「箪笥」

  A Tale of Two Sisters

 (2004/08/09)


  

今回のマクラ

 ところでいきなりだけど、外国映画を日本で公開するときに時々つける「イメージ・ソング」って、映画にとってメリットがあるのだろうか?

 みなさんもご存じだよね、イメージ・ソング。古くは「ナイル殺人事件」に日本でデッチ挙げて付けた「ミステリー・ナイル」とか、ああいうやつ。実際に劇中に流れるわけじゃなくて、映画の予告編やらテレビCFの際に使用する。いろいろあったはずだけど、今となってはパッと思い出せない。そりゃどう考えても日陰の存在だから、思い出すわけはないわな。

 中には勇ましくも映画の中に割り込むものもあって、日本の配給会社が許可とって差し替えちゃったりする。最近じゃ007シリーズの「ワールド・オズ・ノット・イナフ」がエンディングでそれやってた。あれは大不評だったよね。まぁ確かにサメるわな。

 僕がその例で覚えているのは、ジョン・ミリアスの「ビッグ・ウェンズデー」。映画自体はミリアス代表作の一本(というより、記憶に値するのはこれと「風とライオン」しかないけどね)だけあって、シンミリ気分が横溢する青春映画の佳作。ところがこれのエンディングに、事件は起きてしまったのだ。日本の何とかいう歌手の「心に海を」なる日本語(!)の歌をここに流してしまった。これは見ものだったよ。

 観客はみな血気盛んな若者ばかり。映画に感激してじ〜んとしてたところに、いきなり「心に海を」だ。お客の反応は凄まじかった。みんな立ち上がって劇場の椅子を蹴り飛ばす。「ふざけんな、バカヤロー!」

 もちろん僕も若かったから、一緒になって椅子を蹴っ飛ばしたことは言うまでもない(笑)

 これは極端な例だけど、だから「イメージ・ソングって何なわけ?」…って思うんだよね。あれで映画が引き立っているとは思えない。大概が日本でデッチ挙げたインチキ・ポップスみたいなやつばかりだからね。こんなおかしな事をやるのって、おそらく日本だけだろう。

 何でそんな事を急に言い出すかと言うと、実は今回取り上げるこの韓国映画「箪笥」、やっぱりイメージ・ソングが付いているわけ。今回は「キャンペーン・ソング」と言ってるけどね。みなさんはもうご存じだろうか? セルタブとかいう女性歌手の歌う「ヒア・アイ・アム」なる歌だ。実は予告編でコレが流れた時、明らかに映画用に作られた曲でない事がアリアリで、僕はイヤな予感がしたんだね。

 実はセルタブなる女性歌手、何と珍しくもトルコの歌手らしい。タトゥーを破ってユーロヴィジョン・コンテストで優勝…とあるが、そこにタトゥーが引き合いに出されてしまうあたり、何となくうそ寒くなってしまうのはお気の毒。ともあれその歌手の日本での売り出しとこの映画の宣伝を、タイアップでやろうとこういう訳だ。でも、どっちもそれじゃ可哀想じゃないのかね。そんな一山いくら扱いしちゃってさ。

 実はこの「箪笥」の公開初日に僕は劇場へ行ったんだけど、第一回上映だけは避けた。なぜなら舞台挨拶があったから

 僕ってこの舞台挨拶ってのにあまり興味がない。いや、別にキライじゃないんだよ。サインとかもらえたら、ミーハーに嬉しい。でも、そのために混むなら別に見なくてもいい。そのためにわざわざ並んでまで見たくない。

 それに宣伝のための舞台挨拶って、時々見ていてイタくていたたまれなくなる事があったりする。くっだらない質問なんかされちゃって。わざわざ呼ばれた監督や俳優さんが、気の毒でたまらなくなったりする。だから、何となく避けて通ってしまうんだよね。

 今回も僕は、おそらくあのトルコの女性歌手セルタブが呼ばれて、映画の主演者とワンセットで挨拶すると察したんだよね。それって見ていて何となく困っちゃったりしないか? だから挨拶は避けて見に行った。わざわざ第二回上映を狙って行ったわけ。ところが劇場前に並んだところ、第二回上映のお客も先着20名まで舞台挨拶を見せると言うではないか。ならば僕も腹をくくるまでだ。配られた「箪笥」ウチワをパタパタしながら、僕はじっと順番を待っていた。

 第一回上映が終わって劇場内に誘導されると、中にはマスコミのカメラマンたちがひしめいていた。携帯で写真でも撮ってやろうかと思ったが、司会の人は「(素人は)写真を撮るな」と言っていた。それに僕のすぐ隣りには、配給のコムストックの担当者らしきネエチャンが怖い顔をして立っていた。顔はすごく可愛いんだけど、いかにも全身から「アタシはギョーカイ人よ」と言わんばかりのオーラを発散してる。携帯でも持ち出そうものなら、「このトーシローが!」と罵倒されそうだ。他のお客は平気で携帯で撮ってたけど、僕はそのネエチャン怖さに撮らずにジッとしていたんだね。ただし、もう一回言うけど彼女の顔はすごく可愛かった(笑)。

 で、やっぱり思った通り。

 主役の女の子二人に挟まれるかたちで、わざわざトルコから来たセルタブが出てきた。可憐で清楚な韓国の女の子二人の間で、ヘソ出して堂々たる貫禄のセルタブは浮きまくっていた。何より終始ご機嫌のセルタブはともかく、主役の女の子は当惑しているのがアリアリ。事前に説明は受けただろうけど、何でこのトルコの歌手がここにいるのか、まったく納得出来なかったろうねぇ。質問はもちろんセルタブにも飛んだけど、この映画の事なんか答えられる訳もない。結局、キャンペーン・ソングはどういう歌なのかと聞かれて、「ヒューマン・リレーションシップ」に関する歌だと答えるにとどまった。そりゃどんな歌でも「人間関係」についての歌だろう。それ以外あるのか(笑)?

 (注:いや、確かにピンクレディーの「サウスポー」とかなら「人間関係」の歌ではないと言えるかもしれない<笑>。)

 ともかく慌ただしく挨拶は終わり、カメラマンたちは撤収。第一回上映の客も帰ると、劇場内はいきなりひっそりとした。いや、ちゃんと満席の盛況ぶりだったのだが、それまでがギューヅメ状態だったから寂しい気がしちゃったんだね。そんなひっそりした場内にセルタブのキャンペーン・ソングが流れる。それは確かにトルコのポップス。たちまち場内は、まるでエスニック料理店みたいな雰囲気に包まれた。主役の女の子二人の、あの当惑した表情も無理はないよ。

 まぁ、大人の世界だ。いろいろ事情はあるだろう。ギョーカイの事に素人が口を出すこともないだろう。あのギョーカイのネエチャンだって涙を飲んだのかもしれない。だけどこれって映画と歌手と両方のために、本当になっているのだろうか? 本気で売ろうとしてるのか? みんな軽薄で低脳な広告代理店にダマされてるんじゃないの?

 でも、それでいいのかもしれない。

 この国でそんな広告代理店が商売成り立っているということは、そのやり方がみんなに受け入れられているということだろう。この程度の一般大衆に、この程度の広告宣伝…。実際のところ、それぞれお似合いってもんかもしれないよね。

 

見る前の予想

 まぁ、スピルバーグ・リメイク権獲得(笑)…という近頃では毎度お馴染みのフレーズはともかく、韓国映画史上最高のオープニング動員(…っていかにもハリウッド映画っぽいハッタリ感だなぁ)という本作。確かにヒット映画には間違いない。だったらなおさらセルタブなんか…まぁそれは言わない約束にしよう(笑)。

 監督・脚本のキム・ジウン…と聞くと、僕はイヤ〜な気分になってくる。確かにこの男、ヒットメイカーとして韓国で君臨しているらしい。だがコイツの映画にはいつも苦い思いをさせられている。クワイエット・ファミリー「反則王」…いずれも韓国で大ヒット。確かに面白そうなネタで期待させる。そして見ると…途中まではなかなかいいのだけど、最後に収拾つかなくなってポシャる。毎度毎度同じ。それについては、僕も何度も何度もここで書いて来たと思う。

 そんなキム・ジウンが、香港のピーター・チャン、タイのノンスィー・ニミブットというアジアの若手腕利きと組んでオムニバス映画THREE/臨死に挑戦。しかもそれはホラーだと聞いて、「ムムッ」と思ったんだよね。

 と言うのは、その時すでにこの「箪笥」大ヒットの話を知っていたから。だとすると、「THREE/臨死」での韓国篇は、「箪笥」の試金石的意味合いを持って来るんじゃないか?

 それで見た「THREE/臨死」はと言うと…。

 やっぱりこいつまったく変わってない。まったく反省というものがない。

 長回しを駆使して気色悪いムードを漂わせ、いかにも怖そうな演出を繰り出す。「THREE/臨死」全編を通じて、この韓国編が一番「怖そう」な出来映えかもしれない。

 だが…だから面白いと言うことにはならないよ。

 やたらコケ脅かしのテクニックを連発するが、その内容は空疎そのもの。何かを「ワッ」と目の前に出して脅かす、幼稚そのもののテクニック。そのうち脅かしも「またか」と飽きてくる。最後にちょっとしたナゾが明かされるが、それだって大したモノじゃない。おまけに明かされたら明かされたで、それまでの怪異現象が納得いかなくなる。何でそうなるの? 単に怖がらせたくてアレコレやってたのがミエミエ。こりゃ映画じゃない。お化け屋敷じゃないか。

 というわけで、なまじっか「THREE/臨死」韓国篇を見てしまっただけに、僕はこの「箪笥」がますます不安になったんだよね。願わくは「THREE/臨死」での失敗を糧にして、「箪笥」製作に臨んでいるであろうことを期待したいところだが…。

 

あらすじ

 ここは精神病院。そこで、一人の若い娘が医師から治療を受けている。医師は娘に「あの日、何があったのか?」と尋ねるが、その娘は茫然自失のまま。一体この娘に何が起きたのか? 「あの日」に何があったのだろうか…?

 時と場所は変わって…。

 クルマは長旅を終えて、郊外のとある屋敷の前に停まった。運転していた男キム・ガプスはクルマから降りるように車内の娘に言うが、クルマの扉は開かない。やがてゆっくり開いた扉からは、イム・スジョン、ムン・グニョンの姉妹が降りてきた

 この姉妹、姉のイム・スジョンが終始リード、妹のムン・グニョンは甘えっぱなし。そして常に手を握り合う「仲良し」ぶりだ。二人はなかなか家に入らず、外でひとしきり遊ぶ。それにも飽きて家へ入っていくと、中から一人の女が出てきた。「どうしたの? 待ってたのよ。元気そうね」

 やたら愛想を振りまくこの女ヨム・ジョンアは、明らかに娘たちのご機嫌をとっている。だが姉のイム・スジョンの反応たるや冷たいなんてものじゃない。ハイテンションで笑顔を見せるヨム・ジョンアの表情も、どこか不自然に引きつっている

 ともかくそれぞれの部屋に入った姉妹。姉のイム・スジョンも部屋で荷物を解き、自分の日記帳を机に置こうとする。するとそこには同じ日記帳がすでにあるではないか! おまけに洋服ダンスを開けてみると、そこには同じ服ばかり。何なのだ、これは?

 父親のキム・ガプスはどこかに電話をかけている。「ああ、無事に着いたから。大丈夫だ」

 さて、夕食の時間。しかし一同には恐ろしく会話がない。気まずい雰囲気が流れるうちに、またしても姉イム・スジョンとヨム・ジョンアの間には緊張感が走る。それを見て見ぬふりするかのように、傍観を決め込む父親のキム・ガプス。彼はヨム・ジョンアの弟夫婦を週末に招待すると言い出すが、イム・スジョンは真っ平ゴメンと憮然たる表情。そんなこんなにヨム・ジョンアもキレかかるが、そんな彼女にキム・ガプスが黙ってクスリを差し出すのも奇妙だ。

 そして父親キム・ガプスが娘に言った言葉も意味ありげだ。「箪笥の事は二度と口にするなよ」

 その晩、ベッドでキム・ガプスを待ち受けるヨム・ジョンア。だが彼は、ヨム・ジョンアが寝付いたと見るやベッドから離れ、一人でソファに横たわる。

 その頃、妹ムン・グニョンの部屋には、得体の知れぬ何者かが押し入ってきた。扉が開いて手が伸びる。妹ムン・グニョンは正視に耐えかねて布団を頭から被るが、そのうちその何者かは立ち去ってしまう。怯えきったムン・グニョンは姉イム・スジョンの部屋に駆け込み、甘えるように布団に潜り込む。「いま、誰かが部屋に入ってきた…」

 元よりこの家には何か不審なところがある。イム・スジョンは妹を部屋に残したまま、家の中に探りを入れた。するとソファに横たわる父キム・ガプスの姿が…。思わずその父の横顔をなでるイム・スジョン。だがそこをヨム・ジョンアに見つかったイム・スジョンは、またしても彼女と皮肉な応酬をすることになる。

 さて部屋に戻ったイム・スジョンは、何やら悪夢で目が覚める。それは森の中での女の子のイメージだ。

 …あれは何だったのかとイム・スジョンが思う間もなく、今度は部屋の中に何者かが現れるではないか!

 それは髪の長い女!

 ゆっくり這うように現れたかと思えば、急に立ち上がってベッドに上がってくる。焦り狂うイム・スジョンの前に立ちはだかるように、その長い髪の女は仁王立ちだ。その女の股間から血が垂れる。やがてスカートの股の部分から手が伸びてくる!

 またしても悪夢だ。汗ビッショリで目覚めるイム・スジョン。ところがその手にはまたしても血がついていた。一体どこから?

 よくよく見ると、妹ムン・グニョンが寝床で生理になっていた

 コッソリとヨム・ジョンアの部屋を横切り、置いてある生理用品を持ち出すイム・スジョン。だがそんな彼女をヨム・ジョンアは見ていた。「おかしいわね。私と生理が同じ日?

 それだけではない。部屋に戻ろうとしたその時、イム・スジョンにも生理が来た。

 ともかく初日からこれだけ妙な事があったのだ。あの女ヨム・ジョンアもどこかおかしいし、この家もヘンだ。

 「これから何かあの女にやられたら、私に全部言いなさい!」

 姉イム・スジョンは妹ムン・グニョンにこう言って、ますますヨム・ジョンアへの敵意を燃やす。だがヘンなのはそれだけではないはずだ。

 やがて姉イム・スジョンは外の温室に置いてある荷物から、昔の写真や品物を持ち出してきた。それを妹ムン・グニョンと見ながら、懐かしい日々を思い出すイム・スジョン。大好きだった母の写真、イム・スジョンがまだ幼かった頃の写真、父・母・姉・妹と家族全員で撮ったクリスマス・パーティーの写真…ところがそのパーティーにあの女ヨム・ジョンアも割り込んできた。彼女は医師である父キム・ガプスの同僚として働いていた看護婦。それがいつしか病いに倒れた母の看護と称して家に入り込み、そのまま居座ってしまった。今では後妻として家を仕切っている。許せない。

 しかもふと妹ムン・グニョンの腕を見ると、何やら打ち据えられた跡があるではないか。あの継母ヨム・ジョンアにやられたのか。「あの女に何かやられたら言えって言ったでしょ!」

 憤懣やるかたないイム・スジョンは、ヨム・ジョンアの元へとやって来る。だがヨム・ジョンアは平然としたもの。逆にこう言い放つアリサマだ。「今のあんたたちには母親と言えば私だけ。その現実を受け入れるのね!」

 そこに父キム・ガプスがオロオロと現れるが、これまた何が何だか分からない様子。ヨム・ジョンアに何か言うわけでなし、娘のイム・スジョンに懇願するばかりだ。「一体どうなってるんだ? 言ってくれないと分からないよ

 そんな父親に、イム・スジョンは侮蔑の言葉を投げつけるだけ。「これが分からないの? 汚らしい手で触らないで!」

 さてその夜、父親キム・ガプスはよせばいいのにヨム・ジョンアの弟夫婦を夕食に招待。イム・スジョンとムン・グニョンの姉妹は部屋に引きこもったのか、その席には不在だ。

 またしても夕食の席はドッチラケだが、一人ヨム・ジョンアだけはハシャギまくり。あれこれ昔話を披露に及ぶ。だが弟は憮然とした表情。その妻も居たたまれない顔をしていた。そんな気まずさも頂点に達したその時…。

 いきなり弟の妻がぶっ倒れて発作を起こす。

 緊張したのが悪かったのか何が原因かは分からないが、けいれんを始めるわ食ったものを吐くわで大騒動。もう食事どころではない。

 その弟夫婦、帰りのクルマの中は思いっきり暗いのも当たり前。弟は妻に言い訳しきりだ。「気が進まなかったけど、義兄に頼まれたから仕方なく…」 ところが妻は、呆然としながら意外なことを口走る。

 「あの家の流し台の下に、女の子が見えた…」

 その頃、ダイニングキッチンで一人佇むヨム・ジョンアも、何やらただならぬ気配を感じていた。それは流し台の下か、あるいは食卓か…。

 さらにその夜、事態は思わぬ方向に急展開する。

 ヨム・ジョンアが可愛がっていたカゴの小鳥が、何者かによって無残に殺されていたのだ。これを見つけた父親キム・ガプスは唖然。それでも何とか事を穏便に片づけようと、一人で庭に小鳥を埋葬しに行く。だが運悪く、すでにヨム・ジョンアは小鳥が殺された事を知っていた。

 今度と言う今度は完全にキレた彼女は、もの凄い勢いで姉妹の妹ムン・グニョンの部屋に乗り込む。ところが運悪く、そこにイム・スジョンが持ってきた昔の写真があったのがまたマズかった。しかもこれらの写真、いずれもそこに写っていたヨム・ジョンアが切り取られ、事もあろうにその顔が黒く塗りつぶされている始末。それでなくてもキレてるヨム・ジョンアを、より一層怒らせるに十分だった。

 「誰がやったの? 分かったわ、オマエにお仕置きをしてあげる!

 そう叫ぶや否や、ヨム・ジョンアは嫌がるムン・グニョンを箪笥に閉じこめてカギをかけてしまう。まるで火がついたように泣き叫ぶムン・グニョン。だが、誰も助けに来てくれない。

 しばらくして、ウトウトしていた姉イム・スジョンが、ただならぬ気配に気づいて妹の部屋にやって来る。何とか箪笥から妹ムン・グニョンを助け出したイム・スジョンは、彼女の危機に気づかなかった迂闊さを詫びた。そこへ異変に気づいた父キム・ガプスもやって来るが、相変わらず事態がまったく飲み込めてないようだ

 これにはさすがに怒り狂ったイム・スジョン。泣いている妹ムン・グニョンに「何をされたか言え」と迫るが、妹はたださめざめと泣くばかりだ。業を煮やしたイム・スジョンは、今度は妹に怒鳴る。「バカみたいに泣いてばかりいないで、あの女に何をされたか言ったらどうなの!」

 だがそんなイム・スジョンに、父キム・ガプスはただただ唖然。やがて彼は口を開くと、ある驚愕の事実を明らかにするのだった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後の展開と謎解き

 この後で映画は一気に急展開するが、ここから結末に至るまで、大きく真相が明らかにされる場面が3回ある。それらは次の通り。

真相その1:妹ムン・グニョンはすでに死んでいる。

 これは上記のストーリー紹介の終わりにつながる部分で、父キム・ガプスによって明らかにされる。確かにここまでの場面では、父キム・ガプスは妹ムン・グニョンに一回も話しかけていない。つまり彼女は存在していない、姉イム・スジョンの幻想だったということになる。では、継母ヨム・ジョンアはなぜこのムン・グニョンとやりとりが出来ていたか…と言うと…。

真相その2:継母ヨム・ジョンアもこの場にいなかった。

 この後で、妹ムン・グニョンをズタ袋に詰めて殺そうとする継母ヨム・ジョンアと、姉イム・スジョンとの間で激しい争いが起きる。だが、それらもすべてイム・スジョンの幻想だった。それは継母ヨム・ジョンアの前にもう一人の…そして“本物”のヨム・ジョンアが現れ、画面の中で元のヨム・ジョンアがイム・スジョン本人へと姿を変える事で分かる。彼女(姉イム・スジョン)は、すでに死んでいる妹ムン・グニョンとその場にはいない継母ヨム・ジョンアを、一人芝居で演じていた事になる。

 これによって初日に父親キム・ガプスが電話で「無事に着いた」と言った相手も、実物のヨム・ジョンアだったと分かる。またヨム・ジョンアの弟夫婦を夕食に招待しながら、そこで昔話をしても弟が乗ってこなかったのも分かる。なぜならそれは継母ヨム・ジョンアではなく、本当はイム・スジョンだったからだ。

真相その3:妹ムン・グニョンを死なせたのは姉イム・スジョン。

 自らの病弱と夫と看護婦ヨム・ジョンアの関係を苦にした姉妹の母親が、事もあろうに箪笥の中で首吊り自殺。それを発見した妹ムン・グニョンが母親を助けようと七転八倒しているうちに、勢い余って箪笥が横転。ムン・グニョンはその下敷きになってしまう。だが、その場にやって来たヨム・ジョンアは動転して逃げ出してしまい、気がとがめて戻ろうとしたところを姉イム・スジョンとハチ合わせ。ここでつまらない意地の張り合い突っ張り合いをしてしまったがために、妹ムン・グニョン救出のチャンスを失ってしまう。以来、イム・スジョンは自分が妹を死なせたというトラウマに襲われ、精神を病んでしまう。

 この「真相」は映画の一番最後に登場するが、これによって映画冒頭の精神病院の場面がいつか分かる。僕ら観客は何か恐ろしい事が起こって女の子(後にこれがイム・スジョンだと分かる)が心の病になったものだと思い、映画の本編はその理由を解き明かす回想場面だと思い込む。つまり冒頭の精神病院の場面から、過去へと戻っていくと思い込むわけだ。

 だが映画の中の時間の流れは、実は後戻りしていない。彼女は精神を病んだ後で、元の家に帰ってくるわけだ。そして頭の中に亡き妹やその場にはいない義母をつくり出し、それを自分で演じながら自作自演の恐怖をつくり出している…。

 まぁ、このあたりまでは誰もが分かる「真相」ではないだろうか?

 現在僕はこの映画のノベライズ本もコミック本も、まして解説の類もほとんど目にしていない。だから予想が当たっているか分からないが、ここから先は僕なりの疑問と憶測だ。

 まず、義母ヨム・ジョンアと姉妹の父キム・ガプスがセックスレス夫婦みたい関係なのは、その後義母がイム・スジョンの頭の中で創り上げた虚像であると説明される事から何となく分からないでもない。では逆に、ソファで眠る父キム・ガプスの頬を、娘であるはずのイム・スジョンがなで回すのはいかなる理由だろうか? あれは「男女」のソレであるように見えなくもないではないか。

 姉妹と義母の生理がシンクロしている事について、やけに執拗に描いているのも意味ありげだ。実は彼らが全部イム・スジョンである…ということを言うだけなら、何も「生理」などとインパクトのあるものを出してくる訳もない。

 思い出して欲しいのは、初日にイム・スジョンのベッドに仁王立ちになった長い髪の女の亡霊だ。後にこれが姉妹の母親であると判明するが、この亡霊の股間からは血が滴り落ちていた。しかも股の間から手がにょっきり伸びていた。この忌まわしいイメージは、セックスに関する何かを表しているとは思えないだろうか? それと共に妊娠、出産、血縁イメージもあるかもしれない。しかもこの亡霊の悪夢の直後、妹ムン・グニョンの生理開始が判明するのだ。絶対何かの意味があるだろう。

 気になるのは、イム・スジョンが昔の写真を撮りだしてきた時のことだ。そこに出てきた写真を思い浮かべていただきたい。長女イム・スジョンの幼い頃の写真はあっても、妹ムン・グニョンのものはあったろうか? 妹の写真はすでに成長してからの、クリスマス・パーティーの写真しかなかったのではないか? さらに奇妙なのは、クリスマス・パーティーの写真には同じアングルのものがもう一枚あること。ただしそこには家族に混じって現在の義母ヨム・ジョンアが写真に加わっていることだ。これについては本当にそうだったかどうか…一度見ただけでは自信がないが、たぶんそうだったと思うんだよね。もしそれが正しいとすると、妹の写真はクリスマス・パーティーの写真しか存在せず(少なくともその前の時代の写真はない)、同じクリスマス・パーティーの写真には義母も加わった別バージョンも存在するということになる。そして、二人はイム・スジョンの頭の中の虚像として出現した。

 ということは、そもそも最初からこの二人はこの世にいなかったのではないか?

 しかと断定出来ないし、実はこのあたりになると強引な話でもある。確固たる証拠もないのだが、そういう見方も出来るような気がするんだよね。少なくとも僕は、父親と長女の怪しい関係があった可能性はあると思う。

 考えてみると、この物語って冒頭と終盤に出てくる精神病院以外は、すべてあの家の中で起こっている。あの家の周辺から一歩も外へ出ない。それって何に似ているだろう? 詳しく言っちゃうと双方のネタバレになりかねないんだけど、あのアメリカ映画“アイデンティティー”にどこか似てはいないか?

 だとすれば、あの義母ヨム・ジョンアと妹ムン・グニョンは、それぞれヒロインのイム・スジョンにとっては母親から父を奪った忌まわしいオンナとしての自分、それとは関わりのない汚れのない良心としての自分である…という考えも出来る。

 いやいや…妹が実在してなかったとするなら、何でトラウマで精神が病んでしまうのだ? それではそもそもの設定がおかしくなるのではないか? そういや冒頭の日記帳やら洋服ダンスの中の同じ服は何だったのか?…などと、アレコレ考え出すとキリがないね(笑)。

 まぁ、これらはすべて僕が勝手に抱いた疑問だったり、こじつけで考えた推論だ。単なる無理やりの深読みに過ぎない。ここまでこんがらがった話ではないかもしれないしね。無理やりこじつけで考えた事だから、全然裏付けなんかもない。だから決して当てにはしないでもらいたい(笑)。ノベライズ本やコミック本を読んだら全然違う真相だったという可能性が大だからね。そうだったら笑っていただいて結構だ。

 それでもこの映画、何か言いたくなっちゃう気持ちにさせられる

 三つ目の最後の「真相」とやらが分かった後でも、妙に腑に落ちないモノが残るのは拭い去れない事実なのだ。

 

見た後での感想

 というわけで、いろいろ謎解きをさせられた…ということは、僕もまんまとこの映画に乗せられたということなのだろう。この映画が韓国で空前の大ヒットになった背景も、たぶんそんなとこだろうね。こういう観客が何を見たいかという事については、おそらくヒットメイカーのキム・ジウンの敏感なところなんだろう。

 そもそも、舞台となる家の造型なども実に雰囲気を出している。そして最初はこの映画が恐怖映画だと思えない。継母と姉妹の神経戦映画だと思えてしまう。

 その継母を演じるヨム・ジョンアは、先にH/エイチでクールな女刑事を演じた人。「カル」ではシム・ウナの友人役を演じていた彼女だ。どこか曰くありげで冷たい個性。今回もそんな持ち味を活かしていい味…いや、イヤ〜な味を出している。

 そして後半に入ってからの三連発ぐらいの「真相究明」もそれなりに決まって、僕はまんまとダマされてしまった。だから、うまいと言えばうまいのかもしれない。そしてショック描写では「アッ」と驚かされもするしね。

 だから、この映画を見た人同士でアレコレ言いながら、ナゾ解きをしていったりアレコレしゃべったりするのが正しい楽しみ方なんだろう。視聴者参加型のテレビ番組みたいな映画なのかもしれないね。

 だけど…僕は何となく引っ掛かるんだよなぁ

 キャーキャー恐がれるし見た後もナゾが残る。そんなアレコレで楽しめると言えば楽しめる。だからオモシロイと言えば面白いし、それなりに楽しめる映画だろう。だけど…映画をつくる志の点で、少なからず問題があるように思えるんだよね

 まずは「THREE/臨死」韓国篇にも言えることが、ここにも出て来るんだよね。やたら思わせぶりの長回し。引っ張って引っ張って引っ張ったあげくの脅かし。そりゃホラーの常套手段ではある。だけど、どうもこの映画って、単なるコケ脅かしに見える部分が多いんだよね。「THREE/臨死」でもいろいろ怖がらせ要素があったけど、途中からどうもそれってお話に貢献してなくて、ただ怖がらせりゃ何でもいいとばかり、むやみやたらにブチ込んでいるように思えて来る。それって「真相」が分かってもスジが通らない趣向であることが多い。あれって単に怖がらせるための思いつきだったの?…って思える要素が多すぎるんだよ。

 今回の映画もディティールがいろいろコチョコチョあって…ありすぎて、実は本当に本当の真相までは僕も分かっていない。実際にちょっとやそっとじゃ分からないらしい。だからシカとは言えないのだが、おそらくコレって意味ない怖がらせじゃないのか?…って要素がいくつもある。

 それって観客をナメてない?

 というか、映画ってものを分かってないんじゃないだろうか? とにかく何をやろうがどんな手を使おうが、怖けりゃホラー映画と思ってないか? そんなやり方って映画じゃなくて、観客の目の前に破れ提灯をいきなり出してくるような「お化け屋敷」じゃないか? それは「12球団の4番打者を全部集めれば巨人優勝」なんてナベツネの戯言以下の、単細胞で幼稚な発想に思えないだろうか? あ、あいつは本当は10球団以下にしたいんだっけ(笑)?

 いや、単純に脅かしを楽しんでもらおうって映画があるのは否定しない。これがそういう映画なら、ドンドンこけ脅かしを繰り出してくるのも悪くない。ちょっと笑っちゃうだろうけど、それはそれでいいと思うよ。だから、この映画だってそういう腹のくくり方なら理解もしよう。

 だけど、単純に脅かしをたっぷり楽しませようって作品にしては、やけに陰々滅々と籠もったような因果話になっていくのがジャマになる。こうも湿ってシリアスなコテコテ話を盛り込まれては、バナナの叩き売り的に怖いアイテムを次々繰り出してもらって、気持ちよく無責任に怖がらせてもらおう…という気分にもならない。真面目に「悲しみ色したホラー」をやりたいのか(その代表選手はデビッド・クローネンバーグあたりか?)、それともショックのワゴンセール的に脅かしたいのか(まぁ、凡百のアメリカンな「陽性」ホラー映画あたりはそうだろう)…そのどちらなのか判断つきかねるのだ。

 …というか、わざとそのどちらなのか明らかにしないでいるんじゃないか?

 もっとハッキリ言おう。この映画の脅かし怖がらせには、どことなくダマされたようなイヤな気分が残る。むろんドンデン返しにはダマしはつきもの。だけど「やられた」という天晴れなダマしとは違う。何だか詐欺にあっちゃったような、納得出来ないイヤミが残るのだ。

 さらに致命的なのは、この映画にあまりに魅力的な人物が乏しいこと

 継母ヨム・ジョンアが憎むべき存在になってしまうのは致し方ない。だが映画を見始めた僕は、どちらかと言うと彼女に同情しちゃったよ。あまりに姉のイム・スジョンが憎たらしいから(笑)。アレじゃイジメたくなるよって気がしてしまう。そしてわざわざ事を荒立てるようなことばかりする。

 実は苛立つのは彼女だけじゃなくて、無関心で知らぬ存ぜぬを決め込む父親キム・ガプスもそうだし、メソメソするばかりの妹ムン・グニョンも神経に障ってくる(笑)。後々になってくればそれぞれ理由がある事が分かるのだが、その前に観客としては「コイツ、イヤな奴だな」と内心思い込んでしまい、彼らへの評価を決定してしまう。

 そんなイヤな奴らが対立しようといがみ合おうと、よしんば恐怖にさらされ生命の危険に脅かされようと、そんなの僕らには関係ない。見ていて、勝手に死ねば…って「クレヨンしんちゃん」みたいな気分になって来るんだよね(笑)。そんな支離滅裂な言動をすること、感じの悪い態度に出ること…などなど、後々そのわけを教えられても、理由を明かされてからではもう遅い。すでに観客である僕らは、どいつもこいつも好きになれなくなっている。

 で、そこがこの監督キム・ジウンらしいとこ…と言ったら酷だろうか。

 いい発想をしているのは毎度のこと。だけどそのまとめ方に毎回かなり難がある。それでもいつも映画は当たるから、こいつはこいつなりに自信があるだろう。自分って天才かもって思ってるかもしれない。

 これ言っちゃうと偏見かもしれないが、こいつの映画にはそんな思い上がりが感じられるんだよね

 おもろい設定と人物を配して、あとはチョチョイとやれば受けるに決まってる。アレコレとビックリさせれば怖がるに決まってる。そこはそれ、オレ様の演出力で何とでもなる。お客なんてチョロいよ…どうもこいつの映画って、毎回毎回そんな気分がしてくるんだよね。今までも何だかヘンだと思っていたが、今回それがハッキリ分かったよ。

 再びナベツネにご登場いただけば…それこそ「たかが客ごときが!」ってな、正体見たりのところがあるわけ(笑)。

 確かに意外な「真相」三連発。どうだ、スゴイだろ? 驚いたろ? オレってうまいだろ?…そう言いたいのがアリアリ。スゴイすごいよ、あんたはエライ。だけどそれって、脅かしのための脅かし、ビックリのためのビックリ、ドンデン返しのためのドンデン返し…って気がするんだよね。そのくせ、何やらマジメくさってシリアスな事を言おうとしているみたいでもあるし…むしろそっちの方こそ、何だかどうも胡散臭い感じがする

 だって、母親が箪笥の中で首を吊るってだけでも不自然なのに、それを助けようとして箪笥が倒れて妹が圧死…って、何だかその設定自体が無理に無理を重ねている。それだけでなく、人間の行動や感情として不自然な展開がたくさんある気がするんだよね。面白い趣向、ビックリする趣向を何とかひねくり出そうとして、どんどんウソの上塗りをしている感じなんだよ。

 何だかそこには二重に人をバカにしている感じがある

 観客なんてそんなもの、映画なんてそんなもの、オレにかかればチョロいよ…って、映画と映画観客に対するナメた態度を感じる。

 しかも登場人物がどれもこれも好きになれない連中であることも、そんな印象を強めている。無理に無理を重ねた設定も、映画の登場人物をどう動かそうとオレの胸三寸…という気持ちがあるからじゃないか? きっとこいつは、自分の映画の登場人物さえバカにしてると思うんだよね。そういう意味では、やっぱりこいつはナベツネ的な男だよ。「お客も登場人物も思いのまま」って発想は、どこか「ファンも選手もオレの手の内」っていうのとよく似てるもんね。

 この映画にどこか「詐欺にあった」感じが残るというのも、そして登場人物を好きになれないというのも、すべてそれが祟ってる気がする。まして登場人物というものは、作り手がまるで神にでもなったようにコントロールしたら面白くなるわけじゃない。むしろ登場人物に血が通って自己主張を始め、自分から動き出さなきゃ面白くはならない。そのためには登場人物に対しても、愛情を込めて描かななければならないのだ。そんな一番単純な事が、おそらくこのヒットメイカーのキム・ジウンには分かってない。こいつにはトコトン人間に対する愛がないのだ。

 これって致命的な事だと思うよ、娯楽映画…それもホラー映画で、主人公に感情移入出来ないのって。

 

見た後の付け足し

 ただ、一つだけ今回興味深いことに気づいた。それはこんなキム・ジウンの創作モチベーションの秘密とでも言うべきものだ。

 考えてみると、キム・ジウンは常に「家族」の問題に目を向けている。「クワイエット・ファミリー」もそうだし、「THREE/臨死」の韓国篇もそう。前者が崩壊しかかった家族の再構築がテーマなら、後者は核家族化による家庭の崩壊を描いている。「家族」に目を向けていないのは、「反則王」だけだ。

 そして、今回のこの映画…。

 血縁である家族に異物が入り込んで来る事への嫌悪を描いたのか、それとも血縁重視の家族観こそが不健全と見るのか…ともかくキム・ジウンという映画作家は、人間関係の中でも一番“濃い”要素である「家族」に、異常なまでに関心が深いはずだ。そんな彼が、なぜ…観客にしろ登場人物にしろ、どこか「人間」をナメた態度に出るのか? あるいは…なぜ彼はそういう態度をオモテに出さずにはいられないのか?

 ここまで言っちゃっていいのかなぁ…。でも、こう言ったら彼の映画を見た人間は誰でもピンと来るんじゃないかと思うんだよね。だからここはあえてキッパリ言わせてもらう。

 どうしてキム・ジウンは、自分以外の誰に対しても愛が持てないのか?

 これは彼の映画なんかより、よほど興味深いテーマだと思うんだけどね。そして今回ばかりはキム・ジウンも、彼自身の後ろ暗い部分をチラッと見せちゃったのかもしれない。何となく正体見たりって気がしてきたもんね。だから僕はずっとこいつの映画を、どこか好きになれなかったんだと分かったよ。で、もしそうなら…あの場違いなトルコ女性歌手のキャンペーン・ソングも、あながちハズした訳じゃないかもしれないよ。たまには日本の広告代理店も的を得た事をやるとホメていい。

 だって、どちらも「ヒューマン・リレーションシップ」…「人間関係」がミソなんだからね。

 

 

 

 

 

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