「ロスト・メモリーズ」

  2009 Lost Memories

 (2004/04/19)


  

アジア、そして韓国映画のお寒いSF事情

 この作品、韓国製のタイムパラドックス近未来SFアクション映画…と聞いて、僕はちょっと胸を躍らせていた。むろん僕が無類のSF好きだという事もある。それでいて韓国映画好きでもあるから、なおさらの事。だが、僕がこの作品を心待ちにしたのはそれだけではない。そもそも韓国映画にSFってジャンルは皆無と言っていいからだ。

 このへんの事情は、当サイトが21世紀を迎えるにあたって実施した特集映画の21世紀で、まるは子さんが寄稿してくれたアトムのいない韓国映画が最も詳しいかもしれない。ここでは未来SFという一点に絞って語られているが、まるは子さんいわく「韓国映画がなぜ未来を描けなかったか?」と述べているように、本当に韓国映画には未来SFというジャンルの映画がないようだ。いや、そもそもSF映画そのものがないと言っていい。

 僕は韓国映画の膨大な作品群を完全に熟知している訳ではない。だから自分の知る範囲内でしか語れない。それでも、僕が知る限りではSF映画と言える作品は極めて乏しい。韓国映画そのものは、日本で広く認知される前からさまざまなジャンルの作品がつくられていた。朝鮮戦争の痛手を乗り越えた1960年代からは、娯楽の殿堂と言っていいほど豊富なジャンルの作品がつくられた。何と僕が知る限りではドラキュラ映画もどきの吸血鬼ホラーさえつくられた。しかしSFだけはなかったようなんだよね。

 これは実はアジア映画全域に言える事らしく、アジア映画に詳しいさまざまな映画ファンに聞いても、およそSFというジャンルの作品は網にかかってこない。まぁ、特撮が必要だったり金がかかったりと、アジア映画の製作規模では難しい面もあるのだろう。それにしたってこの皆無という状況は尋常なものではない。

 それこそアジアのハリウッドと言える香港映画ですら、ほとんどお目にかからない。強いて言うなれば香港ショウ・ブラザースの「北京原人の逆襲」(1977)ぐらいだろうか。本家アメリカでの「キングコング」(1976)リメイクに乗っかって、日本の特撮スタッフを招いてのキングコングもどき作品。あと、UFOもののコメディなんかがあったように思うが、それは未見なので何とも言えない。

 あとは驚くなかれ、北朝鮮製の「プルガサリ」(1985)なる怪獣映画。これは韓国のかつての巨匠で、北朝鮮に「亡命」した(拉致されたとも言われ、その真相は明らかではない)シン・サンオクが指揮し、やはり日本の特撮スタッフが参加してつくったもの。内容は「大魔神」とも相通じるような民話テイストの時代劇怪獣映画だ。

 で、肝心の韓国映画となると…。

 奇妙な事にキングコングもどき…ということなら、韓国映画にもある。その名も「エイプ」(1977)なるアメリカとの合作立体映画。物語も技術もかなり劣悪な出来映えだと言うことだが、これをSFと呼べるなら確かに存在する。

 そして怪獣映画とくれば、「エイプ」なんぞよりももっと本格的な作品「大怪獣ヨンガリ」(1967)がある。こちらは純然たる韓国映画だが、またまた大映特撮スタッフが関わったらしい。

 この「ヨンガリ」、言ってみれば韓国の「ゴジラ」的なポジションなのだろうか。改めて「怪獣大決戦ヤンガリー」(1999)としてリメイクされたが、なぜか舞台がアメリカで俳優もアメリカ人という換骨奪胎的なシロモノ。内容もかなり稚拙なモノだったらしく、かなり撮り直し作り直しが行われて改変版(2001)が公開されたと聞く。日本で公開されたのはこちらのバージョンらしい。

 あとは、やはりまるは子さんの原稿にある「平和の時代」(2000)なる作品。これは調べてみるとH.O.T.なるアイドルグループ主演の3D立体映画で、上映時間も30分程度のものだという。これから考えても、ディズニーランドのアトラクションだったマイケル・ジャクソン主演3D映画「キャプテンE.O.」(1986)とか、日本のカミングセンチュリー主演映画「COSMIC RESCUE」(2003)と同様の企画だったものと推測される。もっとも「COSMIC RESCUE」については、SFアクション映画として本格的なものだったようだが…。ともかく企画としてはそういった類の映画だったと理解するのが適切だろう。ちなみに「平和の時代」にも日本のスタッフが参加しているようだ。

 あとはないかと僕なりにいろいろ考えてみたんだけど、これがないんだよねぇ。東京国際映画祭でも上映されたイ・チャンホ監督の「ミス・ユニコーン」(1989)はSFXやCGを多用した作品ということだが、どうもSFではなさそうだ。「シュリ」(1999)で確固たる地位を築く事になるカン・ジェギュ監督の「銀杏のベッド」(1996)も、タイム・トラベル的な趣向が盛り込まれてはいるものの、あくまでファンタジーの域を出なかった。やっぱりSFはないみたいなんだよね。

 なお、ここで一つ付け加えさせていただくならば、以上の作品群のうち僕が実際に見たのは「プルガサリ」と「銀杏のベッド」だけである事を明らかにしておこう。

 では、大人の鑑賞に耐える、ちゃんとしたSF映画はないのか?

 僕の知る限りでは…という言い逃れを前提にして申し上げれば、おそらく第14回東京国際映画祭で上映された、バタフライ(2001)なる作品がその唯一の例だろう。酸性雨が降り注ぐ近未来の物語。ただし映画は主人公たちの心象風景を描く事に専念した作家性の高い作品で、全編デジタル・ビデオ撮影という実験的作品という事からして、いわゆる「SF映画」の面白さを狙った作品ではあるまい。

 だからこの「ロスト・メモリーズ」、大予算を投じてつくられた本格的近未来SF映画という成り立ちからして、韓国映画として実に画期的な作品なのだ。この作品がいかに意欲的な作品なのか、以上の駆け足の紹介でお分かりいただけると思う。

 では、現物の映画はどうだったのか?

 

パラレル・ワールド下の近未来朝鮮でテロ事件勃発

 1909年、中国ハルビン駅。今まさに韓国統監の伊藤博文が、列車からホームに降り立とうとしたところ。

 いきなり黒服の男が、伊藤博文に拳銃を突きつけた。だが一瞬後、その暗殺者はその場に居合わせた日本軍人に射殺される。こうして伊藤博文は一命をとりとめた

 そして歴史は巡っていく。

 1936年、日本はアメリカと同盟を結んで第二次大戦に連合軍として参戦。1943年には日本軍は満州国を占領。1945年にはベルリンに原爆が投下され、連合軍の勝利で第二次大戦は終わりを告げる。かくしてアジアは大日本帝国の領土となる。1960年には日本は国連常任理事国となり、1988年には名古屋オリンピック、2002年にはワールドカップ単独開催…と国際的イベントも成功。後者ではアン・ジョンファン選手が胸に日の丸を付けて脚光を浴びた。

 そして時は2009年。ここは反映を謳歌する日本の大都市・京城(ソウル)

 そのとある豪奢なビルにおいて、アジアの豪華な骨董品を展示した「井上コレクション」の大規模な展覧会が催されていた。

 そこに銃器を持ったテロリスト乱入! 逃げまどう客たちを監禁して、展示会場を完全制圧するテロリストたち。たちまち会場は修羅場と化した。

 そんなビルの周囲を、たちまち警官隊が取り囲む。さらにやって来たのは、日本特殊捜査局・JBIの精鋭部隊。中でもエリート中のエリート、チャン・ドンゴンと仲村トオルもその場に降り立った。二人は生粋の日本人と朝鮮系日本人という違いこそあれ、お互い腹を割って戦ってきた無二の相棒同士だった。

 さて会場を占拠したテロリストは、朝鮮民族独立を掲げてテロ行為を繰り返す「不令鮮人」の地下組織のメンバーだった。彼らは数多くのテロ行為を起こしてきたが、ここ何年かは鳴りを潜めていると思われていた。それが再び活動を開始したのか。

 だが圧倒的なJBIの大部隊に、なすすべもなく次から次へと倒れる「不令鮮人」たち。中の一人は監禁された人質たちの中に混じって、まんまとその場を脱出しようと試みる。だがこの男も正体を見破られたあげく、JBI部隊に射殺された。

 こうしてJBIは無事に「不令鮮人」の鎮圧を成功させた。チャン・ドンゴンと仲村も安堵の表情を見せる。

 さて今回の事件、果たしていかなる背景によって起こされたものなのか

 その場にあったものは、この朝鮮半島で大きな財を成した井上財団によって集められたコレクションの数々。それらは朝鮮半島での展示を終えた後、日本本土に輸送される事になっていた。しかしそんな骨董品に「不令鮮人」の関心があったとは思えない。

 チャン・ドンゴンは現場写真を見ているうち、奇妙なモノに気づいた。それは射殺された「不令鮮人」が持っていた三日月型の品物だ。明らかに展示品の一部と思われるが、なぜこれを持っていたのか分からない。しかもこの男、実は人質に紛れて外に出ようとしていた。他の「不令鮮人」たちは、彼を外に無事に送り出すためのオトリとなった形跡がある。彼らの狙いは一体何だったのか?

 チャン・ドンゴンは、この事件を自分と相棒の仲村で捜査させてくれ…と、上司の大門正明に直訴。なぜかチャン・ドンゴンは、「不令鮮人」の事件となると燃えるのだ。ボヤきながらも熱心なチャン・ドンゴンにつき合わされる仲村。

 チャン・ドンゴンと仲村とは、警察学校からの仲間だった。仲村と妻の吉村美紀の間を取り持ったのもチャン・ドンゴン。そんな彼に仲村は、「オレはオマエの事を朝鮮人と思った事はないよ」と親愛の情のつもりで語る。

 そんなチョン・ドンゴンには、昔から脳裏をよぎる不思議な幻想があった。それは一人の女の面影。彼女の首に下がる三日月型のペンダント…。

 さて帰宅したチャン・ドンゴンを、夜中に一人の中年男が訪ねて来る。彼はJBIの同僚で、チャン・ドンゴンの育ての親でもあった。彼を見ていると、チャン・ドンゴンには思い出したくない過去が蘇ってくる…。

 実はチャン・ドンゴンの父も警察官だった。ただしかつてウラジオストック船舶乗っ取り事件の際、「不令鮮人」に内通したかどで同僚に射殺された不名誉な過去があった。チャン・ドンゴンが「不令鮮人」絡みの事件に熱心になるには、こんな理由があったのだ。それ以来、孤児となったチャン・ドンゴンを育てたのが、今は同じJBIに務めるこの中年男。彼はチャン・ドンゴンに、因縁のウラジオストックでの事件を洗え…というヒントを与えた。

 早速コンピュータでウラジオストック事件を検索するチャン・ドンゴン。すると乗っ取られた船舶には、あの井上財団の積み荷もあった。さらにこれを調べようとすると、アクセス拒否の表示が出てくる。チャン・ドンゴンは何やら胸騒ぎを観じずにはいられない。

 調べてみたところ、かつての「不令鮮人」のテロ行為は常に井上財団絡みのものばかりだった。彼らは井上財団の何を手に入れようとしていたのか。

 彼がさらに調査を進めると、意外な事実が出てきた。「不令鮮人」が持ち出そうとしていた三日月型の品物。それは中国ハルビンで発掘された「月霊」という祝祭用の品物だった。だが、それが何を意味するのかはまだ分からない。

 ともかく「不令鮮人」は「月霊」を狙っているのは間違いない。聞けば「月霊」は、他の「井上コレクション」と共にトラックで輸送中だと言う。慌ててチョン・ドンゴンと仲村はトラックを追った。

 案の定、トラックは人里離れた高速道路で「不令鮮人」の襲撃を受ける。駆けつけたチョン・ドンゴンと仲村は一歩遅かった。その場でチョン・ドンゴンは、敵リーダーと初めて対峙する。それは意外にも若い女ソ・ジノだった。しかし二人はにらみ合いながらもお互いを撃てない。結局「不令鮮人」は、「月霊」を奪ってその場を後にした

 さらに調べを続けようとするチョン・ドンゴンは、井上財団そのものを捜査しようとする。上司の大門はうろたえてストップをかける。絶大な力を誇る井上財団に捜査の手を入れるなど、もっての他と言うのだ。

 井上財団の創始者は、伊藤博文暗殺を阻止して二代目朝鮮総督に任命された男。彼はその地位を利用し、中国・朝鮮のありとあらゆる財宝を我がモノとしてきた。その隠然たる権力には刃向かえない。

 それでも納得できぬチョン・ドンゴンは仲村が止めるのも聞かず、上司の命令を無視して井上財団の本拠に押しかける。案の定、井上財団の幹部はチョン・ドンゴンを恫喝。彼があのウラジオストック事件での内通警官の息子と察して、さらに声を荒げた。これにはチョン・ドンゴンも冷静さを欠いてしまう。さらにはチョン・ドンゴンの激高ぶりをたしなめた仲村との関係もギクシャクする。

 案の定、チョン・ドンゴンは停職処分になり、怒った彼は単独行を開始。その頃、仲村は上司に呼ばれ、井上財団の理事長と面談させられる事になる。さて、そこで話された内容は何だったのか

 その頃チョン・ドンゴンは、「不令鮮人」のアジトとおぼしきクラブへとやって来る。そこで彼は不覚にも捕らえられ、再び敵リーダーのソ・ジノと対面する。だが、ここでも不思議に彼女はチョン・ドンゴンの命を奪おうとはしなかった

 自宅に戻ったチョン・ドンゴンの元を訪れたのは、またしても育て親の中年男。彼はチョン・ドンゴンに、父親は卑劣な人間ではないと語りかける。だが、そんな二人の元に賊が押し入り、育て親をチョン・ドンゴンと間違えて射殺。チョン・ドンゴンに反撃された賊は、慌てて外に逃げ出した。

 ところがJBIではこの事件を曲げてとらえ、チョン・ドンゴンが逆上して育て親を殺したと身柄を拘束する。一縷の望みを託した仲村でさえ、よそよそしい態度だ。

 ハメられた!

 チョン・ドンゴンは一瞬の隙をとらえて取り調べ質を脱出。腕にキズを負いながらも、JBI本部内を逃げ回る。そんなチョン・ドンゴンを、何とあの仲村が匿ったではないか。やっぱりコイツは味方だったのか。そう安堵するチョン・ドンゴンに逃げ道をつくってやりながら、仲村は冷たく言い放った。

 「二度と戻ってくるな。次に会った時は敵同士だ!

 あまりにあまりの事で疲労困憊。腕には深手を負ってフラフラのチョン・ドンゴン。今さら身を寄せる場所とてない彼は、半ばヤケクソで例の「不令鮮人」アジトのクラブに転がり込んだ

 気づいた時にはチョン・ドンゴンはベッドの上。腕のキズは手当て済み。あの女リーダーのソ・ジノが守ってくれたのだ。

 そんな彼は、「不令鮮人」が地下に巨大なアジトを建設している事に驚く。だが、驚く事は他にもあった。「不令鮮人」の長老とおぼしき年老いた学識者が、彼に驚くべき事実を語り始めたからだ。そしてちょうど同じ頃、仲村宅を訪れた上司・大門も同じ内容の事を仲村に語り初めていた。

 「この歴史は歪められたものだ。実際の歴史では、伊藤博文は暗殺されていた…」

 

娯楽映画の要素を満載した良質な近未来SF映画

 先に僕はこの映画を心待ちにしていたとは言ったが、実は引っ掛かる部分がないでもなかった。それはこの映画の扱っている題材だ。

 伊藤博文の暗殺失敗によって、現実の歴史と違って日本に併合されたまま21世紀を迎えた朝鮮…という設定。

 日本が朝鮮を併合した歴史的事実は明らかだし、そこにとても誇れないような経緯があった事も知ってはいるが、正直言ってこの映画でその日韓の忌まわしい歴史を終始糾弾するようにやられたら、ちょっとかなわないなというのが日本人である僕の本音だった。シリアスな歴史劇や社会派的作品を見るならば、それなりの覚悟もある。日本が悪者になる映画なんか見たくない…と言えば、実はアジアの現代史を扱った映画はどれもこれも見れない。だから、そういう歴史的背景を扱った映画はイヤだとは言わない。

 まぁそれって、ドイツ人に欧米の戦争映画が見れないかどうかっていうような問題だろうね。

 だが娯楽映画…近未来SFアクション映画でそれを延々とやられたら、ちょっとまいっちゃうな…というのが本音だった。現代とどこか地続きの設定の映画で、最初から最後まで日本の過去の罪状を責めさいなまれ続けたら、さすがに僕だって居たたまれない。これは白状しなくてはいけないね。ぶっちゃけた話、僕も一人の日本人だし。

 で、そういった意味で僕同様に退いている人もいるかもしれない

 そういう人たちには僕は声を大にして言いたいんだけど、この映画はそんな事でビビっちゃったらもったいないよ。

 まずは、面白い!

 この作品、ともかくSF映画として興味しんしんだ。SFと言えば、例えば「猿の惑星」(1968)でとんでもないランドマーク的な建造物が出てきた時の衝撃があるよね。猿人が闊歩する古代の地球上にモノリスがそそり立つ「2001年宇宙の旅」(1968)もSF的風景だった。ある惑星の酒場で、さまざまな形状のエイリアンがスウィング・ジャズもどきの演奏を繰り広げる「スター・ウォーズ」(1977)とか、もちろん「強力わかもと」の電飾サインが未来都市にまたたく「ブレードランナー」(1983)もSFだ。巨大なコロイド状の海の上に漂う研究ステーションが出てくる「惑星ソラリス」(1972)だって、つくったタルコフスキー本人が認めなかろうがSFだ。破壊されてギャオスの巣にされる東京タワーが出てくる「ガメラ/大怪獣空中決戦」(1995)だって、ラストに核兵器でドロドロに溶かされた国会議事堂が出てくる「世界大戦争」(1961)だってSFだ。つまりは、そういう「絵」を見せてくれるのがSF映画の醍醐味って事なんだよね。

 この作品は、そうしたSF映画を見る楽しみを満喫させてくれる

 日本語の電飾看板が溢れる大都会・京城=ソウルの夜景だけで、一発でこの作品の世界は了解できる。さまざまなCG技術を駆使し、ところによっては新宿歌舞伎町などの東京でのロケまで敢行して創り上げた、あり得るパラレル・ワールドとしてのソウル。これがまず圧巻だ。

 おそらく冒頭に出てくる歴史の説明での、日の丸を胸にした韓国サッカー選手アン・ジョンファンの姿やら、京城にそそり立つ豊臣秀吉像などは、向こうの人ならものすごい衝撃を受ける「絵」なんだろうね。そのあたりの「絵」で納得させてしまう力ってのが、SF映画本来の魅力なわけ。

 ここで出てくる日本的な要素ってのが、決して変なものじゃないのも感心した。さすがに韓国は、アメリカやヨーロッパよりは日本を知っている(…と言うと、ペ・チャンホの「黒水仙」での宮崎ロケ場面を思い出して、怪しい気分になってしまうけど)。だから妙チキりんな日本趣味は出てこない。せいぜい仲村トオルの家庭のイマドキ見られない日本回顧趣味が引っ掛かると言えば引っ掛かるが、それとても「敗戦」を体験しなかった日本はこうだったかもしれない…と納得できない訳ではない。

 結局リアリティのあるSF的シチュエーションを完璧につくりたい…と思ったが故の、これらの正確さではないか。SFってハッキリ言えば大ボラ話やウソ話だけど、だからこそ細部のリアルさが要求される。作り手はそれをちゃんと分かっているんだよね。

 だから「坂本正之」なる朝鮮系「日本人」として登場する主役チャン・ドンゴンも、ほぼ全編にわたって日本語をしゃべる。ドラマが始まってしばらくは、まったく韓国語をしゃべらないのだ。その日本語そのものについては、正直言って聞き取りにくいところもある。だがここまでやった韓国映画は皆無じゃないか

 しかもチャン・ドンゴンの日本語は、ちゃんと「気が入った」日本語になっている。堂々たる芝居になっている。当たり前じゃないかと言うなかれ。これって結構難しいと思うよ。彼は相当頑張ったみたいだね。

 対する仲村トオルには、さらに感心したよ。この重要な役どころをちゃんと理解して、血の通った人間として見せている。SF的意匠に気をとられて空回りしていない。香港映画東京攻略に次いでの本気を出した芝居ぶりにはすごく好感を持った。それが向こうでも認められて、大鐘賞の助演男優賞を取ったというのもうなづける。ここでの仲村はすごくカッコいいしね。単なる仇役じゃないし。

 そう。仲村の役は、実はかなりオイシイ役なのだ。

 物語としては日本支配に対する朝鮮民族の蜂起…という、器は新しくても実は中味は毎度お馴染みのもの。まぁ、そういう日本の戦争犯罪を告発する映画があっていい。だけどこの作品でそれをやったら、SFというコロモが新しいだけ…と思えるだろう。だが、この映画はここからが違う。確かに朝鮮民族の意気に訴える内容ながら、その意識がちょっとばっかり違うのだ。

 仲村はチョン・ドンゴンと親友同士だ。その関係に上下の隔てはない。この映画では仲村を、あくまでそんなフェアな男として描いている。

 その後、自らが所属する組織のためにチョン・ドンゴンと敵同士になってしまうが、それでも陥れられたワナから救ってやるギリギリの選択だけは行う。

 確かにあくまでチョン・ドンゴンを味方はしないし、彼の側には与しないが、それってやっぱり仲村という人物を描く上でのリアリティだろう。彼はあくまで日本側の人間だ。だから、そう来なくちゃウソになる。だが同時に苦悩する人間でもあると描かれているあたりが非凡なのだ

 映画がタイム・パラドックスの歪みに言及した時、JBIの局長は「卑しい朝鮮人なんかにしてやられるか、大日本帝国バンザイ!」なる発言をして、この映画の中ではちょっとばっかり突出した印象を与える。それでも仲村はそんな「大日本帝国」のためではなく、歴史が元に戻ったら原爆の餌食になってしまうかもしれない妻を救うため、歴史の改竄を止めようと立ち上がるのだ。あくまで個人的なやむにやまれぬ事情から…だ。このへんの冷静さが、実はちょっと違う「大人の意識」を感じさせるんだよね。

 そしてそんな悪意のない仲村だからこそ、「オレはオマエの事を朝鮮人と思った事はないよ」…という善意のつもりの無意識な侮蔑発言が痛い。彼に悪気なくそういう発言をさせちゃってるシチュエーションの罪深さが胸に迫ってくるのだ。彼…ではなく、シチュエーションがはらんだ罪が。

 だから僕ら日本の観客も、一方的に攻撃されていたたまれない気持ちにならずに済む。同じ日本支配とそれに対する朝鮮民族の意識を描いていても、僕らが見ていて耐え難いというところがないのだ。それでいて、問題の本質はズバリと理解できる。これを韓国側でつくったという点が、実に難しい注目すべきポイントだと思うよ。

 しかもこの映画には、さらに踏み込んだ部分さえある。それは、元々この歴史の改変が行われるに至った事情の説明部分だ。

 2006年に南北統一が行われた朝鮮は、一躍大国になる。そして現在は中国の一部である、かつての「高句麗」の領土奪還に乗り出そうとする。当然中国は警戒するが、そこを遺跡の発掘調査にかこつけて接近。日中韓の合同調査団を派遣して、それを隠れ蓑にして領土奪還の画策を行おうとする。ところその際に、日本側調査団に古代のタイムマシンである巨大な石碑を発見され、これによって日本に都合のいい歴史の改竄が行われてしまう…。

 何と日本が朝鮮を支配しようと歴史改変を企む前に、元々朝鮮が中国に領土拡大を図る前提があるのだ。朝鮮が自ら墓穴を掘ったかのような設定。なるほど僕らがこの映画を見ても、加害者意識で居たたまれなくならないはずだ。

 この映画の作り手は、日本の過去の罪業を暴き立てて、それを責めたてている訳ではない。恨みつらみを並べている訳ではない。そもそも日本人は悪魔だ…などと糾弾しているわけではない。あえて極論させてもらえば、この映画はいわゆる「反日」映画とも明らかに一線を画している

 映画の作り手は日本そのものが「悪」だと決めつけるのではなく、日本がかつて朝鮮に行った事…「覇権主義」こそが「悪」だと断じているのだ。そして、それは日本人でなくても他のどの国でも…翻って例え朝鮮が行ったところで「悪」に違いはない。この徹底した冷静なバランス感覚が、作品を清々しく楽しめるものにしているのだ。

 もちろんこの映画は、欲張った娯楽要素もたっぷりだ

 冒頭の銃撃アクションの猛烈さ。高速道路での爆破。輸送船内での戦闘。どれもこれもハードなアクション映画として楽しめる。もちろん近未来SFとしての小ネタ的趣向も満載。そこに発掘された遺物が絡んだスケールのデカい古代ロマンの色合いまで加わっているから、とにかくあの手この手で楽しませてくれる。

 途中にはなぜか今村昌平監督がチラッとゲスト出演するというオマケ(?)まで登場して、映画ファン的にも楽しめる趣向が続出だ。

 ただし、問題がない訳でもない。

 タイム・パラドックスについては怪しい点が多々見受けられるし、なぜタイムトラベルすると必ず伊藤博文暗殺現場に行けちゃうのか意味不明。そして歴史の改竄が起きたら、もっといろいろとんでもない事が起きるんじゃないか…とか、ツジツマが合わなかったり乱暴な展開だったり、作品の穴はいくらでも見つかる。それでも、全編しゃにむに力業で押していく、この旺盛なサービス精神は貴重だよ。これが長編監督デビューという監督・脚本のイ・シミョン、またしても韓国映画にスゴイ奴が現れたよね。

 韓国映画と言えば、何と言っても「シュリ」の大作主義がガラッとすべてを一変した印象があるね。少なくとも日本ではそうだ。

 南北問題というシリアスな背景を用いながら、それをあくまでサスペンス・アクションのリアリティとして利用した大娯楽映画としての「シュリ」。それは映画の器としては、あくまでハリウッドのジェリー・ブラッカイマー作品のごとき趣があった。その点においては、後続の「ユリョン」「JSA」などの作品においても度合いこそ違え同様だったように思う。だからこそ、こういう微妙な問題には疎いはずの日本の観客をも惹きつけたのだろう。この「ロスト・メモリーズ」も、それら韓国娯楽大作路線の延長線上にある

 でも、だからと言ってそういったシリアスな問題を、利用しただけ…と片づけては語弊があるだろう。

 どんな高邁な主張も、人の耳に届かなければムダだ。届いたところで、受け入れてもらえなければ意味がない。ならばどうやったら届いて、受け入れてもらえるのか。これらの映画はそれを真剣に考えた末、誰もが楽しめる娯楽映画という選択をした。だからこそ、その「大人ぶり」が目を見張らせる。どこまでそういった戦略があったかどうかは分からないが、少なくともそんな選択をした結果のこの絶妙なバランス感覚だとすれば、やはり大したものだと感心せずにはいられないんだよね。

 映画は…そして中でもSF映画というジャンルは、より一層「例え話」=「寓話」の要素が強い。そう言った意味でも、この映画は良質のSF映画と断言出来る。SF映画好きだからこそ、僕はこれを強く言いたい。

 ラスト、チャン・ドンゴンの主人公が古代の石碑に立ち戻るくだりを見れば、作者たちの意図は明白だと思う。彼はこの石碑をダイナマイトで破壊しようとしている。それは日本に再び朝鮮を支配させないためだけではない。やはり覇権主義にはしった未来の統一朝鮮にも…地上のいかなる国にも他国を踏みにじるようなマネはさせない…そのために彼は石碑を破壊するのだから。

 

責められるべきは、一体何なのか?

 実は今回の感想文、最初は昨今のイラクのゴタゴタについての話から始めようと思ったんだよね。

 暴論を承知で言えば、ここまでいっちゃうとどっちがテロだか分からない。同じ残虐行為も正規軍がやったら正当化されるというものじゃないだろう。確かにテロは断然容認し難い卑劣なものだ。だが事がここまでこじれまくった今となっては、どっちが悪党だの正義だの…なんて、もはやナンセンスの極みじゃないか…というような事を言おうかなと思っていたわけ。

 ましてアメリカのムチャと傲慢に付き合わされて、イラクで人質まで取られた日本のテイタラクを見ればなおさらだ。どっちがどっちなんて政府がテメエの都合で安易に決めつけたツケが、見事に国民に回ってきてるとしか思えない。これのどこが「国益」なんだろう? 人質になった人たちも考えが甘いしお仲間にはなりたくない連中だけど、「自己責任」云々言う前に政府の「責任」はどうなっちゃってるんだ。

 それはともかく、実は今回の映画で取り上げられた日韓の間での伊藤博文暗殺への評価の違いもそんな部分があるように思う。

 あれは日本から見れば、あくまで自国の政治家への暗殺=テロだ。ところがこれが韓国では、暗殺者・安重根は民族的英雄ということになる。逆に韓国では伊藤博文は朝鮮を支配した民族の敵であり、日本ではかつてはお札の柄にもなった有名な政治家だ。このあまりに大きな落差。

 これのどっちがどっちだと言うのは、ここでは適当ではない。それに僕もその任にないだろう。まかり間違ったらちょっとヤバい話になりかねないしね。だが、こんな事一つとってみても、これほどの見方の違いがあるんだよ。

 本来冒頭で述べようとしていた文章を、今回に見送ったのには訳がある。政治的アジテーションや演説みたいなモノだと思って、この面白い映画を先入観で見て欲しくなかったんだよね。映画の作り手だってそれを望んでないだろう。大体そんな映画じゃない。これは単純に楽しんでもらいたい映画だ。本当の意味での娯楽大作だ。仲村トオルが日本映画に出てる時よりもカッコいい映画だ。SFファンもシビレる近未来アクション映画だ。それだけでいい。

 だけど、この映画が持つメッセージはとても重要だ。それをみんなに受け入れられるように描いたところが秀逸なのだ。赤勝て白勝て…じゃない。日本人を心の底ではどう思っているのかは分からないが、ここで言われているのはそんな事ではない。責められるのは、どっちがどっち…ではなく「覇権主義」という考え方そのものだ…。

 こうした「大人ぶり」というものが、こういうご時世だけに一際貴重なものに思えるんだよね。

 

 

参考:

韓国映画とハングル

http://www.seochon.net/

西村嘉夫(ソチョン)

 

「電影ニューシネマ・<中国・香港・台湾・韓国>映画の新世代」月刊イメージフォーラム・1988年11月増刊号 No.103 ダゲレオ出版

「電影風雲」四方田犬彦 白水社

映画秘宝シリーズ(7)「あなたの知らない怪獣(秘)大百科」 洋泉社

 

 

 

 

 to : Review 2004

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME