業が金儲けに余念がない。少しでも自分たちがうま味を得るために、あらゆる機会を虎視眈々と狙う。

●このようにイラク戦争は、お偉いさんがカネのためにウソで塗り固めた戦争なのだ。米兵が現地で起こしたさまざまな不祥事も、元はと言えばそこから起因するはずだ。ブッシュたちのモラルのなさが、下々の兵士たちのモラルの低さを生んでいる。

●しかもブッシュの目論みは甘かった。いまやイラクはベトナム化した。毎日毎日、米兵がどんどん死んでいる。死んで減ったら補充しなくてはならない。補充するには本土で勧誘しなくてはならない。

●こうして狙われるのは、繁栄から取り残された田舎町。この映画の監督マイケル・ムーアの故郷フリントもそんな町だ。元よりこうした町では、若者の大半が失業している。そこを軍のスカウトは狙うのだ。若者たちに選択の余地はない。

●そんな地方に住むある女性は、毎日国旗掲揚を欠かさないほどの愛国者だ。息子をはじめ一族には軍に入った者ばかり。もちろん反戦主義など大嫌い。ところがそんな彼女も、息子のイラクでの戦死で考え方を180度変える。意味のない戦いで殺されたとしたら、救いがないではないか。

●マイケル・ムーアはワシントンで議員たちに署名を迫る。それは彼らの子どもたちをイラクへ送ろうという署名だ。むろん、それに同意する議員などいない…。

 

それは政治的立場と作品への評価が錯綜する温度

 最初に告白しなければならないのは、僕がこの映画に結構乗せられてしまった…ということだ。

 これがすべて正しいとは言わないまでも、大衆の見る映画としては結構突っ込んでいる気がした。気持ちとして共感もある程度覚えたよ。

 だからこの文章を読む人は、それを考慮に入れた上で読んでいただきたい。しょせんは僕の鑑賞眼など知れたものだ。

 ハッキリ言って僕は元々ブッシュも嫌いだし、ブッシュが起こしたイラク戦争もナンセンスだと思うし、それに追随する小泉某もけしからんと思うし、日本が「有志連合」なんてシロモノに入っている事自体が嘆かわしい事だと思っている。

 だからこそ…僕が政治的意見でこの映画を好ましく思った可能性がないとは言えない。それを考慮に入れて読んで欲しいのだ。これは政治的にフェアな文章ではないからね。映画的にフェアでもない。

 ただ、僕はこの映画に過度に熱く入れ込むのはイヤだ。そして、さも分かったような顔をしながら皮肉や冷笑で接するのはもっとイヤだ。だからこの文章は他の人々が書くような、いわゆる感想文、レビュー、批評の類とはまったく違うものだと認識して欲しい。そこまであらかじめお断りした上で、この「華氏911」という映画に徐々に触れていく事にしよう。

 さて、まず事前に思っていた、純粋なドキュメンタリー作品とは言えない…という予想は当たっていた。

 というか、では「純粋なドキュメンタリー」って何なのだ?…と問われてしまうと答えに窮してしまうが、この映画は極めて分かりやすいカタチで、「厳格に中立性や正確性を守ってつくってはいない」…という事を見る者に知らせるようにはつくってある。

 テレビ番組「ドラグネット」の断片を挿入し、「捜査のイロハってのは本来はこうだろう」とお手本を見せてから、ご丁寧にビン・ラディン一族をアメリカから出国させてやった事の矛盾を指摘する。アフガン攻撃の場面には「荒野の七人」の勇ましいテーマ曲と西部劇もどきの画面を見せて、まるでカウボーイ・ヒーローのノリで戦争を実行したブッシュ一派のコッケイさを際だたせる。これは明らかに正当なドキュメンタリー映画の手法ではないだろう。むしろエンターテインメント映画のメソッドではないか。遊びほうけているブッシュのニュース映像に、ゴーゴーズの「バケーション」なんて脳天気な曲を流すのもご愛敬だ。

 また「自分たちの子どもをイラクへ送る」ための署名を集めるなんて、いかにもムーアらしい(…と僕が言っていいのかどうか分からないが)スタンドプレーを見せるところもある。このへんは好みが分かれるところだろうが、矛盾を突く意味で効果はあるだろう。

 その一方で、息子をイラクで亡くした女性をジックリ追った部分も出てくる。この映画の場合、思いっきりつくった部分とこうしたリアルな部分が混在しているからこそ、いろいろと論議も出てくるのだろう。

 それでも…僕はこの映画がかろうじてフェアな立場を保っていると言える。それはブッシュに対してフェアだと言う意味ではない。僕ら映画観客に対してフェアだと言う意味で…だ。

 「荒野の七人」「ドラグネット」が出てきたあたりで、これは完全な「事実」を並べた作品ではないと誰でも察しがつくだろう。一部の人間は頭に血を上らせて、反対者が「けしからん!」と言うのと同じくらいの激しさで「これが真実だ!」と叫ぶかもしれないが…それでも最低限のフェアネスは保たれている。

 それは、この作品が意見誘導をしていない…というフェアネスではない。「この作品は意見誘導をしている」…という事が、見ている人間にある程度分かるという意味でのフェアネスだ。

 もちろん、どんな作品でも「意見誘導」はしている。それがない作品などはない。

 ただ、「つくり」か「リアル」か…と言えば、この作品は明らかに「つくり」だ。「リアル」映像を使っているから一見そうは見えないかもしれないが、「リアル」そのものではない。それでも、「つくり」だよと自分で認めているところが見えるから、僕はフェアだと感じたのだ。

 今回マイケル・ムーアについても…個人的にこいつが好きになれるかどうかは別だが(笑)、一貫してこういう態度をとり続けているとしたら、これはかなり勇気があると言わざるを得ない。もちろん「資本主義の牙城」アメリカで生き延びているだけでなく、大きな成功を収めた男だ。したたかな処世術も身につけているだろうし、キレイごとだけでは語れまい。だからムーアは立派な人…なんて口が裂けても言わないが、やっぱりなかなか余人にマネの出来る事ではないよ。エンディングに流れるニール・ヤングの「ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」は、そんなムーア自身の一種の覚悟みたいなものを伺わせているように聞こえる。

 “自由な世界でロックし続けよう…。”

 それにしても…映画作品としたって、よくもまぁこれだけの映像を集めて来たものだ。その苦労は誰しも認めるだろう。

 そして、それらをどうつなげてどう見せるか…それによって映像はどんな意味を持つか。この映画を見ると、映画ってのは編集を中心にしたポスト・プロダクションがいかに大事か、いやというほど分かるよね。下院の議員が必死に抵抗しているにも関わらず、ブッシュ政権の誕生が決定づけられていくくだりの悲壮感たるや…。ただその時に撮った記録映像に過ぎないのに、バックに静かに悲痛な音楽を流してみると、まるでかつてのヒトラー政権樹立の瞬間を見ているような深刻さや劇的興奮を感じてしまう。

 それと同時に、映像がまったくウソをつけない瞬間も目撃できる。ブリトニー・スピアーズが「大統領を信じてる?」と問われた時の映像は、ハッキリ言ってこのタレントがまるっきり低脳なバカ娘であることをズバリと暴露している。あのインタビューの直前までクチャクチャとガムを噛んでいる下品な仕草が、何よりもそんな本性を露わにしてしまう。こりゃまったく残酷以外の何者でもない。

 まぁ、しかしブリトニーが露出狂の品性下劣娘だという事ぐらいは、誰でも日頃から薄々思っていることだ。

 だが次の瞬間には、「だけどあの時(イラク開戦)には、国民の誰もがブリトニーと同じだったよね」と返す刀でバッサリ。「ブリトニーってやっぱりバカだなぁ」と笑っていたアメリカ観客が、いきなり自分のノド元にその刃を突きつけられた時のドッキリ感はいかがなものだっただろう。このクールで鋭い切り口が、まことに鮮やかとしか言いようがないのだ。

 ともかく感心したのは、こんな真摯な問題を扱った作品にも関わらず、この映画がアメリカ映画伝統の「エンターテインメントの精神」に貫かれている事だ。あの手この手で面白おかしく見せようとする、お客への徹底的なサービス精神には頭が下がった。

 最初まったくのナンセンス・コメディ(「荒野の七人」「ドラグネット」のパロディからブッシュ自身の大ボケ・コメント、テロに備えてのヒステリックかつ無意味な人々の反応を扱った各種のテレビ映像などなど)として始まったこの映画が、イラク戦争勃発を境に一気に深刻で悲劇的なムードに転調するあたりの話術の巧みさにも感心したよ。脚本も構成も計算され尽くしている。

 問題の「9・11」描写など、画面を真っ暗にして激しい爆発音などで処理。画面が明るくなっても、ビルを映し出さない間接映像に終始。かえって起きてしまった惨事の酷さを実感させる。ここについては誰もがきっと指摘するだろうが、ドルビーデジタルの立体音響も冴え渡った、実に見事な「演出」だ

 だが…そんなムーアの「演出」を超えた部分で、「主演」のジョージ・W・ブッシュ自身のキャラそのものもスゴ過ぎる(笑)

 確かにブッシュとビン・ラディン一族のつながりやら、大統領選での票の操作云々は、ムーア一流の「つくり」かもしれない。同時多発テロの時に小学校の授業に参加していたブッシュのしょうもない姿も、ムーアのナレーションでその愚かさが「演出」されているのかもしれない。だが、あの「うつろな顔」だけは…どう考えてもムーアの演出じゃないだろう。あの「どうしていいか分からない」とでも言いたげな、世界最強アメリカ軍最高司令官の顔は…。

 時折挟み込まれるブッシュ自身の訳の分からんコメントも、ジョークで言っているとしか思えない。イラクでの激しい抵抗に対して「きっと占領されるのがイヤなんだろうな」…と語るとは、とても常人の神経では理解しかねる。ましてそこに、「その気持ちは分かるよ」…とまで付け加えるとは。道理で小泉“人生いろいろ”純一郎と気が合うわけだ

 これは…もちろんこうしたコメントを持ってきたところにムーアの意図はあるだろうが、コメント自体は決してつくったものではない。この映画を見応えのあるものにしている最大の要素は、ブッシュその人かもしれない(笑)。

 だが僕がもっとも感心したのは、最終的にこの映画はブッシュ批判、イラク戦争批判からも飛び越えようとしているところだ。

 ただの「ケナし」で終わっていれば、この映画の品位は大して高いものにはなっていなかっただろう。それだけのものでしかなかったはずだ。ハッキリ言って、マイケル・ムーアの自己顕示欲が鼻につくだけだったはず。

 実際そういう面がまるでないわけじゃない。だが今回はマイケル・ムーア自身が不思議と前面に出てこない。僕はもっと本人が出てくるかと思ったし、「ボーリング・フォー・コロンバイン」の時にはバリバリに出まくってたらしいね。だけど今回は彼はなぜか一歩退いている。それがムーア映画の押しつけがましさを、いくらかでも緩和しているのかもしれない。

 しかし今回の映画が一味違うのは、そんなところだけじゃない。実際にこの作品は、ブッシュのコキ下ろし映画では終わってはいないのだ。最後の最後に至って、いわゆる「告発映画」の域から少しづつハミ出していく。

 それは、「自由」に対する覚悟のようなものだ。

 社会を自由なものであり続けさせること、人が自由であり続けることの困難さを厳しく見据えつつ…それでも作者が「それをしぶとくやり通していくぞ」…と宣言する「決意表明」になっている。自由を守るための努力への連帯を、見ている者に呼びかけるメッセージになっている。これがあるからこそ、この映画は身を引き締めるような厳粛さを持つことが出来たのだ。

 “自由な世界でロックし続けよう…。”

 やっぱりこれは映画だ。100パーセント映画だよ。それもとびきりよく出来た劇映画だ。実際の記録映像のフッテージを利用しているだけで、その内容はズバリ劇映画と言っていい。ただ一つだけ念のために言っておくけど…ここでの僕の言葉遣いに疑問を感じたからと言って、「劇映画とは何か」みたいな映画についてのウンチクをたれるのはご勘弁願いたい。そんな事は僕も一応は分かっているつもりだし、そもそもそういう問題じゃないからね。

 そして、劇映画だって真っ当な主張が出来るってことは、みなさんもご承知の通りだと思う。

 

それは冷静な思考が燃え尽きる温度

 

F:結局のところ僕が行き着いたのは、完全な中道ってのはあり得ない…。

おたべ:うん、あり得ない。

F:で、どっちかって片一方ってのも絶対オカシイ。そもそも政治の話をする時に一番イヤなのが、セクトとかねイデオロギーの話になるのがね、すごくマズイんだって気がしている訳なんですよ。

お:いやぁ、うちの夫連れて来ましょうか(笑)。ヘルメットかぶってましたからね(爆笑)。

F:いやいやいや(笑)。僕自身がそこまで行き着けないのに、そこまでコミットするのは間違ってると思ったわけ。それと、普通の人がついていけないような…退かせちゃマズイだろうと。それよりも、政治ってのは…あなたと私…二人以上の人間がいる時に、お互いの間にある関係性とか緊張とか、そういったものなんだろうってところに持っていくしかないんですよ。

お:はいはいはい、分かる分かる。だからつまり、社会を成立させる最小単位としての…。

F:そうそう。そこでよりよい理想を追っていく時に、どっちか片方に寄るって話は絶対ないだろうって。その辺の妥協点を見出すシステムとして政治はあるだろうって。

お:うん。すげえすげえすげえ(笑)。

F:ただ人間としてはさ、カーッと言っちゃった方がさ、気持ちいいからね。

お:そりゃあそうですよ。旗色みたいなものを出したら、そりゃあやったぜってものがありますよ。

F:赤勝て白勝てってのがありますでしょう? 僕自身があまり理性的な人間じゃないから。

お:あたしもそうですよ。あたしはすごく感情的な人間だし。でもFさんは理性的…。

F:…じゃないですよ。どっちかと言うと、僕はいっちゃうとヒトラーみたいになっちゃいますよ(笑)。思想的な意味じゃなくて、カーッとなるという点でね。

お:アッハハハ!

F:で、それがイヤなのね。そうならないようにしようとしてる。…これどうやってまとめたらいいですかね(笑)。

(当サイト5周年記念企画KILL F」・おたべさんとの対談<2004年2月8日収録>より)

 

 僕はこの映画に対して、素直に面白いし素晴らしい出来映えだと言いたい。実際に見ている時にはドキドキしたし、最後まで面白く見たよ。

 そして言っている事にも賛同しよう。元々そう思っていたし、この映画を見てその気持ちは固まりこそすれ、今後も揺らぐとは思えない。

 ただし、得意げにこの映画を引き合いに出して、「これが真実だ!」といきり立つ事だけはしない。

 実際ここでマイケル・ムーアが挙げている「事実」のうち、どれだけの情報が本当に「事実」か分かったものではない。ただここで「事実」と提示されているものを、僕らは鵜呑みにするしかないのだ。だから「これが真実だ!」と熱くなって主張したらバカな事になってしまいかねない。

 例えばリアル映像でも、そこで語られているナレーションの内容とは違うモノである可能性は多分にある。細かい事を言えばキリがない。この映画が物議を醸しているのもそこだろう。

 それにこの映画って、ブッシュへの個人攻撃なのか正当な問題提起か…判然としない部分があまりに多い。しかもそれは意図的に混在されているんだよね。確かに胡散臭いと言えば胡散臭い。それは認めざるを得ないと思うよ。

 ただ、それは非難するに当たらない…と僕は思う。細かいそういう点を差っ引いたとしても、この映画の訴えているテーマが崩れる訳ではない。それはこの映画の大きな傷にはなり得ないと思うし、事実この作品は「つくり」だと分かる映画づくりをしている。その点については、僕が先に何度も述べた通りだ。

 だが…だからと言って近視眼的にモノを見たくはない。他の人にもそうして欲しくない。情報や言論ってのは、どうにでもなっちゃうものなんだ。それに乗せられて欲しくはない。むろん僕だってゴメンだ。だまされたくない。

 それが例え…マイケル・ムーアであっても、だまされたくはない。

 例えどんな立場、どんな意見の奴にだって、もうだまされたくはないのだ。ブッシュ側にだって反ブッシュにだって。小泉にだってそれ以外の連中にだって。そして…もうみなさんにもだまされて欲しくない。

 この世の中は、あまりに多くのウソに満たされ過ぎてしまった。

 だからこの文章を読んだあなたは、まずは文章そのものを疑うところから始めて欲しい。次に映画「華氏911」を疑って欲しい。何かに煽られたり乗せられたり…そんな事で物事を決めてはいけないのだ。熱に浮かされたような中で、雰囲気に飲まれてはいけないのだ。仮にどんな好ましい人物が言っても、それは疑う必要がある。もっともらしく見えても、真実とは限らない。口の立つヤツが言った事でも、必ず正しい訳じゃない。まずは自分の目で見て決めて欲しい。自分の頭で冷静に考えて判断して欲しいのだ。

 「華氏911」は、「自由が燃える温度」だと言う。だとしたら…それはあなたが自分の考えを止めるところから始まる。人の意見をそのまま無条件に受け容れた時、あなたの「自由」は死ぬのだ。

 決断力のある、毅然としたカッコいい指導者に引っ張っていってもらいたい…なんて、もう誰も二度と願わないで欲しい。そんな誤った幻想が、人から「自由」を奪ってしまう。誰かの意見を盲信することも、無批判な個人崇拝も、一方的で異議を唱えられない状況も、ムードに流されることも…みんなそうだ。実はマイケル・ムーア自身がそれを最もイヤがっているのではないか。もしムーアの主張が本気だったら、人がムーアを盲信する事など彼自身は望んではいまい。もし望んでいるとしたら、それこそ奴はニセモノだ

 人はいとも簡単に、大切な「自由」を自分から差し出してしまう。本当ならば、何もかもあなた自身が決めるべきではないか。自分の心と頭で考えてさえいれば、例え何があっても精神だけは「自由」だ。

 だから、まずは僕が書いたこの文章を疑う事から始めて欲しい。僕だけじゃない。どこの誰の感想文も評価も、一切無視して欲しい。どんなステキな事が書かれてもリッパな理屈が並べられても、文章の内容に定評があっても書いた奴がギョーカイに通じていても、すべてウソだと決めつけて結構だ。きっとそれは全部ウソだ。どれもこれもウソに決まっている。リッパに見えれば見えるほどウソに間違いない。漢字や熟語が多ければ多いほどウソだ。ひらがなカタカナが多くて親しみやすく見えればウソだ。何か意見を押しつけてくる奴は、どいつもこいつも薄汚いウソつきだ。まず僕自身がウソつきだ。そう思ってもらって構わない。

 だから自分で評価を決めていただきたい。

 それがあなたの「自由」というものだろう。何にも増してかけがえのない「自由」というものだろう。誰もが持っているべき「自由」というものだろう。それを僕らは決して手放してはいけないのだ。

 もし、僕らがまだ「自由」であるのならば。

 

 

 

 

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