「レディ・キラーズ」

  The Ladykillers

 (2004/06/28)


  

見る前の予想

 つい先日コーエン兄弟の新作ディヴォース・ショウを見たばかりだから、また新作が来たとは驚いた。

 それにしても「ディボース・ショウ」は、面白かったけどいささか小ツブだったのが気になった。彼らが新境地を拓いたと思ったバーバーの後だから、あんなチマッとした映画をつくるとは思わなかったんだよね。それ以前の饒舌な「これみよがし」の映画づくりは影を潜めていたから嬉しかったんだけど、何だかソコソコ面白いって無難さがねぇ。それだけが気になったんだよね。

 で、今度はトム・ハンクス主演だ。ビッグスターを起用してのコーエン兄弟の映画とは楽しみになるところだが、この人たちの場合はちょっと違う。おそらくスターが出るとお仕着せ企画で雇われマダム映画。だとすると、あの元々小器用に立ち回る悪い癖が出るんじゃないか。

 僕はかなりイヤな予感を覚えながらこの映画を見に行った。

 

あらすじ

 ここはアメリカ南部ミシシッピ州の田舎町。町の中心部を流れる大河には、今日もゴミ運搬船がひっきりなしに行き来する。行き着く先は、巨大なゴミ捨て場と化した川の中州だ。その壮観な様子は、川に架けられた巨大な橋から眺めることが出来る。

 そんな田舎町では保安官ジョージ・ウォレスも昼間っから大っぴらに居眠りだ。保安官事務所にやって来た老婆イルマ・P・ホールに安眠をジャマされるまでは。

 老婆ホールは隣家の若者がラジカセで流すヒップホップの大音響に我慢できず、わざわざここまで苦情を言いに来たのだ。ホールが耐え難かったのはヒップホップの音の大きさだけではない。その歌詞の何とも罰当たりな内容が我慢できなかったのだ。何しろホールは敬虔なクリスチャン。夫を亡くした後の楽しみと言えば、教会でカラダを揺すって歌うゴスペルだけ。限られた年金からささやかではあるが、毎月クリスチャン学校に寄付までしている。

 そんな老婆ホールの元に一人の男がやって来た。妙にパリっとした服、整えたヒゲという身なりではあるが、どこか胡散臭い雰囲気漂うその男…その名をトム・ハンクスという。自称、教授。

 ハンクス教授は、このホール宅に「貸間あり」という札を見てやって来た。どうも妙な雰囲気を持つこの男ではあるが、根っから善人のホールも部屋を貸すことには異存はない。

 さらにハンクスは、ホールに一つの提案をした。実は彼は仲間と伝統音楽の練習をしたい、ついては練習場として地下室を貸してくれないかと言うのだ。そんなハンクスを試しに地下室へ連れていくと、壁の土を見て涙を流さんばかりの喜びよう。それもこれも何とも不思議な様子ではあったが、ともかく部屋ともどもハンクスに貸すことにはなった。

 ところが案の定、このハンクスは食わせ物だった。彼が連れてきた面々がまたいわくありげな人物ばかり。CM撮影の雑用係をしていて、マヌケな事ばかりやって大目玉を食らってたJ・K・シモンズ。立派な体格を買われてフットボール選手になったものの、頭の悪さからお払い箱のライアン・ハースト。柄にもなくドーナツ屋を営んでいた別名「将軍」の東洋人ツィ・マー…。これら、どいつもこいつもイマイチ要領が悪そうなヤツらがハンクスの仲間だった。ここにレゲエな頭の若造マーロン・ウェイアンズを加えた4人が、ハンクス教授と共に地下室に一同に会した。こんないかがわしい連中が集まったとなれば、それは犯罪の相談と相場は決まってる。

 実はこのミシシッピ州では地上では許されぬカジノが水上ではオーケー。そこで川にカジノ船を浮かべてそこでバクチやり放題という環境を整えていた。だが集めた金は船には置かない。それは川岸近くの地下にある「会計室」の金庫へと運ばれた。その「会計室」は、このホール宅の地下室からまっすぐ進んで行った先にある。目の前の土の壁の向こう側だ。

 もうお分かりだろう。彼らはここからトンネルを掘り、「会計室」のカネを奪おうという魂胆なのだ

 そんな彼らは、シモンズが爆薬など機材のよろず調達係、ハーストがもっぱら力仕事、「将軍」ツィ・マーがトンネル掘りの指揮者という具合にそれぞれ役割分担を持っていた。ウェイアンズは…と言えば、彼は掃除夫としてカジノに潜入し、先方で盗みの手引きをすることになっていた。

 「将軍」ツィ・マーは土壁の柔らかさにご満悦。早速掘削が始まって、着々と先に掘り進む。掘った土は袋に詰めて外に運び、町の中心部の橋から川を行くゴミ運搬船へと落とすという仕組み。この作業にはまったくムダがなかった。

 しかし好事魔多し。

 トンネルの行く手には岩盤が現れた。さらにウェイアンズがバカをやってカジノをクビになった。しかも岩盤を破るために必要な爆薬の調達に…と、シモンズは勝手に自分の女ダイアン・デラノを誘い込む。これには一同も呆れ返ったが、中でも激しくなじったウェイアンズとシモンズが一触即発のつかみ合い。こうも次々と襲いかかる難問に、さすがのハンクスも頭を抱える。

 ともかく岩盤を爆破しなくてはいけない。そのためには老婆ホールがいてはマズイ。ハンクス教授は隣町のゴスペル・コンサートで老婆を釣り、不在中に爆破しようと企んだ。しかし物事はうまくいかない。シモンズのドジで予期せぬタイミングで爆発。どでかい爆音を老婆ホールに聞かれてしまう。しかもシモンズは指を落としてしまう騒ぎだ。

 ともかく何とか取り繕って計画を進めるしかない。ウェイアンズのクビは、上司への賄賂でチャラにした。掘って掘って掘って…。

 ついに「会計室」へと到達した一同。金庫からカネをしこたま奪った一同は、そのままトンネルを引き返す。あとは壁を塗り固めて証拠を消すだけだ。

 ところが最後の最後、トンネルを爆破して埋める手はずに手間取った。しかも間の悪いことに、教会に行ったはずの老婆ホールが早々と帰宅していて、地下室での騒ぎを覗きに来たではないか。

 地下室では舞い散る札束とハンクスたちが格闘していた。もはや言い逃れは出来ない! 老婆ホールはこの場をバッチリ見てしまった。

 さぁ、どうする。ハンクスたちはあくまで言い逃れるのか? それとも…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 なぜかは分からないけど、今回よりコーエン兄弟は監督のクレジットを直した。ジョエルとイーサンの兄弟二人で監督というクレジットとなった。まぁ、元々が二人でやっていたらしいけどね。これはほとんど便宜上のものだけだろう。

 この映画、1955年のイギリス映画「マダムと泥棒」のリメイクだという。「マダムと泥棒」は大昔テレビで見た覚えがあるが、さすがにディティールは忘れてしまった。だから今回の作品のどこまでがオリジナルに忠実かは分からない。

 で、今回お話を南部のミシシッピに移して、老婆を敬虔なクリスチャンにしたというのだけでもグッド・アイディアだとは思う。教会での説教とかゴスペルの歌唱などと相まって、悪党たちの自滅が「因果応報」というふうに見えてくるからね。

 今回、トム・ハンクスもコテコテにつくりにつくった演技。本人も面白がってるようで、濃い演技に終始している。これはオリジナルの主役を演じた名優アレック・ギネスを大いに意識しての事だろう。「芝居やってるぞ〜」という感じなんだよね。

 ところが、これが意外に面白くない。

 やりすぎちゃってるのが災いしてか、これでは笑えないのだ。コッケイだとは思うが、変なしゃべり方も逆効果だったと思う。見ていてイライラしてくる。力が入りすぎなんじゃないか。張り切っているのは分かるけれども。「オレってうまいだろう」って気もあったように思う。それがマズかったよね。

 で、この「オレってうまいだろう」ってのが、この映画全編に漂っている。今回コーエン兄弟までがこう思ってつくってたんじゃないかね。この映画を見ているとそうとしか思えないんだよね。

 教会やらゴスペルやらが平行して出てきて、悪党たちの「因果応報」が際だって描かれる。確かに計算通りと言えば計算通り。だけど計算通りすぎて、最初っから観客にミエミエ。だからこれまた笑えない。教会での説教で、クドクドと「イスラエルの民は堕落した、ゴミの島に行くハメになった」…と繰り返し繰り返ししゃべるのもミエミエ。もうあの時点で悪党たちの末路も見える。

 分かりやすい例を挙げれば、「将軍」なる東洋人の設定だ。彼は常にタバコをくわえていて、老婆はそれに常に文句を言う。するとタバコを隠すために、口の中にそれをひょいっとしまい込むんだよね。そんな描写が何度も何度も出てくる。それがあまりにしつこいので、僕らは見ていてイラだってくる。こいつそんな事していると、必ずタバコがアダになるぞ。…それが後に現実になるのは、映画を見た人ならご存じの通りだ。画面に出てくる前に、「将軍」の最後がどうなるか…を見ている誰もが分かってしまうんだよね

 確かに脚本を面白くするのは「伏線」だ。だけど、こんなにミエミエなものを「伏線」とは言わない。あまりにあざとくてバレバレなんだよね。だから、その「伏線」がちゃんと働いた時でも、見ている側には爽快感がない。意外だとも思わない。コーエン兄弟ってこんなに脚本下手ッピーだったかなぁ? もっとうまくなかったかね。

 それ以前に、悪党たちのバカさ加減が常軌を逸しているからイヤになる。今までも「ファーゴ」「赤ちゃん泥棒」でも悪党はバカだった。でも、ここまでバカじゃなかったし、ここまで見ていてイライラさせられなかった。だから彼らに次から次へと難問が降りかかっても、当たり前だと思うだけで全然同情しない。ましてそれで手に汗なんて握らない。これじゃドラマとして問題があるんじゃないか?

 今回の映画、聞けば元々はバリー・ソネンフェルドのために書いたものだと言う。ならば元々やる気がなかったのか。人のために書いた脚本だから手を抜いていたのか(笑)。それにしたって、ハンクスのキャラクターやら「伏線」のゴチャゴチャぶりからして、「オレってうまい」って気分は濃厚にあったはずだ。すべてにわたって過剰で饒舌で過多。元々コーエン兄弟にはその傾向はあったけど、今回ほどトゥマッチだった事はない。

 いや、実際にはこれってトゥマッチではないんだよね。トゥマッチに見えるだけだ。むしろ脚本の工夫や演出の妙に乏しいくらいかもしれない。だからスカスカで仕掛けが丸見えになっちゃってる。「伏線」が「伏線」と見えちゃって、手品のタネがバレて「伏線」でも何でもなくなってる。それが、過剰で饒舌で過多に見えてるのだ。ハッキリ言って、こういうのって「うまい」とは言えないんじゃないかな。

 つまらなくはない。全然面白くないと言えばウソになる。ただ、かなり今回はハズしちゃってる気がするんだよ。もっとオモシロイはずなんだけどね。それが小ぢんまりと終わっている。やっぱり「うまく」はないよね。

 うわぁ、天下のコーエン兄弟に向かって「映画が下手」呼ばわり(笑)。…だけど、こんなコテコテだけでつくっちゃった映画じゃ笑えない。明らかに彼らの計算は今回狂っちゃったとしか思えない。ちょっと自分たちはうまいと思い上がりすぎたんじゃないだろうか。

 誰も彼もが「うまさ」を見せようと一生懸命。それって例えば…「ラブ・アクチュアリー」でヒュー・グラントがカメラに向かってお尻フリフリ、ポインター・シスターズの「ジャンプ」に合わせてアホ踊りを見せるあの至芸ぶりを考えると、この「レディ・キラーズ」はそこから最も遠いところにあるような気がする。つまりこの映画においては、誰もがまったくバカになれてない。ヒュー・グラントのように、バカになろうという気がない。これでは笑えるわけもないんじゃないだろうか。

 で、センスがいいと思ってたらヤボ…っていうのは、一番カッコ悪い事なんだよね。

 

見た後の付け足し

 南部と言えばコーエン映画の十八番ではあるけど、それもオー・ブラザー!あたりからは飽きてきたね。またかって感じだ。今回リメイクにあたってここに舞台を持ってきたアイディアは買えるけど、コーエン兄弟、南部、ゴスペル…みたいなパターンは、今後はいいかげんちょっと抑えた方がいいと思うよ。

 ただ、先日僕はドキュメンタリーの永遠のモータウンを見ただけに、ゴスペル場面は興味深かった。

 「永遠のモータウン」では、いわゆるモータウン・サウンドのソウル・ミュージックの発祥について、「ゴスペルなどのパワフルでノリのいい黒人音楽の“神への愛”を、“男と女の愛”に移し替えて提示してみたのがモータウンのソウルだ」とかいうコメントが入っていたっけ。確かに聞いているとそんな感じもしてくる。かつてウーピー・ゴールドバーグ主演の「天使にラブソングを…」なる映画にソウルを賛美歌みたいに歌う尼僧たちが出てきたけど、そこで例えば「マイ・ガイ」というソウル・ナンバーが「マイ・ゴッド」という賛美歌に化けて歌われるのは、まるっきりお笑いぐさって訳じゃないんだよね。むしろ、それはルーツに戻ったと思うべきなのだ。

 …ってなふうに、見ている間も脱線したことばかりに頭がいく。それって映画としてはあんまりいいことじゃないと思うんだよね。

 

 

 

 

 

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