「21グラム」

  21 Grams

 (2004/07/05)


  

「21グラム」以前のF

 この1〜2ヶ月というもの、僕を取り巻くあらゆる要素が一気に変わろうとしている気がする。ここ最近ずっと僕を苦しめてきたさまざまな問題に、何らかの決着がつこうとしているように思われる。

 仕事はある時点から下降線を辿りっぱなし。それに伴って収入も減る一方だった。この時期の唯一の救いはプライベートの出来事だったが、それも3年も経たずに悪夢と化した。精神的には最悪、キャリアもドン底、銀行口座も底をついた。どうやったら自分を救い出せるのか分からなかった。何か理由さえあれば、すべてを投げ出したい衝動にかられてもいた。

 それが…まるで何かの符合か予定でもあるかのように、ここ1〜2ヶ月ですべてバタバタと状況が変わった。人生が好転するのかどうかは分からない。いやぁ、実は好転なんかしちゃいないんだけどね。

 だが、とにかく変わろうとしている事は明らかだ。良くも悪くも変わる。「ハリー・ポッター」の新作の宣伝コピーも言ってるよね。「僕らは、変わる」…。

 確かにここへ目がけていろいろ変えていこうとは思っていた。それが証拠にタバコもやめた。たぶん、もう一生吸うこともないだろう。

 だが、こうもすべてが時計仕掛けか何かのように変わるものだろうか

 それに、変わったからと言ってこれから先に不安がない訳ではない。うまくいく保証もない。少々大げさではあるが、何かを「失ってしまった」という空洞を抱える人間には、これから先を考えるのがとても難しい。それでも今の僕には、こうする事が正しい事なのだと思える。これだけすべての事が、バタバタと同時に動いていくとすればね。

 そういう事って、僕の人生には今までも何度もあった。その時には自分に関わる物事のすべてが、まるで何かの啓示のように見えるものなんだよね…。

 

Fの過去

 その災いはどこから始まったのだろうか? 発端を考えれば、今から9年ほど前まで遡らなければならないかもしれない。

 だが、まずは決定的な打撃と言えば、7年前の海外での事件が挙げられるだろう。あの時に僕は、すべての自信もプライドも失ってしまったように思う。それからの僕のキャリアは、どんどん下降していくばかり。それでも僕は、何も止める手だてがなかった。

 そんな空虚な気持ちを慰めたのが、いつしか手を出すようになったネットだろうか。ほんの気まぐれでホームページを始めた僕は、必要以上にそこに打ち込む事になった。本当はそんな事をしている場合ではないのだ。それなのに、僕は現実から目を向けてネットに入れ込んでしまった。

 そのうち、僕のプライベートに大きな事件が起こった。夢中になって入れ込んだ僕は…やっぱりそこで現実から逃避していたのだ。今その当時の事を思えば、結果がどうなるかは分かりそうなもの。それでも僕は現実に目をつぶった。そして夢中になれるものに溺れた。

 ところが今度はそんなプライベートそのものが一転して僕の悩みのタネとなった。そうなると僕は再びネットに依存せざるを得ない。キャリアもプライベートも人生そのものも、全部うっちゃらかして見て見ぬふり。そして、すべてはいくところまでいってしまった…。

 

「21グラム」以前のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ

 東京国際映画祭で僕が見たアモーレス・ペロスは、ある交通事故を中心に、そこを接点にした全く関わりのないはずの人々の3つのエピソードが交錯するストーリーだった。こう書いたら、いかにアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが「21グラム」の監督としてピッタリかお分かりだろう。…というか、いくら何でもこうまで同じようなネタの映画をオファーするなんて、イニャリトゥ監督を起用したプロデューサーも発想が安易だし、受けたイニャリトゥもイニャリトゥだ…という気分にさえなってしまいそうだ。

 実は「アモーレス・ペロス」は東京国際映画祭でもグランプリを獲得したし、僕自身も好きなタイプの映画だ。3つのエピソードを力業でまとめ上げる馬力もスゴイと思った。ただ、事故を起点にさまざまな人間模様を交錯させるこの映画、いささかその構成に必然性が乏しい…というか、脆弱で整合性がとれない部分がありはしないか…と感じたんだよね。面白いし僕も好きではあるが、あえて少々苦言を呈した。残念だという気持ちがしたからね。

 

「21グラム」直前のF

 僕が「21グラム」の事を知ったのは昨年のこと。ただしその時はひどく好評な事は分かったが、この映画のタイトルしか知らなかった。その後今年のアカデミー賞の候補について調べているうちに、ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロという豪華メンバーの映画である事を知る。頭角を現したばかりのナオミ・ワッツはともかく、ペンとデル・トロの激突とくればヘビーな映画である事も想像がつく。さらに驚いたのはこの「21グラム」って、「アモーレス・ペロス」のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の新作だと言うではないか。こりゃ俄然気になり始めたよ。

 もっとも「アモーレス・ペロス」は好きな映画だが、ちょっと難ありの出来だった。だから今回の「21グラム」に期待もするし、いささか不安を感じてもいたんだよね。そしてスクリーンに対峙した。

 

「その時」以前のクリスティーナ

 クリスティーナ(ナオミ・ワッツ)は優しい夫と二人の娘がいる主婦。妹(クレア・デュバル)とプールで水泳を楽しんだりと、毎日の生活を楽しんでいる。

 

「その時」以前のジャック

 ジャック(ベニチオ・デル・トロ)は信心深い男。最近クジで一等を当ててトラックをもらった事も、神の御心と信じている。神が彼にトラックをくださったのだ…と。だからグレてた若者に信心を勧めるのは、単なる説教ではなくて彼の信念によるものだ。彼いわく、「神様はオマエの髪の毛一本動くのもお見通し」。だが彼の信仰へと教会への入れ込みように、実は妻のマリアンヌ(メリッサ・レオ)はいささか辟易していたのだが…。そんなある日、ジャックは働いているゴルフ場の職をクビになってしまった。それは彼の過去に理由があった…。

 

「その時」以前のポール

 ポール(ショーン・ペン)は心臓の病に冒されていた。それも余命一ヶ月。頼りは順番待ち状態の心臓移植手術のみ。妻のメアリー(シャルロット・ゲンズブール)は、そんな彼の子どもを欲しいと願うが、かつて秘かに行った中絶手術のミスの後遺症が祟って卵巣が傷ついていた。彼女は不妊を治す手術を受けるとともに、ポールに人工授精による妊娠を望むのだが…。

 

ポールの過去

 実はポールとメアリーは別居して、夫婦生活は崩壊寸前だった。そんな時に妊娠を知ったメアリーは中絶を選んだ。しかしその後ポールの病状悪化を知ったメアリーは、過去の事は水に流してポールの元に戻ったのだ。

 

「その時」直前のポール

 最初は気乗りしないながらも、結局メアリーの願いに根負けして人工授精にオーケーを出すポール。それでも医師に、死期が迫るポールには子どもの顔を見ることは出来ない…と念を押されると、複雑な心境にならずにいられない。

 

ジャックの過去

 実はジャックは前科者だった。それも殺し以外は何でもやってきた札付きのワル。そんな彼が出所して心のよすがとしたのが信仰だった。信仰だけが、忌まわしい過去から彼を救い出せる。信仰にすがらずには真っ当な道は歩めない。そう信じているからこそ彼は、妻からいささか常軌を逸していると見られても、一途な信心をしないではいられないのだ。

 

「その時」直前のジャック

 クビになったゴルフ場に私物を取りに行ったジャックは、昔の友人に慰められる。家では今頃彼の誕生日パーティーを準備して、みんな待っているはずだ。ここでクサっては…と思いも新たにしたジャックは、あくまで笑顔で友人と別れ、愛車のトラックのハンドルを握るのだった…。

 

「その時」直前のクリスティーナ

  ある夜、家に戻ったクリスティーナだが、夫も子どももまだ帰宅していない。携帯電話には「これから帰る」というメッセージが残っていた…。

 

そして、「その時」が来た。

 

「その時」のジャック

 ジャックの自宅では、彼の誕生日を祝おうとみんなが待っていた。だが肝心の主役が帰ってこない。戻ってきたジャックは、しかし真っ青な顔で妻マリアンヌに吐き出すように言った。「オレは横断歩道を横切る親子をはねた…」

 彼の幸運の象徴だったはずのトラック…それが最悪の事故を起こしてしまった。事故を起こしたジャックは怯えきって、そのまま逃げ帰ってしまったと言うのだ。慌ててマリアンヌは現場に行ってみると、その辺り一帯は警察と救急の人間でごった返していた。しかも事故の被害者は死んだと言う。それを聞いたジャックはマリアンヌが止めるのも聞かず、警察に出頭を決意するのだった

 

「その時」のクリスティーナ

 夫と子どもの帰宅を待つクリスティーナの元に電話がかかる。それは彼女にとって信じがたい知らせだった。三人が事故にあった?…クリスティーナは慌てて指定された病院へと駆けつける。そこには知らせを聞いた妹と父親もやって来た。そこで担当医師が語った事故の状況は…二人の子どもはすでに亡くなり、夫も現在危篤状態…。さらに危機的状況を迎えるに至って、病院関係者はクリスティーナに臓器移植の要請をした…。

 

「その時」のポール

 夜中いきなりの連絡で呼び出されたポールとメアリー。それは心臓提供者が見つかったという知らせだ。もはや諦めていただけに驚いた二人は、病院に慌てて駆けつける。ポールはそのまま病院に入院。心臓移植手術を受けることになった。

 

「その時」以後のクリスティーナ

 夫と子どもの死後、クリスティーナは激しい喪失感に苛まれる。何事にも無気力になり、誰とも会おうとしなかった。そんな彼女の前に現れ、話しかけてくる見知らぬ男。だがクリスティーナは彼を相手にもしない。そしてある旧知の女の元へと出かけるのだった…。

 

クリスティーナの過去

 実はクリスティーナは、かつてドラッグ常習者だった。彼女がコンタクトをとったのは、かつてのヤクダチ。幸せな家庭生活が彼女を薬漬けから立ち直らせたのだが、その家庭の崩壊が、今また彼女をクスリ依存症に陥らせようとしていた。

 

「その時」以後のポール

 健康を取り戻し、普段の生活に戻ったポールとメアリー。だがそうなってみると、死を目前に決めた人工授精の話が再びポールに違和感を感じさせる。さらに病院に不妊手術の話をしに行った時に、ポールは初めてメアリーが中絶した事を知ってしまう。二人の間の違和感は、これで決定的になってしまった。確かに、弱っていた時にメアリーの助けがありがたかったポールが、ノドもと過ぎれば…的に別れを切り出すのは調子が良すぎる。そうと言われれば返す言葉がない。だが、すでに二人の愛は終わっていたのだ。それがハッキリ分かってしまった。

 そんなポールは探偵を雇って、自分の心臓の出どころを探らせていた。そして知ったクリスティーナの存在。クリスティーナの身辺をいろいろ追っていくうちに、彼女の荒んだ暮らしが分かってくる…。

 

クリスティーナ+ポール

 クリスティーナの身辺を探り始めたポール。彼はある夜ドラッグでハイになったクリスティーナをクルマで自宅まで送った事から、彼女と親しくなるキッカケをつかむ。他の人々を寄せ付けなかったクリスティーナも、ポールには何か違うものを感じる。ポールが自らの正体を告白した時にはさすがに拒絶を食らったが、それでも気持ちは引き寄せられていく。こうしてついに結ばれた二人だが、それでも癒されないクリスティーナはポールに懇願する。「夫と子どもを死に追いやった男を殺して」…と。

 

「その時」以後のジャック

 獄中につながれたジャックを牧師が見舞う。だが、今のジャックには信仰は悪い冗談としか思えない。彼がトラックを当てた事が神の御心なら、それで親子を殺した事も御心なのか? 結局妻マリアンヌが奔走したあげく釈放された彼は、しばらくぶりに我が家に戻ってくる。しかし忌まわしい気持ちはいつまで立っても癒されない。居たたまれない思いのジャックは、ある日コッソリと我が家を後にするのだった

 

クリスティーナ+ポール+ジャック

 クリスティーナの願いを聞き入れたポールは、再び探偵の力を借りてジャックの行方を探した。ジャックが暮らしていたのは砂漠の辺境の町。自らを痛めつけるかのように力仕事で汗を流しながら、汚い安宿を住まいとして暮らしていた。確かに神の意志に疑問を持ったジャック。だがいまだに信仰は捨て切れてはいなかった。自分で自分を傷つけながらも、どうやったら償えるのか赦されるのかを心のどこかで探っている。そんなジャックの元へ、彼の命を狙ったクリスティーナとポールがやって来るのだが…。

 

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ+「21グラム」

 「交通事故」を中心に3つの物語が交錯。人々の人生が偶然から関わり合う。それを時制をいじくりながら展開させていくスリリングな構成…確かに「21グラム」の外観は「アモーレス・ペロス」と極めて酷似する。だからこそ映画を見る前には、この監督にこの題材とはいささか安易な起用だったのでは…という気にもなった。

 だが映画の実際を見た今では、これを「安易な発想」とは思わない。そして「21グラム」は…当たり前の話ではあるが「アモーレス・ペロス」とは似て非なる映画である。

 単純に構造上の問題が「アモーレス・ペロス」とは違う。あちらは3つのエピソードが第一話、第二話、第三話…と順番に展開していく。ところがこちらはエピソードが粉々にされた上で、それぞれ時制も順番もバラバラに展開する。マージャンで牌をかき混ぜているような案配だ。

 で、結果は…というと、「アモーレス・ペロス」との勝負は一勝一敗の引き分け…とでも言うべき感じだろうか。ま、こんな言い方をするのも不適切だとは思うが。

 構成面では、僕は今回の映画に軍配が上がると思う。前作の構成上の脆弱さ、整合性の弱さを改善したいという気持ちが働いたのか。今回はシークエンス単位で3つのエピソードをかき混ぜている。これが、実に不思議な効果を生んでいるんだよね

 最初は一体こんな事をやっていて意味があるのだろうか?…と疑問に思ったりもした。実際このバラバラぶりには何らかの法則性も発見できない。ところが順番がバラバラであるということは、過去が後になって分かったり、未来が瞬間にデジャブのように見えたりするということだ。それによって、意外な事が見えてきたり、関係ないように見える事が関連しているように思えたりもする。すべてに関連性があるようでもある。

 またエピソードがバラバラに分解され、それぞれのシークエンスの連続性・関係性が断ち切られると、それぞれのシークエンスが等価値に見えてくる。すると主要登場人物が三人三様のコースを辿っているのに、なぜか瞬間的に同じような言動をし、同じような瞬間に直面する時がある。「罪の意識」「喪失」「依存」…など、キーワードは共通してくる。おそらくはこれがやりたかったんじゃないだろうか。

 このような、一見関係ないように思える人間たちの意外な関わり、意外な共通性…というテーマは、「アモーレス・ペロス」の監督なら関心があるはずだ。だから彼は今回その掘り下げを意図しただろうし、それはある程度成功したと思う。これが引き分けの「一勝」だ。

 「一敗」の方は…と言うと、人の生き死にというヘビーなテーマを扱っている割に、意外にその重みが感じられない部分があるということ。いや…例えばナオミ・ワッツの喪失の苦しみは表現されていると思うが、それ以外の登場人物の言動には軽率さが目立つ。

 特にショーン・ペン演じるポールの言動は、中でもかなりつらいものが見てとれる。妻と別居状態になっていながら、瀕死の状態になったらその妻とヨリを戻す。その間、結構ワガママ言い放題。ところが健康を取り戻した瞬間にまたしても妻をないがしろにして、新たなオンナに向かってまっしぐら。このあたりの調子の良さを妻にズバリ指摘されていたが、ありゃ言われても仕方がない。ハッキリ言って図星なのだ。

 またドナーの妻の身辺に探りを入れ、その傷心も気遣わずに人の心に土足で上がりこむデリカシーのなさ。これはちょっといくら何でもヒドイんじゃないか。オマケにその女と関係を持ったあげくに、もう離れられないとか何とか言うのもいかがなものだろうか。しまいにはデキた女に乞われて、事故の加害者殺しの旅に出るに至る。ここでポールがこの殺しに荷担しようとしたのはいかなる理由か。女への罪の意識を消すためか。加害者殺しが免罪符になるとでも思ったのか。ともかく終始一貫して、思慮が浅く軽率でテメエ勝手で早合点が過ぎる。ショーン・ペンはこの役をマジでやってるんだろうか。

 またベニチオ・デル・トロのジャックも事故でダメージを食らったのは分からないでもないが、その後で家庭を放ったらかしってのはよく分からない。自分を罰して云々とか償い云々とか言っても、女房子どもに対してやりたい放題ではキレイ事でしかないだろう。どうもこのへん、この監督には妙な「ダメ男の甘え」みたいなものが見え隠れする。そこがイマイチこの映画を、深みのあるものにしていないように思われるんだよね。

 まぁ、ひょっとしたら作者は、そんな人物のダメさはダメさとして描いたのかもしれない。そういう人生の岐路に立った時、人は説明のつかない言動をすることもある。人が常にスジの通った事をしているかと言えば、そういう訳でもない。逆に理屈の通らない事をやっていたからと言って、悪人という訳でもない。映画は、登場人物の言動をすべて肯定している訳でもないようにも見えるからね。かといって、バッサリやってるようにも見受けられない。まぁ、人間を「等身大」で描こうとしたのかもしれないけどね。そのあたり、僕には判断つきかねる。でも、なぜか男二人が二人とも甘えを見せているのは偶然じゃないように思える。

 あと、ラストのナレーションに出てくる「21グラム」云々…ってのもよく分からなかった。実は何が言いたいのか、まるでピンと来なかった。この映画のタイトルにもなった、一番大切な部分のはずなのにね。

 

「21グラム」以後のF

 それでも僕は、この映画にある種の感慨を持ったよ。

 この映画には、「ここはリアルだ」…と思わせる部分がいくつもあったからだ。言うまでもなく、ナオミ・ワッツ演じるクリスティーナのエピソードはそれだ。喪失してしまった後の虚脱感やらレールを踏み外しそうな危なっかしさ…あれは確かに本当にそうだろう。僕は誰かを亡くしてはいないが、それでも手痛い喪失は被った。程度の差こそあれ、虚脱感はあったよ。

 そしてデル・トロのジャックのどんどんドツボへと落ちていく感じも知っている。やはりあそこまでのモノではなかったが、あの息詰まるどうにもならなさは身に覚えがある。

 そして登場人物たちが何かに依存していく過程、依存したらどんなにズブズブになっていくか、それでも依存せざるを得ない気持ち、依存しないで破滅するよりは依存でズブズブになっても生き延びた方がいいという本音、それを「悪」と一刀両断できない部分…そんなアレコレすべてが僕には人ごとではなかった。

 だからこの映画には、僕はリアリティを感じる

 作者が言わんとした事は伝わらなかったかもしれないし、うまく描けてなかったかもしれない。あまりホメられない意図があったかもしれない。実は結論に近づくにつれて、この映画の言いたい事はよく分からなくなる。男たちの「甘え」とも言える言動には共感しかねるし、妊娠云々に関するくだりも今ひとつ納得出来なかったりする。

 それでも僕は、映画のあちこちに埋め込まれた感情は本物に感じた。僕にはそれだけで十分なのだ。僕の生活必需品として、「21グラム」はそれだけで価値がある。

 

それでも人生は続く

 この映画では主要人物三人が三様のコースを辿っているのに、なぜか瞬間的に同じような言動をし、同じような瞬間に直面する時がある…と述べていたよね。そんな要素の一つに、このセリフがある。

 「それでも人生は続く」

 主要人物三人は、それぞれの状況、それぞれの時、それぞれの相手にそれを言われる。この映画の最も訴えたかった事とは違うかもしれないが、僕は勝手にその部分をこの映画の勘どころだと思ったよ。ここしかないと思った。まぁ、ハッキリ言うと映画なんかどうでもいいのだ。

 僕だっていろいろあったし、これからもうまくいくかは分からない。やっぱりまたまた失敗かもしれない。

 そして何もかもやめちゃいたい時もあった。ひどく毒々しい気分になった時もあった。自分に嫌悪感を抱く時もあった。先にどんな道も見いだせない時もあった。それでも、生きていく事はやめられないのだ

 「それでも人生は続く」のだからね。

 

 

 

 

 

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