「スクール・オブ・ロック」

  The School of Rock

 (2004/05/24)


  

見る前の予想

 ロック野郎ジャック・ブラックが、ひょんな事から学校教師になりすます事になり、そこで出会った生徒たちの資質に注目。何とかうまい事デッチ上げて、クラスでロックバンドをやらかそうとする…この映画の最初の情報から考えるに、そんな映画だと思った。

 こりゃ面白そうだよね。

 主人公が何者かになりすまさねばならず、ウソにウソを重ねていくお話はアメリカ映画の常道。元々、映画ってそういう話をつくるのに適しているって事は、グッバイ、レーニン!感想文でも書いた通りだ。規格外の主人公が堅苦しい現実に風穴を開けるって趣向もアメリカ映画の定石。つまり、この手の話をやらせればやり損なう事はない。そんなお約束のジャンルなのだ。

 そこに今回の主役はジャック・ブラックとくる。ジャック・ブラックと言えば、僕にとっては「ハイ・フィデリティー」で強烈に印象づけられた男だ。あのオタッキーなクセの強いポピュラー・ミュージック通の男をそっくりそのまま持ってくれば、今回のロック野郎の出来上がり。なるほど、うまいキャスティングを考えたもんだ。

 ならば、今回の作品の成功は決まったも同然だ。僕は一日も早く見たいと焦った。だが、そう思ったのは僕一人じゃなかったんだろう。映画館は大混雑で全然入れない。それでも無理して早起きした上、別の映画とハシゴ…なんて柄にもない事をしてまで見たわけ。

 そんなこの映画って、ホントに面白かったのか?

 

あらすじ

 ライブハウスで、売れないバンドが演奏中。そのリードギターを勤めるジャック・ブラックは、やたらハイ・テンションでノリまくる男。あまりハイ・テンションなので、他メンバーが辟易するほどだ。だが実際のところ、今のロックはそんなに熱くない。ブラックが客席にダイブしても、受け止めてくれる奴などいない。ただブラックが床に叩きつけられるだけだ。

 そんなブラックは、昔のロック仲間マイク・ホワイトのアパートに居候中。だがホワイトが恋人サラ・シルバーマンと同棲してからここ最近は、どんどん居づらくなるばかり。ダチの恋人シルバーマンが女房風を吹かせ、家賃を払えと矢の催促。ブラックはバンドバトルで優勝して賞金を稼ぐと言うが、そんな悠長な事を言ってる場合じゃなくなった。時代は変わった。ロック・スピリットも過去のものになった。ダチのホワイトも今じゃロックから足を洗って、代用教員なんてケチな仕事に就いていた。何から何までショボく現実的になったイマドキのご時世だ。

 しかもブラックがバンドの練習に出かけると、その場でクビの宣告と来た。彼の知らぬ間に、他メンバーで決めたことだった。イマドキ熱いロック・スピリットは流行らない。もっと流行りのユル〜いポップ風ロックがウケるんだよ。何とブラックは、自分がつくったバンドから自分が追い出されるハメになった

 これでバンドバトルへの出場の道も絶たれた。四面楚歌だ。カネはない。このままでは部屋も追い出される。

 そんなある日、部屋でホワイトの留守番をしていると、ダチのホワイト宛に一本の電話がかかってきた。それはある小学校の代用教員の仕事のクチ。カネがないブラックは、ついつい苦し紛れにこの話に飛びつく。なぁに、短期のバイトだと思えばいいさ。

 そうして自前のおんぼろバンを飛ばし、教員になりすまして出かけた先は…何とよりによって名門中の名門ホレス・グリーン校だ。すっかり状況をナメてかかって来たブラックは、いかにも厳格そのものの女校長ジョーン・キューザックにつかまって、さすがに毒気を抜かれる。それでもまだ物事何でも万事楽観的に考えるあたりがブラック流。

 教室に来るや、そのカッチリと杓子定規な雰囲気に二度ビックリのブラック。元々が堅苦しい事ヌキのロック野郎ブラックは、まずは採点や懲罰などする気がないと宣言。それだけならまだしも、授業そのものすらないと公言して居眠りしてしまう。これには子どもたちも当惑した。さらに3時の終業時間になるや否や、誰よりも早く学校から脱出してしまう逃げ足の早さ。

 ところが、そんなやる気さらさらなし…のブラックに、すぐに青天の霹靂がやって来る。

 音楽室で自分の「教え子」たちが楽器を演奏している。曲は押井守のアニメ映画「イノセント」でスッカリ有名になった「フォロー・ミー」の原曲、ホアキン ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」と称するガチガチのクラシック。だが、その演奏の腕前はなかなかではないか。それまで死んだ魚みたいだったブラックの目が、いきなりギラギラと燃えだした。

 次の瞬間、自前のバンから次々楽器を引っぱり出すブラックの姿があった。

 「教え子」たちが教室に戻ってきた時、何とそこにはギターやベース、ドラムスにキーボード…ロックバンドのための道具が一式揃えてあるではないか。どよめく子どもたちに、ブラックは宣言する。「クラス・プロジェクトをやろう、テーマはロックバンドだ!

 これさえやれば、進学に有利だ。こんな早い時期からやるのはホントはズルだから、誰にも分からぬようにコッソリやろう。ブラックは必死に口からデマカセをまくし立てる。だがこう言われては、優等生揃いの子どもたちもイヤとは言えない。

 ブラックとても、このプロジェクトには野心があった。今、ブラックにはバンドがない。だが子どもたちには能力がある。どこぞのへっぽこなメンバーを揃える位なら、彼らをメンバーに仕込んだ方が早い。そうすれば、ここでカネを稼ぎながらバンドバトルへの道が拓けるではないか!

 しかも練習に練習を重ねるうちに、このクラスは人材の宝庫だと思い知らされるブラック。抜群のギター・テク、パワフルなドラミング、キーボードやベースもなかなか。おまけに歌唱力も素晴らしい。衣装をつくったり照明をアレンジしたり、マネージメントをする力だってある。こいつら、まったく侮れないぜ。

 おまけにロックに対するいやらしい先入観がない。知らない代わりに商業主義への媚びへつらいもない。ならばこのオレ様が、こいつらにロックの何たるかを教えてやろうじゃないか

 だが実は、教えるはずのブラックがいつしか逆に完全にノセられていた。こうして今日も教室でブラックの叫びが響く。

 「さぁ、今日もロックするぜ!」

 

見た後での感想

 当然この後もいろいろある。ギターの練習を父親に叱られる子どもが出てきたり、厳格なはずの女校長が実はスティーヴィー・ニックス好きだったり、そんな彼女はどこか自分に抑圧されたものを感じていたり…。バンドバトルの直前に、ブラックの正体がバレるのもお約束だ。

 そしてトリックスター=ジャック・ブラックの挑発に乗って、名門校の生徒たちがロック魂を注入されていく様子の痛快さ。さらに子どもたちがいっぱしのロッカーに成長していく一方で、ジャック・ブラックもまた自ら成長を遂げる。いいかげんな無責任野郎だったブラックが、「大人は子どものお手本になれ!」などと、柄にもなくロッカーを説教したりする。

 それが一番分かりやすく描かれているのは演奏する曲についてのエピソードで、最初ブラックは子どもバンドの演奏する曲として自作の曲を用意する。それは自分がバンドを辞めさせられた事への恨み辛みをグチる少々情けない曲だ。だがリードギターの少年がさらにいい曲を作ってきたら、彼は何のためらいもなくその曲を採用。かつてのバンドで他メンバーの気持ちもお構いなしだった、独りよがりな無神経ぶりもスッカリ影を潜める。そんな子どもたちとブラック双方の成長ぶりが描かれているから、定石ではあるけれどこの映画は見ていて気分がいいのだ。

 そんな訳でこの映画は、このジャンルのアメリカ映画のルーティンから一歩もはずれていない。だから、愛すべき映画ではあるがまったく驚きはない。もし過大な期待をこの映画に持ったら、このへんでちょっと肩すかしをくらうかもしれない。だって映画としては「天使にラブソングを…」あたりと同じスタイル、同じテイスト、同じストーリー、同じ出来映えと言っていい。ビックリするところなんてない。そういう一連のアメリカ映画の一本として楽しむべき映画だ。

 そこにジャック・ブラックという、まことにこの題材にピッタリな素材がハマった。そういう題材と俳優の組み合わせの妙で新味を出すというのが、アメリカ映画の王道ジャンルの楽しみ方ではないか。逆に、それ以上のモノを期待したら気の毒だし、過大に評価するのもこの映画には不幸だ。

 唯一の意外性は、厳格な女校長にジョーン・キューザックというコメディエンヌを起用していること。それも、実は酔ったらスティーヴィー・ニックスに夢中というハジケたオチがある。そのためのキューザック起用なんだよね。

 監督のリチャード・リンクレイターは、「恋人までの距離」「ニュートン・ボーイズ」「テープ」など、なぜかイーサン・ホーク主演映画を連発している人。ただし、僕はこの人の映画を一本も見ていないから何も言えないな。それにこのジャンルの映画ってのは、どちらかと言うと脚本の妙が前面に出る。そういう意味では、今回出演も兼ねた脚本のマイク・ホワイトが功労者とも言えよう。このホワイトが主演のジャック・ブラックと個人的に友人であるというのも、それを裏付けている。何しろブラックありきの映画なのだ。

 ともかく、この映画はそんなアメリカ映画の王道映画だ。だから僕もあまり野暮な理屈を書けないな。

 

見た後の付け足し

 そうは言っても、実はこの映画には少なからず感慨を覚える。それはこの映画が扱った題材、訴えたいメッセージが、僕にもすごく共感の持てる事だからね

 この映画では主人公ジャック・ブラックが、イマドキ珍しいロック魂の持ち主として描かれている。だが、そんな熱いロック・スピリットは、今日び人々を退かせるようなシロモノ。彼がバンド内でも浮きまくり、ダイブしても受け止めてくれる観客がいない…という冒頭のくだりは、イマドキのロックを取り巻く環境を現している訳だ。そんな今のロックを、主人公ブラック自身もどこか寂しく思っているんだよね

 主人公がバンドをクビになってしまうのも、熱いロック魂じゃ今はカネにならないっていう、いささか嘆かわしい現実の象徴として描かれている。

 決してへこたれない鉄面皮の主人公ではあるが、彼が代用教員になりすましたのは、そんな失意の果てと察せられる。そんな彼が子どもたちの隠された才能に気づいた時に、ドラマが動き出す事になる。

 まっさらな子どもにロックを教えていくという事は、イマドキのロックに絡んでいるビッグ・ビジネスやら何やらはヌキ、あるいはロックがビジネス化していく過程で迷い込んだドラッグや何やらの脇道にも行かずに、ロックそのものが本来持っていたパッションやら精神を再び取り戻す事に繋がる。ロックの持つ熱い衝動を再現していくという事に他ならない。

 それがこの「王道」で「ルーティン」なアメリカ映画を、ちょっとばかり他とは違ったモノにしている。

 僕なんか1980年代にMTV全盛になった頃、大いに嘆いたものだったよ。あのイエスが、えらくポップな曲でカムバックしただけでなく、その曲でヒットチャート1位を獲得してしまった。あのイエスが…だよ!

 レッド・ツェッペリンとバッド・カンパニーの残党がツルんだり、キング・クリムゾンとイエスとE.L.&P.の残党がアレコレくっつき合ったり…そして出した新曲がどれもこれもポップそのものと来てる。もうこいつらカネのためなら何でもいいのか…と、正直言って寂しくなった。かつて大まじめに言われていたロック・スピリットなんて言葉を真に受けるほど、こちとらウブな人間ではなかったよ。それでももうちょっとスジが通ってるかと思っていた。だからあのドタバタした復活劇の数々には、どこか悲しい気分になったもんだよね。

 で、実はこの映画にも、そんな気分が濃厚に漂っている

 これが他の題材を選んだのなら、この作品は単に「天使にラブソングを…」スタイルのアメリカ映画の一典型にとどまっただろう。実際に映画そのものとしての出来映えは、確かにそれ以上でも以下でもない作品だ。

 そして厳しい事を言えば、この映画は絵空事でもある。何がどうなっても、子どもたちの父兄がロックバンドに理解を示すなんて事はあり得まい。主人公もただでは済まないはずだ。こういう他愛もない映画にこんなケチをつけるのはスジ違いだが、それでも厳密に言えばこの映画は絵空事だ

 だが、今は失われたロック魂…という題材を選んだがために、この映画には出来映えをハミ出す何かが生まれた。それは、余計なものなど全部取り払った、本当に純粋なロック・スピリットだ

 そして、それは失われたロック・スピリットを今に体現しつつ、それが失われた哀しさをも知っている(…少なくともそう思われる)ジャック・ブラックという俳優を得たからこそ生まれたものだとも言える。ともかくあなたがロック・ファンなら、この映画に何らかの感慨を持つんじゃないだろうか。

 何とこの夏には伝説的なロック・グループであるザ・フーが、その40年の歴史の中で初めての来日を果たすと言う。だがファンの方には申し訳ないが、今では元のメンバーがロジャー・ダルトリーとピート・タウンゼントの二人だけになってしまったザ・フーを、僕はそれほど見たいとは思わない。そりゃ切符が手に入るというなら、見たいとは思うよ。いやいや、絶対に見たいとは思う。だけど正直な話、キース・ムーンが死んだ後は実質的に営業バンドになってしまったザ・フーだからね。それは懐かしのメロディ以上のモノにはなり得ないだろう。少なくとも、ちょっとは複雑な気分がするはずだ。

 実はあんなに大好きなストーンズに対しても、僕は心の底でどこかそんな思いを抱いているのだ。

 だから僕には、この映画でリードギタリスト役を演じる少年が、盛んに腕をグルグル回してアクションしている場面はすごく感動的だった。それはザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントの十八番のアクションだ。ここではそのアクションが、少年たちがロックの喜びをカラダで覚えたという事の象徴として描かれているのだ。

 そうだよね。映画でも言っていたように、ロックに一番大事なのはスピリットなのだから。

 

 

 

 

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