「危情少女 嵐嵐」

  危情少女 (Don't Be Young)

 (2004/07/05)


  

見る前の予想

 実はこの映画のことを知ったのは、公開の3〜4日前。うたい文句がすごくて、「中国初の本格ホラー」と来た。確かに中国映画のホラーは見た覚えがない。日本で上映されてないだけで、本国ではつくられているのだろうが、それにしたって珍しいジャンルには違いない。そうなると俄然食指が動いたわけ。たった2週間の上映でもあり、何としても押さえなくてはと「その気」になった。

 まぁこの手のジャンル、例え出来が悪くてもそれなりに楽しめはするものだ。アート系の映画でハズしたら目も当てられないが、ホラーやSF、アクションの駄作は最後には笑い飛ばすという手が残されている。だから安心して見に行ったんだよね。

 こうして普段はあまり来ない池袋の映画館に、何と初日に駆けつける気合いの入り方(笑)。この前ここへ来たのは、イランのアボルファズル・ジャリリの「ダンス・オブ・ダスト」の時だったと気づく。そう言う作品の時しか足を運んでないんだね。

 で、さすがにたった2週間興業だけあって、パンフレットもなくチラシだけ。ところがこれを読んでて今頃になって気づいた。この映画、何とふたりの人魚」のロウ・イエ監督の作品だと言う。これにはたまげたよ。

 「ふたりの人魚」は何とも不思議な恋愛映画で、夢かうつつか幻か…ウソとマコト、主人公が撮るビデオ映像と現実とが交錯する作品。何だか今は亡きキェシロフスキの作品みたいな味わいだった。そして全編に漂う切ない思い。

 これはそれに先立つ1995年の作品だと言う。しかも「中国初のホラー」だ。「中国初」はたぶんウソにしても、この監督が初期にこういう題材を手がけた事自体が興味深いではないか。

 いやぁ、これは掘り出し物だ。僕は劇場の座席でホクホクした気分で上映を待っていたんだね。

 

あらすじ

 もう一つの時間、もう一つの場所。

 「彼女」は、幼い頃からある悪夢を見ていた。それは不思議な夢だ。路上に落ちたビンの中に、何やら機械の部品のごときモノが入っている。たまたまそこに通りかかった「彼女」は、そのビンを落として割ると、中からその部品を拾い上げる。ところが間の悪い事にいきなりの大雨。建物の軒を借りて雨宿りを…と思っても、どこも人で満員。しかも皆なぜか青白い顔をして不審げな雰囲気だ。それを見ると、怯えて雨宿りを断念してしまう「彼女」だった。そんな「彼女」は雨宿り出来る場所を求めて走りに走るうちに、道を閉鎖した金網の柵をくぐって妙な場所へと潜り込む。そこは貼ってある標識によれば「ホーサン東二路」なる住所らしい。さらに奥へと歩いていくと、そこには古い三階建ての洋館があった。やっと雨宿り出来る場所を見つけた「彼女」は、その玄関先に座り込んでホッとする。

 見ると傍らには古本の山だ。中にはシェイクスピアの「真夏の夜の夢」もある。その本を手に取った「彼女」は、本の途中に紙が挟んであるのに気づく。それは家の間取り図と契約書だ。

 ところが、そんな「彼女」に背後から声をかける者がいる。それは何やら不気味な老婆だ。「お入り!」

 突然の声にビックリ仰天の「彼女」だが、入れと言われれば入らざるを得ない。恐る恐る家の中に入って階段の踊り場まで来ると…。

 先ほどの老婆が死体になっているではないか。しかも気づいたら、後ろから刃物を持った男が迫る。

 そして悲鳴を上げる「彼女」のノド元を、カミソリでかき切った!

 ノドの傷口から血を噴き出しながら、「彼女」は意識を失っていく…。

 汗ビッショリでガバッとベッドから起きあがる「彼女」…嵐嵐(ランラン)ことチュイ・イン。彼女はあまりに鮮やかな夢に不安になり、恋人の歯科医ヨウ・ヨンを電話で呼び出す。慌てて彼女を訪ねたヨウ・ヨンだが、チュイ・インの話す事はあまりに突飛な事ばかり。だがいいかげんに相手していると女は怒る。こうなると始末におえない。

 ところがチュイ・インの夢の話もまんざら妄想とは言えないようだ。というのは、彼女が夢の中で見たという「真夏の夜の夢」の本は、彼女の母親の蔵書の中にあった。しかも本を開けてみると、夢と同じように家の間取り図と契約書が入っているではないか。そして見取り図に書いてあった家の住所は「ホーサン東二路」。こうなると、何としても見つけたくなるのが人情だ。

 かくしてチュイ・インはヨウ・ヨンを引きずるように、その地名を訪ねてあちこち歩き回る。すると「ホーサン東一路」という地名は確かにあった。だが「二路」はない。

 何としても家を探したい彼女は、近所の薄気味悪い店に入っていく。そこから薄気味悪い客が出てきて二人を脅かすと思えば、中に薄気味悪いババアがいるではないか。

 「何でも聞いとくれ、お金は要らないよ」

 道を聞くだけでカネをとるつもりという了見もどうかと思うが、このババアは結局「ホーサン東二路」なんて知らなかった。でも、ここは「東一路」。ならばこの続きで「東二路」があっても不思議はないでしょ?

 すると、このババアが言った答えがまた理解に苦しむ。

 「この通りの先かい? この先は地獄じゃよ…」

 ここは地獄の一丁目か。聞くんじゃなかった。すっかりババアにオチョくられて収穫ナシの二人だった。

 だが、そんなこんなで神経高ぶってしまったチュイ・インは、あれこれ幻覚を見始める。それもそのはず。彼女の母親は、このアパートの二階の窓から飛び降りて死んだ。その事がチュイ・インの中にはトラウマとして残る。心配してヨウ・ヨンも彼女の傍らに残るが、夜中に何者かが呼び鈴を鳴らすわ、またしてもチュイ・インが母の顔を見るわ…と寝ている場合ではない。そしてヨウ・ヨンは、いつしか「東二路」のからくりに気がついた。

 早速チュイ・インを連れて例の「東一路」へとやって来るヨウ・ヨン。実はこの通りのどん詰まりは金網で閉鎖されていた。…チュイ・インの夢の通りに。そこをくぐっていくと…「ホーサン東二路」の標識があるではないか。さらに奥へと進んでいくと、寂れた洋館が現れた。夢は現実だった。

 ここは、チュイ・インの一家が元々暮らしていた家だったのだ

 これにはいささか説明がいる。実はチュイ・イン、元々から親一人子一人ではない。その昔はここに父親も加えて一緒に暮らしていたが、父親は母親との口論のあげく家を出て帰ってこなかった。元々父母の結婚は親が決めていた縁談で、仲が悪いのは昔からだったらしい。結局夫に去られた母親は、チュイ・インを連れて家を引っ越した…。

 そう言えば母親は自殺の直前に、父親の居所を見つけた…と語っていたっけ。家出してから一度も戻ってきていない父親。その居所を突き止めた…と語ったすぐ後に母親が自殺…。何とも不可思議だ。この頃チュイ・インは何やら怪しげな幻想に取り憑かれ、その中には母親の亡霊らしき姿まで見えるからたまらない。恋人ヨウ・ヨンも終始引っ張り回されどうし。

 だが、その一方でとんでもない企みが進行していた。ヨウ・ヨンの医院で看護婦を勤める女の元に、一本の録音テープが送られてくる。そこには、看護婦の過去の「罪」が暴露されていた。誰も知らないと思っていた秘密を知っている者は誰か? ともかく看護婦はこの人物の呼び出しに応じて、今は廃墟と化した製鉄所の建物へと出かけていく。

 出てきたのは、この製鉄所を住みかにしている不審な男。この男は、かつて看護婦が勤めていたある病院の患者だった。そこでこの男は、看護婦が殺人を犯すのを見てしまったのだ。それをタテに、この男は看護婦にとんでもない事を持ちかける。「今、ヨウ・ヨンとつき合っているチュイ・インという女を殺せ!」

 最初はあまりの事に拒む看護婦だったが、この男の言い分は実にツボを押さえたものだった。まずはこの男、実は看護婦がヨウ・ヨンに横恋慕している事を指摘した。図星を突かれてうろたえる看護婦。ならばチュイ・インの死は、看護婦にも願ったりかなったりのはず。それに一度人を殺したからには、一人殺すも百人殺すも違いはあるまい。そう言われると拒む理由もなくなる看護婦ではあった。

 それにしても、この製鉄所の男の正体は…?

 さて、洋館が母親のものだったと分かった以上、ここに住みたいと主張するチュイ・イン。だが相変わらず幻影やら悪夢に悩まされている彼女の姿を見るにつけ、恋人ヨウ・ヨンとしてはそれを勧められる訳もない。それでもここに住みたいとチュイ・インが言い張る以上、止める訳にもいかない。そこでヨウ・ヨンは、洋館の余った部屋を貸間にしようと提案する

 新聞広告を見て、まずは一人のダンディな中年男がやって来る。さらには若い男がやって来る。いずれも何やら訳アリっぽい連中ばかりだ。

 そんな折りもおり、医師の資格試験で別の街に行かなくてはならなくなって、ヨウ・ヨンはチュイ・インを置いて数日留守することになった。これは製鉄所の男と看護婦にとってチャンスだ。チュイ・インはヨウ・ヨンの医院に通っていて、彼の不在中は看護婦が具合を看ることになっていた。その時、クスリだと言って毒を盛ってやればいい…。

 いまや四面楚歌のチュイ・イン。その運命やいかに?

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 まず、これだけ読んでも勘のいい人ならお分かりの通り、製鉄所の男とはヒロインの父親だ。それがなぜ娘の命を狙っているのか…と言えば、実は本当は彼と血が繋がっていないから…というわけ。劇中で洋館の部屋を借りにやって来るダンディな中年男が実の父親。妻の不貞を知った夫がキレての犯行…というのが全編の真相だ。

 これだけ言えばお分かりの通り、この映画は「ホラー」ではない。ホラー仕立てに描いてはあるが、あくまでサスペンス・スリラー。だから結果的にすべては犯罪で、それを行った犯罪者がいて、真相があって、理詰めで解決できるお話になるわけだ。日本の横溝正史原作の推理モノみたいなものだ。てっきりやられてしまった。

 だが、これを「ホラー」と思っても仕方がない。だってかなりジャンルとしては怪しい作品なんだよね。ホラーと見せかけてサスペンス・スリラー…というのが横溝モノだけど、あれは一応ジャンルのルールは守っている。だけどこの映画は、そこんとこを越境しちゃってる。どっちとも言えない怪しげなところがあるわけ。本当は理詰めの話のはずなのに、そうじゃないホラーのふりをしている部分がある。…というか、本来は全部説明がつかなきゃマズイのに、どう考えても説明のつかない部分があるのだ。

 もしこれがサスペンス・スリラーだとしたら、ジャンルとしては犯罪モノだから現実の話だ。極端な話、「砂の器」や「ダイ・ハード」、「ダーティー・ハリー」と同じ世界の話にならなきゃ困る。それなのに、ホラーのふりだけしている訳でなくて、どうもホラーとしてつくっちゃってるフシがあるのだ。でも、それじゃマズイよね。だってハリー・キャラハンの物語に幽霊は出ないだろう。ジョン・マックレーンが戦う最中に超常現象は起きないだろう。要はそういう事だ。

 そういう意味で言えば、この映画はアメリカ映画ホワット・ライズ・ビニースに酷似した映画だ。アレもそのあたりの境界線を逸脱した映画だった。僕はあの映画の感想文でも確か酷評していたように記憶している。では、なぜその境界線を逸脱したらダメなのか? 別に法律で決まった訳でもないではないか?

 だけどねぇ、現実の話か超自然的な話か…という境界線だけは、ハッキリしておかねばならない一線なんだよね。というのは、もしリアルな世界の話で幽霊やら超常現象が起きたら、すべて何でもアリになってしまう。証拠やら動機やらアリバイやらって事で犯罪を調べていったり真相が暴かれたりってサスペンス・スリラーというジャンルで、超能力や幽霊が出ちゃったらオカシイではないか。それを出すなら出すで、おそらくはそのための段取りが要る。そうでなければ、何でもアリのデタラメ映画になってしまう

 では、結論部分に目をつぶってホラーだと考えても、この映画には困ったところが目に付く。それは「大山鳴動鼠一匹」とでも言おうか、とにかく大げさな割には中味がカラッポということだ。

 映画は初めからガ〜ンとかバ〜ンとか大音響と共に脅かしどころが満載。ただ、それのどれもこれもが単なる引っかけやサプライズだけ。怖がらそうという意図は分かるのだが、それが毎度毎度お話の上では意味がない。夢に出てきた洋館を訪ねてみるとその場所は見あたらず、仕方なく近所の婆さんに聞いてみると、いきなり「この先にあるのは地獄…」などとコケ脅かしの台詞が出てくる。これが何の意味もない。この婆さんも二度と出てこない(笑)。あるいは看護婦を脅すために録音テープが送られてくるが、これがまたいくら今から10年ほど前の1995年でも、あるいは舞台が中国であっても、今時どこだって使ってないだろう…と言いたくなる古いオープン・リールのテープだ。なのに看護婦は、どこで手に入れたかテープレコーダーにかけてこのテープを聴く。確かにカセットと違ってムードは出るだろうが、まったく現実味がない上にそこまでする意味もない。いくら何でも1995年の中国じゃ、オープン・リールもないだろう。

 お話もあちこちおかしくって、例えばこの看護婦がかつて患者を殺した理由というのが、この患者が彼女をレイプしようと狙っていたから…とのこと。そこで看護婦は、この男に刺されていたチューブを抜いて殺すんだよね。ということは、チューブで繋がれて治療の真っ最中だったような奴が彼女をレイプしようとしていたのか(笑)? こんな非現実的な話はないよね。

 しかもヒロインの法律上の父親は、動物実験を繰り返したあげく、生物の老化を促進するクスリを開発している。クライマックスではこの薬品を使ってヒロインを殺そうとして、逆に自分に注入されて死ぬことになる。だが画面で見る限り、何ら肉体的な変化は見られない。だったら、何でそんな大げさなクスリなんて設定を持ち出すのだ(笑)。ただ刃物や拳銃でいいではないか。意味がまったく分からない。

 そもそも映画の冒頭からして、いきなり「もう一つの時間、もう一つの場所」なんて思わせぶりな言葉が画面に出てきて、大げさなんだよね。でも、この言葉って何か意味があったのだろうか?

 そのあたりのやたら大げさ…実は中味カラッポという上げ底ホラーぶりは、言ってみればTHREE/臨死の第一話、キム・ジウン監督による韓国篇といい勝負かもしれない。アレも派手に脅かす割には意味がなかったもんね。

 だから、見ていて実に複雑だったよ。

 「ふたりの人魚」(2000)では独自の味わいを見せて素晴らしかったロウ・イエ監督だけど、この1995年の作品では「まだまだ」だったのかもしれない。これは元々テレビ・ムービーだったらしいが、おそらく習作時代の作品ということになるのだろうか?

 それでもホラー映画らしく見せようと腐心したのか、いろいろ気色悪い趣向を凝らしているのは努力賞的に買えるかもしれない。そして、ところどころに見受けられる画面上の凝り方。クライマックスで犯人である父親と助けに来た恋人が取っ組み合いをしているのを見て、ヒロインが枕で父親に殴りかかるのは妙ちきりんだったけど、そこで枕が破れて中から羽根が飛び出し、周りにパァ〜ッと降り注ぐあたりは結構精一杯スタイリッシュにやった結果だと思うよ。枕なんかで殴りかかってどうする…とは思ったけど(笑)。他にもお約束とも言えるヒロインのシャワー・シーンなどもあって、僕は思わず笑っちゃったよね。

 笑ったと言えば、ヒロインのチュイ・インもかなりオカシイ。彼女は髪をお下げにして儚げで弱々しいヒロインを演じている訳だが、何せこの人はこの映画の2年後に、チャン・イーモウのキープ・クールに出た人だからね。やたら現実的で開放的、短髪のイケてるネエチャンを演じたのが彼女だ。そりゃあいくら何でも無理があるだろう(笑)。

 しかも冒頭の悪夢の場面などでは、何だか紫色のアイシャドーと口紅をベットリと塗って、ケバケバで出てきてビビらせる。何でこんなケバくメイクしてるのか…と不審に思ったが、現実と夢を対比させるためかと無理やり自分を言い聞かせて見ていた。

 ところが後半になると、彼女がクスリを盛られてカラダが弱ってくる。するとまたしてもメイクがケバくなるんだよね。どうやらこれって体調が悪くなって、目の回りが黒ずんだり唇の色が悪くなったりしているのを表現しているらしいんだよ(笑)。そうは全く見えないと言うのが悲劇なんだけどね。

 まぁ、これらはホンの一例にすぎない。ともかく派手にスベった映画なんだよね。

 

見た後の付け足し

 まぁ、何でこんなになっちゃったかと言うと、やっぱりホラーとかサスペンス・スリラーというジャンルは、中国ではまだ珍しい部類に入るからじゃないかと思うよ。きっと作り手たちはこのジャンルに不慣れだったんだと思う。だからホラーとサスペンス・スリラーには境界線があるってルールも取り違えちゃったし、ホラーならホラーで一生懸命意味もなく脅かしてしまった。あげく大げさに盛り立てて、中味カラッポな部分が多くなった。

 まぁ習作時代とは言え、あれだけ素晴らしい作品をつくったロウ・イエ監督でも最初はコレか…と苦笑したが、それでもいろいろ面白い点は指摘出来るよ。

 まずこの作品では、ロウ・イエは脚本を書いていない。そこが致命的だったのではないか? まだ駆け出しだったであろうロウ・イエでは、あてがわれた脚本を一生懸命映像化する他あるまい。だからこそ…自分が作品をコントロール出来るようになったら、まず自分で満足のいく脚本を書いたはずだ。必然性のある物語でないとダメだ…と、彼はこの「危情少女 嵐嵐」でイヤというほど思い知っただろうからね。

 そしてヒロインには作品のイメージにピッタリな女優を選ばねばならない…と、これまた肝に銘じたはずだ。「ふたりの人魚」の素晴らしいヒロイン=ジョウ・シュンという希に見る逸材を手に入れたのは、この時に強く心に焼き付けたこだわり故と思うんだよね。

 そしてもっと興味深いのは、この作品の構造だ

 虚実入り乱れたところに真相が分からないまま、幻想と現実が交錯する。どこまでがリアルでどこまでが夢か、どこまでがホントでどこまでがウソか分からない。この映画ではそこがホラーとサスペンス・スリラーとの境界を曖昧にして、困った状態にしてしまった。だがその混濁した雰囲気は、ロウ・イエに何らかのヒントを与えたのではないか?

 考えてみれば「ふたりの人魚」も、そんなウソとマコト、現実と幻想が錯綜した映画だった。あの作品の直接のヒントは、おそらくこの作品の経験から得ていたのではないかと思うんだよね。

 だとしたら、こんな出来損ないの映画でもロウ・イエにとってはムダじゃなかった。そしてそれが確認出来ただけで、僕にとってもこの映画の鑑賞はムダじゃなかったんだよね。

 

 

 

 

 

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