「Mの物語」

  Histoire de Marie et Julien (The Story of Marie and Julien)

 (2004/08/16)


  

見る前の予想

 こんな映画の存在はまったく知らなかった。突然公開前にチラッと予告を見て、こりゃあ見なければと思ったわけだ。

 僕は「美しき諍い女」が好きだ。すごく共感した覚えがある。そのエマニュエル・ベアールとジャック・リヴェットのコンビがまた組むんだからね。

 しかも共演はイエジー・ラジヴィオヴィッチとくる。「大理石の男」の彼ではないか。久々のお目見えだ。ならば絶対に見なければ。

 ただし、実はジャック・リヴェット映画と聞くと、いささかの懸念もないわけではないが…。

 

あらすじ

 公園のベンチで居眠りこいてた中年男イエジー・ラジヴィオヴィッチは、ふと目を覚ますと一人の女が通りかかるのに気づいて声をかける。彼女エマニュエル・ベアールはかつてどこかで出会った女らしいが、それももはや一年ほど前のこと。それでもラジヴィオヴィッチには鮮烈な印象だったらしく、ヤケに馴れ馴れしく熱心に話しかける。ところがにこやかに話しているうち、いきなりベアールが包丁を振りかざしてきて…。

 ワッ…と驚くと、ラジヴィオヴィッチは酒場で居眠りこいているところ。慌てて金を払ってその場を出ると…これまた何たる偶然。ホンモノのエマニュエル・ベアールと出くわすではないか。いま、ちょうど君の夢を見ていたんだよ…などとまくし立てるが、さすがに包丁持ち出したとは言えないラジヴィオヴィッチ。ところが彼も彼女もちょうど訳アリで急いでいるようだった。そこで明日の3時に旧知のカフェで…とお約束。

 さてこんな夜中にラジヴィオヴィッチは何の用かと思えば、中年女アンヌ・ブロシュを呼び出し。何とラジヴィオヴィッチはとてもそんな柄には見えないが、彼女を何やらゆすっている様子。彼女は生地の買い付けの事業で儲けているようだが、中国シルクを偽造して売りさばいていたようだ。その偽造証明書のコピーをチラつかせ、金を払えと迫るラジヴィオヴィッチ。ただし、絶対自宅では会わない…というのがモットーだ。

 さてそんなラジヴィオヴィッチは、仕事場兼自宅の一軒家に住んでいた。同居しているのはネコ一匹。彼の仕事は古い時計の修理らしいが、最近では大きな時計台だの鐘楼だのの時計修理は断る優雅な仕事ぶりだ。

 さて翌日3時、喜び勇んで約束のカフェの待ち合わせに臨んだラジヴィオヴィッチだが、結局はスッポカシ。ガッカリして帰宅すると、そこにはあのゆすりの相手ブロシュが待っているではないか。

 ラジヴィオヴィッチがゆすりのタネに使っているのは、書類・人形・写真の三点セット。ところ彼女いわく、返してもらいたいブツはもうワン・アイテムあるという。そんな事は知ったことじゃない、おまけに女にすっぽかされたところで、自宅に来られたのも気分が悪い。そんなこんなでいきなり「10倍払え!」とムチャクチャな値上げを一方的に告げるラジヴィオヴィッチ。これにはさすがにブロシュも不満顔だ。

 ところがブロシュが帰った後で、またしても客がやって来る。何でまたこんなに千客万来なのか…と思えば、やって来たのはあのベアール。彼女はスッポカシの理由も弁解もしないままだが、ラジヴィオヴィッチは惚れた弱みか何も言わず。まぁ、問いつめたところで詫びの一つも言わないのが女というもの。その代わりベアールは、彼を自分の住まいに招待した。「住まい」と言ってもそれはホテルの一室。今のところホテルの家具付きの部屋を「自宅」としているとの説明だったが…。

 ともかくせっかくお招きに預かったのだ。今度こそ…と大喜びで訪ねるラジヴィオヴィッチ。するとホテルの一室で、ベアールは夕食の支度をして待っていた。

 ラジヴィオヴィッチが彼女と出会った時、彼には恋人がいた。今はちょうど都合のいいことに別れたところだ。すると、ベアールも恋人がいないとのこと。ただし彼女の恋人は死んだらしい。

 そんなこんなで夕食を終えた二人。そのままベッドになだれ込んだのは言うまでもない。

 ところが翌朝、ベアールは姿を消した。ホテルのフロントに聞いたら、何とチェックアウトして去ったと言うではないか。帰宅してみると自宅が荒らされているから二度ビックリ。ベアールはあのブロシュとグルだったのだろうか?

 ともかくゆすりのネタは無事だった。安心したラジヴィオヴィッチはベアールとの出会いのキッカケだった、ある出版社の知り合いに電話する。だがベアールはとっくに仕事を辞めて行方知れず。足取りはつかめない。ところがそんなラジヴィオヴィッチの足下を見るかのように、突然の電話がかかる。それは名前を名乗らない匿名の女からの電話。ベアールがあるホテルに泊まっているというタレ込みだ。一体誰がこの電話をかけてきたのか?

 ともかくそのホテルに駆けつけてみると、確かにそこにベアールはいた。だが実際のベアールを目の前にした時、ラジヴィオヴィッチはビビったのか色ボケしたのか、とんでもない提案をするではないか。「うちに来て一緒に暮らさないか?」

 一体何を考えているのかサッパリ分からないが、こうしてベアールはラジヴィオヴィッチの家に転がり込む事になった。

 こうなると連日連夜年甲斐もなくセックスに耽るラジヴィオヴィッチ。彼としては幸せの絶頂というところだろうか。ベアールは…と言えば、相変わらず何を考えているのか分からない。二階の狭い部屋にやたらご執心だったり、そこで突然何やらドイツ語の言葉を吐き出したり。このドイツ語のフレーズは、後でフランス語に訳してラジヴィオヴィッチの前でつぶやくという念の入れようだ。「アナタはワタシのもの、ワタシはアナタのもの」…もちろんベアールはそれが何であるか…どころか、そんな事を口走った事自体覚えていない

 そんなある日、ベアールは家に隠してあった例の「三点セット」を見つけてしまう。だがラジヴィオヴィッチは慌てず騒がずそれを説明するだけ。「これは中国シルクの偽造の証明書、これはゆすりの相手の女が写った写真、もう一人の女は誰だか知らない」…それを聞いたベアールも驚かないから不思議だ。

 こうした二人の蜜月が続いたある晩、ベアールは一人ベッドから起きて、何やらつぶやいていた。「二人の仲はもうすぐ終わってしまう。よくない事が起きてしまう」…。

 さて、例のブロシュへのゆすりを続けるラジヴィオヴィッチ。だがその「取り引き」の場に、自分ではなくベアールを行かせたのは何ゆえだろうか。ともかくベアールは何とか三分の一だけ金をつくってきたブロシュに、「三点セット」のうちの一つだけ渡した。そんなベアールに、ブロシュは盛んにつぶやく。「あなたは誰かに似ている」…。

 そんな「取り引き」の場から立ち去るベアールに、ある一人の若い女が駆け寄って何やらブツを手渡した。「これが役に立つわよ」

 それは「三点セット」のうちの一つ、ブロシュが写った写真の中に一緒に写っていた女だ!

 さて、帰宅したベアールはこの女に会った話をラジヴィオヴィッチに話し、手渡されたブツを見せた。それは一通の手紙だ。「親愛なるお姉さま」…それはブロシュが妹からもらった手紙だったのだ。ということは、あの写真に写ったもう一人の女は、ブロシュの妹だったのか。ともかく手紙によればこの姉妹は何かと折り合いが悪く、追い詰められた妹は死を選ぼうとしていた…。

 一方、その頃ブロシュの目の前には、妹であるベッティナ・キーその人が現れた。手紙の内容とは裏腹に、友好的に語り合う二人。だが、その会話はどこか不思議な雰囲気だ

 事態が奇妙さを増していく中、ラジヴィオヴィッチとベアールの関係もこじれてきた。ベアールが二階の部屋の内装をいじることに熱中してか、とにかく引きこもって出てこない。出てくるのはメシの時だけ。これにはさすがに頭に来るラジヴィオヴィッチだが、惚れた弱みで文句が言えないから情けない。女に文句を言うと二倍も三倍も返してくるから面倒だし、しまいにゃ泣くという汚い手段に出るからどうしようもない。それがイヤさに男は女に何も言わないのだ。情けないけどそれが男だから仕方がない。

 ようやく二階の部屋に入れてもらったラジヴィオヴィッチだが、それは別に何の変哲もない部屋だった。何をこんなに大騒ぎしてやっていたのか…いやいや、そんな女の自己満足をとやかく言うまい。まずはご機嫌とって何とか仲直り。一発やったらスッカリ関係改善と、単純に思っていたラジヴィオヴィッチだった。

 ところが最後の「取り引き」にラジヴィオヴィッチが出かけてみると、ブロシュが妙な事を言ってくるではないか。渡して欲しい「三点セット」以外のブツとは、彼女の妹の手紙だと言うのだ。

 そしてブロシュは、ラジヴィオヴィッチが思いもしない事を言い出すのだった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 確かに「美しき諍い女」(1991)は素晴らしかった。3時間を超える映画だったけど、僕はまったく退屈しなかったよね。そりゃエマニュエル・ベアールのヌードがあったからだろう…と言われるかもしれない。いつもならここは一つヤボは言いっこなしで、みんなが僕に期待している答えを言ってあげたい気もする。「そうそう、ヌードが絶品で」…ただし悪いけど、この作品では正直言って彼女のヌードってあまり刺激的には感じなかった。確かに映画の中では終始脱ぎっぱなしのベアールだが、そこで彼女がかなり無理な姿勢でポージングさせられている様子は、あまり興奮したり欲情したり出来るもんじゃない。ともかく僕がこの映画から感じたのは、「創作」というものが持つ鬼気迫るパワーとでも言うべきものだろう。強烈だったよね。

 次いで見たジャンヌ・ダルク二部作、「ジャンヌ/愛と自由の天使」「ジャンヌ/薔薇の十字架」(1994)も、ドキュメンタリー・タッチで説得力があった。神懸かりのジャンヌ・ダルクを神懸かりのまま描こうとせず、その理由が何だったのかもあえて保留して、とにかく「何かを信じた」女だったと描いたあたりが非凡だ。サンドリーヌ・ポネールの大熱演もスゴかった。

 ところがこれに味をしめて旧作に手を出したのがマズかったのか、リヴェット作品連続上映が行われた時にジェラルディン・チャップリンとジェーン・バーキンという「知っているスターも出ているから」…と見た「地に堕ちた愛」(1984)が…いやはや実に難行苦行だった。二人の女優が即興芝居を演じていく中で、虚実入り乱れていくお話…とくれば面白そうなもんなんだが、ハッキリ言ってかなり眠かった事しか覚えていない。

 旧作はダメか…と新作が公開されたので見に行った「パリでかくれんぼ」(1995)は、何とミュージカル仕立ての異色作だが、これまた面白かった記憶がない。というより、ほとんど内容を覚えていない。

 リヴェットってそもそもヌーヴェル・バーグの周辺にいた人らしくて、キャリアも古い。だけど何しろ寡作な人である上に日本公開作も少ないと来て、どうも縁遠い人って印象があるんだよね。しかも「美しき諍い女」、「ジャンヌ」二部作は見応えがあったけど、それ以外はちょっと…という感じ。だから今回の「Mの物語」も、ヤバイ予感はあったんだよね。

 元々この人の映画って、割とビックリするような事も起きないし、お話のリズムの緩急もあまりない淡々とした展開で進む。だからつまんないとなると、本当につまらない。ユルユルな話がダラダラとメリハリつかないで延々続く感じがするんだよね。いや、もちろん僕にその「良さ」が分からないくらいハイブロウなんだろうけどね。ただ、それが本当に理解出来る人っているんだろうか(笑)。

 さて、ではこの映画はどうだったか…と言えば…。

 まず、いきなり主役二人の出会いが描かれるが、あまりのわざとらしさにビックリ(笑)。「こりゃ奇遇ですなぁ」と笑っちゃいそうな程の偶然の出会いだ。まぁ、ここからしてリアリズムの話じゃないと察するべきなんだろうね。

 すると、突然ベアールが包丁持ち出してホラー映画モードに入るから、またしても驚く。結局「夢オチ」でした…という処理がされるから納得はするが、冒頭のコレにはビックリするよ。で、二度目の不自然なまでの奇遇は、このショックでいつの間にか中和されている。こうやって後で考えてみると、結構うまい手を使っているのかね?

 さらにはラジヴィオヴィッチがゆすりをする…というミステリアスな展開。こうしてこの映画の世界にどんどん引き込まれていく…。

 …はずなんだけどね。

 確かにこれだけ何か起きそうな要素がバラまかれたため、この映画は他のリヴェット作品よりも取っつきやすくなっていると思うよ。そしてあのベアールは誰なんだ、ラジヴィオヴィッチのゆすりは何の意味があるのだ…と、観客の頭は「?」で一杯になる。先がどうなるか、気になってしょうがなくなる。

 ところが映画は進行が遅い上に、主人公たちの心理がまるで分からない。何を考えているのか?…の連続。まどろっこしくてしょうがない。コレはちょっとタルい映画かもな…と、見ている者はみんな感じ始めるはずだ。

 実はこの映画、腑に落ちないと言えば腑に落ちない事だらけだ。

 まずはラジヴィオヴィッチがなぜゆすりなんかやってるのか? かなり特異な技術を持った時計職人の彼がどうしてゆすりをやっているのか、どうやってゆすりのネタを手に入れたのか、ゆすりをしてどうしようと言うのか? これって映画を最後まで見ても分からないんだよね。

 一時が万事。まんまと呼び出されてニャンニャンさせてもらって、いい気になっている間に家探しされたラジヴィオヴィッチ。だとすれば、ベアールに問いつめたり怒ったりするのがスジってもんだろう。それがいきなり「一緒に住もう」って、オマエ一体何を考えているのだ。それくらい女に色ボケしちゃったって事を描いているのか?

 コレが理解出来ない僕が、感性ニブいんですかねぇ(笑)?

 このあたりから中盤にかけては、正直言って展開ものろいし見ていてタルい。僕はいろいろ考えてて眠くはならなかったが、眠くなる人がいても不思議はないだろう。僕だって見ていてイライラしたよ。

 ただ、映画が後半に差し掛かったあたりで、「アレレレ…」っていう展開になっていくんだよね。途中から、「こりゃひょっとすると」…と思い始めてはいたが、まさかリヴェット映画にそんなモノが出てくるとは思わなかった。何だか歯がゆい言い方をして申しわけないが、ここではこうしか言えない。ともかく、ここで「おおっ」…とちょっと目が覚める思いがした事は事実だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは絶対に映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その前に、変な兆候は確かにあった。エマニュエル・ベアールが腕にキズを負っても血が出ないとかね。だけど…これってM・ナイト・シャマランの映画とかドリームワークスにリメイク権が売れた韓国映画じゃないもんね(笑)。まさかエマニュエル・ベアールが、すでに死んでしまった存在とは思わなかった。

 もっとも、この存在ってどう考えればいいんだろう? 幽霊というのともちょっと違うのか。そのへんが曖昧だから、これまたよく分からなくなるのだ。このあたり、正直言ってリヴェットはちょっとズルいよね。

 辻褄が合わないのはこれだけじゃなくて、そもそも最初に出てくる包丁振りかざすあたりなんか何の意味もない。アレって観客にショックを与える意味しかない。何だかTHREE/臨死」韓国篇とか箪笥撮ったキム・ジウンみたいに、イカサマくさい感じがプンプンしちゃうよね。ジャック・リヴェットとか「おフランス映画」なんて構えがあるから「ありがたい」気もするけど、やっぱりちょっといいかげんな映画って感じがするよ。お話の構成はガッタガタじゃないの?

 しかも、偶然にキム・ジウンと「箪笥」を引き合いに出したけど、これってモロに「箪笥」ネタじゃないか(笑)。そして映画のつくり方まで「箪笥」っぽい。出来上がりも何となく似ているしね、ガタガタなとこが(笑)。いやぁ、まだ「箪笥」の方がしっかりしてるかもしれない。

 あくまで意味ありげ、名匠ジャック・リヴェットってな感じの「ありがたさ」が全編漂っているし、あのダラダラとタルい展開も、そういう狙いの演出と丸め込まれればそう見えなくもない。だけど、少なくとも今回に限っては、この映画って壊れちゃってると思うよ

 結局ベアールが幽霊だからって、ラジヴィオヴィッチがゆすりをやってる必然性は一向に分からない。しかも彼はゆすりを断罪される訳でもない。実はゆすりに正当な理由があった訳でもない。ただゆすりっぱなし、金をとりっぱなし。なんじゃこりゃ?

 しかも、ベアールが幽霊らしい…と分かってからも、お話のテンポはまるっきり変わらない。だから真相はどうなんだ、これからどうなるんだ…と見ている側は気が急いてくるのに、映画はいつまで経ってもダラダラダラダラ。ホントにタルくなるんだよね。

 おまけにベアールが自殺したからって、何でラジヴィオヴィッチの前に幽霊として出てくるのか分からない。それがゆすりとどうシンクロしているのかも分からない。何だか行き当たりバッタリみたいなお話なんだよね。

 それでも何でも退屈せず最後まで見れたのは、やっぱりエマニュエル・ベアール、イエジー・ラジヴィオヴィッチというスターたちのおかげだろう。少なくとも僕はそうだ。みんな老けちゃったなぁ…と感慨に耽ってて、それで退屈せずに済んだのは否めない。

 ベアールも昔の美女ぶりからずいぶん変わっちゃったよね。またまた濡れ場で体当たりだけど、今回は彼女の顔ってカエルみたい…なんて事ばかり気になった。

 ラジヴィオヴィッチは本当にご無沙汰で、実は退屈しなかった最大の理由は彼かもしれない。アンジェイ・ワイダの「大理石の男」(1977)、続編「鉄の男」(1981)で主役を演じて注目された彼。その後、ゴダールの「パッション」(1982)ぐらいしか目にしなかったから、まだ頑張っているんだな…と感無量だったよね。

 そして「シラノ・ド・ベルジュラック」(1999)のロクサーヌ役で清楚なところを見せていたアンヌ・ブロシュが、早くもオバハンになっていたのにはショックを受けた。さらに、ワン・シーンではあるが「アメリカの伯父さん」(1980)、「愛と哀しみのボレロ」(1981)のニコール・ガルシアが久々に顔を見せているのも嬉しかったしね。それにしてもこのニコール・ガルシアの老けぶりにはショックながらもそんな歳だろうと納得もしたが、ここで彼女がわざわざ出てくる意味ってどこにあったのかねぇ?

 ともかく、映画の前半はラジヴィオヴィッチのゆすりを中心に「ゆすり」を巡るナゾで引っ張られ…その割に最後までその部分は何の説明も解決もないのだが…中盤からはベアールの幽霊話。これからこの話はどうなるんだ…ってことでまた引っ張られる。そんなこんなで何とかかんとか、最後まで見ていられるような訳だ

 それでも、まさかこんな展開になるとは…と、確かに一見の価値はあるけどね(笑)。

 

見た後の付け足し

 そんな訳で、決してこの映画を僕はホメたりはしないよ。ハッキリ言ってヘタくそな映画だと思う。やっぱりちょっと違うよな…って思うからね。それで僕の感性がニブいとか言うなら、どうぞ好きに言ってくれ。その代わり、僕が挙げた疑問にキッチリと反論していただきたい。反論できなきゃ黙っていてくれたまえ、シネフィル諸君。

 それでも僕は、これが最低な映画だったとは言わない。まずは退屈せずに見れた…とだけは言おう。何となく「変な」面白さはあるからね(笑)。

 映画は終盤にかけて、またしても意外な展開を見せる。この世ではベアールと結ばれない運命と悟ったラジヴィオヴィッチは、何と自殺を図ろうとする。それを阻止しようとしたベアールは、ラジヴィオヴィッチに「禁じ手」を使うんだよね。彼の心からベアールの記憶を奪ってしまう。そして目の前にいるベアール幽霊の姿を見えなくしてしまう。

 この「禁じ手」が傑作で、まるで仮面ライダーの「変・身!」というか、「なんとかレンジャー」みたいな戦隊ものの変身ポーズというか…エマニュエル・ベアールが大まじめな顔で、両手を顔の前にかざす奇妙な格好を見せるんだよね(笑)。あんなスター女優がいい歳こいてこんなバカなポーズをとる。「美しき諍い女」のどの大胆ポーズだって、これほど恥ずかしくはなかったんじゃないか(笑)? これ見ちゃったら、いくらジャック・リヴェットだろうが「おフランス映画」だろうが、そんなもったいつけた「ありがたみ」も一瞬にしてなくなるよ。大人のやる事じゃないもん(笑)。オレもあのシーン見て、この映画をマジで見ちゃいけないんだなって分かったよ。そして思わず笑いそうになった。…もっとも周りのお客さんは、クスリともせずに大真面目に見てたけどね。

 ともかくこの「禁じ手」を使って、ラジヴィオヴィッチの脳裏から自分の記憶を消し去ったベアール。ところが、いざ自分の存在を忘れ去られてみると、さすがにベアールも悲しい。そこでポロポロ涙がこぼれてきて…。

 まずはこの映画、あのリヴェットが「特殊メイク」を使った作品と言うことで、記憶にとどめていいんじゃないかと思うよ。そして…だからこの映画はそんな映画…「特殊メイク」を使うような作品だ。そう思っていれば間違いない。ここが結構、大事なポイントじゃないかと思うよ。

 驚くほどアッケラカンと終わったエンディング・クレジットには、なぜかスタンダード・ナンバーの「Our Day Will Come」が楽しげに流れる。そこからして、この映画はいわゆる「おフランス」なリヴェットのありがたいアート・シアター系映画じゃないと気づくべきだ。さらに驚くべきはハッピー・エンド…何とこの映画は、やり直しはきく、人間は変われる、リセットは出来る…と言いたいようなのだ。

 ミステリーの臭いがして、幽霊が出てきて、変身ポーズのあげく「特殊メイク」まで使って、スタンダード・ナンバーが流れるハッピーエンド…。

 そういやリヴェットって「パリでかくれんぼ」でミュージカルも試みていやがったよな。全然うまくいってなかったし楽しくもなかったけど(笑)。

 ひょっとしたら…リヴェットってアメリカ映画をやりたいんじゃないだろうか? これって意外にイイ線突いてるんじゃないかと思うんだけどね。

 

 

 

 

 to : Review 2004

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME