「フォーチュン・クッキー」

  Freaky Friday

 (2004/05/24)


  

今回のマクラ

 今回、映画「フォーチュン・クッキー」とは何の関係もないが、ちょっとつまんない話がしたいんだよね。ちょっとここでこの場を借りて、僕の話におつき合いいただきたい。

 さて、僕は別に信心深い人間ではないが、昔から妙に縁起を担ぐところがあるんだよね。

 例えば何かの記念日とか何周年とかってのを気にする。今からハッキリ宣言するけど、僕が死んだりケガをしたり病気に倒れたり、あるいは仕事上のトラブルに巻き込まれたり…といった特殊な理由がない限り、このサイトが閉鎖されるのはキッチリ何周年かの4月18日かその近辺の日曜日だ。予想できない不可抗力を除いたら、このサイトは間違っても真夏の木曜日とかには終わらない。僕はそういう事ってキチッとさせたがるからね。もし開設記念日に閉鎖しないなら、大晦日にやるかもしれない。とにかく、何かをやるならそういう節目の時だ。

 というのは、僕はどこか運命とか宿命みたいなものを信じているからなんだよね。

 実際、つい最近も僕はある節目の日を通過した。そこで、前々からしようと思った事を実行したんだよね。

 それは禁煙だ。

 僕は世間の勝ち誇ったような嫌煙ファシストたちが大嫌い。だから世間にも他人にも、タバコをやめろなんて言うつもりはない。だってタバコの害を口からツバ飛ばしながらムキになって論じる輩って、タバコの臭いこそしないけれど、どこか偏狭な悪臭がする。禁煙主義者の人たちごめんなさいよ。禁煙を語る人みんながみんなそうだとは言わないけど、今ドキ絶対優勢なのを良いことに肩で風切ってるその調子に乗りっぷりは、ハッキリ言って少々見苦しい。好きになれないよねぇ。ま、そんな事を言いたいだけ言えるのも、今は僕自身がタバコを止めているからだけどね。それが言いたくてやめたようなところもあるよ(笑)。

 僕は元々ノドも鼻も体質的に弱いし、ここんところはいいかげんやめようかとずっと思っていたんだよね。それに、実は数年前まで僕はタバコをやめていた。それが、ひょんなキッカケで吸うことになってしまったんだよね。今考えてみれば、そのあたりがつまずきの始まりだったんだけど。

 で、やめるならいつでもやめられる。その自信はあった。でも、やめるなら…ちゃんとした理由のある日にやめたかった。だからわざわざ何ヶ月も待って、この日を待ってやめたんだよね。

 すると、不思議な事もあるんだよね。単に僕の気持ちの中で刻んだだけの節目なのに、その時に不思議な偶然で、何かが起きるコトもある。

 時計が壊れた。

 それは人からのもらい物の、ちょっと垢抜けた腕時計だった。その人が僕にくれた時には、ちゃんと理由があったんだよね。それから、僕と共にいつもあった腕時計…。実はそれって再びタバコを吸い始めた事にも関係していたのだ。

 それが今年…つい先日、事もあろうに僕が禁煙を期した「節目の日」に、ピッタリ狙い定めたように壊れたのだ。しかも、その壊れ方そのものがスゴかった。

 ガラスが真っ二つに割れた…。

 別にどこにぶつけた訳でもない。踏みつけた訳でもない。何もした覚えもないのに…気づいてみたら腕時計のガラスに、ピッと真一文字の割れ目が出来ていた。こうなると、何かメッセージめいたものを受けとらずにはいられないじゃないか。

 そういう因縁やら符合やら…きっと人知の及ばぬような事が、僕らの日常にも何かあるに違いない。僕はそれを信じて疑わないのだ。

 だからと言って、この「フォーチュン・クッキー」って映画がリアルだなんて言う気はまったくないけどね(笑)。

 

見る前の予想

 二人の人間の外見と中身が入れ替わる…というのは、結構映画で使われる手なのかもしれないね。

 僕が真っ先に頭に浮かべたのは日本映画…大林宣彦の「転校生」だ。男の子と女の子のカラダと魂が入れ替わってしまうという設定で、なかなか笑わせて泣かせてくれた。他は咄嗟にはそう思い付かないが、たぶんもっといっぱいあるはずだ。そうそう…例の韓国映画の近作「純愛中毒」も、このパターンの変奏曲に他ならない。

 これが本当に心と体の入れ替わりではなく、外見が似ていたことによるスリ替わり、偽らざるを得ない事情によっての立場の入れ替わりなども含めれば、アメリカ映画の典型的なシチュエーションと言えるかもしれない。

 今回入れ替わるのは母親と娘。娘のやることなすこと気に入らない母親と、反抗的で何かと難しいお年頃の娘の入れ替わりだ。ハッキリ言って見る前から結果は何となく分かる。それがアメリカ映画と言うものではあるが。おまけにディズニー映画と来れば、まぁすべてに渡って穏健な話になるのは致し方なかろう。

 唯一僕が惹かれた点は、母親役にジェイミー・リー・カーティスが出ているということ。

 僕がどれほど彼女を買っているかという事は、当サイト「Time Machine」のジェイミー・リー・カーティスの巻をご覧いただければ分かる。特にコメディをやらせた時の彼女は素晴らしいなんてもんじゃない。正直言ってあまり食指のそそらない題材ではあるが、彼女が主演するというなら話は別だ。娘役の女優は誰だか知らないが、どうせ「プリティ・プリンセス」とか何とか、それとも何か別の映画か、あるいは他のディズニー作品あたりに主演していたヤング・アクトレスだろう。それより何より、問題はカーティスだ。彼女を楽しめれば、僕にとって他はどうでもいいんだよね。

 

あらすじ

 今朝もジェイミー・リー・カーティスはイラだっている。いくら起こしても娘のリンゼイ・ローハンが起きない。何事もキチッキチッとしないと気が済まないカーティスには、そんなローハンのだらしなさが気に入らない。彼女のヘソ出しファッションもいただけない。幼い弟のライアン・マルガリーニはやや茶目っ気が過ぎるきらいがあるが、それをローハンが泣かすとなれば母親としてカーティスも黙っていられない。例えローハンにいかなる言い分があったとしても…だ。ましてクルマの助手席で足を投げ出すなんざ、もちろんもっての他。

 そんな自分の一挙手一投足をアレコレ言われりゃローハンも苛立つ。母親は何も分かってないと怒り心頭だ。

 特に今はカーティスの再婚を目前にして、家の中が多少慌ただしいのも事実。精神科医であるカーティスは何から何まで彼女頼みの手の掛かる患者を抱えながら、挙式の手はずすべてをアレンジしていた。そのため彼女の携帯やモバイル・ツールは常に呼び出しっぱなしの状態。

 そんなカーティスのお相手は、ナイスミドルの紳士マーク・ハーモン。だが、なぜかローハンは彼によそよそしくしてしまう。ハーモンも彼女と親しくなろうとしながら、それがうまくいかずに悶々としていた。

 そんなこんなで鬱屈した思いのローハンだが、学校に来ても受難は続いた。着てきたTシャツが級友と同じモノだったというお粗末。憧れの男の子チャド・マイケル・マーレイと口をきくことは出来たものの、カチンコチンでメタメタ。英文学の授業では彼女を目の敵にする先公にイビられ、つい暴言を吐いた彼女は「反省室」へ直行だ。体育の授業ではバレーボールの試合のドサクサに、同じクラスの腹黒い女にいたぶられ逆ギレ。ついついこの女にボールをぶつける実力行使に出た。ローハンが「反省室」に舞い戻った事は言うまでもない。

 すっかりクサクサするローハンは、自宅ガレージを使ってのバンド練習でウサを晴らす。ギターをガンガン弾きまくる時だけが、今のウンザリする日常を忘れられる瞬間だった。

 ところが自宅にカーティスが帰宅すると、また事態は一変。

 時間が来た…とばかりガレージの電気を止められ練習はお開き。これにはせっかく盛り上がった雰囲気も一気にサメる。それでも仲間の携帯にライブハウスでのライブの話が舞い込んで来て、一同は興奮。コレに出られれば運が開けるかもしれない。

 だがマズい事に、それはカーティスの結婚式のリハーサル日だったのだ。

 母親に頼んでみるとは言ったものの、結果は火を見るより明らか。仲間も半ば諦め顔だ。ローハンも面目が立たずに情けない気分。

 ところがカーティスは、学校でローハンが二回も「反省室」に行かされたと聞いて逆上。さらに生意気を言った弟に仕返しした一件で、ローハンにカーティスの報復が降りかかる。何で二回も「反省室」、何で弟をイジメる。何でアタシの苦境が分からないの、何で弟ばっかり猫可愛がり。またしても始まる母娘ケンカ。何とかハーモンが仲裁に入ってその場を収め、一家は中華レストランに夕食に出かける。

 ところがここで母娘の反目は決定的になってしまう

 さすがにハーモンのいる前ではマズイと、席を立って話そうという事になるカーティスとローハン。だがローハンが結婚式リハーサルを抜けると言い出すに至っては、さすがにカーティスも堪忍袋の緒が切れた。ローハンはローハンで、そんなカーティスが自分の結婚式の事しか考えてないと激怒する。もうお互いの事など考えず、自分の事ばかり考えてカンカンの二人だった。

 ところがそんな二人を見ていた人物が一人。

 それは、この中華レストランを経営する中国人母娘の母親の方。そんな母親の態度を見て、他人事には関わるな…と止める娘だったが、母親は言うことを聞かない。いきなりカーティスとローハンの母娘ケンカの真っ直中に割り込んだ。

 そして手渡したのがフォーチュン・クッキーだ。

 ともかくこれが役に立つ…とか何とか言われて、有無を言わさずフォーチュン・クッキーを割らされるカーティスとローハン。そこには妙に意味ありげなおみくじが入っていた。

 「お互いの目で自分を見よ。無償の愛に至る時にその身は元に戻る…」

 何だ、これは? 何の事やらサッパリ分からないカーティスとローハン。ところが女子トイレにいた二人は、突然激しい轟音と揺れに襲われる。一体何なの、これは?

 慌てて席に戻ったカーティスとローハン。だが、席で待っていたハーモン、弟マルガリーニ、おじいちゃんハロルド・グールドは、揺れなど感じなかったとキョトンとした様子。何とも釈然としないカーティスとローハンだった。

 その夜…二人に何かが起きた

 今日も一日忙しくなるぞ…と目覚めたカーティスは、なぜ自分が娘ローハンの部屋で寝ているのか分からない。何とも釈然としない面持ちで鏡を見た彼女は、そこに娘の顔があるのを見てとって唖然。思わず絶叫するしかない。

 そこへ弟マルガリーニが飛び込んでくる。何と母親カーティスが死んでいると言うのだ。慌てて寝室へと行ってみると、弟の表現は正しくなかった。「死んでいる」のではなく「死んだように眠っている」のだ。むろん娘ローハンの寝起きの悪さについては、みなさんもご記憶の事と思う。何とかかんとか無理やり起こしてみると、今度はカーティスもとい中味はローハンがビックリする番。お互い勝手が違ってオロオロするばかりだ。ひょっとしてお互いガツンとぶつかったら元に戻るのではないか…などとバカな発想をしたあげく、この際ワラにもすがる思いで実践するが痛い思いをするだけだ。

 戻れないなら、このままでいくしかない!

 だがカーティスにはカーティスの、ローハンにはローハンの生活がある。カーティスの精神分析医としての患者たちや婚約者ハーモンとの間柄、ローハンが学校で遭遇せざるを得ない先公の不当な仕打ちや腹黒女や憧れてるのに声もかけられないチャド・マイケル・マーレイとのアレコレ…これらを何とかしてうまく捌かねばならない

 いやいや、明後日はカーティスとハーモンの結婚式本番ではないか。その前に、ローハンのバンドのライブの話も片づいていない。このままじゃマズイ。

 果たしてこんな待ったなしの中で、二人は元のカラダに戻れるのだろうか…?

 

見た後での感想

 まず、この映画を見るまでは気づかなかった事がある。これって1976年にジョディ・フォスター主演で映画化された作品のリメイクだ。この作品は日本未公開なので当然見ていないが、当時「スクリーン」などで題名やスチール写真は見たような気がする。「フリーキー・フライデー」という題名で紹介されていた作品で、当然フォスターは当時まだ子役だった。つまりは娘の方の役だったんだろうね。

 さて、それはともかく。この映画は他愛がないと言えば他愛がないが、結構キメが細かく出来ているんだよね。とんでもない状況に追い込まれた主人公の、カルチャー・ギャップやシチュエーション・ギャップで笑わせて、考えさせる映画だ。いかにもアメリカ映画らしい映画だと言える。

 冒頭から昔の母子像の絵画を次々見せて行って、そこにタートルズの「ハッピー・トゥギャザー」を流して…と、これは永遠のテーマである親と子…それもどこかライバル的な存在でもある母と娘の物語だと明快に打ち出している。この分かりやすさがこの作品の身上だ。回りくどい事は一切なし。

 母親と娘はそれぞれテメエの側からしか相手を見れず、相手の気持ちになってモノを考えられなくなっている。それで何かとトゲトゲしているという設定だ。

 ところが心身入れ替わりで、どうしたって相手の立場に立たずにいられなくなる。そこでお互いを理解する…というお話。まぁワンパターンと言えばワンパターンなんだが、それもこうキッチリつくってくれたなら好感が持てる。ちゃんと面白く楽しませてくれて、その上で考えさせてくれるからね。

 学校で娘が本当に教師に不当な仕打ちを受けている事を知り、仲良しだと思っていた「友だち」がとんでもない腹黒女だと知る。不良だと思っていた「憧れのカレ」がなかなか見所のある紳士だとも知って、どんどん気持ちが変わっていく。最後ロックのライブを体験してその魅力まで知るや、娘がなぜこれに熱中しているのかが痛いほど分かる。

 この映画のいい点は、こうした母親の無理解が解消されていくだけでなく、娘も母親の世界を理解する…というフェアなつくりになっているところだ。

 てんやわんやな患者に囲まれての仕事、アレコレ細々した雑事…さらに一連のてんやわんやの中で、娘は母の婚約者の素晴らしい一面を知る。この映画、普通のティーン向けやファミリー向け映画にありがちなように、ガキに媚びてはいない。ちゃんとバランスをとっているんだよね。だから気持ちよく見れる。

 そして映画の初めの頃に提示されたさまざまな問題…母親の再婚、手がかかる患者、陰険な教師、腹黒女、生意気な弟、バンドのライブ…といった諸々の事を、ちゃんと一つひとつ丁寧に片づけていくキメの細かさに感心したよ。イマドキは結構行き当たりばったりなやっつけ仕事の脚本が罷り通っている。だからこういう正攻法の仕事ぶりには頭が下がるんだよね。別にスゴイ事はやってない…当然の事をしているまで…とでも言いたげな、出しゃばらずに饒舌すぎもしないプロ根性を感じさせる脚本だ。これが意外に難しいんだよね。当たり前の事をするというのが、いかに大切かという事を感じさせてくれるよ。そして、まるで風呂敷を一枚一枚重ねてキチンと結びながら包んでいくかのように、すべてのエピソードにちゃんと解決を与えていく。

 ハッキリ言っちゃうと王道中の王道。スゴイ事は何もやっていないのだけれど、逆に言えばこれほど基本に忠実なアメリカ娯楽映画ってイマドキ珍しいんじゃないか? だから脆弱なところが微塵もない。見ていて安心して楽しめる。言ってみればプロの味だ。監督のマーク・ウォーターズって誰だか知らないが、キッチリ仕事をしてくれているのが見事だよ。僕はこういうプロの仕事を見たいんだよね。

 

見た後の付け足し

 で、プロの仕事…というなら、やっぱり素晴らしいのがジェイミー・リー・カーティスだ。

 元々彼女のコメディエンヌとしての見事さは、ジョン・ランディスの「大逆転」(1983)で実証済み。彼女にはホントにセンスがあるんだよね。そして捨て身のアチャラカ演技が素晴らしい。ええカッコしようなんて、これぽっちも思っていない潔さ。いつ見ても彼女主演のコメディは入場料を払った分だけは絶対楽しませてくれるんだよね。

 そのあたりの事は「Time Machine」ジェイミー・リー・カーティスの巻にも書いたけど、彼女は古くから僕のご贔屓女優の一人なんだよね。で、元々は「ハロウィン」(1978)などのホラー映画出身というのがユニークだ。何と、あのジョン・カーペンター一家だったわけ。それが芸域を広げてこれだけの女優さんになったのもスゴイが、元々ホラーとコメディってそのタイミングやセンスが命ってあたり、共通するものがあるのかもしれない。少なくとも文芸映画やアート・フィルムと違って、ヘタな役者がやったら見られたもんじゃないってのは間違いないよね。実はアカデミー賞狙いっぽい演技なんて、それほどのもんじゃない。本当はホラーとかコメディの方が芝居は難しいんだよ。そういうジャンルで鍛えられたカーティスの演技は、だから見ていて心から安心できる。ホンモノのプロの芸が堪能できるわけ。

 例えば「Time Machine」でも取り上げたけど、シュワちゃんと共演の「トゥルーライズ」(1994)での一幕。平凡な主婦がセクシーダンスを踊るハメになり、何とも言えないヘッピリ腰で踊り始めるあたりのオカシサたるや。ホントにこれって傑作なんだよね。あぁ、また見たい!

 今回も10代の娘に成り代わった奔放演技が絶好調。ノリノリで楽しそうに演じているのが見ていて嬉しくなる。これはカーティスやり甲斐がある役だったろうねぇ。劇中で自分の顔を鏡で見ながら、「ホラー映画のヒロインみたい」などと余裕の楽屋落ちギャグまでかましてくれるからニクイね。

 で、その頂点とも言えるのがライブ場面だ。魂は母親なものだからステージでオロオロするばかりの娘ローハン。だがそんな舞台の袖に、颯爽と母カーティスが登場。ローハンを助けてバリバリにギター弾きまくりっていうのがその場面だ。

 ここでカーティスがローハンにアドバイスするのが、「ストーンズのキース・リチャーズみたいにやれ」っていうのは嬉しくなった。やっぱり世代を越えてキースはカッコいいのか。それはともかく、ギターをかき鳴らすカーティスの、何ともサマになっていること。その後、エンディング・クレジットで「元に戻った」設定のローハンが演奏するライブ場面が登場するが、その彼女よりもここでのカーティスの方がずっとキマってるように見えるからスゴイ。これはまさに「トゥルーライズ」でのヘッピリ腰ダンスと双璧の、カーティスならではの至芸と言っていい。これだけでも僕は見た甲斐があった。

 ところで今回の娘役リンゼイ・ローハンって子もなかなか達者で、僕はうまいもんだなぁと驚いたんだよね。そしてパンフレットを読んだらもっとビックリ。何と彼女、かつてファミリー・ゲーム/双子の天使(1998)で「ふたりのロッテ」役を一人で演じこなした天才子役ではないか! そういえばあの後出てこないな…と思っていたが、こんなに大きくなって再登場とは…。

 いくぶん横に厚みが出てきたように思えるが、だいぶ大人になったんじゃないかと思っていたら、まだ16歳なんだって? いやぁ、何だか大人びているよね。劇中でもどっちかと言えばカーティスの魂が入り込んだ時の方がサマになっている。ちょっと老練と言っていいくらいだよね。

 それでも彼女の演技は物凄い。「ファミリー・ゲーム」の時だって、彼女はコンピュータなしのSFXかCGみたいだった。やっぱりこの子はうまいわ。見事なもんだ。ちゃんとくすぶらないで、出てくる時には出てくるもんねぇ。顔が真っ当すぎて個性派揃いの今のハリウッドではキツい…とか、ちょっと若さがないかなぁ…とか、芝居のうまいヤング・アクトレスなんだけどスターとして脱皮出来るかどうかはちょい不安が残る。それでも意外に年齢を重ねたら、華やかさはないけどいい女優さんになるかもしれないね。「ファミリー・ゲーム」もスゴかったし今回もなかなか好感持てる演技ぶりだから、個人的には大いに応援したいけどね。

 他にも中華レストランの中国人母娘の娘の方が、ウェイン・ワン監督の隠れた傑作「ジョイ・ラック・クラブ」(1993)の、主要登場人物の一人ロザリンド・チャオだった…とか、この「フォーチュン・クッキー」って期待しないで見たら、僕にとっては個人的にすごく嬉しい映画だった。これは見ておいて良かったよ。

 何より王道に徹していて奇をてらった部分が全くないからこそ、ホンモノの芸を心ゆくまで堪能できる。この映画の見どころは、ジェイミー・リー・カーティスとリンゼイ・ローハン…この二人の新旧女優の鍛え抜かれた芸だ。それを「映画として驚きがない」…とか何とか言っちゃう奴は、ハッキリ言ってヤボの骨頂。それじゃ映画を楽しめない。

 この映画は二人の見事な芸をじっくり味わうためにあるんだからね。

 

 

 

 

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