「堕天使のパスポート」

  Dirty Pretty Things

 (2004/08/30)


  

見る前の予想

 あのアメリの…と言っても問題ないだろう。オドレイ・トトゥの新作が、スティーブン・フリアーズの映画だと聞いたのは大分前の事だった。

 実際「アメリ」みたいに強烈な役に、思いっきりハマって出てきたトトゥみたいな人は、その後が何と言ってもキツいよね。それまでがほとんど無名だったからなおさら。どうしたって「アメリ」イメージが抜けきれないかもしれない。あるいはイメージ・チェンジをしようとして無理をする。どっちも見ていて痛々しい事になりかねない。

 では、このトトゥの場合はどうかと言うと、その後に出た愛してる、愛してない…は、「アメリ」のイメージをうまく使って「アレレレレ」…と、まぁそこからはあまり言えないんだけど、ともかく巧みな作戦に出た。ところがあの役って、「アメリ」以前に決まってたんだって?

 その後、セドリック・クラピッシュのスパニッシュ・アパートメントもやって来たが、これも「アメリ」以前の作品。だから彼女の役も小さかった。

 …となると、実はトトゥというスター女優の今後は、まずこの作品を見なければ判断出来ないということになるではないか。しかも今回はフリアーズという国際的な監督の作品。そして初の英語作品だ。

 トトゥの国際女優としての試金石と言っても、過言ではないのではないか?

 

あらすじ

 ここはロンドン国際空港。たった今到着したばかりの男たちを乗せて、タクシーの運チャンとして働く一人の男がいる。彼の名はキウェテル・イジョフォー。彼はタクシー会社に戻ると同僚に免許を返し、もらった料金を上司に納める。そう、イジョフォーにはちゃんとした免許はない。そんなモノは取れない。なぜなら、彼はナイジェリアからの不法滞在者だから。

 ところがそんな彼に、上司はいきなり性病の相談だ。病んだ娼婦と遊んで、ウッカリ土産をもらってしまったと言う。そこでホトホト困り切った上司は、医学知識のあるイジョフォーに相談したわけ。そう…本国でのイジョフォーは、それなりの地位にある医者だった。それが今では、何の因果か不法タクシーの運チャン。

 いや、それだけではない。

 夜になったら、裏町にある安ホテルにご出勤。ここで夜勤のフロントマンに早変わりだ。ホテルでの仕事で夜通し起きて、昼間はタクシー。何とイジョフォーはまったく眠らない男だった。

 そんなフロントのイジョフォーの元に、娼婦のソフィー・オコネドーがやって来る。彼女はこのホテルの空き部屋を仕事場にしていて、ついさっきも一仕事終えたところだ。そんなオコネドーは、イジョフォーに気になる一言をつぶやいた。

 「510号室を片づけた方がいいわよ」

 彼女のアドバイスに従ったイジョフォーは、早速510号室を訪れる。案の定、ベッドもグシャグシャで部屋も汚い。さらにウンザリする事には、トイレからも水がザーザー溢れている。どうやら便器に何かが詰まっているらしい。仕方なくイジョフォーはハンガーを持ち出すと、便器の中に突っ込んで詰まりを取り除こうとしたのだが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何と、便器の奥から血が漂い出してきた!

 これにはイジョフォーも驚き、慌ててゴミ箱からビニール袋を取り出した。そのビニール袋を手袋代わりにして便器に手を突っ込んでみると…。

 中に詰まっていたのは、一個の心臓だ!

 確かにとんでもない事が起きている…真っ青になったイジョフォーは、心臓を持って控え室に戻ってきた。ちょうど早朝に出勤してきた上司セルジ・ロペスに、この事実を直訴。警察に通報しよう…と提案するが、不思議にロペスは慌ても驚きもしない。それどころか、警察に通報するなら自分でしろ…と脅しにかかる始末。どうやらロペスもこの件を知っていて、どこか後ろ暗いところがある様子だ。だがイジョフォーとて警察に電話できる状況ではない。結局この件についてはダンマリを決め込むしかないイジョフォーとしては、ロペスからの口封じのカネを受け取らない事だけが精一杯の抵抗だった。

 そんなイジョフォーは、今、ホテルの仕事での「同僚」オドレイ・トトゥとアパートで同居している。同居と言っても別に同棲している訳ではない。トルコからの難民であるトトゥは早朝から夕方までの出勤で部屋の掃除。イジョフォーは夜勤と完全にシフトが逆。だからほとんど顔を合わせる事すらない。しかもトトゥはベッド、イジョフォーはソファで寝る事になっており、おまけにイジョフォーは仕事仕事でほとんど眠りもしない。だから、いわゆる「同居」という言葉から想像されるような関係ではない。

 それでもトトゥは同僚の手前、イジョフォーとの「同居」は知られたくない。敬虔なイスラム信者の彼女としては、男との「同居」は人聞きが悪すぎた。さらには移民局の追及もある。難民であるトトゥには、誰かに部屋を貸す事が許されていないのだ

 それでも料理をつくったりして何かと優しく接するイジョフォーに、トトゥもまた心を許し始める。そんなトトゥには、彼女なりの夢があった。いつかこのロンドンからも抜け出して、ニューヨークへ行くこと。ニューヨークには従姉妹がいる。ニューヨークにさえ行けば、夢見ていた暮らしが出来るのだ。

 ところがそんなトトゥの夢は、突然の移民局職員のアパートへの乱入であっけなく打ち破られてしまう。部屋を他人に又貸ししている事、半年は就労出来ないのに働いている事…二つの罪の疑いで目をつけられた彼女は、シッポをつかまれたら即刻強制送還される身だ。幸いイジョフォーは未然に部屋から脱出。何とか捕まる事からは逃れられた。だがトトゥが目をつけられた事は間違いない。

 知り合いの中国難民ベネディクト・ウォンの勤める病院の霊安室に、何とか居場所を確保したイジョフォー。そんな彼がホテルの事務室にやって来ると、中東系の移民らしき男が血だらけで苦しんでいた。それを上司のロペスも見て見ぬふり。一体この血だらけの男は何者だ?

 実はこの男、英国のパスポートを手に入れるために、自らの腎臓を売ったと言うのだ。だが摘出手術の術後処理がズサンだったため、傷口が悪化してしまった…。そしてその摘出手術がこのホテル内の空き部屋で行われたと聞くや…イジョフォーはあの便器に詰まった心臓を想起せざるを得なかった。

 あれは、そんな「臓器売買」の痕跡だったのか…。

 ところが苦しむ男にイジョフォーが手際よく対応したのを見て、ロペス生来の悪知恵が働きだした。早速イジョフォーの「過去」を洗い出すロペス。彼が母国ナイジェリアで高名な外科医だった事を突き止めたロペスは、何とか自分の「臓器売買」ビジネスの片棒担がせようとチョッカイを出す。

 一方、トトゥへの移民局の追及はとどまるところを知らず、ついにはホテルにまで押しかけて来た。こうなると、ここではもう働けない。仕方なく縫製工場での仕事に移ったものの、ここにも移民局がやって来る始末。しかも工場の上司はトトゥが目をつけられている弱みにつけ込んで、彼女に性的な屈辱を強要する。トトゥにはもう我慢の限度を超えていた。

 ヤケになったあげく、思わずロペスの「臓器売買」の話に乗る気になるトトゥ。イジョフォーはそんな彼女を必死に止めるが、切羽詰まった彼女には選択の余地はなくなりつつあった。結局トトゥは性的暴行を繰り返す上司に抵抗。もはやどこにも居場所がなくなってしまう。イジョフォーはそんな彼女を必死に庇うが、ロペスの「臓器売買」ビジネスへの協力を拒んだため自分の尻にも火がつき始めた。

 自分のために奔走するイジョフォーに、いつしか思いを寄せるようになったトトゥ。だが、そんなトトゥの態度はイジョフォーを困惑させた。なぜか彼女に冷たい言葉を投げつけ、突き放してしまうイジョフォー。

 だが結局これがトトゥを、ロペスの元に走らせた。彼女は自分の腎臓摘出にオーケーを出したのだ。そしてホテルの一室に「客」として入った。

 やがてそんなトトゥの危機を知るイジョフォー。彼は愛するトトゥのため、一発大逆転、起死回生の大勝負に出る事を決意した

 イジョフォーが決意した、その一世一代の大勝負とは…?

 

つかみどころのない作家スティーブン・フリアーズ

 実はスティーブン・フリアーズって、僕にとってイマイチ作家としてのイメージの湧かない監督なんだよね。

 これだけ知られていて、ハリウッドでも仕事をしているのに…明らかにイギリス映画躍進の立役者の一人のはずなのに…どうしてもピンと来ない。そういや同じ英国の監督マイケル・ウィンターボトムといい勝負かもしれない。いやいや、ウィンターボトム以上だな。何となくどんな監督か…という「像」を結べない人なんだよね。

 それって言うのも、実は僕がフリアーズの映画をあまり見ていないせいかもしれない。

 恥ずかしながらこの僕は、フリアーズの「これ」という作品をことごとく見ていない。なぜそんな事になったのか分からないのだが、たまたま偶然に…としか言いようがない。ともかく僕は彼の出世作「マイ・ビューティフル・ランドレッド」(1985)も、アメリカ映画進出の「危険な関係」(1988)も見ていない。クセ者役者を揃えた「グリフターズ/詐欺師たち」(1990)も見ていない。どうしてこうなっちゃったのか分からないが、そんな困った巡り合わせになっちゃったわけ。

 で、いきなり見たのが「靴をなくした天使」(1992)だからねぇ。ダスティン・ホフマン、アンディ・ガルシア、ジーナ・デイビス…と、当時としちゃ豪華な顔合わせでハリウッドに招かれているんだから、いかに嘱望されていたか分かる。問題はこの映画なんだけどね…。

 いやぁ、これはちょっとつまんなかった

 何しろホフマンのキャラクターがまったく共感出来ない。何となくブツブツと文句ばかり言ってるイヤなヤツなんだよね。これだけで退いた。脚本選択眼では定評のあるホフマンとしては、おそらく「イシュタール」(1987)、「スフィア」(1998)に匹敵する失敗作ではないだろうか(笑)。

 ところが…この後でフリアーズは素晴らしい作品を撮るんだよね。それは、アイルランドを舞台にした「スナッパー」(1993)だ。

 この作品のどこがいいかをここで語るヒマはないが、アイルランドの庶民の家庭に巻き起こったてんやわんやを描いて何とも楽しい。ともかくスッカリ見直した。こんな笑って泣ける映画が撮れる人なんだ…と感心もした。で、大いにフリアーズを見る目が変わっての新作は…というと、ジュリア・ロバーツ主演の「ジキル&ハイド」(1996)。悪くはないけど…う〜ん。

 このおかげで…なのか、「ハイロー・カントリー」(1998)は再びパス。続くハイ・フィデリティ(2000)は、どちらかと言うとジョン・キューザック目当てで見たと言うべきだろう。そしたら、これは素晴らしかったんだよね。だが、次の「がんばれ、リアム」(2000)はまたしても見ていない。

 まぁ、ここまで振り返ってみて思うのは、僕とこの人の映画との相性の問題だ。

 ピッタシ合うと、これほど素晴らしい映画はないって程ハマる。ところが…たまたまかもしれないが、ダメなものはダメだったからね。何だか生理的に合わなかったみたいだ。だから僕はこの人の映画って、何か「付加価値」が加わらないと見たくならない。フリアーズ作品ってだけじゃ、どうも食指がそそらないのだ。今回だって「アメリ」のオドレイ・トトゥの初めての英語映画って来なけりゃ見たかどうか…。

 というのも、やっぱりフリアーズって作家としての全体像が見えにくいって事がありそうだ。

 すでに僕が見ている映画だけでも、ジャンルはあっちこっちいってるし肌合いもそれぞれ違う。ここに未見の作品を加えても…見ていないなりに感じる印象だけで、かなりそれぞれ様変わりしている感じなんだよね。

 つまりそれって言うのは、今回面白かったからといって次が面白い保証がない…って事にもつながる。だから僕はフリアーズ映画って、イマイチ信用が置けないって思っているんだろう。

 今回も、そんな映画作家としてのイメージを持てないまま見ている事をご容赦いただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは絶対に映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 そんなわけで僕は今回の作品について、これがフリアーズのフィルモグラフィーでどんな位置づけにあるのか…とか、これがフリアーズらしい作品なのか異色の作品なのか、一切アレコレ語る事は出来ない。まったく「フリアーズの」…というレッテルを度外視して語るしかないんだよね。

 そういう意味で見た場合…さらにはついでにオドレイ・トトゥの英語映画初挑戦なんて事もこっちへ置いて見た場合、この映画にはちょっと意外な印象を持ったんだよね。

 ロンドンの暗黒面…移民や難民の置かれた過酷な現実を、「臓器売買」という何ともグロテスクな側面から描く。確かにちょっとミステリアスで気色悪い味付けもあって、それだけなら興味もそそられないでもないが、何せ「移民」「難民」問題が絡んでいるからねぇ…。

 どう考えても、そして誰が考えても…みんなこの映画って「移民」「難民」問題にある程度シリアスに向き合った、いわゆる「社会派」ドラマだろうと身構えるに違いない。どうやったって、ある程度マジメに撮らない訳にはいくまい。そこで社会への抗議をブチ上げるに違いない。

 しかもこうしたロンドンの暗黒面、社会問題的な題材を扱った映画なら、どうしたってトコトン過酷でシビアーな展開を見せるだろう。見ていてツラくなるような、悲惨極まりない展開になるだろう。それがリアリズム、それが現実だと言わんばかりに、観客の気が滅入りそうな結論まで導かれるだろう。

 ところがこの映画、そんな見る前の予想を大きく裏切って…ほとんどそんなメッセージ臭は感じない。むしろ「娯楽映画」の王道を驀進する。実は見ていて面白い映画なのだ。

 もちろんシビアーな現実も描かれるし、主人公たちはツラい思いもする。だが、映画の基調となるものは、むしろ「面白さ」だ。この映画は常に「娯楽映画」であり続ける。

 主人公が真夜中のホテルのトイレで見つけたもの…そのショッキングな発見に始まって、主人公は少しづつロンドンの裏側へと肉迫していく。そして中盤あたりで不気味な真相にブチ当たる。そのあたりは、まさしくミステリーの味。ドキドキして物語の展開を心待ちにしちゃうコワ面白さだ。

 そんな中、われらがオドレイ・トトゥは、見事にトルコ女性を好演。アイラインの引き方とかメイクひとつで、こうもソレ風な雰囲気が出てくるもんなんだよね。舌っ足らずな英語も、今回ばかりはプラスに働いた。

 だが最も素晴らしいのは、何と言ってもナイジェリアから来た不法滞在者役キウェテル・イジョフォーだ。

 この人、スティーブン・スピルバーグの「アミスタッド」に出ていたらしいが、「アミスタッド」自体が僕にとって忘れたい作品(笑)だけに、この人の存在もまったく覚えていない。

 ところがこの男がいいんだよねぇ。訳アリで国を捨てたこの男…胸の内も語らず秘密も明かさず、睡眠も削ってひたすら働く寡黙な男。

 実はかつては高名な医者として活躍した事もある。国を捨てた理由もナニやらいわくありそうだ。そのせいか、こんな泥沼のような中でも自らの潔白さを失おうとしない。口封じやら袖の下やらを差し出されても、絶対に受け取らない。声高に何かを言おうとはしないが、決して自分は朱に染まらない…という固い決意が見え隠れする。睡眠をとらない事さえ何かの難行苦行のように見える、ただひたすら耐えに耐える彼なのだ。

 そんなこの男が、惚れた女のためならばここ一番…一世一代のカラダを張った勝負に賭ける。そこで彼は初めて、ビシッとキメた外科医としての「真の姿」を見せる。その姿こそ、まさにザ・プロフェッショナル。それは衛生上そうすべきだという以上に、最後の最後に自分の真の姿を女に見せよう、男としての「正装」で飾ろうという…主人公の意地とプライドみたいなものまで感じさせるのだ。

 金もいらない女も捨てた、オレの迷いも今捨てる。心根と同じまっさらな装いで、見せるぞ男の晴れ舞台…。

 そんな勝負どころでのメンコが一枚も二枚も違う男っぷりに、観客は惚れ惚れさせられてしまう。

 ラストで自分に惹かれているオンナの気持ちを察しつつ、彼女の夢の実現のために身を退くあたりの潔さはどうだ。どう考えても「男一匹」…任侠映画の主人公みたいなキャラじゃないか!

 この主人公を、イジョフォーはただ事じゃないヒロイズムで演じきる。最初は顔も知らないパッとしない黒人俳優ぐらいにしか見えないこの男が、映画のラストには惚れ惚れするような男らしさを見せて心に残る。とにかくカッコよすぎるぜ

 しかもこの映画、どんどん主人公たちがドツボに追い込まれていって…こりゃイヤ〜な結論になるんじゃないか…と思っていたら、とんでもないウルトラCに持ち込まれるのだ。いや〜、これには嬉しくなった。この作品って、シビアーな現実を扱った映画にも関わらず、観客をちゃんと楽しませる。そして最後にはちゃんとカタルシスまで用意している。これには驚いたよね。

 だからこの映画は、殺伐とした現実をリアリズムで描いた映画じゃない。そんなアクチュアルな題材は扱っていても、あくまで出来上がったのは娯楽映画。どんな題材を扱おうとも、骨の髄までお客を楽しませようとしている…そんなフリアーズの姿勢は「正しい」と僕は強く思うよ。

 そして映画を見た後も心に残るのは、やっぱり主人公の「男らしさ」だ。そう、ここで言う「堕天使」とは、本当は彼のことなんだよね。

 

見た後の付け足し

 この手の物語にありがちな「告発」的語り口は、ここではほとんど見られない。むろん彼らは搾取され、その上にロンドン=イギリスの繁栄があるんだから、確かに「告発」していると言えば「告発」してはいるんだろう。実際に「移民」「難民」たちはこの映画の中で、終始過酷な状況に置かれ続ける。だがそのあたりを、この映画は声高に絶叫しようとはしないのだ。イギリス人が悪いとか社会が悪いとも言わない。

 そもそもここに出てくるのは、みんなほとんどがイギリス人ではない

 ごくごく少数の登場人物を除いて、映画に出てくるのは外国人ばかり。つまり悪人が出てきても、それは外国人の中で搾取し、外国人の中で虐げている。だから一本調子な「告発」にはならない

 そもそも 「移民」「難民」問題というものは、一介の映画作家がここで早急に結論づけて、分かったような告発で片づけられるものでもないだろう。ひょっとしたら…まるで望ましい事ではないが、外国人労働者は「必要悪」かもしれない。それによって支えられているイギリス社会かもしれない。また取り締まりを厳しくしたら、訳あって不法滞在せざるを得ない外国人をかえって苦しめるだけかもしれない。かと言って取り締まりを緩めたら、法や制度を悪用して不法滞在する連中が急増するかもしれない。…そんなに簡単に問題を喝破できるものではないのだ。もしそれをしたら、この作品が「偽善」になるだけだろう。

 ただ…問題提起だけは必要だ

 誰もに関心を持ってもらい、考える機会を持ってもらう。そのキッカケとして、フリアーズが分かりやすく面白い娯楽映画をつくったのだったら、僕にもその意図は理解できる。

 そういやフリアーズの映画って、僕が気に入った作品はどれもこれも「黒白」ハッキリつけようとはしない映画だった。

 「スナッパー」では人には言えない相手の子どもを身ごもった娘と、娘をハラハラと心配する頑固な父親を、ほぼイーブンなポジションから見つめた。どちらにも入れ込まなければ冷笑もせず、ただただ微笑ましく見守っていた。娘が妊娠した事情にも、何の解釈も意見も挟まなかった。「ハイ・フィデリティ」だって、いい歳してオタクはいかがなものか…と描きながら、決してそれを裁いたりはしなかった。たった2〜3本で「作者の持ち味」云々を言うのはいささか難があるけれど、少なくとも僕が共感した作品に関しては、共通する何かがあるんじゃないだろうか

 考えるキッカケを与えるだけで、あとは面白い映画づくりに専念するフリアーズの姿勢は、僕にはとても好ましく思える。それは分をわきまえた態度だと思うんだよね。

 だって映画を見た後で考えるか否かは、あくまで観客の自由なんだから。

 

 

 

 

 

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