「ペイチェック/消された記憶」

  Paycheck

 (2004/04/05)


  

見る前の予想

 何よりこの映画って、映画ファンにはジョン・ウーの新作として注目されるんだろうね。

 ハリウッド上陸したジョン・ウーは、おおよその不安を吹き飛ばしてハリウッドで順調にキャリアを伸ばしているようだ。特に昨今はトム・クルーズ映画ミッション:インポッシブル2の次に戦争大作ウィンドトーカーズと来る。香港時代からのファンからは毀誉褒貶もいろいろあるようだが、ともかくハリウッド映画人としては成功したと言って間違いない。その新作にはベン・アフレック、ユマ・サーマンと一流スターも出てくれる。安定したハリウッド監督の地位を手に入れたと言っていいだろう。

 だが今回の映画は、何やらあんまり評判が芳しくない

 確かに記憶を消された男…なんて題材からして柄にもないSFもどきのものだが、そもそもそれを言うなら大成功作である「フェイス/オフ」からしてそうではないか。だから今さらそんな事で動じる事もないだろう。

 そうは言っても、僕としてはジョン・ウーとベン・アフレックとの相性が気になった。しかもトム・クルーズ映画「M:I-2」はともかく、「ブロークン・アロー」「フェイス/オフ」「ウィンドトーカーズ」と顔見知りになった俳優を連続起用してきた人情厚いジョン・ウーが、今回メンバーをすっかり一新しているのも気になった。もっとも映画作家がずっと馴染み俳優とツルまなければならない道理はない。それにジョン・ウー自身、最初にハリウッド入りした時はみんな新顔だったではないか。

 だからそれで不安を感じるのも変な話だが、それでも僕は何となく妙な不安を感じてしまったんだよね。

 

あらすじ

 コンピュータ新製品の展示場。ベン・アフレックはそのデモンストレーションを見つめるお客たちの中にいた。その新製品は、ディスプレイ上でリアルな3D映像の女が動く画期的なもの。お客たちの感嘆の声が上がる中、アフレックも一も二もなくその新製品に飛びついた

 その買ったばかりの新製品を抱えたアフレックは、とある建物の中に入っていく。

 その中の人けのない一室に引き入れられたアフレックは、早速買ってきた新製品を解体する。そしてコンピュータで新製品をくまなく分析。アフレックは椅子にも座らず、一心不乱で新製品の秘密に肉迫していく。

 やがてアフレックは、男たちの前である品物を披露する。それは一見例の新製品と同じように見える。そこには3D映像の女が写し出されていた。ところがアフレックはそこからディスプレイをはずしてしまう。何とこのシロモノは、例の新製品のようにディスプレイを必要とはしていない。そこにまさに単体の立体に写し出される、ホログラム映像の新しいシロモノだった。

 「さすがだ!」

 新製品を一から開発するのは大変だ。だが既存の製品を徹底的に分析して、そこに新たな機能を付加するなら意外に簡単に出来る。非合法と言えば非合法。ハッキリ言って「パクり」だ。だが、それによって3年の月日をかけて開発したものを、たった数週間でさらに良いモノに出来るのだ。これで新製品を一から開発したライバル社をギャフンと言わせられる。アフレックはそんな特異な才能を持ったエンジニアだった。

 よく考えれば決してホメられた事ではあるまい。だがアフレックに良心の呵責はなかった。何しろ需要がある。自分はそれに応えてやっているだけだ。それに彼はリスクも負っていた。それは彼の「記憶」だ。

 アフレックは仕事を終えるごとに、秘密を守るために「パクり」の記憶を消していた。それを行うのは相棒のポール・ジアマッティの仕事。彼が一種の洗脳装置でアフレックの脳の記憶を消していく。その中には、開発途中で知り合った女との情事の記憶もあるだろう。だがそんなものに何ら未練も感傷もなかった。アフレックにとって「記憶」は惜しげもなく消してもいい、良心と同じような吹けば飛ぶようなシロモノだった。

 実はこの記憶消去は危険も伴っていて、迂闊にやれば死を招きかねない。だがアフレックは相棒の腕を信頼していた。それに多少のリスクが何だ。その代わりに彼と相棒ジアマッティは、多額の報酬=ペイチェックを得ているのだから。

 そんなアフレックが、大企業オールコム社の社長アーロン・エッカートからパーティーへのお誘いを受けた。早速相棒のジアマッティを伴ってお出かけ。華やかなパーティーの席で彼がまず見つけたのは、ちょっと気になるいい女、ユマ・サーマンだった。女と来れば目がないアフレックは、早速彼女にチョッカイを出す。だがサーマンはただのいい女ではなかった。どんな女もイチコロのはずの口説きが通じない。生物学の学者だというサーマンの手強さに、アフレックは早々に退散。「再挑戦する気はないの?」などと捨て台詞を吐かれる始末だ。

 そんなアフレックは、一人エッカート社長からのお誘いを受ける。奥まった一室に連れて行かれたアフレックは、そこで仕事の話を持ちかけられたのだ。やっぱり何かあると思っていた。しかも今度の仕事は彼単独でのもの。それも3年もの長期に渡るものだ。さすがに3年の記憶を失うのには躊躇したアフレックだが、巨額の報酬としてオールコム社の株を頂戴すると聞いては放ってはおけない。結局この申し出を受ける事にしたアフレックだった。

 オールコム社の研究所にやって来たアフレックは、そこでエッカート社長の片腕コルム・フィオールの厳重な身体検査を受ける。ここでサングラスやら腕時計やら持ち物を預けさせられるアフレック。何ともモノモノしい用心ぶりに驚くばかりだ。

 こうしてエッカート社長と再会したアフレックは、あのフィオールからいきなりブッとい注射を打たれる。何とこの注射、二度目を打つと一度目に打った時以降の記憶が消されるシロモノだと言う。まぁいいさ、覚悟していた事だ。

 さらに研究所施設を回っていたアフレックは、ここで何とあのサーマンと出くわす事になる。しかもサーマンは、アフレックにまんざらでもないようだ。早速ヤニ下がるアフレック。だが、まずは仕事だ。

 研究所の奥の一室で対面した、今回の開発対象とは…。

 ふと気づくと、アフレックはエッカート社長とフォオールの前にいた。どうも二度目の注射を打たれた直後らしい。何と一瞬にして、彼の3年間の記憶は消し飛んだ。それでも惜しくはない。莫大なペイチェックを受け取るのだから。

 さて、約束の法律事務所にやって来たアフレック。彼はそこで報酬を受け取る事になっているのだ。まずは事務所の女職員から研究所で預けた持ち物を受け取る。だが黄色い封筒に入ったそれは、彼の知らない物ばかりだった。腕時計もサングラスもタバコも、他に入ったモロモロのモノも全部彼のモノではない。当惑するアフレックだが、それでも報酬が気になってそれどころではない。早速女職員に肝心の事を尋ねるアフレック。

 ところが…ない?

 報酬がない。何と彼は自分の報酬を全額放棄していたと言うのだ。なぜだ? さすがにさすがの話で、大いに冷静さを失うアフレック。ところが荒れ狂う彼の元に、ジョー・モートン率いるFBI捜査官がやって来る。

 アフレックは、重要な機密を盗んだ罪でFBIに捕まった

 FBI事務所に連れて行かれたアフレックは、一体どんな機密を盗んだのかを問いつめられる。何とアフレックが今回携わったプロジェクトは、かつてFBIがある研究者に開発をさせていたモノだと言う。しかしその開発者は謎の死を遂げた。こうしてアフレックが機密盗用の罪で捕らえられた訳だ。

 だが彼には答えられる術もない。もとよりその間の記憶がない。するとモートンたちは、アフレックを無理やりに例の洗脳装置にかける。すると確かに脳にはノイズのような記憶の断片は残っていたが、何が何やら分からない。危うくアフレックを殺しかねないほど無茶な脳の調査を続けていたが、業を煮やしたモートンは記憶の再現を断念。ガッカリしたあげく、アフレックから取り上げた黄色い封筒から、タバコを拝借して一服した。

 ところが、こいつがスプリンクラーを作動させた!

 しかも消化用の煙が充満。たちまち部屋中が見えなくなった。自動的に洗脳装置から解放されたアフレックは、慌てていまや唯一の財産となった黄色い封筒を手に取った。

 待てよ?

 アフレックは先ほど見た封筒の中味に、一個のサングラスがあった事を思い出した。かけて見るとなぜか視界は良好。FBI捜査官たちは見えずにオロオロするばかりだが、アフレックは難なく部屋を抜け出す事が出来た。

 その頃、FBI事務所の前で待ちかまえる男がいた。それはエッカート社長の片腕、あのフィオールだ。彼はなぜかアフレックの死を待ちかまえてこの場にいた。さては、全て計画されていた事だったのか?

 だがFBI事務所からアフレックが飛び出してくるところまでは、フィオールの計算には入っていなかったようだ。彼は慌ててアフレックの後を追う。やがて事務所からはモートン以下捜査官も飛び出して、アフレックの後を一斉に追い始めた。

 アフレックが迷い込んだ場所…そこはバス・ステーションだ。何とここでアフレックは、またしても黄色い封筒の中にバスの切符があったことを思い出す。こうしてアフレックは、辛くも追っ手を振りきった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは絶対映画を見てから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして安宿に身を落ち着けたアフレック。黄色い封筒にはまだまだいろいろ入っている。妙な数字の書いてあるおみくじ、「エジソン社」というロゴ入りのカギ、100円ライターとヘアスプレー、紙マッチ、凸レンズ、オールコム社のコンピュータ認識IDカード、他にもいろいろ。だが自分はなぜ多額の報酬を手放して、こんな奇妙なモノをとっておいたのか?

 ともかくアフレックは他に頼る者がいない。すがる思いであの相棒ジアマッティを呼び出した。するとありがたい、ジアマッティはすぐにユニオン駅へとやって来ると言う。アフレックはとりあえず黄色い封筒だけを持ってユニオン駅へと出かけた。

 駅の構内をうろつくと、「エジソン社」ロゴ入りの掃除夫が出入りしているのを目にする。掃除夫は関係者用の通路から出入りしていた。そのカギは…あの封筒に入っていたロゴ入りカギではないか。これは何の意味があるのか。

 やがてジアマッティと久々の再会。駅構内の喫茶店で二人してしゃべっているが、謎は解けない。そもそもアフレックが関わった機密とは何なのか…。そんな事を思ってボンヤリとテレビを見つめたアフレックだが…。

 テレビにはビンゴゲームの結果が映っていた。その数字は…何と、あの封筒のおみくじに書いてあったモノと同じではないか!

 もう、これは偶然とは言えない。アフレックは事前に彼が必要になるモノを、この封筒に入れておいたのだ。だが、なぜ必要になるモノが分かったのか? 

 そもそも、なぜビンゴ・ゲームの結果が事前に分かったのか?

 ここに至ってアフレックは、自分が関わった機密の内容が分かった。それは未来を予知する機械だったのだ。だからビンゴの結果が分かった。そして未来に自分自身に何が起きて、その時に何が必要になるか分かったのだ。これは大変な機密だ!

 だがアフレックに愕然とするヒマはなかった。喫茶店に座る二人に、オールコム社の追っ手が容赦なく迫ろうとしていたのだ!

 

見た後での感想

 我ながら抜けた話ではあるが、この映画を見た後で、これがあのSF作家フィリップ・K・ディックの原作によるものだと気づいた。なるほど、SFもどき…どころかモロにSFではないか。だが、この映画自体はあまりSFという雰囲気はない。確かにさりげなく記憶洗脳装置みたいなモノは出てくるし、物語のお宝は何と未来を見る機械だ。

 だが、それらは単にドラマの小道具や仕掛けに過ぎない。見た目にもお話的にも、映画は普通の現代のサスペンス・アクションの体裁をとっている。このあたりはウーの「フェイス/オフ」などと同じテイストだ。顔をすげ替えるなんてSFでしかあり得ない設定だが、それは単にドラマを動かすための仕掛けに過ぎない。というのも、ジョン・ウーは元々モロSFなんかに関心がないからなんだろうね。それより彼はのっぴきならない状況に置かれた人間の葛藤や行動に関心があるんだろう。その状況をつくり出すためにしか、SF的仕掛けは用いられていない。

 それでもこの映画の話がジョン・ウーに持ちかけられたのは、おそらく彼のハリウッドでの最大の成功作「フェイス/オフ」(「M:I-2」はあくまでクルーズ映画って事なんだろうね)のせいなんだろう。SFテイストのサスペンス・アクションはウーってな定評が出来ちゃったのかもしれない。ここらあたりは痛しかゆしで、香港映画ファンではない僕もちょっとなぁ…と思っちゃうところだけどね。

 今回の映画が評判すこぶる悪いのは、見てすぐに分かった。ジョン・ウーの…特に香港映画時代からのファンがウーに求める要素が、この映画にはあまりに稀薄だからだ。

 まずは「男たちの挽歌」って事になっちゃうんだろうか。ジョン・ウーはのっぴきならない状況に追い込まれた人間が必死に戦う設定と、そこでのその人間の激しい感情を描くことを好んでいるようだ。そしてそれはここまでのハリウッド作品でも踏襲されてきた。度合いの大きさこそ異なってはいるが、それはあの「M:I-2」ですら感じられた。やはり、かなりこれは稀薄ではあったけどね。とにかくそうした極限状況を乗り切っていく気概や意地や闘志、あるいはやむにやまれぬ運命のいたずらに苛まれる苦悩やら、感情の大きな振幅が見せ場だ。もちろん派手なドンパチ、スローモーションの華麗なアクション、様式的な構図、リアリズムから遠いハッタリ感、ハトがパタパタ…なんて見た目のスタイリッシュさもウーの大きな特徴ではあろう。だが、おそらく香港時代からのファンは、そんなウー映画のエモーショナルなコテコテさこそを愛したはずだ。だからウーを愛する人たちの言葉は熱い…実はさほど熱心なシンパではなく、どちらかと言うとハリウッド入りしてからの方が馴染みの僕なんかには、それらの熱い言葉は少々胸焼けしそうなきらいもあったんだけどね(笑)。

 でも、そんな思い入れの熱さこそウーの身上だという事は察せられた。だからこの映画のウー的要素の稀薄さは、たぶん不評で迎えられるだろうと予想もついたのだ。

 確かにそれまで刹那的に女を追って、唯物論者丸出しで平気でハイテクパクりに汗を流していた主人公が、以前の自分から一転して良心に目覚める…そのへんの葛藤らしきものは物語の中にない訳ではない。そして初めて心を許した女ユマ・サーマンとのかけがえのない思い出が、カケラもなくなってしまった事への悔い。確かに物語の設定上はそういう事も大いに要素として盛り込まれてはいるはずだ。

 だが出来上がった映画そのものにはそれがほとんど見られない。むしろそういう暑苦しい感情的な葛藤は横に追いやって、乾いたタッチでどんどんサスペンスとアクションのつるべ打ちをよどみなく連発する、典型的アメリカ製娯楽アクションの定石を追っている。確かにハリウッド娯楽アクションは、そういった湿った感情を一時保留にするからこそ、スピードやテンポが出て小気味いい。だけどこれはジョン・ウーの映画なんだからねぇ。果たしてこれでファンが納得するか。これなら自分の愛した女を任務のために悪党に差し出さねばならない、「M:I-2」のトム・クルーズの描き方のほうがまだ湿っていたよ。まだしも思い入れがあったよね。

 元々オール・アメリカン・ボーイ的なベン・アフレック主演というところからして、ウーの湿った思い入れみたいなものから縁遠い事を感じさせる。典型的アメリカ製サスペンス・アクションをつくるのに、アフレック主演である点には何ら不満はない。だけどジョン・ウー映画としては…しかもあの湿り感を考えた場合、アフレックほどそぐわない俳優もないのではないか。第一アフレックって、どう見たって深く物事考えるタイプじゃないよね(笑)。これは計算違いなんだろうか。それともウーに何か別の意図があったのか

 さらに今回のヒロインを務めるユマ・サーマンも、正直言って少々キツい。ゴージャスさもないし、何となく老けちゃったなって感じがするんだね。学者役だからこれでいいと言えばそれまでだが、主人公がハッとするほど美しいと思えない。これでは思い入れも何も爆発しないだろう。何だか水気もなくてパサパサしている感じだ。ついこの前の「キル・ビルVol.1」ではこんな事はなかったから、彼女がもう歳だというだけの事ではない。これはジョン・ウー、あくまで今回はそんな湿り気抜きでいこうと決めたのだろうか

 だけど、そうなっちゃうとこの映画はただの普通のハリウッド・サスペンス・アクション映画だ。それなりに楽しませてくれるが、別にジョン・ウーでなくてもいいって事になりかねない。

 相変わらず人は盛大にぶっ飛び、スローでアクションするし、ハトまで飛ぶ。だけど、それって何だか形骸化したジョン・ウー・イズムにしか見えない。ハッキリ言ってハトが飛んだときには、思わず笑いそうになっちゃったもんね。「M:I-2」の時にハトが出てきても、そんな事は思わなかったのに。

 まるで油たっぷり使った中華料理みたいにコテコテギトギトに濃かったジョン・ウー映画、それが今回に限っては妙に薄味、関西風味だ

 これってジョン・ウーは、一体何を狙っているんだろうか?

 

見た後の付け足し

 その代わり、この映画にはもっと濃厚なモノがある。それはヒッチコック・テイストだ。

 パンフレットのウーのコメントを読むと、この映画には「北北西に進路を取れ」へのオマージュがあると言う。確かにそれは感じていた。まずはアフレックが前半で着ているグレーのスーツが、「北北西」でのケーリー・グラントのスーツ姿を想起させた。それにこの映画、記憶が何とか…というイントロ部分をさっ引いたら、典型的「ヒッチコック流巻き込まれ型サスペンス」の形式を取っているではないか。

 さらに僕は、ある一本のサスペンス映画も連想した。それは今ではあまり覚えている人もいないだろうが、ロック・ハドソンとクラウディア・カルディナーレが主演した「目かくし」(1965)なる作品だ。その物語はここで詳しく言わないが、政府の秘密の仕事に協力させられていたはずの高名な精神科医ハドソンが、実はある陰謀に巻き込まれていた…という典型的「巻き込まれ型」サスペンス映画。ミソは目隠しされて某所に連れて行かれていたロック・ハドソンが、後でナゾに迫るために自ら目隠しをして、音だけで再びその場所を探り当てようとするくだりだ。何となく今回の「ペイチェック」の、封筒の中の雑多なシロモノで危機を突破し、謎に迫ろうとするあたりと似ている。何よりロック・ハドソンもまたベン・アフレック同様に典型的オール・アメリカンな役者で、しかもここではグレーのスーツ姿も見せる。この「目かくし」、アベレージな出来栄えの娯楽作で傑作でも話題作でも何でもないが、ひょっとしてジョン・ウーは見ていたのではないか?

 ともかく、この「目かくし」もヒッチコック・テイストをいただいた作品だ。明らかに今回の「ペイチェック」がヒッチコックを狙っていることは間違いない

 そう言えばあの「M:I-2」も、実はヒッチコックだったんだなって後で思ったんだよね。あのトム・クルーズとサンディ・ニュートンの設定は、まんまヒッチコックの「汚名」におけるケーリー・グラントとイングリッド・バーグマンのそれではないか。自分の愛した女を潜入捜査のために悪党の元に愛人として送り込む。そのやむにやまれぬ苦悩。そして女は悪党に感づかれ、生命の危険に陥る…。まったく同じだ。だとすると、ジョン・ウーは元々ヒッチコックにもかなり傾倒していた事になる。

 さっき典型的アメリカ娯楽映画の定石は、暑苦しい感情的葛藤は横にやって、あくまでスピードとテンポを重視して乾いたタッチでつくるもんだと言ったよね。ひょっとしたらジョン・ウーはハリウッドで何作かつくっていくうちに、ここでは自分のそれまでの映画作法でやっていくには限界があると悟ったのかもしれない。あるいは少なくとも何作かのうち一作は、そうしたハリウッド流を受け入れねばならないと思ったのだろうか。

 さりとてまるっきりの職人には徹しきれない。そんな時、彼が元々持っていて今まで出していなかったヒッチコック映画への関心を、引き出しから取り出してみようと思い立ったのではないか。

 まだ結論づけるのは早すぎる。だが、このあまりにサバサバした語り口には、単にジョン・ウーが血迷った…以外の何かがあると感じずにはいられないのだ。

 

 

 

 

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