「マスター・アンド・コマンダー」

  Master and Commander - The Far Side of the World

 (2004/03/22)


  

今回のマクラその1

 僕は子どもの頃には病弱で、実は幼稚園もあまり通う事が出来なかった。小学校に上がっても最初の年にはプールに入る事が出来なかったんだね。そんな調子だから、どうしても自宅に寝ている事が多かった。するとそんな孤独な子どもの友だちっていうのは、自然と本って事になっちゃうんだよね。

 中でもお気に入りはイギリスのファンタジー小説。C.S.ルイスの「ナルニア国ものがたり」シリーズが、まず僕が最初にハマったファンタジー小説だ。このC.S.ルイスなる人物は、リチャード・アッテンボロー監督の「永遠の愛に生きて」(1993)で、アンソニー・ホプキンスが演じているからご存じの方も多いかと思う。高名な神学者でもあるルイスのこのシリーズで、僕はファンタジー開眼したわけ。それからいろいろ読んだけど「ナルニア」以上に僕にピタリと来る本はなかったね。そういう経緯があるから僕は「ロード・オブ・ザ・リング」三部作には熱狂したし、「ハリー・ポッター」の映画化された二本については少々辛い目で見てしまう。最近ディズニーがこの「ナルニア」の映画化権を取得したというニュースを聞いて、楽しみなような心配なような複雑な気持ちだ。

 この「ナルニア」が発端になって子どもの本をむさぼるように読んだんだけど、それらはすべて岩波書店の出していた本だった。そのあたりはエッセイ「私が子供だったころ」の中の岩波の子供の本の項でも紹介している。この岩波書店という出版社は、ともかく子どもの本ならピカ一だ。出している本の内容もよければ装丁から何から上品でセンスがいい。岩波ホールはキライだが、子どもの本ならここが一番だ。大人が読んでも恥ずかしくない。これって肝心な点なんだよ。大人が見て子どもっぽくて幼稚なものなんて子どもは喜ばない。子どもは大人以上に幼稚なものを嫌うものだからね。そういう意味でも岩波書店は「分かって」いる出版社だった。

 そうやってアレコレ手に入る限り読み進んでいったが、不思議な事に僕の心を捕らえた本はすべてイギリスの小説だった。中にはドイツのエーリヒ・ケストナーみたいな例外もあるにはあるが、なぜかイギリスの本にひどく惹かれた

 そして年齢がいくぶんか上がってくると、僕はイギリスの海洋冒険小説を手に取るようになった。

 スティーブンソンの「宝島」はその代表だろう。そして必ずしも舞台が海とは限らないが、帆船の魅力を満載したアーサー・ランサムのシリーズに熱中した。これは本当に面白い。たぶん今読んでも時を忘れてしまうだろう。だからそれが怖くて今は読まないけどね(笑)。

 考えてみれば、イギリスってのはかつて七つの海を制した海国だった。それは帆船しかなかった頃の事だ。だから帆船による航海を描いた海洋冒険小説には、元々しっかりした伝統があるんだろうね。

 だからアメリカ製のいわゆる海賊映画もキライじゃないが、何だかちょっと違う気がする。そういうキチッとした海洋冒険ものをスクリーンで見てみたいと、僕は長い事ずっとそう思い続けていたのだ。

 

今回のマクラその2

 僕はまだたかだか40年ちょいしか生きていないから、自分の人生について大した事は言えない。だけど、これは経験しておいて良かったな…と思う事もいくつかある。

 その一つは8ミリ映画の製作だ。

 その事についてはこのサイトでもたびたび語って来たから、あまり多くをここで再び語るのもどうかと思う。それに僕がつくってたのはまるでお楽しみの子どもの余興みたいなもので、それで賞を狙ったりプロになろうとしたり…といった、しっかりしたものでは決してなかった。バカみたいな夢を抱いた事がなかったかと言えばウソにはなるが、だからと言って自分がこれでメシを食おうと思った事はなかった。第一カメラのこと、レンズのこと、そう言った「てにおは」みたいな事すら知らなかったんだからね。ただ、小学校の高学年あたりからテレビで洋画劇場をあれこれ見て、僕はすっかり映画の虜になった。そしてちょうどその頃、8ミリ・カメラを手にするチャンスを得た。だから、そうなってみると自分でもつくりたい…と思うのは自然な事だったわけだ。

 ご承知の通り、僕はみんなの先頭に立って率先して何かをやるというタイプの子どもではなかった。学級委員とかそういう役にも就いた事はない。むしろそういった事は避けていたし、大体誰も僕をそんな役に据えようとなんて思いもしなかった。僕はどちらかと言うと、一人でコチョコチョ文章を書いたり絵を描いたりする子どもだったのだ。

 だけど映画が好きになってしまった

 しかも手元にはカメラがある。そうすると、どうしても試したくなる悪い虫がうずき始めたわけだ。

 中学の時に試した時は手痛い失敗を喫した。それでも虫はうずきっぱなし。友だちをそそのかして第二の挑戦を試みたのが高校の時。この時は文化祭で上映する冗談みたいな映画の製作に成功した。

 これが良かったのか悪かったのか、僕は大学に入って本格的に映画を作りだしたのだ

 ただし繰り返し言うけど、どれもこれも中学生の冗談映画どまりの出来だった。それでもいっぱしの作品つくってる気になってたけどね。とにかく数をいっぱいつくりたがった。技術的な事もクソもなく、とにかく早撮り一辺倒。お仲間を引っぱり出しては、次から次へと撮っていた。

 映画をつくるとなると、本当につくりたいのは自分だし、何をどうするかを知っているのも自分。だからどうしたって自分がイニシアティブをとらない訳にはいかない。先頭に立って率先して何かをするタイプじゃない…なんて言ってられない。その自分が最も苦手とする事をやらざるを得なかったのだ。それでもそれを何とかやろうと試みたのは、やっぱり映画が好きだったからだろう。

 人を集めて、必要なモノを調達し、ロケ地を決めて、日取りと段取りを決める。天候にも左右されるから、当日が雨だった場合の事も考えねばならない。メシとトイレの事も考えておかねばならない。足も確保しなくてはならない。何より重要なのは、人を撮影現場に連れて行ってからの振る舞い方だ。

 自分が何をやりたいのかを、キチッと自分で把握していなければならない。そして手持ちぶさたになりがちな仲間たちに、何かをさせておかねばならない。ダレたりしたら絶対不満が出る。それでなくても一番映画をつくりたがってるのは僕だから、それ以外のつき合わされている連中はどうしたって不満を持ってしまうものなのだ。そこを冗談を言ったり何か面白い事を見つけたりで盛り上げていく。場の雰囲気づくりというのは重要な仕事なのだ。

 バカな事をやらせる事になった時には、おかしくても笑ったりしてはいけない。それをやらされてる人間がクサる。そんな時には、世界で一番重要な事をやっているかのように、真剣極まりない顔をしていなければならない。そして素晴らしい事をやってくれた人は真っ先にホメる。シラけずにホメちぎる。そのために現場では常に麻薬でもやっているかのようにハイになっていなければならない。その反面、何か起きた時の判断のために、心のどこかを冷静に保っていかねばならない。映画ってのはこの矛盾する二つの要素を抱えながら撮るものなんだよね。

 寒かったり暑かったり、何かトラブルが起きたり、不測の事態が次々に起こってくる。その時にどう対処するかを瞬時に判断していかねばならない。ここでためらったり決めかねていたりしたら、ついてくる者もついて来なくなる。そして常に僕が状況を分かっていて、一番正しいと思う事を実行しているという確信。確信がなくても自分はそう信じているという態度。弱気になっては足下を見られてしまう。雨が降っていてもこの日撮らねばならないとなれば、この雨は絶対に止むと断言する。降りそうでも撮影中はもつと言い切る。断固たる態度でそれを言いながら、内心では最悪の事態に備えておく。そうすると、なぜか事態は大概望んでいた方向に動き出す。これは不思議な事だよね。

 そして一番そこでヒマそうにしている者、ないがしろにされていると思いそうな者に声をかけ、いろいろ意見を聞くこと。そうすれば、その者はその場の一員であり、必要とされているという自覚を持つようになる。

 さらにはそこにいる誰よりも忙しく動き働くこと。僕が一人ラクをしていれば、きっと周りは不満を抱く。僕が必死に頑張れば頑張るほど、僕に文句を言える人間はいなくなる。拳銃に撃たれて地面にぶっ倒れる場面を撮る時には、必要がなくても僕がまず一番派手に激しく倒れて手本を見せる。それでキズだらけになった事もあるが、そうすれば誰も不平を漏らさなくなるものだ。

 かと言って、僕の尺度でモノを考えてばかりもいられない。耐えられる限度は人によって違う。だから一番不満を抱きがちな者、一番ツラい状況に耐えられない者の基準を考えていかねばならない。

 ただし、必要に応じてはそれも無視する。すぐに妥協したりやめてしまったりしては、必要なモノは得られない。結果はロクな事にならない。結局大変でも得るモノを得られたら、後で文句を言っていた人間も喜んで納得するものなのだ。最後は結果がすべてだ。

 まぁ結局はそれも今はやめてしまったが、それは大人になってみんな余裕がなくなった事もある。趣味としてやるには犠牲が大きすぎる。そしてプロをめざしている訳でもなかった。だけどやめてしまった一番大きな理由は、僕にそこまでのリーダーの器がなかったと自分で悟ったからだろう。先に偉そうな事を長々と書いてはみたが、僕はリッパなリーダーではなかった。そうすればいいと分かっていても、必ずしもそうできたとは限らない。僕はそれほど強くはない。妥協ばっかりするしね。迷いもした。自分が大した人間でないのに、大人物のように振る舞うのは僕には無理だ。

 それでもこの時の経験はすごく役だったよ。自分が仕事をするようになってから役立った。人を動かす事の大変さも知った。あんな事でもやっておいて良かったと今では思っているよ。

 僕の場合は何だかんだ言っても、みんな親しい友人や仲間だった。やっていた事もくだらないお慰みの8ミリ映画製作でしかなかった。だからあんなテイタラクでも何とか動いてくれたのだ。いろいろな事を出来たのは参加してくれた他のメンバーたちのおかげで、僕の力ではなかった。

 これが無秩序に集められた集団だったらどうだろう。統率し引っ張っていく事は困難を極めるに違いない。真のリーダーというものは、こういう超人的な事が出来る人物なんだろうね。

 

見る前の予想

 ラッセル・クロウの海洋冒険もの。予告を見た時はそれしか分からなかった。で、子どもたちを多く乗船させて戦わせているらしい。彼らに偉大な人物と尊敬されていたのが、ここでのラッセル・クロウの役どころのようだ。

 結構大規模に撮影された映画ながら、僕は何となく食指がそそらなかった。これってリドリー・スコットがつくった戸塚ヨット・スクールみたいな映画「白い嵐」もどきの映画なんだろうか。海で鍛えられる少年たち。だとしたら、あまり面白くなさそうだよね。

 でも、監督ピーター・ウィアーの久々の新作だ。僕はこの人の映画が好きだった。それでも題材が題材なんで、あまり見る気がしなかったんだよね。アカデミー賞で大量ノミネートを得ていると言っても、イマイチ見たい気にはならなかった。

 というわけで、気乗り薄ながらもウィアーと世評の高さだけを頼りに見に行ったようなわけだったのだが…。

 

あらすじ

 1805年、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトはヨーロッパ全域にその覇権の手を伸ばそうとしていた。当然そこで対立したのが、七つの海を我がものとするイギリス。かくして、海はイギリス・フランス両国の激しい激突が演じられる戦場と化した

 英国海軍のフリゲート艦「サプライズ号」は、ブラジル沖を航行していた。その艦長ラッセル・クロウには、フランスの私掠船「アケロン号」への攻撃、捕獲の命令が下されていた。「私掠船」とは国家の命を受けて軍事行動を起こす船の事で、「アケロン号」はイギリスの商船や捕鯨船への攻撃や掠奪を行っていた。この船を排除しなくては、イギリスをナポレオンの魔手から守る事は出来ない。

 それは濃厚な霧の立ちこめている朝のこと。望遠鏡であたりを伺っていた士官候補生リー・イングルビーは、霧の彼方に一隻の船の姿を見た…ような気がした。そんな自分の目に確信を得ることが出来ない彼は、戦闘態勢に入れと命を下す事が出来ない。それでも見るに見かねた他の士官候補生が戦闘態勢を告げたものの、イングルビーはそれが他国の戦艦かどうか確信が持てなかった。

 これでは甲板に出てきたクロウ艦長も判断に困る。ところが望遠鏡で必死に霧の彼方を探っていたところ、だしぬけにその船が姿を現すではないか。敵も敵…それは攻撃・捕獲を命じられていた敵戦艦「アケロン号」そのものであった。

 いきなりの奇襲。敵の砲撃に船体は損傷、多くの船員が傷つき命を落とす。たちまち修羅場の「サプライズ号」だが、敵は戦力、船のパワーに勝っていて苦戦そのものだ。船体も破損し、一部では浸水。舵も破壊され航行不能に陥った。

 こうなると逃げの一手しかない。クロウ艦長はボートを仕立てて多くの船員を乗り込ませ、これに「サプライズ号」を引かせる作戦に出た。ボートの船員たちが必死に漕いだおかげで、何とか「サプライズ号」は濃霧の中に逃げ込んだ。こうして最悪の事態からは逃れられた「サプライズ号」だった。

 だがこちらの負傷者、戦死者は多数。船医のポール・ベタニーは名医で名高く多くの人命を守る事が出来たが、それでも損害は甚大だった。

 特に痛ましかったのは12歳の士官候補生マックス・パーキスだった。片腕を傷つけそこからばい菌が入ったこの少年は、破傷風から命を守るために腕を切り落とさざるを得なかった。これには船医ベタニーも心を痛めずにはいられない。せめて切断手術を終えた時に、こうパーキスに告げるのが精一杯だった。「大したもんだ。勇敢な患者だった

 このパーキスをはじめ、船にはマックス・ベニッツはじめ何人かの少年士官候補生も乗り込んでいた。彼らがこのツラい航海にも耐えているのは、一重に尊敬するクロウ艦長の存在があったればこそ。彼らだけではない。この船の乗組員たちは、誰でも大なり小なりこの歴戦の勇士にして負け知らずの艦長を尊敬していた。「ラッキー」という異名をとるこの艦長の下ならば戦える。それがみんなの心を一つにしていた。

 そんなクロウ艦長が腹を割って語り合える相手はただ一人。それが船医のベタニーだった。彼らは船の艦長と船医である前に、まずは親友同士だった。時にベタニーは率直な意見や反論もぶつけながらも、クロウ艦長とバイオリンとチェロの合奏で心和ませる時を持ってもいた。

 さて痛手を受けた「サプライズ号」だったが、側近たちが寄港を進言する中、クロウ艦長はあくまで海上にとどまる決断をする。何が何でも「アケロン号」を追撃しなくてはならない。そのためには港に戻る猶予はない。船の修理は海上で何とか済ませるのだ。

 かくして南米沿岸の浅瀬に停泊した「サプライズ号」は、そこで修理を行う事になる。船に必要な食料や水も補給しながら、改めて戦力を建て直すことになった。

 一方クロウ艦長は、腕を失った少年士官候補生パーキスを見舞う。彼に英国の栄光の海戦史の本を渡したクロウ艦長。パーキスはそんなクロウ艦長に、英国の伝説の英雄ネルソン提督の逸話を尋ねる。クロウ艦長もかつてはネルソン提督の下で働いた事があったのだ。そんなパーキスにクロウ艦長はただ一言、その本を見てみろと言い残す。本のネルソン提督を書いたページには、片腕のネルソン提督の挿し絵が描かれているのだった。

 一方、船員の一人からアメリカでたまたま「アケロン号」の建造を目撃したという男が現れる。彼はクロウ艦長に、その詳細な船体模型を手渡した。なるほど、これは早いわけだ。その見事な性能に舌を巻くクロウ艦長は、しかし「アケロン号」が構造上船尾が弱い事も見てとった。弱点があるなら勝てる!

 やがて復旧なった「サプライズ号」は再び外洋に乗り出したが、またしても水平線の彼方にあの「アケロン号」が現れた。マトモに戦えば勝ち目はない。それでも何とか逃げ続け、夕闇に姿をくらます「サプライズ号」。オトリとして灯火を掲げたイカダを洋上に浮かべ、「アケロン号」がそれに気をとられているうちに難を逃れた。この作戦をやり遂げたのが、若くして海の男の経験を積んできたベニッツ士官候補生だ。そんな彼にクロウ艦長は、まるで兄のように話しかける。「楽しんだか?」

 さて「アケロン号」から逃れた「サプライズ号」は、見事な航海術のおかげでいつしか「アケロン号」の後方へと回っていた。この戦術に舌を巻くクルーたち。「さすがクロウ艦長だ!」

 クロウ艦長も得意の絶頂だ。「船尾につけば、こっちのもんさ」

 だがここぞ追撃のチャンスと意気上がる船の中で、船医ベタニーだけはクロウ艦長に意義を唱えていた。「オマエは私心で作戦を進めていないか?」

 クルーたちは「ラッキー」なクロウ艦長ゆえにみんなついてくるだろう。だがあまりに過信して無謀な作戦は命取りだ。まして負けを知らないクロウはいざという時の劣勢に弱い。先の散々な結果にこだわるあまり、ムチャをしてはいないか? それは親友ならばこその直言だったが、クロウ艦長は聞く耳を持たなかった。

 やがて「アケロン号」追跡を続ける「サプライズ号」は、天候の急変で嵐の真っ直中に突入する。みんなは船を知り尽くしているクロウ艦長を信頼しているが、やはりムチャは祟った。マストがいきなり折れて海中に落ち、そのマストを死守しようとした船員まで海に投げ出されてしまった。何とか船員を助けようと焦るクロウ艦長だが、海中に落ちたマストから伸びたロープが船を引っ張り、危うく転覆の危険すら出てきた。このままでは船は危ない。

 苦渋の選択の末、クロウ艦長はマストから伸びるロープを斧で切り離す。かくしてロープの重みから解放された船は体勢を立て直すが、船員はそのまま海に飲み込まれていった

 これにはさすがに落ち込むクロウ艦長。見かねた船医ベタニーは「オマエのせいじゃない」と慰めるしかなかった。

 この一件の後、船は一転してガラパゴス諸島へと進路を変える。ここにはイギリスの捕鯨船が漁をしており、それを襲うために「アケロン号」がやって来るに違いないと踏んでの事だ。この報は船医ベタニーをも夢中にした。ガラパゴス諸島には珍しい生物がおり、生物学上の貴重な発見があるに違いないからだ。彼の影響もあって生物学に夢中になった少年士官候補生パーキスともども、上陸を心待ちにする船医ベタニー。そんな親友に、クロウ艦長は上陸して探検してもよいと確約した。

 ガラパゴス諸島沖に停泊した「サプライズ号」は、ここで修理と補給を行う。だがそんな時、島影から一隻のボートがやって来た。それは「アケロン号」に襲われたイギリス捕鯨船のものだった。

 「アケロン号」がすぐそばにいる!

 その事実にいても立ってもいられなくなったクロウ艦長は、慌てて出帆の命令を出した。上陸を今や遅しと待っていた船医ベタニーがいくら言っても聞き入れないクロウ艦長。「任務優先」の一言で却下された船医ベタニーは、ただただガラパゴス諸島の島影を指をくわえて見ているしかなかった。

 だが、この出航が裏目に出た

 外洋は大凪。風ひとつ吹かず船は進まない。それどころが雨も降らない。たちまち船内は険悪な雰囲気になった。

 その生け贄になったのが、例の士官候補生イングルビーだった。

 最初に「アケロン号」を見つけて、適切な対応が出来なかったのが彼。しかも彼の当直の時に限って「アケロン号」が出現する。彼が呪われているとのウワサが船員の間に広まり、中にはあからさまに侮辱する者まで出てきた。それをたまたま見つけたクロウ艦長は、その船員を厳罰に処したがそれも裏目。見かねた船医ベタニーは、またまたクロウ艦長に進言する。「彼らは何でも悪いことはすべてイングルビーのせいにしようとしている!」

 だが事の重大さを分からないクロウ艦長は、イングルビーを呼びつけても「もっと強くなれ!」と言い放つだけ。船内には不穏な空気が漂い、追い詰められたイングルビーの言動もおかしくなった。

 ある夜、少年士官候補生パーキスを呼び止めたイングルビーは、彼に一言言い残す。「君だけは僕によくしてくれた」

 そして彼が見ている前で、砲弾を抱えて海に飛び込むのだった

 翌朝、イングルビーへの弔いの言葉を一同の前で語るクロウ艦長。だがクロウ艦長とても何が言えよう。ただ、イングルビーを悪く言っていた者たちは彼の許しを乞おう…と告げるのが精一杯だ。そんな一同の思いが届いたのか、天からいきなりの雨が降り注いだのが唯一の慰めだった。

 だが悪いことはさらに続いた。船の甲板を飛び交うカモメを銃で撃ち落とそうとした者が、間違えて船医ベタニーを撃ってしまったのだ。腹に弾丸をくらったベタニーだが、当の船医が撃たれたとあっては治療する者がいない。素人が何とかメスを握ったとして、揺れる海上では手術は無理だ。事ここに及んでクロウ艦長もさすがに決断せざるを得ない。

 彼は「サプライズ号」を一転ガラパゴス諸島に向かわせた

 この島にやって来たのは船医ベタニーに安全な状態で治療を施させようという気持ちだったのか、はたまた彼との果たせなかった約束を果たそうと思ったのか。ともかく上陸して船医ベタニーの手術を行う事になったが、彼は自分で自分への執刀をすると言い出す。その手術の場には、艦長クロウ自ら立ち会う事になった。

 やがて船医ベタニーは少しづつ快復していったが、クロウ艦長は一向に出航を告げようとはしなかった。ガムシャラに「アケロン号」を追っての、無理に無理を重ねてのあのテイタラクに彼もさすがに反省を感じたのだろうか。今度ばかりは船医ベタニーが探検をするのに協力しようと、ガラパゴス出発を延ばしていたのだ。そんな親友の思いを意気に感じて、少年パーキスを助手に珍しい生物の採取に出かけるベタニー。ある時、島の山頂にたどり着いた船医ベタニーは、そこから一隻の船影を目撃する。

 それは他でもない、今までみなを悩ませて来たあの「アケロン号」の船影だった!

 

見た後での感想

 予想は見事に覆った。

 まずはこの映画、「白い嵐」のように戸塚ヨット・スクールみたいな映画ではない。確かに少年士官候補生たちは出てくるが、それは群像の一部に過ぎない。少年たちが外洋で鍛えられるだけのお話なんて、そんなシロモノではないのだ。

 むしろイマドキ珍しい、真っ当な海洋冒険モノだ。それも華やかなりし頃の英国海軍の物語だ。これは本格も本格、血統書付きのマトモな海洋モノなのだ。

 大体、本格的な海洋冒険映画というのは、製作が極めて困難だ。まず船がない。船があったとして、海という生き物と、自然や天候に左右される。そこで映画撮影などとは尋常でない過酷さだ。実際の航海だって大変だし、映画の撮影だって一大事だ。それなのに、それを両方やりながら撮影するんだからね。金もかかるけど、それ以上に困難さが付きまとうのだ。だからあまり製作されないし、製作されても秀作は少ないのだろう。

 しかし今回は、ひとえに昨今のCG技術の進歩も味方したんだろうか。そしてメキシコの海辺に「タイタニック」撮影のための建造された20世紀フォックスの巨大撮影用プールという好条件も揃っていた。それにしたってやっぱり大変だったと思うよ。この映画、いくら昨今メジャー映画会社の合作が盛んと言ったって、ミラマックスとユニバーサルとフォックスの3社合作作品という大げささなのは、そんな理由によるものなんだろうね。

 しかもこの映画をつくったのが、ピーター・ウィアーだというのも良かった

 まずは僕がピーター・ウィアーだから良かったと言うのには、いくつか理由がある。それはまず、彼がオーストラリア人であるという点だ

 ちょっと話は脱線するけど、僕が映画を見始めてから海洋冒険映画で優れていると思うものでは、ある極め付きの一本があるんだね。それはほとんど忘れられてる作品になっているけど、ディノ・デ・ラウレンティスが製作した「バウンティ/愛と反乱の航海」(1984)だ。メル・ギブソンとアンソニー・ホプキンスが主演したこの映画は、すでにクラーク・ゲイブル主演の「南海征服」(別題名「戦艦バウンティ号の叛乱」・1935)、マーロン・ブランド主演の「戦艦バウンティ」(1962)と、2度も映画になったネタだ。だけど、この三度目の映画化が実にいい雰囲気を出していたんだね。事件そのものは結構シリアスな反乱事件を題材にしているので、とても脳天気な冒険の気分が出てくるものではない。それでも外洋に乗り出す船の雰囲気、航海の雰囲気はたっぷり出ていた

 元々この企画って、デビッド・リーンがその晩年に手がけようとしていた作品だ。だから「アラビアのロレンス」(1962)、「ドクトル・ジバゴ」(1965)、「ライアンの娘」(1970)…とリーン作品を手がけてきた名脚本家ロバート・ボルトが脚本を書いていた。どういう事情かこの作品からリーンは手を引くことになっちゃったんだけど、ボルト脚本は残ってこの映画が出来たわけだ。この映画が見応えあるものになったのは、多くはボルト脚本の出来の良さにもあるのだろう。

 それでも僕は、この映画が面白かったのは監督にロジャー・ドナルドソンがあたったためだと思っているんだよね。

 ロジャー・ドナルドソンはいまだ決定打は放っていないけど、「追いつめられて」(1987)とか「13デイズ」(2000)など、見応えある作品をいくつかつくっている。そんな腕の確かさに加え、彼がニュージーランド人だった事もプラスに働いたと思っているんだよ。ニュージーランドって国の自然を肌で感じている環境と、その元は英国領だったという歴史的背景。それがこの映画をつくるにあたってうまく働いたと思うんだよね。

 ニュージーランド人とオーストラリア人を一緒に考えるのはどうか…というのはさておき、それでも同じオセアニア地域の英国領の国として、かなり近しいものはあるだろう。

 そして、ここで言うイギリスとは昨今のケン・ローチ映画とかロバート・カーライルとかが活躍するイギリスではない。古き良き気風を持ち合わせ、しかも自然と接しているオセアニアだからこそ今に再現できる英国臭なのだ。作家的な気質の違いはあるにしても、それはおそらくピーター・ウィアーにもあるはずだと思う。かつての英国海洋冒険モノの空気を醸し出すには、こうした資質が不可欠だと思うのだ。

 また自然環境と人間というかたちで、ウィアーはいくつも興味深い作品を放っている。南米のジャングルに踏みとどまる家族を描いた「モスキート・コースト」(1986)がまずそうだろうし、考えようによってはオーストラリア時代の作品、大地に吸い込まれるように失踪した女学生たちを描く「ピクニックatハンギング・ロック」(1975)、エジプトの戦場に送り込まれた若者たちを描いた「誓い」(1981)だってそうだろう。

 さらには限られた特異な環境における人間とその集団の映画が、ピーター・ウィアーの十八番でもあった。これは上に上げた諸作品がすべて該当するばかりか、異常現象下でのアボリジニとの関わりを描いたザ・ラスト・ウェーブ(1977)、政変下のインドネシアでの海外特派員を描いた「危険な年」(1982)、アーミッシュ村に転がり込んだ刑事を描く「刑事ジョン・ブック/目撃者」(1985)、厳しい規律の私立学校での教師と生徒の触れあいを描いた「いまを生きる」(1989)、テレビ番組のためにつくられた人工的な街で生まれ育った男を描いた「トゥルーマン・ショー」(1998)などがそうだ。広義にこの定義をとらえれば、異邦人の街ニューヨークで市民権をとるべく偽装結婚するフランス男とアメリカ女の関係を描く「グリーン・カード」(1990)、たった一人飛行機事故から生還した男の心の彷徨を描く「フィアレス」(1993)までがこれに含まれないでもない。

 しかも戸塚ヨット・スクールみたいな映画ではない…とは言ったものの、この航海に同行する少年たちと、彼らが崇拝する艦長との関係も映画の大きな要素ではある。そういった意味で、「いまを生きる」をつくったウィアーの持ち味が活かされている事は言うまでもないだろう。

 こうやって改めて確認してみると、この「マスター・アンド・コマンダー」という映画は、本格英国臭を持つ海洋冒険映画の作り手としてピーター・ウィアーという絶好の人材を得たというだけではない。この映画自体が、ピーター・ウィアー作品のグレーテスト・ヒッツのような様相を呈しているとさえ言えるのだ。

 だからその主役として、ウィアーが初期作品「誓い」「危険な年」で組んだメル・ギブソン以来の野太く逞しいスケール感のあるオーストラリア出身スター、ラッセル・クロウが起用されたのは自明の理とさえ言えるかもしれない。

 そして彼の親友の船医を演じるポール・ベタニーがまた見事だ。今までは「ロック・ユー!」(2001)のチョーサー役やら「ビューティフル・マインド」(2001)の主人公の友人役など、トランプで言えばジョーカーのカードのようなエキセントリックな演技が目立ったベタニーだが、ここでの落ち着いた「知性の人」としてのキャラクターは心に残る。そしてこの二人のどんな時も言いたい事を言い合う…という男同士の関係には、イマドキ見られないような気持ちよさが漂うのだ。この役者さんは思ってたよりもフトコロが広いね。

 あと、船員の一人として今が旬の役者、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作でホビットのピピンを演じたビリー・ボイドが出てきたのも嬉しかった。この人も今後は重宝に使われる役者さんになるんじゃないか。

 過酷な海戦はこの映画にも再三出てくる。だがむしろ印象に残るのは、航海そのものの雰囲気だ。船乗りと、外洋をどこまでも行くその冒険のムードだ。そこで織りなす人間群像のドラマだ。実際に映画は海戦よりも、ただただ航海していく場面の方が圧倒的に長い。だからこそ、これはピーター・ウィアーでしかつくり得なかった作品だと思えるのだ。

 それにしたって、実際の船を用いた他にミニチュアやCGも駆使し、さらにはフォックスの巨大プールを使ったにしても、その海洋シーンの見事さって言ったらない。これを見事に撮りきっただけでも大変なものだ。そこへ来て、乗組員が織りなす人間群像の見事さ。船乗りのプライド、逞しさ、その忌まわしさ…途中で気弱な士官候補生が追い詰められて自殺するくだりを思い浮かべていただきたい…もちろん主役である艦長の心のひだ、そして艦長と船医の腹を割った友情…どこをとっても一級品だ。これだけのスケールを持つスペクタクル・アクションを支えきって、さらにこうした一人一人の描き分けを行い、しかも主人公個人にも肉迫する。ほとんど離れ業のような事をピーター・ウィアーは実現しているのだ。これはウィアーの現在までのところの代表作と言っていいのではないか。

 僕は心底こういった海洋冒険モノを見たかったんだよね。

 

見た後の付け足し

 この映画ではいろいろな人間群像が出てくるけど、やっぱりその中心は華も身もある英雄、ラッセル・クロウ扮する艦長にとどめを刺す。

 歴戦の勇士で負け知らず。ゆえに「ラッキー」の異名をとる男。だからみんながついてくる。だけど、そんなこの男にも弱点はいっぱいある。それを知っているのは、唯一胸の内を知る親友の船医ポール・ベタニーだけだ。逆に言うと、彼に崇拝ではなく苦言も呈する立場で接するからこその親友であるとも言える。

 真の勇士クロウ艦長も、時には判断を誤り暴走することだってある。軍に規律は必要とコワモテを決め込みながら、人の心が読み切れずに安易な対応をして死に至らしめる事だってある。そんなアレコレにふと気づいて、思わず落ち込んでしまう事だってあるのだ。そして何とか遅ればせながらその埋め合わせをしようともする。親友ベタニーの思いを知りつつ、すげなくガラパゴス諸島から出発させたクロウ艦長。その彼がその親友の危機に至って、憎っくき敵の追跡を諦めてガラパゴス諸島に戻るあたりには、無敵の英雄の意外な弱さや人間味も見せて秀逸だ。そんな人間味を余すところなく見せているあたりが、監督ウィアーも演じたクロウも見事だったよね。

 こういう映画を見て、そこに「リーダーの資質」なんてものを嗅ぎ取ろうとするのは好きじゃない。徳川家康とか山本五十六とかプロ野球のヤクルトと西武の監督だった広岡達郎を同じ土俵でカバーストーリーにするような無茶な編集をする、中小企業のダメ経営者が熟読しそうな「プレジデント」とかいう雑誌みたいで気が退ける。大体あんな雑誌で「リーダーの資質」を学ぼうとする奴が、ロクなリーダーになれるはずもない。でもここでのクロウ艦長を描くピーター・ウィアーの意図には、常に岐路に立った人間のあり方を問うて来た彼ならではの視点が感じられる。

 船内での語らいの中で、士官たちはネルソン提督の英雄壇に夢中になる。寒い戦場で上着を渡された時、「戦意に高ぶる自分には上着は要らない」とか何とか言ったという話。クロウ艦長はじめ士官たちは「さすが」とホメそやすが、その時に船医ベタニーだけがシラけた表情で控えめながら意義を申し立てる。「海軍には卑しくセコい人間の思惑などないみたいですねぇ」

 彼はその時、英雄が英雄たる理由は決して強く正しいこと…ではないと言いたかったのではないか。

 過ちなしには人間はやっていけない。誰でも過ちを犯すのが人間だ。それがないなんてあり得ない。ピーター・ウィアーもまた、その事を問おうとしているのではない。

 過ちを認める事が出来るか、そしてそれを改めようとする気持ちがあるか。それこそがリーダーかどうかは別にして、人間の「正しい資質」ではないかと言っているように思うんだよね。

 

 

 

 

 to : Review 2004

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME