「気まぐれな唇」

  Turning Gate

 (2004/03/01)


  

今回のマクラ

 かつてこの僕にも、まるで恋愛大悲劇の主人公になったような気分になった事がある。

 相手の女と間でスッタモンダしていた最中、僕は運命の皮肉を恨みつつ、相手の女の幸せのために毅然とした態度をとる男…という役割を、悲壮感たっぷりに演じていたわけだ。

 まぁ、そう思わなければやり切れない。本当は彼女だって僕への思いは断ち切れていないと思いたい。そういう相手の言葉を信じて、こっちも思いっきりカッコつけるしかなかった訳だ。

 ところがそれから長い時が経ったある時、遅ればせながら自分の置かれた実にコッケイな状況に気がついた。

 気づいてみると滑稽千万。相手はとっくの昔に僕に見切りを付けて、長い時間をかけて着々と外堀から埋めにかかっていたのだった。僕はそれでも相手が僕に何らかの感情を抱いていると思っていたが、そんな事を思っていたのは僕の方だけだった。あれは迷惑と感じつつも事を荒立ずにケリを付けるための、彼女なりの頭をひねった作戦だったんだよね。

 でも、それって相手の立場に立って見ればすぐに分かる事だったのだ。

 まずは自分を振り返ってみろ。賞味期限もとっくに切れてる。容姿がいい訳でもなければ頭がいい訳でもない。地位も名誉もなければ金なんか元からない。おまけに相手との価値観には大きなギャップが横たわっている。

 そりゃオレだってこんな奴は願い下げだろう。

 だが、そんな事一切僕は見えなかった。見ようとしなかった。だから相手の言動だって自分に都合良く受け取った。

 だって、まさか、こんな善良で愛情深いオレが、ないがしろにされなきゃならん道理はないだろう?

 それで一人で悲劇のヒーローぶって、今考えてみれば独りよがりなバカな振る舞いをした。自分の事をリッパな人格者で愛情深い人間だと思い込んでいたのは、この僕ただ一人だけだった。あれは本当に滑稽なアリサマだったろうね。

 でも、どうしてそんなに自分や、自分の置かれた状況が見えなかったんだって?

 それは、僕が結局自分の事しか考えていなかったからだ。

 

見る前の予想

 この映画、昨年末に映画館でチラシを手に取った時から見たかった。監督名とかは見なかったし、俳優も主役のキム・サンギョンが、傑作殺人の追憶に出てたくらいしか知らない。だけど男女の機微をリアルに写し取った作品らしいと興味を持ったんだよね。

 最近の韓国映画ってホントに進んでる。娯楽映画もそうだけど、アートフィルムの分野でも群を抜いている。時々「LIES/嘘」みたいな鋭い作品が出てくるからね。これも油断のならない作品である可能性はある。

 もっとも実際に公開されると、あまりにひっそりとした上映ぶりに僕はこの作品の存在を忘れかけてた。しかも、それでなくても話題作が溢れんばかりに公開される昨今の映画事情だ。見たい映画がこれほどあると、申し訳ないがこの作品の優先順位はどんどん低くなっていった。

 それをわざわざ見に行く事になった理由は、単に僕が日曜日に寝坊して、他の作品を見れなくなってしまったというだけのことだ。もちろん見たいとは思っていた。僕はさほど大きな期待もせずに、この映画と接することになったんだよね。

 

あらすじ

 キム・サンギョンは俳優だ。ソウルで新作映画の出演を控えていた彼は、ある晩久々に先輩から電話をもらう。何とこの先輩は彼の映画を見たと言ってベタホメ、たまたま一緒に飲んでいる女も彼をホメているとかで、自分が今住んでいるチュンチョンの街へ遊びに来いと誘う。だがサンギョンにはいきなりご無沙汰だった先輩からそんな事を言われてもピンと来ず、生返事をして電話を切った。

 ところがちょっとしたトラブルで新作映画の話が挫折。前作がコケたのもサンギョンのせいと、新作を下ろされるハメになる。映画会社にギャラを取りに行けば行ったで、みんな低予算ノーギャラで頑張っているのにと、監督からなじられるアリサマだ。サンギョンとしては監督を信じていたのに裏切られた気持ちで、何が何でも意地でもギャラをふんだくる。そんなサンギョンに監督は捨て台詞。

 「人が生きていくのは難しい事だが、怪物にだけはなるな

 キッチリとキメられてしまってクサりにクサるサンギョン。彼としては理不尽な気持ちで一杯だ。面白くない。サンギョンが例の先輩の話に乗る気持ちになったのは、そんな経緯があったからだ。

 いざチュンチョンの街に来てみると、先輩は本当にサンギョンが来るとは思っていなかったようだ。それでも彼を歓迎する先輩。だが彼とてもあまり恵まれた状況にはいないらしい。女をはべらせて脱がす怪しげな飲み屋でも、酔っぱらってクダ巻いてすっかり女にイヤがられてしまう。そんな場面にイヤ気が差したサンギョンは、金を払って一方的に出てしまう。追いすがってきた先輩にサンギョンは、自分が投げつけられた捨て台詞を吐いて溜飲を下げるのだった。

 「人が生きていくのは難しい事だが、怪物にだけはなるな」

 それでも他にやる事もなく、結局この先輩とツルんで観光を続けるのだからサンギョンも情けない。一応名所旧跡を回るが、何も見ようとはしない。

 「ここの名所の『回転門』の何は由来がある。昔美しい姫がいてある男が熱を上げるが、父王はそれに激怒して殺してしまう。だがこの男はヘビに生まれ変わって姫に付きまとった。あげく姫に巻き付くものだから苦しくて仕方がない。父王が困って人に相談すると、ある寺に行けと言われた。その寺に着いた時、姫はヘビに言う。『ご飯をもらって来るからここで待ってて』と。だがいくら待っても姫は戻って来ない。待ちくたびれてヘビが寺の門までやって来ると、雨が降り出し稲妻が光り出した。すっかり怖くなったヘビは、すごすごとそこから引き返す他はなかった。それからこの門は『回転門』と呼ばれるようになったのだ」

 先輩はそんな事を語るが、それも右から左の気のない素振りだ。肝心の「回転門」も見なかった。

 やがて先輩は一人の女を連れてくる。ダンサーをしているこの女イェ・ジウォンは、俳優サンギョンのファンだという。どうもあの晩電話の向こうで先輩と一緒にいた女らしい。この女はまことに不思議な女で、初対面の彼の前で踊る姿を見せたりする。ガンガン飲んで酔っぱらったあげく、先輩がトイレに立った隙に「もっと親しくなるためにキスしない?」などと誘いをかけてくるから大胆だ。もちろんサンギョンがそれに応えたのは言うまでもない。

 先輩の運転するクルマで帰る道すがら、このジウォンは降りるときにサンギョンも降りないかと誘う。女の誘いのままに降りたサンギョン。クルマは二人を残して去ってしまった。するとジウォンは「彼は私たちを誤解したかも」などと言い出すので、何が何やら分からなくなるサンギョン。そこでブラブラ歩きながら優柔不断なところを見せていると、いきなりジウォンは「もうウソはつかないで」と切り出してくる。サンギョンは有無を言わさず彼女を近くのラブホに連れ込んだ

 激しく一戦を交えた後、自分を愛しているかと尋ねるジウォン。戸惑ったサンギョンは答えぬまま、再び彼女に体を重ねた。

 翌日再び行動を共にする三人だが、やはり何となくギクシャクする。そのうち勘の悪いサンギョンでも、先輩のジウォンへの気持ちを察するに至って気まずい気分だ。

 そのまた翌日、先輩はサンギョンを置いてどこかへ行ってしまう。するとサンギョンの携帯にジウォンから電話だ。妙に思い詰めた彼女の様子に「これから会いに行こうか」と切り出しても用事があると拒む。しかも再び「愛していると言って」とおねだりだ。サンギョンはこれにも答えない。

 ところがまたしてもジウォンから電話がかかり、今度は先輩とホテルにいると言い出すではないか。「自分で決めろ」と突っぱねて、サンギョンは彼女の電話を切った。

 翌朝、サンギョンは帰路に就くために先輩と駅にいた。ところが呼んでもいないのにジウォンがやって来る。しかも昨夜泣きはらしたと言ってサングラスまでかけている始末。サンギョンに自分の写真を渡すに至って、彼はすっかり辟易してしまう。そんなジウォンを終始冷たく突き放したサンギョンは、そのままチュンチョンの街を後にするのだった。

 そんな帰り道の列車の中で、サンギョンはたまたま一緒になった見ず知らずの乗客にジウォンの写真をくれてやる。

 ところが同じ列車で隣の席に座った女が、サンギョンに話しかけてくる。彼女チュ・サンミは何と俳優サンギョンを舞台で見たことがあるという。いつしか打ち解けて話し始めるサンギョンは彼女をビールを飲みに食堂車へ誘うが、彼女は乗っては来ない。何だこれまでか…と諦めていると、わざわざ彼女サンミは降りる際に呼び出して、別れの言葉を告げるではないか。

 これについつい興味をそそられるサンギョン。彼は降りるつもりのない駅で途中下車して、彼女の後をつけていく。そして彼女が住む家の立派な門を確認すると、近くの民宿に宿をとるのだった。

 翌日、思い切ってサンミの家の門を叩くサンギョン。出てきたのは彼女の母親やら家族たちで、当然サンギョンに不審げな眼差しを投げかける。それでも何とかサンミを連れ出すと、彼女に惚れたと熱っぽく告げる。おまけにあのジウォンには決して言わなかった一言まで付け加える。「愛している」

 それでも、これで終わり…と街を去ろうとする朝にサンミを呼び出すと、彼女は待ち合わせ場所にやって来た。あと15分で列車が出る…とか何とか言ってはいたが、気が付くと飲み屋でサンミといい感じになっているサンギョン。驚いた事に、実はサンギョンはサンミと昔に会っていた。それで彼女はサンギョンの芝居を見ていたのだ。そんな事もまるっきり忘れていたサンギョンは呆然とするばかり。

 しかもサンミはすでに夫のいる身だった。それも大学教授という申し分ない身分。浮き草のサンギョンとはえらい違いだ。

 飲み屋を出たサンギョンはサンミをホテルに誘う。「二人きりになりたいだけだ。何もしないから」…そして入ったのは豪華なホテル。宿泊費まで彼女持ちだ。何もしないなどと言うサンギョンの言葉が空手形だった事は、もちろん言うまでもない。彼は朝も激しくサンミを求めた。

 「夜にまたね」

 だが彼女はホテルに戻って来なかった

 どうしてもサンミと会いたいサンギョンは、彼女の不倫を匂わせた手紙を書いて近所に置いたりするが、だからと言って何が起きる訳ではない。業を煮やした彼は大胆不敵にもサンミの家に忍び込むと、彼女を引っぱり出す。今度はサンミが金を払ってホテルにシケ込む事になるが、行けるのはせいぜい安い連れ込みホテルだ。そして肝心要のカラダの方が言うことを聞かない。そんなサンギョンは、ただ「愛してる」と言ってサンミのカラダを抱きしめるしかなかった。

 その帰り、占い師の家を訪れるサンギョンとサンミ。だがこれがますますマズかった。占い師はサンミと夫の良縁をホメちぎり、サンギョンは人徳のない根無し草である事を喝破。ますます気持ちが塞ぐサンギョンだった。

 占い師の家を出たサンミは、いきなり「お金を持って戻ってくるから」と家に帰ってしまう。だがいくら待ってもサンミは戻って来ない。そのうちトボトボとサンミの家まで歩いていくサンギョンだが、門の前まで来るといきなり稲妻まで光り出す始末。仕方なく門の前からスゴスゴ立ち去るしかない。そのアリサマがまるであの「回転門」のヘビにも似ていた事を、当のサンギョンは果たして気づいていたのだろうか…。

 

見た後での感想

 まずは自分の不明を恥じねばならない。この作品、見て良かった。いや、見なければならなかった。これを見ずして韓国映画好きとは言えない。別に韓国映画云々は関係なくとも、これは一見する価値のある作品だ。すごい映画だよ。

 見ていてこの映画、タッチがどこかかつて見た何かの映画に似ているな…と感じずにはいられなかった。見終わってすぐにパンフを買って見ると案の定、これは江原道の力という作品を撮った、ホン・サンス監督の新作だったんだよね。

 この「江原道の力」という映画、1999年に東京・渋谷で行われた「NEO KOREA - 韓国新世代映画祭 '99」なる新作連続上映の時に見たものだ。僕はこの時に、韓国映画がガラッと様変わりした事を実感したんだが、その中で最もインパクトがあったのがこの作品なんだよね。

 「江原道の力」の印象については感想を読んでいただければお分かりになると思うが、お話は女友達と江原道に旅行に行ったヒロインが不倫に悩みつつ、旅先で知り合った若い警官と親しくなる前半、その不倫相手の大学教授が俗物ぶりを発揮しつつ、友人と江原道へ旅行に行く後半とにクッキリ二分される構成。何となく今回の「気まぐれな唇」を彷彿とさせる内容である事が想像されるだろう。映画そのものの語り口も同様で、まるでドキュメントみたいな生々しさで、リアルに人物の行動を追っていく展開だ。

 僕はこの「江原道の力」を見た時、真っ先にフランスのエリック・ロメールの作品を連想した。大マジメに語り行動する登場人物たち、その様子は普段の僕らの言動をいやが上にも連想せずにはいられないリアルぶりで観察されていく。だが、そんなリアルで実感こもった彼らの言動が、何とも滑稽に見えてくるんだよね。本音と建て前、カッコつけと実際、もっともらしい事を言ったりやったりしてるのに実はアホというそのみっともなさ具合が何とも身につまされる。これって確かに「緑の光線」やら「友だちの恋人」あたりのロメール作品と共通するテイストだ。あそこでもおシャレで言いたい事を言ってるイマドキ・フレンチ・ギャルたちが、「愛って何?」みたいな事をえらそうにホザきながら、実はかなりみっともなく身も蓋もない事をやっていて笑いをとる。そんな様子を老練ロメールが冷ややかに観察するって案配の作品だった。

 ところがロメール作品を支持していた大多数の訳知りオンナたちは、まったくそのへん見失っているようで、それが自分たちに向けられた意地悪な視点だとは気づいてなかったようだけどね。だから愛ってなんとか…とか、人ってどうの…とか、分かったような小難しい感想を言っていた。だけど突き詰めてみるとこれらロメール作品の言いたい事って、オマエらオレたちってカッコばっかつけてるけどホントはアホとちゃうか?…って恥ずかしい告白だったんだよね。

 で、やっぱりこのホン・サンス監督の言いたい事もそうらしい

 しかも、こう言っちゃ何だが目が青くて背が高くて髪が金髪だったりするフレンチーな連中なら、ロメールの意図するところとは裏腹にまだ日本人の僕らにはカッコついて見えるだろうが、ホン・サンスの描く韓国の連中ではそんなオブラートも被せられない。ほとんど僕らとは変わらない、僕ら自身や僕らの周辺にいるような人物が、僕らの日本と寸分違わない街でジタバタしてるから垢抜けない事おびただしい。もはやここでは言い訳はきかない。いやが上にもカッチョ悪い自分と向き合わずにはいられないのだ。

 まずは主人公がカッチョ悪い。最初先輩からオレんとこに来いと言われて生返事だったのに、自分の仕事はなくなるわクサクサするわで、すがりつくようにこの話に乗ってしまう情けなさがありがち。ポリシー・ゼロ。こういう事って結構僕らもあるよね。そして行ったわいいが、先輩自身もホントに来るとは思っていなかったという情けなさ。ここまでウサ晴らしに来たのに、もっとウンザリするハメになるトホホ感。行く気もなかった飲み会に、イヤな事があったために行く気になって出かけたら、やっぱり行かなきゃ良かったと思い知らされる事なんて僕にもいっぱいあるからね。

 そして「人が生きていくのは難しい事だが、怪物にだけはなるな」というキメ台詞。彼ってこれを言われてさぞかし悔しかったんだろうね。それって図星だったからじゃないか? だから他の者に同じセリフぶつけて溜飲を下げるみっともなさ。後に飲み屋でオンナ相手に「オレって人望あるんだぜ」なんて言うけど、こいつ人望なんてゼロなんだろう。実際そのあたりをオンナに見透かされたか、オンナはこの言葉にシラけかえってるからね。でも、僕だってこんな事あちこちで言ってるんだろう。自分の苦労話みたいな事をつぶやいて、つき合っていた女がシラけかえった事を思い出したよ。

 自分じゃ愛の放浪者か何かを気取っているのかもしれない。あるいは女からファンです…とか芝居見てます…とか言われりゃ、自分のホントの仕事の実状がボロボロなだけに嬉しくなっちゃうのかもしれない。だけど、とどの詰まりはチャンスさえあれば女と寝たいというだけ。あるいはちょっとでもいい思いしたい、チヤホヤされたいというだけ。何とも浅ましくも貧しい発想なのだ。僕だってこのサイトでオベンチャラ使われていい気になってる。もうイヤだとか何とか言いながら、いまだにこのサイトを続けているのは…いや、未練たらしくしがみついているのは、結局のところそんなところに決まってる。だからみんな、どうかこの僕をもっとホメてくれないだろうか。ホメ殺すほどに。

 おまけに女からモーションかけられても、いざとなるまで優柔不断な情けなさ。この気持ちは分かる。彼には女の真意が掴めないのだ。他の男たち同様に。だからオタオタしてしまう。

 それでもいざ一線越えた後で熱っぽく迫られると、冷たくつれなくしてしまう。「愛してる」なんてウソさえ言えない小心者だ。このワルになり切れないところが、かえって女に対して罪が深いのも分かってない。

 逆に今度女がどこか冷たく一線を引こうとすると、俄然追いたくなるあたりのバカっぽさも男としては分かる。何となく相手が見切り付けてるのは分かる…それでも何とか呼び出せば来る…だから女はホントはオレを愛してる…。でも、それは違うのだ。女としては後腐れなく、何とか男がキレてバカをやらない範囲でやり過ごそうとしている。あるいはそんな中でも、うまいことちょっとしたつまみ喰い的なオイシサを得る事を求めてもいる。でも、それ以上でも以下でもない。なのに主人公は、自分に迫った女に決して言わなかった「愛してる」という言葉まで言って、このつれない女に追いすがる。女に夫がいて、それが自分よりもずっと地位的にも人格的にも収入的にも上とミエミエになっても…いや、ミエミエだからこそ悪あがきをする。勝手に女は本当は自分に気があるんだと思い込んで…いや、これとても本当は彼も真意は分かっているのだ。分かっているけどそうせざるを得ない。分かっているけど分かってない。

 もちろん女だって主人公からは「何を考えてるんだ」と思いたくなるような、気があるんだかないんだか、挑発してるんだか退いているんだか、何だかよく分からない言動を連発する。それって結局、人間誰しもどうやったら自分に一番心地よくて都合がいいかをまず第一に考えているからだろう。そこでは自分に都合のよくない事はシャットアウトされる。「怪物になった自分」なんてなかった事にする。それを誰かに転化してチャラにする。それを向き合う双方がやるから、何だか分からなくなるのだ。

 主人公を演じるキム・サンギョンは、先に述べたように昨年の東京国際映画祭で上映されたボン・ジュノ監督の注目作「殺人の追憶」で、都会からやって来た知性派刑事を演じた若手俳優だ。だけどあそこで見せたシャープさはここにはない。終始愚鈍で抜けててバカっぽい、デカい図体持て余したようなアホっぽさで演じている。それが、映画を見ている僕らの自画像に見えてくるから痛いのだ。

 最後に主人公は、先輩が話してくれた「回転門」のヘビを地でいく状況に落っこちている。だけど、それを自分で気づいているかどうか。人間って自分の気づきたくない事は気づかない。まさか善良で魅力もある自分が、事もあろうに迷惑千万なおぞましいヘビ同然だなんて、誰だって思ってもみない事なんだからね。

 

見た後の付け足し

 というわけで、実はこの映画に描かれていた事って、全部この僕に起こった事と同じなのだ。まるっきり同じって訳じゃないけどね。恥ずかしながら、僕はこの映画の主人公と同じような事をしたし、同じような目にも合った。自分がまったく分かっていなかった事も同じだ。いや、これはこの感想文をリアルなものにするためのテクニックでもないし、分かったような事を述べるための気どりでもない。マジメな話、本当にこの映画と大差ない状態に僕はなっていたんだよね。死にたいくらいみっともない事に。まるで監督がカメラ担いで、僕の後を何年も追い回していたんじゃないかと疑いたくなったよ。

 先ほど見て良かったと言っておきながら、あまりの痛さに正直言うと見なきゃ良かったという気分も実は少々あったんだよね。自分の本当のみっともなさを目撃するのはツラい。そしてたぶんそれが他人には筒抜けだったと考えるのもキツい事だ。本当の事って知りたくもない事であるのが世の常というものだよね。

 でもね、グダグダ酔っぱらいの戯言みたいで気が退けるが、何だかんだ言っても僕はやっぱり見て良かった。自分がバカだと知るのはツラいが、知らないでいるよりはマシだろう

 思い知って痛みを覚えてこそ、得られる何かがあると思っているからね。

 

 

 

 

 

 to : Review 2004

 

 to : Classics Index

  

 to : HOME