「スパニッシュ・アパートメント」

  L'Auberge Espagnole (The Spanish Apartment)

 (2004/04/26)


  

ある懲りない男の、とても人には自慢できない肖像

映画館主・Fの略歴:(フィクションを多分に含む)

1959年 1300グラムしかない未熟児として、東京に生まれる。

1964年 幼稚園に入園。病弱のため、家で寝ている期間の方が長かった。その間のオトモダチは本とテレビ。いきおい頭でっかちな可愛げのない子どもになる。

1966年 小学校に入学。抵抗力が弱く、一年生の時にはプールにも入れず。

1968年〜1971年 病弱で運動もできなかった事から猛烈なイジメにあうが、何とか登校拒否は免れる。実際、かなりイジメたくなるような子どもではあったはず。この時期から画家やマンガ家や小説家になりたいと次々妄想に耽り始めるが、本気か遊び半分か自分でも判断つかぬまま何一つモノにならず。

1972年 この頃より心機一転、ようやく少しはマトモな子ども時代を送る。

1978年 某私立大学付属高校に在籍するものの、都立高に行った友人にエスカレーター呼ばわりされて一念発起。あえて外の大学を受験。結果は当然の事ながらあっけなく一浪決定。(中学時代に片思いした優等生の女の子を追おうとしたという説もあり。)よせばいいのに虚勢を張る傾向はここから始まる。

1979年 某私立大学にかろうじて進学。高校時代から始めた8ミリ映画製作を本格化する。ただしその内容はお粗末なモノで、本人もプロになろうという気持ちはまるでなし。例によって本気なのか遊び半分なのか、何をやっても中途半端。

1982年 現実感覚が決定的に欠落している故の自業自得で、まるっきり就職活動に出遅れる。やっと内定をもらったと思えば新興宗教会社である事が発覚。クリスマス・ソングの流れる街で、改めての就職活動に奔走する。

1983年 大学卒業。やっと決まった航空貨物関係の会社にすがりつくように就職。

1984年 本社内勤から出張所での営業職に配置転換。職場の体育会系気質にも仕事にもまったく馴染めず。生来の甘さが案の定社会人としての最大のネックとなる。

1986年 突然、本来志望していた文筆業に転じる事を決意。この年いっぱいで最初の職場を退職。衝動癖と虚勢ぶりをいよいよ発揮。

1987年 求職活動に明け暮れるが、未経験者であるが故に当然のごとく仕事は決まらず。見通しの甘さが早くも露呈。ようやく夏も終わろうという頃に、ある業界新聞記者の職にありつく。

1988年 記者クラブを通じて知り合ったライバル紙デスクに声をかけられ、某航空会社のPR誌をつくる会社へと移籍。バブルも絶頂期の頃。

1989年 声をかけてくれた元・ライバル紙デスクが独立を目論み、会社は最終的に空中分解。不信感がつのる同氏とは袂を分かって、改めての求職活動。某印刷会社の企画部に籍を置くことになり、コピーライターの肩書きを得る。ここからはごく短いながらも最もキャリアが順調な時期。いっぱしの者になったつもりで、たちまち身の程知らずの増長ぶり。

1990年 惚れた女を追ってノコノコ海外へと出かけ、予想だにしなかった恐怖の一週間を経験。これまたよせばいいのに…の典型的事件。

1995年 社内人間関係の対立による混乱や顧客事情の変化など、職場内外の環境悪化により退職。すでにバブルは陰りを見せていたのに、またしても甘く考えたのが運の尽き。ここから職場を転々とする人生が続く。

1997年 某広告代理店にて海外のリゾート開発絡みの怪しげな仕事に巻き込まれ、現地で一週間針のムシロの日々を送る。ここで短かった絶頂期に培ったあらゆるプライドと自信が完全に失墜。帰国後失意のうちにまもなく退社。しかしまたしても見通しの甘さが災いし、日本経済はここから決定的な低落傾向に落ち込む。

1999年 別の某代理店で、キャリア的に不完全燃焼な日々を送る。何も考えず衝動的に個人サイト「DAY FOR NIGHT」を開設、華々しいとは言いかねるネット・デビューを果たす。創業社長から二代目への移行に伴うイザコザや、主要顧客からの撤退などの混乱に巻き込まれやむなく退社。

2000年 プライベートに関する限りは幸福感に包まれ、我を忘れて有頂天になる。ただしキャリア的にはますます退潮傾向が続くが、それには一切目をつぶる。年末に人生の一大局面を迎える決断をするが、それは一ヶ月を待たずしてポシャる。

2002年 現実を無視したツケが回り回って、公私ともに悪夢の出来事が相次ぎ不眠症に悩まされ始める。 奈落の底めざして一直線。

2003年 経済状態もキャリアもドン底の虚脱状態。本人としては不本意ながら、かろうじてネットのみで精神的安定を保って現実逃避が続く。

2004年 長く続ける気持ちもなかったサイト「DAY FOR NIGHT」を、例によって本気か遊び半分か分からぬ状態で続けているうち、思いもかけず5周年を迎える。ただし完全にネット依存になってしまった生活を見直し、プライベート、キャリアともに建て直しを図ることを真剣に考える。本人懲りずにその都度「これが最後」と思ってはいるが、すでに何度目かを数える「人生最大の転機」の気配。

 しかし、もはや若くない40代。すべては身から出たサビと分かっていても、現実から目をそむけたくても、残り時間はあとわずか…。

 

見る前の予想

 僕がフランスのセドリック・クラピッシュの映画が大好きな事は、前作パリの確率感想文にも書いた通りだ。

 なによりこの人の映画ってフランス映画のくせに…くせにって言うのも申し訳ないが、スケールがデカい。それは例えばリュック・ベッソンの疑似ハリウッド映画みたいな「大作感」があるって訳じゃないよ。アメリカ映画みたいだと言うつもりもない。ただ、ミニシアターにかかってチマチマやってるような、僕らが一般的にフランス映画に抱くイメージとは大きく違うって意味なんだよね。

 実際「パリの確率」では、フランス映画には珍しく近未来の世界を出して来たりもするが、ともかく何だかフトコロが広い。映画として見ていて楽しめる。スコ〜ンと大らかなところもある。そんなこんながクラピッシュ映画の魅力だ。

 今回はスペインはバルセロナが舞台の青春群像劇だと言う。それだけでも見たくなる。青春映画は好きだし、群像劇も好きだし、何よりクラピッシュにはステキな青春群像劇「青春シンドローム」があるではないか。まして今回の主役は、その「青春シンドローム」で抜擢したロマン・デュリスだ。彼はその後「猫が行方不明」「パリの確率」と出てきて、すっかりクラピッシュ映画の「顔」にもなった。

 そこに、「アメリ」でスターになったオドレイ・トトゥまでが彼の恋人役で出てくると言う。ともかくクラピッシュ映画にハズレなしだ。これはもう絶対見るしかないだろう。

 

あらすじ

 パリの学生ロマン・デュリスは平凡な男の子。将来どうする…って具体的なプランもない。それでもともかくスペインに留学する事になった

 おっと、これではいくら何でも簡単すぎる。実はここまでの経緯はこうだった。

 親父のコネでエライお役人に会ったなら、これからはEU経済の中でもスペインが注目だ。スペインで勉強せよ…とのご忠告。スペイン留学すれば、その後はバラ色のコースが待っていると言う。子どもの頃こそ「本を書きたい」などと志があったものの、今や人生の目標などないデュリス。ここはエライ役人の言葉を鵜呑みにして、デュリスはスペイン留学を決めた訳だ。

 それには「エラスムス」とかいう欧州交換留学生制度がいい。エラスムスとは16世紀のエライ学者の事のようだが、デュリスにはよく分からない。ともかく役人の融通が利かないのは洋の東西を問わない。山ほどの書類を提出したあげく、スペインはバルセロナへの1年間の留学が決まった。

 恋人のオドレイ・トトゥは悲しくて仕方ない様子。それでも決まったものは決まったんだ。そうは言っても空港での悲しい別れには、ついつい男のデュリスでも涙が止まらない。飛行機でも涙ぐんでいるデュリスではあった。

 そうして着いたバルセロナ空港。そこでグザヴィエ・ド・ギユボンなるフランス人の神経科医と出会うデュリス。この男、新婚の妻ジュディット・ゴドレーシュを連れてのバルセロナ赴任とか。だが、デュリスにはこの男どうにも好きになれない無神経さ。早々にお別れしたいのになかなか放してくれないからウンザリする。

 ともかくバルセロナに着いた。当然の事ながら街は右も左も分からない。それでも1年居ればここだって都と言い聞かせ、何とか母親の教えてくれた投宿先へとやって来る。だが、そこはとてもじゃないが長居するような場所じゃなかった。

 こうなれば好きになれるもなれないもない。デュリスは例の神経科医ド・ギユボンに連絡して、彼らの新居に転がり込む。ド・ギユボンは相変わらずの調子良さだが、新妻のゴドレーシュは夫が仕事で忙しい事もあって、一人バルセロナに置いてけぼりで寂しそう。そこでデュリスは夫ド・ギユボンから、彼女を街に連れ出す役目を仰せつかった

 それでもいつまでも居候というわけにはいかない。何とか部屋探しを行ったあげく、デュリスが見つけたのが理想的な「スパニッシュ・アパートメント」だ。5人の国籍の違う学生たちが、部屋代を安くするために同居する住まい。そのメンバーたるやイタリアのフェデリコ・ダナ、ドイツのバーナビー・メッチュラート、イギリスのケリー・ライリー、デンマークのクリスチャン・パグ、そして本国スペインのクリスティナ・ブロンド…という面々。みんながみんなてんでバラバラで、あれこれ言い合って収拾がつかない。だがそんな混沌こそデュリスには理想的に思えた。彼らの「オーディション」の末、デュリスは晴れてこのアパートの一員となったわけだ。

 ところが入って早々、家主が文句を言ってきた。だらしない部屋の使い方に業を煮やしたか、家賃の値上げを宣告してきたのだ。これではもう一人入れないとお金が足らない。そこでデュリスは、かねてから大学で目をつけていたイケてる女の子、ベルギーのセシル・ド・フランスに声をかけた。彼女は早速ここの一員に迎えられ、デュリスもご機嫌。ところが入ってみて分かったのは、彼女は男には興味のない同性愛者だったのだ。これには秘かにスケベ心を持っていたデュリスも内心ガッカリ。

 そんな楽しい日々の間も、デュリスの私生活はゴチャゴチャしていた。フランスに残してきたトトゥとの間もギクシャクしてきた。一度はトトゥもバルセロナに来たので、早速部屋でコトに及ぼうとするがうまくいかない。結局シケったまま彼女をフランスに帰す事になってしまう。

 そんなこんなで煮詰まったデュリスに、同性愛者のド・フランスが女を溶ろかす「愛の作法」を伝授。これを何とデュリスは寂しさに暗くなっていた人妻ゴドレーシュに応用したから大変。アッという間にデュリスはゴドレーシュと不倫の関係に陥る

 やがてトトゥからは別れの電話が入り、ディリスはたまらずフランスへ飛ぶ。だが、お互いの間に築かれた壁は今さら如何ともし難い。トンボ帰りでバルセロナに戻って来たデュリスは、さすがに抜け殻のようになってしまう。呆然と朝から夜までテレビを見つめるデュリスの横には、突然自分に子どもがいる事を知らされ大ショックのパグ、「彼女」とうまくいかないド・フランスが座って同じようにテレビを見つめる日々…。おまけにゴドレーシュの夫ド・ギユボンに不倫がバレるというテイタラク。

 そんな中、イギリスからライリーの弟がやって来るが、こいつが悪気はないけどデリカシーのない発言でみんなを怒らせたり、そのライリーがアメリカのアホ男とねんごろになったり…と、てんやわんやの出来事が続く。そんなドタバタの頂点は、ライリーの恋人が突然バルセロナにやって来た事。その時、当のライリーはアメリカ男とベッドの中だった。しかし、それもみんなで力を合わせた連携プレイで、大事には至らずに済む。何だかんだ言っても、このアパートのみんなは「仲間」だった

 そんなこんなで1年はアッという間に過ぎた。後ろ髪が引かれる思いながら、バルセロナを後にするデュリス。パリに戻ったデュリスは、しばし虚脱感に襲われる。トトゥとの正式な別れ。彼は過ぎ去った日々に思いを馳せずにはいられない。

 そして職場として決まったお役所への初出勤の日がやって来る…。

 

見た後での感想

 正直言ってこの映画にクドクド感想なんて書きたくはない。

 元々クラピッシュ映画が大好きというのは、先にも述べたよね。どれもこれも、分かりやすくて面白くて、どこか親しみやすくて人なつっこい。それでいて、どこかに深い感慨がある。僕はこの人の映画って、どれもこれも本当に好きなんだよね

 もちろん今回もそうだ。

 この映画に出てくる各国の学生たち…それらが同居しているアパートって、むろん現在のEUの暗喩だって考えるのが自然なんだろう。劇中これら仲間たちの中でも、イギリス娘とその弟が何かと「困ったちゃん」として描かれているあたり、いかにもフランス人クラピッシュの視線だと思えるよね。彼自身は、フランス人はこう、イタリア人はこう…とステレオ・タイプで描きたくないと言っていて、それは実際ある程度まで出来ているんだけど、このイギリス娘だけはその「典型」から免れてないように思う。やっぱりフランス人はイギリスに特殊な意地悪い感情を持っているのだろうか。

 だからこの映画は欧州の新しい共存体制を扱っている…としたり顔で言いたいところだが、実はこの映画ってそう見ちゃうとあまり面白くはないんじゃないか

 むしろゴチャゴチャな価値観と背景を持った連中が、無条件で同等につき合える学生時代というもの…その貴重な体験の大切さこそをうたい上げたかったんだと思うんだよね。だってここに描かれる仲間付き合いって、僕も確かに経験したからね。そして社会に出てしばらく経ったら、もう望むべくもなくなったものだ。そのかけがえのなさに、僕はシンミリしちゃったよ。

 実際、僕はこの映画に出てくる仲間たち…当然その中でもロマン・デュリス演じる主人公にものすごく感情移入してしまった。

 最近、日本映画できょうのできごとってのがあって、そこでも学生時代の仲間たちのバカ騒ぎの夜更かしみたいな光景が描かれていた。それはどれもこれも「いかにも」って設定やエピソードに彩られてはいたが、実際にはこのスペインでの学生アパートみたいにリアルには感じられなかったよ。あれは日本人のドラマだと言うのに、このヨーロッパ人たちの方が親しく感じられたってのは一体どういう事だろう。

 そして、やっぱり主人公ロマン・デュリスの見事さ。何しろ留学が決まって覚悟も出来てるはずなのに、飛行機に乗ったら泣いちゃうんだからね。そんなの日本人だけかと思ってたよ。こいつ、ホントにオレみたいだ。ここでの彼の凡庸ぶりと言ったら…やっぱり日本映画を引っぱり出しちゃうけど、ジョゼと虎と魚たちにおける妻夫木聡の凡庸さといい勝負だ。ホントにこの二人って凡庸で、凡庸だからこそ理解出来る。共感出来る。この二人なら、僕はよく知っている気がするんだよね。

 ちなみに「アメリ」のオドレイ・トトゥだけど、彼女はこの作品って「アメリ」の前に出演してるみたいだ。だからあくまで「脇役」という扱いに留まっている事を断っておこう。

 ともかくフランス映画であるにも関わらず、なぜか日本の青春映画二本を引き合いに出したくなるほど、この映画の親しみやすさ、近しさってのは尋常じゃない。むしろ例の国籍のるつぼってのは、EUだ何だって事よりそんな「国」やらのバリアを超えて平らにさせるためにやったんじゃないかとさえ思える。集まった奴らの国籍がバラバラで、そいつらがみんな「外国」にいるって設定が、彼らの言語とか目の色髪の色とかって特殊性をかえってなくす効果を上げている。だから日本の東京にいる僕にも、自分の事みたいに感じられるんだろう。

 そしてあの実感…みんながギクシャクを和らげるために、夜の街に飲みにくり出すあたりの描写たるや、ホントにこうだったよねぇ。そして酔っぱらった夜更けの雰囲気。ホントにあんな感じなんだよね。あれは確かに僕も何度も経験したよ。

 そんなバラバラな奴らが、困った奴とはいえ「仲間」のイギリス娘のために奔走するくだりなんか…僕はちょっと感激しちゃったよね。こいつらの一生懸命ぶりがさ。

 

見た後の付け足し

 いつもいつも、とっても人ごととは思えない映画を撮ってくれるクラピッシュ。だけど今度という今度はますます、こいつオレの事を知ってるんじゃないかとさえ思えてならなかった。ホントにパリで生まれて暮らしてるのか。ホントは日本語が出来て、東京に生まれ育って、かに座で血液型A型で身長は170センチ以下なんじゃないか(笑)。…と見たら、1961年生まれだと言う。やっぱり僕らと同世代か。そうじゃないかと思ったよ。

 今回は申し訳ないけど、さほど面白い事も書けない。何だかそんな気がしない。読んでいる人はピンと来ないかもしれないが致し方ない。これは僕が分かっていればいい、覚え書きのようなつもりで書いているからね。

 それはともかく、この映画は主人公がバルセロナから帰国してからも続く。それゆえ、例のEU云々ってのはあまり意味がないんじゃないかと思う。そして、ここからが大事だ

 主人公がそうであったように、僕も学生時代の終わりに将来が見えなかった。見えないまま就職を決めてしまった。ホントにやりたい事を封印してしまった。それは結局、社会人になってから軌道修正しなければならなかったんだよね。それさえまったくうまくいってないんだけども…。

 女とのやりとりもあんな感じだった。すれ違って焦り狂いもした。神経科に診断してもらいこそしなかったが、ホントに抜け殻にもなった。

 で、この主人公は初出勤の日にハタと気づく。そして本当に大人になろうと飛躍するのだ

 考えてみると、僕は自分の本当にやりたい事に気づきながら、そして軌道修正も行いながら、ちゃんとそんな自分を全う出来ていたのだろうか? 直視しなければならない事から、ずっと目をそむけてはいなかったか? 本当に自分の人生に責任を持ってやってきたんだろうか? 「大人」としての態度で人生に向き合った事が、一度でもあったのだろうか?

 僕は決して「被害者」でも「不運な人間」でもない。すべては身から出たサビだ。

 きっと僕は、この主人公の置かれた状況から一向に進歩していないのかもしれない。そしてたまたま、今まさに改めて「離陸」の場に引き戻されているのかもしれない。不思議な事に、そういうタイミングにこそこういう作品と出会うものだからね。もういい歳にもなって…いつまで何をやっているのだと言われそうで情けない話だけど、そういう事なんだろうと思わずにいられない。死ぬまでこんな事やってる訳にはいかないもんねぇ。そうなるのが僕は一番怖いよ。

 だからあまりに痛くって…何も語れない気分になっちゃってるのかもしれないね。

 

 

 

 

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