「ギャンブル・プレイ」

  The Good Thief

 (2004/02/09)


  

大人としてのしかるべき振る舞い方って?

 いい歳をしてこんな事を言うのも何だけど、大人になるってのは難しいモノだよね。

 僕なんかもいいかげん大人になってるんだけど、実はあんまり自覚がない。たぶん大人にはなりきれてないと思う。いざって時にてんでカッコよくキメられないからねぇ。

 実は世間の大人になったと思ってる大半の人間が、本当の大人じゃないと僕は秘かに思っているのだ。仕事である程度の地位になるって言ったって、ハッキリ言ってよっぽど無能でなければ会社にいれば偉くはなるだろう。嫁さんもらった子どもが出来たって言ったって、そりゃ大人の自覚をせにゃならんとは言え、到底その用件満たしてないんじゃないかという輩がウジャウジャいる。だから子どもを虐待する女房を殴る人前で亭主を馬鹿にするなんて連中がいるんだろう。他人に偉そうに女房子どもを持ったから大人…なんてヌカす奴とか、会社やら仕事について自分が全部分かってるみたいに言う奴とか、それ自体が粋じゃないって事が分かってないってことは、すなわち僕は大人じゃないって事だと思ってる。大人はそんな事言わないだろう。

 最近、衆議院議員の古賀潤一郎って男がアメリカの大学を出た出ないってゴタゴタしてるアリサマなんて、まったく大人の男のザマじゃないよね。そもそもがそんな学歴詐称してしまった時点で情けない。アメリカの大学出って言いたかったという事が寂しい。

 それでもそのあたりまでは、考え方のミミッチさも含めて気持ちは分からないでもないが、その後がいけない。それがウソとバレてからが、もっとみっともないではないか。本人が誰よりも分かっているだろうに、わざわざアメリカまで行って現地調査。これ、本人が気づいていなかったらよほどのバカで、知っててやったんなら大ウソつき。どっちに転んでも議員の資質じゃないって事だよ。それなのに帰国したら帰国したで言い訳三昧。議員としての仕事はタダでやるとか、これから大学の単位をとるとか、そういう問題じゃねえんだよ。この期に及んでも議員を辞めない往生際の悪さ。そんな事を往来で訴えながら涙ボロボロの醜態といい、まったくもってみっともない事甚だしい。見ている方がやめて欲しかった。カッコ悪すぎだよね。

 だがこいつが辞めたら選挙で落ちたはずのエロ山拓が復活しちゃうって言うから、まったくもってイヤになる。それを見越してほくそ笑んでる山拓と自民党の連中の浅ましさが、古賀議員のさらに上をいく愚劣さだ。あげく自民党の連中は古賀の事をボロクソにコキ下ろしていたが、こいつらテメエの身内の不祥事の時はどうしていたっけ。どこまで恥というものを知らない連中なんだ。これもまた…と言うかこいつらの方がもっともっと、とても大人とは言い難いよね。

 そんなこんなで世の中には、歳ばっかくってる奴はいても大人と言える人間は少ない。かく言う僕も当然その一人である事は先に述べた通りで、だからせめて、したり顔をして自分は大人でございますって顔だけはしたくないんだよね。オレはまだまだガキ、まだまだハナ垂れだと。

 大人の基本は何だか、僕もそれが分かれば苦労はないが、たぶんそれってオノレを知るって事かもしれない。時にハッタリかます必要もあるだろうが、それには本当に自分の手持ちのカードがどの程度だか知らなきゃならない。本当に自分はスゴイと思っていたら、滑稽で無謀でしかないだろう。オノレの技量とキャパを知っていること、そしてオノレの規範を持ち、それを守ってこその大人だろう。僕にそれが出来ているのかどうかは別にしてね。

 じゃあ、そういうホントの大人ってどんな奴なんだろうって? それはたぶんこんな顔をしていると思うよ。

 

くたびれ果てたギャンブラー最後の賭け

 世界有数の歓楽地リビエラ。そのシケたバーの一室で、いいかげんくたびれた中年ギャンブラー、ニック・ノルティがカードに興じている。だが今日も今日とてツキはない。仕方なくアルジェリアから流れてきた若者から、コカインを買ってカツを入れるアリサマ。そんなヨレヨレのノルティを、一人のうら若い女が見つめていた。彼女はボスニアから流れて来たナッサ・クヒアニチェ。このバーの持ち主の情婦のような立場に堕ちながら、どこか涼やかな瞳の持ち主だった。そんなクヒアニチェにこんな所にいるなと言うノルティだが、彼女はバー・オーナーに旅券を取られていると答えるだけだ。

 そんなバーに警察の手入れが入る。率いているのは刑事チェッキー・カリョ。彼は例のアルジェリア移民の売人に目をつけ取り押さえるが、逆に売人に銃を突きつけられて絶体絶命。たまたま通りかかったノルティの機転で難を逃れる。

 「何でオレを助けた?」

 カリョはノルティの古馴染み。とは言え、常にノルティに目をつけ、何かやらかせばしょっぴいてやると狙っている男だった。それでも二人の間柄には、追う者追われる者なりの長年の親しみが湧いているから不思議だ。ノルティは捕まって本国に送還されれば命がない売人の事情をカリョに話し、何とか送還だけは免れるように話をとりもった。そんなつかず離れずの二人の間柄だった。

 さて後日また同じバーでカードをさばくノルティ。相手は問題のバー・オーナーだ。その傍らには目を殴られて腫らすクヒアニチェ。だから言わないこっちゃない…とばかり、ノルティはバー・オーナーの目を気にせず言いたい放題。こんな男とツルんでると売り飛ばされるぞ…とか、コイツは最低のゲス男だ…とか、やたらと言葉で挑発する。さすがにキレたバー・オーナーは、ノルティに掴みかかっての大喧嘩。ブチのめされたノルティは、店の外に放り出される。するとそんなノルティの元に、あの若い女クヒアニチェがやって来る。こんな世界でただ一人自分を気にかけるノルティに、彼女も気を許したのだろうか。

 そんなクヒアニチェにノルティは彼女の旅券を手渡してやる。さっきつかみ合いのケンカになった時、ノルティがバー・オーナーからスリ取ったものだった。そんなノルティにクヒアニチェが信頼を寄せるのも無理はない。彼女はノルティの後をいそいそついていくのだった。

 ノルティが寄った先は、彼の行きつけのバー。長年のダチで初老のジェラール・ダルモンや若いサイード・ダグマウイがたむろする店だ。そこでノルティはクヒアニチェに金を渡す。ただし彼女をどうこうしようって言うんじゃない。その金でホテルにでも泊まれと言い残し、店を後にするのだった。

 だがある朝、ノルティがクルマを転がしていると、あのクヒアニチェが無一文で荷物を持って歩いているではないか。彼女は礼のバー・オーナーに借金として金を巻き上げられ、居場所もなく彷徨っているところだった。ノルティはそんな彼女を、自分のヤサに連れていく。そこはまた例によって、ダルモンやダグマウイらダチのたまり場となっている場所だった。

 そんなノルティにクヒアニチェはすり寄って行くが、彼は彼女を抱こうとはしない。むしろ彼女に興味しんしんの若いダグマウイといろ…と言わんばかりだ。若い者は若い者といろ、オレみたいな年寄りとはいるな

 さて、そんなノルティにダルモンが儲け話を持ち出したのは、競馬に出かけて大金をスッた晩の事だった。モンテカルロのカジノの金庫に金がある…だがそんな話にノルティはつれない。すでに前科が山ほどあるノルティは、今度捕まったら次がない。おそらくシャバに出る事は出来ないだろう。

 だが次にダルモンが持ち出した話には、ノルティも食いつかずにはいられなかった。そのカジノ、いまや日系企業の持ち物だが、バブル期に買い付けた多数の絵画を飾っているのが売り物。こいつを奪おうと言うのだ。

 だがカジノにかかっている絵をどうやって奪うのだ?

 実は日系企業もさる者。カジノにかかっているのは実は偽物で、ホンモノはすぐ近くの保管庫に保管されている。そいつを奪うと言うのだ。

 実はノルティ、昔ピカソから賭けで絵を巻き上げたのが自慢のタネ。絵画にはちょっとしたこだわりがある。ちょうどヘロインが切れて悪寒が走ってはきたが、これもいい潮時だ。「このヤマのために、酒もヘロインも断つぞ」

 家に戻って来たノルティは、自分の手を手錠でくくりつけ、来るべき禁断症状に備えた。そして三日三晩苦しんだあげく、クリーンな頭と体を取り戻す。また自分に挑発を仕掛けてくるクヒアニチェをさりげなくいなして、ダグマウイと一緒に住むように言い聞かせるのだった。

 さていよいよ作戦開始。昔なじみを集め始めるノルティ、ダルモン、ダグマウイ。だが早速何か感づいたカリョ刑事が、ノルティを尾行し始める。このままじゃヤマを踏むにはヤバすぎる。

 そこで持ち出してきたノルティの作戦は、驚くべきものだった。例のカジノの金庫を狙おう、それを狙ってると見せかけて、保管庫の絵画をいただこう。

 その頃、ノルティの行きつけのバーには、あの売人が釈放されて出入りし始めていた。だがノルティには分かっていた。奴はカリョに買収されて、ノルティの身辺を嗅ぎ回っているのだ。ならばそいつも利用してやろう。ノルティたちはあえて売人の目を意識しながら、犯行計画を進めるのだった。

 さて、厳重な絵画の警備をどうやってかいくぐるのか? ダルモンにはアテがあった。その警備システムをつくったコンピュータの天才、ロシアから流れてきたエミール・クストリッツァを抱き込むのだ。早速クストリッツァの仕事場に一同が赴くと、クストリッツァはジミ・ヘンドリックスでお馴染みアメリカ国家のエレキかき鳴らしをカマして歓迎した。

 聞けばクストリッツァの開発した警備システムは完璧。24時間のモニター監視、わずかな音にも反応する警備システム、そして四方八方に張り巡らせた赤外線センサー。だがそれも、このクストリッツァにかかれば怖いものはない。彼はカジノに頼まれて定期的に警備システムのメンテナンスを行っていた。その際にチョイと細工をすればいい。

 だが何をするにもとりあえずの資金がいる。ノルティは自分のご自慢のピカソの絵を手放す決心をした。闇の画商レイフ・ファインズの元へ行き、口八丁で犯行資金を手に入れる。

 その合間も、背後ではヤバイ状況が少しづつ進行していた。例の若い女クヒアニチェはダグマウイに飽きたらず、ノルティへの思いをつのらせる。あげくそんな不満からかヤクに手を出して、あの売人と顔見知りになっていた。ヤクと一時の快楽との引き替えに、ついつい情報を漏らすクヒアニチェ。だが彼女も、計画が二重底になっているとは、まだこの時点で気づいていなかった。それでもついには真相に行き当たるクヒアニチェ。

 そんなクヒアニチェのアリサマを、あのバー・オーナーも目ざとく監視していた。そしてヘロヘロになったクヒアニチェを家に送って、意識朦朧の彼女から真相を知るバー・オーナー。この男は、ノルティへの復讐を秘かに目論んでいた

 バー・オーナーからクヒアニチェと売人との関係を示唆されたダグマウイは、それまで彼女の煮え切らない態度に悶々としていただけに一気にキレる。あげくカリョにタレ込んでいる最中の売人を、事もあろうに撃ち殺してしまう。突然の出来事に唖然とするカリョに、すかさずバー・オーナーが耳打ちしたのは言うまでもない。「奴の狙いはカジノの金庫じゃない、絵だ」

 一方、売人殺しを知ったノルティは怒り心頭。元より殺しは流儀じゃない。ノルティはダグマウイにイタリアに高飛びしろと迫る。打ちひしがれたダグマウイは、仕方なくクルマで国境に向かうのだった。

 そんなヤバい状況に追い打ちをかけるように、ノルティを訪ねた男がいた。用心棒を伴った画商のファインズだ。実はノルティがつかませたピカソの絵は偽物。これに気づいたファインズが、早急に金を返すように迫ったのだ。金を返さねば命はないぜ…。こうなると、もはや後戻りは出来ない。

 しかも高飛びさせたはずのダグマウイは、なぜか舞い戻ってしまう。果たしてこの男、一体何を企んでいるのか?

 さて計画はそれでも実行に移された。絵画の保管庫の地下には古い地下道がある。そこからノルティたちの仲間が侵入する作戦だ。目をつけられているノルティは、クヒアニチェ、ダルモンと共にカジノに乗り込む。カジノでプレイしながら、あたかも金庫を破るチャンスを狙っているように…だ。ここでノルティは、クヒアニチェに自らのギャンブル哲学を披露した。

 「ルールその1、プレイの時はドレスアップしろ」

 「ルールその2、プレイの時はヤクをやるな」

 かくして最大限にめかし込んだ二人は、気合い十分でカジノに乗り込む。なぜかこの日、プレイを始めたノルティとクヒアニチェの二人はツキまくっていた。やたらめったら勝ちまくる。だがそんなカジノ周辺には、異常なまでの警官隊が動員されていた。さすがにバレたのではないか…とダルモンはビビる。だがノルティはクヒアニチェに悠然と言い放った。

 「ルールその3、始めたプレイは最後までやり通すんだ!」

 

ジョーダン=ノルティがとにかくやってくれるのだ

 アイルランド出身のニール・ジョーダンって、僕は大好きなんだよねぇ。「モナリザ」見た時からシビレた。何とも粋でねぇ、それでいてその根底には結構真摯なメッセージがある。その後「クライング・ゲーム」を見た時なんか、僕はこの人に一生ついていきたいと思ったよ(笑)。

 だけど実際のところ、この人の映画って傑出したのはこの2本しかないと言っていい。特に大成功作「モナリザ」の後に例によってハリウッドに連れて行かれてつくった作品は、成功したものがないんだよね。「プランケット城の招待状」「俺たちは天使じゃない」…決してつまらないとは言えないが、あのジョーダンの映画としちゃ別にどうと言う事もなかった。こんな監督じゃないんだよ、この人は。

 これに懲りたかアイルランド=イギリスに舞い戻っての「クライング・ゲーム」はまたまた大傑作。泣けて泣けて…何とも粋で。するとまたしてもハリウッドからお呼びでトム・クルーズの「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」を撮るといった具合。これはさすがに前のハリウッドでの仕事に懲りたか、手堅い出来映えにはなっていた。「ことの終わり」もなかなかだった。だけど、やっぱり「あの」ジョーダンとしては物足りないのだ。他にもいろいろ撮ってはいるし、そのすべてを僕も見ている訳ではない。だけど僕としては、やっぱりジョーダンって「モナリザ」「クライング・ゲーム」の人って感じなんだよ。逆に言うと、その2本だけで後どんな駄作を撮ってもお釣りが来る監督なわけ。

 その一方で、僕はニック・ノルティが大好きなんだよね。この人も「48時間」がよくって、「アンダーファイア」が素晴らしくって。辛い男の魅力。ぶっきらぼうだけど分かってる奴。だけどそれ以外はいろいろ出てるけど、この2本に拮抗する作品はないように思うんだよね。

 だから今回この二人が組むと聞いて、いても立ってもいられなくなった。禁断症状になりそうだった。早く見たくてね。こんな気持ちは久しぶりだよ。ワクワクした。正直言って「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」より楽しみだったくらいだ。

 見たら…いやぁ、これ何て言ったらいいんだろう? 最高だね!

 僕がジョーダン=ノルティに期待するすべてがある。それ以上だ。カッコ良すぎる。カッコ良すぎて怖いくらいだ。シビレた、酔った。胸が熱くなった。映画館出た後に主役のカッコをマネしたいってマジで思ったのは、いつ以来だろうね?

 それにしても、いい映画、ホレ込んだ映画って語りづらいよ。

 何よりニック・ノルティだ。歳とったらこうなりたい。男くさくてタフな奴。自分のくたびれ加減も残り時間の少なさもわきまえていて、自分の規範で生きている奴。ヘロイン中毒の禁断症状に苦しむ、だらしなくも情けない姿すら美しい。タバコの吸いっぷりまでイカしてる。ゲイでなくても男の僕がメロメロに惚れ込んでしまう。抱かれてもいいくらい(笑)。若い女をさりげなく退けるあたりも、実に自分の分を分かっている男としてキマってるのだ。そして一旦勝負を始めたら覚悟を決める潔さ。周囲がガタガタとヤバくなって、だけど進退窮まった状況で後戻り出来ない。そんな最中にもバシッとドレスアップして、粋な若い女を従えて平然と言い放つ。

 「始めたプレイは最後までやり通すんだ!」

 く〜、カッコ良すぎるぜノルティ。腰が抜けそうだ。こりゃもうレビューじゃないね(笑)。後はもうしょうがねえな…って笑って読んでもらうしかないや。

 脇を固める面々がまたいいのだ。「ディーバ」、最近じゃ「ミッション・クレオパトラ」に出てたジェラール・ダルモンの食えない顔がいい。チェッキー・カリョのノルティの敵だかダチだか分からない、男ならではの関係がまたいい。どいつもこいつも、辛い大人の男ならではのいい面構えだ。

 特別出演でレイフ・ファインズがちょいと顔を出すのも豪華。「ことの終わり」でジョーダンと組んだ、その友情出演といったところだろうか。

 だが、何と言っても素晴らしいのが、紅一点のナッサ・クヒアニチェ。この東欧の新星がとにかくキちゃってるんだよ。まぁハッキリ言ってそのへんの男には扱いかねる女。自分が男に求められる事を知り尽くしている女。流されているようで、結局最後には自分の思うがままにしている女。他人のためには指一本動かす事もない。「悪い」という観念がハナっからない。それで世の中をナメているとか、そんな凡人余人の思惑では生きていない。抱き留めたと思えば、猫のようにしなやかに腕からすり抜けていく。とにかく万事自分を中心に回っているとどこか思っていて、それを何とも思っていない…と言うより、それさえも思っていない。気まぐれ気ままで自分の好きなようにクールに動くが、それを責めてもどうにも仕方のない女。

 僕もそんな女を一人知っていた。だけど、所詮は僕がそんな女を扱い切れる訳もない。翻弄されたあげくメタメタにされて、草木も生えないザマにされたが、それをどうこう言ってもヤボなだけだろう。出来る事はオノレの器量を知り、しかるべく振る舞うだけだ。僕はそれがなかなか分からなかったが、最後には何とか徹底的にみっともなくなる前に悟る事が出来たよ。そして、いい経験をしたと納得した。こういう女は家庭に置こうとか生涯の伴侶なんかにしようとしちゃいけない。気持ちの赴くままに流れるがままにしておくしかない。そんな女だって世の中にはいるのだ。後は黙って目をつぶって放っておけ。

 そんなヤバい「ここで会ったが百年目」の女を、このクヒアニチェが実に生きいきと演じているのだ。このクールさが映画にビシッとハマってる。

 映画監督のエミール・クストリッツァが俳優として出ているのも見逃せない。この人も自分で映画に出てくるし、個性が個性だから面白い味を出している。ギターでジミヘンかき鳴らすあたりも、いかにもで笑っちゃうね。

 そんな大人の粋な物語を、ニール・ジョーダンは実に味のある演出で見せていく。各シークエンスの終わりを短いストップ・モーションで締めくくったり、よくよく見てみればスタイリッシュな工夫も凝らしているのだが、そんな「スタイリッシュ」なんてガキの遊びみたいなもんじゃ収まらない。大人の余裕だ。これってニール・ジョーダン久々の快作って言っていいんじゃないの?

 大いにシビレまくって見たこの作品。でも、僕にはとてもこのノルティの器量なんて望むべくもない。せめて僕みたいなチンケな男としては、自分にはそんなキャパはないとわきまえている事しか出来ない。そして賭けに臨む時は潔くありたい。その上でせいぜい恥を知る振る舞いだけはしたい。出来るかどうかは分からないけどね。

 それだけが、虫けらみたいなシケた男なりの、せめてもの精一杯の美学だぜ。

 

 

 

 

 

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