「テッセラクト」

  The Tesseract

 (2004/07/12)


  

見る前の予想

 何と言っても、パン兄弟の映画である。それだけで見る気になった。

 オキサイドとダニーのパン兄弟…この人たちの映画で最初に日本で評判になった「レイン」は、生憎と見ることが出来なかった。でも、その次の“泣かせるホラー”アイは気に入ったよ。この人たちには注目しなきゃと心に決めた。元々が香港の人たちなのに、タイに住んで映画を撮っているってのも面白い。香港とタイ、新旧のアジア映画発信基地をまたに掛けてるってのがいいじゃないか。

 すると、昨年の東京国際映画祭でたまたま見たタイのオーメンなるホラー映画がこのパン兄弟が製作・脚本・編集で絡んだ映画だと言うではないか。偶然切符を買って見に行った僕は、思わずトクした気になったよ。

 ところがこれがアレレ?…な作品だったんだよね。聞けばあちらのアイドル売り出しのために引き受けた、単なる雇われ仕事だったとか。もうちょっとオマエら仕事選べよ(笑)。

 そして、次に日本に来たのがこの映画だった。

 何とキャストはジョナサン・リース・マイヤーズを筆頭に国際色豊かっぽい。原作が「ザ・ビーチ」「28日後…」のアレックス・ガーランドってのも異色だ。だけど、舞台はタイのバンコク。ええっ、一体どんな映画なの?

 そしてこの映画、実はパン兄弟の映画ではない。兄弟の兄の方、オキサイドのみが監督の作品だ。そういやウォシャウスキー兄弟も兄貴が女になったらしいし、兄弟監督もいろいろ大変なのか…などとくだらない事も頭に浮かぶ。

 ともあれ、なぜかチラシを見ても、サッパリ作品のイメージが湧いてこない変な映画。さて、その実態はいかに?

 

あらすじ

 一次元は二次元の展開図である。二次元は三次元の展開図である。ならば三次元は四次元の展開図=テッセラクトになるはずだ。この映画は、そんな四次元の展開図を意図したものである。

 ちなみに舞台はタイのバンコク

●どう見たってチンピラ風情のイギリス男ジョナサン・リース・マイヤーズが、汚いホテルの一室に籠もっている。なぜか焦り狂っている。でも、どうする事も出来ずグダグダしている。そんな折りもおり、いきなり停電。すると目の前の壁に、男たちが銃を構えて発射する幻影が現れるではないか。パニクるリース・マイヤーズは、なぜかヤケ起こしてホテルを出る。その際にホテルで雑用係のようにコキ使われてるタイ人の少年アレクサンダー・レンデルと遭遇。なぜか妙にオドオドしているのが気になるが、そんな事はどうでもいい。ちょうどホテルにチェックインにやって来た白人女を横目に、リース・マイヤーズはオモテに出る。だが結局男がシケこめる場所と言えば、いかがわしいバーしかない。ここで見知らぬ商売女ラーカナ・ヴァタナウォンスリーに出会ったリース・マイヤーズは、最初は彼女をうるさがっているものの、結局は電話番号のメモなんかもらったりする。そんなこんなで夜もドップリ暮れてからホテルの部屋に戻ってみると、ドアの下には「明朝ここで待て」なるメモが置いてある。だが酔ったリース・マイヤーズは、そのままグッスリ寝込んでしまった。案の定、翌朝リース・マイヤーズはドアを叩く音で目が覚める。ドアを開けると、そこにはベラディス・ヴィニャラスを頭にした一味が勢揃いだ。そのヴィニャラスの頬には、なぜか真新しい絆創膏が…。

●近代的なビルから出てくる、いかにもそのスジの男たち。その中に一人、黒服に身を固めたイケてる女レナ・クリステンセンもいた。彼らはヤケにものものしく、アタッシェケースを抱えて運んでいる。そんな彼らに、突然銃弾の雨あられだ。たちまち弾丸を食らって倒れる男たち。レナ・クリステンセンも必死に奮戦するが、その甲斐なくアタッシェケースは奪われてしまう。ブツを奪ったのは、ベラディス・ヴィニャラスらの一味だ。奪われたレナ・クリステンセンは、ボスからさんざ叱責される。叱責されるだけでなく命だって危ないかもしれない。こうして彼女は、何とか奪われたブツを奪還せざるを得なくなる。一方ベラディス・ヴィニャラスらは早速取り引きへと出かけようとするが、その際どこからともなくバイクに乗った謎の人物が現れた。たちまち始まる銃撃戦。敵の刺客の放った銃弾は、危うくヴィニャラスの頬をかするアリサマ。だが何とか応戦して事なきを得た。しかも敵の刺客は、弾丸を食らって深手を負ったようだ。ともかく今日の取り引きは中止だ。ヴィニャラスは手下に命じて、運び屋に取り引きを延期するよう知らせる事にした。とりあえず頬のキズには絆創膏を貼らねば…。

●バイクに乗ってヴィニャラス一味を狙ったのは、あの黒服の女レナ・クリステンセンだった。彼女はその襲撃で腹に弾丸を食らいながらも、取引現場となるこの汚いホテルに潜伏していた。だが携帯電話で連絡が入り、今日は取り引き中止だという。冗談じゃない。キズは深いし血は止まらない。このまま待機はたまらない。仕方なく彼女はフロントに電話し、お湯を持って来るように頼むのだが…。

●ホテルで雑用係として働く少年アレクサンダー・レンデルは、部屋に忍び込んで客の品物を物色。デジタルカメラを頂戴して部屋を出る。だがそこで、ちょうど通りかかったジョナサン・リース・マイヤーズと出くわしてドッキリ。何とかかわしてその場を離れるが、何ともハラハラものの瞬間だった。さて、レンデル少年がホテルの主人の元へやって来たところ、ちょうど一人の白人女性サスキア・リーブスがチェックインにやって来る。そしてフロントの電話が鳴った。電話に応対した主人は、レンデル少年に命令する。「203号室にお湯を持って行け!」

●バンコクの汚いホテルへ到着したイギリス女サスキア・リーブスは、レンデル少年に部屋へと案内される。彼女はこのレンデル少年を、どこか好意に満ちた表情で見つめていた。このリーブスという女の目的は、さまざまな子どもたちへの取材。彼女は児童心理学者で、さまざまな子どもたちに「夢」についての話を聞いて回っているのだ。今回も汚い市街の中へと足を運び、子どもたちに向けてデジタルビデオカメラを回す。その脳裏には、かつて病気で喪った自分の幼い息子の面影が浮かぶのだった…。

 

見た後での感想

 お察しの通り…っていうか、もうこれだけのストーリー紹介でも分かる通り、まったく無関係だった人物が複雑に交錯する物語。映画はそれらをちょっとづつ時制を崩して展開し、多角的に見せていくという趣向だ。ちょっと面白そうだよね。

 で、ちょっとづつ主要登場人物たちは関わっていき、ちょっとづつ思惑がズレていく。それも、それぞれが思わぬカタチで干渉し合うことから、どんどん当初の予定が崩れていくのだ。そしてにっちもさっちもいかないカタストロフへ…。

 それにしても、まずは原作のアレックス・ガーランドって、何とも不思議な作家だよねぇ。ザ・ビーチは南海の隔絶した隠れ浜みたいな場所でユートピアごっこをしていたら、それが悪夢へと変わっていく話。28日後…は人類絶滅テーマのSF映画とゾンビ映画が合体したようなジャンク・ムービーの器で、何とも荘厳な人間性についての物語を展開していた。そして今回のこれだ。まったく一貫性がないみたいだ。いや、…あるか。「ザ・ビーチ」でもこの「テッセラクト」でも、おっかない東南アジアにノコノコ出かけて行った白人のアホさがチラッと出ている。共通点と言えばそれくらいかな。

 で、この異色作家をオキサイド・パンと結び付けたのは、何と日本資本だと言うから驚いた。プロデューサーとして日本人名がズラズラと並ぶのはそのためなんだよね。

 この映画ってこの後もすべての人物が絡みに絡み、どんどん彼らの行動は空回りしながら展開していく。そのアリサマがちゃんと分かっているのは観客の僕らだけ。登場人物は自分がホントはどういう状況に陥っているか分かっていない。まぁ、これが冒頭に言われている「四次元の展開図」って事なんだろうね。

 うろ覚えを何とか思い出すと、一次元は点の世界、二次元は面の世界かな? 三次元は立体で…それは現在僕らが暮らしていて、ちゃんと知覚出来ている世界だ。

 では四次元は…というと、僕は確か、三次元=立体に「時間」という要素がプラスされたものと言われていたと思う。それの展開図という事から、この「テッセラクト」はこんな時制がギコギコと前後逆転する構成をとっているのだろう。本来三次元の世界の住人である我々には、四次元というものは知覚出来ない。それを何とか我々にも見えるようにしたのがこの映画…というわけだ。

 だから三次元人である登場人物が焦り狂いながらも何も分からずめくらめっぽう行動して墓穴を掘っていくのを、僕らは「展開図」として冷ややかに見ることが出来る。そこには愚かにして哀れな人間の姿が浮かびあがる。そりゃあ次に何が起きるのか分かれば、僕だってもっとマシな人生が送れただろう(笑)。言わんとしている事は、それなりによく分かるよ。

 しかもそんな人物たちが焦り狂って這いずり回る場所と来たら…こう言っちゃ向こうの人には失礼ながら、何となく破傷風になりそうな土地柄で、暑さと湿気ムンムンのタイの街並みだ。これはたまらないね。この映画って、確かにこの場所に舞台を設定したのは正解だと思う。

 そこに…ジョナサン・リース・マイヤーズを配役したのも正解。今回はシケた口ひげ生やして、何とも「小物」感がプンプンのアホ白人っぽさが全開。この映画には実にピッタリだ。ただし、これって役者としては本人のためになる役なんだろうか(笑)? 何だか僕は、昔「キング・オブ・ジプシー」で若手として一躍注目を浴びた、ジュリア・ロバーツの兄貴であるエリック・ロバーツを思い出したよ。あいつも結局その後はシケたチンピラ風情に成り下がり、役柄が卑しくなると同時に、ホントに何か悪さして捕まっちゃったんじゃないだろうか? リース・マイヤーズが道を踏み外さないように祈りたい(笑)。

 というわけで、何とも大胆にして興味深いアイディアでつくられたこの映画。確かにこれは新たな映像感覚を持った、オキサイド・パンならではの映画と言えるだろうね。

 ただね…そんな壮大なスケールの野心的な構想にしては…見ていてちょっと気になる点もない訳ではないのだ。

 正直な話、何だかどこかチマッとしてやしないか?

 元々の原作からしてこうなのかどうかは分からないが、あまりに出てくる人物たちがムダなく機能しすぎる。しかも…ハッキリ言って本来からスケールのない話だ。

 それでも普通これだけ多数の主要人物が出ていて、しかもそれらがほとんどちゃんと機能しているというお話ならば、もっとスケール感が出るではないか。ロバート・アルトマンの往年の「ナッシュビル」あたりを例に挙げずとも、ともかく壁紙や壁画のように鳥瞰図的な映画に仕上がるはずではないか。それなのに、なぜかチマ〜っとスケール感のない映画になっちゃってるんだよね。それはお話に、一見ムダ…と思える要素があまりにないからだと思う。せめて「そう見える」仕掛けだけでもつくるべきだった。

 それに…強いて言うなればこれって、「パルプ・フィクション」とか「ジャッキー・ブラウン」の後半部分とかの、クエンティン・タランティーノがかつてやってた“時制ズラし”の範囲から一歩も出ちゃいない構成だと思うんだよね。あるいは21グラムでのアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥのそれにも似ている。これらの作品は“時制ズラし”をやらかすからといって、別に「四次元が何タラかんたら」とか大げさな屁理屈こいてなかったよね。だから、当初の野心と大上段から振りかぶった前口上にも関わらず、この「テッセラクト」は意外に鮮度がない。

 しかもタランティーノの“時制ズラし”には、ちゃんと目くらませとか伏線とか、それなりの工夫が忍び込ませてあった。「21グラム」のイニャリトゥのそれにも、作品の出来映え云々はともかく、それなりの理由と成果があった。“時制ズラし”はそれ自体が、物語にオチをつけたり、語りたいモノを強調させ浮かび上がらせるための大きな工夫だったんだよね。観客はそこで、やられた〜っと気持ちよくダマされて快感を得たり、深遠なテーマを気づかされて感慨に耽ったりした。

 ところがこの映画って、アレコレと交錯して伏線は張り巡らされている割に、意外性とか驚きって乏しいよね。それってなぜなんだろう?

 それはね、まず観客が結末を知ってしまうからだと思う。どんな結末かは分からないけど、主要人物はどうせロクな事にならないなと分かってしまう。だから意外性がないのだ。

 その理由は何か…と言われれば、先に述べた理由と同じだ。“時制ズラし”は「それ自体が、物語にオチをつけたり、語りたいモノを強調させ浮かび上がらせるための大きな工夫」…であるはずなのに、ここでは“時制ズラし”自体が自己目的化している。「何か」のために機能しない“時制ズラし”なんて、意外でも何でもないんだよね。

 それと…これはもっと致命的な事だが、登場人物の中でたった一人でさえ、観客が感情移入出来る人間がいないということ。これではいかにもどうしようもないよね。

 考えてみれば、この映画って最初から作り手と観客が、登場人物よりもワン・ランク高いレベルにいると宣言しているよね。高いところから見下ろす…と。だから観客には登場人物の皮肉な運命が見える。

 でもね、そんな最初から一段低いところにいる奴…と決めてかかっているような連中に、どうやって感情移入出来るというのだ

 いかにも下卑たチンピラのリース・マイヤーズを筆頭に、ヤクザたちはどいつもこいつも同情の余地がない。腹に重傷を負った女殺し屋は多少同情したくなるが、その気持ちになる前に物語から退場してしまう。そしてもっとマズイのはイギリス女とタイ人の少年だ。

 イギリス女はタイ人の少年を心配してその内面を探ろうとするし、実際にピンチに陥った時には助けようとする。その理由は、彼にかつての自分の息子の面影を見出したから

 だけど彼女は、タイ少年のホントの姿が分かってない。それなのに「あなたの事はよく分かる」などとしたり顔で押しつけがましく迫ってくる。好意の押しつけをする。彼女がタイ少年に、「あなたと私は同じ境遇の人間だ」などと語りかける場面の噴飯ものの描写を思い起こしていただきたい。彼女は一人でご機嫌になってはいるが、まったく何も分かってはいないのだ。だからその後ヒドイ目にあっても、ハッキリ言って自業自得だと見えてしまう。

 そしてタイ少年も貧しい境遇だから仕方がないとは言え、いささか調子に乗りすぎだ。それは彼の幼なじみの少女が、何度も彼の盗みを諫める発言を繰り返していることからも明らかだろう。作者はそんな彼の行動を、仕方がないなどと同情的には見なしていない。

 そんなしょうもない連中を、「上から見下ろす」…と最初に宣言して見せていくのだ。どうやって感情移入すればいのか。そんな事は出来るわけがない。また、作者もそうしなくていいと思っているのだろう。でなければ、最初から「見下ろす」スタンスでいこうとはしまい。

 だから問題は、そもそものスタンスにこそある。

 そんな感情移入も出来ない登場人物なら…例えどんな悲惨な結末になろうと、どんなハメに陥ろうと、観客にとってはどうでもいい事だ。だとすれば、例えどんな結末になろうとも意外である訳がない。それどころか、どうなろうと知ったこっちゃない(笑)。それじゃあ面白い話になんかなるわけないよね。だってどうなってもいい奴の運命に、一体どこの誰がハラハラするんだ?

 そもそもの小説がどうなっていたか、僕には分からない。だがこれは、おそらく第三者的に突き放して撮ろうとすれば見事にそうできてしまう、映画ならではの誤算だったように思う。完全に人ごとの映画になってしまったからね。

 先に挙げたタランティーノやイニャリトゥなどの“時制ズラし”映画も、実はこれとは似て非なるものだ。だってあっちは、観客の感情をちゃんと登場人物に寄り添わせてる。そうしてスリルや感銘をつくりだす事をわきまえてるからね。

 だから今回は、ちょっとオキサイド・パンも誤算だったと言うことじゃないだろうか。いくらアクション場面なんかをスタイリッシュに処理してカッコつけても、それだけで映画が面白くなる訳ではないのだ。この映画が見終わった後、どこか空疎なのはそのせいだろう

 

見た後の付け足し

 そんな訳で、見た後で何とも心に寒い風が吹いたこの映画だが、たった一人だけ共感出来る人物がいたのを思い出した。それは先にも挙げた、タイ少年の幼なじみの少女だ

 日頃何かと言うと、ホテルの客から盗み出した電化製品を持って電気店に現れるタイ少年。それでカネ稼ぎする少年に、彼女は口うるさく注意する。

 「そんなことやってたらロクな事にならないよ!」

 少年は「うるせえな」とシカトを決め込むが、彼が心配な少女は黙ろうとはしない。だから少年が今度はヤバいブツを手に入れると、彼女は放っていけなくてついていく。それは案の定、ホントにヤバい事件を巻き起こしてしまう…。

 まぁ、この年齢にして男のバカさ加減と女のシッカリさがハッキリ出た場面と言えようか(笑)。これは大人になっても大して変わらないんだけどね。

 最後にドツボにハマってビ〜ビ〜泣くしかない少年を、「だから言ったじゃない」と泣きながら叱咤する少女。この彼女の意見には、僕も他の観客も同意したはずだ。

 だから彼女は、この映画の中でただ一人…四次元が見えていたはず(笑)

 僕もこんな女が傍らにいたら、もっといい人生が送れたかもしれない。トクな事もあったかもしれない。見る目がなかったかなぁ。多少ブサイクでも性格悪くても、四次元が見えるという女がいたなら押さえとくべきだった(笑)。…いや、待てよ。

 そんな四次元が見える女だったら、先が見えてるオレのとこになんか来やしないか…。

 

 

 

 

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