「Re:プレイ」

  The I Inside

 (2004/05/10)


  

見る前の予想

 この映画、まずはどんでん返し的趣向が横溢するサスペンス映画って事は分かったんだよね。

 病院に収容された男の記憶が混濁したか失われたか交錯するか…ともかく記憶の混乱があって、主人公はどれがウソかマコトか分からなくなる。予告編やチラシをサッと見た限りでは、そんな映画だ。となると、あのメメントの面白くも怖い展開を思い出すよね。これもどうも同系列の映画だと察しがつく。

 気になるのは、この作品ヤケに地味な扱いで公開されること。それと言うのも、出ている人たちの顔ぶれにもよるのだろう。主役のライアン・フィリップを筆頭に、映画を好きな奴なら気になるメンバーがズラリだが、どれもこれも華やかさには欠ける連中ばかり。豪華スター共演とはとてもじゃないが言えない。これでは恐らく当たらない。普通なら速攻でビデオ発売だ。でも、気になるメンツ…。

 特に医者の役で、ニール・ジョーダン映画の常連スティーブン・レイが出ているのは注目。僕はこの人って出ているだけで映画が見たくなる希有な俳優だ。「クライング・ゲーム」以来、この人には完全にまいっている。

 それにしてもマイナーに公開されているのに…いや、マイナーに公開されているからこそ、この映画の器と佇まいには合っている気がする。これって実は年に何本もない、「拾いモノ」の類の映画なのか?

 

あらすじ

 悪夢から飛び起きて、青年ライアン・フィリップはやっと意識を取り戻す。ここはなぜか病室だ。彼は昨夜、ある事故から瀕死の状態でこの病院に運ばれてきた。

 いや…正確に言うと、彼は実際に死んでもいた

 実は2分間心拍停止状態になって「死んで」いた。その後、文字通りあの世から生還を果たしたのだ。そんな事実を担当医のスティーブン・レイ医師から聞かされても、フィリップはまるでキツネにつままれたようなもの。しかもレイ医師から矢継ぎ早に飛んできた質問に、満足に答えられないから驚いた。「今日は何月何日?」「今年は何年?」…てっきり2000年だと思っていたら、今は2002年だと言う。何とフィリップは、この2年間の事を覚えていなかった。しかも極め付きはレイ医師のこのセリフだ。「君に奥さんがいるのを知っているか?」

 妻がいるなんて知らない。

 そんな当惑しっぱなしのフィリップが病室に一人になったところへ、唐突に若い女がやって来る。その女サラ・ポーリーは、明らかにフィリップを愛しているようだ。では、この女が妻なのか? だがフィリップは何も覚えていない。「僕は君を知らない…」

 そんなフィリップの率直な言葉にショックを受け、ポーリーは傷ついて去ってしまう。慌ててその後を追おうとするフィリップだが、今度は別のケバい女パイパー・ペラーポが現れる。何とこのケバ女ペラーポは、フィリップの妻を自称するではないか。では、さっきのポーリーという女は…?

 しかもペラーポ、医者たちの前ではフィリップを心配する様子だが、二人きりになったら態度を豹変。まるでフィリップの記憶喪失が芝居であるかのようにイヤミを言う。「いいかげんにしてよ、シラジラしい」

 何でこんな女が自分の妻なのか。

 さらにレイ医師らから語られた話は、フィリップにとって驚くことばかりだった。実はフィリップは2年前にもここに担ぎ込まれたと言うのだ。それを聞いた時、彼は交通事故のイメージを思い出す。その交通事故で入院したのか?

 さらにフィリップは兄ロバート・ショーン・レナードの家に訪ねていった事を思い出すが、その兄もすでにこの世にはいないと言う。一体何があったのか?

 そんなフィリップをレイ医師は励ました。「記憶は失われたのではなく、断片となって残っている。それをパズルのようにハメ込んでいくんですよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

できれば映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、ある日のこと。フィリップはMRI検査を受けるために、検査台にカラダを固定された。ところがいつの間にか看護師がいなくなり、その代わりいつの間にか部屋に入ってきた怪しげな男が迫って来る。思いもかけぬ展開に真っ青のフィリップだが、カラダは固定されて自由が効かない。そんなこんなしているうちに、怪しい男に注射を打たれて意識を失ってしまう…。

 気づくと、フィリップは見知らぬ病室にいた。隣は心臓病の患者スティーブン・ラングで、驚いてわめくフィリップをアホ呼ばわりだ。だがフィリップはこんな男を見た事はなかった。やって来た医師ピーター・イーガンも知らない男だ。慌てたフィリップはイーガン医師にレイ医師の名前を出すが、そんな名前は「知らない」と一蹴。おまけに今年は2000年だと言うではないか。彼は昨夜自動車事故で、この病院へと運ばれて来たらしい。

 パニクりながらも何とか自分を納得させようとしていたフィリップだが、病室に馴染みの看護婦ラキー・アヨラと、看護学生としてパイパー・ペラーポが現れたからもう止まらない。この2000年が真実で2002年が幻想なら、何でこの2002年で馴染みの二人がいるのだ。しかもペラーポは自分の妻を名乗るやたらケバい“2002年バージョン”と大違いで、ここでは看護学生として地味〜な女の子だ。こりゃ一体どういう事なのだ? みんなでグルになってオレをダマそうとしてるのか?

 ふと気づくと、フィリップはまたMRI検査台に戻っていた。現れたのはレイ医師。彼は2002年に戻っていたのだ。これはどっちが夢でどっちが現実なのだ?

 ところがフィリップが2000年の幻想に出てきた心臓病患者ラングの名前を出した時、看護師スティーブン・グラハムが反応した。その名前の患者は、確かにこの病院に存在すると言う。慌ててフィリップがその病室に駆けつけると、確かにあの患者ラングに間違いない。ただしさらに病状は進み、心臓移植を待つばかりの身ではあったが…。ラングはフィリップの事を「アホ」と覚えてもいた。すると、やはりアレはフィリップが前にこの病院に入院した2000年に実際にあった事なのだ。

 あれは幻想ではなく、記憶の断片なのか?

 それでもフィリップは「アホ」呼ばわりされながら、2000年に出会ったラングが生きていたのが嬉しかった。フィリップはレイ医師に彼が助かるかどうかを尋ねたが、医師の答えは複雑なものだった。「人生のルールは、常に誰かが“抜ける”ことだ…」

 そんなフィリップの前に、あのポーリーという女が再び現れる。この女は妻ではなく、道ならぬ恋の相手だったのだ。そしてフィリップは、リッパな屋敷の中で彼女と愛し合った記憶を蘇らせる。 やっぱり愛しているのはポーリーの方だった…。その言葉を聞いたポーリーも、喜びに顔を輝かせて去って行った。

 ところがまたしても意識は2000年の病院に飛ぶ。事故で兄ショーン・レナードが死んだという知らせだ。そして兄の婚約者が面会に来ている…との事。それは一体誰だと会ってみると…。

 何と、あのポーリーが兄ショーン・レナードの婚約者ではないか!

 自分とポーリーは、兄の目を欺いて関係を持とうとしていたのだ。あまりの事実に驚愕するフィリップ。だが次の瞬間にポーリーはその場から消えて、代わりに現れたのはあのペラーポ。ただし地味な看護学生としての“2000年バージョン”だ。

 ところがいかに地味バージョンとは言え、根性の悪さは変わらない。ペラーポは昨夜病院に担ぎ込まれた瀕死のショーン・レナードの手術に立ち会い、彼の最後の言葉を聞いたと言う。それだけでなくその言葉をテープに録音さえしていた。兄ショーン・レナードはこうつぶやいていたのだ。「オレは殺された。やったのは弟のフィリップだ」

 これにはさすがに唖然とするフィリップ。やったのは自分でないと抗弁するが、考えてみれば記憶が定かでない自分に、そんな確証などあるはずもないのだ。そんなフィリップの足下を見たペラーポは、ここぞとばかりフィリップに迫る。「私も貧しい身なのよ。アナタと親しくなってもいいかしら?」

 なるほど、何で自分がこんな女を妻にしたのかよく分かった。

 そのフィリップは、次には2000年のあの事故の晩に飛んでいた。場所は兄ショーン・レナードの邸宅。フィリップは兄と口論の真っ最中。その後、はずみで兄は階段の踊り場に転落。焦ったフィリップは兄ショーン・レナードをクルマに乗せて走りだした…。その様子を第三者の目で観察するハメになるフィリップ。ところがそんな彼に、MRI検査台でも襲ってきた怪しい男が迫る。これに怒ったフィリップは、男が持っていたメスを奪い取って逆にメッタ刺しだ。

 コイツめ、この野郎、ふざけるな、これでもかっ!

 ハッと気づくと、フィリップは2000年の病室にいた。手には血だらけのメス。病室に入ってきた看護婦は悲鳴。見るとフィリップは、あの心臓病患者ラングをメッタ刺しに殺していた。

 そ、そんな…。

 だがこのままでは捕まってしまう。警官が追いかける中を、フィリップは病院内を縦横無尽に逃げ回る。そんなフィリップの気も知らず、たまたま通りかかったペラーポ“地味バージョン”は高みの見物。だがこんな女に構っていられない。つい邪険に扱った拍子に、ペラーポの額にキズが出来たがそんな事は知った事か。

 そんな折りもおり、地獄に仏。フィリップは2002年に戻ってきた。病室を訪れると、心臓移植を待つラングも健在だった。アレは単なる幻想だったのか…?

 ところがそんな折りもおり、元気だったはずのラングがいきなり血を吐いて発作を起こす。容態の急変で死に至ったラングを見て、フィリップはさすがに冷静さを失わずにはいられない。

 そんな錯乱する意識の中で、フィリップは事の真相にたどり着いた。瀕死の兄ショーン・レナードをクルマに乗せた自分は、彼を崖から突き落とそうとしたのだ…。

 自分の愚かな選択が、すべてを狂わせてしまった。そこに思い至ったフィリップは、「妻」ペラーポと再会する。すると彼女の額には、“2000年バージョン”にもついていたキズがあるではないか。

 2000年で自分が刺し殺した男が、2002年では発作で血塗れ死。2000年で自分がペラーポに付けたキズは、2002年の彼女にも付いていた。

 ならば、今こそ自分は未来を変えられるのではないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは絶対に映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後での感想

 ここまでストーリーをお読みになったり、映画をご覧になった方はお分かりの通り、これはなかなか気分を出している作品なんだよね。

 まず自分が何者なのか、そしてどんな事が我が身に起きたのか…それが分からないという点が、イヤ〜な感じだよね。それも完全に忘れた訳でなくて、時々ポコッと思い出す。それがあまりにもリアルで、その都度幻想の中に入り込むような状態になるというのが新味だ。ホントにこんな病気あるのか…と思ってしまうが、それは実は問題にならない。それはエンディングまで見れば分かるんだよね。

 突然訳も分からない状態になるから、主人公も混乱を極める。見ている僕らは、これが主人公をハメる何かの陰謀で、すべてはダマしじゃないかと思えてくる。だが、それにしては…どう考えても不可能としか思えないシチュエーションが連発するではないか。では、一体どういう手で…?

 なるほど、この映画ってさすがに“アイデンティティー”を手がけたマイケル・クーニーの脚本だけある。

 このどう考えても理詰めサスペンスのはずの展開なのに、起きている事件はどう見てもホラー風の超自然現象…という、反則スレスレの不可解状況の作り方が、「“アイデンティティー”」とピッタリ重なるんだよね。

 理詰めサスペンスと超自然(というか何でもアリ)ホラーとの境界線というのは、実はクッキリと存在する。この両者の境界を超えて越境する作品をつくってはいけない…などと、どこの法律でも決めている訳ではない。だが、それをやったら反則だよね。だって、それをいいかげんにしたら何でも出来てしまう。

 でも何でも出来てしまう…という事になったら、サスペンスの構築なんて意味がなくなる。それは「マトリックス」における。アクションでの「何でもアリ」とは違うのだ。

 実は最近このあたりがガサツになったか、非常に曖昧でズルい展開にする作品が時々見受けられる。その最たるものが、ハリソン・フォードらが主演した「ホワット・ライズ・ビニース」だ。これには失望したね。謎解きやハラハラかと思っていたところに「アレ」ではねぇ。ハッキリ言ってシラケるんだよ。

 で、そういう意味では確かに際どいけど、今回の作品ならば僕は反則とは思えない。それはクーニー脚本の前作「“アイデンティティー”」とまったく同じ理由だ。

 「ラストサマー」で頭角を現した若手ライアン・フィリップ、「コヨーテ・アグリー」でヒロインに選ばれながらもくすぶっていた(考えてみれば、あの作品の時から根性悪そうだった!)パイパー・ペラーポ、「スウィート・ヒアアフター」のサラ・ポーリー。「今を生きる」「から騒ぎ」などのロバート・ショーン・レナード…さらに前述のスティーブン・レイと、出演者はいずれも気になるクセモノ揃い。確かにスターというのはツライけど、僕にとってはこのあたりの俳優さんたちの顔合わせがむしろ嬉しいね。

 今回の監督には、わざわざドイツから「トンネル」の監督ローランド・ズゾ・リヒターを起用してきている。「トンネル」という映画は僕は未見だが、お話は東西冷戦下に亡命のためのトンネルを掘る話のはずだ。そんな真摯な映画の作り手を、こんなサスペンス娯楽映画に起用するというのも面白い。さては「トンネル」、真面目な映画ながらもそこにサスペンス風味が横溢する作品だったのか。それとも制作者側はこの映画のサスペンス・ホラー境界線スレスレの味わいを、「トンネル」監督ならではの誠実で真摯な演出によって地に足のついたモノにしようと考えたのだろうか?

 たぶん、そのどちらも正解だったんじゃないだろうかね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここだけは見る前に読まないで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た後の付け足し

 今回の作品、実はマイケル・クーニーが自作の舞台劇を脚色したものらしい。なるほど、これを芝居でやったら面白いかもね。

 ただ、主人公はじめ主要人物がみな「死人」である…というオチは、実はさほど珍しくはない。映画ではあの有名な最近の大ヒット恐怖映画をはじめ数えるほどしかないが、短編のホラー小説などではよく見かけるネタだ。

 そして終盤に持ち込むあたりの物語の運びも、少々乱暴な気がする。

 途中まではワクワクして見ていたものの、何となく納得出来ないまま放置されちゃった部分も散見出来るんだよね。ドンドン展開が早くなっていくから、あれよあれよ…と思わされはするが、実は辻褄が合わないんじゃないかと思わされる部分も多々ある。例えば主人公に襲いかかってくる怪しい男って何なのだ? 途中で主人公は未来を変えることが出来ると気づくが、それって一体どういう状態なのか?

 最後に唐突に「みんな死人だ」…と言われたら、なるほどねぇと思いはするが、納得出来たとは言いかねるよね。

 実際のところ、丁寧に見ていけば辻褄は合うんだろうか? これから見る人の報告を待ちたいところだ。かように恐怖映画、サスペンス映画…などの大風呂敷の広げ方は難しい。後で話をまとめる時に、強引になったりつまらなくなったりするからね。それは今回のこの映画も例外じゃなかったようだ。

 それでもこのエンディングは見る者にひっかけられる満足を与えてくれる。多少よく分からず納得出来なくても、なるほど〜と感じさせてくれる。見た価値はあったと思わせてくれる映画だよ。

 もっとも僕は前半の不条理感を味わえれば、それでお釣りが来るんだけどね。映画自体も身の程知らずに名作・傑作・大作風なコケおどしの構えを見せていないから、「それなり」に好感が持てるんじゃないだろうかね。

 少なくとも、僕はこれで十分楽しんだよ。

 

 

 

 

 

 to : Review 2004

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME