「悪霊喰」

  The Order (The Sin Eater)

 (2004/02/02)


  

見る前の予想

 ブライアン・ヘルゲランド監督、ヒース・レジャー主演というと、あの快作ロック・ユー!のコンビということになるね。ヘルゲランドは「L.A.コンフィデンシャル」の脚本から大いに注目を受けてる人だし、レジャーも「パトリオット」でのメル・ギブソンの息子役以来、若手成長株として作品にも恵まれている。確かに興味尽きない顔合わせだ。

 だがこの二人が組んだ「ロック・ユー!」は、実にユニークな作品だったんだよね。中世ヨーロッパを舞台に、貴族のスポーツである棒突き競技に挑む平民の若者の物語で、歴史劇の中に青春映画の息吹きを吹き込んだ映画だ。しかもこの映画の非凡なところは、劇中に平気でクイーンなどのいわゆるロック・クラシック曲をガンガン流してしまうところ。中世なのにだよ。チョーサー役のポール・ベタニーがロック・コンサートのMCみたいに競技の観客を煽りに煽ったり、とにかくやってくれるのだ。

 正直言ってこの物語にロックを流す必然性って、中世のお話を現代の青春映画のノリで描くって意図以外はまるっきりない。だから思いつきの域を出ていないはずだ。だから普通こういう作戦に出れば、大概がお寒い出来になるのが関の山。いや、ホントにこれはとんでもない駄作になるだろうと僕も踏んでいた。ところがこの映画は、なぜかイキが良くて見てて楽しい映画に仕上がっているんだよね。とにかく危ない綱渡りを何とか渡り切っちゃった感じなんだよ。

 そんな「ロック・ユー!」のコンビがまた組むと聞けば、果たしてどんな映画になるのか興味津々だ。おまけに今回はまたまた様変わり。教会とか司祭とかが出てくる宗教色の強いオカルト・ホラー映画だという。それでなくてもヘルゲランド、レジャー両名ともオカルトとは縁が薄そう。しかも「ロック・ユー!」を考えれば、なおさら訳が分からなくなる。今度は全編にモータウン・ソウルが流れたって、僕はもうまったく驚きはしないだろう。ともかくこの作品、あらゆる意味で予想外な出来映えになっている事は間違いないようだ。良ければ傑作、悪ければハンパでないハズし作。その中間はまったくあり得ないって感じだね。

 

あらすじ

 カトリック教会の総本山・ローマ。ここに一人の年老いた聖職者フランチェスコ・カルネルッティが、薄暗い自分の住処に帰って来たところ。彼を出迎えたのは、まだ幼いくせに陰気くさく座り込んでいる兄妹だ。このガキどもは、一体なぜここにたたずんでいるのか。やがて自室に入ったカルネルッティはある一人の男の訪問を受ける。カルネルッティはその男に、「打ち明けなければならない罪がある」…と告げるのだった…。

 舞台は一転してニューヨーク。この街の小さな教会で神に仕える若い司祭のヒース・レジャーは、まだ若いにも関わらずひどく老成してしまったような陰りが印象的な人物。そんな彼をある一人の人物が訪れる。それはローマ・カトリック教会のトップを狙うと目されている幹部の一人、ピーター・ウェラーだ。ウェラーが彼を訪れたのは他でもない。ローマで例の年老いた聖職者カルネルッティが自殺を遂げたため、その原因をレジャーに調査して欲しいと言うのだ。実はレジャーの母親は幼い日に自殺し、その時からカルネルッティはレジャーの父親代わり。そのままレジャーはカルネルッティと同じ修道会に入り、恩師と来て敬っても来た。そのカルネルッティの死とあれば真相を知りたいのは山々だ。

 だが、カトリックの大物ウェラーがまたなぜ自分のようなチンピラ司祭の下へ?

 元々カルネルッティやレジャーが身を置く修道会は、カトリック教会内部でも傍系でどちらかと言えば疎んじられる立場。中でもレジャーは型破りな言動が災いして、教会本部から白い目で見られる事もしばしばだ。だがウェラーは今のカトリック教会には活力がないと危惧していた。だから教会自体に自浄能力がない。教会的にはアウトサイダー的な立場であり、しかもカルネルッティの教え子であるレジャーこそがこの役目には打ってつけだと言うのだ。

 レジャーは早速、フランスはパリに居を構える同じ修道会の旧友マーク・アディに連絡を取る。今回の調査への協力を求めるためにだが、もちろん彼も恩師の死の事は知っていた。そんなアディの身辺にも、邪悪な者たちの魔手があの手この手で迫っていたのだが…。

 さてローマ行きを前にしたレジャーの元に、一人の女が訪ねてくる。それは何となく訳アリ女のシャニン・ソサモン。レジャーとの間にも過去に何かあったらしい。彼女は退院したばかりだと言うから、何やら大病でもしていたんだろうか?

 ところがそこに別の訪問者がやってきた。レジャーはソサモンを住まいに上げて、新たな客を迎えに行く。玄関に出ていくとそれは刑事だった。実はかつてある事情から、レジャーはソサモンの「悪魔祓い」の儀式を執り行ってやった事がある。その時に精神的に不安定になった彼女は、レジャーを殺そうとしたのだった。

 そんなソサモンは狂人として精神病院に収容されたのだが、それが今日脱走してしまったと言う。刑事はその忠告と、ここにソサモンが立ち寄ってないかを確かめに来た訳だ。

 だが、なぜかレジャーは彼女が来ていた事を刑事には告げなかった。それどころか、一度殺されかかった事もあるはずなのに、ヤケに親しげにソサモンと接した。ソサモンの方でも、「私たちの間には、切っても切れない絆があるのよ」…と意味ありげな言葉をつぶやく。それを真に受けたのかどうなのか、レジャーは今回のローマ行きに、このソサモンを同行させる事にした。

 さて、早速ソサモンを伴ってローマにやってきたレジャー。恩師カルネルッティの最後の場所でもある彼の住処にたどり着き、ここを調査の前身基地にしながら寝泊まりの場所としても使うことになる。だが、その扉の前にいきなりえらく陰気くさい幼い兄妹が座り込んでいるのが気になる。

 また部屋の中に入ったレジャーは、巨大なテーブルの隅に何やらキリスト時代の頃の古代文字が書かれているのを見つける。これは何だ? このテーブルの上で、何やら宗教的な儀式が行われたんじゃないのか?

 さてローマ教会に表敬訪問傍ら話を聞きに行くレジャーだが、教会側はカルネルッティやレジャーの属する修道会をいささか邪道視しているので、何とも剣もホロロの冷たさ。教会の敷地内の埋葬も、自殺者なのでまかりならんとのお達しだ。これにはレジャーも静かに怒りをかみ殺すしかない。

 またカルネルッティの遺体を検分したレジャーは、その胸部に不思議な痕跡を発見する。やがて過去のキリスト教関係の文献を漁っていたレジャーは、それがある「異端」の儀式を表していることを知る。

 すなわち、「罪食い」

 異教徒、破門者、自殺者など、死に臨んで聖職者から「臨終の秘蹟」を行ってもらえない者を罪から解放する存在。その者の罪を食らうこの人物を、「罪食い」と言うのだ。レジャーは今回の事件に、この「罪食い」が深く関わっていることを確信する。

 さてレジャーは修道女に頼み込み、内密に教会敷地内の墓地にカルネルッティの遺体を埋葬する事にした。真夜中、修道女たちを帰してから一人で埋葬を行うレジャー。そんな彼を、墓地の片隅から見つめる何者かの存在があった。その気配に気付いたレジャーだが、懐中電灯で暗がりを照らしても何も見えない。やがてその懐中電灯が突然切れて、どこからともなく突風が吹き荒れ始めると…。

 幼い兄妹が墓地に現れた!

 あのカルネルッティの住処にいた陰気くさい兄妹が、なぜか真夜中のこの墓地に姿を見せたではないか。この二人がズンズンと近づいてくるにつれて、突風はますますレジャーに激しく吹き付けてくる。これは間違いなくこの世にあらざる者に違いない。

 「悪しき者、現れいでたる処へ戻れ!」

 だが兄妹はまったくひるまない。それどころか、時折その表情を醜くおぞましい形に歪めるや、レジャーはものすごいパワーで吹っ飛ばされるアリサマだ。慌てたレジャーは再び兄妹に言葉を放つ。

 「悪しき者、現れいでたる処へ戻れ!」

 すると幼い兄妹の姿は一気に木っ端微塵に分裂。幾匹ものコウモリの姿に変身してバラバラに飛び去ってしまった。

 さすがに力が抜けて呆然としているレジャー。そんな彼に声をかける者が一人。あのレジャーの旧友マーク・アディが到着したのだ。地獄に仏、思わぬ援軍に、思わず安堵の声をもらすレジャーではあった。

 さて亡きカルネルッティの住処で、連れてきたソサモンと共に今までの経緯を語り合うレジャーとアディ。死んだカルネルッティは何かを羊皮紙に書き記して残したが、なぜかそれは半分が裂かれて失われた状態だった。それを読んでみると、例の「罪食い」との戦い方を記したもののようにも見える。

 そんな彼らの元に、突然の陣中見舞いが。あのカトリック教会の要職にあるピーター・ウェラーが、調査の進行状況を伺いにやって来たのだ。彼もまたこの事件の背後に「罪食い」の存在を確信していた。異端の存在「罪食い」が、カルネルッティを死に追いやったのかもしれない。そんなウェラーはレジャーに一本の短剣を託した。それはカトリック教会に昔から伝わる短剣で、「罪食い」退治に使われる道具だと言う。すると、ウェラーは暗にレジャーに「罪食い」を殺せと言っているのか? しかしそれは幽霊でも悪魔でもない。伝えられている通りなら、あくまで元は人間のはずだ。

 さて日を改め、アディはレジャーを連れて、ある地下道の中に入っていく。そこは知る人ぞ知る秘密の場所。キリスト教にとってはおぞましい邪教の人々が、秘密の会合を行っている場所だった。しかし蛇の道はヘビ。アディはかねてよりこの邪教のリーダーに「貸し」をつくっており、その「貸し」を返してもらう形で、今回の事件の糸口を手に入れようとしていたのだ。

 この邪教では生け贄を捧げ、その生け贄が死に行く時に残す言葉を予言としていた。郷に入らば郷に従え。ウンザリするしきたりではあるが、アディもレジャーもこの「死ぬ行く者」の予言に耳を傾けた。すると予言は、サンペドロ教会へ行け…と出た。サンペドロ教会へ行けば、「罪食い」に会えるのか?

 この邪教の隠れ家から退散する際に、レジャーとアディは何やら邪悪な声を耳にする。いきなり飛び出して来たコウモリの群れに地下水道に突き落とされたレジャーは、危うく溺れかかる目にあった。アディはと言えばもっと酷くて、飛んできたボルトに手の平を壁に打ちつけられるなど、かなりの深手を負うことになる。このキズでアディは入院を余儀なくされた。

 ともかく予言だ。レジャーはサンペドロ教会へとやってくる。そこでヤツはついにレジャーの前にその姿を現した。

 その男はベンノ・フユルマンと言う。彼こそが「罪食い」だ。

 だが意外にも落ちついたおとなしげな人物なのに、レジャーは内心驚いた。そんなユフルマンが語る、彼のいにしえの物語。それは今から悠久の時の流れを遡った、このサンペドロ教会建立にまつわる出来事だった。少年だった頃のフユルマンが、このサンペドロ教会の工事を見学に来る。実はこの工事に、フユルマンの兄が関わっていたのだった。だが突然足場が崩壊。フユルマンの兄はものすごい高さを一気に転落した。少年フユルマンが見ている前で、今にも亡くなりそうな虫の息だ。だがその場にいた司祭は、兄に「臨終の秘蹟」を行うのを拒む。兄がすでに教会と絶縁していたからだ。だが自分たちのための建物をつくらせておいて、いざという時に見捨てる教会って一体何なのだ?

 その時、フユルマンは兄のために「罪食い」になった。

 教会への怒り、教会への疑問がフユルマンを支えて来た。フユルマンはレジャーに問う。「教会からは疎んじられる修道会にいて、君だって教会には反発があるだろう?

 そんな「罪食い」フユルマンの甘い言葉を、必死に否定するレジャー。だがフユルマンの親しみやすく共感出来る物腰に、どうしても警戒心を緩めずにはいられない彼だった。そんなレジャーの心を見すかしたか、フユルマンは彼の最も敏感なところを刺激してくる。それはもちろんあの女…ソサモンのことだ。彼女を前にして、オマエは司祭か男か? 正直な心の言葉を聞いてみろ!

 そう問われた時、レジャーはソサモンを抱きたいと答えずにはいられなかった。

 「ならばオマエは司祭ではない

 カルネルッティの住処に戻ったレジャーは、彼を待ち受けていたソサモンをついに抱いた。そして生身の男として生きていく事を決意した。「罪食い」に悪を感じなかったレジャーは、例のウェラーから預かった短剣を持ち出し、フユルマンに手渡してやるのだった

 だが、それがマズかった。レジャーがとんでもない罠にハマったと気付くのは、それから間もなくの事だったのだ。

 

見た後での感想

 意外や意外。映画は真っ当なホラー映画ではあった。

 それも今日び大流行のショックの連発や血や腹わたで溢れかえるホラーではない。いわば「エクソシスト」で一世を風靡した、いささか懐かしいオカルト映画の匂いが濃厚なんだよね。確かに見る前から宗教色の強いホラー映画と聞いてはいたが、まさかこれほどとは…と驚いたよ。そういう意味では、またしても「ロック・ユー!」コンビに脅かされたというべきかもしれないが。

 で、いきなり何だか気色悪い雰囲気の中、キリスト教の総本山ローマで怪しげな事件が起きる。すぐに舞台はニューヨークに移ってヒース・レジャー登場。さらに途中でチラッとパリまで出てくる…という展開のダイナミックさに嬉しくなる。あのオカルト・ブームの元祖「エクソシスト」も、冒頭は北イラクの発掘現場から始まって、いきなりアメリカに舞台を移す意表の突き方がいい感じだった。そんなあたりの意欲を感じさせてワクワクさせられるが、実は画面に「ローマ」「ニューヨーク」「パリ」などと字幕が出るだけで、出てくる街の風景は別に特徴的なものじゃない。長さもそれぞれホンのちょっぴりだしね。実は後で考えてみたんだけど、あれはニューヨークもパリもロケしてなくて、全部ローマで撮ってたんじゃないかと思うよ(笑)。

 それでも舞台がローマに移り、教会、古文書、遺体の傷跡…などと怪しげなアイテムが次々出てくると、気色悪さも増してくる。夜中の墓地での幼い兄妹が襲ってくるショッカー場面も、今時のホラー映画と比べればおとなしいもんだが、雰囲気はなかなか悪くない。地下の邪教集団の巣窟へ下りていくあたりの恐々した感じもいい。おまけに撮影も全体に暗くジメ〜ッとした感じだから、見ている側にイヤ〜な気分がどんどん増していく。う〜ん、いいねぇ久々にこういうヤな感じ(笑)。

 と言いたいところだが、実はそういう気分に浸っていられるのもこのあたりまで。中盤に入って何だかモタついてくる。気色悪いアイテムの列挙も一通り済んで、ショッカー場面も出なくなると、本題の「罪食い」の登場だ。だけどこの男とレジャーとのやりとりが、どうもしっくり来ない。何となく主人公レジャーの考えている事についていけなくなるのだ。というより、オマエ一体何考えてるの?…と当惑してしまう。

 そういえばここまでは気色悪アイテムのオンパレードで雰囲気醸成に徹していると思っていたから、主人公レジャーの心理が読めなくても、それはミステリアスな趣向なのだろうと自分を納得させて見れた。でも、「罪食い」が出てきたあたりで、この映画は完全に会話で進行するドラマの体裁にシフトする。ここでレジャーが何考えてるのか分からない…と改めて漠然と感じ始めると、それまでの漠然とした主人公の分からなさまで気になってくるんだよね。まるで納得出来なくなる。

 考えてみると主人公とヒロインの関わりが何だか分からない。一応後半で説明されはするが、一度は自分を殺そうとした精神病患者のヒロインをかくまうだけならまだしも、わざわざローマまで連れていく意味が分からない。何で彼女を連れて行かねばならないのか? その彼女が「私たちの間には絆がある」みたいな事を言い出すのが分からないし、それをどうも主人公自身も真に受けてるみたいなのがもっと分からない。彼女が主人公のローマ行きを知っているみたいなのも不思議だ。

 後でローマで教会のお偉いさんピーター・ウェラーが陣中見舞いにやってくる時、彼女が何の違和感もなくシレッと「私たち、カトリック特捜隊よ」なんて言ってるのがもっと分からない。何でこの女はここにいるのだ。何で主人公は彼女を連れてきたのだ。それについて、何で誰も不思議に感じないのだ。これが全然見ている側には分からないんだよねぇ。

 さらにそんな訳分からない主人公が「罪食い」に心乱され翻弄されても、元々何考えてるのか分からない人だから何も見ていて共感出来ない。共感出来ない人物がどうなったってハラハラしない。ここで緊張感がゆるんでしまったから、その後で「罪食い」儀式のCGやSFXを交えた見せ場が出てきたって、もうそれにノる気分にはなれないんだよね。それより主人公に対して、こいつどうなってんの?…と思う気持ちの方が強くなってしまう。

 だって「罪食い」にすっかりそそのかされ、主人公は聖職をいとも簡単に捨てちゃうみたいなんだよね。だけど奇怪な事件の渦中に今まさにいる時に、こんな重大な人生の決断をサッサとしちゃうもんなのか。そもそも連れて行った女と乳繰り合ってる場合じゃないだろう。しかも人からもらった大事な「罪食い」用の短剣を、わざわざ当の「罪食い」本人に渡してしまうおめでたさ。オマエ一体何を考えているんだと思ってしまう。

 でも、終始ヒース・レジャーはむっつりした顔して黙っているだけだから、本当に何を考えているのか分からないまんまなんだよね、まさか単純なアホって訳じゃないだろうし。やってる事はアホにしか見えないんだけれどね。何か考えがあっての事かと深読みしたくもなる。

 で、ここで主人公の心理と共にお話全体も何となくボヤ〜っと見えなくなってしまうから、映画を見終わった印象も何となく希薄なのだ。あれは一体何だったの?…としばしボーゼン。

 で、見た後しばらくは、この分かりにくさって映画が宗教色の強いものだからか…と疑ってみたくもなった。「エクソシスト」だって怖い怖いとさんざアメリカからの情報を受け取ってはいたが、実際の映画を見たら面白くはあったが大して怖いとは思わなかった。そのへん日本人とキリスト教徒の宗教観の違いかな…と思っちゃったわけだ。分かりにくいのは「罪食い」とかカトリックとか教会とかの、それぞれのアイテムについてちゃんと分かってないからかな…と。

 だけどこうしてストーリーを綴ってみると、決して分かりにくいお話ではないんだよね。むしろ単純かつ分かりやすいくらいの話だ。だとすると、やっぱりこのつかみ所のなさっていうのは、キリスト教の問題じゃない。主人公のヒース・レジャーを筆頭に、人物の心理が掴みづらいからなんだと思うしかないわけだ。

 で、だとするとこの映画って、人物の心理があまりに支離滅裂じゃないかい?

 この「悪霊喰」、何でもアメリカ本国で何度も改題が繰り返され、公開延期も数知れず。実際、原題名は「The Order」と発表されているけど、フィルムの画面上に出たタイトルは「The Sin Eater」となっていた。プレスシートによると、そのへんの事情を祟りのせいだと説明しているが、さすがにそれは僕も眉にツバものだなと思っちゃうよね。でも公開までは確かに大モメだった事は間違いない。それって、やっぱりこの映画の何とも奇妙な内容に、映画会社がビビっちゃったからじゃないかと思うんだよね。編集とかあちこちゴチャゴチャいじくってたんじゃないか?

 

監督のフィルモグラフィーを考える

 監督ヘルゲランドって、何と言っても出世作が「L.A.コンフィデンシャル」の脚本だってのは間違いないだろう。これでミステリとかサスペンスならヘルゲランドって評価が出来たのは間違いない。クリント・イーストウッドもそのへんの腕を買って、「ブラッド・ワーク」の脚本に次いで「ミスティック・リバー」の脚本も任せたはずだからね。

 で、メル・ギブソンもそこらあたりを評価してか、「ペイバック」で彼を監督に起用する。ここでヘルゲランドは念願の監督デビューを果たした訳だ。

 ところがこれが奇怪な事に、クレジットにはヘルゲランドの名前は残ったものの、途中降板を余儀なくされたらしい。中身もかなりの部分がメル・ギブソン自身によって撮り直されたようだ。これは一体何を意味しているのだろうか?

 で、その次の…実質上はこれが完全な監督デビュー作となったのが、あの「ロック・ユー!」だったのだ。確かにこれは天晴れな映画だったと思うよ。だけど、最初はこれって何でヘルゲランドが?…と思っちゃったよね。中世を舞台にした青春映画という題材もそうだし、そこに意味もなくロックを流すって手法もね。

 今回の「悪霊喰」はその彼としての「成功作」である「ロック・ユー!」の主役ヒース・レジャーを持って来ただけでなく、実はシャニン・ソサモンとマーク・アディという「ロック・ユー!」出演者まで引っぱり出した。で、それらを生かし切っているのかと言えば、またしても全然違う土壌で映画をつくっているのだ。こりゃ一体どういう事なんだろう?

 ミステリならヘルゲランド…って評価(実際イーストウッドはそう言って「ミスティック・リバー」に起用したらしいが)がホントだとして、それと「ロック・ユー!」は限りなく遠い。そしてもっと遠いのが今度の「悪霊喰」だ。この題材の選び方ってどうなんだろう?

 そもそもこの僕は、世間では大絶賛の「ミスティック・リバー」だが、どうもイマイチよく分からないと思っているんだよね。どっちかというとアレって難アリな映画じゃないかと思ってる。で、それって実はイーストウッド演出だけでなく、ヘルゲランド脚本にも問題の一端があるような気がし始めてる。そういやヘルゲランド脚本には、ケビン・コスナーの大失敗作「ポストマン」なんてのもあったっけ(笑)。

 「L.A.コンフィデンシャル」のクールな脚本家ヘルゲランド。だが、その後の彼の系譜を辿っていくと、これほどあちこち疑問が残る足跡を残しているのだ。しかも成功作(と僕は思っているが)「ロック・ユー!」は、そんな彼の作品系譜の中で異彩を放つ作品。真っ当な娯楽映画のパターンから考えても、下手をすれば大ハズシになっておかしくない突然変異的な作品だ。こりゃ一体どういう事なんだろう?

 ここまで書くとこの文章を読んでいる方は、僕がヘルゲランドの事を本当はヘボだと思っているとお考えになるかもしれない。だが、そうは決して思わないよ。「L.A.コンフィデンシャル」は立派な映画で、何かの間違いで出来た作品だとは思えない。「ロック・ユー!」だってビックリ仰天だったけど、やっぱり面白くは出来ていたよね。こっちの場合はいささか運に助けられたきらいがあったかもしれないが(笑)。

 ただ、この人にはちょっと不思議なクセがあるのかもしれないと思ってる。

 特に気になるのが「ロック・ユー!」だ。「L.A.コンフィデンシャル」の…ミステリのヘルゲランドがこんな映画を放つのも不思議なら、そこに既存のロック名曲を乗せるなんて、結構きわどい趣向を押し通す大胆さ。一体どこからそんな発想が出てくるのだ。それって卓抜した発想…と言えば聞こえがいいが、ちょっと無茶だしアブないんじゃないかって気もしてこないか?

 さらにその「ロック・ユー!」のメンツが気に入ったからと言って、全然様変わりしている「悪霊喰」に起用することはないんじゃないか? それにヘルゲランドのこれまでの作品系譜を考えても、この映画ってあまりに落差が大きい。ハッキリ言ってヘルゲランドが何を考えているのか分からないよ

 こうなってくると、メル・ギブソンが何を難アリと判断して、「ペイバック」からヘルゲランドを降板させたのかも気になって来るよね。ひょっとして、こいつ何を考えているんだ?…って見ていて心配になってきたんじゃないか?

 この落差、ミスマッチ感、脈絡のなさ、モチベーションの不透明感、何を考えているのか分からない行き当たりバッタリ感…「L.A.コンフィデンシャル」の延長線上以外でのヘルゲランドの仕事って、ホントに何がどうなってるのか分からないってのが正直なところだ。

 そして、それって考えてみると、この映画のヒース・レジャー扮する主人公のキャラクター、心情描写とピタリ重なる気がするんだよ。「分裂気質」…と言ったらそっちの方の病気みたいで語弊があるが、かなり無茶な発想やら突飛な志向を持ちやすい心理傾向が、元々ヘルゲランドにはあるんじゃないか。そうでなければこうもデコボコなフィルモグラフィーを形成しないだろうし、この「悪霊喰」自体も主人公のキャラクターもこうならないだろうし、もっと言えばこの作品そのものがなかったかもしれない。

 そう考えてみると、この映画は実に興味深い作品に見えてくるんだよね。

 

見た後の付け足し

 ミステリってのは極めて知的で論理的なジャンルだろうけど、彼はその後、頼まれ仕事以外では全然違った方向にいこうとしている。ところがそうして選んだ題材ってのはあまりに様変わりし過ぎてるし、そこでさらに飛んでもない事をやらかしかねない。まったく想像つかないのがヘルゲランドという映画作家の特徴なのかもしれないんだよね。そしてそんなヘルゲランドの志向ってのは、たぶん作品が破綻すると分かっていても押さえがたい気質なのかもしれない。今回の「悪霊喰」はそんなヘルゲランドが本来持つ映画志向を満たしつつ、彼本人の心情をもどこかで反映した作品のように思えるんだよね。あの主人公ヒース・レジャーの心の中の分からなさ、行き当たりバッタリの糸の切れたタコ状態ってのは、ヘルゲランドその人の心情なのかもしれないよ。

 だから僕は、これからもヘルゲランド作品を心待ちにしたくなったよね。今回の「悪霊喰」はそんなヘルゲランドの悪癖が災いしちゃったけど…。だって作品を待っていれば、この人ってひょっとしたらひょっとするかもしれないんだよ。もちろんまるっきりハズしかもしれない。だけどひとたび当たれば誰にも真似出来ないほどの大ホームランって事もやりかねないんだからね(笑)。

 

 

 

 

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