「レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード」

  Once upon a Time in Mexico

 (2004/03/29)


  

今回のマクラ

 ちょいと前のスーパー・チューズデーとやらで、共和党ブッシュ大統領の民主党の対抗馬に、最終的にケリー候補が決まった

 僕は落合信彦じゃないから、国際政治など知ったことではない。アメリカの大統領選の仕組みもイマイチ分からない。スーパー・チューズデーって何だ…なんて僕に聞かないでおくれ(笑)。自慢じゃないが、それくらいこの事情には暗い僕なのだ。

 それにしたって、どうも最近ブッシュ大統領の旗色が良くない事ぐらいは分かる。

 やっぱりイラクに大量破壊兵器がなかったらしい…というあたりから風向きが変わったんだろうか。そしてブッシュの兵役逃れ疑惑。兵役逃れをやった人物がコワモテを演じていたなんてシャレにもならない。風向きの変化は大体こんなところから来ているんだと思うよ。

 だから肝心の大統領選では、ブッシュはかなり厳しいとまで言われている。もっとも先の長い話だ。民主党でケリー候補よりも優勢と言われていたディーン候補が、アッという間にコケてしまった事を考えれば、これがどうなるかを今から予測することは困難だ。

 しかも例えケリー候補が大統領になったからと言え、それでアメリカの対外政策が良くなると言うほど物事は単純ではないだろう。反戦運動もやっていたしリベラル…それだけで政策が変わる訳ではない。ましてケリーですらイラクへの軍事介入に対しては賛成だった。まぁ、これで万々歳とはいかないのが当たり前だろう。

 それでも、ここへ来てアメリカの風向きが微妙に違ってきたのは注目に値する。去るアカデミー授賞式の模様を僕は見る事が出来なかったものの、聞けば主演男優賞を受賞したショーン・ペンが冗談交じりながら「大量破壊兵器」云々の発言をしたらしい。反骨のショーン・ペンならいかにも…の観があるが、それがどうも反発をくらったようでもないのが「今」のアメリカの気分のように思える。

 で、そういう正直な時代の気分っていうのは、政治的メッセージやら作品やらには実は出てこない。しばしば他愛もない、大衆的なモノに露出するものだと思う。

 例えば、極めてバカバカしい娯楽映画なんかにね。

 

見る前の予想

 ロバート・ロドリゲスの「デスペラード」の続編がつくられると聞いて、ドキドキしたのは僕だけじゃないだろう。「デスペラード」のど派手なドンパチにはホントにワクワクさせられた。ハリウッド進出したアントニオ・バンデラスだが、どうもイマイチな映画が多くって残念。そんな中でこの「デスペラード」だけは、彼の持ち味を120パーセント発揮できた作品だと思うのだ。もちろんロドリゲスのバケツの底が抜けたようなアクション映画テイストにも嬉しくなった。リアルさを徹底的に排除した見え方のカッコよさを追求したアクション。後から考えれば、あれはジョン・ウーらの香港アクションを大いにパクったものだとミエミエなシロモノながら、とにかく最初に見た時には大喝采した。

 その後ロドリゲスがつくった「フロム・ダスク・ティル・ドーン」「パラサイト」なども楽しめたが、スパイキッズのアレレなファミリー映画路線には僕は戸惑ったんだよね。それまでのバカっぽくて荒唐無稽なアクション映画にはノレた僕も、「スパイキッズ」にはちょっとノリ切れなかった。これってバカっぽい通り越してガキっぽい…いや、幼稚そのものではないか?

 それもスパイキッズ3-D:ゲームオーバーに至っては、立体映画というフィルターを通して新たなバカ映画になっていて、僕はようやくロドリゲスのやりたい事が見えた気がした。そんなロドリゲスがまたまた荒唐無稽アクションの世界に帰ってくる。それも大好きな「デスペラード」の続編だ。

 おまけに今度はジョニー・デップが一枚加わるというではないか。明らかに増量、パワーアップの方向だ。これには期待したね。

 ただ三枚看板のうちのもう一枚、サルマ・ハエックの扱いが日本での宣伝で稀薄なのが気になった。それに「レジェンド・オブ・メキシコ」のタイトルの下に、ちっちゃいサソリの絵をあしらって申し訳程度に「デスペラード」の文字。この何となく腰が退けてるタイトルって何なのだ。「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」じゃあるまいし。これって続編って言った方がいいのか言わない方がいいのか、売り方として分からなくて付けちゃったサブ・タイトルなのか。だけど実はこの映画って「デスペラード」の続編って言っても、「デスペラード」自体がロドリゲスのデビュー作「エル・マリアッチ」の続編なんだからね。

 それでも予告ではまたしてもキメキメのバカバカしいアクションが展開している。胸のすくスカッとするアクションの予感がする。僕は期待半分、ちょっとした不安も胸に秘めてスクリーンと対峙したわけだ。

 

あらすじ

 メキシコの街に現れた長髪のアメリカ男ジョニー・デップ。彼は酒場で情報屋チーチ・マリンと落ち合い、何やら情報を入手している。このデップ、まったく「らしく」ないのだがCIAの工作員だという。そんなデップに、マリンは「ある男」の伝説を語り聞かせる。それはたった一人で街二つを壊滅させたという、ギター弾きの流れ者=マリアッチの伝説だ。

 その「男」アントニオ・バンデラスは、悪辣な軍人ジェラルド・ヴィジル将軍に刃向かい、単身戦いを挑む。いきなりギターを取り出して弾きまくるかと思えば、ギターに仕込んだ銃で将軍の部下を一気に撃ち倒す。だがそれでも不意を突かれて絶体絶命…。

 と、そんな時、一人の女が現れた

 彼女は投げナイフで敵を次々と倒すと、バンデラスを救う。何と小股の切れ上がった鉄火女、かつてはヴィジル将軍の女だったが、今はバンデラスと恋仲のサルマ・ハエック。彼女の加勢を得て難を逃れたバンデラスは、まんまと敵を蹴散らしヴィジル将軍にどどめを刺した…。

 …はずだった。

 ところがヴィジル将軍は死んでいなかった。その後バンデラスがどうなったのか誰も知らない。だがマリンはこうデップに力説する。「もし奴が生きているとしたら、アンタに必要なのはこの男だ」

 その頃、当のバンデラスは、とあるギターづくりを生業とする村に潜伏して生きていた。ところがそこにダニー・トレホをはじめとするならず者軍団がやって来る。彼らの狙いはマリアッチ=バンデラスだ。村人の命が危険にさらされたため、バンデラスは大人しくならず者たちに投降する

 ならず者がバンデラスを連れていったのは、ジョニー・デップが待つ酒場。そこでデップはバンデラスに一つの提案をする。彼に殺しを請け負って欲しいと言うのだ。

 実は今ここメキシコで、大きな陰謀が起きようとしていた

 時の大統領は国の腐敗を断つために、麻薬王ウィレム・デフォー一派の撲滅をめざしていた。だが影の帝王として絶大な権力を誇るデフォーも指をくわえて待ってはいない。子飼いの悪玉ヴィジル将軍をけしかけ、クーデターを計画しているのだ。その決行は来る祭日「死者の日」。この時、大統領は首都を離れ、この街にやって来る事になっている。

 だがCIAはこのクーデターを阻止はしない。そこがアメリカCIAと、この男ジョニー・デップの思惑が絡んだ絶妙なところだ。彼の主張は妙ちきりんなようで一貫してはいる。ここの店の豚肉料理はうまい。だがオレはここのコックを殺す。バランスとやらを保つためだ。オレは銃でバランスを保つのだ。だから大統領にも死んでもらう。

 だからと言ってデフォーとヴィジル将軍の天下を臨んでもいない。ヴィジルが大統領を殺した後で、権力の座に座る前に命を奪いたい。その役目をバンデラスに引き受けてもらいたいと言うのだ。もちろんバンデラスとヴィジル将軍との因果を知っての申し出だ。

 じつはバンデラス、あの後にハエックと結婚。可愛い娘までもうけて幸せな暮らしを営んでいた。ところが不幸は突然襲いかかった。ヴィジル将軍が部下と押しかけて、ハエックと娘をバンデラスの目の前で惨殺。それ以来、バンデラスは世捨て人のようになって潜伏する日々を続けることとなった。これはその恨みを晴らすいいチャンスかもしれない。

 いいも悪いも暗殺の命を受ける事になるバンデラス。彼は今回の任務に、昔のマリアッチ仲間を召集することにする。それはエンリケ・イグレシアスとマルコ・レオナルディの二人だ。

 一方でデップはあの手この手を打っていた。まずは大統領側近への働きかけ。金儲けの話をチラつかせ、クーデター成功への手引きを画策する。「革命ってのはデカい浣腸みたいなもんだ」

 さらには今は引退してメキシコに引っ込んだ元FBI捜査官ルーベン・ブラデスへの接近。デップはブラデスの古傷を抉り、彼の協力を引き出そうとする。世界的凶悪犯デフォーが目の前にいる。そして奴はブラデスの昔の相棒を拷問で殺した男だ。許しておいていいのか?

 一念発起したブラデスは現役FBIと偽り、デフォーの側近となっているミッキー・ロークに近づく。ロークは悪行が祟ってアメリカからメキシコに逃げ延びたものの、今はデフォーの下で汚い仕事ばかりやらされる飼い殺し状態。テレビCFでおなじみ飼い犬のくーちゃんだけが心の慰めという、まるでサラ金アイフルのCMみたいな暮らしにいいかげん辟易していたロークは、ブラデスの誘いに思わず乗り気になった。

 さらにデップはメキシコ警察の女捜査官エヴァ・メンデスまで抱き込んだ。クーデター後に彼女にデフォーを逮捕させ、デフォーがヴィジルを雇うために用意した大金を、彼女と一緒に山分けしようという魂胆だ。

 かくしてすべてはデップの思惑通り、陰謀は進行していくように思えたが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずは相棒イグレシアスとレオナルディを伴い、宴会の余興のギター弾きとして大統領の宿に潜入するバンデラス。クーデター後のヴィジル暗殺の下見のための行動だ。しかしそこで見た大統領は、あくまで民衆のために腐敗を追放しようとする高潔の人。バンデラスの心にある変化が訪れる。

 さらに事態はデップの予想を超えた展開を見せる。まずは手なずけたはずのトレホがデフォーに寝返る。ここでデップの張り巡らせた陰謀がバレた。そしてデフォーは自らの顔を整形して死んだ事にしようとする。この企みに気づいたブラデスは、深入りしすぎてデフォーの手の内に捕まってしまう。さらにはデップが手なずけたと思った女捜査官メンデスも、実はデフォーの手の者だった

 こうして各人の思惑と陰謀が入り乱れる中、「死者の日」がやって来る。人々が祭りに浮かれて街を練り歩く中、ヴィジル将軍の率いるクーデター軍が大統領暗殺をめざして蜂起した!

 

見た後での感想

 面白かった。だが見た後の感想は、見る前の予想と微妙に食い違う。実はこの作品、僕が見たいと熱望していたような作品とは、かなり違う映画だったのだ。

 確かにアクロバティカルな銃撃戦は相変わらず。バンデラスもハデハデに活躍はする。銃撃で人が大げさに吹っ飛ぶ。そこらはジョン・ウーゆずりの大げさ銃撃アクションだ。

 だが「デスペラード」に見られた華麗な銃の舞踏は意外に少ない。まるで「シカゴ」でのレニー・ゼルウィガーとキャサリン・ゼタ=ジョーンズがショー場面で見せたような、踊るように銃を撃つミュージカル仕立て風の銃撃戦ではない。バカバカしいアクションは、どちらかと言うとバンデラスの伝説シーンや回想シーンに封じ込められる。あの荒唐無稽さは、あくまで伝説としてなら許されるとでも言うように。

 そう。今回は「デスペラード」の続編だが、あの主役カップルはその後思わぬ展開を見せていた。日本の配給会社がハエックを前面に出しづらかった訳だ。あの予告編は詐欺とは言わずとも、この映画の実際を見せてはいなかった。バンデラスとハエックが脳天気に暴れる映画ではなかったのだ。

 今回はベットリと思い入れ渦巻く復讐劇。もっと濃厚なドラマが展開する。考えてみれば、「ワンス・アポン・ア・タイム〜」なる原題を見た時に思い至るべきだった。「ワンス・アポン・ア・タイム〜」と言えば、セルジオ・レオーネの「夕陽のギャングたち」("A Fistful of Dynamite"が英語題名だが、"Once upon a Time...The Revolution"なる別題名あり)、「ウエスタン」(英語題名は"Once upon a Time in the West")、そして遺作の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」に冠されていたタイトルではないか。当然今回の作品はそれを意識してのもの。さまざまな人物の思惑が渦巻き、復讐や陰謀が錯綜するスケールでっかい物語になることは自明の理だった。セルジオ・レオーネに倣っての本作は、だから脳天気映画にはなり得ない。大統領やクーデターまで登場する、スケールの大きい話になるのは当然のことだ。

 だからまたまたの脳天気バカ・アクション映画を期待していた僕は、少々それをはぐらかされて当惑させられたところもある。そういうのを期待したら、ちょっと肩すかしかもしれないね。

 でも、そもそもロドリゲスはラテン・フレーバーの人。だからこのシリーズや「フロム・ダスク・ティル・ドーン」あたりには、そこはかとなくマカロニ・ウエスタンの味も漂ってはいた。セルジオ・レオーネに行き着くのも無理はないのだ。そんなアレコレや復讐がドラマの根底にあることなど、この映画はクエンティン・タランティーノの「キル・ビル」の影響下にあると言えるかもしれない。作品の準備やら製作やらはそれに先だっているようでもあるが、どこかにそれは影を落としているように思える。ロドリゲスとタランティーノはオトモダチみたいだしね(笑)。たぶんロドリゲスも「キル・ビル」の企画は最初の頃から知っていただろう。そういう好きなジャンル映画を大風呂敷広げてつくりたいという思いが、企画の根底にはあったように思う。

 でもロドリゲスはやっぱりロドリゲスで、彼のセルジオ・レオーネへの意識はそこまで。思い入れというにはあまりに稀薄で、ねっとりずっしり重量感で押すレオーネ映画の感覚はここにはない。それよりもオモチャ箱をブチまけたような感覚の方が先に立つ。だから登場人物の思いがドラマを進行させていくという感覚は極めて薄い。一応バンデラスと元FBI捜査官ルーベン・ブラデスのモチベーションは「復讐」なのだが、それが最後までドラマを動かす原動力にはならないのだ。

 むしろいろいろな人物が錯綜して、それぞれの思惑で勝手に行動し、当初の予想を超えた展開をしていく事にロドリゲスの興味はあるようだ。その中で彼好みの趣向を次々繰り出していく感じ。その狂言回しとしてジョニー・デップが登場する。

 したがって…というべきか、そんな仕掛けをつくりたいがゆえに、ドラマの骨太な展開は期待できない。しばしば脱線しがちだ。

 だから無意味な趣向も数多く見いだせる。例えばデップが義手を付けているくだり。この義手と仕込み銃って何か意味があるのだろうか? まったくドラマに役立っていないのではないか?

 さらに劇中デフォーが顔を整形するのも意味をなしていない。これって終盤にデップが目を抉られるのと同じように、マカロニっぽい血なまぐさい趣向を満足させているだけの事だろう。

 また登場人物は各自勝手に行動し、勝手にそれぞれの結末を迎える。だから、せっかくバンデラスにデップを組ませた面白さも、実はあまりない。同じ映画に出てはいるが、ほとんど別行動で動くだけだ。対決とかタッグを組むとか、そういう娯楽映画ならやるに決まってるドラマ展開はとらない。そういう意味でドラマとしては破綻しているし、物語の持つうまみはほとんどないと言える。

 言わば面白そうなキャラクターを出来るだけ数多く揃えて、それぞれに面白そうな趣向を与え、見せ場を出来るだけ多くするという映画づくりだ。だからちゃんとしたドラマトゥルギーを期待すると腹を立てる向きもあるだろう。で、確かにこの映画のドラマは致命的に弱いとさえ言える。

 だが「スパイキッズ3-D」まで目撃した僕らは、すでにロドリゲスの意図がそんなところにない事は先刻ご承知だ。ちゃんとしたドラマなんてやろうという気がない。「キル・ビル」との類似点はむしろそこだ。彼はアレコレやりたい事をブチまけて、こってり風味で見せたいと思っただけなのだろう。そこが弱いと言えば弱いのだが、元々ロドリゲスにそれを期待するのが無理なのだろう。

 むしろロドリゲスは軽いフットワークのバカバカしい映画づくりが身上。「エル・マリアッチ」の低予算ぶりでそれは有名だ。今回は珍しく大作仕立ての作品だが、彼はそれをデジタル・ハイビジョン・ビデオで乗り切ったと言う。「ヴィドック」や「スター・ウォーズ/エピソード2」から本格導入されたデジタル・ハイビジョン撮影は、絵だけ見ているとほとんどフィルム撮影と遜色がないもの。しかも機材や撮影の手間は激減する。ロドリゲスの手軽な映画づくりが大作仕立てでも再現出来るというわけだ。確かに今回の作品、実はちょっとしたところで「アレ?」と思わされる部分もあるにはあった。たぶんそのビデオ的な痕跡は、ジョニー・デップが酒場の厨房でコックを殺害するあたりの、手持ちカメラの移動撮影あたりで伺えると思う。

 そしてバンデラスとの強力な対立や連帯などの関わりなど期待しなければ、この映画でのデップはなかなか楽しい。やることはいちいち狡猾でセコく、自分で世の中回しているような自惚れ者なのだがアッサリ裏切られる。自分に酔ってゴキゲンになってたら窮地に立たされる。ボコボコにされて情けない姿をさらす。そこでようやく意地だけは見せようとする不思議なキャラクター。悪人と言えば悪人なのだが、そのドジぶりまでが憎めない。これはデップでなければ出せない味だよね。

 もちろん中心にはあの暑苦しいバンデラスがドンと座って、周囲も何とも濃いメンバーがズラリ顔を見せる。悪役がウィレム・デフォーなら濃さも人一倍だ。この濃厚なオカシサを味わっていれば無責任に楽しめる。

 考えてみれば、僕は前作「デスペラード」もバンデラスがキメキメで銃を撃つとしか覚えていないではないか。だからこの映画のドラマやストーリーはどうでもいいのだ。面白がって楽しんで、映画を見終わったら席を立ってスッカリ忘れてしまえばいい。

 これはきっとそんな映画なのだ。

 

見た後の付け足し

 それでもこの映画を見終わった時には、妙にジョニー・デップの奇妙なキャラクターが印象に残る。人の国に乗り込んで「革命は国の浣腸だ」なんてもっともらしい理屈つけて好き勝手にかき回す。しかも悪人の金をピンはねするセコさも忘れない。そしてあくまで自分が一番利口だと思い込んでいる自己陶酔タイプ。それが高じて墓穴まで掘ってしまう浅はかさ。

 これってデップが演じているCIAが象徴する、アメリカの対外的イメージそのものではないか。

 しかもさらに興味深いのは、それでもこのデップがどこか愛すべき男と描かれているところだ。最初は金だけやって邪険にしていた少年に、盲目になってからは頼らざるを得ない哀れさ加減。だけど少年はどこかこの男を好いている。そんなデップの持つ俳優としての魅力が、アメリカそのものの持つどうしようもない親しみやすさ憎めなさや魅力と二重写しになると言ったら言いすぎだろうか。

 一方で個人的復讐だけ考えていたバンデラスは、なぜか義侠心に駆られて大統領救出に奔走する。ただただ翻弄されるだけみたいだった民衆も、クーデター軍に対して一斉に蜂起する。このへんも「今」を考えるととても面白い点だと思える。

 デップが最後に少年の力を借りて一念発起。罪滅ぼしと思ったかどうか、せめて悪に対して一矢報いようとするあたりには、ロドリゲスの意外な本音みたいなものさえ感じたよね。

 今のアメリカの気分がどうなのかは分からないが、大統領選の行方が混沌としてきたのを考えると、どうもブッシュが押せ押せでやっていた時とは微妙に変わってきているようだ。この映画はもっと前から準備されていたものだろうから、そんな時代の気分を意図したはずはないだろう。それでもこのタイミングで世に出てしまうというのは、偶然とは言えどうしようもない時代の必然だと言える

 ともかくアメリカ映画がデップという複雑な個性の俳優で不思議な自画像のようなものを描き始めたというのは、とても興味深い事のように思えるんだよね。

 

 

 

 

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