「ゴシカ」

  Gothika

 (2004/03/15)


  

今回のマクラ

 最近子どもが被害者になる事件ってことに多くはないかい?

 別に僕は人道主義者でも何でもないが、こうも子どもが殺されたりキズつけられたりする事件が多発するのはイヤになる。前からいくらかはあったんだろうが、ここんとこヤケに多すぎやしないかな。

 ちょっと前には継母が15歳の義理の息子にメシを与えずに閉じこめていた事件があった。こんな事をやらかしたらどうなるか分かりそうなものだが、人は誰かをイビっていると夢中になって我を忘れてしまうのだろうか。誰かをいたぶるってのはそんなに楽しい事なのか。

 親父が何もしないどころか、一緒になって痛めつけていたのにも驚いた。だがもっと驚いたのはこの親父の父親…虐待されていた少年の祖父にあたる奴だ。何と虐待に耐えかねて逃げてきたこの少年を、このクソジジイは無慈悲に元の家に追い返していた。テレビのインタビューでも「甘えかしたらいかん」とか訳の分からないことを言ってるし。この死に損ないのジジイ、年寄りだからと言って絶対「甘やかしたらいかん」とは思わないか。

 そして継母の連れ子は普通に可愛がられていたようだが、このガキも一体何を考えていたのか。きっとマトモな奴には育つまい。僕には子どもはいないけれど、いたとしたらこのガキと同じ学校には行かせたくない。

 学校も児童センターも見て見ぬフリ。両親に一応事情を尋ねたというが、どこの世界に自分から虐待やってますって言う奴がいるのか。そう言われたとして、「あぁそうですか」とでも答えるつもりなのか。結局こいつらも全部同罪だと思うよ。

 少なくとも児童センターの奴らは、こういうのを防ぐのが仕事のこの道のプロだろう。明らかに職務怠慢なんだからクビにして寒空の下におっぽり出さなけりゃ、世の気の毒なリストラ・サラリーマンたちに示しがつくまい。大人ならなおさら「甘やかしたらいかん」よね。

 通学途中の子どもを刃物で斬りつけたとか、クルマに乗せて拉致したとか…何なんだこいつら一体。日本は急にどうなってしまったのだ?

 だけどここへ来て、急に変態が急増したという訳でもないだろう。だとしたら、これはもっとヤバイ状況だと思うよ。

 子どもには正直言ってひっぱたいて黙らせてやりたいクソガキもいる(笑)が、そもそもは無力な存在だ。それに思わず危害を加えたくなるというのは、日頃自分が虐げられている、理不尽な思いをしているという鬱屈とした気持ちが溜まっているからだろう。そして大の大人には逆らえないが、自分より弱い者なら叩きのめせるという気持ちがあるに違いない。こういう状況がこれらの事件が多発する背景にはあるはずだ。それだから何をやってもいいという事にはまったくならないけどね。だって黙らせてやりたいクソガキにも無闇に手を上げないというのが、マトモな大人のスタンスというものだろう。ま、事と場合によっては…って事情があるにしても、だ。

 そして人間ってのは恐ろしい事に、自分がちょっとした力を持った時に、大義名分を振りかざして他者をいたぶる傾向がある。銀行員やら役人など何らかの権限を持った時、学校のクラブや社会人としての場で後輩を持った時、職場の上司になった時、自分が相手より絶対優位に立った時、ついついその力を行使したくなるものなのだ。そんな気になった事はない…という奴がいたら、ハッキリ言ってお目にかかりたい。ホントにそういう場面はなかったか? 金を貸していた相手や地域住民に規則とマニュアル通りにキチンと対応する、後輩に社会常識を叩き込む、部下に社員教育をしてやる…そんな大義名分で、自分の欲求不満をどこか解消すべくいたぶりはしなかったか? 彼氏に彼女に、妻に夫に、親に子に嫁姑…お互いの間の力関係を利用してついついやりたい放題やってはいないか? やってないとは言わせない。やっていない訳がない。やっているはずだ。いや、やっているに違いない

 僕も今までいろいろヒドイ目に合わされてきた。だから人間の持つ、そうしたケダモノ性を否定できない。自分が善人だって思っている奴ほどやっている。だってそれは逆の立場に立った時、僕の中にも確かにあったからね。僕も知らぬうちにやっていた。幼い頃イジメに泣かされた僕がやっていた。それに気づいて思わず吐き気がしちゃったよ。そして職場を辞めた。

 人は上下関係に弱い。力関係に弱い。そして何より人より上になりたい。それをしないのが理性というものだが、大義名分さえあればオーケー。別に変態や異常者でなくても、人は知らず知らずのうちにそれをやっている。

 なぜなら、それがそもそも人間というものだからだ。人間は元々どこか異常者なのだ。

 

見る前の予想

 ロバート・ゼメキスとジョエル・シルバー、この二人の気鋭の映画人が手を組んで「ダーク・キャッスル」なるホラー映画専門プロダクションを旗揚げした時には驚いた。まずこの二人の接点が分からない。そして、この二人とホラーの接点はもっと分からない。この「ダーク・キャッスル」なるプロダクション、まずは往年のコケ脅かしホラー映画人、ウィリアム・キャッスルの作品のリメイクからスタートしたってところが、さらに分からないところだ。それでもこの二人があの駄菓子屋みたいなホラー映画の味を愛していて、そういうテイストの映画を今に復刻しようとしている意図だけは受け止められた。実際第一弾のTATARIは面白かったもんね。その次の「13ゴースト」はイマイチだったけど、やりたい事は何となく分かった。そしてゴースト・シップも楽しかった。

 このプロダクションのホラー映画って、純粋なホラー映画ファンに受けているかどうかは分からない。そしてつくっている作品が身の毛もよだつほど怖いかというと、ハッキリ言って否、だ。だけどそこにはオモチャ箱のような、駄菓子屋のような、かつて僕がテレビで玉石混淆で映画を見ていた頃の楽しさが詰まっていた。要はゼメキスもシルバーも、構えばっかりデカかったりもっともらしかったりする昨今の娯楽大作へのアンチテーゼとして、もっと映画本来の楽しさを味わいたいと思ってやった事じゃないかと思うんだよね。

 そんな「ダーク・キャッスル」がまたまた新作を放つ。しかも主演はアブラの乗ってるハル・ベリーだ。脇の役者たちもちょっと気になるメンツ。そして何より監督がフランスのマチュー・カソヴィッツだって? たぶん前作クリムゾン・リバーの大成功からの起用だろうが、今度はハリウッドで撮るとは思ってなかった。こりゃ新鮮な驚きだ。

 これだけメンコが揃ったならば、これは見るしかないだろう。スゴイ傑作ではないかもしれないが、夜中にたまたまテレビつけたら、やってた映画がついつい面白くて見ちゃった…みたいな楽しさが詰まってる気がするからね。

 

あらすじ

 辺鄙など田舎にある女子刑務所の精神病棟。精神科医のハル・ベリーはそこで働いている。心を病んだ女囚たちの治療にあたるベリーが目下手こずっているのは、義父を殺したペネロペ・クルス。彼女は夜な夜な「悪魔」に犯されると訴えているが、もちろんベリーはそんな言葉に動じない。クルスはかつて義父に犯されて、それがイヤさに彼を殺してここに送られた。その罪の意識が彼女にそう言わせているのだ。だがそんなベリーの胸中を見透かしたかのように、クルスは自らの真意を明かさない。あげくこう捨て台詞を残すのみだ。「私を異常者と決めつける人は信じない」

 今日もクルスは診察の最後に暴れて、ベリーはお手上げだ。上司であり夫でもあるチャールズ・S・ダットンにグチをこぼして慰められる始末。同僚のロバート・ダウニー・ジュニアも何かと彼女に親切にしようとするが、そこには単に友情や好意を超えたものがあるようだ。それを知りつつベリーはそんなダウニー・ジュニアの気持ちを知らぬフリでやり過ごしていた。

 そんなある豪雨の夜のこと。夫が待つ自宅に帰る道すがら、ベリーは道の真ん中に一人の少女が立ちすくんでいるのに出会う。危うく少女をひき殺しそうになったベリーは、慌てて車を停めて彼女に駆け寄った。だが雨でずぶ濡れ、両手にはキズを負い、服も引き裂かれた少女の様子は尋常ではない。呆然と立ちすくむ少女を見たベリーはたちどころに彼女が強姦されたと察するが、少女はベリーが話しかけても黙ったまま。あげく叫びだしたかと思うと、彼女の両手から不思議な炎が燃えだした。そして炎は一瞬の後にベリーへと燃え移って…。

 気づくと、ベリーは女子刑務所の精神病棟にいた。職場に戻った訳ではない。何と彼女は患者として、ここの独房に閉じこめられていたのだ。あまりの事に驚愕したベリーは、常軌を逸して叫び暴れ始める。たちまち看護士たちが駆けつけて彼女を取り押さえるが、駆けつけた人々の中にはあのダウニー・ジュニアもいた。

 何とか落ち着きを取り戻したベリーは、独房でダウニー・ジュニアと語り始める。君は今冷静だよな? あの晩何があったか覚えているか?

 そう、雨の中をクルマで帰って、自宅に着いて…ところがそこでだしぬけにベリーは、あの立ちすくむ少女を思い出す。ところが少女の事を話し出したとたん、ダウニー・ジュニアが苛立つように言った。「…少女の事じゃない。家に帰って何をしたか思い出すんだ!」

 何とダウニー・ジュニアが語った真相は、ベリーを戦慄させるに十分だった。彼女は帰宅後に斧で夫を殺したというのだ。それもズタズタに切り刻んだという。やっていないと言ってもダウニー・ジュニアも誰も耳を貸さない。そのもどかしさに叫び暴れれば、ますます狂人扱いされるベリーだった。

 ところが少女の幻影は消えない。独房にいる時も、何か気配を感じる。シャワーを浴びている時も、少女が現れた。しかも彼女の手首にキズを負わせるアリサマだ。だがそれも、周囲からは自分で傷つけたと片づけられる。

 そんな彼女に面会にやって来たのは、保安官のジョン・キャロル・リンチ。彼は夫ダットンの親友だ。キャロル・リンチからすれば親友を殺した憎い女だけに、ベリーへの追求は容赦がない。血塗れの現場写真を見せつけて、ベリーを激しく責め立てる始末だ。だがその中の一枚の写真が、ベリーの記憶を呼び覚ます。

 現場には、「一人じゃない」という血文字が残されていた。

 ベリーの手首のキズも、この「一人じゃない」という文字に見てとれた!

 ベリーが院長と久々に会ったのは、ちょうどこの直後。院長と部下としてではなく、医師と患者という関係になってしまった両名。だがベリーはなぜそんな事になったのかがいまだに分からない。ところが彼女は、院長が持っていた一枚の写真に目を留めた。それは一人の少女の写真…ベリーがあの夜出会って以来、悪夢としてたびたび目撃する少女がそれだった!

 だが院長は静かに諭すように言った。「この子は私の娘だ、4年前に自殺した…」

 その夜、ベリーがいる独房がいつの間にか点灯する。いまやベリーは霊の存在を受け入れざるを得ない。「あなたがあの娘さんの幽霊なら、この独房の扉を開けて」

 すると扉が本当に開くではないか!

 すかさず独房を抜け出すベリー。彼女は何かの手がかりにならないかと、自らのかつてのオフィスに忍び込む。するといきなりパソコンが立ち上がり、川で死体となって発見された少女の新聞記事を写し出すではないか。さらに画面には院内のモニター映像が写し出されるが、そこにはあの少女の姿がハッキリと見てとれた。いるのは隔離病棟だ。

 ええい、ままよ。

 少女が何かを教えようとしている。そう確信したベリーは隔離病棟に向かう。するとそこはあのクルスの独房だった。窓を覗くといきなりクルスが顔面をぶつけてくる。いや、どうも何者かにぶつけられたようだ。しかも次に窓から覗いたのは大男の裸の胸。しかもそこには悪鬼のような絵柄がイレズミで彫り込まれていた

 クルスが訴えていたのはこれだったのだ!

 慌てて人を呼びに行くベリーだが、脱出した患者の言う事など聞く者はいやしない。べりーは捕らえられてまたしても自由を奪われる。駆けつけたダウニー・ジュニアに訴えても簡単に退けられる。クルスは犯されてもいなかったし、ベリーの独房が開いたのも電気関係のトラブルという事で片づけられた。万事窮す。

 昼休み。ベリーはあのクルスに駆け寄り、今までの自分の不明を謝罪した。するとクルスは初めて彼女に心を開くように、固くベリーを抱きしめるのだった。だが次にクルスが耳打ちした言葉は、ベリーを驚愕させるに余りある言葉だった。「奴は次はあなたの番だって言ってたわ」

 次の夜、ベリーが独房で身を固くしていると、またしてもあの「気配」が部屋の中に入ってくる。やがてその何者かはベリーを捕らえると、彼女を思い切り投げ飛ばした。

 警備室では、モニターにベリーが荒れ狂う様子が写し出される。それはあたかも彼女が自分の身を傷つけているように見えた。慌てて看護士たちがベリーの独房に駆けつけるが、倒れていたベリーはいきなり起きだし、看護士を叩きのめしたあげくカギを奪って逃走した

 そうなればかって知ったる職場だけに、縦横無尽に逃げ回るベリー。追っ手をあの手この手でまいたあげく、クルマを奪って逃走した。逃走途中には間一髪の瞬間もいくつかあったが、いずれも少女の霊のおかげか事なきを得るベリー。

 こうなると、とりあえず行く所は一カ所しかない。事件のあった彼女の自宅だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自宅には惨劇の跡が生々しく残る。事ここに及んで、ベリーはあの夜の事をまざまざと思い出した。彼女は確かに斧を手に取り、愛する夫ダットンを惨殺したのだ。あまりにあまりな事実に思い至って、ベリーはただ泣き崩れるだけ。

 さめざめと泣くベリーだったが、夫と撮った写真を見ていると、そこに一滴の血痕が落ちる。それは彼らがよく遊びに行った農場だった。少女の霊は、この農場を指し示そうとしているのか?

 早速農場へとやって来るベリー。その納屋には、今まで見た事もなかった地下室があった。降りてみると大きなベッドが置かれ、そこにライトやビデオカメラがセットされている。さらにカメラが一人でに作動するではないか。

 そこには驚愕の映像が写し出されていた…!

 

 

見た後での感想

 先に挙げた通り、これは「ダーク・キャッスル」の4作目。前作「ゴースト・シップ」からウィリアム・キャッスル作品のリメイクではなくオリジナル作品を手がけるようになったが、その基本的ポリシーは変わってない。イマドキ少なくなった面白怖い映画の復権こそがその目的だ。一作目「TATARI」は閉鎖された精神病院の廃屋でのお化け屋敷もの、二作目「13ゴースト」は仕掛け満載のビックリハウスもの、三作目「ゴースト・シップ」は文字通り幽霊船。そしてこの「ゴシカ」は…とくると、実は今までの作品と比べるとちょっと手が込んでいるように見える

 精神病院が出てきて幽霊が出て、精神病患者として監禁されてしまう恐怖があって、それも自分が狂って殺人を犯したのかもしれない…という恐怖があって、さらには事件の真相を探るミステリー的な興味もある。だがどちらにせよ、これって前三作同様にB級作品としてかつて大量生産されていた、一連の恐怖映画の味がある。イマドキのホラー映画とは違う、すごいショック映像やら残虐趣味でつくってない楽しさがあるのだ。

 「ダーク・キャッスル」はこうした手垢のついたB級ホラーの題材を、今の技術で焼き直した上で、A級スターを投入してつくってきた。今回は…と言うとオスカー受賞で意気上がるハル・ベリーを筆頭に、トラブル続きながらクセ者役者として重宝がられているロバート・ダウニー・ジュニア、さらにスペインから売り出しのペネロペ・クルスまで出てくる賑やかさ。こうなってくれば、やっぱり「ダーク・キャッスル」の姿勢は不動のものと言えるよね。

 そして今回はと言えば、薄気味悪い雰囲気は濃厚に流れているし「いかにも」の題材ながら、やっぱりすごく怖くて見てられないというわけではない。何となくイヤ〜な雰囲気だけを安心して楽しめる(笑)のが相変わらずの「ダーク・キャッスル」テイストだ。しかも前述のごとく、人里離れた精神病院での患者として閉じこめられた恐怖とか、幽霊の怖さとか、殺人事件の真相を探るサスペンスとか、盛りだくさんなお楽しみが詰まってる。なかなかに贅沢な趣向となっているんだよね。

 で、ここで「クリムゾン・リバー」のカソヴィッツ投入が納得出来るわけだ。

 僕はカソヴィッツ作品って「クリムゾン・リバー」以前は見ていない。だけどどんな作品があったのかは知っているから、何となくその評価も知ってはいた。「アサシンズ」とか「憎しみ」とかの以前のカソヴィッツ作品って、いかにもミニシアターでかかる「問題作」然としていた。だからスターを起用した娯楽サスペンス大作「クリムゾン・リバー」が登場した時には、ちょっと驚かされたわけだ。

 これは他の日本の映画ファンも同様だったらしく、だから…なのか「クリムゾン・リバー」はかなりの不評だった。怖くない…だのありきたりの結末…だのケナしをあれこれ浴びていた「クリムゾン・リバー」だが、結局はその不評の多くって、僕はこのカソヴィッツの転身に浴びせられたものじゃないかと感じているんだよね。つまりは「堕落」って事なんだろう。「商業主義」に転じたという失望感だ。

 だけど僕はどれもこれも「商業映画」には違いないと思ってるから、そんな事は感じなかった。前の作品を見てもいなかったしね。むしろあの手この手を詰め込んで、なかなか楽しませてくれたとも思ってる。だから「クリムゾン・リバー」は結構楽しんで見た。閉ざされた学園都市での残虐な殺人、謎めいた符合、怪しげな人間関係、そして山岳冒険活劇からカーチェイス、そしてカンフー…とふんだんに詰め込まれたアクションとスペクタクル。「ありきたり」っていうけど、こういう映画はそんなお約束を楽しむ映画なのだ。だからいろいろ言われていたのが仮にカソヴィッツの転身に向けての八つ当たりじゃなかったとしても、それらの非難は当たらないと思ってたんだよね。作品の構えは娯楽大作だけど、つくってる姿勢は肩に力が入ってないフツーな娯楽映画の味。こういう味って今じゃ分かってもらえないのかねぇ。何でもかんでも超A級に「スゴイ」映画じゃないとダメってのはいかがなもんだろうか。

 そのへんのテイストが、実はこの「ゴシカ」にも当てはまる。

 サイコ・サスペンスと思いきや幽霊話でもある、かと思えばミステリー・サスペンスでもある。そして何よりアクションの見せ場が盛りだくさんだ。

 そう。この映画ってアクション映画なんだよね。ハル・ベリーが刑務所を脱出するあたりの見せ場の連続を見よ。刑務所の施設をフルに活用しての、走る隠れる登る…あげくの果てにはプールに潜る。スリムな体型が自慢のハル・ベリーならではの、カラダを使っての見せ場が続く。しまいにはちょっとしたカー・アクションまである。この映画って「怖くない」ホラー映画とは言ったものの、このアクションのつるべ打ちは、なかなかにハラハラさせてくれる。だから見ていて楽しい。これは活劇ホラーでもあるのだ。

 このへん、おそらく活劇プロデューサーとして名高いジョエル・シルバーによる、今回のカソヴィッツ起用なのではないだろうか? 「クリムゾン・リバー」を見て、「こいつは撮れる!」と踏んだのではないかと思われる。さすがにジェット・リーに目を付けるなど、侮れない人材起用をするシルバーならではの人選だ。それに応えて、カソヴィッツもサービス精神旺盛な映画づくりを見せている。

 そしてハル・ベリーも頑張ってるよ。オスカー受賞後いきなり007シリーズ「ダイ・アナザー・デイ」出演にはビックリしたが、この人の構えのなさってホンモノみたい。007はオスカー前に出演決定していたらしいが、実質上の受賞後第一作でこのホラー・サスペンスだからね。なかなか分かってるよこの人は。

 それにしても、黒人女優のホラー・ヒロインって珍しいんじゃないだろうか。そういう意味でも新鮮だし、この人のスターとしてのスケールも広がった。そして何よりよく動く。先に挙げた脱出アクションでは、おヘソを出しながら奮戦。もちろん美形だからホラー・ヒロインお約束の悲鳴と恐怖の表情にも華がある。とても楽しんで見られたよ。

 意外だったのがペネロペ・クルスで、この人はハリウッドでどっちかと言えばスペイン人のエキゾチシズムばかりを使われちゃって、あまりいい仕事がなかったように思う。だけど今回は脇に回って、意外や意外に好演してる。化粧っけもほとんどナシで、地味〜にサポートしているのが好感持てた。僕は最近のこの人で、初めていいと思えたよ。

 とにかく怖くはないが、安心してイヤ〜な気分を味わえて、活劇をはじめとするあの手この手で楽しませる。話の方向も二転三転して、その都度これはサイコものなのか幽霊ものなのか、はたまたミステリーものなのかとちょっとドキドキさせられる。そこらへんも楽しいゆえんだ。

 実は衝撃の真相って、お話の途中である程度底が割れてしまう。だから「クリムゾン・リバー」じゃないが、またしても「ありきたりな結末」なんて言われてしまうかもしれない。だけどこの映画の楽しみ方ってたぶん違うと思うのだ。あれこれ盛りだくさんな趣向を楽しみつつ、スターの華も味わいつつ安心しながらハラハラする。ホームランじゃないけどコツコツとヒットを打って塁に出るとでも言おうか、そういう平均的娯楽映画の味わいが嬉しい。これって楽しんで見たら忘れちゃって、それでいい映画だ。

 こういう大げさじゃない映画って、僕は結構好きなんだよね。

 

見た後の付け足し

 ラストでは事件が解決して、ハル・ベリーとペネロペ・クルスは無事に社会復帰を果たす。その別れ際にクルスは「いまだに悪夢を見る」と漏らすが、ベリーは自分はスッカリこの一件からは一線を引いたと断言。自分はもう霊とは関係ないと言い切って彼女と別れる。

 だがその直後、ベリーはまたしても「あれ」を見てしまうのだ

 もう例の少女ではないが、今度は別の男の子の霊。それに愕然としながら、ベリーが夜の街を去っていって映画は幕となる。

 これはベリーがあの一件以来霊能者になったとか、まぁそんな解釈が成り立つのだろう。だが僕にはそんな事より気になる事があった。

 前は少女、今度は男の子…幽霊ではあるけれど、それはどちらも子どもという無力な存在ではある。やむにやまれずそれらの霊が何かを訴えに出てくるというのは、自らが無力な存在だからということもあるだろう。だから誰かに何とかしてもらいたがっている…。

 今の世の中、そんな無力な存在が踏みにじられて何も言えぬままにいる事が多すぎるのかもしれない。

 そういえばこの映画にはもう一つ、無力の存在が虐げられる設定が出てくる。

 最初ヒロインは精神科医として患者と接しながらも、実際のところはちゃんと相手を理解しようとはしていなかった。医師と患者…しかも囚人という立場を充分理解して、自分では気づかぬうちに傲慢で高圧的な態度に出ていた。後に自分が患者の立場に落ちた時に、ヒロインはそれをイヤと言うほど思い知らされる。それは見下され、強制され、支配される…という屈辱的な経験だ。「精神病」と認められて病院に収容された者は、その病気ではなく医師によって人格を破壊されてしまう。だが医師たちは自分たちの傲慢さ、無知さ、冷酷さに気付いていない。あくまで自分が利口で、正しいことをしているつもりでやっている。

 これこそが何より「異常」ではないか?

 そしてそんな事なら、自分でさえもやってやしないか? 強姦や殺し…ではさすがにないかもしれない。だが相手が自分より弱いと見定めた後で、理不尽にいたぶったり不利益を被らせたりしていないだろうか? そうやって欲求不満を解消したり、ほくそ笑んでいたりしていないだろうか? あるいはあくまで善意の行為…と、自分のやった事を正当化して疑ってないかもしれない。あなたはそんな「異常性」をどこかで発揮してはいないか? いや、きっとあなたはやっている。やってないはずがない。

 ヒロインが最初に正常にして善意の「加害者」として登場する理由は、そんな「異常性」を誰もが共有している事の暗示に違いない。

 一件が解決したのに、ヒロインの前にまたしても別の霊が何かを訴えかけて来る…。そんな結末は、無力な被害者たちが大勢知られぬままに虐げられている事をほのめかしているようにも思える。そしてそんな無力の存在を意識しているか無意識かに関わらずいたぶって悦ぶ、異常者とは認知されない「正常」な人々がたくさんいるということも。それは自分かもしれないということも…。

 この映画は怖くない楽しいホラー映画だ。だけどこの結末だけは、ゾ〜ッとするほど恐ろしい気がしちゃったんだよね。

 

 

 

 

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