「THREE/臨死」

  Three

 (2004/05/17)


  

見る前の予想

 韓国のキム・ジウン、タイのノンスィー・ニミブット、そして香港のピーター・チャン。アジアの気鋭の映画作家たちが組んだオムニバスのホラー三部作。この映画が昨年の東京国際映画祭で上映された時には、とにかく見たくて見たくてたまらなかった。何しろ三人ともアブラの乗った連中ばかり。その作品については僕がちょっと「?」となるモノもあるにはあるが、とにかく三人ともその国の映画産業を担う人物には違いない。それがタッグを組んだというからスゴイよね。

 しかも、それがホラーだったというのがいいではないか。

 いまやアジアン・ホラーと言えば、ハリウッドにもどんどんリメイク権が買い取られるほど注目されている。何しろ「ホラー」は世界の言葉でウケない国はないし、オムニバス=短編をつくる時にホラーほどピッタリなジャンルもない。

 ただアジアン・ホラーをグッと盛り上げた立役者として、日本の監督が入ってないのは残念至極だが、これはこれで仕方がない。この三人でも十分魅力的な顔ぶれだ。いい企画だと思うよ。

 しかもピーター・チャンは久々の監督作品ではないか。僕はあの傑作「ラヴソング」(昔の戯言みたいな感想をご披露するのはお恥ずかしいが、見たときの興奮ぶりは感想その1その2をご覧いただければ分かる)以来、この人の新作を首を長くして待ってきた。それだけでもお釣りが来るよ。

 ただし、唯一不安がない訳でもない。この三人の監督、ホラーの監督かと言えばちょっと違うと思うんだよね。ゾッとするブラック・コメディクワイエット・ファミリーや日本公開間近の大ヒット・ホラー映画「箪笥」を撮ったキム・ジウン、幽霊話ナン・ナークを描いたノンスィー・ニミブットも、確かにそっち系の作品は手掛けてはいるが、本来はホラー映画の監督と言えるかどうか。ピーター・チャンだって監督作としてホラーは手掛けていない。

 そのへんが不安と言えば不安だろうかね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の作品は見る前に
あらすじを読まないようにしてください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじと感想

第1話「メモリーズ」Memories キム・ジウン監督

 閉めきって薄暗いマンションの一室。ソファに一人の男が横になっている。じ〜っと横になってウトウトしていたこの男ジャン・ボソが、フト目が覚めると何やら怪しげな気配。まずは部屋に無造作に置かれた人形の首が不意に向き直る。さらには部屋の片隅に髪の長い女が現れる。一体、この女の正体は…?

 髪の長い女が路上に倒れているイメージ。

 ジャン・ボソは精神科医に相談する。だが医者は大して心配はない…と言うだけだ。ジャン・ボソはつい最近妻が失踪したばかり。なぜ妻が突然いなくなったのか、まったく思い当たるフシもない。そんなこんなで、彼は精神的に不安定な状態にあると言うのだ。実はジャン・ボソ、最近は部分的に記憶を失っていたりもするのだが、それも精神の不安定から来ると片づけられる。本当にそうなんだろうか?

 ジャン・ボソが住んでいるのは、郊外型の新興住宅地「ニュー・タウン」。巨大な高層団地が何棟も並んで建ち並ぶ様子は、かなりの壮観だ。そんな彼は自宅に戻る途中で、自動車事故を目撃する。運転していた女は血塗れで、顔も事故のショックで変形していた。何とも忌まわしい不吉な予感。

 一方、例の路上に倒れた髪の長い女キム・ヘスは、ようやく意識を取り戻して起きだした。だが記憶がない。自分がどこの誰かも分からない。かろうじて持ち物に書いてある電話番号だけが頼りだ。だが、めざす番号に電話をかけても繋がらない。

 ジャン・ボソがクルマを団地の駐車場に入れると、守衛が親しげに近づいてくる。ジャン・ボソはこの守衛が苦手だったのだが、守衛はそんな事構わず話しかけてくる。「ここは何か不吉なモノがいる場所なんだよ」

 この守衛は、まだ団地が完成する以前からこの場所を警備していた。そんな建設中のある晩のこと…何やらただならぬ気配を感じるではないか。すると何やら人が襲われた跡やら血痕やら、果ては死体が転がっていて、そこに怪しげな人物が…。果たしてあれは幻だったのだろうか?

 髪の長い女キム・ヘスはと言えば、例の番号に何度電話しても繋がらない。業を煮やした彼女は、住所らしき所へたどり着こうとタクシーを捕まえる。

 その晩、ジャン・ボソは妻の妹夫婦を自宅に呼ぶ。自分の幼い娘をこの夫婦に預けるためだ。妻の妹はジャン・ボソにアレコレ問いつめるが、彼は混乱するばかり。ところが妻の部屋に忍び込んだ妹は、そこで何やら奇妙な写真を見つける。それはジャン・ボソが他の女と一緒に写った写真だ。

 髪の長い女キム・ヘスは、乗ったタクシーの運転手が一言も口をきかないのに不安を感じていた。しかも、通り過ぎる標識を見たら、目的地と反対方向へと進んでいるではないか。慌てたキム・ヘスは運転手に「止めて!」と叫ぶが全く反応なし。ところがこの運転手、不意にクルマを停めたから驚いた。キム・ヘスは慌ててクルマから飛び降りて逃げ出す。

 その頃、ジャン・ボソは自室のソファに横たわるうちに、奇妙な悪夢に襲われていた。髪の長い女が現れて、指を自分の頭に突っ込む。ダラダラと血が流れ、脳味噌がこぼれ落ちる…。悪夢から目覚めても、次の悪夢が訪れる…。

 一方逃げて逃げて、走り疲れたキム・ヘスが、疲れ果ててたどり着いたのは公衆便所。彼女が汚れた顔を洗おうと両腕を見ると、何とも異様に血色が悪いではないか。しかも天井のあちこちからポトポトと何かが落ちてくる。何かと思えば、それは切り落とされた指だ!

 唖然とするキム・ヘスがフト気づくと、いつの間にかジャン・ボソも住んでいる団地へと向かっていた…。

 

 これは「クワイエット・ファミリー」「反則王」の監督、キム・ジウンの作品。ここに挙げた二つの作品を見れば分かる通り、この監督としては初めての本格ホラーということになるのだろうか? もっともホラー味を盛り込んだブラック・コメディ「クワイエット・ファミリー」で、不気味な雰囲気作りは経験済みとも言える。そして、この後「箪笥」というホラー作品で大当たりを得たらしいから、このいジャンルへの関心はあったらしいんだね。

 このキム・ジウンという監督、「クワイエット・ファミリー」「反則王」の両方とも本国で大ヒットし、日本でもそれなりに評判になってはいる。だが僕が作品を見た限りでは、この監督はそれほど評価するに当たらないというのが正直なところだ。

 確かに前述の二作とも、その発想や設定を聞く限りでは面白くなりそうだ。そして途中までは確かに面白い。せっかく金をはたいて買った山荘で次々人が亡くなり、それを隠そうとするばっかりに恐ろしい目に合う善良な一家の物語「クワイエット・ファミリー」、平凡で気弱なサラリーマンが運命のいたずらから悪役プロレスラーに変身する「反則王」…いずれも前半部分まではかなり楽しめるし、これから一体どうなるのか?…と結末に大きな期待を持たされる。こりゃ最初の設定やアイディアがこれだけ面白いんだから、結末はかなりヒネったウルトラCで着地するのに違いない。

 ところが、なぜかそうはならない

 「クワイエット・ファミリー」も「反則王」も、同じように結末部分で一気に失速する。何が何だか分からないカタチで、物語をごまかして終わってしまう。これはどうも、キム・ジウンという監督の特徴のようだ。なかなか非凡で面白い発想の持ち主で、大風呂敷を広げて楽しませてはくれるものの、その物語を最後にまとめる段階に至ってどうしていいか分からない。結局放ったらかしてそのままにしてしまう。…前二作を見ての僕の印象は、そんなところだったんだよね。確かにユニークな発想の作品は、最後に話をまとめるのが難しい。そうは言ってもそこをないがしろにしては、いくらいい発想をしていても単なる「思いつき」に過ぎない。それなのにどうしても同じ所で躓いてしまうのが、この監督の良くないクセのように思えてならなかった。

 で、今回は…。

 出だしにいきなり男がソファに横たわっている姿をとらえた、やたら超長回しのショットが出てくるが、ここではまったく何も起きない。確かにその後でちょっとした異変の脅かしがあって、そのための観客の意識をマヒさせるための長回しではあろう。だが、それってハッキリ言ってコケ脅しだよね。

 今回の映画は、このコケ脅しがすべてを象徴している

 映画は中盤あたりまで、なかなかあの手この手で脅かしたり謎を提示したりして、観客を飽きさせない。アレコレと気色悪い趣向も盛り込んである。ある意味で、この「THREE」の三作のうち最も見た目で普通のホラーっぽい作品は、この韓国篇かもしれない。だから一体どうなるのか?…と、観客の興味はどんどん惹きつけられる。

 だが、お話が最終的にまとまってしまうと、「なぁんだ」と気持ちが退けてくるんだよね。

 しかも悪いことに、「真相」が分かってからよくよく考えると、それまでの怪異現象ってこの「真相」とあまり関わりが感じられない。もちろん関わりが全くない訳ではない。ただ、なぜタクシー運転手が出てくるのか、なぜ携帯電話が壊れているのか、なぜ洗面所で指がポトポト落ちてくるのか…。あるいは男の側からすると、髪の長い女が指で頭をかっぽじったりする意味がよく分からない。気色悪い怪異現象が起きるのもいいだろう、それが何らかの霊の仕業とするのもいいだろう。だが、どうしてそのような怪異現象がそのカタチで起きるのか…そこに必然性がなければ、単に「思い付き」をブチ込んだに過ぎないと思われても仕方あるまい。結局やっぱり単なる「思いつき」なんだよね。

 そんな調子だから、本当は衝撃的などんでん返しになっているはずのエンディングが、イマイチ盛り上がらない。

 いつもは大風呂敷を広げてとっ散らかすだけとっ散らかしたあげく、それをちゃんとまとめる事が出来ないキム・ジウン監督。今回はなまじっか話をまとめようとしたはいいが、まとまったら結末がつまんなくなっちゃったか。また、何とか話をまとめてはみたものの、結末に行き着くまでの過程が思いつきだけの怖がらせだってバレバレになっちゃった…って事なのか。ともかく伏線でも何でもないから、どんでん返しが「なるほど」…という感慨には至らないわけ。

 前にも言ったけど、この人ってつくづく誰か他人の脚本で撮った方がいいと思うけどねぇ。

 

第2話「ホイール」The Wheel ノンスィー・ニミブット監督

 雨の晩、川の水面に転覆したボートが浮いている。そのボートに乗っていたのか、女とその息子が水底に沈んでいく。彼らと一緒に、タイの伝統芸能で知られるきらびやかな人形も沈んでいったが…。

 その頃、一人の初老の男が悪夢にうなされていた。

 この男は先ほど川で溺れていた女の夫だ。伝統的な人形劇団を率いて来たが、最近はめっきり運に見放され劇団員も散り散りバラバラ。もはや若い弟子スウィニット・パンジャマワット一人を残すのみだった。そこへ妻と息子が溺れ死んだという知らせ…。

 初老の人形劇団団長の元に弔問に訪れた者のうちには、旧知の伝統舞踊団のヒゲ団長もいた。だが体調を崩した団長は、葬儀にも現れず床に伏せたままだ。舞踊団のヒゲ団長は、なぜこのような悲劇が起きたのか…をパンジャマワットに問いつめる。すると、彼は意外な事を口走った。

 人形が呪われている…。

 人形の呪いで、この劇団はロクな事がなかった。さすがに性も根も尽き果てた団長は、カラダが優れない自分の代わりに、妻と息子に人形を捨てるように頼んだのだ。ところが、それが裏目に出た…。

 さて葬儀は進み、妻子の棺に火が付けられる。だが棺が燃えさかっている頃、例の人形劇団団長の床も炎に包まれていた…。

 原因不明の失火。団長は焼死。これで人形劇団の命脈は絶たれた。だが焼けこげた小屋の中でも、人形の入ったカバンだけは無傷。その人形を見つめながら、舞踊団のヒゲ団長の目がぎらりと光った。

 さて、師匠を失って行き場をなくしたパンジャマワットだが、ヒゲ団長が身元を引き取ると約束してくれたので一安心。亡くなった人形劇団団長の遺品である人形も、当然のごとくヒゲ団長が引き受ける事になった。パンジャマワットが「呪われている」と止めるのも聞かず…。

 早速、煤で汚れた人形をご機嫌で川で洗い始めるヒゲ団長。だが、突然人形が重くなり、ヒゲ団長は川の中に引きずり込まれた

 そこに通りかかったのはパンジャマワット。彼は咄嗟に川に飛び込んでヒゲ団長を救出。確かにパンジャマワットが指摘するまでもなく、どう考えても不吉な人形には間違いない。だがヒゲ団長は人形に目がくらんでいたのだろうか。

 そんなヒゲ団長を挑発するように、川に沈んだはずの人形が浮かんでくる

 さて勝手が違う舞踊団に入ったパンジャマワットは、先輩役者に踊り方をからかわれる。「人形みたいに踊りやがったら笑い者だからな!」

 だがこの人形をバカにしたような発言がマズかったのか。この先輩役者は仮面が顔からとれなくなって窒息死。さらに娘が例の人形で遊んでいるのを見つけ、止めに入ったヒゲ団長の妻が何者かに襲われた。そのショックでか、ヒゲ団長の妻は精神に異常をきたしてしまう

 これにはさすがに「呪い」かとビビるヒゲ団長。しかし人形への思いは断ちがたい。かくして元の人形をバラして構造の秘密を探り、自分がホンモノそっくりに作り替えれば「呪い」も消える…などとテメエ勝手な理屈をこね回し、ヒゲ団長は人形をバラし始めた。ところがこれがまた災いしたか、ヒゲ団長の妻は民族衣装に身を固め、目から血の涙を流して首を吊ってしまうから事態は深刻だ。

 だがヒゲ団長は止まらない。民族舞踊はやめて、これからは人形劇団だとブチ上げる。そこでいくらかでも経験のあるパンジャマワットが、新生人形劇団を仕切る事になった。そんなパンジャマワットに劇団員の女サウィーカー・カンチャナマートもグラリ。

 だがそれは、それまで舞踊団を仕切ってきたヒゲ団長の息子にしたら面白くない。そもそもカンチャナマートに気があったのは、自分の方が先だ。息子はそんな不満をヒゲ団長にブチまけるが、人形劇の成功に夢中になっている父親ヒゲ団長は相手にしない。これには息子も本格的にキレた!

 そんなこんなの不穏な動きの中、一座の人形劇団として初めての幕が上がろうとしていた!

 

 タイのノンスィー・ニミブットは、あちらで空前の大ヒット作となった「ナン・ナーク」で知った監督さんだ。「ナン・ナーク」自体は典型的な昔の幽霊物語だったが、あちこちに見られる映像世代としての感覚が新しい映画だったっけ。さらに愛欲ドラマの「ジャンダラ」を発表したが、こっちは僕は見る機会がなかった。これも注目を集めていたようだよね。ともかく注目の人には間違いない。

 で、肝心のお話だが、これが現代の話か大昔の話か…皆目見当が付かないのにはマイッタ。田舎が出てきて川が出てきて…ってお約束なタイの光景を見ていると、まるで時代背景がいつだか分からないよね

 …でもって、日本の僕らにはなぜこの映画の登場人物が、人形にこれほどこだわるのか分からない。これは、どちらかと言えば身分的に低い民族舞踊の連中に対し、人形劇団の人間の方が優遇されるという事情があっての事のようだ。そんな欲得と虚栄心が手伝っての、人形への執着という訳だ。

 まぁ、ここで描かれるのはそんな欲に振り回される人間と、分かっちゃいるけどやめられない「業」みたいなものを描こうとしたのは分かる。タイの古式ゆかしき伝統の人形たちも、何とも言えない気色悪さを醸し出している(これは気色悪くしようとしてなっているんじゃないが)。

 ただねぇ、これちっとも怖くないんだよ

 何だか単純素朴過ぎちゃって、マンガ日本むかし話みたい。人形の呪いもワンパターンで、川に引きずり込むか、枕元で悪夢を見させたあげく部屋中に火を放つって趣向が何度も出てくる。その繰り返しが多い。もっとあの手この手を尽くしてくれないと、コレじゃさすがに飽きるよ。お話自体、意外性もどんでん返しもまるっきりなし。ちょっと今回は手を抜いたのがアリアリと伺えるんだよね。タイ特有の人形芝居やら民族舞踊やらって伝統芸能が見れる珍しさはあるけど、それってこの映画の「売り」とは違うだろう。

 というわけで、正直言ってこのエピソードが全編で一番つまらないんじゃないか?

 

第3話「ゴーイング・ホーム」Going Home ピーター・チャン監督

 ある日、オンボロの高層団地に奇妙な父子がやって来る。警官のエリック・ツァンがいかなる理由でここに引っ越しを決めたかは知らないが、8歳の息子にはどうにも気色悪い団地に見える。それもそのはず、この団地は一ヶ月後に取り壊しが決まってる。だから大半の住人が引っ越した後で、ほとんど廃墟のような状況になっているのだ。それにしても、こんな取り壊し間際の団地に引っ越すエリック・ツァン、一体いかなる理由があるのだろうか?

 そんなツァンの息子が最も怯えていたのが、同じ団地の住人で挙動不審な黒ブチ・メガネ男、レオン・ライ。そして赤い服を着た幼い娘だ。この男、半身不随の妻がいると言うが、いつも部屋に閉じこもって何やらやっている。部屋では何やらグツグツ煮ているようだが、それが何かは分からない。そして毎朝、ビニール袋一杯に何やら汁気のある生ゴミを大量に出す。娘は…と言えば、なぜか神出鬼没の奇妙な女の子だ。

 そんな団地に一人置いていかれるのはイヤだと息子は訴えるが、警官の仕事に出かけねばならないエリック・ツァンは、そんな息子を叱るのみだ。結局怖い気持ちを奮い立たせて、息子は一人で団地にいなければならない。

 そんな息子の前に、あの赤い服の女の子が現れる。一緒に遊ぼうと誘ってくる…。

 さて遅番のために夕方目を覚ましたエリック・ツァンは、どうやら昨夜息子が帰宅していない事に気づく。今さら息子が怖がっていた事を思い出しても後の祭り。エリック・ツァンはあちこち探し回ったあげく、たまたま扉が開いていたレオン・ライの部屋を覗く。

 そこには…。

 煎じ薬で満たしたバスタブに、レオン・ライの妻の死体が浸してあるではないか!

 戦慄に身を震わせたエリック・ツァンは、次の瞬間頭を強打されて気絶する。彼の背後には、あのレオン・ライが迫っていたのだ。

 やがて意識を取り戻したエリック・ツァンは、カラダ中を縛られていた。レオン・ライはそんなエリック・ツァンにはお構いなく、妻ユージニア・ユアンの世話を焼いている。いや、ユージニア・ユアンの「死体」の世話を焼いているのだ。「彼女はもう死んでいる!」とエリック・ツァンが叫んでも、レオン・ライは狂気に囚われたのかまったく動じない。彼によると、妻はガンで余命いくばくもなかった。そこで治療のために呼吸を止めた。それから漢方薬で治療を施し、完治したところで彼女の魂が蘇る事になっている。それはあと三日後のことだ。

 だがエリック・ツァンには、到底そんな話はマトモに受け取れない。いくら漢方だ中国四千年だと言っても、死んだ人間が生き返るなんて訳がない。息子の行方も気になるし、こんなキチガイ沙汰につき合ってはいられない。

 だがレオン・ライはマジも大マジだ。愛し合って結ばれた妻ユージニア・ユアンと共に、大陸からやって来て幾年月。二人とも漢方医として経験を積んできただけに、お互いを信頼していた。妻ユージニア・ユアンが重度のガンに犯され、そのせいでやっと授かった赤ちゃんを堕胎せざるを得なかった後も、これは二人の絆を試す試練なのだ…と頑張ってきた。

 しかもレオン・ライに言わせると、その前にも同じ事をやって成功したと言うのだ。その時は、病魔に冒されたのはレオン・ライの方。そこで一旦呼吸を止めて仮死状態にし、漢方で治療を施して魂が戻るのを待ったという。そうしてレオン・ライは見事に蘇った。だから妻だって大丈夫だ! 

 たちまち三日が経ち、妻ユージニア・ユアンが蘇る日がやって来た。妻さえ蘇れば、エリック・ツァンを解放すると約束するレオン・ライ。

 だが当日が来ても、ユージニア・ユアンの目は開かなかった。

 焦り狂うレオン・ライ。どうして蘇らないのか…? それでも本気か狂気か、体温が戻ってきたとか何とか言って妻の復活を確信するレオン・ライ。

 そんな時、彼の部屋の扉を警察の捜査官たちが叩いた…。

 

 「ラヴソング」以降、僕にとってピーター・チャンは特別な映画作家になった。とにかくあの作品は、どこからどう見ても見事な出来映えだったよね。本当に素晴らしかった。

 そんなピーター・チャンが、ハリウッドで仕事をした後はもっぱらプロデュースに転じ、監督作を発表しなくなっていたのを、僕はずっと残念に思っていたんだね。するとこのオムニバス中の一本とは言え、久々の監督作が登場すると言うではないか。これって結構期待したんだよね。

 期待は裏切られなかった。

 やっぱり「ラヴソング」が素晴らしかったレオン・ライとエリック・ツァンが、またしても結集していい味出しているから嬉しい。

 しかもレオン・ライは、再び大陸からやって来た男を演じている。実はここが本作の最大のミソだ。

 レオン・ライとユージニア・ユアンの夫婦は、大陸からやって来て苦楽を共にしてきた夫婦だ。だが過酷な運命が二人を次々襲う。その愛の悲しい末路を描くのが、このエピソードの眼目だ。だから、この短編は実はホラーではない

 死体らしき女のカラダを洗ってやる男。その部屋が常に湯気で曇っていること。さらに毎朝、汁をたっぷり含んだ生ゴミを出すこと。…そんなアレコレを「いかにも」ホラーな設定に思わせながら、観客の期待を少しづつハズしていく。僕なんかあの生ゴミはてっきり臓器か何かだと思ったし、ひょっとして妻のカラダを剥製にでもしているかと思った。そういう観客の気持ちを盛り上げつつ物語を引っ張っていくのは、さすがピーター・チャンのエンターテイナーぶり。だが、そんな観客の期待がはぐらかされてからが、実は本当のピーター・チャンの独壇場だ。

 わざわざ大陸からやって来た夫婦には、彼らなりに夢もあったろう。だがそんな夢ははかなく消えた。物語としてはちょっと突飛でグロテスクなものにはなっているが、そこで描かれているのは大陸出身者の抱く「ホンコン・ドリーム」とでも言うべきものと、その悲しい結末だ。助け出されたエリック・ツァンが残されたビデオ映像を見ながら、この夫婦の愛の末路を目撃するくだりは何とも苦い。そしてそれはそのまま、あの傑作「ラヴソング」の変奏曲ともなっているのだ。

 大陸からそれぞれの夢を抱いて香港へやって来たマギー・チャン、レオン・ライの二人は、それぞれ別々のカタチでそれを実現しようとしながら、不思議な縁で結ばれていく。そんな二人の関係はさまざまな障害に阻まれながら、さらに海を渡ってニューヨークで結実する…。「ラヴソング」の素晴らしさはロマンス映画としてのそれである事はもちろんだ。だがそんな「十年愛」なんて甘っちょろいモノにはとどまらず、中国人の願いや叶わなかった夢やその残骸を見せてくれたことが、見る者に深い感銘を与えたに違いない。そして、実はそれは中国人だけのものではない。人間は誰しも抱いていた夢があり、それが潰え去った経験を持ち、その残骸をどこかに残しているものなのだ。

 実は今回の短編を「ラヴソング」の変奏曲と言ったのも、まさにそこにある。これは残酷物語としての「ラヴソング」と言っていい。

 レオン・ライはまるで別人みたいな好演。ゾッとするようなホラー的人物と、誠実で勤勉な人物とを矛盾なく演じきって素晴らしい。もっと感心したのはエリック・ツァンで、終盤での味のある演技は心に残る。いつもはチャカチャカと饒舌な映像を見せるクリストファー・ドイルも、今回は硬質な画面で引き締まった絵を見せる。久しぶりに彼のカメラがいいと思ったよ。

 気になったのはエリック・ツァンにも何やら事情があったような事で、彼の妻の不在やら、取り壊し直前の団地に越してくる訳アリぶりなど、このあたりの事情って香港の人なら分かるのだろうか?

 何はともあれ見事だ。ピーター・チャン、余裕の復活と言っていい。これ一本で、このオムニバスは元を取ったようなもんだよ。

 

見た後の付け足し

 というわけで、ここまでの僕の文章を読んでいただければお分かりのように、この三部作は圧倒的にピーター・チャンの作品の出来がいい。後の二作はそれなりに楽しませてくれるのでケナしちゃ申し訳ないが、ピーター・チャン作品と比べると二段も三段も落ちると言わざるを得ない。

 おそらくはピーター・チャン、この裏「ラヴソング」とも言うべき短編の構想を持ち、何とかこれを実現するために、オムニバスという手段を使ったのではないか?

 そしてピーター・チャンがこの作品に至るまでには、彼のハリウッド行きが大きく影を落としているように思えてならない。

 考えてみると才人ピーター・チャン、「ラヴソング」の圧倒的好評を背景にハリウッド行きの話が決まったのが、すべてのつまづきの元だったのではないか…と今になってみれば思える。ドリームワークスでつくったというケイト・キャプショー主演の「ラブ・レター」なる作品が、日本では劇場公開されずビデオのみという現実が、何よりこの作品の出来映えを語ってしまっているのではないか? 少なくともクリエイティブな面での自由は得られなかったのではないか? やっぱりこの人もハリウッドには向かなかったんだろうか?

 それを上書きするように、近年のピーター・チャンはもっぱらアジアで、それもプロデューサーとして活躍してきた。例えば韓国でホ・ジノ監督の「春の日は過ぎゆく」を撮るかと思えば、タイではこの「THREE」にも参加したノンスィー・ニミブットの「ジャンダラ」、さらにはパン兄弟のアイ…と、香港にとどまらない八面六臂の大活躍だ。「THREE」の構想は、こうした活動の中で育まれたものだろう。

 それにしても、ピーター・チャンはなぜこれほど長くプロデューサーに徹して監督をしなかったのか? そしてなぜこうもアジア全域で活動してきたのか?

 それってやはり、ピーター・チャンのハリウッドでの経験の反動じゃないかと僕は思う。

 「ラブ・レター」を見てないから出来映え云々については言えないが、ピーター・チャンにとってハリウッドって、決してやりやすい環境ではなかっただろう。あるいはプライドが傷つく事もあったかもしれない。彼がその後しばらく監督業をやりたがらなかった理由は、そのへんにあると僕は思っているんだよ。僕にも似たような経験があるからね。すべての自信とプライドを剥奪された後、明らかに仕事へのアプローチの仕方が変わった。そのキズを癒すには時間が必要なんだよね。

 そしてハリウッドの夢破れたとしたら、彼はかって知ったる香港へと戻るだろう。いや…これを敗北に終わらせじとばかり、香港の殻を破ったアジア全域に活動を拡大しようとしたのかもしれない。だとすれば、彼のその後の軌跡も何となくうなづける。

 そしてアジアが世界に…ハリウッドに対抗して行くには、今をときめく「ホラー」のパワーで戦うのが有利だ。そう考えたピーター・チャンが、アジアの俊英監督オムニバス、しかもホラーの三部作を企画したのは当然ではないか。

 そこで復活を賭けたピーター・チャンは、久々の監督作を披露することを決意する。

 それは自身が最も成功を収めた「ラヴソング」の変奏曲的作品だ。出演者の顔ぶれからもそれは伺える。何より重要なのは、この物語が「越境者」の潰え去った夢の末路を描いた物語であることだ。そこに以前とは比べモノにならない実感が籠もる事を、ピーター・チャンはたぶん分かっていたのだろう。

 「越境者」…それはハリウッドに渡ったものの夢を叶えきれなかったであろう、ピーター・チャンその人の事でもあるのだから。

 

 

 

 

 

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