「歌え!ジャニス・ジョプリンのように」

  Janis et John (Janis and John)

 (2004/08/23)


  

見る前の予想

 日比谷の映画館の壁に大分前から貼ってあった「Janis et John」なる映画のポスターが、僕はずっと気になっていた。ポスターに描かれた二人を見れば一目瞭然。「ジャニスとジョン」とは、ジャニス・ジョプリンとジョン・レノンのことだろう。

 だが、なぜ「ジャニスとジョン」なのか? しかも、それも片方の(あまり似てない)ジョプリンを演じているのはマリー・トランティニャンではないか。なぜジョプリンとレノンでフランス映画なのか? ナゾは深まるばかり。

 いよいよ日本公開される運びになっても、全然話題になってないからどんな映画か分からない。分かったのはマリー・トランティニャンがこの映画の直後に急死したということだけだ。

 1960〜1970年代のロック・ミュージシャン…分けてもジョン・レノンあたりが絡む話なら見ない訳にはいくまい。ただ問題は…なぜかまったく盛り上がらないこの映画の話題と、ロックに関する映画らしいのになぜかフランス映画という一点のみ。

 

あらすじ

 保険会社の社員セルジ・ロペスは、ひどく苛立っていた。保険会社なんてのは詐欺師の集まり。自分だってそのおこぼれをちょっとばかり頂戴しようと思ってただけなのに…。

 実はロペスは風変わりな金持ちの老人ジャン=ルイ・トランティニャン氏から、彼の持つ高級車に保険を掛けることを依頼される。ところがこのトランティニャン氏ときたら、クルマに保険を掛けはするものの、もったいないから乗る気はない…とホザく男。それを聞いたロペスはこれ幸い…と、トランティニャン氏から保険の掛け金を頂戴する事にした。どうせ乗らないクルマなら、保険を掛けようと掛けまいと違いあるまい。

 ところが好事魔多し。なぜかクルマは盗み出され、事故って大破した

 早速保険金が支払われねばならないが、元より保険など掛かってはいない。「保険に掛かっていて良かった」などとトランティニャン氏が言うのを聞くに及んで、ロペスは頭を抱えるしかない。何しろ50万フランという大金だ。そんな金を調達出来るわけもあるまい。だが、これがバレたらロペスは刑務所行きだ。

 そんなロペスの妻マリー・トランティニャンは、平凡で退屈な暮らしに生きる気力も失っていた。何の喜びもない毎日の中で、彼女はババ臭く枯れようとしていた。だが、そんな彼女の思いをロペスは知る由もない。

 そんなある日、ロペスは実家の母親から、従兄弟のクリストフ・ランベールが100万フランの巨額の遺産を相続したと聞く。従兄弟…と聞いてもピンとは来ない。何せ1歳だ2歳だという幼い頃に会っただけの従兄弟だ。だがそのウワサだけは、ロペスも十分知っていた。

 クリストフ・ランベールはかつてロンドンに渡り、ヒッピー・ムーブメントにどっぷり浸かってしまった。それだけならまだしも、ドラッグに手を出してトリップし放題。ある日調子に乗ったランベールはドラッグを濫用し過ぎ、アッチの世界へ行ったまま帰って来れなくなったのだ。

 それは1973年のこと…ランベールはその時、なぜかジャニス・ジョプリンとジョン・レノンの姿を目撃した。彼らはこう言っていた。「またね」…と。

 すべてはトリップのなせる業なのだが、ランベールにはそれが現実。この日から、ジョプリンとレノンはアランベールの神聖にして犯すべからざるアイドルとなった。

 そんなランベールではあるが、100万フランの話は聞き捨てならない。かくしてロペスはそれまで音信不通だったランベールの家を訪ねてみることにした。

 ランベールの家…それはオンボロのレコード店「ストロベリー」だ。店内はアナログ・レコードばかり。それもジャニス・ジョプリンとジョン・レノンのレコードしか置いていない徹底ぶりだ。そんな店内に、世捨て人のようにランベールはいた。

 ランベールはまるで子どものように無防備な男で、ほとんど他人同然のロペスの訪問もまるで疑わない。それどころか、大喜びのあげくロペスにジョプリン&レノン・グッズをあげるほど。そんなランベールに何とか金の話を持ち出そうとするロペスだが、ランベールはジョプリンとレノンの事で頭が一杯で耳を貸さない。何しろ大金はたいてレノン暗殺の銃のレプリカを買い求めているくらいだから、ビョーキもここに極まった状態だ。

 だがこの訪問は、ロペスに強い印象を与えた。そして職場でジョプリンの写真を見ているうち、それが何となく妻のマリーに似ている事に気づく。良からぬ企みを思い付いたロペスは、早速自宅でマリーに頼み込む。

 金が要る。従兄弟が100万フラン持っていてジョプリンとレノンの妄信的ファンだ。うまく二人になりすまして、金を頂戴しよう…。

 最初は詐欺を働くなど真っ平…と抵抗したマリーだが、何せ夫ロペスが投獄されると言うなら話は別。おまけに夫から強く言われると、ロクに反論も出来ないマリーではあった。

 もちろん魂の抜け殻みたいなオバチャンのマリーには、ジャニス・ジョプリンだろうが何だろうがよく分からない。ともかく夫ロペスが一大事と頼み込んでくるなら…と、渋々受け入れるしかなかった。

 さて、今度はレノンの方だ。こういう時に便利なのが会社の顧客データベース。そこから俳優を検索して、見つけだしたのは現在失業中のクランソワ・クリュゼだ。これが自宅に呼んでみると…結構似ているではないか

 ただし…クリュゼはあくまでレノン役での映画出演というウソで連れてきたから、ここからが難しい。ともかく妻のマリー共々顔合わせをして、みんなでジョプリンとレノンのビデオを見て研究をしようと考えたロペスだが…。

 ジョプリンのビデオを見てたまげたマリーは、「あんなの出来ない!」と思わず激高。その場でこれが詐欺の企みである事を暴露してしまった。そうなれば今度はクリュゼが文句を言う番。すったもんだのあげく、結局はギャラの取り分を多くすることで決着を見た。

 さてビビっていきり立ったマリーではあるが、ジョプリンのビデオを見てからというもの心の中で何かが起き始めた。それまでの何もなかった暮らしに変化が起きるかもしれない。その晩、マリーはロペスにジョプリン役をやると宣言するが、それは彼女が積極的に何かをやろうと言い出した初めての事だった。

 ともかく衣装からしゃべり方から、用意万端整えた。事前にランベールの家に電話まで入れた。このジョプリンとレノンが「帰ってきた」という知らせに、ランベールは何の疑いもなく興奮。こりゃあ何とか出来るんじゃないかとその気になってきた。

 ともかく二人をランベールのレコード店「ストロベリー」に連れていくと、ランベールは子どものように大はしゃぎだ。まるで疑おうとしない。そんな彼に、ジャニス役のマリーは戻ってきた理由を告げた。「歌の力で平和を取り戻すために、この世界に戻ってきたの」

 ともかく初回は大成功。さすがにすぐにお金の話は出来なかったが、ランベールは乗って来た。三人は祝杯を挙げるためにレストランへ。だがロペスには気になる事があった。どうもレノン役クリュゼが妻マリーに馴れ馴れしい。嫉妬心を燃やしたロペスはクリュゼを三文役者扱いし始めた。これがクリュゼの役者としてのプライドを傷つけた事は言うまでもない。

 「オレはジョン・レノンだ。ホンモノのレノンだ。覚えておけ!」

 レストランでの派手な殴り合いの果て、レノン役クリュゼは去っていってしまった。こうなると、妻マリー演じるジョプリンだけで計画を進めねばならない…。

 さて翌日ランベールの元へ出かけて行ったマリーは、昨日のレノンが偽レノンだったと釈明。何とかその場を取り繕う。ところが店の奥の部屋に、何やらバンドの連中が集められているのにビックリ。ランベールはレコーディングを計画し、彼らをわざわざ集めていたのだ。そうは言ってもいきなり歌えないマリー。それでも「30年ぶり」だから…と忍耐強くやっていこうと励ますランベールだった。

 こうして連日のランベール宅訪問となったマリー。ロペスは早く金を手に入れたくて気が気ではなかったが、マリーもそうは簡単に金の話を持ち出せない。そもそもマリーはジョプリン役をやっているうちに生き生きしてきて、この芝居をやめたくなくなっていたのだった。だが、それはロペスにとって従順な主婦がいなくなる事を意味していた。もはやイライラも限界の彼は、この芝居をやめにする…と宣言する。それを聞いてはマリーも黙っていられない。

 「いまやジャニスは私の一部なの!」

 それでも強引に幕引きすると言い張ったロペス。この日を最後にするつもりでマリーをランベールの店に送りだしたが、そこにはとんだ招かれざる先客が来ていた。

 それはケンカ別れした、あのジョン・レノン役クリュゼだった!

 

見た後での感想

 映画のオープニングはなかなか快調。奔放なイメージと快調なテンポでスタートする。ちょっとフランス映画らしからぬ雰囲気さえある。例えて言えば、アメリカ映画アダプテーションにも似たスタイルとでも言うべきか。さまざまなイメージがコラージュされて、ユーモラスなコメントが語られる。そこにザ・フーのロック・ミュージックがガ〜ンと流れるあたりは…おおっ、こいつはひょっとして知られざる傑作かも…と思ったよね。

 そんな奔放さは前半で随所に見られ、この映画の展開を大いに期待させる。ともかくジョプリンとレノンの偽物をでっち上げる事になるくだりは実にご機嫌。実際にそこでのやりとりは笑えるんだよね。ジョプリンもレノンも英語で話すべきじゃないかとか、生きていないんだからドアを通り抜けるべきじゃないかとか、バカバカしいやりとりが楽しませてくれる。

 ところが…そこまでなんだよね

 つまらないケンカ別れで…その理由も観客をガッカリさせるに十分なのだが…ジョン・レノン役の男が物語から退場してしまう。そうすると、物語は俄然つまらなくなる。だって二つあった手駒が一つになっちゃったら、それだけでパワーが落ちるに決まってるだろう。

 しかも、この映画ってジョプリン(とレノン)をドーンと前面に立てていながら、実はそれを全く生かしていない。ここから先の展開では、わざわざジョプリンを出して来た事による笑いやら楽しさやらってのは全然ない。ジョプリンにちなんだディティールのギャグとか工夫もない。これってジョプリンである必然性があまり感じられないんだよね

 おまけにバンド・メンバーまで集めてきてレコーディングとなるのだが…マリーはかなり困ったはずなのに、そのあたりの描写はなぜか割愛されている。これでは、この映画って何を描こうとしているのか全く分からない。普通の主婦がジョプリンを演じる事の落差、ジョプリンならではのギャグ、素人なのにジョプリンとして歌わされるサスペンス…などと考え得る限りの面白そうな趣向が、ここでは一切無視されてしまう。

 その代わり映画が描いているのは、ただただ主婦マリーがジョプリンに成り代わった事で生き生きし始める様子…すなわち毎度お馴染み「女の旅立ち」だ。

 確かにそれはそれでいいのだけれど、その前にジョプリン絡みのお楽しみをやってこその「女の旅立ち」だろう。「いまやジャニスは私の一部」…とまで言わせておいて、そのジョプリンならではの趣向をまったく見せないのでは話にならない。彼女がジョプリンのどんなところに触発されたか、あるいはいかにジョプリンは平凡な主婦を挑発するほどのスゴさを持っているか…そこのところを描かなくては、ヒロイン・マリーの大変身ぶりにリアリティなんてないだろう。でなければ、つまんないオバサンがロックで浮かれたぐらいの意味しかない。

 だから「女の旅立ち」が、薄っぺらなモノにしか感じられない。案の定、マリーのそうした「自立」は、映画ではいささか凡庸なモノにしか見えないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも終盤に再度ジョン・レノン役の男が登場してきて話が急展開するのはいいが、これをランベールが銃で撃ってしまう。そこで慌てたマリーが亭主からも逃げ出すって段取りは、「女の旅立ち」ってよりも「都合の悪い事から逃げた」という無責任さにしか見えないんじゃないだろうか? ますますもってマリーの「女の旅立ち」は、つまらないものにしか見えなくなってしまう。

 あげく極めてご都合主義的にジャン=ルイ・トランティニャンが再度登場して、マジメくさった顔で人生を語るに至っては…。

 実はトランティニャンはレストランでの三人の大立ち回りに偶然居合わせて、事の次第を察してしまっていたという訳。で、最後に女房に逃げられたロペスの家に現れる。ここで何とも都合のいい事に、すべて水に流そうと言ってくれるのだ。軽妙で奔放で面白くてユニークな映画になりそうだったこの作品は、この時点で完璧と言っていいほど息の根を止められる。急に大まじめな顔をしてトランティニャンに「人間には愛が必要だ」などと言われても、そんな深刻な話だったのかよ…とダマされた気がしちゃうよね。おまけに無理やりツジツマ合わせした苦しい展開。

 最後だけは、夫婦愛の再確認みたいな話になるので何とか救われる。それでもいささか尻すぼみな印象は否めない。すごく面白そうでテンポもあって、何しろ設定が設定だから楽しくなるしかない…と思ってたのに…よりによって最もつまらなくなるような最悪の選択をしたって印象なんだよね。どうしてこうなってしまうのか?

 ジャニス役のマリー・トランティニャンは頑張ってはいるけど、所詮はジャニス・ジョプリンに全く似てないというのがツライ。むしろ序盤のオバチャンぶりの方が見ものかも。対するレノン役フランソワ・クリュゼは雰囲気出してるけど、長髪に丸メガネにすれば誰でもレノンになるか(笑)。特筆すべきはクリストフ・ランベールで、まったく何の疑いもなしにジョプリンに夢中になる彼は、今までの作品で見たどの彼よりも好感が持てた。おっかない顔ばかりしてないで、もっと無邪気な役をやった方がいいんじゃないか?

 マリーの亭主役セルジ・ロペスの俗物ぶりもなかなかだが…何とも痛かったのがジャン=ルイ・トランティニャン。大物のゲスト出演で御利益があるところなんだろうが、ハッキリ言ってこの人の深刻な顔はこの映画に合ってない。どうしても無理やりマリーとの父娘共演にしなけりゃならなかったのか。この人をここに持ってくる事からして、誤算だったとしか言いようがない。

 ちょっとキツすぎる言い方だったろうか…。まぁ僕自身、ジャニス・ジョプリンはともかくジョン・レノンにはそれなりに思い入れもあるしね。やっぱりこんな使われ方はもったいないと思うんだよ。

 

見た後の付け足し

 実在の人物で…しかもついこの前まで生きていた人、映像なども大量に残っている人物…となれば、そっくりさんはもうちょっと何とかしないとマズイんじゃないの? 確かにティナ・ターナーの伝記映画「ティナ」アンジェラ・バセットはターナー本人に似てなかったけど、あれは主役として演技力でカバーということも出来た。でも、ここでは最初から「そっくり」が前提だからねぇ。何だかんだ言って、その服装だけマネてるマリー・トランティニャンのジョプリン役はキツかったと思うよ。

 欲を言えば本当はレノン役だってそう。理想を言えばミリオンダラー・ホテルでのピーター・ストーメアが最高だろうか。あのストーメアは見た目も似てたが、一番スゴかったのは声としゃべり方。まさしく生き写しと言ってよかった。今後レノンの映画を撮るとすれば、ストーメアを起用するしかないね。

 そう考えてみると、似てないのにひょっとしたら…とまで思わせた、グレイスランドハーベイ・カイテルが演じたエルヴィスってのは、およそ奇跡的と言っていい捨て身の演技だったんだよねぇ。そういう意味で、僕は今回の「歌え!ジャニス・ジョプリンのように」にも、それと同等のモノを、知らず知らずのうちに期待しちゃったのかもしれない。ちょっと酷だったかもしれないね。

 それはさておき、マリーのあのジョプリン役の「似てなさ」…「似せようという気のなさ」といい、途中でレノンがアッサリいなくなってしまう事といい、「ジョプリンならでは」の趣向もエピソードも設定も工夫もない展開の仕方…などなどから考えると、監督・脚本のサミュエル・ベンシェトリはジャニス・ジョプリンにもジョン・レノンにも何の思い入れもなさそうだ。いや、そもそも彼らを知らないんじゃないだろうか? 百歩譲ってジャニス・ジョプリンには何らかの気持ちが入ってるかもしれないが、ジョン・レノンには全く何もなさそうだな。

 考えてみればジャニス・ジョプリンとジョン・レノンって、まったくつながりのない二人だからね。結びつけて考える奴なんていないよ。単に時代のアイコンって事だったんだろう。

 まぁ、いろいろ文句は言ったけど、結局僕はジョン・レノンが活躍しなかったからガッカリしたんだよね。ハッキリ言って作品の出来はどうでも良かった(笑)。ジョンをもっと出してくれれば、僕もあそこまでクソミソには言わなかったんだけどね、

 

 

 

 

 

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