「浮気な家族」

  A Good Lawyer's Wife

 (2004/07/05)


  

見る前の予想

 躍進著しい韓国映画の一本。…とくれば、これも傑作と思えるよね。実際に海外の映画祭でも賞をとってるし、韓国映画と来ればいいに決まってる。今年見た作品も、どれもこれもハズレなしではないか。

 しかも今回はヒロインにオアシスムン・ソリが登場。前作の脳性マヒ患者の演技から、今度はバ〜ンと脱ぎまくって高校生を誘惑する倦怠期の主婦役。またまた体当たり演技だから、これまたいいに決まってる。みんなが浮気したり本音がバラバラな、家族の崩壊を扱った映画とくればタイムリーな題材だし、これまたいいに決まってる。きっと面白い映画なんだ。誰だってこの映画の前評判を聞けば、ホメ言葉以外の感想など頭に浮かぶはずもあるまい。だって、いいに決まってるんだから

 

あらすじ

 弁護士としてバリバリのファン・ジョンミンは、今また新たな事件を抱えて大忙しだ。それはかつての韓国社会の暗部にまつわる事件。政治的な問題で犠牲になった人々のための告発だ。遺骨発掘現場に立ち会いながら精力的に動き回るファン・ジョンミン。だがその心の中は、実は目下の愛人ペク・チョンニムの事ばかり。早速発掘現場から彼女の元に駆けつけると、毎度のようにしっぽり濡れる間柄だ。

 妻ムン・ソリは…と言えば、連日仕事で遅いと繰り返す夫に今さら何とも思わない。血は繋がらないものの愛情は惜しみなく注いでいる、まだ幼い養子の息子チャン・ジュニョンの世話をしたり、ダンス教室であれこれ練習や用事をしているうちに、何だかんだと時間は過ぎていく。こう見えても彼女は忙しいのだ。

 そんなある日、彼女は自転車でサイクリング中、ダンス教室で練習中…事あるごとに隣家の男子高校生ポン・テギュが出没する事に気づいていた。さてはこのポン・テギュ、いつもムン・ソリの後をつけ回しているのだろうか?

 ところでファン・ジョンミンの家族はこれだけではない。父キム・インムンと母ユン・ヨジョンも本来は同居している。だが父キム・インムンは病気で余命あとわずか。母ユン・ヨジュンはと言えば、そんな夫をほったらかして勝手にあっちこっちへ遊びほうけている。実はこのユン・ヨジュン、この歳にして新たなオトコが出来ていた。夫亡き後の人生設計を前途洋々なものにすべく、ちゃんとプランを建てているチャッカリさ加減。それでもユン・ヨジュンに言わせれば、これから「夫のおかげでムダにした人生」を取り戻す気らしい。

 夫ファン・ジョンミンと妻ムン・ソリの夫婦関係は…と言えば、夜の方もすこぶるお寒い。完全にパターン化したまぐわいのあげく、妻ムン・ソリは「感じない」と自分で自分を慰めるアリサマだ。

 それでもカラダの火照りが醒めないムン・ソリが、家の中を裸でブラブラしていると…またしても隣家の高校生ポン・テギュが双眼鏡でのぞきだ。そんなポン・テギュは父親とはソリが合わないらしく、翌日も大揉め。そんなポン・テギュに同情したのかしなかったのか、ムン・ソリは映画館で彼に親しく話しかける

 その頃、愛人ぺク・チョンニムが運悪く妊娠したため、ファン・ジョンミンは彼女の中絶手術につき合う。さらに彼女を慰めるべく、二人で不倫旅行とシャレこんだ。そして妻ムン・ソリは高校生ポン・テギュを誘って、久々に昔凝っていた登山を楽しむ

 ところが好事魔多し。不倫旅行の帰り道、ファン・ジョンミンの運転するクルマは、飛び出してきた郵便配達男のバイクをはねた。この郵便配達男がヤケ気味で泥酔していたため、警察は一方的に彼のせいにした。あとはカネの力にモノを言わせて、何とか事なきを得るファン・ジョンミン。

 彼が戻ってみると、父キム・インムンの病状は一層進んでいた。吐血、錯乱…そしていよいよ絶命。母ユン・ヨジョンはサバサバしたように愛人と去っていった

 ムン・ソリと高校生ポン・テギュとの仲はいよいよ進み、明らかに童貞のポン・テギュにムン・ソリが手ほどきしようというところまで来た。だが肝心なところで、ポン・テギュの父親のジャマが入る。キレたポン・テギュは拳で鏡を叩き割って血だらけ。最悪の成り行きにムン・ソリはウンザリ。

 ところがその頃、あの事故った郵便配達男が再び泥酔。ファン・ジョンミンとムン・ソリ夫妻の養子の息子チャン・ジュニョンに近づこうとしていた…。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 見る直前に知ったのだが、この映画ってディナーの後にイム・サンス監督の作品なんだってね。これには驚いた。そして期待はさらに高まったんだよね。

 実は今みたいにブーム化する以前の韓国映画を見ていた僕は、ある時を境に韓国映画が変わった…と実感せざるを得なくなった。それは1998年に見た「モーテル・カクタス」、さらに1999年の「NEO KOREA - 韓国新世代映画祭 '99」で見た「江原道の力」とこの「ディナーの後に」…この3本の影響が大なんだよね。確かにこれらの作品にはショックを受けたよ。

 特に「ディナーの後に」が新しかったのは、その乾き具合だ。それまで「被害者意識」で悲壮感漂っていた女性映画をカラッと解放。しかもあけすけなセックス談義で全編を貫き、濡れ場もスコ〜ンと抜けて奔放…という、それまでの韓国映画に見られないドライさ加減だった。ジメッとしたエロではないのだ。それはそれで悪くはないんだけどね(笑)。そして何より「今を生きる女の実感」が感じられた。そこが何より新しい。

 だからそんなイム・サンスが、「オアシス」で新境地を拓いたムン・ソリに大胆演技させるのも当然だろうし、今度は豊かになった韓国社会での家庭の崩壊を描くのは、いかにも「らしい」展開だと思える。この人ならやりそうな題材だし、「やれる」題材なはずだ。

 で、見たんだけどね…。

 な〜んだか僕の口調の熱のなさに、読んでいるみなさんもお気づきの事だと思う。そう、僕は正直言ってこの映画を買ってない。

 確かにつまらなくはない。退屈もしてないし、それなりに楽しんだ。言いたい事も分かる気がする。だけど、だから何なんだ…って気もなくはないんだよね。

 家族がみんながみんなてんでバラバラ。もっともらしいタテマエはあるものの、内実は空疎だ。そこでみんなは陰に隠れて、そんな家族の枠から逸脱する行動に出る。チラシに書いてあったストーリー通り。そのまんま映画は進行する。新たな発見ナシ。

 ところで「家庭の崩壊」って、そんなに新しい話なんだろうか?

 みんながそれなりの役割を演じさせられて、昔ながらの「家庭」を維持させられている…って考え方、そしてもはやそれが「賞味期限」を終えようとしているって考え方は、もう大分前から聞かれている話だよね。この映画はその考え方の「まんま」を描いているようにしか見えない。これって「今の家庭」の真実だ…とか、新しい視点だとか思ってつくってるんだろうか? 悪いんだけど、むしろ今は「家庭」に対するこういう捉え方って、すでに手垢がついた凡庸なものとさえ言えるものじゃないだろうか?

 ハッキリ言ってみんながすでに知っている事ではないか。そこに何も足される訳ではないし、何か逆転させられたり驚かされたりする訳でもない。「まんま」だ。なのに、さも大げさに大発見でもしたかのように描かれてもねぇ。もう「家庭」て概念が崩れちゃってるのなんて、当たり前って言えば当たり前じゃないだろうか?

 おまけにその結果の「オンナの旅立ち」ってのも、今さら紋切り型のパターン…「典型」もいいとこではないか。そんな色褪せちゃったルーティンにしか見えない。とりあえずインテリ男が、「オンナはエライ」とか言っておけば知的な作品に見えるし女に喜ばれるよな…と考えて、計算づくとオベンチャラでペタッとくっつけたエンディングにすら見えてしまう。

 「オンナの旅立ち」「オンナの勝利」で終わるならそれもいい。ただこの映画には、こうならざるを得ない切実さがない。そうでなければ困る…と思い詰めるような作者の思いが感じられない。だからどこか「この手の映画はそうするものだ」みたいな、変なイマドキ映画の既成概念でやっちゃったくさい雰囲気が漂っているんだよね。

 これがあの「新しさ」と「実感」を持った、「ディナーの後に」の監督の作品なんだろうか。ちょっと…どころか大分ガッカリしちゃったな

 もう、「家庭の崩壊」なんかを大発見みたいに描くのは無理があるんじゃないだろうか。わざわざ映画にするならば、もっと身につまされる「リアリティ」をプラスするとか、この作者なりのオリジナリティある意見を出すとか、逆に反論するとか新たな価値観を提示するとか、もうちょっと何かしないとどうしようもないだろう

 だけどこの映画は、タチが悪いことに一見いい出来に見える。家庭崩壊を描いた大胆で恐るべき映画…なんて「いかにも」なレッテル貼られて、たぶん好評を得るだろう。そんなもの今さら珍しくもないのにさ。とにかく題材も描き方も、いかにも「ホメられそう」…というか、「ホメなきゃマズイ」気分になる作品だからね。こういう映画ってケナせないだろう? おまけに勢いある韓国映画だしね。ムン・ソリはあんな体当たり演技してるし。みんなおそらくこの映画はホメると思う。ホメるしかないと思う。「どういいのか」は何度読んでも分からないような感想を並べながらね。

 確かに自分の家庭をいまだに持っていない僕には、ノリにくい題材ではある。だからニブイ反応しか感じないのかなとも思った。でも、かつての家庭崩壊劇でも、身につまされる映画はちゃんと身につまされたよ。そして男でも、「ディナーの後に」のヒロインたちには共感した。だから、やっぱりこの映画ってただつまらないんだと思う。きっと頭で考えたようなお話を、いかにも「こういう映画をつくる時にありがちな」スタイルでつくったんじゃないだろうか。そういう一応のノウハウだったら、今なら躍進韓国映画にはふんだんにあるだろう。だからみんながホメずにいられないような、方程式みたいなものは出来ているんだろう。そういう良くない部分も、韓国映画イケイケの今ならありがちな事なんじゃないか。

 これはそんな躍進の光と影の「影」の部分かもしれないね。

 もちろんすぐれたところはあるよ。例えば主人公夫婦の養子の子どもが、キレた郵便配達男にビルから突き落とされるあたりは、あまりにいきなりであまりにダイレクトだからハッと息を呑んでしまう。そのくらい瞬発力のある場面だ。

 そしてもちろん、ムン・ソリ演じるヒロインの女性像。…このおかげで、映画全編が目の離せないものになってるんだけどね。

 

見た後の付け足し

 「オアシス」が脳性マヒ患者、今回がモロ肌脱いでの大胆濡れ場…確かにムン・ソリ大したものだ。評判にもなるだろう。

 今回驚いたのは、その容貌と雰囲気の変貌ぶり。「ペパーミント・キャンディー」と「オアシス」の幻想シーンではまだ可愛い面影も残した若いお嬢さんだったのに、ここでは年増みたいなムッチリネッチリとした色気もある倦怠期の主婦を「いかにも」に演じている。これには驚いた。それがまた、なぜか日本の日活ロマンポルノで活躍した女優、宮下順子を彷彿とさせるから二度ビックリ。ホントに彼女に似てるんだよ。たまげたよねぇ。

 ただ僕は、脳性マヒを演じたり濡れ場とヌードを演じたりすればエライとは思ってない。世間じゃそれで彼女をモテはやすだろうが、そんなのはナンセンスだ。世間じゃ「体当たり演技」をすりゃ名演技だと思ってるし、女優もヘンに頭でっかちになって裸になったりスキャンダラスな役を演じれば演技開眼だと勘違いする。そんなもん、いくら何でも向いてない奴がやったってダメだ。それに軽〜い芝居や楽しい演技が素晴らしいって事もある。アカデミー賞じゃあるまいし、コテコテ演技こそが素晴らしいって発想は鈍くさくてイヤだよね。ヤボっちいんだよ。

 だからムン・ソリも、これで変な方向に勘違いしない事を願うばかりだ。あくまで自分に合った事をして欲しい。クセ者狙いはしないで欲しいよ。まぁ、批評家とか世間の映画ファンがどいつもこいつも分かってないから、そういう誤解も起きちゃうんだけどね。

 今回のムン・ソリにもイヤな予感はしたんだけど、今回に限っては杞憂だったようだ。確かに前述のごとくリッパに「倦怠期の主婦」然としていたのには驚いたし感心もした

 何より、「丸ごとオンナ」って感じがしたからね。で、この映画の中で唯一実感を感じたのもそこだ。…って事は、この映画でいいのはムン・ソリだけって事か(笑)。

 ソコソコに可愛く心優しく、適度に現実的で常識もある。だけど「ここぞ」という臨界点を過ぎると、生き物の「メス」としての本能でオス=男に接する。

 映画のラスト、何とか関係を維持させようと「譲歩に譲歩を重ねる」夫に、彼女はバッサリとダメを出す。

 「もう、あなたはアウトでしょ」

 これは決して、夫がそれまで裏切りを繰り返していたからではない。それらに対する報復ではない。

 この時点で、彼はすでに不倫相手にも背を向けられている。言わばジリ貧状態だ。もう落ち目なわけ。そしてそれが因果応報であろうとなかろうと、それまで悪行があろうとなかろうと、メスは落ち目なオスには妥協の余地がないのだ。

 だから瀕死のオスに対して、情け容赦ない「死刑宣告」をする。生きている価値がない…とハッキリ通告する。さすがに男はこれを女に対して出来ないよね。でもメスは自らの生存と、自分が生むであろう子どもの将来がかかっているからやる。これは見込みないと見切ったオスは、何のためらいもなく切り捨てる。そういう実に身も蓋もない「等身大」のオンナを、ムン・ソリは的確に表現していたと思うよ。

 「アウト」…これってイム・サンス監督自身が言われた言葉じゃないのか? だって、ヤケにリアリティありすぎだもんね(笑)。

 

 

 

 

 

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