「ゴッド・ディーバ」

  Immortel ad vitam

 (2004/05/24)


  

見る前の予想

 エンキ・ビラルの映画…というと、まず何から話すべきだろうか。この人がフランスのマンガ家というか劇画家というか…そういうビジュアル・アーティストである事から言わねばならないだろう。

 フランスには絵を描いたコマとセリフで表現する「バンド・デシネ」という「マンガ」の伝統がある。これらは日本のマンガ同様に、コミカルなものもあればシリアスなものもあり、スーパー・リアルな画風のものもある。…な〜んてのは、まるっきり本の受け売りなんだけどね。

 僕がエンキ・ビラルの名前と作品を初めて見たのは、たぶんSF映画やビジュアル作品を扱う雑誌「スターログ」の日本版誌上だと思う。この「スターログ」日本版が出ていたのはごく限られた時期で、すぐに廃刊に追い込まれたように思う。その誌上で、僕はメビウスとかこのビラルとかの名前を見たと思うのだ。非常に独特なSF的ビジュアル・イメージではあったと記憶するが、その時にはただ「ふ〜ん」と思っただけだと思う。そして、僕は特に海外マンガに関心があった訳でもないから、ビラルの名前など忘れてしまった。

 そんな僕が次にビラルの名前を見たのは、意外にもスクリーン上でだった

 それは1991年のこと。家の近くの小さなホールでフランス製のちょっと面白そうなSF映画が上映されると聞き、ジャン=ルイ・トランティニャン主演である事以外は何も知らずに見に行った。その映画「バンカー・パレス・ホテル」は、都内でもそのホール一館だけの上映。パンフレットもつくっておらず、資料と言えばそこでもらったチラシ一枚だけ。まぁ、そもそもフランス製のSFってだけで珍しいのだ。ウキウキしながら見に行ったわけ。

 ところがこれが驚いた。独裁政権下で荒廃した近未来を舞台に、特権階級の人間たちが避難場所である「バンカー・パレス・ホテル」に集まってくる。コレがスゴイ。ほとんどモノクロというか灰色というか、クラ〜い色彩に統一されたイメージ。近未来の真っ暗世界を描いたSF映画はハリウッドでも枚挙に暇がないが、これほど徹底的にクラくて独自の美意識に支えられた映画はなかなかない。物語は正直言ってもう覚えてないが、映像は強烈だったから忘れもしない。そもそも物語よりもビジュアルな勝負の作品だったはず。

 こりゃスゴイ傑作を見ちゃったとビックリ。まぁ、知られざる作品でちょっとばかりいい映画を見つけると、大傑作だと騒ぎたくなるのは映画ファンの悪い癖。だけど、例えそういう過大評価をさっ引いても、この「バンカー・パレス・ホテル」はスゴかった。真の意味でユニークな作品だった。慌ててもらったチラシ一枚をむさぼり読んでみると、監督はエンキ・ビラルとあるではないか?…聞いた事のある名前。そしてチラシにはこのビラルなる人物が、フランスのマンガ家だと書いてあった。

 あぁ、確かにいた! こういう名前の奴が!

 何とビラルは自分で絵を描くのに飽きたらず、映画にも進出したのだ。それがトランティニャンなどの有名俳優を起用した堂々たる作品として制作されただけでなく、実際に素晴らしい出来映えの作品となっていたのにも驚いた。こりゃフランス映画にも面白い作品がどんどん生まれるのではないか。

 だがその後、ビラルの名前はぱったり聞かなくなった。もちろん本業のバンド・デシネは描いていたのだろうが、そっちの動向はまったく知る由もない。ビラルは「バンカー・パレス・ホテル」一作だけつくって映画界からは足を洗うのか…僕はてっきりそう思い込んでいたんだよね。

 そんな1997年、忘れた頃になってビラルが映画に帰ってきた。いきなり「ティコ・ムーン」なる新作が、ミニシアターの氾濫する日本に上陸したのだ。ご多分に漏れず、今回は晴れて渋谷でのお披露目だ。僕は大いに期待して見に行ったんだよね。

 今回もジュリー・デルピー、ミシェル・ピコリなどなど、有名俳優がズラリ。これを見てもビラルってフランスでいかに確立された存在かが分かる。またしても近未来SF映画で、今度は月が舞台。またまた独裁政権下の物語というところまで似ている。

 ところが…何かが足らない

 あのモノクロかと見間違えるような、ニブ〜い色合いが今回はない。ドス〜ンと腹にこたえてくる感じがない。なぜか映画全体が以前より派手な印象を持ちながら、それが作品的にはプラスになってはいないようなのだ。ハッキリ言ってつまんない映画だった…という印象しかない。実はもうほとんど忘れてる。

 そんなビラルの新作が、この2004年に出し抜けにやって来るというから驚く。それも今回は、かなり今までと比べて大スケールの作品に仕上がっているようだ。近未来のニューヨークが舞台というのは、あのしょ〜もないリュック・ベッソンの「フィフス・エレメント」を思い出さないでもないが、ビラルをベッソンごときと一緒にしては失礼だろう

 今度こそやってくれるのでは…。僕にはそんな期待があったんだよね。

 

あらすじ

 2095年、ニューヨーク。一人の若い女が保安部隊に捕らえられる。この女、髪はまるでウロコのようだし、どこか人間とは違う容貌だ。彼女は輸送機でとある場所に運ばれる。だが運ばれている途中で、この若い女は目から真っ青な涙を流すのだった

 ところでこの時代の地球は…と言うと、人間とミュータントとエイリアンたちが渾然一体となって暮らしていた。ニューヨークはオールグッドなる政治家がほとんど独裁的な権力を振るって支配していたが、それよりも絶大な権力を誇っているのは、人工臓器や合成人体を売りさばいているユージェニックス社なる独占企業。先ほど若い女を捕らえたのは、このユージェニックス社の私設部隊。彼らは臓器入手のために、非合法的にこうした人々をさらっていたのだ。

 ところで昨今のニューヨークでの大きな話題は二つ。まずはセントラル・パークに出現した厳寒の空間。そこは宇宙か異次元と繋がる「侵入口」であるとされ、立ち入り禁止区域となっていた。

 もう一つは、マンハッタン上空に現れた奇怪なピラミッドだ。

 実はこのピラミッドの中には、半人半獣の姿をした神々がいた。その一人ホルスなるタカの頭を持つ神は仲間の神から7日間だけ猶予をもらい、何らかの目的を持って地上へと降りていく。

 その頃、女医のシャーロット・ランプリングは例の青い涙の女の事を教えられ、何とか彼女を研究対象にしたいと譲り受ける事に成功する。ランプリングはユージェニックス社による人口臓器の濫用を批判する、イマドキ珍しい良心的な医師だった。そんなランプリングはこの女リンダ・アルディに、純粋な疑問を抱いたのだ。そんなアルディは自分が何者かを知らない。だが、その肉体は明らかに人間のそれとは違う。彼女に関心を抱いたランプリングは、アルディにホテルの一室を与えて世話を看る事にする。

 その頃、マンハッタンでは異常な殺人事件が多発していた。何と肉体が破裂し崩壊してしまうという恐ろしい事件。捜査にあたるのは腕利きのフローブ刑事。だが、彼の頭部はかつて恐ろしい敵によって損傷され、何とか人口部位で補っているアリサマだった。

 ところでユージェニックス社の横暴は、人工臓器の濫用、臓器の材料入手のための人間狩り…にはとどまらない。犯罪者を収容する刑務所の維持管理の簡素化・省力化を狙った、空中の冷凍刑務所の管理もユージェニックス社の管轄だった。ここでは一人一人の囚人をカプセルに入れ、人工冬眠させてしまうという人権無視が横行していた。ところが空中に浮かぶ刑務所のカプセル数個がなぜか脱落。ブルックリン橋に落下してしまう。それら冬眠中の囚人はすべて開封された時に死んでしまったが、なぜか一体だけは行方不明になった。それも一本の足を残して…。

 その囚人は、あのタカの頭部を持った神ホルスに捕らえられていた。片足が失われていたのは、解凍される前に衝撃を受けて、凍ったまま折れてしまったからだ。激しい激痛と出血の中で意識を取り戻した囚人トーマス・クレッチマンは、タカ神ホルスから「肉体を貸せ」と迫られる。

 実は巷で連続していたあの殺人事件は、ホルスが「利用出来る肉体」を探して試していたのが原因だった。いずれもユージェニックス社の人工臓器で補強した肉体だったため、ホルスが入り込むと自ら崩壊してしまう。ところがクレッチマンは長らく捕らえられ人工冬眠を受けていたので、ユージェニックス社の人工臓器を使用していないキレイなカラダだった。ホルスが入り込むにも都合がいいという訳だ。

 「肉体を貸せ」と言われて嬉しい訳もないが、片足の出血も止まらない今、クレッチマンに選択の余地はなかった。ホルスは彼のために鉄道レールを改造した金属の義足をつくると、その肉体の中に入り込んだ。果たしてホルスの目的は…?

 おっと忘れてはいけない。この囚人クレッチマンは、実はニューヨークでは知る人ぞ知る人物だった。彼はかつて独裁政治家オールグッド一族の不正を暴いた反体制詩人だったのだ。そして当局に捕らえられ、政治犯として例の人工冬眠刑を受けた。だが彼が眠り続ける間も、街のあちらこちらではクレッチマンの反体制的な詩の数々が読まれていた。あちらこちらにゲリラ的に登場する、クレッチマンの署名入りの電子サインの詩。それらは当局がやっきになって次々と撃ち落とし消滅させても、街から完全に消し去る事は出来なかった。

 そこでクレッチマンが野に放たれた事を知った政治家オールグッドとルーシー・リュー激似秘書のリリー・リャンは、この反体制偶像を何とか捕らえようと躍起になる

 さてその頃クレッチマンは、体内のホルスの指示に従ってあるバーへと足を運ぶ。そこで例の女アルディと接触しろと言うのだ。実際にアルディを一目見たクレッチマンは、彼女の美しさに心惹かれる。そんなクレッチマンにホルスが与えた指示は、理解に苦しむものだった。

 「オマエの肉体で彼女と交わるのだ…」

 

見た後での感想

 まずはこの「あらすじ」だけど、こうやって書けば理路整然と物語が展開しているように読めるものの、実はこんなにスッキリとは進んでいかない。実は何が何だか分からないでしばらくお話が進み、途中で訳が分かった部分も少なくない。だから実際の映画を見ても、なかなか「あらすじ」の文章のようにはスジが見えてこないと思うよ。出来るだけ映画の展開に忠実には書いたつもりだけどね。

 そもそも「バンカー・パレス・ホテル」の時からして、ビラルはスジを追うような映画は指向してなかったように思う。ハッキリ言って分かる奴だけ分かればいい…というより、分からなくてもいい…と思ってるフシがあるんだよね。圧倒的なビジュアルさえ感じてくれればいい。元々自身がマンガ家というビジュアリストならば、それは当然そうだろう。

 ここで描かれている近未来のニューヨークの図は、一見すると最近のSF映画に腐るほど出てきた近未来像のように思える。確かに摩天楼そびえ立つアリサマなどは、イヤというほど見せられた気もしないでもない。だが、そこには明らかに他の近未来像と一線を画するものを感じるんだね。それこそが、「バンカー・パレス・ホテル」からスクリーンで見せてきた、ビラルの美意識みたいなものだ。

 僕は前作「ティコ・ムーン」がイマイチだったような気がする…と言ったよね。実はそれって、フランス映画の中途半端な技術の進歩のせいではないか…と、今回「ゴッド・ディーバ」を見て改めて感じたんだよね。

 実際のところはどうか知らないが、「バンカー・パレス・ホテル」のSFXって、かなり手作りでアナログな印象を与えたように思う。そしてひょっとしたらロー・テク特撮だっただろう。それが妙にビラルの世界観にハマっていた。

 ところが…ここからは「ティコ・ムーン」をあまり具体的に覚えていないので実に怪しいんだけれど、この二作目の段階では予算も増えたしフランス映画の特殊技術も多少は向上した。あらゆる点で、ある程度の技術的改善が図られたのではないか?

 ところが、それが作品的にはいい結果には至らなかった…。

 いくら技術が向上したと言っても、所詮はこの当時のフランス映画。ハリウッドなどには敵うべくもなかったと思うんだよね。そんな中途半端な技術でビラルの世界を再現しようとしたのが、痛い結果に繋がったのではないか?

 何だか憶測の憶測みたいで、歯にモノが挟まったみたいな言い方で申し訳ない。だが、今回の映画を見たら、そんな事を思っちゃったよ。

 というのは今度の映画、実写でホンモノの役者が出てくるのはごくわずか。あとは背景もCGなら人物もCG。つまりは実写の役者とCGが、ホントの意味で渾然一体となった世界を創り上げているんだよね。で、それが思いの外うまくいっている。ハリウッドではないフランスの技術で、そこまでやれちゃってるわけ。

 こうしたデジタル映像を作ったのは、「アメリ」などを手がけたスタッフだという。なるほど、いつの間にかフランスにもこうした人材が揃っていたのだ。そのあたりが、今回ビラルの世界を再現するための大きな助けになったはずだ。

 物語についてはどうこう言うほどのモノじゃない…と、あえて断言させてもらう(笑)。後半にはヒロインが「人間の愛」について学んでいく…って、この手の作品に付き物の趣向が出てくるが、これも大した意味はない。またしても独裁政権下の物語だが、これもビラル作品のお約束だから騒ぐまでもないだろう。

 役者では、またまた超大物シャーロット・ランプリングが出てくるから驚く。あちらでのビラル作品の評価が高さが伺われるね。また逆に、近年作品に恵まれてなかったランプリングの、ここ1〜2年の充実ぶりにも驚かされる。すべてはフランソワ・オゾンの「まぼろし」に出てからだろうけど、ここでビラル作品に出演とは、ますますバリバリの現役ぶりで頼もしい限りだ。SFでランプリングと言えば、僕は懐かしのジョン・ブアマン作品「未来惑星ザルドス」を思い出したけどね(笑)。あの時は石像が空中を浮かんでいたけど、こっちはピラミッドが浮いている…。

 確かにスジを追おうとしたらシンドイし、それでスジを見失ったら眠くなりそうな恐れもある作品だ。だから意味や筋書きを考えずに、ただビジュアルをボケッと見ているのが正解だ。きっとそれだけで入場料の価値はあると思うよ。

 

見た後の付け足し

 …は、そんな訳で特になし。あ、そうそう。ずっとニューヨークの物語を展開しておきながら、最後に意味もなくわざわざ舞台をパリに移すのは、フランス人の意地なんだろうか(笑)?

 それから「ゴッド・ディーバ」って邦題は何なんだろう? 意味が分からないなぁ。

 

 

 

 

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